第9話 白狐神、ハンター達と出会う
森の影から現れたハンターたちは、五人だった。
先頭に立っていたのは、背の高い男。年齢は三十代半ばくらい。革鎧の上に、ところどころ金属板を縫い付けた実戦向けの装備。腰には剣。背中には弓。顔には無精髭。だが、目つきは鋭い。
その後ろに、細身の女。長い耳。エルフだ。弓を手にしているが、弦には指をかけていない。
さらに、ずんぐりした体格の男。髭が立派だ。ドワーフだろう。巨大な戦斧を背負っている。
四人目は犬系……いや、狼系かもしれない獣人の青年。耳がぴんと立ち、鼻をひくひく動かしている。こちらを警戒しているというより、状況を嗅ぎ取ろうとしているようだった。
最後に、黒髪の人族らしき女性。ローブ姿で、杖を持っている。魔法使いか、神官か。
いずれも西洋系の顔立ちをしている。見た目だけなら、実に分かりやすい冒険者パーティーだった。いや、鑑定によると、この世界ではハンターと呼ぶらしい。
俺はライフルを下げたまま、しかしすぐ構えられる位置に持っていた。
相手に銃口は向けない。だが、完全に無防備にもならない。
背後にはユキ。さらにその後ろには、さっきまで重機関銃付きピックアップトラックがあった場所。
トラックはもう収納しているが、地面にはタイヤ跡もあるし、M2ブローニングの射撃でえぐれた跡もある。湖畔の草はまだ濡れていて、レイクサーペントが倒れた場所だけ、地面の色が変わっていた。
どう見ても、こちらの方が怪しい。
すると、先頭の男が両手を少し上げた。
「敵意はない」
その言葉は、普通に分かった。日本語として聞こえる。ただ、俺の知っている日本語とは、ところどころ言い回しが硬い。
そういえば、ユキとも最初から会話できた。
あの時は異世界だから自動翻訳でもあるのかと思ったが、どうやらそれだけではなさそうだ。この世界の言葉そのものが、日本語にかなり近いのかもしれない。
「なら、そこで止まってくれ」
俺はそう言った。男は頷いた。通じている。
ユキが俺の後ろから服を掴む。
「おっちゃん」
「大丈夫だ。まだ大丈夫」
「におう?」
「ユキはどう感じる?」
ユキは俺の背中から顔を半分だけ出して、鼻をひくひくさせた。
「こわいにおい。びっくりのにおい。あと、つかれたにおい」
「嫌な匂いは?」
「すくない」
「そうか」
つまり、強い敵意や悪意は薄い。少なくとも、今すぐ襲ってくる感じではない。
すると先頭の男が、慎重に口を開いた。
「俺はガラン。ハンターランクSパーティー《東風の牙》のリーダーだ」
「ランクS?」
思わず聞き返す。そういうランク制度があるらしい。
ガランと名乗った男は、少し苦笑した。
「一応、腕は立つ方だ。だが……」
彼は湖畔を見る。
そこにレイクサーペントの死骸はもうない。先ほど、俺が収納したからだ。
だが、地面は大きく抉れ、草は濡れ、弾痕も残っている。湖面にはまだ波紋があり、周囲には巨大な魔物が暴れた痕跡が嫌というほど残っていた。
ガランの視線は、俺の顔と、湖畔と、俺の右手を何度か往復した。
「俺たちは見ていた」
「見ていた?」
「ああ。森の中からな。レイクサーペントが倒れたのも、その死骸が一瞬で消えたのも」
後ろの狼族の青年が、耳をぴんと立てたまま言った。
「あれ、収納っすよね? でも普通の収納じゃないっす。レイクサーペント丸ごとって、ありえないっす」
見られていたのか。俺は内心で頭を抱えた。隠しようがないことが、また一つ増えた。
「収納だ。俺にも仕組みはよく分かってない」
「分かってないのに、厄災級を収納したんすか?」
「倒した後だったし、放置する方が怖かった」
「いや、理屈は分かるっすけど、規模が分からないっす」
ガランは静かに息を吐いた。
「あんなものを倒し、さらに丸ごと収納する者の前では、ランクSと名乗るのも妙な気分だ」
「倒したのは、かなり運が良かっただけだ」
「運で厄災級は倒せん」
「俺としては、二度とやりたくない」
これは本心だ。
ガランは湖畔の地面に残った跡を見る。
「それに、あの音と光。見たことのない異界の武具だった」
「あー、それはちょっと説明が難しい」
「そうか」
ガランはそれ以上、無理に聞いてこなかった。助かる。
俺だって説明できない。
サバゲーの手習いで買った重機関銃付きピックアップトラックで倒しました、などと言っても、絶対に伝わらない。
エルフの女が一歩前に出た。
「私はリーファ。弓士よ」
声は落ち着いている。だが目はユキを見ていた。警戒というより、驚きと畏れが混ざった目。
「その子は……神獣なの?」
ユキが俺の後ろに隠れる。
俺は少し体をずらして、ユキを視線から守った。
「…神獣?この子の種族は白狐神。名前はユキだ」
「白狐神!ユキ……」
リーファがその名を繰り返した瞬間、周囲の空気が少しだけ揺れた気がした。ユキの耳がぴくりと動く。
「おっちゃん」
「大丈夫。名前を呼ばれただけだ」
「ユキは、ユキ」
「ああ。ユキはユキだ」
ドワーフの男が、太い腕を組んで唸った。
「白き神獣様に、おそらく異界の武具。しかもレイクサーペント討伐。こりゃあ、酒なしじゃ聞けん話だな」
「ドラン、今は酒の話じゃないでしょう」
人族のローブ女性が呆れたように言う。
「私はマリベル。魔術師です。回復も少しならできます」
最後に狼族の青年が軽く手を上げた。
「俺はロク。斥候役っす。鼻と足には自信あります」
ユキがロクをじっと見た。
「いぬ?」
ロクの耳がぴんと立つ。
「犬じゃなくて狼族っす」
「いぬ?」
「狼族っす」
「でも、いぬのにおい」
ロクが胸を押さえた。
「ぐっ……神獣様に言われると反論しづらいっす」
「ユキ、びゃっこ」
「はい。神獣様っす」
ユキは少しだけ得意げに胸を張った。
「ユキ、えらい」
その空気に、少しだけ緊張が緩む。悪い連中ではなさそうだ。少なくとも、今のところは。
俺も名乗ることにした。
「俺はサコン・ヒカルだ。ヒカルでいい」
「ヒカル殿か」
「殿はいらない。ヒカルでいい」
「では、ヒカル」
ガランは頷いた。それから、真面目な顔に戻る。
「我々は東のオリエント王国から来た」
「オリエント王国?」
「ああ。この大境界森を挟んだ東にある国だ。銀狐族の獣人王、セイラム陛下が治めている」
「銀狐族……」
俺はちらりとユキを見る。
白狐神のユキ。そして東の国の王は、銀狐族の獣人。同じ狐系ではある。
ガランは続ける。
「我々は王命を受け、西のレイシス皇国へ向かっていた。陛下の親書を届けるためだ」
「親書?」
「奴隷解放を呼びかける内容だ」
空気が少し重くなった。
「奴隷制度があるのか」
「レイシスにはな」
ガランの顔が険しくなる。
「レイシス皇国は人族至上主義の国だ。人族以外を下に見る。エルフ、ドワーフ、獣人、その他の亜人。全て差別の対象だ。奴隷制度も残っている」
リーファが静かに言う。
「残っている、というより、国の仕組みに組み込まれているわ」
ドランが鼻を鳴らす。
「胸糞悪い国だ。行くたびに斧がうずく」
「斧をうずかせないために、私たちがついているんです」
マリベルが淡々と言った。
「分かっとる」
ロクが肩をすくめる。
「俺たちみたいな亜人混じりのパーティーが入るだけでも、だいぶ嫌な顔されるっすからね」
俺は眉を寄せる。
「それで、オリエント王国は?」
ガランの表情が少し和らぐ。
「オリエント王国は多種族国家だ。銀狐族の王を中心に、獣人、エルフ、ドワーフ、人族、その他の種族が共に暮らしている。もちろん問題がないわけじゃない。だが、少なくとも種族だけで奴隷にするような国ではない」
「かなり違うんだな」
「ああ。だから、レイシスとは昔から折り合いが悪い」
東のオリエント王国。
多種族共存。
銀狐族の獣人王。
西のレイシス皇国。
人族至上主義。
亜人差別。
奴隷制度。
いきなり重い話が来た。
ユキは俺の服を掴んだまま、ぽつりと言う。
「くびに、ひも?」
全員の視線がユキへ向いた。ユキは少しびくっとして、俺の後ろに隠れ直す。
俺はしゃがんで、ユキと目線を合わせた。
「見たことあるのか?」
「まえ、ひとがいた。くびに、ひも。ないてた」
ガランたちの顔が厳しくなる。ロクが小さく舌打ちした。
「レイシスの奴隷狩りかもしれないっすね」
ユキがこの森で一人だった頃、誰かがこの森に入っていた。捕まえようとした人間もいたと言っていた。
もしかすると、レイシス皇国側の奴隷狩りだったのか。
ガランは俺を見る。
「この森は、どちらの国の領土でもない」
「どちらでもない?」
「ああ。オリエント王国では、この森は神聖かつ畏怖の対象とされている。白き神獣の伝承が残る森だ。無闇に入る者はいない」
「白き神獣……」
ユキの耳が動いた。
「びゃっこ?」
ガランはユキを見る。その目に、明らかな敬意があった。
「東では、白き神獣の眠る森とも呼ばれている。詳しい伝承は失われている部分が多いが、王家はこの森を侵すなと代々伝えてきた」
「レイシス皇国では?」
俺が聞くと、リーファが答えた。
「魔物だらけの利用価値のない死の森、とされているわ」
「死の森」
「実際、普通の人が入れば自殺行為よ。私たちはランクSパーティーだから通過できると判断されたけれど、それでも危険は大きい」
ドランが渋い顔で言う。
「まさかレイクサーペントが湖から上がってくるとは思わんかったがな」
「この森では珍しいのか?」
「厄災級が出る時点で珍しいとかいう話ではない。普通は町が一つ消える」
「町が一つ……」
俺は背筋が冷たくなった。あれは、そういう存在だったのか。
ユキが止めてくれなければ、結界は破られていたかもしれない。サバゲースキルとM2ブローニングがなければ、俺たちは死んでいたかもしれない。
改めて考えると、足が震えそうになる。
ガランは俺を見た。
「ヒカル。お前たちは、この森で暮らしているのか?」
「成り行きでな。俺はまだ三日目だ」
「三日目?」
五人全員が固まった。ロクが耳をぴんと立てる。
「三日目でレイクサーペント討伐っすか?」
「討伐というか、襲われたから必死に倒しただけだ」
「それを討伐って言うんすよ」
ドランが豪快に笑いかけて、途中で周囲を見て声を抑えた。
「はっはっ……いや、笑う場面ではないな」
マリベルが俺を見る。
「ヒカルさん。失礼ですが、あなたは人族ですか?」
「たぶん人族でいいと思う」
「たぶん?」
「俺はこの世界の人間ではない」
言ってから、少し早まったかと思った。
だが、もう普通の人間扱いで押し通すには無理がある。異界の武器。無制限らしい収納スキル。白狐神ユキにレイクサーペント討伐。
隠しようがない。
五人は顔を見合わせた。ガランが低い声で言う。
「異界人、か」
「知っているのか?」
「ああ。伝承にも、歴史にもある。異なる空から来る者。まれにこの世界へ現れると」
「そうか」
完全に前例なしというわけではないらしい。
それが良いことか悪いことかは分からないが、少なくとも説明の足場にはなる。
「俺は、日本という場所から来た」
ユキがこくりと頷く。
「おっちゃん、ニホンから来た」
ガラン達が一瞬黙った。
「ニホン……」
マリベルがその言葉を繰り返す。
「古い文献に似た言葉があった気がします」
「あるのか?」
「ええ。異界人の故郷として、ニホン、あるいはニホン国という名が断片的に残っています。ただ、学者でも詳しくは分かっていません」
「まじか……」
俺は頭を押さえた。
この世界の話し言葉が日本語に近い理由も、過去の異界人と関係しているのかもしれない。今は深掘りする余裕はないが、気になる。
「俺は、ユキを森で見つけた。名前がないと言うから、ユキと名付けた」
その瞬間、リーファが息を呑んだ。
「神獣様に名を……」
ガランも目を細める。
「それは、かなり深い縁になる」
「らしいな。鑑定にも出た」
「鑑定も使えるのか」
「ああ」
ガランは少し考え込む。
「なるほど。なら、ヒカルはただの異界人ではなく、白き神獣の名付け親ということになる」
「……肩書きが重すぎるな」
俺は頭を抱えた。無趣味の四十男だったはずなのに、なぜこんな肩書きが増えるのか。
ユキは俺の服を掴んだまま、胸を張った。
「おっちゃん、ユキのなまえのひと」
「そうだな」
「おっちゃん、えらい」
「はい、評価いただきました」
ガランたちは少しだけ笑った。空気がまた少し緩む。だが、問題はここからだ。俺はガランに尋ねた。
「レイシス皇国は、この湖から近いのか?」
「ああ。森を西へ抜ければ、レイシス領の外縁部に出る。距離で言えば、ここからはレイシスの方が近い」
「……そうか」
西にレイシス皇国。
人族至上主義。
亜人差別。
奴隷制度。
奴隷解放を求める親書。
そして、ユキを捕まえようとした人間たち。考えたくないが、関係している可能性は高い。
俺は湖畔の仮拠点を見る。
ここにキットハウスを建てることを考えていた。湖畔で釣りをして、シャワーを使って、神棚を買って、祠を作る約束をした。
それはそれで大事だ。
だが、この近くに奴隷制度のある国がある。ユキのような存在が見つかれば、どう扱われるか分からない。
俺が黙っていると、ガランが言った。
「ヒカル。もしここに留まるつもりなら、レイシスの情報は知っておいた方がいい」
「そうだな」
「特に奴隷商、違法ハンター、皇国の神務院系組織には注意しろ。神獣を信仰対象ではなく、利用価値のある存在として見る者もいる」
その言葉で、俺の胸の奥が冷えた。ユキが俺の服を掴む手に、少し力を込める。
「おっちゃん」
「大丈夫だ」
俺はユキの頭に手を置いた。それから、ガランを見る。
「俺も、レイシス皇国へ同行させてくれないか?」
五人が驚いた顔をした。ユキも俺を見上げる。
「おっちゃん、いく?」
「ああ。ただし、無茶をするためじゃない」
俺はゆっくり言葉を選んだ。
「理由は三つある。一つ目。この森に拠点を作るなら、西側の脅威を知らないままでは危なすぎる。どこに町があって、どこに道があって、どこから奴隷狩りが来るのか。それを知らずに、ここでユキと暮らすのは無責任だ」
ガランは黙って聞いている。
「二つ目。ユキが見た首輪の人間や、ユキを捕まえようとした連中がレイシス側なら、今後もこの森に入ってくる可能性がある。だったら、先に相手の事情を知っておきたい」
「三つ目は?」
「俺は異界人で、この世界の常識を知らない。ユキは白狐神だが、まだ子供だ。俺たちだけで動けば、余計に目立つし、危険も増える。だが、王命を受けたランクSパーティーと一緒なら、少なくとも道中で学べることが多い」
俺は一度息を吐いた。
「要するに、戦いに行きたいわけじゃない。ユキを守るために、危険の正体を知りたい。この森を拠点にするなら、隣の危ない国を知らないままではいられない」
ガランはしばらく俺を見ていた。
「分からなくはない」
「ただし、制約は設ける」
「聞こう」
「ユキを危険な場所には出さない。レイシスの中枢へいきなり連れて行く気はない。まずは国境周辺、街道、外縁部の様子を見たい。危険が大きすぎるなら俺とユキは引き返す」
ユキが俺の服を掴んだまま言う。
「ユキも、いく?」
「置いていく方が危ない。だから一緒だ。ただし、耳と尻尾は隠す。こびゃっこも濡れたり落ちたりしないようにする」
「にくは?」
「携帯食に入れる」
「よし」
今そこで納得するのか。ガランは少しだけ笑った。
「慎重だな」
「四十歳は段取りで生きてるんだ」
「四十歳?」
ロクが俺の顔を見て首をかしげた。
「ヒカルさん、三十前後に見えるっすけど」
「今朝、若返った」
「若返った?」
「説明が長くなる」
「もう何を聞いても驚かない気がしてきたっす」
「ロク、担がれてんだよ。たぶん嘘だ」
ドランが腕を組んで笑う。
「わしは賛成だ。異界人と白き神獣が同行する旅など、酒の肴として一生ものじゃ」
「ドラン」
リーファが冷たい目で見る。
「分かっとる。真面目に言えば、白き神獣様を放置してレイシスへ行く方が危険だ。奴らがこの森に入っていたなら、こちらも情報を共有した方がいい」
マリベルも頷く。
「私も賛成です。ただし、ユキ様の姿を隠す手段は必要です。レイシス側に白き神獣の存在が知られれば、面倒では済まないでしょう」
「そこは俺も考える」
フード付きポンチョだけでは足りない。耳はまだしも、尻尾が問題だ。大きめのマント、背負い袋、あるいは荷物に見せかける何か。あとでショップを確認する必要がある。
ガランは最後に言った。
「なら、今日すぐ出るのはやめよう。我々もレイクサーペントの件で予定が崩れた。ヒカルたちも消耗している。情報交換と休息を優先し、出発は明日以降だ」
「助かる」
「それと、レイシスへ向かうかどうかは、食事の後にもう一度詰めよう。腹が減っている時の判断は危うい」
その瞬間、ユキのお腹が鳴った。
きゅううう。
緊張した空気が、一瞬で崩れる。ユキは自分のお腹を見た。
「おっちゃん」
「まだ昼には早いと思うが」
「ユキ、がんばった」
「ああ、確かに頑張ったな」
「にく」
ガランたちがぽかんとする。俺はため息をついた。
「……話は飯を食いながらにしよう。良かったら食っていくか?」
ドランの目が輝いた。
「飯か!」
リーファが呆れる。
「ドラン、あなたは本当に」
「いや、しかしだな。厄災級の後には飯だろう」
「理屈になっていません」
だが、彼らも疲れているのは確かだった。森を抜ける途中でこの湖に来たのなら、まともな食事を取れていない可能性もある。
俺は頷いた。
「昼にしよう。重い話は、腹に何か入れてからだ」
ユキは満足そうに頷いた。
「にく」
「肉だけじゃないぞ」
「にく、多め」
「はいはい」
俺は収納の中身を確認しながら、キャンプ関連ショップを開いた。
レイクサーペントの魔石でポイントは一気に増えた。だからといって無駄遣いする気はないが、ここで出し惜しみする場面でもない。
相手はランクSパーティー。
これから情報をもらう相手。
そして、場合によってはレイシス皇国へ同行する相手だ。
最初の食事は大事だ。
「焼き肉にするか」
ユキの耳が跳ねた。
「やきにく!」
「まだ何も出してない」
「やきにく、えらい?」
「たぶんかなり偉い」
「ユキ、すきになる」
「食う前から確定するな」
俺は商品を選ぶ。
焼き肉用の牛肉、豚肉、鶏肉。
焼き肉のたれ。
塩。
レタス。
トマト。
きゅうり。
サラダ用の各種ドレッシング。
インスタントのコンソメスープ。
コーンスープ。
紙皿、割り箸、紙コップ。
大人用に缶ビールとレモンチューハイを少し。
そして、グリル。
普通のカセットコンロでも焼けるが、人数が多い。煙も気になる。森の中で煙を大量に出すのは避けたい。
検索すると、ちょうど良さそうな焼肉グリルが出てきた。
⸻
【超少煙グリル】
特徴:
・煙が出にくい焼肉グリル
・遠赤外線カーボンヒーター
・温度自動調整
・焼肉プレート、油受け皿付き
・消費電力:1200W
必要魔石ポイント:165
⸻
「一万六千五百円くらいの感覚か。まあ、妥当だな」
1ポイント百円換算なら、百六十五ポイント。
以前買ったソーラーパネル一体型ポータブル電源がある。消費電力は千二百ワット。使えなくはないが、長時間は避けた方がいい。昼食分だけなら問題ないだろう。
俺はさらに食材と飲み物を合計する。
⸻
【購入内容】
・超少煙焼肉グリル
・焼き肉用肉類
・焼き肉のたれ、塩
・レタス、トマト、きゅうり
・各種ドレッシング
・インスタントコンソメスープ
・インスタントコーンスープ
・紙皿、割り箸、紙コップ
・缶ビール、レモンチューハイ少量
【購入合計:魔石ポイント300】
購入しますか?
⸻
「三百ポイントか」
一ポイント百円換算なら、三万円。
かなり豪華な昼飯だが、六人の大人とユキ一人、しかも初対面の情報交換を兼ねた食事なら、必要経費だろう。
「購入」
足元に箱と袋が現れる。
ガランたちが全員、目を見開いた。
「今、何もないところから出たな」
「買った」
「買った?」
「説明が難しい」
ロクが鼻をひくひくさせる。
「肉の匂いがするっす」
ユキも鼻をひくひくさせる。
「にく!」
「お前は反応が早い」
俺はポータブル電源を出し、ソーラーパネルの接続状況を確認する。午前中の日差しでそれなりに充電されている。そこへ超少煙グリルを接続した。
黒いグリル本体。焼き肉プレート。油受け皿。遠赤外線カーボンヒーター。
湖畔の仮拠点に、急に焼肉屋の気配が混ざり始めた。
ドランが目を輝かせる。
「なんだ、その黒い鉄板は」
「焼き肉用の道具だ。煙が少ないらしい」
「煙が少ない焼き肉?」
「俺も初めて使う」
「初めてなのか!?」
「俺の人生、ここ三日くらい初めてのことだらけなんだよ」
リーファがテーブルの上の野菜を見て首をかしげる。
「この赤いものは?」
「トマト」
「こちらの緑は?」
「レタスときゅうり」
「見たことがないわけではないけれど、ずいぶん綺麗ね」
「店で買ったからな」
「店……?」
「そこも説明が難しい」
俺はレタスをちぎり、トマトときゅうりを切って、簡単なサラダを作る。ドレッシングは数種類出した。和風、胡麻、シーザー、フレンチ。
マリベルが小瓶をじっと見る。
「これは薬ですか?」
「いや、野菜にかける味付けだ」
「野菜に?」
「そう」
ユキは露骨に顔を曇らせた。
「やさい」
「食べるぞ」
「ユキ、にく」
「肉もある。野菜も食う」
「むー」
俺は小鍋に湯を沸かし、インスタントのコンソメスープとコーンスープを用意する。人数が多いので、両方作ることにした。
紙コップに粉末を入れ、湯を注ぐ。香りが広がった。
「これは?」
ガランが聞く。
「スープだ。コンソメとコーンがある」
「コーン?」
「甘い黄色い穀物のスープだ」
ユキの耳が立つ。
「あまい?」
「少しな」
「ユキ、こーん」
「肉の前にスープか」
「こーん、しらべる」
「はいはい」
グリルが温まるまでの間に、俺は肉を皿に並べた。牛肉、豚肉、鶏肉。たれと塩。焼き肉用のトング。
油受け皿に水を入れ、プレートをセットする。説明表示を見る限り、焦げ付きにくく、煙もかなり抑えられるらしい。
ポータブル電源の残量を確認する。
「昼飯一回分なら大丈夫だな」
「おっちゃん」
「なんだ?」
「にく、まだ?」
「今から焼く」
ユキが両手を上げた。
「やきにく!」
ドランもなぜか拳を上げた。
「やきにく!」
リーファが額を押さえた。
「子供と同じ反応をしないで」
「いや、肉を焼くのだぞ。反応せずにいられるか」
ロクも尻尾らしきものを揺らしていた。
「正直、めちゃくちゃいい匂いっす」
マリベルはスープの香りを嗅いで、小さく頷く。
「これは……危険な交渉になりそうですね」
「何が?」
「食事で懐柔されそうです」
「別に毒は入ってない」
「毒より強いかもしれません」
俺は苦笑しながら、肉をグリルに並べた。
じゅう、と音がする。
脂が落ちる。
香ばしい匂いが広がる。
だが、確かに煙は少ない。
「おお。本当にあまり煙が出ない」
「おっちゃん、にく!」
「まだ焼けてない」
「にく、がんばれ」
「肉を励ますな」
ガランたちは、異界人と白狐神とレイクサーペントの痕跡を前にしながら、なぜか焼き肉昼食会に招かれることになった。
異世界三日目。どうやら俺の交渉手段は、肉とホットミルクに偏り始めている。
……この昼食会、たぶん情報交換だけでは終わらない。
⸻
【収支報告】
開始残高:1,000,075 pt
今回の購入:
・超少煙焼肉グリル:165 pt(約16,500円)
・焼き肉用肉類、野菜、ドレッシング、スープ、紙皿類、酒類など:135 pt(約13,500円)
今回支出合計:300 pt(約30,000円)
現在残高:
1,000,075 pt − 300 pt = 999,775 pt
円換算目安:
999,775 pt × 100円 = 約99,977,500円相当
続く




