第10話 白狐神と異界人の昼食会
俺は肉をグリルに並べた。
じゅう、と音がする。
脂が落ち、香ばしい匂いが広がる。だが、確かに煙は少ない。湖畔の仮拠点に、焼き肉屋の気配が混ざり始めた。
「おお……」
ドランが身を乗り出す。
「肉が焼けておる」
「見れば分かるでしょう」
リーファが呆れたように言う。
「いや、ただ焼けているだけではないぞ。煙が少ない。なのに、匂いは暴力だ」
「匂いは暴力って何よ」
ロクは鼻をひくひくさせ、尻尾を小さく揺らしていた。
「これは駄目っす。腹が勝手に反応するっす」
マリベルは黒い焼き肉グリルをじっと見ていた。
「火が見えませんね」
「電気で熱を出してる」
「電気……雷の力ですか?」
「まあ、雷のすごく大人しいやつだな」
ユキが得意げに指先を立てた。
「ユキも、ぱちってできる」
「お前のぱちは大人しくない時がある」
「ユキ、つよい」
「強いから怖いんだよ」
俺はグリルにつないだポータブル電源を確認する。昨日からソーラーパネルで充電していたので、昼飯一回分なら問題ない。
異世界の湖畔で、ソーラーパネル一体型ポータブル電源に焼き肉グリルをつなぎ、ハンターたちに焼肉を振る舞う。冷静に考えると、かなり意味が分からない。
「おっちゃん」
「なんだ」
「にく、まだ?」
「もう少し」
「にく、がんばれ」
「だから肉を励ますな」
肉が焼けた。俺はトングで一枚取り、焼き肉のタレをつけて、ユキの皿に置く。
「熱いぞ。ふーしろ」
「ふー」
「もう一回」
「ふー」
「よし」
ユキは肉を口に入れた。一瞬、動きが止まる。次に、尻尾がぶわっと膨らんだ。
「うんみゃあああ! にく、すごい! たれ、すごい! やきにく、えらい!」
「焼き肉の評価が一気に上がったな」
「おっちゃん、もっと!」
「まずよく噛んで、飲み込め」
それを見て、ドランが我慢できないという顔になった。
「わしもよいか?」
「どうぞ」
俺はドランの皿にも焼けた肉を置く。ドランは肉を豪快に口へ運んだ。噛んだ瞬間、目を見開く。
「……む」
「どうした、ドラン」
ガランが聞く。ドランは黙ってもう一度噛んだ。そして、拳を震わせた。
「これは……肉が、肉として完成しておる」
「どういう意味ですか」
マリベルが冷静に突っ込む。
「焼け具合、脂、タレ。この甘辛い液体。なんだこれは。酒を呼ぶ味だ」
「酒は少しだけだからな」
「少しでいい。少しでいいから、くれ」
「その顔は少しで済む顔じゃない」
俺は缶ビールを一本出した。ついでに、ガランにも一本。リーファとマリベルにはレモンチューハイを出す。ロクは少し迷っていたが、匂いを嗅いでチューハイを選んだ。
「これは鉄の器?」
ガランが缶を見つめる。
「アルミ缶のビール。麦の酒だ。冷えてる」
「あ、あるみかん?冷えた酒……」
ガランは缶の表面を触って目を細めた。
「旅先でこんなものが出るとはな」
ドランは缶を慎重に持っていた。
「開け方が分からん」
「ここを起こして引く」
俺がプルタブを開けると、ぷしゅっと音がした。五人が一斉にびくっとした。
「鳴いたぞ」
「酒が鳴いたっす」
「鳴いてない。炭酸が抜けただけだ」
「たんさん?」
「泡の元みたいなものだ」
ドランが慎重にビールを口へ運ぶ。
一口。目が丸くなる。
二口。髭が震える。
三口。
「……冷えた麦酒。泡。苦み。肉の脂を流す。この組み合わせを考えた者は、神か?」
「たぶん俺の世界の人間だな」
「異界、恐るべし」
ガランもビールを飲み、静かに息を吐いた。
「これはいい。強すぎず、食事に合う」
リーファはレモンチューハイを一口飲み、目を細めた。
「甘い。でも、酒精がある。果実酒とは違うのね」
マリベルも驚いたようにカップを見る。
「口の中で小さく弾けます。これは……面白い飲み物です」
ロクは一口飲んで耳を立てた。
「甘いっす。舌が痺れるのに飲みやすいっす。これ危ない酒っすね」
「分かってるならゆっくり飲め」
「はいっす」
肉が次々に焼ける。
ユキは肉、レタス、肉、きゅうり、肉、トマトの順番で食べていた。
「おい、肉で野菜を挟めばいいと思ってないか?」
「やさい、にくのあいだ」
「まあ、バランス的には悪くないが」
「やさい、ちょっとえらい」
「少し評価が上がったな」
リーファはサラダを食べて、驚いたようにドレッシングの瓶を見る。
「この胡麻の香り……野菜が食べやすくなるわ」
マリベルはコーンスープを飲み、しばらく黙った。
「甘いスープ……なるほど。子供や病人にも良さそうですね」
ガランはコンソメスープを飲みながら頷く。
「薄くない。だが重くもない。旅の途中でこれが出るなら、兵の士気が変わるな」
「そっちの方に結びつくか」
「職業病だ」
食事が進むにつれ、空気はだいぶ柔らかくなった。
さっきまでレイクサーペントを倒した直後だったとは思えない。焼き肉、酒、スープ、サラダ。どうやら人間、というか人族もエルフもドワーフも獣人も、うまい飯の前ではある程度まともに話せるらしい。
食後、俺はコーヒーを淹れた。ドリップバッグに湯を注ぐと、香りがふわりと広がる。
ガランが眉を上げた。
「これは先ほどからヒカルが飲んでいた黒い飲み物か」
「コーヒーだ。苦いぞ」
「苦い酒か?」
「酒じゃない」
ドランが興味津々で覗き込む。
「黒い。薬湯のようにも見えるな」
「まあ、眠気覚ましにはなる」
ガラン、リーファ、マリベル、ロク、ドランに少量ずつ出してみる。全員、慎重に口をつけた。
最初に反応したのはロクだった。
「にっが!」
「だから言っただろ」
「でも、匂いはいいっす。苦いのに、もう一口いきたくなるっす」
リーファは目を細める。
「森で飲む薬草茶に少し似ているわ。でも、もっと深い香り」
マリベルは真面目な顔で言う。
「これは集中力が上がりそうですね」
「これは専用のミルクと砂糖で飲みやすくなるが、飲みすぎると胃が荒れるぞ。」
「薬と同じですね」
ドランは一口飲んで、難しい顔をした。
「苦い。だが、肉と酒の後には悪くない。大人の味だな」
「酒飲みが言うと説得力があるな」
ガランは静かにコーヒーを飲み、頷いた。
「目が覚める。夜番の前に欲しい味だ」
「さすが、飲み方が実用的だな」
ユキはその隣で、ホットミルクを両手で抱えていた。
「ユキのは?」
「ホットミルクだ。子供用」
「ユキ、かみさま」
「神様でも五歳児は五歳児だ」
ユキはふーふーしてから、一口飲む。
「うんみゃあ……しあわせのみるく」
五人が固まった。ロクが小声で言う。
「神獣様が、すごく幸せそうっす」
リーファが柔らかく微笑む。
「伝承の白狐神がホットミルクを飲んでいる光景なんて、誰に話しても信じてもらえないわね」
「ユキ、ほっとみるく、すき」
「そうだな」
俺はユキの口元についた白い跡を拭いた。
「ユキ、じぶんでできる」
「なら次から自分で拭け」
「やっぱりおっちゃんがふく」
「はいはい」
ガランたちは、その様子を静かに見ていた。神獣を見る目から、少しずつ、子供を見る目に変わっていくのが分かった。
食後の空気が落ち着いたところで、俺はガランに尋ねた。
「さっきの話に戻るが、白狐神って、この世界ではどういう存在なんだ?」
ガランはコーヒーのカップを置いた。
「オリエント王国では、古い神として伝わっている。神殿に座る神ではない。王が呼べる神でもない。森と湖と、迷い人の神だ」
「迷い人?」
「群れをなくした者。家を失った者。首に痛みを負う者。そういう者の前に、白い狐の神が現れることがあると伝わっている」
俺はユキを見る。
ユキはこびゃっこを抱えながら、ホットミルクのカップを大事そうに持っている。
伝承の神というより、完全に食後の子供だ。
リーファが静かに言った。
「古いエルフの伝承にもあります。白い尾の幼神。赤い門。湖のほとり。傷ついた子を見つける神」
マリベルも続ける。
「薬師の間では、浄めの水の神として伝わっています。毒や腐敗、穢れを退けると」
ロクが少し声を潜めた。
「あと、奴隷首輪や呪印を嫌うって話もあるっす。白い雷で首輪を砕いた、っていう口伝があるっす」
俺の背筋が少し寒くなる。
ユキの放電。
鳥居。
湖。
首に紐をつけられて泣いていた人。
妙につながる。
「じゃあ、ユキは……」
俺が言いかけると、ガランは手を上げた。
「断定はできん」
「できない?」
「ああ。白狐神の名を、軽々しく誰かに当てはめるのは危ない。王国でもそう教えられている。白狐神を探すな、呼ぶな、囲うな。もし門が開いたなら、膝より先に心を低くしろ、とな」
「心を低く?」
「欲を持つなという意味だ。神だから従わせようとか、守護神として利用しようとか、そういう考えを持つなということだ」
リーファがユキを見る。
「それに、もし本当に白狐神だとしても……その子はまだ幼いです」
マリベルも頷いた。
「神として崇める前に、子供として守るべきでしょう」
ドランが鼻を鳴らす。
「飯を食わせて、寝床を作って、危ない奴から守る。まずはそれでいいだろ」
俺は少し黙った。
それなら、俺が今やっていることと大きく変わらない。
ユキは神かもしれない。神ではないかもしれない。だが、名前をもらって喜び、ホットミルクで尻尾を振り、肉をねだる子供だ。
「分かった。神かどうかは置いておく」
ガランが頷く。
「それがいい」
「俺にとっては、ユキはユキだ」
ユキが顔を上げる。
「ユキは、ユキ」
「ああ」
「おっちゃんは、おっちゃん」
「そこも変わらないのか」
「うん」
ガランは少し笑った。
「その考え方なら、白狐神にも嫌われんだろうよ」
次に、俺はもう一つ聞いた。
「異界人については、どれくらい知られてるんだ?」
ガランはマリベルへ視線を向けた。こういう知識は、魔術師であるマリベルの方が詳しいらしい。
「異界人は、過去にも何人か現れたと言われています。特に、この千年ほどの間に、複数の異界人が大陸へ知識を残したとされています」
「千年……」
「大陸共通語も、その影響が強いとされています」
「やっぱりか」
俺は思わず呟いた。
「俺の故郷の言葉と、この世界の言葉がかなり近いんだ。話し言葉はほぼ通じる。ただ、文字はまだ見ていない」
「現在の大陸共通語は、基本的にカタカナ文字で書かれます。接続詞や助詞はひらがな文字を使うこともあります。漢字という古い文字も存在は知られていますが、一般には普及していません。古文献や遺跡、学者の研究資料に残る程度です」
「漢字まであるのか……」
俺は頭を抱えた。
「実際に書いてもらっていいか?」
「もちろんです」
そう言われて、俺は紙と筆記具を探した。この世界の紙事情は分からない。地面に書いてもいいが、話を残すなら紙がいる。
キャンプ関連ショップを開き、ノートとボールペンを購入する。
⸻
【購入内容】
・A5ノート数冊
・黒ボールペン数本
【購入合計:魔石ポイント10】
⸻
「購入」
足元にノートとボールペンが現れた。マリベルが目を見開く。
「これは……紙ですか?」
「ノートだ。書くための紙を束ねたもの」
「こんなに白く、薄く、均一な紙を……」
リーファも驚いたように触れる。
「表面がなめらかね」
俺はボールペンを一本渡した。
「これはペン。インクが入ってる。こう持って書く」
マリベルは慎重にペンを持ち、ノートに文字を書いた。
カタカナに近い。だが、完全に同じではない。角の形や線の癖が少し違う。続けて書かれた助詞は、ひらがなに近い。
「読める……いや、読めるけど、少し違うな」
「ヒカルさんの故郷の文字も見せていただけますか?」
「ああ」
俺は別のページに書いた。カタカナ。ひらがな。数字。そして漢字。
「山、川、木、森、湖、白狐神、酒、肉、左近光」
マリベルが息を呑んだ。
「これが漢字……」
ガランも覗き込む。
「絵のようだな」
「もともとは絵に近い成り立ちのものもある」
リーファは「森」の字を見つめた。
「木が三つで森……意味が形に残っているのね」
ドランは「酒」の字を見ていた。
「これは何だ」
「酒」
「この字は覚える」
「そこだけ覚えるな」
ロクは「犬」の字を見て固まった。
「これは?」
「犬」
「俺は狼族っす」
「君が犬とは言ってないだろ」
ユキがノートを覗き込む。
「ユキは?」
俺は大きく書いた。カタカナでユキ。それから漢字で、雪。
「これが名前のユキ。こっちは雪。白くて、空から降る冷たいものだ」
ユキはじっとその文字を見た。
「ユキの、しるし?」
「ああ。ユキの印みたいなものだ」
「ユキ、これ、すき」
「そうか」
マリベルはノートを宝物のように見つめていた。
「ヒカルさん。これは、非常に貴重な資料です」
「なら、それはマリベルにやる」
「え?」
「ノートとペン。使っていい。こっちの文字や単位を教えてもらう代わりに、俺の知っている漢字も書こう」
マリベルは一瞬、固まった。
「よろしいのですか?」
「ああ。まだ買えるしな」
「買える……」
マリベルはノートとペンを両手で受け取った。
「ありがとうございます。これは大切にします」
ガランが少し苦笑した。
「ヒカル、お前は価値のあるものを軽く渡しすぎる」
「そうなのか?」
「少なくとも、その紙とペンは、学者なら目の色を変えるぞ」
「まじか」
俺は自分の手元のボールペンを見る。百円ちょっとの感覚だったものが、この世界ではかなりの価値らしい。物の価値が違いすぎる。
「単位や数字も確認したい」
俺はノートに1から10までの数字を書いた。アラビア数字だ。
マリベルも同じ数字を書いた。驚くことに、こちらもほぼ同じ。
「驚いたな!数字も同じか」
「はい。0から9までの数字、十進法が基本です。長さはミリ、センチ、メートル、重さはグラム、キログラム、トン。容量はミリリットル、リットル。時間は一時間が六十分、一日二十四時間です。これらも異界人から伝わったとされています」
「なんと時間まで....一日二十四時間か」
「はい。王国では魔石水晶を使った正確な時計があって、それが大陸の標準時になります。王国内では、神殿や役場に配備されて、日中は1時間おきに鐘を鳴らして知らせます。王都、商会、神殿、貴族屋敷には機械式の柱時計や置き時計があります。懐中時計は高価ですが、王侯貴族や大商人なら持っていることもあります」
「腕時計は?」
「腕に着ける時計ですか?」
マリベルが首をかしげる。俺は自分の左腕を見せた。
黒いミリタリーウォッチ。自動巻き。元の世界で使っていたものだ。スマホはなくなっていたが、この腕時計は転移時に身につけたままだった。
「俺のこれは腕時計だ」
ガランたちが一斉に身を乗り出した。
「小さいな」
「針が動いてるっす」
「魔石が入っているのですか?」
「いや、これは自動巻き。腕の動きで中の機械が少しずつ巻かれて動く」
マリベルが固まった。
「腕の動きで……?」
「詳しい構造までは知らない。俺は時計職人じゃないからな」
ドランが目を輝かせていた。
「中を見たい」
「絶対に駄目だ」
「分解せん。少しだけ」
「その顔は分解する顔だ」
「むう」
ガランは真剣な顔で時計を見た。
「これは旅で役に立つな」
「ああ。むしろ、これから一緒に行動するなら時間を共有できた方がいい」
「時間を共有?」
「たとえば、一時間後に集合。三十分休憩。夜番を二時間交代。そういう時、全員が時間を確認できれば楽だ」
ガランは頷いた。
「確かに。今は太陽、砂時計、感覚、鐘が頼りだ。森の中ではずれる」
「なら、腕時計を渡しておく」
「いや、待て」
ガランがすぐに止めた。
「そんな貴重品を簡単に渡すな」
「俺の故郷では、安いものもある。もちろん大事に扱ってほしいが、行動の安全の方が優先だ」
俺はショップを検索した。シンプルなミリタリーウォッチ。黒いナイロンベルト。アラビア数字で1から24まで表示。クオーツ式なので電池交換必要。価格は一つ一万円程度。
この世界では、二十四時間表示がある方が分かりやすいだろう。秒針つき。防水は生活防水程度。頑丈さを重視しよう。
⸻
【購入内容】
・黒ナイロンベルト式ミリタリーウォッチ 五本
・アラビア数字一〜二十四表示
・クオーツ式
・電池交換必要
【単価:魔石ポイント100】
【合計:魔石ポイント500】
⸻
「購入」
腕時計が五本現れた。五人が沈黙した。
「また出たっす」
「本当に、何もないところから……」
「いや、買ってるんだ」
「その買う場所が分からないのです」
マリベルが真顔で言った。もっともだ。俺は一本ずつ渡す。
「ガラン、リーファ、ドラン、ロク、マリベル。全員に一本ずつ。これはクオーツ式だから、いつか電池が切れる。そうしたら動かなくなる。その時は言ってくれ」
「でんちは分からんが、どのくらい動くんだ?」
「物によるが、数年は持つと思う」
「数年……」
ガランが呆れたように呟く。俺は簡単に説明した。
「短い針が時。長い針が分。細い針が秒。外側に一から二十四まで数字がある。今は……」
俺は自分の時計と合わせて時刻を示す。
「昼過ぎ。今後は、俺の時計と合わせておこう」
ガランは腕に時計を巻いてみた。
「軽い」
リーファはベルトを慎重に締める。
「手首にあると、すぐ見られるのね」
ロクは秒針を見つめていた。
「ずっと動いてるっす。小さいのに、ずっと」
マリベルは時計とノートを見比べて、完全に研究者の顔になっている。
「これは……異界人研究の資料としては危険すぎますね」
「研究しすぎるなよ。実用品だ」
ドランは時計を耳に近づけていた。
「音がする」
「分解するなよ」
「分かっとる」
「本当か?」
「半分くらい」
「全然駄目だ」
ガランは腕時計を見つめてから、俺に深く頷いた。
「ヒカル、これはありがたい。道中、かなり役に立つ」
「これで見張り交代や集合時間がずれにくくなる」
「ああ」
「ただし、レイシスでは隠した方がいいかもしれない」
「分かっている。見せびらかすものではないな」
そこで、ガランは少し表情を引き締めた。
「ヒカル。改めて聞く。お前は本当にレイシスへ同行するつもりか?」
「ああ」
「危険だぞ」
「分かってる」
「異界人の道具。白狐神ユキ。収納。レイクサーペント討伐。どれか一つでも知られれば、面倒では済まない」
「だから同行する」
ガランが目を細める。
「どういう意味だ?」
「俺はこの世界の危険を知らない。レイシスの危険も知らない。知らないまま湖畔に家を建てて、ユキと暮らす方が怖い」
俺はユキを見る。
「ユキを捕まえようとした連中がいた。首に紐をつけられて泣いていた人も見たと言っていた。もしそれがレイシス側の奴隷狩りなら、向こうの事情を知っておかないと対策できない」
「情報収集か」
「ああ。さっきも言ったが、戦いに行きたいんじゃない。奴隷制度を一人で潰すなんて言う気もない。俺はそこまで馬鹿じゃない」
俺は少し間を置いた。
「でも、ユキを守るために、どこから危険が来るのかは知る必要がある。ついでに、もし助けられる相手がいるなら、できる範囲で助けたい」
ガランは黙って聞いている。
「俺一人で行けば、絶対に失敗する。ユキを連れて無計画に動くのも危ない。だから、王命で動いているランクSパーティーに同行したい。道中で常識を教えてもらいたい」
しばらく沈黙があった。やがて、ガランは頷いた。
「理由としては筋が通っている」
「助かる」
「だが、条件は変わらん。レイシス国内では、俺たちの指示に従え。異界の武器は隠す。ユキの姿も隠す。無茶はするな」
「分かった」
「それと、時間はこの時計で合わせる。明日の出発は、朝六時。準備完了は五時半。夜番は二時間交代で組む」
「さっそく使うのか」
「便利なものは使う」
ガランは淡々と言った。リーファが少し笑う。
「ガラン、気に入ったのね」
「道具として優秀だ」
ロクも時計を見ながら頷いた。
「集合時間が分かりやすいのは助かるっす」
ドランはまだ時計を耳に当てている。
「小さいくせに律儀に動いておる」
「だから分解するなよ」
「まだしておらん」
「まだ、が怖い」
ユキが俺の袖を引いた。
「おっちゃん」
「なんだ?」
「ユキの、とけいは?」
「お前はまだ時計を読めないだろ」
「ユキも、ほしい」
「今は駄目。紛失する」
「むー」
「代わりに、こびゃっこに時間を教えてやれ」
「こびゃっこ、とけい、よめる?」
「たぶん読めない」
「じゃあ、ユキが、おしえる」
「お前も読めないだろ」
「おっちゃんが、おしえる」
「はいはい。まず数字からな」
ユキは少し満足したらしい。
「すうじ」
「一から十まで覚えような」
「にくは?」
「数字に肉を混ぜるな」
マリベルがノートを開いた。
「では、ユキ様。数字のお勉強をしましょう」
「お願いできるか?」
「もちろん。光栄な事です」
「ユキ、べんきょう?」
「そうだ」
「べんきょう、えらい?」
「ああ、勉強する人は偉い」
「にく、もらえる?」
「勉強を肉で釣る教育はどうなんだろうな」
「ユキ、がんばる」
「もう釣れてる」
ガランたちは笑った。こうして、昼食会は食事だけで終わらなかった。
白狐神の伝承。異界人の歴史。大陸共通語。文字。数字。単位。時間。時計。そして、レイシス皇国への同行。
俺たちは肉と酒とコーヒーとホットミルクを挟みながら、思った以上に大きな話をしていた。
異世界三日目。俺は、白狐神の幼女を養うために湖畔へ家を建てるつもりだった。
だが、その前に、どうやら西の危ない国を見に行くことになったらしい。
無趣味だった四十男の人生にしては、やることが多すぎる。
俺はコーヒーを飲みながら、腕時計を確認した。
午後一時過ぎ。明日の朝六時には出発準備。それまでにやることは山ほどある。
仮拠点の整理。ユキの変装。携帯食の準備。こびゃっこの保管。鳥居結界の補強。そして、肉の追加。最後の一つは、主にユキ対策である。
「おっちゃん」
「今度はなんだ」
「レイシス、にくある?」
「場所によるだろうな」
「なかったら?」
「持っていくから、心配しなくていい」
「よし」
ユキは安心したように頷いた。ガランが小さく笑う。
「ヒカル、お前の肩書きが一つ増えそうだな」
「何だ?」
「肉を持つ異界人」
「やめてくれ」
ドランが即座に頷く。
「よい名ではないか」
「よくない」
リーファが笑いをこらえ、ロクは尻尾を揺らし、マリベルはノートに何かを書き込んでいた。
「マリベル、今何を書いた?」
「肉を持つ異界人、です」
「消してくれ」
「記録は大事です」
「そこは記録しなくていい」
ユキが胸を張った。
「おっちゃん、にくのひと」
「撤回したい」
湖畔に笑い声が広がる。
レイクサーペントの痕跡は、まだ地面に残っている。レイシス皇国という不穏な名前も、頭から消えない。
それでも、この昼食会の終わりには、少しだけ前に進むための段取りができていた。
明日、俺たちは西へ向かう。白狐神ユキと、こびゃっこと、五人のハンターたちと一緒に。
そして俺の左腕では、黒いミリタリーウォッチの秒針が、静かに時を刻んでいた。
⸻
【収支報告】
開始残高:999,775 pt
今回の購入:
・A5ノート数冊、黒ボールペン数本:10 pt(約1,000円)
・黒ナイロンベルト式ミリタリーウォッチ 五本:500 pt(約50,000円)
今回支出合計:510 pt(約51,000円)
現在残高:
999,775 pt − 510 pt = 999,265 pt
円換算目安:
999,265 pt × 100円 = 約99,926,500円相当
続く




