第8話 白狐神と厄災の魔物
異世界三日目の翌朝。俺は、妙に身体が重い状態で目を覚ました。いや、重いのは身体ではない。顔だ。白い尻尾が、俺の顔に乗っていた。
「……ユキ」
「んむ」
「尻尾」
「しっぽは、べつのいきもの……」
「その別の生き物が、俺を窒息させに来てる」
ユキは寝ぼけたまま尻尾を動かした。ようやく呼吸ができる。俺は深く息を吸った。
「朝から命の危機だった」
「おっちゃん、おはよ」
「ああ、おはよう」
「ほっとみるく?」
「朝イチでそれか」
「やくそく」
「朝飯の後な」
「にくも?」
「朝から肉は少しだけだ」
「むー」
ユキはこびゃっこを抱えて起き上がった。髪は少し跳ねている。狐耳も片方だけ変な角度になっている。神獣幼女というより、寝起きの子供である。
「まず顔を洗う」
「ユキ、きれい」
「寝癖がついてる」
「ねぐせ?」
「髪が勝手に暴れてる」
ユキは自分の髪を触った。
「かみも、べつのいきもの?」
「増やすな」
朝の湖畔は静かだった。夜の不気味さが嘘のように、水面は穏やかで、朝日を反射している。
俺は小川の水を鑑定し、洗顔用に使う。ユキにも顔を洗わせる。少し嫌がったが、ホットミルクを条件にしたらあっさり従った。現金な神様である。
朝飯はフライパンでトーストしたパン、卵、ソーセージ、野菜スープ。ユキには約束通り、砂糖入りのホットミルクを作る。
「ほっとみるく!」
「熱いからふーしろ」
「ふー」
「もう一回」
「ふー」
「よし」
ユキは一口飲み、尻尾を揺らした。
「うんみゃあ! しあわせのおゆ」
「完全に気に入ったな」
「おっちゃん、まいにち」
「毎日は牛乳の在庫次第だ」
「ぎゅうにゅう、だいじ」
「そうだな」
朝食を食べ終えた後、俺は今日の予定を確認した。
湖畔の安全調査。
水汲み場の固定。
キットハウス候補地の再確認。
結界の補強。
可能ならセルフビルド取得の検討。
それから、昨日見たサバイバルゲームの手習い。あれは最後の手段。使わないで済むなら、それに越したことはない。
「まずは湖側の鳥居を増やすか」
「とりい?」
「ああ。昨日の夜、湖が少し不気味だったからな」
「おおきいの?」
「たぶん遠くにいる。近づかないようにしたい」
ユキは真剣に頷いた。
「みずのまもの、くるな」
「そういうことだ」
俺は湖側に二つ、追加で鳥居紋を描く。地面に枝で線を引き、簡単な鳥居の形を作る。
ユキは指先を立てる。
「まもの、くるな。みずのなかのも、くるな」
ぱちっ。青白い放電が走り、鳥居紋が光った。
もう一つ。
「ここ、ユキのところ。おっちゃんのところ。こびゃっこのところ」
ぱちっ。結界が湖側に広がる。
鑑定。
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【鑑定結果】
名称:簡易連結結界
基点:鳥居紋 八箇所
効果:低級魔物の侵入抑制
範囲:約二十五メートル四方
術者:白狐神ユキ
補助:サコン・ヒカル
状態:安定
備考:水棲魔物への効果は限定的ですが、上陸抑制には一定効果が期待できます。
⸻
「よし。広がった」
「ユキ、えらい?」
「ああ。かなり偉い」
「もっと」
「湖畔防衛担当大臣」
「だいじん」
「偉い役だ」
「ユキ、だいじん」
ユキは胸を張る。こびゃっこもなぜか胸のあたりに押し当てられている。
「こびゃっこも、だいじん」
「役職が増えたな」
その後も午前中は、結界の補強をしつつ、水汲み場の固定やキットハウス候補地の再確認をした。
湖畔の安全調査をしようと思った、その時だった。
湖の沖合で、巨大な泡が上がった。
ボコリ。
昨日の夜の小さな音とは違う。湖面が、ゆっくり盛り上がる。
「……え?」
最初、俺は何が起きたのか理解できなかった。
湖の水が、盛り上がっている。風ではない。波でもない。魚が跳ねたわけでもない。水面そのものが、下から押し上げられていた。
「おっちゃん」
ユキの声が震えた。
次の瞬間、湖面が破裂し、水柱が上がる。轟音。飛び散る水しぶき。湖畔の草が雨のように濡れる。
そして、巨大な影が現れた。
蛇。いや、蛇というには大きすぎる。太い胴体。ぬらぬらと光る鱗。小さな家ほどもある頭。裂けた口。赤黒い目。水を滴らせながら、それはゆっくりと湖畔へ向かってきた。
俺の頭が真っ白になった。
「は……?」
声が漏れる。足が動かない。指先が冷える。心臓が、いきなり暴れ出した。
どくん、どくん、どくん。耳の奥で血の音が鳴る。
逃げる。撃つ。ユキを抱える。荷物を捨てる。いや、どこへ。あんなものから徒歩で逃げられるのか?
ライフルは効くのか。結界は持つのか。ユキは。こびゃっこは。俺はどうすれば良い?考えがぐちゃぐちゃに散らばった。
「おっちゃん!」
ユキの声で、かろうじて意識が戻る。俺は慌てて鑑定を使った。
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【鑑定結果】
対象:大型水棲魔物
名称:レイクサーペント
全長:約30メートル
危険度:厄災級
状態:上陸行動中
推奨:即時撤退
⸻
「三十メートル……厄災級……即時撤退……」
口に出した途端、余計に血の気が引いた。
無理だ。無理無理無理。あれは駄目だ。棘狼とは違う。話にならない。桁が違う。俺はライフルを掴もうとして、手が滑った。
「くそっ」
弾薬。安全装置。構える。いや、撃ってどうする。あんなものにライフルが通じるのか。
逃げる?ユキを抱えて?荷物は?車はない。テントは捨てる。いや、方角は。森に逃げて追ってきたら終わりだ。
呼吸が浅くなる。胸が苦しい。視界が狭まる。そこで、頭の奥に、静かな表示が浮かんだ。
⸻
【マインドフルネス スペシャリスト資格】
強い恐怖反応を検知しました。
呼吸を整えてください。
推奨:
一、息を吐く
二、吸う
三、状況を一つずつ確認する
四、今できる行動を選択する
⸻
「……息を、吐け」
俺は自分に言い聞かせた。まず吐く。震える息を、無理やり外へ出す。
「ふー……」
吸う。
「すー……」
もう一度吐く。
「ふー……」
まだ怖い。怖いに決まっている。心臓はうるさい。手も震えている。足も逃げたがっている。
だが、視界が少し戻った。
湖。レイクサーペント。結界。ユキ。こびゃっこ。ライフル。サバゲー。ピックアップトラック。
今できることを一つずつ。
「ユキ」
声はまだ震えていた。だが、出た。
「こびゃっこを収納する」
「え」
「危ない。濡れるし、落とすと困る。必ずあとで出す」
ユキはこびゃっこをぎゅっと抱きしめた。
「こびゃっこ」
「約束だ。確定。保険じゃない」
ユキは唇を結び、こびゃっこを俺に渡した。
「こびゃっこ、まってて」
俺はこびゃっこを収納へ入れた。よし、ひとつ完了。
次。逃走は徒歩では無理。ライフルは確認。結界は時間稼ぎ。火力が必要だ。
俺はライフルを構えた。狩猟スキルが、射線と距離を示す。しかし、同時に鑑定が冷酷な結果を出す。
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【警告】
現在装備の狩猟用ライフルでは有効打になりにくい可能性が高いです。
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「うん、知ってた」
声が引きつった。分かっていた。あんなものにライフル一丁で勝てるわけがない。
それでも撃つ。効くかどうかではない。動きを見て反応を見る。そしてユキから目を逸らさせる。
レイクサーペントが結界の外側へ近づいてきた瞬間、俺は一発撃った。
轟音。弾は命中した。だが、鱗に弾かれるように火花が散っただけだった。
「効かない!」
分かっていたのに、叫んでいた。
レイクサーペントが頭をもたげた。赤黒い目がこちらを見る。ユキが小さく息を呑んだ。
「おっちゃん、こわい」
「俺も怖い」
本音だった。
「でも、考える。逃げる準備もする。倒す準備もする」
「にげる?」
「徒歩じゃ無理だ。だから、足を作る。火力も作る」
レイクサーペントが結界にぶつかり、空気が震えた。鳥居紋が一斉に軋むように光る。
ユキが両手を地面につける。
「くるな! ここ、ユキのところ!」
結界が強く光る。だが、明らかに押されている。
「ユキ、無理するな!」
「おっちゃん! おおきいの、つよい!」
このままだと結界が破れる。逃げるにしても車両がいる。攻撃するにも火力がいる。昨日見た画面が、頭に浮かぶ。
サバイバルゲーム。異世界仕様の実銃。重機関銃を荷台に設置できるピックアップトラック。
「……最後の手段、早すぎるだろ」
俺はもう一度深く息を吐いた。怖い。だが、やる。マインドフルネスが、頭の中で静かに告げる。
今できる行動を選択する。
「サバイバルゲーム、取得!」
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【手習い:サバイバルゲームを取得しますか?】
必要魔石ポイント:1,000
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残ポイントは多くない。だが、ここで使わなければ死ぬ。
「取得!」
知識が流れ込む。
遮蔽物の使い方。
射線管理。
制圧射撃。
車両装備。
重火器の操作及び安全管理。
反動制御。
味方を射線に入れない位置取り。
遊び由来のはずなのに、この世界では完全に実戦向けに変換されている。
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【現在保有ポイント】
魔石ポイント:3,475
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足りるか。俺はショップを開いた。
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【特価品 重機関銃搭載ピックアップトラック】
内容:中古四輪駆動ピックアップ、荷台固定式M2ブローニング重機関銃、弾薬、予備燃料、基本整備工具
必要魔石ポイント:3,400
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「特価品でも、残りほぼ全部じゃねえか!」
おもわず叫んだ。だが、迷っている時間はない。結界がまた揺れ、ユキが歯を食いしばる。
「おっちゃん!」
「購入!」
湖畔の草地に、黒いピックアップトラックが現れた。荷台には、M2ブローニング重機関銃。
異世界の湖畔に、現代車両と重機関銃。現実味がない。だが、目の前の三十メートルの怪物よりは、まだ理解できる。
「ユキ! 結界、あと少しだけ持たせられるか!?」
「ユキ、がんばる!」
「無理はするな!」
「おっちゃん、にげない!」
「逃げるためにも倒す!」
俺はトラックへ走り、荷台に飛び乗る。サバゲースキルと狩猟スキルが重なる。
銃の安全。射線。姿勢。反動。狙う場所。ユキを射線に入れない角度。
レイクサーペントが再び結界に体当たりした。鳥居紋が激しく明滅する。
その瞬間、ユキが叫んだ。
「くるなあああ!」
ユキの両手から、青白い放電が迸った。これまでの指先の小さなぱちっではない。
両手から走る雷。
それが結界を伝い、レイクサーペントの巨体に触れる。巨大な魔物の動きが、一瞬止まった。
「今か!」
M2ブローニングには、既にベルトリンクに繋がれた弾が装填されていた。チャージングハンドルを引き、弾を薬室に送り込む。
一呼吸し、俺は両手でハンドルを握り、押金式のトリガーを両手の親指で押した。
重い振動。連続する轟音。肩どころではない。全身が震える。弾丸がレイクサーペントの頭部と首筋へ叩き込まれる。
鱗が割れ、血が飛ぶ。魔物が暴れるが、ユキの放電で硬直しているわずかな時間に、俺は撃ち続けた。
怖い。めちゃくちゃ怖い。手も足も震えている。だが、止めたら終わる。
「倒れろ! 倒れろ、化け物!」
レイクサーペントが大口を開けた。
咆哮。結界がびりびりと震える。ユキが膝をついた。
「ユキ!」
「だいじょうぶ!」
俺は息を吐く。吸う。狙う。目。首。割れた鱗。とにかく撃つ。最後の連射で弾丸が目の周辺に集中した。巨体が大きく仰け反る。
そして、レイクサーペントは、湖畔に崩れ落ちた。地面が揺れ、湖水が跳ね上がる。巨大な身体が、結界の外側で沈黙する。
俺はしばらく動けなかった。M2のグリップを握ったまま、息だけが荒い。
鑑定。
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【鑑定結果】
名称:レイクサーペント
分類:水棲魔物
危険度:厄災級
状態:死亡
素材:鱗、牙、骨、肉、皮、魔石
魔石位置:胸部深層
備考:極めて希少な大型魔石を保有
⸻
「……倒した」
膝から力が抜けそうになった。だが、すぐにユキを見る。
「ユキ!」
俺は荷台から降り、ユキへ駆け寄った。ユキは地面に座り込んでいた。息は荒いが、意識はある。
「ユキ、大丈夫か!?」
「おっちゃん……」
「痛いところは?」
「て、ぱちぱちした」
「両手から出てたな」
「ユキ、びっくりした」
「俺もびっくりしたよ」
ユキは俺の服を掴んだ。
「こびゃっこ」
「すぐ出す」
俺は収納からこびゃっこを出した。ユキはこびゃっこを抱きしめ、ようやくほっとした顔になった。
「こびゃっこ、ぶじ」
「お前が無事でよかったよ」
「おっちゃんも?」
「ああ。俺も無事だ」
「こわかった」
「俺も怖かった」
ユキは少しだけ笑った。
「おっちゃん、よわい」
「弱い。めちゃくちゃ怖かった」
「でも、たおした」
「ユキが止めてくれたからだ」
「ユキ、えらい?」
「ああ。ものすごく偉い」
ユキの尻尾が少しだけ揺れた。だが、すぐに力が抜ける。俺はユキを抱き上げ、テントのそばへ座らせた。
「今日はもう無理するな」
「にくは?」
「この状況で肉を言うのか」
「ユキ、がんばった」
「分かった。あとで出す」
「よし」
それだけ言えるなら、たぶん大丈夫だ。
「やっぱり昨日の夜はフラグだったか」
俺は溜息を吐きながら、重機関銃付きのピックアップトラックを収納。そして、レイクサーペントの巨大な死骸を見る。
全長三十メートル。これをどう解体するのか。普通なら無理だ。だが、俺には鑑定、狩猟、収納がある。まずは魔石だ。
鑑定で位置を確認する。胸部深層。深い。普通のナイフでは時間がかかりすぎる。
俺は狩猟ショップとサバゲーショップで購入済みの解体道具、サバイバルナイフ、工具を出す。
ポイントはほぼ残っていないが、既に持っている道具で何とかするしかない。
時間はかかった。汗だくになった。何度も吐き気がした。だが、鑑定が魔石までの位置を示し、狩猟スキルが刃の入れ方を補助する。
ようやく取り出した魔石は、サッカーボールほどもあった。深い青黒色で、内側に光が揺れている。
「……でかすぎるだろ」
鑑定する。
⸻
【魔石を回収しました】
レイクサーペントの魔石
品質:極大
魔石ポイント換算:1,000,000
【魔石ポイントに変換しますか?】
⸻
「百万?」
俺は固まった。
「ひゃくまん?」
ユキがこびゃっこを抱えたまま、首をかしげる。
「すごく多い」
「にく、いっぱい?」
「肉どころじゃない。家が建つかもな」
「いえ!」
「キットハウスどころじゃないかもしれん」
俺は震える手で選択した。
「変換」
⸻
【魔石ポイント +1,000,000】
⸻
残高が一気に跳ね上がる。
⸻
【現在保有ポイント】
魔石ポイント:1,000,075
⸻
「75から100万と75……」
落差がひどい。命がけだったが、得たものは大きすぎた。いや、命がけすぎる。二度とやりたくない。
ポイントと言えば、これまでショップで色々と買い物してきたが、どうも一ポイントあたり100円から150円位のレートにも感じる。但し、一概にも言えない。そうすると3,400ポイントの重機関銃付きピックアップトラックは、特価品ではあるがかなりの格安となる。
俺はレイクサーペントの死骸を鑑定する。
⸻
【収納可能】
対象:レイクサーペント死骸
状態:死亡
容量制限:なし
時間経過:なし
収納しますか?
⸻
「収納」
巨大な魔物の死骸が、音もなく消えた。湖畔に残ったのは、えぐれた地面と、濡れた草と、撃ち込んだ弾痕だけだった。
「……収納、やっぱり性能おかしいな」
普通なら処理に何日もかかるだろう。だが、無限収納は一瞬で済ませた。その直後、ユキの身体が淡く光った。
「ユキ?」
白い光が、ユキの髪と尻尾を包む。鳥居紋も共鳴するように淡く輝く。
鑑定が勝手に反応した。
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【白狐神ユキの神格が上昇しました】
神格:幼神 一段 → 幼神 二段
【加護が強化されました】
サコン・ヒカルへの加護が増加します。
追加効果:
・身体能力軽度上昇
・疲労回復力上昇
・危険察知微上昇
・老化状態の軽度補正
【魔石ポイントのレートが変動相場から固定相場となりました】
・1魔石ポイント…100円
⸻
「老化状態の軽度補正?」
俺は首をかしげた。その瞬間、身体が熱くなった。痛みではない。
全身の重さが抜けるような感覚だった。腰の鈍い重さが消える。肩の凝りが軽くなる。目の奥の疲れが引く。呼吸が深くなる。
「……なんだこれ」
俺は自分の手を見た。変わっているような、変わっていないような。
ユキが俺をじっと見ている。
「おっちゃん」
「どうした?」
「おっちゃん、ちょっと、ちがう」
「何が?」
「かお」
「顔?」
「おっちゃん、わかくなった」
「は?」
俺は慌てて収納から髭剃り用の鏡を出した。キャンプ用品の中に入れていた小型ミラーだ。
覗き込む。
「……誰だよ」
いや、俺だ。俺なのだが。頬のたるみが減っている。目元の疲れた感じが薄い。肌のくすみも減っている。髪にも少し艶がある。十歳ほど若返ったように見えた。
三十歳前後か?少なくとも、徹夜明けの四十男には見えない。
「マジか……」
俺は自分の顔を触る。確かに俺だ。だが、若い。
「ユキの加護か?」
ユキは鼻をひくひくさせた。それから満足そうに頷く。
「においは、一緒」
「匂い?」
「おっちゃんは、おっちゃん」
「……そうか」
ユキはこびゃっこを抱えて笑う。
「わかくても、おっちゃん」
「そこは変わらないのか」
「おっちゃんは、おっちゃん」
「まあ、それでいいか」
俺は鏡をしまった。
若返った。身体能力も上がった。疲労も抜けている。だが、心は相変わらず四十歳のままだ。むしろ、さっきの戦闘で精神的には五歳くらい老けた気分だった。
「今日はもう何もしたくない」
「にくは?」
「肉は出す」
「よし」
ユキは安心したように頷く。俺は苦笑しながら、湖畔の結界を確認した。鳥居紋はまだ光っている。だが、かなり消耗したようにも見える。描き直す必要があるだろう。
それから魔石ポイントの固定相場化だ。と言うか、今まで変動相場制だったのか?もはや意味が分からないが、なん何にせよ、これで購入時の計算が分かりやすくなる。そのうちスキルで株でも買える様な気がする。
その時、ユキの耳がぴくりと動いた。
「おっちゃん」
「また何かいるのか?」
「ひと」
俺はすぐにライフルへ手を伸ばした。サバゲースキルのおかげか、反応が早い。
「どこだ?」
「森のほう。とおい。さっきから、いた」
「見られてたのか」
俺は森の影を見る。湖畔の少し離れた場所の木々の間に、人影があった。一人ではない。複数で武器らしきものを持っている。
鑑定。
⸻
【鑑定結果】
対象:人間と亜人の混成パーティー
職能推定:ハンター
人数:5
状態:警戒、驚愕、戦意低
備考:レイクサーペント討伐を目撃していた可能性あり
⸻
「ハンター……」
向こうも動かない。こちらを見ている。これは見られた。
重機関銃で厄災級の魔物を倒すところを。
白狐神の幼女が結界と放電を使うところを。
俺が巨大な魔石を回収し、死骸を収納するところを。
「……最悪ではないが、面倒なことになったな」
ユキが俺の服を掴む。
「おっちゃん、あのひとたち、くさい?」
「分からない。ユキは?」
ユキは鼻をひくひくさせた。
「こわいにおい。びっくりのにおい。でも、いやなにおい、すくない」
「敵意は薄いってことか」
「たぶん」
俺はライフルを下げすぎず、しかし向けもしない位置で構えた。ハンターたちは、まだ森の影から出てこない。
その中の一人が、震えた声で呟いた。
「……レイクサーペントを、倒した……?」
俺には、その言葉の意味が理解できた。日本語だ。
別の男が言う。
「あれは……厄災級だぞ……」
女の声。
「それに、あの白い子……神獣?」
ユキが俺の後ろに隠れる。俺は一歩前に出た。
さて。異世界生活、まだ三日目。湖畔に拠点を作る前に、どうやら人間との接触イベントが発生したらしい。
しかも、相手はハンター。こちらは、レイクサーペントを倒した直後。どう説明すればいい。俺は小さく息を吐いた。
「……大人の段取りでも、これは想定外だな」
ユキが服の裾を握ったまま、小さく言った。
「おっちゃん」
「なんだ」
「にく、あと?」
「この状況で言う?」
「ユキ、がんばった」
「……あとでな」
「やくそく」
「ああ、約束だ」
森の影から、ハンターたちが一歩、こちらへ踏み出した。
湖畔の朝は、さっきまで静かだった。だが、俺たちの周りだけは、もう静かな異世界キャンプではなくなっていた。
続く




