第7話 白狐神とホットミルク
夕食は、湖の魚と肉の両方になった。昼に釣った銀鱗魚が思った以上にうまかったので、夕方にも数匹釣る。それを塩焼きにして、ショップで買ったソーセージと野菜スープ、それからロールパンを並べる。
湖畔の仮拠点としては、かなり贅沢な夕飯だ。いや、異世界2日目の俺から見れば、十分すぎる。
ユキは魚の塩焼きを前に、真剣な顔をしていた。
「さかな、うんみゃあ、えらい」
「昼に評価が上がったな」
「しおも、えらい」
「ああ。塩は本当に偉い」
「でも、にくもえらい」
「結局そこに戻るな」
ユキは焼いたソーセージを両手で持ち、満足そうにかじる。
白い髪。白い狐耳。白いワンピース。そして、膝には白狐のぬいぐるみ、こびゃっこ。
神獣幼女という言葉にふさわしい見た目ではある。ただし、口元にはソーセージの脂がついている。
「ユキ、口」
「ん?」
「脂ついてる」
「にくが、ユキについた」
「自分から行ったんだよ」
俺はウェットティッシュでユキの口元を拭いた。ユキはむっとする。
「ユキ、じぶんでできる」
「なら次から自分で拭いてな」
「やっぱりおっちゃんが、ふく」
「どっちだ」
「おっちゃん、せわがかり」
「そうだったな……」
俺は諦めて、もう一枚ウェットティッシュを出した。夕飯を食べ終える頃には、空はすっかり暗くなっていた。
湖の向こう側は黒く沈み、月明かりが水面に細く揺れている。俺たちの仮拠点には、充電式LEDランタンの白い光が灯っていた。
テント。タープ。折りたたみテーブル。ポータブル電源。ソーラーパネル。湖側まで伸ばした鳥居結界。
異世界の湖畔に、なかなか不思議な組み合わせである。ユキはランタンを見上げて、耳をぴこぴこ動かしていた。
「あかるい」
「火じゃない明かりだ」
「でんき?」
「ああ」
「ぱちっ?」
「安全なぱちっだな」
「でんき、えらい」
「偉いものが増え続けるな」
夕飯の後、俺はキャンプショップでコーヒーを買った。ドリップバッグのやつだ。湯を沸かし、マグカップにセットして、ゆっくり注ぐ。ふわりと、懐かしい香りが立ち上った。
「……ああ、これだ」
会社では毎日のように飲んでいた。特別好きだと思ったことはなかった。けれど、異世界の森と湖畔を経て飲むコーヒーは、妙に染みた。
俺は一口飲む。苦い。でも、落ち着く。
「おっちゃん、それ、なに?」
「コーヒー」
「にがいにおい」
「苦いぞ」
「ユキも」
「これは子供には早い」
「ユキ、かみさま」
「神様でも五歳児には早い」
「むー」
「代わりに、いいものを作ってやる」
俺は牛乳と砂糖を取り出した。小鍋に牛乳を入れ、カセットコンロで温める。焦がさないように、ゆっくりかき混ぜる。砂糖を少し入れると、甘い香りが混ざった。
ユキの鼻がひくひく動く。
「あまい」
「ホットミルクだ」
「ほっと?」
「温かい牛乳」
「牛乳、あったかい?」
「そうだ」
小さなマグカップに注ぎ、少し冷ます。
「熱いから、ふーしろ」
「ふー」
「もう一回」
「ふー」
「よし」
ユキは両手でカップを持ち、慎重に口をつけた。
一口。耳が立った。
二口。尻尾がふわっと膨らんだ。
三口。目がきらきらした。
「おっちゃん」
「どうだ?」
「うんみゃあ!これ、しあわせのおゆ」
「そこまでか。お湯じゃなくてミルクな」
「白くて、あまくて、あったかい」
「ホットミルクだ」
「ほっとみるく、すごい」
「気に入ったか?」
「ユキ、これ、すき」
ユキは大事そうにホットミルクを飲んだ。その様子を見ていると、俺の中でもホットミルクの評価が上がっていく。四十歳まで自分で作ろうと思ったこともなかったが、なかなかいいものらしい。
「こびゃっこにも、におい」
ユキはこびゃっこの顔をマグカップに近づける。
「こびゃっこ、あまい」
「ぬいぐるみに飲ませるなよ」
「みせるだけ」
「ならいい」
湖畔に夜風が吹いた。タープが揺れ、ランタンの光が少しだけ揺れる。結界の鳥居紋は淡く光っていた。
平和だ。少なくとも、この瞬間は。俺はコーヒーを飲みながら、何気なく四十の手習いの一覧を開いた。取得済みは、狩猟、キャンプ、釣り。
候補には、DIY、セルフビルド、登山、ブッシュクラフト、家庭菜園、防災趣味、応急手当、水泳などが並んでいる。
今後を考えると、セルフビルドは必要だ。湖畔にキットハウスを建てるなら、取得した方がいい。でも今すぐ取得するには、まだ少し判断材料が足りない。
そう思って画面を眺めていると、妙な項目が目に入った。
「サバイバルゲーム……?」
サバイバルゲーム。いわゆるサバゲーだ。
迷彩服を着て、エアガンで撃ち合う遊び。俺はやったことがない。動画で見たことがある程度だ。だが、この世界自体がもう普通にサバイバルである。
「この世界でサバイバルゲームって言われてもな……」
ゲームどころではない。魔物は本物。森も本物。湖にもたぶん大型の何かがいる。おもちゃの銃でどうにかなる世界ではない。俺は半分冗談のつもりで、詳細を開いた。
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【手習い:サバイバルゲーム】
必要魔石ポイント:1,000
取得内容:
・安全管理
・射撃姿勢基礎
・遮蔽物利用
・チーム戦術基礎
・索敵
・装備管理
・状況判断
関連ショップ:
エアソフトガン、装備品、迷彩服、保護具、ミリタリー雑貨、車両、関連用品
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「まあ、スキルとしては使えなくもないか」
遮蔽物の使い方。
索敵。
装備管理。
状況判断。
そういう部分は、狩猟とは別の意味で役に立ちそうだ。とはいえ、今すぐ1,000ポイントを使うほどではない。エアソフトガンは魔物相手に役に立たないだろうし。そう思って、関連ショップを開いた。
次の瞬間、俺は固まった。
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【注意】
購入する商品は異世界仕様です。
銃火器につきましては、全て殺傷力のある実銃となります。
ご注意ください。
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「ぶっ!」
俺はコーヒーを吹き出した。
「おっちゃん!?」
ユキがびくっとする。
「なに!? コーヒー、あばれた!?」
「違う! 俺が吹いた!」
「おっちゃん、へた」
「これは吹くだろ!」
俺は口元をタオルで拭きながら、改めて画面を見る。そこには、とんでもないものが並んでいた。
拳銃。
ショットガン。
アサルトライフル。
軽機関銃。
サバイバルナイフ。
手榴弾。
「いやいやいやいや」
さらに下へスクロールする。
「カールグスタフ無反動砲。M2ブローニング重機関銃。M134ミニガン…なんでサバゲーショップにミニガンがあるんだよ!」
「みにがん?」
「聞かなくていい」
「かーるぐすたふ?」
「もっと聞かなくていい」
「ぶろーにんぐ?」
「その単語も覚えなくていい」
元世界でエアガンやモデルガンとして存在したものが、この世界では異世界仕様として実銃化されているらしい。
理屈が分からない。いや、四十の手習い自体がすでに理屈不明なのだが。
サバゲーとは何だったのか。さらにショップを見ていくと、装備だけではなかった。
軍用ヘルメット。
防弾ベスト。
タクティカルベスト。
迷彩服。
暗視装置。
無線機。
そして車両。
軍用トラック。
四輪駆動車。
米軍仕様のハンビー。
更に、特別限定セール品
M2ブローニング重機関銃を荷台に設置したピックアップトラック。
必要魔石ポイント:3,400
「ぶっ!」
二度目のコーヒーを吹いた。
「おっちゃん、また!」
「いや、これは無理だって!」
「コーヒー、へた?」
「俺の飲み方の問題じゃない!」
ユキはホットミルクのカップを両手で抱えながら、心配そうに俺を見る。
「おっちゃん、だいじょうぶ?」
「大丈夫じゃない。サバゲーが大丈夫じゃない」
「さばげー、こわい?」
「思った百倍こわい」
俺は画面を閉じかけて、もう一度見た。便利ではある。とんでもなく便利だ。魔物相手に火力が足りない時、これ以上の選択肢はそうない。
だが同時に、危険すぎる。
俺はただのサラリーマンだった。狩猟スキルでライフルは扱えるようになったが、軍用火器を振り回したいわけではない。まして、ユキのそばで手榴弾だの重機関銃だのを常用するなんて論外だ。
「これは最後の手段だな」
「さいご?」
「どうしようもない時だけ使う」
「にくより?」
「肉と比べるものじゃない」
「じゃあ、ほっとみるくより?」
「それとも比べるな」
俺はサバイバルゲームの手習い画面を閉じた。取得はしない。少なくとも今夜は。知ってしまったことは大きいが、むやみに触るものではない。
「おっちゃん、もう見ない?」
「今はな」
「こわいの?」
「怖い。だが、必要になるかもしれない」
ユキは俺の顔を見た。それから、ホットミルクを一口飲んだ。
「必要なとき、ユキも、がんばる」
「お前はまず自分を守れ」
「ユキ、かみさま」
「神様でも五歳児は五歳児だ」
「むー」
ユキはむくれたが、カップの中のホットミルクを見ると、すぐに機嫌が戻った。
「あまい」
「単純で助かる」
「ほっとみるく、えらい」
「ああ。今夜の一番偉いやつかもな」
その時、湖の方で水が揺れた。小さな音だった。ちゃぷん、という程度。
俺は反射的に湖を見る。ランタンの明かりの届かない向こう側。黒い水面。何かがいるようには見えない。だが、昼間に見た大きな波紋を思い出した。
湖の中に、何かいる。それは間違いない。鑑定してみるが、夜の暗さと距離のせいか、はっきりしない。
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【鑑定結果】
湖面
状態:夜間、視界不良
近距離危険反応:なし
備考:遠距離の水中反応は判別不能
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「近くにはいない、か」
「おっちゃん?」
「大丈夫だ。結界の中にいればな」
ユキは少しだけ俺に寄った。
「おおきいの、いる?」
「たぶんいる」
「こわい?」
「怖いな」
「おっちゃんも?」
「ああ。俺も怖い」
ユキは俺の袖をつかむ。
「でも、おっちゃん、いる」
「ああ」
「とりいも、ある」
「ある」
「こびゃっこも、いる」
「いるな」
「ほっとみるくも、ある」
「それはもう飲み終わるけどな」
ユキはカップを見て、急に悲しそうな顔をした。
「なくなる」
「飲めばなくなる」
「もうない?」
「明日も作ってやる」
「やくそく?」
「ああ、約束だ」
ユキは満足げに最後の一口を飲んだ。俺は湖を見ながら、心の中で予定を組み直す。
明日は湖畔の安全確認を優先する。水辺の結界を増やす。建設候補地をもう一段高い場所に変更するか検討する。必要なら、セルフビルドより先に防災系か登山系を取る。
そして、サバゲーの手習いは最後の手段として覚えておく。
「変な保険、いやフラグが立った様な……」
「ふらぐ?」
「いや、こっちの話だ」
夜は深くなっていく。湖は静かだった。静かすぎて、逆に不気味だった。だが、その夜は何も起きなかった。
ユキはこびゃっこを抱いたまま、俺の横で眠った。白い尻尾が、いつものように俺の腕へ巻きつく。
「おっちゃん……ほっとみるく……」
「寝言までそれか」
俺は苦笑しながら、ランタンの明かりを少し落とした。サバゲーショップの注意書きが、まだ頭の中に残っている。
異世界仕様。
全て殺傷力のある実銃。
ご注意ください。
「ご注意ください、で済むかよ……」
小さく呟いて、俺も横になった。湖の向こうで、黒い水面が静かに揺れていた。
続く




