第6話 白狐神と魚釣り
昼飯にすると決めた瞬間、ユキの行動は早かった。
「さかな」
こびゃっこを胸に抱えたまま、湖の方へ向かおうとする。
「待て待て待て」
俺は慌ててユキのフードをつかんだ。
「ぐえ」
「水辺に突撃するな」
「さかな、いる」
「いるからって突撃するな。湖は川より危ない」
「ユキ、つよい」
「強い五歳児は信用しないって何度言えば分かる」
「ユキ、かみさま」
「神様でも足を滑らせたら濡れる」
ユキは湖を見て、それから自分の白いワンピースを見た。
「ぬれる、いや」
「だろ」
「しゃわーは、いい」
「湖に落ちるのはシャワーじゃない」
ユキは真剣に考えたあと、こくりと頷いた。
「湖、あぶない」
「よし。学習したな」
「おっちゃん、だっこ」
「なんでだ」
「だっこなら、ユキ、おちない」
「俺が落ちる可能性を考えろ」
「おっちゃん、よわい?」
「弱い。特に腰が」
俺は湖畔の浅瀬を見ながら、改めて鑑定を使った。
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【鑑定結果】
名称:湖畔の浅瀬
水質:良好
深さ:足首〜膝程度
危険:ぬかるみ、滑りやすい石あり
生物反応:小魚、貝類、水棲昆虫
魔物反応:近距離にはなし
備考:水辺作業時は足元注意
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「近くに魔物はいない。けど足元は危ない」
「ぬかるみ」
「そう。ズボッといくやつ」
「ユキ、ズボッといや」
「俺も嫌だ」
魚を取るなら方法がいる。ユキの放電で魚を取ることもできるらしいが、さすがにそれを常用するのは怖い。感電漁法の是非以前に、白狐神幼女が湖でぱちぱちやる絵面が危なすぎる。
俺は四十の手習いを開いた。候補にはすでに出ていた。
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【手習い:釣り】
必要魔石ポイント:500
取得内容:
・淡水釣り基礎
・魚の見分け
・釣り具の扱い
・餌の扱い
・魚の締め方、捌き方
・水辺の安全基礎
関連ショップ:
釣竿、リール、釣り糸、針、ルアー、餌、バケツ、クーラーボックス、魚処理道具、簡易魚探など。
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「500ポイントか……」
残高を確認する。
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【現在保有ポイント】
魔石ポイント:4,395
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神棚やこびゃっこで少し使った。それでも、500なら出せなくはない。魚が安定して取れるなら、食費の節約になる。水辺の安全知識もありがたい。なにより、湖畔を拠点にするなら釣りはほぼ必須だろう。
「取得するか」
「なに?」
「釣りの手習い」
「つり?」
「魚を取る趣味だ」
「ユキ、魚とれる」
「ぱちってするのは禁止ではないが、今日は普通に釣る」
「ふつう?」
「竿と糸で魚を誘う」
「さかな、だまされる?」
「言い方!」
俺は手習いを取得した。
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【手習い:釣りを取得しました】
取得内容:
・淡水釣り基礎
・釣り場選び
・仕掛け作り
・魚の見分け
・魚の締め方、捌き方
・水辺の安全基礎
【釣りショップが解放されました】
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頭の中に、また知識が流れ込む。
水の流れ。
魚のいる場所。
浅瀬と深場。
仕掛け。
餌。
針の扱い。
魚を傷めない締め方。
昨日の狩猟ほど重くはない。
むしろ、少し楽しい感じすらある。
「釣りって、こういう感覚なのか」
無趣味だった俺は、釣り堀すら行ったことがない。道具の名前も怪しい。だが今は、どの竿が必要か、どの仕掛けが無難か、なんとなく分かる。四十の手習い、かなり便利だ。
釣りショップを開く。
初心者用淡水釣りセット。
子供用釣竿。
バケツ。
魚つかみ。
折りたたみ椅子。
クーラーボックス。
釣り用ライフジャケット。
長靴。
偏光サングラス。
「ライフジャケットもあるのか」
水辺の安全は大事だ。特にユキ。ユキは白狐神だが、泳げるかどうか分からない。
「ユキ、泳げるか?」
「およぐ?」
「水の中を進む」
「川、あさいところ、ばしゃばしゃ」
「つまり、泳げないな」
「ユキ、つよい」
「泳げない強者は危険なんだよ」
俺は子供用ライフジャケットを購入候補に入れた。それから自分用も。湖に近づくなら着るべきだ。
釣竿は初心者用セットでいい。ユキ用に短い竿も買うか迷ったが、五歳児に針は危ない。
まずは見学だ。ただ、ユキが黙って見ているとは思えない。なので、針のない練習用の子供竿も一応買う。紐の先に魚型のおもちゃがついたやつだ。
バケツ、魚つかみ、まな板、包丁、塩、アルミホイル、簡易グリル。キャンプショップと重複するものもあるが、釣り用は魚処理に向いている。
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【購入合計:魔石ポイント420】
購入しますか?
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「取得と合わせて920か」
まあ、必要経費だ。
「購入」
足元に道具が現れる。ユキがこびゃっこを抱えたまま、ぴょんと近づく。
「おっちゃん、またいっぱいだした」
「釣り道具だ」
「さかなのどうぐ」
「そうだ」
まずユキにライフジャケットを着せる。白いワンピースの上に、子供用の明るい色のライフジャケット。神秘性はだいぶ薄れた。ただ、安全には代えられない。
「おっちゃん、これ、なに?」
「水に落ちても浮きやすくする服だ」
「うく?」
「沈みにくい」
「ユキ、しずむ?」
「分からん。だから着る」
「こびゃっこも?」
ユキは腕のぬいぐるみを見る。
「こびゃっこは濡れると困るから、収納かテントで待機だ」
「こびゃっこ、まつ?」
「湖に落ちたら大変だろ」
ユキは悩んだ。かなり悩んだ。眉間にしわを寄せ、尻尾を揺らし、こびゃっこをぎゅっと抱きしめる。
「こびゃっこ、ぬれる、いや」
「だろ」
「でも、さかな、みせる」
「釣れたら見せよう」
「やくそく?」
「約束だ」
ユキはこびゃっこをテントの中にそっと置いた。
「こびゃっこ、まってて」
それから、俺を見た。
「こびゃっこ、さみしい?」
「すぐ戻るから大丈夫だ」
「ほけん?」
「濡れない保険付き」
「よし」
俺もライフジャケットを着た。四十歳のおっさんが異世界の湖畔でライフジャケットを着て、白狐神幼女と釣りをする。
この光景を会社の同僚が見たら、たぶん疲れてると思われる。いや、同僚がいなくてよかった。
「まずは釣り場選びだ」
俺は湖畔を歩き、水面を観察する。釣りスキルが働く。
水草の影。
小魚の群れ。
流れ込みの近く。
浅瀬と深場の境目。
小川が湖へ流れ込む場所の少し横がよさそうだ。
「ここだな」
「ここ?」
「ああ。魚が寄りやすい」
「ユキ、においする」
「どんな?」
「さかな。みず。ぬるい石」
「ぬるい石?」
「うん」
「俺には分からん世界だ」
俺は折りたたみ椅子を出し、竿を準備する。仕掛けはシンプルな餌釣り。針の扱いは慎重に。
ユキは横でじっと見ている。
「おっちゃん、それ、ちくってする?」
「針だからな。触るなよ」
「さかな、ちくってする?」
「魚には申し訳ないが、そうなる」
「さかな、かわいそう?」
予想外の問いだった。ユキは肉も魚も食べる。森で一人で生きてきた。だが、だからといって何も感じないわけではないらしい。
俺は少し考える。
「食べるために取る。遊びで無駄にはしない」
「むだ?」
「取ったなら、ちゃんと食べる。必要以上には取らない。命を粗末にしない」
ユキは真剣な顔で頷いた。
「ひつようなぶん」
「ああ」
「さかなに、ありがとする?」
「そうだな。ありがとうする」
「わかった」
そういうことは、大事にした方がいい。この子は神様だ。でも、まだ五歳児でもある。何をどう教えるかで、きっといろいろ変わる。
俺は餌をつけ、竿を振った。仕掛けが湖面に落ち波紋が広がる。
「おお」
ユキが目を輝かせる。
「おっちゃん、糸、なげた」
「これで魚が食いつくのを待つ」
「まつ?」
「そう。釣りは待つ趣味らしい」
「ユキ、まつの、できる」
「本当か?」
「できる」
十秒後。
「まだ?」
「早い」
二十秒後。
「さかな、まだ?」
「早い」
三十秒後。
「おっちゃん、さかな、いない?」
「いる。待て」
「ユキ、ぱちってしたら、とれる」
「今日は普通に釣る」
「むー」
待つのは苦手らしい。俺は子供用の練習竿を渡した。
「これは針がない。こっちで遊んでろ」
「これも、つり?」
「練習だ」
ユキは真剣に竿を持った。紐の先についた魚型のおもちゃを湖には入れず、地面にぽとんと落とす。
「とれた」
「それは魚のおもちゃだ」
「ユキ、つった」
「まあ、練習としては成功だ」
ユキは嬉しそうに何度も魚のおもちゃを釣り上げた。
「さかな!」
「はいはい」
「また、さかな!」
「それは同じ魚だ」
「このさかな、えらい」
「練習に付き合ってくれてるからな」
そうこうしていると、俺の竿先が小さく動いた。
「お」
釣りスキルが告げる。
焦るな。
待て。
合わせるタイミング。
竿先がぐっと引き込まれた。
「来た」
「さかな!?」
「静かに」
俺は竿を上げる。軽いが、確かに引きがある。糸の先で何かが暴れている。
ユキが目を丸くする。
「おっちゃん、さかなとたたかってる」
「戦いではない」
「さかな、つよい?」
「小さい」
水面が跳ねた。銀色の魚が上がってくる。手のひらより少し大きい淡水魚だ。俺は慎重に取り込み、バケツに入れた。
ユキが覗き込む。
「さかな!」
「ああ。釣れたな」
「おっちゃん、すごい!」
「釣りスキルがすごい」
「さかな、ぴちぴち」
「食べるなら、すぐ処理する」
俺は魚を鑑定する。
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【鑑定結果】
名称:銀鱗魚
分類:淡水魚
食用:可
味:淡白
推奨調理:塩焼き、スープ、燻製
危険:なし
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「食べられる」
「たべる?」
「ああ。ただし、ちゃんとありがとうしてからな」
ユキはバケツの魚を見た。そして、小さく手を合わせるような仕草をした。
「さかな、ありがと」
俺も軽く頭を下げた。
「ありがとう」
その後、もう一匹釣った魚と締めて、捌く。釣りスキルのおかげで手順は分かる。狩猟の解体ほど精神的な抵抗はない。魚なら、なんとか普通にできる。
ユキは真剣に見ていた。
「おっちゃん、さかな、きれいにする」
「食べる準備だ」
「さかな、にく?」
「魚肉だな」
「さかなも、にく」
「広い意味ではそうか」
「ユキ、さかなにく、すきかも」
「まだ食ってないだろ」
俺は塩を振り、串に刺す。キャンプスキルで簡易グリルを準備。火はカセットコンロを使う。
ユキは少し離れて見ている。
「火、ちいさい」
「ああ。管理してる」
「おっちゃん、火、じょうず」
「褒められると悪い気はしないな」
魚を焼く。じゅう、と音がする。脂が落ち、香ばしい匂いが立ち上がる。
ユキの鼻がひくひく動く。
「さかな、いいにおい」
「塩焼きだ」
「しお、えらい?」
「今日、分かる」
焼き上がった魚を少し冷ます。骨を取り、ユキに小さな身を渡した。
「熱いから気をつけろ」
「ユキ、つよい」
「熱いものは強さ関係ない」
「ふーする」
「そう。ふーしろ」
ユキは真剣に魚の身に息を吹きかけた。
「ふー」
「もう一回」
「ふー」
「よし」
ユキは魚を口に入れた。もぐ。耳が立つ。もぐもぐ。尻尾が揺れる。
「……さかな」
「どうだ?」
「うんみゃあ!しお、えらい」
「魚は?」
「さかなも、えらい」
「よかったな」
「にくとは、ちがう」
「そうだな」
「でも、えらい」
「合格か」
ユキは頷いた。
「さかな、またとる」
「必要な分だけな」
「ひつようなぶん」
俺も食べる。淡白だが、臭みは少ない。塩だけでも十分うまい。異世界の魚、なかなかいける。
「これは食料源として期待できるな」
湖に魚がいる。
釣りで取れる。
食用可。
しかもポイント消費を抑えられる。拠点としての湖畔の価値がさらに上がった。昼飯は、釣った銀鱗魚の塩焼きと、ショップで買ったパン、野菜スープになった。
ユキは魚を食べ終えると、すぐテントへ走った。
「こびゃっこ!」
こびゃっこを抱えて戻ってくる。
「こびゃっこ、さかな」
もう魚はほぼ骨だ。
「見せるの遅くないか?」
「こびゃっこ、さかなみた」
「まあ、見たな」
「こびゃっこも、ありがと」
ユキはこびゃっこを魚の骨の前にちょこんと座らせた。白狐のぬいぐるみが、何かを祀っているようにも見える。
いや、逆か。祀られる側っぽい。俺は苦笑しながら、食器を片付けた。
その時だった。湖面の遠くで、水が大きく揺れた。
「ん?」
俺は顔を上げる。風ではない。魚の跳ね方でもない。もっと大きな何かが、水の下で動いたように見えた。
ユキの耳がぴんと立つ。
「おっちゃん」
「ああ」
「おおきいの、いる」
俺はすぐにライフルへ手を伸ばした。鑑定を使うが距離が遠い。
⸻
【鑑定失敗】
距離が遠すぎます。
対象の詳細を取得できません。
【推定】
大型水棲生物、または水棲魔物の可能性あり。
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「やっぱりいるか」
湖が大きければ、当然大型生物もいる。問題は、こちらへ来るかどうかだ。湖面の揺れは遠ざかっているように見えた。
ユキはこびゃっこを抱え直し、俺の後ろに隠れる。
「こわいか?」
「おおきいの、こわい」
「近くには来てない。大丈夫だ」
「とりい、する?」
「湖の中に効くか分からない。だが、拠点側は強化しよう」
俺は湖に近い側にも鳥居を描くことにした。
地面の四隅だけではなく、湖側に二つ追加する。
「ユキ、頼む」
「うん」
ユキは指先を立てた。
「まもの、くるな。みずのなかのも、くるな」
ぱちっ。鳥居が光る。もう一つ。
「ここ、ユキのところ。おっちゃんのところ。こびゃっこのところ」
ぱちっ。結界が湖側にも広がった。
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【鑑定結果】
名称:簡易連結結界
基点:鳥居紋 六箇所
効果:低級魔物の侵入抑制
範囲:約二十メートル四方+湖畔側補強
術者:白狐神ユキ
補助:サコン・ヒカル
状態:安定
備考:水棲魔物への効果は限定的ですが、上陸抑制には一定効果が期待できます。
⸻
「上陸抑制か。十分ありがたい」
「おっちゃん、くる?」
「今は来てない。けど、湖の中にも何かいる。だから勝手に水へ近づかないこと」
「ユキ、さかな、とる」
「俺と一緒の時だけだ」
「むー」
「むーじゃない。さっきの大きいやつに食われたらどうする」
ユキはこびゃっこをぎゅっと抱いた。
「たべられる、いや」
「だろ」
「おっちゃん、まもる?」
「ああ。守る」
「こびゃっこも?」
「もちろん」
「しっぽも?」
「尻尾も」
「にくも?」
「肉は守るというより食うものだ」
「にく、まもって、たべる」
「哲学みたいに言うな」
ユキは少し安心したように息をついた。
俺は湖の遠くを見る。大型水棲魔物の可能性。これで、湖畔拠点の課題が一つ増えた。
水源と魚があるのは利点。だが、水の中に何がいるか分からないのは危険。つまり、拠点作りには湖側の防衛も必要だ。
「キットハウスを建てるなら、やっぱり少し高い位置だな」
湖から近すぎる場所は駄目だ。水辺は便利だが、危険でもある。
緩やかな斜面の上。
湖から距離を取る。
見晴らしを確保。
結界の鳥居を周囲に配置。
水汲み場は別途決める。
湖に近づく時は必ず二人で。
「方針修正だな」
俺は地面に書いた。
一、湖畔は拠点候補として有力。
二、ただし湖内に大型水棲魔物の可能性あり。
三、建設位置は湖から距離を取り、高台側。
四、水汲み場と釣り場は限定。
五、結界を湖側に強化。
六、ユキの単独水辺行動は禁止。
ユキが覗き込む。
「にく、ない」
「今回は安全方針だ」
「さかなは?」
「釣り場限定って書いてある」
「ユキ、ひとりで、みず、だめ?」
「駄目」
「おっちゃんとなら?」
「いい」
「じゃあ、おっちゃん、いつもいる」
「拘束が強いな」
「おっちゃん、ユキの群れ」
「群れは水辺監視も担当するのか」
「うん」
ユキは当然という顔で頷いた。俺は苦笑しながら、釣り道具を片付ける。魚はニ匹だけ。必要な分だけ。今日はそれで十分だ。
昼飯を終えると、ユキはこびゃっこを抱いてテントの前に座った。白い尻尾の上に、白い狐のぬいぐるみ。その向こうには湖。さらに奥には、何かがいるかもしれない深い水。
平和なようで、危険もある。異世界の拠点作りは、やはり簡単ではない。
「セルフビルドだけじゃなく、防災系の手習いもいるかもな」
災害対策。
水害。
野営防衛。
ロープワーク。
救急。
場合によっては水泳やカヤック、ボートの知識も必要になる。
趣味由来スキル。最初はどうかと思ったが、幅広い。生きるために必要なことは、だいたい誰かの趣味になっている。
「世の中の趣味人ってすごいな」
「しゅみじん?」
「好きなことを突き詰める人たちだ」
「おっちゃんは?」
「俺は無趣味だった」
「むしゅみ?」
「好きなことが特になかった」
ユキは不思議そうな顔をした。
「おっちゃん、にく、すきじゃない?」
「嫌いではないが、趣味ではない」
「しゃわーは?」
「趣味ではない」
「こびゃっこは?」
「買っただけだ」
「とりいは?」
「詳しくない」
「じゃあ、おっちゃん、なにすき?」
俺は答えに詰まった。何が好きか急に聞かれると、出てこない。仕事は好きというほどではなかった。休日も、ただ休んでいた。食事も、腹を満たすため。買い物も、必要だから。そうやって四十歳まで来た。
「……分からんな」
「わからない?」
「ああ。俺は、自分が何を好きなのか、あんまり考えずに生きてきた」
ユキはこびゃっこを見た。それから湖を見て、俺を見た。
「おっちゃん、ユキすき?」
直球だった。五歳児は時々、四十男の逃げ道を潰してくる。
「嫌いじゃない」
「すき?」
「……まあ、好きだな」
ユキの耳が立った。
「ユキ、すき」
「ああ」
「もっと」
「ユキは大事だ」
ユキの尻尾がぶんぶん揺れる。
「ユキ、おっちゃん、すき」
「そうか」
「こびゃっこも、すき」
「うん」
「にくも、すき」
「知ってる」
「さかなも、すきになった」
「今日増えたな」
「おっちゃんも、すき、ふえた」
「俺の?」
「うん。ユキ、すき。こびゃっこ、すき。とりい、すき。さかな、ちょっとすき」
俺は少し笑った。
「そうか。趣味って、そうやって増えるのかもな」
「しゅみ?」
「好きなことを、ちょっとずつ増やすことだ」
ユキは真剣に頷いた。
「ユキ、おっちゃんのしゅみ?」
「それは言い方が危ない」
「む?」
「いや、何でもない」
俺は湖を見た。大きな水面。仮拠点。鳥居結界。いつか建てるかもしれないキットハウス。そして、最初の寝床に作る約束をした祠。無趣味だった俺に、やることが増えていく。
釣り。
キャンプ。
拠点作り。
祠作り。
神獣幼女の世話。
趣味と呼ぶには、命がかかりすぎている。だが、不思議と嫌ではなかった。
「さて」
俺は立ち上がる。
「午後は湖畔の周辺をもう少し調べる。魔物の足跡、木材になりそうな木、キットハウスを建てる位置、それから水汲み場」
「さかなは?」
「夕方にもう一回だけ釣る」
「にくは?」
「夜は肉も出す」
ユキは立ち上がった。こびゃっこを胸に抱き、白い尻尾を揺らす。
「ユキ、がんばる」
「何を?」
「おっちゃんのしゅみ、ふやす」
「それは頼もしいような、怖いような」
「まず、さかな」
「結局そこか」
湖面の遠くで、また小さく波が揺れた。大型の何かは、まだいるのかもしれない。でも今のところ、こちらには来ない。
俺はライフルの位置を確認し、釣り道具を収納し、ユキのライフジャケットをもう一度締め直した。
「よし。行くぞ」
「おっちゃん」
「ん?」
「こびゃっこも、いく」
「濡らすなよ」
「こびゃっこ、つよい」
「ぬいぐるみは強くない」
「ユキが、まもる」
「ならいい」
こうして俺たちは、湖畔の調査を再開した。拠点作りは、思った以上にやることが多い。だが、ひとつずつ進めるしかない。
四十の手習い。四十歳から始める趣味と生活と、神様の世話。……改めて考えると、やっぱり重すぎる。
でも隣でユキがこびゃっこを抱えて歩いている。それだけで、まあ歩く理由には十分だった。
続く




