第5話 白狐神、名付け親になる
湖畔の仮拠点は、思ったより形になった。テント。タープ。折りたたみテーブル。椅子。調理スペース。ソーラーパネル。ポータブル電源。給水タンク。そして四隅に描かれた鳥居結界。
湖から吹く風でタープが揺れるたび、ユキの白い尻尾もふわふわ揺れた。
「おっちゃん、ここ、ユキのあたらしいいえ」
「仮拠点のな」
「かりのいえ」
「まあ、それでいい」
ユキはすっかり湖畔を気に入ったらしい。水が多い。魚の匂いがする。鳥居をたくさん描ける。そして、見晴らしがいい。ユキ基準では、かなり高評価の場所だった。
俺としても、この場所は悪くないと思う。むしろ、かなり良い。水源があり、日当たりがあり、平地があり、結界も張れる。いずれキットハウスを建てるなら、ここは有力候補だ。
ただ。それで終わり、という気持ちにはなれなかった。俺は湖とは反対側、森の奥を見た。
そこには、昨日までユキが一人で眠っていた場所がある。小川のそば。大きな木の根元。葉っぱを集めただけの寝床。そして地面に描かれた鳥居。
名前のない白狐神が、毎晩そこに鳥居を描いて、魔物が来るなと願って、指先から放電して結界を張っていた。
あそこは、ただの古い寝床ではない。ユキが一人で生きてきた場所だ。そして、俺がユキに出会った最初の拠点でもある。
「……あそこも、ちゃんと残してやりたいな」
「おっちゃん?」
ユキが首をかしげる。
「なに?」
「ああ、いや。ユキの前の寝床のことを考えてた」
「まえのところ?」
「そうだ」
ユキの耳がぴくっと動いた。
「ユキの、ねるところ」
「ああ」
「いまも、ユキのところ」
「そうだな」
ユキは少し不安そうに俺を見る。
「あそこ、なくなる?」
「なくならない」
俺はすぐに言った。
「むしろ、ちゃんとした場所にしようと思ってる」
「ちゃんと?」
「ああ。小さな祠みたいなものを建てる」
「ほこら?」
「神様を祀る、小さな家みたいなものだ」
「かみさまの、いえ?」
「そうだな。神様用の小さい家」
ユキは自分を指差した。
「ユキのいえ?」
「ユキの思い出の場所だ。そこに小さな祠を作って、神棚を置く」
「かみだな?」
「神様を祀る棚だ」
「たな」
「それから、白い狐の置物も置く。陶器でできたお稲荷さんだ」
「おいなり?」
「稲荷神社にいる狐の像みたいなものだ。日本だと、神様の使いとされることが多い」
「きつね」
「ああ。白い狐が二つ、左右に並んでる感じだな」
ユキの耳がぴんと立った。
「びゃっこ?」
「まあ、見た目は白い狐だな」
ユキはぱっと顔を明るくした。
「びゃっこ!」
「まだ買ってないぞ」
「かう?」
「今から見てみるか」
俺はキャンプ関連ショップを開いた。キャンプショップと言いつつ、ホームセンター用品もある。以前もシャワー用品やポータブル電源、タオル、衣料品が普通に出てきた。なら、神棚や陶器の狐もあるかもしれない。
「検索、神棚」
思っただけで画面が切り替わる。
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【キャンプ関連ショップ/ホームセンター用品】
検索結果:神棚
・簡易神棚セット
・一社造り神棚
・三社造り神棚
・壁掛け小型神棚
・神具セット
・榊立て
・水玉
・皿
・陶器製白狐 一対
・ミニ鳥居
⸻
「あるのかよ」
もう驚きすぎて、逆に落ち着いてきた。ホームセンター、本当に何でもある。
「おっちゃん、ある?」
「あった」
「びゃっこ?」
「白狐の陶器もある」
「とうき?」
「硬く焼いた白い置物だ」
「みる!」
「はいはい」
俺は神棚をいくつか見比べる。本格的な三社造りはさすがに大きい。今は仮拠点だ。持ち運びや保管を考えると、小型の一社造りか壁掛け型で十分だろう。祠を作る時に中へ置くなら、小さめの方がいい。
さらに陶器製白狐一対。左右に置く白い狐。神具セットもある。水玉、皿、榊立て。ミニ鳥居まである。
「……これ、完全に神社コーナーだな」
俺は購入候補を選ぶ。
小型神棚。
神具セット。
陶器製白狐一対。
ミニ鳥居。
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【購入合計:魔石ポイント320】
購入しますか?
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「三百二十か」
贅沢品と言えば贅沢品だ。今すぐ生存に必要なものではない。だが、これはユキのために必要だと思った。飯や服や寝床だけではなく、記憶を置く場所も必要だ。
名前のなかった白狐神が、ユキになった場所。その最初の拠点を、ただの古い寝床にしたくない。
「購入」
足元に箱が現れた。俺は収納へ入れず、そのまま開けた。ユキが横から覗き込む。
「なに、なに?」
「まず神棚」
小さな木製の神棚を取り出す。白木の香りがふわりとした。ユキは鼻をひくひくさせる。
「木のにおい」
「ああ。綺麗だろ」
「これ、かみさまのたな?」
「そうだ」
ユキは神棚をじっと見た。何かを思い出そうとするように、耳がゆっくり動く。
「しってるような、しらないような」
「そうか」
次にミニ鳥居を出す。小さな赤い鳥居。ユキの目が一気に輝いた。
「とりい!」
「ああ。これは置物だけどな」
「ちいさいとりい」
「そうだ」
「かわいい」
「そういう感想なのか」
ユキは小さな鳥居を両手で持ち、じっと見つめた。
「とりい、なまえ、わかった」
「昨日知ったばかりだもんな」
「うん。とりい」
ユキは嬉しそうに何度も言った。そして最後に、陶器製の白狐を取り出す。白い狐が二つ。片方は玉を咥え、もう片方は巻物を咥えている。小さいが、しっかりとした作りだった。
白い身体。
赤い前掛け。
金色の目。
ユキが固まった。
「……びゃっこ」
声が小さかった。けれど、はっきり喜びが混ざっていた。
「びゃっこだ」
ユキは両手を伸ばした。
「さわっていい?」
「ああ。落とすなよ。陶器だから割れる」
「われる?」
「硬いけど、落とすと壊れる」
ユキは急に真剣な顔になった。
「だいじにする」
俺は白狐の一つをユキに渡した。ユキは両手でそっと受け取り、鼻先を近づける。
すんすん。
「におい、あんまりない」
「陶器だからな」
「でも、びゃっこ」
「お前に似てるか?」
俺はそう聞いてから、少し疑問に思った。
「いや、びゃっこってユキみたいな姿じゃないのか? 白い狐耳と尻尾の女の子っていうか」
ユキは白狐の置物を見つめたまま、首を横に振った。
「びゃっこは、きつね」
「狐?」
「うん。しろいきつね」
「お前は?」
「ユキは、ユキ」
「まあ、それはそうなんだが」
ユキは白狐の置物を胸に抱えた。
「たまに、ゆめにでる」
「夢?」
「うん」
ユキの声が少し静かになった。
「しろいきつね。おおきい。ふわふわ。ユキをみる」
「その狐が、びゃっこなのか?」
「わからない。でも、そのきつねも、ユキのこと、びゃっこっていう」
「ユキを?」
「うん。びゃっこ、っていう」
「……そうか」
俺は顎に手を当てた。白狐神。読みは、びゃっこしん。だがユキは、自分のことを「びゃっこ」と呼んでいた。
そして夢に出てくる白い狐も、ユキを「びゃっこ」と呼ぶ。
それは種族名なのか。称号なのか。神としての呼び名なのか。それとも、もっと別の何かなのか。
分からない。
ただ、ユキにとって白い狐の姿は特別らしい。
「その夢の狐は、怖いのか?」
ユキは少し考えた。
「こわくない」
「優しい?」
「うーん」
ユキは首をかしげる。
「ふわふわしてる」
「性格じゃなくて毛並みの話か」
「でも、さみしいにおい」
俺は黙った。
「さみしいにおい、か」
「うん。ユキをみて、びゃっこ、っていう。それから、きえる」
「何か言うのか?」
「たまに」
「何て?」
ユキは眉を寄せる。
思い出そうとしているらしい。
「……まもれ?」
「守れ?」
「うん。たぶん。まもれ、って」
「何を?」
「わからない」
ユキは白狐の置物を抱えたまま、小さく言った。
「でも、ユキ、ひとりだった」
その一言が、妙に重かった。夢に白い狐が出てくる。守れと言われる。でも、本人は森で一人だった。五歳相当の神獣幼女が、何を守れというのか。
俺には分からない。今はまだ。
「まあ、分からないことは急に分からなくてもいい」
「いい?」
「ああ。分からないものは、いったん棚に上げる」
「たな?」
「考えるのを後回しにするってことだ」
俺は神棚を指差した。
「ちょうど棚もあるしな」
ユキは神棚を見た。それから俺を困った様な目で見る。
「おっちゃん、へんなこという」
「四十歳になると、こういうくだらないことを言うようになる」
「ユキも、いう?」
「言うかもな」
ユキは陶器の白狐を大事そうに撫でた。
「これ、びゃっこ」
「ああ。白狐だ」
「こっちは?」
「二つで一対。左右に置くんだ」
「いっつい」
「二つで組になるってこと」
「ふたつ。さみしくない」
「……そうだな」
ユキは二つの白狐を並べた。
右と左。
小さな神棚の前に置くと、そこだけ急に日本の神社の一角のようになった。
異世界の湖畔。キャンプ用テント。ソーラーパネル。折りたたみ椅子。そして神棚と白狐。情報量が多い。だが、不思議と違和感は少なかった。
むしろ、ユキの白い髪と尻尾にはよく似合っていた。
「これは、今は収納に入れておく」
「しまう?」
「ああ。落としたら割れるからな。拠点が決まって落ち着いたら、ユキの元の寝床に小さな祠を作る。そこにこの神棚と白狐を置く」
「ほこら」
「そうだ。ユキが一人で頑張ってきた場所に、ちゃんと印を残す」
「しるし?」
「あそこは、ユキの最初の場所だろ」
ユキが俺を見る。
「さいしょ?」
「俺とユキが会った場所でもある」
「おっちゃんと、ユキ」
「ああ。だから、忘れないようにする」
ユキはしばらく黙っていた。それから、小さく頷いた。
「つくる」
「拠点を決めて、生活が落ち着いたらな」
「やくそく?」
「ああ。約束だ」
「ほけん?」
「今回は保険なしでも約束だ」
ユキはぱっと笑った。
「おっちゃん、えらい」
「はい、評価いただきました」
「もっと」
「かなり偉い」
「よし」
ユキは陶器の白狐を名残惜しそうに見た。
「しまう?」
「割れたら嫌だろ?」
「いや」
「じゃあ収納だ。時間経過なしだから、そのまま保管できる」
「おっちゃんの、へんなところ」
「収納な」
「うん。へんなところ」
俺は神棚、白狐一対、ミニ鳥居、神具セットを丁寧に収納した。ユキは少しだけ寂しそうにそれを見送った。
そんなに気に入ったのか。俺はふと思いつく。
「……ぬいぐるみなら、割れないな」
「ぬい?」
「柔らかい人形だ」
「やわらかい、びゃっこ?」
「あるか探してみる」
キャンプ関連ショップで検索する。ホームセンター用品、雑貨、子供用品。
「白狐、ぬいぐるみ」
検索結果が出る。
⸻
【検索結果:白狐 ぬいぐるみ】
・白狐ぬいぐるみ 大
・白狐ぬいぐるみ 小
・稲荷狐マスコット
・白狐ストラップぬいぐるみ
・手のひらサイズお稲荷さんぬいぐるみ
・狐面キーホルダー
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「あるな」
手のひらサイズお稲荷さんぬいぐるみ。ストラップ付き。白い狐の小さなぬいぐるみで、赤い前掛けをしている。丸っこくて、子供が持つにはちょうどいい。
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【手のひらサイズお稲荷さんぬいぐるみ】
必要魔石ポイント:35
⸻
「安い」
ありがたい。
「ユキ」
「なに?」
「これは割れないびゃっこだ」
俺は購入した。ぽん、と手の中に小さな白狐のぬいぐるみが現れる。
丸い顔。小さな耳。ふわふわの尻尾。赤い前掛け。頭にはストラップ。かなり可愛い。ユキの目が大きく開いた。
「びゃっこ!」
「そう。柔らかいびゃっこ」
「さわる!」
「これはユキにやる」
ユキは固まった。
「ユキの?」
「ああ。プレゼントだ」
「ぷれぜんと?」
「贈り物。あげるってことだ」
「ユキの、びゃっこ?」
「そうだ」
ユキは両手でぬいぐるみを受け取った。そして、そっと抱きしめた。尻尾がぶわっと膨らみ、次にぶんぶん揺れる。
「ふわふわ」
「ああ」
「びゃっこ、ふわふわ」
「気に入ったか?」
ユキは力強く頷いた。
「ユキのびゃっこ」
「そうだ」
「おっちゃん、くれた」
「ああ」
「おっちゃん、すごくえらい」
「評価が上がった」
「もっとえらい」
「ありがとう」
ユキはぬいぐるみの白狐をじっと見つめた。
「びゃっこ」
そして、自分の胸に抱えた。
「ユキ、びゃっこ、まもる」
「大事にしろよ」
「うん」
ユキはぬいぐるみを自分の尻尾に乗せた。白い尻尾の上に、白い狐のぬいぐるみ。どちらが本体か一瞬分からなくなる。
「おっちゃん」
「なんだ」
「このびゃっこ、なまえある?」
「ぬいぐるみの名前か?」
「うん」
「ユキが決めていいぞ」
ユキは真剣に考えた。眉間にしわを寄せ、狐耳をぴくぴく動かす。五歳児が世界の命運を考えているような顔だった。しばらくして、ユキは言った。
「こびゃっこ」
「小さいびゃっこで、こびゃっこか」
「うん。こびゃっこ」
「いいんじゃないか」
「こびゃっこ、ユキの群れ」
「群れが増えたな」
ユキは満足そうに、こびゃっこを抱きしめる。白狐神が初めて名付け親になった。
「おっちゃんも、群れ」
「はいはい」
「こびゃっこも、群れ」
「三人目か?」
「しっぽも、べつのいきもの」
「四人目扱いか」
「あと、にく」
「肉を群れに入れるな」
ユキは真顔で言う。
「にくは、だいじ」
「分かった分かった」
俺は湖畔の仮拠点を見回した。
テント。
タープ。
神棚は収納の中。
陶器の白狐も収納の中。
ユキの腕には、こびゃっこ。
そして森の奥には、ユキの最初の寝床がある。いずれ、あそこに小さな祠を建てる。ホームセンターで買った神棚と白狐を置いて、鳥居も据える。
ユキが一人で生きてきた場所。俺とユキが出会った場所。最初の拠点。そこを、ちゃんと形に残す。
「おっちゃん」
「ん?」
「ほこら、つくる?」
「ああ。約束したからな」
「ユキも、てつだう」
「何をする?」
「とりい、かく。ぱちってする。こびゃっこ、みせる」
「最後は応援だな」
「あと、にく、たべる」
「それは作業後の飯だ」
ユキはこびゃっこを胸に抱き、湖の方を見た。
「おっちゃん」
「今度は何だ」
「ユキ、なまえ、ある。こびゃっこも、なまえ、ある。とりいも、なまえ、わかった」
「ああ」
「ほこらも、つくる」
「ああ」
ユキは少しだけ、真面目な顔をした。
「ユキ、ひとりじゃない?」
俺は手を止めた。
白い狐のぬいぐるみを抱きしめる、小さな白狐神。昨日まで、森で一人だった子供。自分のことを「びゃっこ」としか呼べなかった神様。
俺はその頭に手を置いた。
「一人じゃない」
「ほんと?」
「ああ」
「ほけん?」
「今回は保険じゃない。確定だ」
「かくてい」
「そう。確定」
ユキはゆっくり笑った。そして、こびゃっこを俺に見せた。
「こびゃっこも、いる」
「ああ。こびゃっこもいる」
「しっぽも」
「尻尾もいる」
「にくも」
「肉はまだ焼いてない」
「あとで」
「はいはい」
湖の水面がきらきらと光っていた。風がタープを揺らし、ユキの白い尻尾を揺らす。その尻尾の上で、小さな白狐のぬいぐるみがぽふんと跳ねた。
四十歳まで無趣味だった俺は、異世界で神棚とお稲荷さんを買い、白狐神の幼女にぬいぐるみを贈っている。
人生、どこで何が趣味になるか分からない。
いや、これは趣味なのか。
子育てか。
神様の世話か。
拠点作りか。
祠建立か。
どれにしても、四十の手習いとしてはだいぶ重い。だが、ユキがこびゃっこを抱きしめて嬉しそうにしているのを見ていると、まあ悪くないと思った。
「よし」
俺は立ち上がる。
「昼飯にするか」
ユキの耳が跳ねた。
「にく?」
「魚も試す」
「さかな」
「湖があるからな」
ユキはこびゃっこを胸に抱いたまま、真剣に頷いた。
「こびゃっこにも、みせる」
「魚を?」
「うん。あと、にく」
「結局肉か」
ユキはにへっと笑った。
「ユキの群れ、にくをたべる」
俺は苦笑した。湖畔の仮拠点。
これから建てるかもしれないキットハウス。いつか作る小さな祠。そして、ユキの腕の中のこびゃっこ。
少しずつ、この異世界に俺たちの場所ができていく。帰る方法はまだ分からない。この世界のことも、ユキの正体も、夢に出る白い狐の意味も分からない。
でも今は、それでいい。まずは昼飯。それから湖の調査。そしてポイント稼ぎ。祠作りは、拠点が落ち着いてから。俺は心の中で、もう一度約束を確認した。
ユキの最初の寝床を、忘れられた場所にはしない。そこに、小さな祠を建てる。神棚を置き、白狐を置く。そして鳥居を置く。あそこは、ユキが一人だった場所であり、ユキが一人ではなくなった場所でもあるからだ。
続く




