第4話 白狐神、新天地を決める
森の中を歩く時、大人はどうしても足元を見る。根っこ。石。ぬかるみや落ち葉の下の穴。四十歳の足首は、もう若者のように無茶を許してくれない。
一方、ユキは前を見る。いや、前というより、匂いを見る。
「おっちゃん、こっち」
「道があるのか?」
「みずのにおい」
「小川じゃなくて?」
「もっと、おおきい」
ユキは鼻をひくひくさせながら進んでいく。白いフード付きポンチョを着せているせいで、狐耳は一応隠れている。ただし、大きな尻尾はマントの下で不自然に膨らんでいる。
隠せているかと言われると微妙だ。森の中だからいいが、人里では工夫が必要だろう。
「ユキ、あっち」
「足元気をつけろよ」
「ユキ、つよい」
「強い五歳児ほど信用ならん」
「ユキ、かみさま」
「神様でも転ぶ時は転ぶ」
そう言った直後、ユキが木の根に足を引っかけた。
「む」
「ほら見ろ」
「いまのは、木がわるい」
「責任転嫁を覚えるのが早いな」
ユキは木の根を指差した。
「おっちゃん、これ、しかって」
「木を叱る文化はない」
「むー」
そんなやり取りをしながら、俺たちは森を進んだ。鑑定と狩猟スキル、加護のおかげで、魔物の気配はある程度分かる。
途中、棘狼らしき足跡を二つ見つけた。ただし、どちらも古い。新しい糞や獣道も鑑定したが、危険度は低いと出た。
ユキも時々鼻を動かして、
「こっち、まもの、ふるい」
「あっち、いやなにおい、ちょっと」
「ここ、さかなのにおい」
などと教えてくれる。白狐神の鼻はかなり頼りになる。本人は途中でビーフジャーキーを要求してくるが。
「おっちゃん」
「まだ休憩には早い」
「ユキ、にくのかくにん」
「確認とは」
「ちゃんとあるか、たべてしらべる」
「それは食べたいだけだ」
「ユキ、しんけん」
「真剣な顔で食欲を出すな」
結局、小さく切ったビーフジャーキーを一つ渡した。ユキは両手で持って、ちびちび噛む。
「かたい」
「携帯食だからな」
「でも、にく」
「そこは譲らないんだな」
「にくは、にく」
真理みたいに言うな。
しばらく歩くと、森の空気が変わった。木々の間から、明るい光が差し込んでいる。そして風も少し湿っている。かすかに水面の匂いがした。
「おっちゃん、もうすぐ」
「分かるのか」
「みず、いっぱい」
ユキが小走りになる。
「走るな。転ぶぞ」
「ユキ、つよ――」
また木の根につまずきかけた。俺は慌ててフードの後ろを掴む。
「ほら」
「木が」
「木は悪くない」
「むー」
俺はため息をつきながら、ユキの手を取った。
「手をつなげ」
「て?」
「転ばないように」
ユキは俺の手を見て、それから自分の手を乗せた。
小さい。
昨日まで一人で森にいた手だ。でも、今は少し温かい。
「おっちゃんのて、おおきい」
「お前が小さいんだよ」
「ユキ、ちいさいかみさま」
「それは合ってる」
ユキは少し嬉しそうに手を握り返した。森を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
「……おお」
思わず声が出た。そこには、大きな湖があった。静かな水面が、朝の光を反射している。
向こう岸は遠い。湖というより、内海に見えるほど広い。
周囲は森に囲まれているが、俺たちが出た場所は少し開けた草地になっていた。
湖畔には小石の浜があり、水は澄んでいる。少し離れた場所には、緩やかな斜面。背後には森。近くには小川が湖へ流れ込んでいる。
風通しがいい。
見晴らしもいい。
水もある。
「これは……いい場所だな」
俺は周囲を見回した。狩猟スキルとキャンプスキルが、自然に環境を評価してくれる。
水場あり。視界良好。背後は森で資材あり。湖畔は逃走経路が限られるが、魔物の接近は見つけやすい。地面は場所を選べば平坦。小川からの給水も可能。魚資源の可能性あり。
「拠点にするなら、かなり良い」
ユキは湖を見て目を輝かせていた。
「みず、いっぱい」
「ああ」
「さかな、いる」
「見えるのか?」
「におい」
「魚の匂いも分かるのか」
「ユキ、すごい?」
「すごいすごい」
「もっと」
「とてもすごい」
「よし」
ユキは満足して、湖畔へ駆け出そうとした。俺は即座に手を引く。
「待て」
「さかな」
「水辺は危ない。足場確認してから」
「ユキ、つよい」
「何回も言うが、強い五歳児ほど危ない」
俺は湖畔を鑑定する。
⸻
【鑑定結果】
名称:湖畔の浅瀬
状態:水質良好
危険:一部ぬかるみあり
生物反応:小魚、貝類、水棲小動物
魔物反応:現時点で近距離に強い反応なし
飲用:煮沸推奨
洗浄用:使用可
⸻
「よし。浅瀬なら大丈夫そうだ。ただし、俺が見てる範囲だけだ」
「ユキ、さかなみる」
「見るだけな」
「とる?」
「今日は調査だ」
「とる?」
「……一匹だけなら後で考える」
「よし」
ユキの中では決定事項になったらしい。俺は湖畔の草地へ移動し、腰を下ろした。湖からの風が気持ちいい。森の中より開放感がある。
「ここ、いいな」
昨日の小川の拠点も悪くない。ユキにとっては、長く寝起きした場所だ。だが、生活拠点として考えるなら、こちらの方が圧倒的に良い。
水量が豊富。魚がいる。日当たりもある。ソーラーパネルも使いやすいし、平地もある。小屋を建てるなら、ここだ。
「ユキ」
「なに、おっちゃん」
「ここ、好きか?」
「ここ?」
「この湖のそば」
ユキは湖を見る。それから、くんくんと鼻を動かす。
「みず、いいにおい」
「そうか」
「さかな、いる」
「そこ大事なんだな」
「ひろい」
「ああ」
「とりい、かけるところ、いっぱい」
「それも大事だ」
ユキは少し考えてから、俺を見上げた。
「ここ、ユキのいえ?」
俺はすぐには答えなかった。家、昨日までユキの家は、大きな木の根元だった。葉っぱを集め、鳥居を描き、結界を張り、一人で眠っていた場所。そこを簡単に捨てろとは言いたくない。
「今の寝床も、ユキの家だ」
「うん」
「でも、ここにもっとちゃんとした家を作ることはできるかもしれない」
「もっとちゃんと?」
「雨が降っても濡れない。風が吹いても寒くない。寝る場所があって、飯を作る場所があって、シャワーも使いやすい」
「にくも?」
「肉も焼ける」
「ここ、いえ」
「判断が早い」
ユキは湖を見て、尻尾を揺らした。
「ユキ、ここ、すき」
「そうか」
なら、候補としては十分だ。俺は四十の手習いの画面を開く。拠点作り。昨日、鑑定の提案ではDIYやブッシュクラフトが出ていた。だが、湖畔にそれなりの建物を作るなら、もっと具体的なものが欲しい。
「キットハウス……あるかな」
俺は呟いた。昔、ホームセンターかネット広告で見たことがある。
組み立て式の小屋。
ログハウス風の小屋。
庭に置く物置小屋。
プレハブ。
小型キャビン。
趣味としてなら、DIYやセルフビルドに含まれるだろう。鑑定と四十の手習いが反応する。
⸻
【四十の手習い連動提案】
湖畔拠点の整備に適した手習い候補:
・DIY
・セルフビルド
・ログハウス作り
・ブッシュクラフト
・防災キャンプ
・家庭菜園
・釣り
最優先候補:セルフビルド
⸻
「セルフビルドか」
自分で小屋や家を建てる趣味。趣味というには重いが、地球には確かにいる。週末に小屋を建てる人。ログハウスを自作する人。庭にキットハウスを組む人。無趣味だった俺からすれば、別世界の住人だ。
いや、今は異世界にいるのだが。
⸻
【手習い:セルフビルドを取得しますか?】
必要魔石ポイント:1,500
取得内容:
・基礎工事の基礎
・木材加工基礎
・簡易建築の設計理解
・工具使用
・防水、防湿、防寒の基礎
・キットハウス組立技能
関連ショップ:
・工具
・建材
・基礎材
・防水シート
・断熱材
・キットハウス
・小型物置
・簡易ログハウス
・安全用品
⸻
「1500……」
安くはない。いや、むしろ家作りの技術として考えれば破格だ。問題は、現在の魔石ポイント。
俺は残高を見る。
⸻
【現在保有ポイント】
魔石ポイント:4,750
⸻
ここで1500使えば、残り3250。さらにキットハウスを買えば、もっと減る。
「悩ましいな」
「おっちゃん、むずかしいかお」
「家を建てるかどうか考えてる」
「いえ、いる」
「そりゃ欲しいが、ポイントがな」
「ぽいんと、にくのもと」
「家のもとでもある」
「ぽいんと、えらい」
「本当に偉い」
俺はキットハウスのショップを覗いてみた。まだセルフビルドを取得していないので、詳細は限定表示だが、おおまかな価格は出る。
⸻
【キットハウス候補】
・簡易物置小屋
必要ポイント:800
広さ:約三畳
用途:物資保管向け。居住性低。
・小型キットハウス
必要ポイント:2,500
広さ:約六畳
用途:短期居住可。断熱、防水は追加施工推奨。
・湖畔用ミニキャビン
必要ポイント:4,800
広さ:約八畳+小型デッキ
用途:居住向け。防水、防湿性能あり。組立にはセルフビルド推奨。
・簡易ログハウス
必要ポイント:6,500
広さ:約十畳
用途:長期居住可。施工難度高。
⸻
「高い」
湖畔用ミニキャビンは魅力的だが、今のポイントではほぼ全財産が飛ぶ。
簡易ログハウスは論外。小型キットハウスなら買えなくはない。だが、セルフビルド取得と合わせると4000ポイント。
残りは750。危険すぎる。
「現実的には、まず小屋じゃなくて調査と基礎準備だな」
「いえ、ない?」
「すぐには建てない」
ユキの耳が少し伏せる。
「でも、建てるための準備をする」
「じゅんび?」
「ああ。場所を決める。危なくないか調べる。地面を見る。水が増えた時に沈まない場所を探す。魔物が来ないか確認する」
「おっちゃん、だんどり」
「そう。段取りだ。四十歳は段取りで生きてる」
「ユキ、だんどり、できる?」
「できるぞ。まず湖を勝手に走らない」
「む」
「大事な段取りだ」
俺は湖畔を歩きながら、拠点候補地を探した。湖から近すぎる場所は避ける。雨で増水した時に危ない。足元も湿っている。
少し高くなった場所がいい。湖を見下ろせる緩やかな斜面の上。近くに木があるが、倒木の危険が少ない場所。日当たりが良く、ソーラーパネルを広げやすい場所。小川にも遠すぎない。
鑑定を使いながら進む。
⸻
【鑑定結果】
地盤:やや安定
湿度:低〜中
増水危険:低
日当たり:良好
建築適性:仮設拠点向き
⸻
「ここは悪くない」
湖から十五メートルほど離れた、少し高い草地。
背後には森。
前方に湖。
左手に小川。
右手は開けている。
見張りもしやすい。
「ユキ、ここどうだ?」
ユキは地面にしゃがんで、すんすん匂いを嗅いだ。
「ここ、いやなにおい、すくない」
「魔物は?」
「ふるいにおい、ある。でも、ちかくない」
「人は?」
ユキは少し真剣な顔になる。鼻をひくひくさせる。
「ひとのにおい、ない」
「そうか」
それは安心材料だ。
人里から遠いという意味でもあるが、少なくとも今すぐ誰かに見つかる可能性は低い。俺は地面に枝で印をつけた。
「候補地一」
「こうほ?」
「家を建てるかもしれない場所」
「ユキのいえ?」
「候補な」
「ユキ、ここ、すき」
ユキはその場で鳥居を描き始めた。
「おい、もう結界か?」
「ここ、ユキのすきなところ」
「早いな」
「まもの、くるな」
ぱちっ。
指先から放電が走り、鳥居が淡く光った。小さな結界が広がる。鑑定する。
⸻
【鑑定結果】
名称:簡易結界
基点:鳥居紋
効果:低級魔物の侵入抑制
範囲:半径約五メートル
術者:白狐神ユキ
状態:安定
⸻
「範囲は五メートルくらいか」
家を建てるには、もう少し広い範囲を守りたい。
「鳥居を複数描いたら広がるのか?」
「ふくすう?」
「たくさん」
「たくさん、とりい?」
「やってみるか」
俺は候補地の四隅に、簡単な鳥居の印を描いた。ユキは一つずつ指を当てていく。
「まもの、くるな」
ぱちっ。
「ここ、ユキのところ」
ぱちっ。
「おっちゃんの、いえにする」
ぱちっ。
「にくも、ここ」
ぱちっ。
「最後だけ俗っぽいな」
四つの鳥居が淡く光る。結界の膜が広がり、互いにつながるように揺れた。鑑定結果が変わる。
⸻
【鑑定結果】
名称:簡易連結結界
基点:鳥居紋 四箇所
効果:低級魔物の侵入抑制
範囲:約二十メートル四方
術者:白狐神ユキ
補助:サコン・ヒカル
状態:安定
備考:基点が増えたことで範囲が拡張されています。
⸻
「おお……」
これは使える。拠点を作るなら、まず結界で囲う。その中にテントや小屋を置く。低級魔物を防げるだけでもかなりありがたい。
「ユキ、すごいぞ」
「ユキ、えらい?」
「かなり偉い」
「もっと」
「拠点防衛担当大臣」
「だいじん?」
「偉いやつだ」
「ユキ、だいじん」
「すぐ任命されたな」
ユキは得意げに胸を張る。尻尾がマントの下でぼふぼふ揺れている。
「おっちゃんは?」
「俺は建築検討係だな」
「けんちく?」
「家を建てる係」
「おっちゃん、いえつくる」
「まだ検討だ。いきなり建てない」
「だんどり」
「そう、段取り」
俺は収納から折りたたみ椅子を出し、腰を下ろした。湖を見ながら考える。ここを拠点にするメリット。
一、水が豊富。
二、魚が取れる可能性。
三、見晴らしが良い。
四、日当たりが良い。
五、結界を張るスペースがある。
六、建物を建てられる平地がある。
デメリット。
一、湖の水棲魔物がいる可能性。
二、増水や嵐のリスク。
三、人里から遠い可能性。
四、森と水場の両方から魔物が来る可能性。
五、資材を現地調達するには加工技術が必要。
「水棲魔物がいるか調べないとな」
「すいせい?」
「水の中にいる魔物」
ユキは湖をじっと見た。
「おおきいの、いま、ちかくない」
「分かるのか?」
「みずのなか、ふかいところ、なんかいるかも。でも、ここ、ちかくない」
「なんかいるのか……」
少し怖い。だが、大きな湖なら大型生物くらいいるだろう。近寄らなければいいのか、定期的に対策が必要なのか。鑑定だけでは湖全体までは分からない。
後で釣りスキルか、水辺の安全に関係する手習いが必要かもしれない。
「釣りも欲しいな」
俺は四十の手習い画面を開く。
⸻
【手習い:釣り】
必要魔石ポイント:500
取得内容:
・淡水釣り基礎
・魚の見分け
・釣り具の扱い
・魚の締め方、捌き方
・水辺の安全基礎
関連ショップ:釣具、餌、クーラーボックス、魚処理道具、簡易魚探など。
⸻
「500か」
セルフビルドに比べれば安い。魚が取れれば食費の節約になる。水辺の安全も学べる。だが、今日はまだ保留だ。今すぐ必要なのは、湖畔を調べることと、一時拠点を作ること。
「まずは仮拠点だな」
ここにテントを張る。ソーラーパネルを広げる。水場を確保する。簡易トイレも必要だ。食事場所と寝床を分ける。ゴミの管理。焚き火やコンロの位置。
キャンプスキルが、次々と注意点を浮かべてくる。家を建てる前に、生活の動線を確認するのは悪くない。
いきなりキットハウスを置いてから「場所が悪かった」では洒落にならない。
「数日はここでキャンプして様子を見る」
「すうじつ?」
「何日か」
「ここ、いる?」
「ああ。昨日までの寝床から場所を移してもいいか?」
ユキは少し考えた。昨日までの寝床は、ユキにとって大事な場所だ。鳥居を描いて、一人で寝ていた場所。
俺は急かさず待った。ユキは湖を見る。それから、森の方を見る。
「まえのところ、ユキのねるところ」
「ああ」
「ここ、ユキのあたらしいところ?」
「嫌じゃなければな」
「おっちゃんも、いる?」
「いる」
「にくも?」
「肉もある」
「しゃわーも?」
「ここなら昨日より使いやすい」
「とりい、いっぱいかける?」
「ああ」
ユキはしばらく真剣に考えていた。そして、こくりと頷く。
「ここ、ユキのあたらしいいえ」
「そうか」
「まえのところも、ユキのところ」
「ああ。たまに見に行けばいい」
「うん」
ユキは少し安心したように笑った。
「おっちゃん、ここにいえ、つくる」
「まだ検討だ」
「けんとう?」
「作るかどうか、どう作るかを考えることだ」
「じゃあ、ユキも、けんとうする」
「お、偉いな。何を検討する?」
ユキは湖を指差した。
「さかな」
「家の話から魚に行ったな」
「さかな、だいじ」
「まあ、食料は大事だ」
「あと、にく」
「結局そこに戻る」
俺は苦笑しながら、セルフビルドとキットハウスの画面をもう一度見る。理想は湖畔用ミニキャビン。ただし、今は高すぎる。現実的には、まずセルフビルドを取得して、小型キットハウスを目指す。
そのためにはポイントを貯める必要がある。魔石ポイント。つまり魔物退治。もしくは、湖や森の素材を活用して支出を減らす。
「方針追加だな」
俺は地面に枝で書いた。
一、湖畔を数日調査。
二、仮拠点を設営。
三、魚と水の安全確認。
四、魔石ポイントを貯める。
五、セルフビルド取得を検討。
六、小型キットハウス購入を目標。
ユキが横から覗き込む。
「にく、ある?」
「食料確認に入ってる」
「かいて」
「はいはい」
俺は最後に追加した。
七、肉。
ユキが満足げに頷く。
「だいじ」
「七番でいいのか?」
「にくは、ぜんぶに入ってる」
「概念として強すぎる」
さて、仮拠点を設営するか。俺は収納からテント、タープ、折りたたみテーブル、椅子、調理器具、ポータブル電源、ソーラーパネルを出した。
湖畔の草地に、少しずつ生活の形ができていく。ユキは鳥居結界の範囲を歩き回りながら、時々指先をぱちっとさせている。
「ユキ、なにしてる?」
「ここ、ユキのところって、いってる」
「誰に?」
「もりと、みず」
「返事は?」
「みず、きらきらってした」
「そうか」
見ると、湖面が朝日に反射して輝いていた。ただの光かもしれない。でも、ユキにとっては返事なのかもしれない。
俺はテントを立てながら湖を見る。ここに小さな家が建つ。湖を見下ろす位置に、木製の小さなキットハウス。
横にデッキ。
ソーラーパネル。
雨水タンク。
シャワー用の給水設備。
結界の鳥居。
畑。
魚を干す場所。
薪置き場。
想像すると、思ったより悪くない。いや、かなり良い。無趣味で、休日をだらだら潰していた俺が、異世界で湖畔の家づくりを検討している。人生、何があるか分からないにも程がある。
「おっちゃん」
「ん?」
「ここ、いいところ」
「ああ。いいところだな」
「ここに、いえ、つくったら」
「作ったら?」
「ユキ、おっちゃんと、ねる」
「それは今もだろ」
「ふかふかで、ねる」
「ふかふかは重要だな」
「あと、あさ、にく」
「朝肉は相談だ」
「むー」
ユキは頬を膨らませた。俺は笑いながら、タープのロープを張る。湖からの風がタープを揺らした。
鳥居結界が淡く光る。水面がきらめく。白い尻尾がふわふわ揺れる。俺は深く息を吸った。
「よし。ここを仮拠点にする」
ユキが両手を上げた。
「ここ、ユキのいえ!」
「仮だ、仮」
「かりのいえ!」
「まあ、それでいい」
「おっちゃん」
「なんだ」
「きっとはうす、つくる?」
「まだ検討」
「けんとう、いつおわる?」
「ポイントが貯まったら」
「ませき、とる」
「危なくない範囲でな」
「さかなも、とる」
「それは昼飯にしよう」
ユキの耳がぴんと立った。
「さかな!」
「肉じゃなくてもいいのか?」
「さかなも、えらい。たれ、つける?」
「塩焼きから試そう」
「しお」
「そうだ。肉を偉くしたり、魚を偉くしたりする白いやつだ」
「しお、えらい」
「偉いものが増えすぎだな」
こうして、湖畔は俺たちの新しい仮拠点候補になった。まだ家はない。キットハウスもない。ポイントも足りない。だが、水がある。魚がいる。空が広い。結界が張れる。そして、ユキがここを気に入った。
それだけで、検討する価値は十分だった。俺は湖を見ながら、小さく呟いた。
「セルフビルドか……四十の手習いにしては、いきなり重いな」
ユキが横から言う。
「おっちゃん、がんばれ」
「軽いな、応援が」
「ユキ、てつだう」
「何を?」
「とりい、かく。さかな、とる。にく、たべる」
「最後は手伝いじゃないが」
「ユキ、かみさま」
「神様でも労働は覚えような」
ユキはきょとんとした後、尻尾を揺らして笑った。その笑顔を見て、俺は思う。まあ、キットハウスくらい建ててもいいかもしれない。
いや、まだ検討だ。検討。大人はすぐに決めない。
だが、四十歳のおっさんの心の中では、湖畔の小さな家の設計図が、すでにぼんやりと浮かび始めていた。
続く




