第86話 白狐神と水の都
翌朝。やたらとハイテンションな声で目を覚ます。
「むにゃ.....さあ始まりました! ザ・ビャッコテン! まずは今週の第10位!――びゃっこ隊、『稲荷寿司くいねェ!』」
「はぁ……また古いネタを.....」
俺は目を閉じたまま、ため息をつく。右腕には、いつものようにユキが抱きついている。腹の上には大きな白い尻尾。そして枕の間に置いた籐カゴ――夜城から、こびゃっこの寝言が響いている。
「続きまして第9位! 初登場! 謎の大型新人、サコン・ヒカルで『段取りだけが人生さ』!」
「勝手にデビューさせるな」
「司会はもちろん、びゃっこ黒柳――」
「誰だよ」
「むにゃ.....ではゲストのヒカルさん、どのような少年時代を?」
「いきなり番組が変わった」
こびゃっこは目を閉じたまま、前足を顎の下へ添えた。
「まあ! 40歳で異世界へ? それは大変でしたわねえ。それまで無趣味でらしたのよね?」
「大きなお世話だ。て言うか、どこの長寿番組の部屋だよ」
「.....むにゃ.....本日のゲストは白狐神ユキさんです」
すると右腕へ抱きついていたユキが、目を閉じたまま答えた。
「むにゃ……ユキは、ユキ……」
「ゲストまで寝ながら出演するな」
「あら、まあ、そうでございますの?お好きな食べ物は?」
「からあげ……かみのにく……」
「受け答えだけ成立してるのが怖い」
「では、おっちゃんについてどう思われますか?」
「にげるな……」
「そこは変わらないな」
「次回の『こびゃっこの部屋』は、王都よりセイラム王をお招きして、稲荷寿司への執着を――」
「外交問題になるからやめろ」
こびゃっこは満足したのか、再び静かになった。
「……昭和のテレビ番組を夢の中でミックスするな」
ユキが薄く目を開けた。
「おっちゃん」
「起きたか?」
「いる?」
「いるよ」
「うん」
昨日から、朝一番の確認が増えた。それを確かめると、ユキは安心したようにもう一度目を閉じた。
「じゃあ、もうちょっと、ねる」
「今日は仕事だぞ」
「……かんとく?」
「食堂と厨房だ」
ぱちっ。目が開いた。
「ユキ、おきる」
「やっぱり監督職の威力が強い」
◇
俺が家の玄関を開けると、チリンと小さなベルの音がした。
「おはよう」
黄色のヘルメットを被ったニナだった。昨日買ったばかりの子供用三輪自転車に乗って、ちょうどこちらへ向かってくる。
「おはよう。もう使ってるのか」
「うん」
三輪自転車の後ろかごには、充電式ランタンが8個並んでいた。ただし直接金属製のかごへ放り込んではいない。底には、小さく折り畳んだ毛布が敷いてある。
「毛布、使ったんだな」
「昨日、ヒカルがくれた」
「ああ。ランタン同士がぶつからないようにな」
俺が昨日のうちに用意しておいた物だ。走行中の振動でランタンの樹脂外装が傷んだり、ぶつかったりするのを防ぐ。
厚すぎるクッションでは荷物が不安定になるので、薄手の小さな毛布を二つ折り。さらにかごの横には、軽いゴムバンドも取り付けた。
「どうだ?」
「べんり」
「やっぱりその評価か」
「歩くより早い。ワゴンより、軽い」
「ただし積みすぎるなよ」
「分かってる」
「何個積んだ?」
「いま8個。あと、こことトイレ」
「そのくらいなら問題ないな」
ニナは一度降りた。後ろかごを指差す。
「これも」
「ん?」
昨日取り付けた大型のカラビナだ。三輪自転車の荷台フレームそのものへ無理な荷重を掛けないよう、補助金具を介して固定してある。
「ワゴン、つなぐ」
「まだ今日はつながないぞ」
「分かってる」
「本当に?」
「空のワゴンだけ」
「試したのか」
「昨日、少し」
ニナの赤いラジオフライヤー型ワゴンを、三輪自転車で牽引できるようにした。
工具箱。軽い金具。充電式工具。測量用品。安全表示。そういった物を運べる。現場へ着けば、ワゴン自体がそのまま簡易工具置き場になる。
「工具箱も積めるかな?」
ニナが聞いた。
「お前の小さい工具箱なら、後ろかごへ載せられる。ただしランタンと一緒には載せないでな」
「分ける」
「あと、積みすぎない」
「うん」
「下り坂は注意」
「うん」
「積むのが、無理だと思ったら?」
「ヒカルかドラン、呼ぶ」
「よし」
自分で運べる量を考える。自分で全部運ばなければならない、に変わってはいけない。
「ドランの三輪車も同じ仕様にしようと思ってる」
「工具、多く積める?」
「大人だから少し多く積める。でも重い鋼材は駄目だ。荷台の強度が持たない」
「ヒカルの収納」
「そう。それかドラン自身に運んでもらう」
「ドラン、強い」
「お前も強いけどな」
「でも、重いのずっとは疲れる」
「それが分かっているなら十分だ」
ニナは少しだけ視線を上げた。三つ編みの先が揺れる。……相変わらず褒めた時の反応は分かりやすい。ポーカーでこれを読むと怒られるが。
俺は自分の部屋のランタンを2個渡す。ニナが荷台に積み込む。
「次、ランタン取ってくる」
「あまり飛ばすなよ」
「うん。ゆっくり行く」
ニナがペダルを踏む。チリンとベルを一度鳴らし、裏手の方にあるトイレへ向かっていった。
「本当に気に入ったんだな」
俺も今日はマウンテンバイクを使おう。
◇
朝食後。俺は工事事務所の前へ、マウンテンバイクを出した。荷台はない。俺の場合、大半の物は収納へ入れられるため、自転車そのものに荷物を載せる必要がない。
ニナは三輪自転車。後ろには点検台帳を入れた防水ケース。今日は溶接練習ではない。
「今日は巡回を先にやる」
「水?」
「ああ」
これまで給水タンクも排水タンクもかなり増やしてきた。既存住居。食堂。風呂。トイレ。診療所。職人宿と近衛宿それぞれの風呂とトイレ。
人が増えるたび、水を使う設備も増えている。
今までは俺が気づいた時に見ていたが、これから職人12人、さらに近衛騎士団20人と特使たちが来れば、そんな運用では回らない。
「今日から管理して台帳に記録しようと思う」
「何、書く?」
「給水タンクの残量。水質。最終補充日。浄化神気の状態」
「排水は?」
「排水タンク残量。廃棄日。臭いと異常だな」
「分かった」
ニナが台帳を開く。
「自転車で回る?」
「ああ。定期巡回にする」
「毎日?」
「全部を毎日は見ない。使用量が少ない今なら区画ごとでいい。ただし人が増えたら変える」
こびゃっこが俺の肩へふわりと降りた。
「給水は3日に一度くらい見ることになるじゃろうな」
「やっぱり、そのくらいになるか」
「40人近くになればの」
職人12人。既存メンバー。近衛20人。特使と随員。確かに、一気に増える。
「水は飯より使うのじゃ」
「確かに」
「飯は三度。水は朝から晩までじゃ」
「風呂も洗濯もトイレもある」
リリアが食堂側から声を掛ける。
「人数が増えれば、料理だけでも相当使うと思います」
「新厨房の給水タンクは、今までより大きくするつもりだ」
「その方が安心ですね」
こびゃっこが言う。
「じゃが、大きな桶を増やしてゆくだけでは、いつか限界が来るぞ」
「そこなんだよ」
俺はマウンテンバイクのハンドルを握った。
「じゃあ、そこも見ながら考えるか」
◇
最初は住居区画。俺が給水タンクをスキル鑑定で確認する。残量も数値化出来るので分かり易い。
「残量72パーセント」
「72」
ニナが書く。
「水質鑑定」
◇
【鑑定結果】
名称:生活用給水タンク内浄化水
状態:良好
水質:飲用適
微生物汚染:問題なし
異臭:なし
浄化神気:正常
付与者:白狐神ユキ
推定有効期間:約5か月以上
◇
「まだ十分効いてるな」
「はんとし、もつ?」
ユキが隣で聞く。今日は監督というより浄化担当として、水道巡回に付いてきている。
「ああ。こびゃっこ、前に半年くらい持つって言ってたよな」
「うむ」
こびゃっこが浮きながら頷く。
「水そのものへ一度だけ力を掛けるのではない。鳥居印を介して、容器へ浄化神気を定着させておる。容器が壊れたり、酷く汚れたりせぬ限り、今のユキでも半年ほどは持つ」
「こびゃっこも?」
「今のびゃっこでも同程度じゃ」
「じゃあ交代で見てくれるか?」
「よかろう」
こびゃっこが胸を張った。
「湖畔水道局・神気管理課長を拝命する」
「勝手に役職を作るな」
「水質管理は重要じゃぞ」
「仕事は頼む。役職名はいらない」
「では水道神使主任」
「短くしても駄目だ」
ユキがタンクへ描かれた鳥居印へ、小さな手を置く。
「これ、げんき」
「分かるのか?」
「うん。ユキの、においする」
「自分の神気が分かるんだな」
「おみず、きれい」
「ならよし」
ニナが台帳へ書いた。
【ジョウカ セイジョウ】
「字もかなり覚えたな」
「アルノに教わった」
「えらいぞ」
三つ編みの先が動く。
「……今の、ポーカーで見ないで」
「今その話する?」
◇
次はトイレ。給水側を確認したあと、汚水タンクを鑑定する。
「臭いは?」
「問題ないだろう」
残量を確認した後、俺は収納能力を使う。廃棄対象を指定。タンク内の汚水を収納側の廃棄処理へ送る。これは何度使っても、便利すぎる能力だと思う。
「汚水、0」
ニナが書く。
「タンク内壁も確認。異常なし」
「次の廃棄は?」
「今の人数なら、残量を見ながらでいい。人が増えたら定期化しよう」
「3日?」
「トイレは使用量次第だな」
同じく住居区間の、風呂と洗濯用の排水タンクを点検確認し廃棄する。
その後、今後の点検経路の確認も兼ねて、職人宿と近衛宿それぞれの風呂、トイレの排水タンク、汚水タンクを俺とニナ、そしてユキも自転車で順番に回った。自転車なら、歩いて回るより明らかに早い。
ニナの三輪車には台帳。俺は工具や水質確認用品を収納。小さな異常なら、その場で直せる。
「これ、巡回車」
ニナが言った。
「そうなるな」
「なまえ、ニナ号」
「そのままだな」
「分かりやすい」
「成る程」
◇
職人区画の給水タンクを確認したところで、問題がはっきりした。
「当然だが、今は減ってない」
「誰も住んでおらぬからな」
こびゃっこが言う。
「だが職人が来れば?」
「減る」
ニナが答える。
「近衛も来れば?」
「もっと減る」
「厨房は?」
「いっぱい使う」
「そういうことだな」
俺はタンクを見上げた。
「3日に一回どころか、使用量によっては毎日どこかへ水を補充することになる」
「おっちゃん、みずのひと?」
「それは嫌だな」
「なんでもの、みずけい」
「また系統分けされた」
こびゃっこが腕を組む。
「ならば、そろそろ水路を考える頃じゃの」
「水路?」
「先代の里じゃ」
俺は顔を上げた。
「しらゆきさんの頃の?」
「うむ」
「どうやって水を回してたんだ?」
こびゃっこは少し遠くを見るような目になった。
「小川じゃ」
「今、畑の近くを流れている?」
「大体同じ流れじゃたな。もっとも、400年も経てば流路は多少変わっておるがの」
俺たちは木陰へ移動し、収納から椅子を出して休憩する。ニナが台帳を閉じ、ユキもふわふわ浮かぶこびゃっこの前へ座った。
「むかしの、おうち?」
「そうじゃ」
こびゃっこは降りて、地面へ木の枝で線を描き始めた。
「小川の上流側へ、取水枡を設けておった」
「取水枡?」
「石で作った小さな溜まりじゃ。大きな枝や石が入りにくいよう格子も付けた」
「なるほど」
「そこから用水路を分けた」
地面の線が枝分かれする。
「畑。田んぼ。住居。診療所。共同炊事場。風呂場。洗濯場」
「そこまで全部?」
「全部じゃ」
「かなり本格的だな」
「宗一郎が考えた」
「医者なのに?」
「医者だからこそじゃ」
こびゃっこは即答した。
「清い水が病を減らす。それを宗一郎は何度も言っておった」
「確かに」
「じゃが宗一郎は、スキルの知識はあったが、水路を掘る専門家ではなかった」
「そこで職人か」
「うむ。ドワーフの鍛冶師、石工、木工職人、それに水路を知る者たちで作った」
ニナが食いついた。
「鉄も使った?」
「水車軸。水門金具。格子。管の継ぎ手。ポンプの一部」
「ポンプまで?」
「手押し式じゃがの」
俺は感心した。明治初期の日本から来た医師。昭和後期から平成初期の日本を知る神使。それに、この世界の職人。三者が知識を持ち寄った。
結果として、かなり近代的な生活用水システムを作っていたらしい。
「各住居へ直接、水路が入ってたのか?」
「いや」
こびゃっこが首を振る。
「水車を使って水を汲み上げておった」
「水車?」
「用水路の流れを使い、各区画の高い位置へ水を上げる」
「高架水槽か」
「そうじゃ」
こびゃっこが前足を上げる。
「大きな木桶や、後には金属を組み合わせた水槽じゃ。そこへ一度貯める」
「そこから重力で配管?」
「その言い方は宗一郎もしておった。高い所から低い所へ流す。魔法を使わずとも水は勝手に下りる、と」
「完全に簡易上水道だ」
「じょうすいどう?」
ユキが聞く。
「きれいな水を家まで届ける仕組みだ」
「おみずの、みち?」
「ああ。水の道だな」
「むれの、みずのみち」
「それでいい」
こびゃっこが続ける。
「取水枡には鳥居印を刻んでおった」
「そこで浄化する?」
「うむ。びゃっこか、しらゆきが定期的に神気を入れる」
「高架水槽も?」
「そこにもじゃ」
「なるほど、二重か」
「念には念をじゃ」
飲み水の入口で浄化。さらに配水前にも浄化。それならかなり安全性が上がる。
「排水は?」
俺が聞いた。
「別水路じゃ」
「用水と分けてた?」
「当然じゃ。宗一郎が最も厳しく言っておったところじゃぞ」
「そうだよな」
「台所、洗濯場、風呂から出た水は排水枡へ。トイレも水洗化して汚水枡へ」
「そこも分けた?」
「一度は分ける」
「その後は?」
「それぞれの枡へ浄化神気を定着させておった」
「なるほど」
「十分に浄化した後、排水用水路へ流す。最後は里より下流で、小川へ戻した」
「かなり合理的だな」
「しらゆきが少女神になってからは、ほぼ完全に清水へ戻せた」
俺はユキを見る。
「ユキも、そのうちできる?」
こびゃっこが答える。
「あと一段じゃ」
「神格四段?」
「うむ」
ユキが自分を指差す。
「ユキ、あとひとつ?」
「焦らんでよいぞ」
こびゃっこが優しく言う。
「神格は階段競争ではない」
「うん」
「じゃが四段になれば、今より浄化が強くなる。生活排水や汚水でも、排水枡で神気を通せば、雨水とほぼ変わらぬ状態まで一気に戻せるじゃろう」
「昔の用水路は、どんな感じだった?」
俺が聞く。こびゃっこは少し笑った。
「綺麗じゃったぞ」
「綺麗?」
「石造りじゃ」
前足で水路の幅を示す。
「主要水路は人が跨ぐには少し広い程度。場所によってはもっと広かった。底も側面も石を組み、流れが速くなりすぎぬよう段差を作った」
「魚もいた?」
「いたぞ」
畑の仕事が終わったトトが、三輪自転車で来ていた。
「魚?」
「用水路へ小魚が入り込んで泳いでおった」
トトの目が輝く。
「家のそば?」
「うむ。子供が橋の上から魚を見ておった」
「描きたい」
「まだないぞ」
「昔の、描く」
「こびゃっこに聞いて描けばいい」
こびゃっこは胸を張った。
「よかろう。歴史監修じゃ」
「さすが本職だな」
「もっと敬え」
「今ちょっと敬っただろ」
こびゃっこは遠くの湖を見る。
「里の中を水が流れておった」
「水の都みたいだな」
「そのようなものじゃ」
小さな声だった。
「朝になれば、水車が回る音がした。洗濯場では娘たちが話しておる。田へ水が流れる。畑の脇では子供が魚を追う。診療所の前にも細い水路があり、宗一郎が薬草を洗っておった」
420年前。今はもうない里。こびゃっこが守り、最後には自分を犠牲にして逃がした場所。今ここにあるのは、その跡地というより、新しく始まった別の暮らしだ。
「ありがとう。参考にさせてもらう」
俺は言った。
「そのままの再現じゃなくて.....」
「うむ」
「今の俺たちに合う形で作ろうと思う」
「うむ。それがよい」
ユキが言う。
「むかしの、おうちと、いまの、おうち、おなじ?」
「違う」
俺が答える。
「でも今も使えるものは、教えてもらう」
「つなぐ?」
「うん?」
「みずのみち、つなぐ」
「ああ。そうだな」
こびゃっこは、嬉しそうに少しだけ目を細めた。
◇
その日の工事は、新厨房から始めることにした。
まず位置。既存食堂タープの北側。住居ユニット群から見れば東側、つまり湖側だ。
今ある厨房タープの設備はいずれ撤去し、そちらも食堂として使う。新厨房は8坪。約16畳。将来、もっと大きなウッドデッキ食堂を作った時には、厨房ユニット自体をデッキ側へ移す予定だ。
「移動する前提なの?」
リーファが聞く。
「ああ」
「なら基礎は?」
「今回は再配置可能なコンクリートブロックで支持する。将来は鉄骨架台の上へ載せる」
「鉄骨?」
ドランが反応した。
「食堂デッキと厨房の高さを合わせる。厨房の下へ配管と点検スペースを取れるようにする」
「ほう」
「今日はそこまで作らないぞ」
「分かっておる」
「目が作る気になってる」
「将来の話じゃ」
ニナも横でメモしている。
「鉄骨架台」
「今は書かなくていい」
「あとで作る」
「まあ、それならいい」
現地を再測量する。既存食堂との距離。住居への臭い。湖側への景観。診療所との離隔。食材搬入動線。将来のウッドデッキとの位置。そして何より給排水。
「ここ」
ニナが測量杭の横へ立つ。
「東側、野菜洗うところ」
「そう。畑の土付き野菜はこっちから入れる」
「出来た料理は?」
「南側の受け渡し」
「交差しない」
「そのための配置だ」
リリアとミーシャにも見てもらう。
「ヒカルさん、大きな鍋を洗う場所はこちらですか?」
「北側へ深型シンクを入れる」
「野菜用とは分ける?」
ミーシャが聞く。
「分ける。土付き野菜を洗ったシンクで食器を洗わない」
「手は?」
「専用手洗いを入口付近」
「冷蔵庫は?」
「西側壁面」
「食材置くところは?」
「食品庫を分ける」
質問が多い。でも、使う人間から質問が出るのはいいことだ。
この辺りは元々、平坦で整地の必要も無いので、コンクリートブロックを、ニナと水平を取りながら、ドランと設置して、早速、配置展開へ切り替える。地面へ半透明の厨房ユニットが現れる。
「おお」
俺のスキルを視覚出来るユキが、青ライン入り監督ヘルメットの下から見上げる。
「すけすけの、ごはんのおうち」
「まだ配置前だからな」
「かべ、あるけど、ない」
「そういう状態だ」
位置を少しずつ動かす。北へ30センチ。東へ20センチ。入口前の通路を確保して、将来デッキを作る方向へ余白を残す。他の皆んなは配置展開が見えないので、俺は皆に最終確認をする。
「皆んな、この位置で厨房を出すぞ。それぞれ確認してくれ。まず、ニナ。杭」
「合ってる」
「ガラン。通路は」
「大丈夫だ。警備動線を邪魔していない」
「リーファ。湖側」
「夜の灯りが水面へ直接出すぎないようにすれば問題ないわ」
「リリア」
「食堂から遠すぎません。かえって今より動きやすいと思います」
「よし」
全員を退避させる。
「配置するぞ」
「はい!」
監督様の返事が一番大きい。確定。半透明だった厨房ユニットが実体化した。地面の支持部へ静かに重量が乗る。
「まだ入るなよ」
ユキが一歩出かけて止まる。
「りょーかい」
「ニナも」
「分かった」
配置展開は、あくまでも置くだけだ。そこから人間が確認する。水平と支持。外壁。ドア。窓。床。換気口。給排水接続口。ガス設備予定位置。電源盤。
「水平、良し」
ニナが水平器を見る。
「支持部、浮きなしじゃ」
ドランがしゃがみ込む。
「入口も問題ない」
ガランが扉を開閉する。俺は床のたわみと排水勾配を確認。
「よし。配置完了」
「ごはんのおうち、できた?」
「箱だけな」
「まだ?」
「中を使えるようにする仕事が残ってる」
「いっぱい?」
「いっぱい」
「おっちゃん、うれしい?」
「なんで?」
「いっぱい、しごと」
「俺を仕事中毒扱いするな」
ユキはこくこく頷いた。
「おっちゃん、だいじょうぶ」
「何がだ」
「しごと、あるから」
「その判断でいいのか?」
◇
次は給水タンクだった。新厨房は既存より使用量が増える。人数が増えれば、料理、手洗い、食材洗浄、食器洗浄だけでかなりの水を使う。俺は大容量の食品衛生対応給水タンクを購入し、専用の架台に設置した。
「でかい」
ニナが言う。
「厨房用だからな」
「これも3日?」
「何とも言えないが、今後の人数なら、これくらいを基準にしようと思う。ただし実際の使用量を台帳で見て調整する」
タンクの側面へ、耐候性塗料で鳥居形の印を描く。ユキが近づいた。
「ユキの?」
「ああ」
「おみず、きれいにする?」
「頼めるか?」
「できる」
ユキは両手を鳥居印へ当てた。白い光が、ごく淡く広がる。派手ではないが、空気が少しだけ澄んだように感じる。水を入れる前のタンクそのものへ、浄化神気を定着させた。
こびゃっこも横から確認した。
「よいぞ」
「どのくらい持つ?」
「今の状態なら半年ほどじゃ」
「じゃあ台帳へ半年後の再確認予定を書こう」
「書く」
ニナがすぐ記入する。
「ただし半年放置じゃないぞ。水質は定期的に見る」
「分かってる」
俺は一旦タンクを収納し、湖岸で発電機とポンプを使って給水する。給水後、架台に再度設置し鑑定する。
◇
【鑑定結果】
名称:厨房用給水タンク
状態:良好
用途:飲料・調理・手洗い用
水質:飲用適
異物:なし
微生物汚染:問題なし
浄化神気:正常
付与者:白狐神ユキ
推定有効期間:約6か月
備考:使用量増加時は給水頻度に注意
◇
「よし正常だな」
ユキは胸を張った。
「ユキ、おみずのかんとくもできる」
「ユキとしてはそっちが本職に近いんじゃないか?」
「ユキ、かんとくさま」
「そこへ戻るんだな」
こびゃっこが前足を上げる。
「びゃっこも巡回するので問題ないぞ」
「そうだったな。助かる」
「各給水タンクへ神気を追加し、鳥居印の状態も見る」
「それなら俺の鑑定と二重確認になるな。こびゃっこは不定期の巡回でいいぞ」
「分かったのじゃ。ただし」
「何だ?」
「巡回車両としてミミ号を――」
「徒歩か浮遊で行け」
「なぜじゃ!」
「給水巡回で直管コールされたくない」
「神聖なる水道巡回じゃぞ!」
「ミミに乗って巡回してもいいが、暴走行為は禁止な」
◇
夕方。新厨房ハウスは、位置決めと設置、固定、給水タンクまで進んだ。
内部設備の本格移設は明日からだ。旧厨房タープの調理設備をいきなり全部外すと、食事を作る場所がなくなる。
だから順番を決める。新厨房側の排水タンク埋設と給排水の配管接続。ソーラーパネルと電源の設置。換気扇。給湯。冷蔵庫。調理台。シンク。ガス。最終的な安全確認。
それで使える状態になってから、旧厨房側を段階的に止める。
「おっちゃん」
「何だ?」
「みずのみち、いつ?」
「まだ図面からだ」
「すぐ、ほる?」
「掘らない」
「ツチノコ、しゅつどう?」
「まだしない」
「むー」
「今日こびゃっこから話を聞いただろ。用水路と排水路は適当に掘ればいいものじゃない」
「だんどり」
「そう」
俺は工事事務所のホワイトボードへ、新しい項目を書いた。
【湖畔上水・排水計画】
まずは小川の測量。取水位置。水量。季節変動。増水時。土砂。凍結。水路勾配。高架水槽。水車。配管。排水処理。汚水処理。下流放流位置。
「仕事が増えたな」
ガランが後ろから言う。
「俺が増やしたんじゃない。人口が増えるから、必然的にこうなる」
こびゃっこがホワイトボードの前へ浮く。
「先代の水路図なら、びゃっこが記憶から大まかに描けるぞ」
「本当か?」
「細かな寸法は無理じゃ。じゃが、流れと区画配置は覚えておる」
「頼む」
「では歴史水利監修主任として――」
「役職は要らない」
「報酬に稲荷寿司を――」
「仕事と報酬交渉を一緒にするな」
「専門家への敬意じゃぞ」
「専門家なのは認める」
「なら稲荷寿司じゃ」
「今度作る」
「契約成立じゃ!」
「簡単な専門家だな」
こびゃっこは満足そうに腕を組んだ。だが、その顔は少し嬉しそうだった。
420年前に消えた水路。水車。高架水槽。石造りの用水路を泳ぐ魚。宗一郎としらゆきと、名も知らない職人たちが作った暮らし。
それを、そのまま復元するつもりはない。今の湖畔には、ソーラーパネルがあって、ポータブル電源がある。樹脂配管があってポンプもある。そして俺の収納があって、ユキとこびゃっこの浄化がある。
昔の知恵と、今の道具。どちらか一方でなくていい。今の白狐神の群れのやり方で作ればいい。
◇
【第86話・収支報告】
異世界生活70日目
日付:五の月29日
オリエント王国歴952年
開始残高:3,179,326pt
今回の購入:
・中古8坪厨房ユニットハウス本体、業務用内装仕様、床排水対応、換気口・給排水接続口付き
18,500pt(約1,850,000円)
・厨房ユニット設置用コンクリート支持平板、固定金具、耐震・転倒防止部材、レベル調整材
1,250pt(約125,000円)
・厨房用大容量食品衛生対応給水タンク、架台、バルブ、給水ホース、残量確認部材
2,200pt(約220,000円)
・厨房用給排水配管、継手、逆止弁、止水栓、保温材、点検口等の先行施工資材
680pt(約68,000円)
・三輪自転車荷台用保護毛布、荷締めゴム、ワゴン牽引用大型カラビナ、補助固定金具
95pt(約9,500円)
・ドラン用三輪自転車荷台改修部材、大型カラビナ、荷締めベルト、工具箱固定具
85pt(約8,500円)
・給水・排水設備巡回用防水台帳、点検札、耐水ペン、残量記録用品
45pt(約4,500円)
今回支出合計:22,855pt(約2,285,500円)
現在残高:
3,179,326pt − 22,855pt = 3,156,471pt
円換算目安:
3,156,471pt × 100円 = 約315,647,100円相当
続く




