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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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75/81

第75話 一方、オリエント王国の職人たちは


 ガランとドランが、マウンテンバイクで王都を出発してから3日が過ぎた。


 王都西区の職人街では、湖畔へ向かう7人の職人たちが、それぞれの工房で旅支度を進めていた。


 大工棟梁グレゴールの工房では、弟子たちが木箱へ鉋、鑿、玄能、墨壺、曲尺を詰めている。


「棟梁。本当に3か月も行くんですか?」


「まずは3か月だ」


「その間、工房はどうするんです」


「副棟梁へ任せる。仕事も選んで受けろ。納期を守れない仕事まで欲張るな」


「棟梁がいないと、親方連中が値切りに来ますよ」


「値切られたら断れ」


「棟梁みたいな顔で断れません」


「どんな顔だ」


「値段を下げろと言った相手を、梁の強度不足を見るような目で見る顔です」


「そんな顔はしていない」


 工房にいた全員が黙った。


「……何だ」


「してます」


「全員で頷くな」


 グレゴールは咳払いし、持っていく道具を改めて確認した。


 手工具一式。替えの鋸刃。砥石。釘。木製の治具。簡易作業台。防水布。図面用の紙と筆記具。


 そして、ドランから見せられた異界の木工ネジを忘れないため、見本として1本だけ小箱へ入れていた。


「湖畔へ着いたら、まずこのネジをもう一度見せてもらう」


「電気ってヤツで回る工具もですか?」


「道具だけを見に行くわけではない」


「でも、決め手はあの工具だったんですよね」


「違う」


「ずっと握っていたと聞きました」


「誰から聞いた」


「職人街中で知っています」


 グレゴールは木箱の蓋を閉じた。


「ドランめ」


 ◇


 その頃、屋根職人ミネットは、自分の工房の屋根へ登っていた。旅に持っていく命綱、腰袋、屋根用金槌、板金鋏を点検するためである。


「ミネット親方! 地上で確認してください!」


 下から弟子が叫ぶ。


「屋根の道具は、屋根で試すのが一番にゃ!」


「旅の前に落ちたら行けなくなりますよ!」


「落ちないにゃ」


「そう言った人が落ちるんです!」


「私は猫族にゃ」


「猫族だって落ちます!」


「その時は頑丈なドランの上に着地するにゃ」


「本当にやりそうだから怖い」


 ミネットは棟の上を軽やかに歩き、命綱の金具を確認した。湖畔には二階建ての職人宿が用意されていると聞いている。さらに、これから大型ガレージや食堂を建設する予定もあるらしい。


「大きな屋根……新しい金具……異界の工具……」


 耳が前へ向く。


「楽しそうにゃ」


「遊びに行くんじゃありませんよ!」


「仕事が楽しいのは良いことにゃ」


「屋根の上へ、あの二輪車を持っていかないでくださいね」


「…持っていかないにゃ」


 返事が少し遅かった。弟子は不安そうに空を見上げる。


 ◇


 内装職人エリオットの工房では、旅へ持っていく色見本の選定が難航していた。


「多すぎませんか」


 助手が床へ積まれた見本帳を見る。


「少ないくらいだ」


「壁だけで12種類あります」


「下地、仕上げ、用途が違う」


「床材の見本が8種類」


「水場、食堂、宿泊棟、事務所では条件が違う」


「金具の色見本まで必要ですか?」


「必要だ。黒い蝶番と銀色の蝶番では、扉の印象が変わる」


「湖畔には、まだ壁も扉もない建物が多いのでしょう?」


「だから選べる」


 エリオットは、薄い木目の板と濃い木目の板を見比べた。


「異界人のヒカルは、必要なら多くの材料を用意できると聞いた。ならば、使い勝手だけでなく、暮らす者が落ち着く色も考えるべきだ」


「職人宿へ滞在するのは、荒っぽい職人たちですよ」


「荒っぽい職人が、汚い部屋で暮らしたいとは限らない」


「掃除しますかね」


「掃除する仕組みまで作ればいい」


「内装職人の仕事ですか?」


「住みやすさを考えるのも内装だ」


 助手は感心したように頷いた。ただし、その直後、エリオットが真剣な顔で言った。


「食堂の椅子も、全部同じ色にする必要はない」


「そこもですか?」


「重要だ」


 ◇


 鍛冶師ボルガの工房では、火床の前に金属音が響いていた。ボルガは、自分が留守の間に使う工具の配置を、弟子へ叩き込んでいる。


「大槌はここ。小槌はここ。焼き入れ用の桶を材料置き場へ動かすな」


「分かっています」


「前にも分かったと言った奴が、火箸を薪箱へ入れた」


「あれは兄弟子です」


「同じ工房なら全員の失敗だ」


「厳しくありませんか?」


「火と鉄を扱う場所で、誰か一人の失敗だから知らないでは済まない」


 ボルガは持参する工具箱を開いた。中には金槌、鏨、やすり、測定具、金属用の小鋸、簡易補修道具が収まっている。


 大型の鍛造道具までは持っていけない。現地の設備を見てから、必要な物をヒカルと相談するつもりだった。


「おそらく火床ほど ふいご羽口はぐちもないんだろうね」


「異界の工具を見たら、すぐ分解しないでくださいよ」


 弟子が言う。


「誰が分解するって?」


「ひとりでに回る工具を見た時、目が完全に分解する目だったと聞きました」


「構造を知るには、中を見るのが早いよ」


「借り物を壊したらどうするんです」


「元へ戻す」


「戻せなかった時は?」


「その時は新しい物を作るさ」


「作れるか分からない物を分解しないでください!」


 ボルガは不満そうに鼻を鳴らした。


「持ち主へ許可は取るさ」


「許可を断られたら?」


「毎日頼む」


「それもやめてください」


 ◇


 狐族の兄弟、カイルとレイルは、王都の水路管理所で古い地形図を広げていた。


「湖東側までは街道がある」


 兄のカイルが指を滑らせる。


「そこから先は?」


 弟のレイルが尋ねる。


「巨大湖の南岸を西へ進む。ガランの話では、湖東側で迎えと合流する予定だ」


「湖畔の近くには小川があると言っていたな」


「ああ。橋も必要になると言っていた」


「俺たちが着くまでに、異界人が作っていたりして」


「まさか」


「住居も診療所も祠も、一人で作ったんだろ?」


「一人だけではない。仲間もいる」


「でも、掘る鉄の機械がある」


「ツチノコとかいう機械だ」


「変な名前だ」


「幼い白狐神が付けたそうだ」


「それなら仕方ない」


 兄弟は自然に納得した。


「畑を作るなら小川から取水するだろ。畑の位置と高低差を見たい」


「生活排水先もだな。湖へ直接流すのは避けた方がいい」


「土質も確認したい」


「水が豊富な場所ほど、水の逃がし方を間違えると困るからな」


「仕事が多そうだ」


「楽しそうだな」


 二人の狐耳が、同時に前へ向いた。


 ◇


 石工バドルの準備は、ほかの職人より静かだった。工房の隅で、大小の石鑿を布へ包み、木箱へ収める。


 槌を2本。石の面を整える道具。割る方向を見極めるための小槌。測り縄。水平を見る水管。必要最低限だった。


「親方。もっと持っていかなくていいんですか?」


 弟子が尋ねる。


「石を見てからだ」


「現地に使える石がなかったら?」


「運ぶ方法を考える」


「良い石があったら?」


「使い方を考える」


「変わった石があったら?」


「一日見る」


「一日も?」


「石を知らずに割れば、ただの破壊だ」


 バドルは箱の蓋を閉じた。


「白狐神の里に使われていた石が残っているかもしれん」


「420年前の里は消えたのでしょう?」


「地面までは消えていないと思うが」


 バドルの黒髭の奥で、口元がわずかに動いた。


「石は、人より長く覚えている」


  ◇


 職人たちがそれぞれ準備を進める一方、護衛を担当するAランクチーム《蒼岩の盾》も、王都のハンターギルドで装備を確認していた。


 重盾戦士オルフェンは、馬車の護衛配置図を作っている。


「職人7人。荷馬車2台。食料用馬車1台。俺たち4人」


 犬族の槍使いセルドが図を覗き込む。


「先頭は俺が行きます」


「斥候はナージャだ」


「戦闘になった時の先頭です」


「街道で魔物を見つけたら、まず避けられるかを考える」


「倒せるなら倒した方が早いでしょう」


「職人を連れている。討伐依頼ではない」


 猫族の斥候ナージャが椅子の背へ逆向きに座り、尻尾を揺らした。


「セルドは、白狐神の里へ行くから張り切ってるのよ」


「張り切っていません」


「白狐神へ格好良いところを見せたい?」


「違う!」


「幼い女の子らしいわよ」


「神だぞ!」


「本人は『ユキはユキ』って言うらしいけど」


「どう接すればいいんだ……」


 セルドの犬耳が不安そうに下がる。エルフの魔術師フィンも、同じ悩みを抱えていた。


「神殿式の礼をすると嫌がられる。敬称を付けても嫌がられる。だからといって普通の子供として接するのも、畏れ多い」


「普通に接すればいい」


 オルフェンが言う。


「それが一番難しいんです」


「ガラン先輩が言っただろ。特別扱いしない。子供同士で食べ物の数を変えない。危険な時は大人が守る」


「白狐神を、私たちが守るのですか?」


「白狐神だから守るんじゃない。子供だから守る」


 3人がオルフェンを見る。


「ガラン先輩の受け売りだ」


「良い言葉ですね」


「そうだな」


 ナージャが笑う。


「それで、現地へ着いたら、異界の二輪車へ乗せてもらえるのよね?」


「任務を忘れるな」


「忘れてないわ。警備巡回に使えるか確認するのも任務よ」


「今考えただろう」


「でも、間違ってはいない」



  ◇


 旅の準備は順調に進んでいた。問題があるとすれば、職人7人と護衛4人、合わせて11人分の食事である。


 王都から湖東側まで、およそ2週間。街道沿いの宿場を利用できる区間もあるが、野営が必要な日も多い。


 職人たちは自分たちで食事を作れると言った。護衛チームも野営料理には慣れている。


 だが、料理ができることと、11人分を毎日作り、食材を管理し、移動時間に合わせて準備することは別だった。


 その問題へ最初に気づいたのは、《槌と麦酒亭》の料理人マルタだった。


 ガランとドランが職人を勧誘した夜、マルタは厨房にいた。犬族の30代女性で、酒場の厨房を長く任されている。


 肉の焼き加減、煮込み料理、保存食、パンに合う濃い味の料理を得意としていた。忙しい時間でも注文を忘れず、酔客が厨房へ入ろうとすれば、包丁を置いてから首根っこを掴んで追い出す。


 職人街では、料理の腕と同じくらい、声の大きさでも知られていた。


「その箱は何だい!」


 出発準備の確認に《槌と麦酒亭》へ集まった職人たちへ、厨房からマルタの声が飛ぶ。


「工具だ」


 グレゴールが答える。


「こっちは?」


「寝具にゃ」


 ミネットが答える。


「そこの樽は?」


「酒だ」


 ボルガが答えた。


「食料より酒の方が多いじゃないか!」


「酒は保存が利く」


「飲んだらなくなるだろう!」


 マルタは腰へ手を当て、卓上の荷物を見回した。


「2週間の旅だって聞いたよ。誰が食事を作るんだい」


「交代で作る」


 カイルが答えた。


「何を?」


「干し肉と豆を煮る」


「毎日かい?」


「パンもある」


「固いパン、干し肉、豆。次の日も固いパン、干し肉、豆。その次も?」


「チーズを足す」


「それで工夫したつもりかい!」


 職人たちが黙った。続けてマルタは《蒼岩の盾》の4人を見る。


「あんたたちは?」


「野営料理はできます」


 オルフェンが答えた。


「何を作る」


「干し肉と豆のスープを」


「職人と同じじゃないか!」


「携帯食もあります」


「固いパンだろ!」


 マルタの声に、犬耳がぴんと立っている。


「11人分の水と食料を管理して、朝に出発できる時間までに食べさせて、昼は移動しながら食べられる物を用意して、夜は火を起こして、鍋を洗って、翌日の分を確認する。誰がやるんだい」


 誰も答えない。


「交代で、なんて言う奴らは、だいたい3日目に順番でもめるんだよ!」


「では、当番表を作る」


 グレゴールが言う。


「疲れて帰ってきた大工へ、11人分の豆を煮ろと言うのかい?」


「俺たちの飯だ」


「翌日の仕事へ響いたらどうする!」


「だが、料理人を雇う余裕はないぞ」


 エリオットが言った。


「王国からの依頼は護衛と移動費が中心だ。同行料理人の料金まで、話には入っていない」


「料金を払えとは言ってないよ」


 マルタが答えた。


「……何?」


「私が行く」


 酒場が静まった。ボルガが杯を置く。


「何と言った?」


「聞こえなかったのかい。私が湖畔まで同行する」


「店はどうするんじゃ」


 バドルが酒場の奥を見る。


「それは今から親父さんと話す」


「なぜ、そこまで?」


 グレゴールが尋ねると、マルタは腕を組んだ。


「米だよ」


 その一言で、職人たちの何人かが頷いた。


 ガランとドランが王へ報告した後、白狐神の里には米があるという話が、王都の料理人や酒造り職人の間へ急速に広まっていた。


 米。古い料理書、神殿の記録、王家の宴席記録にだけ残る食材。白く炊けば柔らかく、魚や肉と合い、酢や酒とも相性が良い。


 粉にして菓子を作り、発酵させれば酒にもなる。料理人なら、一度は古い文献で読んだことがある。だが、実物を見た者はいない。


「本当に米があるかは分からないぞ」


 グレゴールが言う。


「王が口にした日本酒とやらが、米から作られていたんだろう?」


「ドランは、湖畔で白い飯を何度も食ったと言っていた」


「握った米、酢を混ぜた米、肉を載せた米、卵と炒めた米」


 マルタの尻尾が、わずかに動いた。


「料理人へそんな話をして、じっと店で待っていろって方が無理だよ」


「湖畔に米を食べに行くのかにゃ?」


 ミネットが聞く。


「学びに行くんだよ!」


「耳が前を向いてるにゃ」


「犬族は興味があると、耳が前へ向くんだ!」


「認めてるにゃ」


 マルタはミネットを睨んだ。


「米だけじゃない。異界人のヒカルは、こっちにない調味料や保存食を持っているらしい。酒場の料理へ使える物があるかもしれない」


「缶に入った焼き鳥は美味かった」


 エリオットが言う。


「あれも気になる。肉を柔らかくしたまま長く保存できるなら、旅の食事にも使える」


「チョコレートという菓子もあるそうだ」


「甘いだけじゃなく、苦味と香りがあると聞いたよ」


「日本酒もある」


 ボルガが付け加える。


「それは料理より、あんたが飲みたいだけだろ」


「料理酒としても使えるだろ」


「杯で味見する気だね」


「量を変えて比較する」


「飲み比べじゃないか!」


 マルタは、職人たちの荷物を指した。


「表向きは、職人と護衛チームの同行料理人。それなら旅の間、食事の段取りを私が引き受けるよ」


「それは有難いが、ただ働きするつもりか?」


 オルフェンが尋ねる。


「同行料理人としての料金は要らない。その代わり、食材は職人側と護衛側で分けて出してもらうよ」


「マルタ。自分の食料は?」


「当然私も食べるんだから、自分の分は自分で出す」


「調理道具の運搬は?」


「食料用馬車へ載せる。鍋と包丁、まな板、保存容器、香辛料。増える荷物はその分だけだ」


「湖畔へ着いた後はどうする」


 グレゴールが尋ねた。


「一応、3か月滞在する。職人たちが働いている間、湖畔の料理人として手伝うよ」


「現地には、料理をする者がいるそうだぞ」


「聞いてるよ。でも人数が増えるなら、料理する手も増やすべきだろ」


 マルタの声が少し低くなる。


「白狐神の里には、元奴隷の若い女性や子供もいると聞いた。職人や護衛が増えたからって、その人たちへ全部の飯を作らせるのは酷ってもんだろ」


 職人たちの表情が引き締まった。


「その通りだ」


 グレゴールが頷く。


「俺たちは仕事をしに行く。世話をされに行くわけではない」


「なら決まりだ。食事当番や片付け当番は必要だけど、献立と食材管理、火の扱いは私が中心になる」


「湖畔での給金はどうする」


「ヒカルって人と交渉する」


「何を求める?」


「新しい料理を教えてもらうこと」


「金ではないのか?」


「料理人にとって、知らない料理と技術は財産だよ」


 マルタは指を1本立てる。


「それから、米や異界の調味料、食材を、この店へ有償で融通してもらえないか相談する」


「有償?」


「当たり前だろ。白狐神の里だからって、食材をただで寄越せとは言えない。向こうが必要とする物や王国の通貨、こっちの食材との交換も含めて話す」


「ヒカルは王国の通貨を持っていないと聞いたぞ」


「だから交渉するんだよ。店で使える新しいメニューを教えてもらい、こちらからは王都の香辛料、酒、乾燥豆、チーズ、肉を持ち込めるかもしれない」


「商売まで考えておるのか」


 バドルが言う。


「店へ戻った後のことを考えず、3か月も出張できるかい」


 マルタは酒場の奥を振り返った。


「問題は、親父さんが許すかどうかだね」


 《槌と麦酒亭》の店主は、厨房裏の帳場で仕入れ台帳を見ていた。マルタが話を持ちかけると、店主は最初、聞き間違いだと思った。


「3か月?」


「湖畔までの往復を入れれば、もう少しかかるかもしれない」


「うちの料理人が?」


「他にも料理人はいるだろ」


「夜の一番忙しい時間を誰が回す」


「副料理長のダン。肉料理はもう任せられる。昼はセラ。仕込みは新人2人を増やす」


「勝手に人員を決めるな」


「親父さんが決めると、いつも採用を先延ばしにするからだよ」


「給金が増える」


「新しい料理が増えれば客も増える」


「確実なのか?」


「確実な商売なんてあるかい」


 マルタは帳場の机へ、古い料理書を置いた。何度も読まれた革表紙の本だった。開いたページには、古代オリエント王国の宴席料理が記されている。


 白き穀物を蒸し、魚と食す。

 酢と塩を合わせ、神使へ供える。

 肉汁を染み込ませた白き飯。

 米酒を使った煮物。


 詳細な作り方は失われ、材料名だけが残っている。


「料理人なら、誰でも一度は読んだことがある」


「昔の話だ」


「その昔の食材が、湖畔にあるかもしれない」


「本当に米ならな」


「だから見に行く」


「店を空けて?」


「店のために行くんだよ」


 マルタは別の紙を取り出した。出張中の厨房体制。仕込み担当。肉料理担当。パンとスープ。


 休日の交代表。不足している人員の臨時雇用費。マルタがいない間に減らせる仕入れ。旅から戻った後に試す新メニューの案。


 店主は紙を受け取り、しばらく黙って読んだ。


「いつ作った」


「昨夜」


「最初から行くつもりだったな」


「相談するための準備だよ」


「相談というより、俺の逃げ道を塞いでいる」


「職人街で長く働くと、段取りを覚えるんだ」


「はあ。異界人と気が合うかもな」


 店主は大きく息を吐いた。


「だが、同行料理人として料金を取らないのは駄目だ」


「食材を出してもらえればいい」


「店の料理人を出張させるんだ。安売りするな」


「でも、職人も護衛も余分な金はないよ」


「なら店が出張費を払う」


 今度はマルタが黙った。


「親父さん?」


「有給の出張扱いだ」


「本気かい」


「店のために行くと言ったのは、お前だろ」


「そうだけど」


「本当に米や新しい調味料が手に入り、新しい料理を覚えられるなら、《槌と麦酒亭》にとって価値がある」


 店主は指を突きつけた。


「ただし条件がある」


「何だい」


「向こうの食材を、勝手に持ち帰るな。必ずヒカルって人と話をつけろ」


「もちろんだ」


「それと白狐神の名前を商売へ勝手に使うつもりは無いからな。そもそも軽々しく口に出来る存在じゃない」


「もちろんだよ。分かってる」


「作り方を教わった料理が、外へ出してよい物か確認しろ」


「ああ」


「酒の研究だと言って、ドワーフ連中と飲み潰れるな」


「私は料理人だよ!」


「犬族も酒を飲む」


「ボルガやドランと一緒にするな!」


 店主は笑い、出張承認の紙へ署名した。


「行ってこい、マルタ」


 マルタは紙を受け取った。


「……ありがとう、親父さん」


「米を持って帰れとは言わん」


「交渉はするよ」


「あまり向こうに無理を言うな」


「分かってる」


「だが、本当に手に入るなら」


 店主は少しだけ身を乗り出した。


「一番最初に、俺へ食わせろ」


「なんだい結局、食べたいんじゃないか!」


「料理店の主人だからな。味を知らずに売れるか」


「料理人は、全員同じだね」


 マルタの同行が決まると、旅の準備は一気に現実的になった。食料は職人側と《蒼岩の盾》側で人数に応じて負担する。


 パン。干し肉。塩漬け肉。豆。乾燥野菜。チーズ。卵。香辛料。油。保存の利く果物。途中の宿場では、新鮮な野菜と肉を買い足す。


 朝は短時間で食べられるスープとパン。昼は移動を止めずに食べられる包み料理や、肉とチーズを挟んだパン。

夜は野営地で温かい煮込みを作る。


「毎日同じ味にはしないよ」


 マルタが宣言した。


「豆の煮込みだけでも、塩味、香草、酸味のある野菜、燻製肉で変えられる」


「酒煮も頼む」


 ボルガが言う。


「仕事の前日に強い酒煮はしない」


「火を通せば酒は飛ぶ」


「全部は飛ばないよ」


「研究が必要だ」


「あんたは飲みたいだけだろ!」


 荷馬車の配置も変わった。1台目は職人の工具と寝具。2台目は重い資材と予備部品。3台目は食料、調理道具、水樽、簡易かまど。


 マルタは調理用馬車の積載表を作り、食材の位置を決めた。


「よく使う塩と油は手前。鍋は下。乾燥食材は水から離す。生肉を買った日は、ほかの食材と箱を分ける」


 ナージャが感心する。


「野営の食事が、ここまで管理されるのは初めて」


「体調を崩したら、護衛も仕事にならないだろ」


「私たちは多少悪くても動けるわ」


「その多少を放っておくと倒れるんだよ」


 セルドが犬耳を動かした。


「同じ犬族として、厳しくありませんか」


「犬族だから厳しいんだ。悪くなった食べ物を、匂いで分かるから大丈夫なんて言う奴が多い」


「分かりますよ」


「分かっても食べるだろ」


「少しくらいなら」


「ほら見な!」


 オルフェンが即座に言った。


「食料判断はマルタへ従う。これは隊の規則にする」


「隊長!」


「腹を壊した槍使いを護衛に数えられない」


 出発前日。職人7人、《蒼岩の盾》4人、同行料理人マルタが、《槌と麦酒亭》へ集まった。合計12人。店主から、最後の確認と壮行の食事が振る舞われる。


 大鍋の肉煮込み。焼きたてのパン。腸詰め。酢漬け野菜。麦酒。ただし、翌朝出発するため酒は1人2杯までと、マルタが決めた。


「壮行会なのに2杯だけか」


 ボルガが不満を漏らす。


「明日の朝、自分で歩ける量だ」


「3杯でも歩ける」


「真っすぐかい?」


「道が曲がっていることもある」


「酒のせいだよ!」


 グレゴールが全員を見回す。


「湖畔へ行く目的を確認する」


「仕事にゃ」


 ミネットが言う。


「新しい材料と技術を学ぶ」


 エリオット。


「異界の工具を見る」


 ボルガ。


「水路と排水を作る」


 カイル。


「道もだ」


 レイル。


「石を見る」


 バドル。


「白狐神の新しい里で、必要な物を作る」


 最後にグレゴールが言った。オルフェンも続ける。


「俺たちは移動中の護衛と、湖畔での共同警備。現地ではヒカルの方針に従う」


「白狐神ユキを特別扱いしすぎない」


 フィンが緊張した顔で言う。


「子供として守る」


 セルド。


「二輪車へ乗るわ」


 ナージャ。


「最後は任務ではない」


 オルフェンが訂正した。


「マルタは?」


 ミネットが尋ねる。


 全員の視線が、犬族の料理人へ集まった。


 マルタは腕を組む。


「道中、全員へ食事を出す。食材を無駄にしない。腹を壊させない。湖畔では、人数が増えても現地の女性や子供だけへ料理を押しつけない」


 そこで一度言葉を切った。


「それから、米を見る」


「やはり最後は米にゃ」


「料理人なら当然だよ!」


「新しい料理も?」


「教えてもらえるなら、何でも覚える」


「異界の調味料も?」


「有償で融通してもらえないか交渉する」


「日本酒も?」


 ボルガが聞く。


「料理用だ」


「飲用も?」


「交渉内容へ勝手に足すな!」


 笑いが起きた。


 翌朝。王都東門の外へ、馬車3台が並んだ。職人たちは家族や弟子へ見送られ、《蒼岩の盾》は装備を整え、マルタは最後まで食料箱の固定を確認している。


「塩の箱、動くよ!」


「縄を締め直す!」


「水樽の栓は?」


「確認済み!」


「鍋が鳴ってる!」


「布を挟む!」


「出発前から料理長に支配されているな」


 エリオットが言った。


「食事を任せるとは、そういうことだ」


 グレゴールが答える。マルタは調理用馬車の御者台へ上がった。


「全員いるね!」


「職人7人、確認」


「護衛4人、確認」


「料理人1人、確認」


「合計12人」


 カイルが人数を数える。


「湖畔まで、およそ2週間」


 オルフェンが前方の街道を見る。


「湖東側の中継地点で、迎えと合流する。魔物との戦闘は避けられるなら避ける。職人と荷物を無事に届けることを優先する」


「了解」


 王都の門が開いた。先頭にはナージャとセルド。中央に3台の馬車。後方をオルフェンとフィンが守る。


 馬車がゆっくり動き始める。マルタは振り返り、《槌と麦酒亭》の店主へ大きく手を振った。


「行ってくるよ!」


「店を忘れるなよ!」


「新しい料理を持って帰る!」


「米がなくても帰ってこい!」


「縁起でもないことを言うな!」


 職人たちが笑う。街道の先には、まだ誰も見たことのない湖畔の里がある。異界の工具。新しい工法。白狐神ユキ。空を飛ぶ守護神使。湖。森。そして、白く炊き上がるという伝説の穀物。


「米……」


 マルタが小さく呟く。


「耳が前を向いてるにゃ」


 隣の馬車からミネットが言った。


「前を見ているだけだよ!」


「尻尾も振れてるにゃ」


「馬車が揺れてるんだ!」


「楽しみなんだろ」


 グレゴールが言う。マルタは一瞬黙り、やがて笑った。


「ああ。楽しみだよ」


 料理人が、まだ見たことのない食材へ胸を躍らせる。職人が、新しい技術を求める。護衛が、守るべき新たな場所へ向かう。


 ガランとドランが先に走り去った街道を、今度は12人と3台の馬車が東へ進んでいく。


 この時、彼らはまだ知らなかった。


 湖畔では、ガランとドランが出発した時には存在しなかった畑、橋、道路、二階建て職人宿がすでに完成している。


 工事事務所には、動く映像を映す黒い板があり、空飛ぶ白狐神使が親指2本ほどのカメラを首から下げている。


 そして料理人マルタが夢にまで見た米は、伝説の希少食材として保管されているのではない。


 朝食の茶碗へ盛られ、おにぎりになり、炒飯になり、稲荷寿司になり、時には白狐神から、


「おにく、のせて」


 と要求される、湖畔の日常そのものだった。それを知った時、職人たちより大きな声を上げるのが、ドランではなくマルタになる可能性を――今はまだ、誰も知らない。


続く


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