第67話 白狐神、職人の宿を建てる
異世界生活五十四日目。
五の月十三日。
「ぐいぐい……そこじゃ……もっと、みぎなのじゃ……」
俺は、胸元で聞こえる小さな声に目を覚ました。薄暗い住居ユニットの天井。カーテンの隙間から、朝の光が細く差し込んでいる。
「ごろごろ、まっすぐ……かんとくさま、みてる……」
今度は右側から聞こえた。
右腕には、白い大きな尻尾が巻きついている。その持ち主であるユキは、俺の脇へ頭を押し込み、両手で服を掴んだまま眠っていた。
監督様は夢の中でも道路工事をしているらしい。
一方、最初に声を出したこびゃっこは、枕の間へ置いた籐カゴの夜城にはいなかった。
俺の腹の上で仰向けになり、四本の足を宙へ向けている。
「地面ぶるぶる音頭……二番は、酒盛りの場面じゃ……」
二番を作るな。しかも道路工事の作業歌だったはずが、もう酒盛りになっている。
「おい、こびゃっこ」
「むにゃ……びゃっこは音楽監督じゃ……印税の端数は稲荷寿司で払うのじゃ……」
「誰から取る気だ」
「こびゃっこ……むせん、つかっちゃ、だめ……」
ユキが寝言で注意した。
「使わぬ……今度は拡声器で歌うのじゃ……」
「尚更駄目だ」
俺が腹の上のこびゃっこを持ち上げると、前足が一度だけ宙を掻いた。
「昭和が……遠ざかる……」
「朝だぞ」
「む?」
細い目が開く。
「……ヒカル。びゃっこの歌謡祭はどうなった?」
「中止だ」
「惜しいところであった。観客が全員タコさんウインナーじゃった」
「どんな客層だよ」
ユキも、もぞもぞと顔を上げた。
「おっちゃん、おはよう」
「おはよう」
「きょうも、こうじ?」
「ああ。今日は職人宿の予定地を決める」
「ユキ、かんとくさま?」
「安全な場所からな」
「こびゃっこ、おんがくかんとく?」
「今日は重機の音を聞いてもらう。工事中の音楽は禁止だ」
「よかろう。重機の音を指揮するのも、監督の務めじゃ」
「要するに何もしないんだな」
「現場の空気を整えるのじゃ」
便利な言葉を覚えたものだ。俺はユキの尻尾を腕から外し、こびゃっこを籐カゴへ戻した。
今日は道路工事ではない。ガランとドランが職人を連れて帰ってきた時に備え、宿泊棟を設置する。
まずは予定地の確認と、将来拡張を含めた造成からだ。
◇
着替えと洗顔を済ませ、俺たちは食堂タープへ向かった。湖面から朝の風が吹いている。
食堂では、リリアが朝食の準備を進めていた。ミーシャが皿を並べ、トトはコップへ水を注いでいる。
ロクとリーファはすでに起きており、アルノとマリベルも診療所の朝の確認を終えていた。
ニナは食堂の端に置いたラジカセを見ていたが、電源には触れていない。
作業開始前に音楽を流さないという約束を守っている。
こびゃっこもラジカセの前を一度通り過ぎたが、名残惜しそうに振り返るだけだった。
朝食は、パンと目玉焼き、薄切りベーコン、温野菜、コンソメスープ。ユキにはホットミルクもつけた。
畑の野菜はまだ収穫できないため、温野菜はショップで購入した物だ。
「はたけの、おやさい、まだ?」
「まだだ」
「きのうも、まった」
「一日では育たない」
「きょうも、まつ」
「ああ。明日も待つかもしれない」
「ながい」
「だから育った時に嬉しいんだ」
トトが頷いた。
「葉っぱ、大きくなった」
「記録してある?」
「うん。昨日より、少しだけ」
「その少しを積み重ねるのが畑だからな」
朝食後、食堂タープの一角へ歯磨き道具を並べる。白狐柄のコップはユキ。赤い猫柄はミーシャ。野菜柄はトト。工具と車の柄はニナ。
こびゃっこ用には、小さな白い陶器の器と、幼児用の柔らかい歯ブラシを使っている。
「びゃっこは神使ゆえ、虫歯など恐れぬ」
「稲荷寿司を大量に食べる神使ほど磨け」
「酢飯は清浄なる食べ物じゃぞ」
「砂糖も入っている」
「ぐぬぬ」
ユキは鏡の前で、歯ブラシを小刻みに動かす。
「ごしごし、しすぎない」
「そうだ。軽く動かす」
「おくばも」
「忘れるな」
ミーシャとトトも、自分の歯を磨いている。ニナは歯ブラシを持つ角度まで観察していた。
「四十五度」
「毎回、分度器みたいに考えなくていいぞ」
「だいたい、四十五度」
「それでいい」
こびゃっこは前足で歯ブラシを持ち、口の端から泡を出している。
「こちら、びゃっこ。奥歯方面、抵抗激し。援軍を要請する。どうぞ」
「歯ブラシ咥えながら無線訓練するな」
「気分じゃ」
「自分で磨け」
「前足では限界があるのじゃ」
結局、仕上げ磨きを俺がすることになった。千年以上生きた守護神使の歯を、四十歳の独身男が磨く。
異世界へ来る前には、絶対に想像できなかった朝だ。
◇
現在の居住区には、六畳の住居ユニットハウスが五棟並んでいる。その裏手に、洗濯ハウス、風呂場、屋外トイレ、作業倉庫がまとまっている。
この一帯を、既存の生活ブロックと考える。
新しい職人用宿泊棟は、その北側へ三十メートル離して配置することにした。
近すぎれば生活音や人の往来が重なる。離しすぎれば、食堂や風呂への移動が不便になる。
三十メートルなら、別の区画として分けながら、徒歩で無理なく行き来できる。俺は全員を連れ、予定地へ向かった。
「ここから北へ、約三十メートル」
ニナが巻尺を持ち、ロクが先端を支える。
「三十メートル。ここ」
「その辺りを、新しい生活区画の南端にする」
予定地は、低い草が生えた比較的平らな場所だった。東側には湖が見える。その東側、少し離れた場所は、大型ガレージの建設予定地だ。
宿泊棟の外階段の昇降口は、東の湖面側へ向ける。朝に階段を降りれば湖が見える配置だ。同時に、将来ガレージが建った時、職人が宿泊棟から階段を下り、そのまま作業場所へ向かいやすい。
「階段、あっち?」
ユキが湖を指差す。
「ああ。外階段の昇り口は東向きだ」
「おみず、みえる」
「見えるな」
「しょくにん、うれしい?」
「仕事前に湖を眺める余裕があるかは、その人次第だな」
「びゃっこなら、朝酒を飲みながら眺めるのう」
「職人宿を酒場にするな」
俺は収納から測量杭とロープを取り出した。今回設置する宿泊棟一棟だけなら、必要な面積はそれほど大きくない。
だが、将来職人や住人が増える可能性を考え、最初から区画全体を造成する。
南北、東西とも約二十メートル。
面積は約四百平方メートル。
この中へ、同型のプレハブ宿泊棟を最大六棟、さらに風呂ユニットとトイレユニットを各六棟分配置できるよう、通路と設備間隔を考えておく。
「六個も建てるんすか?」
ロクが聞く。
「今すぐ建てるのは一棟だ。風呂とトイレも一基ずつ。ただ、後から増やすたびに地面を掘り返すのは無駄だからな」
「先に、ぜんぶ、たいら」
ニナが言う。
「そうだ。排水の位置も先に決める」
ニナの表情が少し引き締まる。
道路工事で測量記録を経験したこともあり、地面の高さや排水勾配という言葉へ反応するようになった。
「地面、調べる?」
「ああ。まず地盤だ」
予定地の四隅と中央、さらに宿泊棟を置く場所を中心に地盤を確認する。表面は乾いているが、それだけで判断はしない。
ツチノコで数か所、浅く試掘する。
表土の下には締まった砂質土があり、地下水が湧く様子もない。湖に近いため過信はできないが、大きな不同沈下を起こしそうな軟弱層は見当たらなかった。
「こちらヒカル。予定地中央。地盤状態は良好。表土を除去し、砕石置換で施工可能。以上」
「こちらニナ。きろくした。いじょう」
「こちらユキ。かんとくばしょ。つち、げんき。いじょう」
「土の健康診断ではないぞ」
「げんきじゃないと、いえ、しずむ」
「意味としては間違っていない」
◇
造成は、二日間の工程で行う。
一日目は、二十メートル四方の表土剥ぎと整地。風呂、トイレ用排水タンクの埋設。排水管の先行配管。そして砕石の敷設と転圧。
二日目に、二階建てプレハブ宿泊棟、風呂ユニット、トイレユニット、給水タンクを設置する。
三日目は、プレハブ二階屋根と風呂ユニット屋根へソーラーパネルを載せ、ポータブル電源ユニットと分電盤を接続する予定だ。
今日は一日目。
グイグイで表土を薄く剥ぎ、良質な土は畑拡張用の仮置き場へ運ぶ。
ツチノコで排水タンク用の穴を掘る。風呂用とトイレ用は分けた。風呂の排水は、石鹸や洗浄剤を含む雑排水。トイレは汚水だ。同じ扱いにはしない。
「大きい箱」
ユキが、安全区域の外から埋設タンクを見ている。
「地面の下へ入れる排水タンクだ」
「おふろの、みず?」
「風呂で使った水は、こっち」
「トイレは?」
「向こうの密閉タンク」
「まぜない」
「そうだ」
配管の勾配を確認し、点検口が地上へ出る高さに調整する。
将来、同じ区画へ風呂とトイレを増設できるよう、主管の位置と分岐予定箇所も記録しておく。
使わない分岐管はキャップで閉じ、地上へ目印杭を立てた。
「これ、あとでつなぐ」
ニナが分岐位置をノートへ描く。
「図面にも残す。杭がなくなっても分かるよう、基準点から距離を記録してくれ」
「東から、四メートル。南から、六メートル」
「それでいい」
ロクはツチノコの死角を確認し、リーファは既存生活区画からの通行を止める。
リリアは子供たちと休憩所側にいる。アルノとマリベルは畑の朝仕事を終えた後、給水設備の位置について意見を出した。
「風呂のすぐ横に給水タンクを置くのですか?」
マリベルが尋ねる。
「少し離す。点検や交換の空間を確保して、通路側から作業できるようにする」
「診療所用の水と共用にはしませんよね」
「しない。職人区画は独立させる」
「その方が安心です」
排水タンクと先行配管が終わると、掘削土を戻し、層ごとに締め固める。
その上から区画全体へ砕石を敷く。
一度に厚く入れず、二層に分ける。グイグイで敷き均し、散水し、ゴロゴロで転圧。端部と配管周辺は地面ぶるぶるを使う。
「グイグイ、ひろげる」
「ゴロゴロ、かためる」
「じめんぶるぶる、はしっこ」
ユキが指差し確認する。
「役割を覚えたな」
「むれ、おしごと、ちがう」
「だから機械を群れに入れるな」
「おっちゃんも、むれ」
「俺は人間だ」
「なんでものひと」
否定しづらい呼び名になってきた。
夕方までに、二十メートル四方の造成と排水設備の埋設を終えた。何もなかった草地が、平らな砕石の区画へ変わっている。
現在は一棟しか建てないため、広すぎるようにも見える。だが、将来建物が増えた時、この余白が生きる。
「今日はここまで。明日、建物を置く」
「いえ、くる?」
「ああ。組み立て済みの物を購入する」
「おっちゃんのはらから?」
「俺はネコ型ロボットではない」
◇
翌朝。造成区画の最終高さを確認した後、建物の設置位置へ印をつけた。
購入するのは、地球で中古品として整備された、二階建ての連棟プレハブだ。
正面幅約五・七メートル。奥行き約四・七メートル。一階と二階がそれぞれ約十六畳。
軽量鉄骨造。金属折板屋根。屋根付きの外階段。各階に入口、窓、照明、換気扇、分電盤、コンセントが備わっている。
内部は大部屋のままだが、当面は簡易ベッドと収納棚を配置し、職人宿として使える。人数や希望が分かれば、後から間仕切りを追加すればいい。
「二階!」
ニナが、まだ何もない空間を見上げた。
「まだ建っていないぞ」
「でも、二階」
「今日は設置を見るだけだ。設置場所の下には絶対入るな」
「入らない。黄色いロープの外」
「全員そうしてくれ」
基礎は、全面コンクリートではない。造成した砕石地盤の上へ、建物の接地箇所ごとに三百ミリ角、厚さ百ミリのコンクリート平板を置く。
建物本体の支持点。外階段の脚部。階段支柱。それぞれの荷重が掛かる場所だ。ニナと一緒に高さを測り、平板の下へ敷砂と細粒砕石を入れて微調整する。
「ここ、ニミリ高い」
「ニミリなら許容範囲だが、隣との高さを確認する」
「二階、あるから、まっすぐ」
「ああ。平屋より慎重にな」
すべての平板を置き終え、対角寸法と水平を再確認した。
俺は収納ショップから商品を購入する。次の瞬間、設置予定位置の上へ、半透明の輪郭が表示された。
購入確認。設置方向。外階段昇降口、東。建物正面、東の湖面側。基礎支持点、すべて適合。周辺安全区域、立入者なし。
俺は確認ボタンを押した。淡い光が広がり、軽量鉄骨の建物が、音もなく姿を現した。
一階。二階。外階段。屋根。窓。扉。すべて組み上がった状態で、コンクリート平板の上へ正確に載っている。
「おお……」
ロクが口を開けた。
「何度見ても、ヒカルの収納は反則っすね」
「俺もそう思う」
「にかい!」
ニナが両手を握る。
「二階だな」
「のぼる?」
「固定と点検が終わってから」
「ユキも?」
「全員待て」
「かんとくさま、そとから、みる」
「それが正しい」
こびゃっこが外階段の途中へふわりと浮かび上がろうとした。俺は尻尾を掴む。
「お前も待て」
「びゃっこは階段を踏んでおらぬぞ」
「固定前の建物へ近づくな」
「規則の網が細かすぎるのじゃ」
アンカープレートと支持部分を確認し、必要箇所へずれ止め金具を取り付ける。外階段の脚部と支柱も、平板中央へ正しく載っている。
扉の開閉。窓。床の傾き。階段の踏み板。手すり。屋根と外壁。
中古整備品なので、外壁には小さな傷や補修跡がある。だが、錆は処理され、使用に問題はない。
「新品ではないけど、職人宿には十分だ」
俺が言うと、リリアが建物を見上げた。
「これだけ大きな建物が、完成した状態で……」
「地球でも、普通は運搬してクレーンで組み立てる。収納設置が特別なんだ」
「中はもう使えるのですか?」
「電気以外はな。今日中に清掃して、必要な家具を入れる。電気は明日だ」
プレハブの北側へ風呂ユニットを一棟。その隣へ、十分な間隔を空けてトイレユニットを一棟。
どちらも、将来同型を横へ追加できる配置にした。
給水タンクは風呂ユニットの西側。点検用通路を確保し、配管を接続する。
風呂は既存の物と同じく、脱衣スペースと浴室を備えたユニット式。給湯はプロパンガス。
トイレは洋式便器を男女別に備えた水洗ユニットで、昨日埋設した密閉式排水タンクへ接続する。
「トイレの灯りは?」
ミーシャが聞いた。
「充電式ランタンを置く。ソーラー設備は風呂と宿泊棟を優先するから、トイレのランタンは使用者が自分で管理してもらう」
「職人さんが、充電する?」
「そうだ。使った人たちで当番を決める。電池残量を確認し、昼間に充電する」
「ニナが、するんじゃない?」
ユキが聞いた。
「ニナ一人の仕事にはしない」
「ミーシャも?」
「ミーシャも職人全員の世話係ではない」
「しょくにん、じぶんで」
「そういうことだ」
ユキは宿泊棟を見上げ、ゆっくり頷いた。
「じぶんの、いえ。じぶんで、きれい」
「ああ。共同の場所は皆で使って、皆で管理する」
風呂とトイレの給排水接続を終え、給水タンクを満たす。風呂ユニット背面に取付けてある給湯器の横に、コンクリート平板を置き、その上にプロパンガスを設置。既設のガス配管に接続する。
漏水がないか確認。排水試験。給湯器の動作確認。換気。扉の施錠。どれも問題ない。
宿泊棟の内部へ入る。一階も二階も、まだ何も置かれていない広い空間だ。窓から東を見れば、湖面が光っている。その手前には、将来ガレージが建つ予定地が広がっている。
「ここから、ばぎーのおうち、みえる?」
ユキが窓へ顔を寄せた。
「ガレージが建てばな」
「しょくにん、あさ、みる」
「珍しいとがるとは思うが、喜ぶとは限らないぞ」
「ニナ、みたい」
「ニナは毎朝見るだろうな」
「絶対見る」
即答だった。ニナは床を歩きながら、壁と窓、分電盤の位置を確認している。
「コンセント、ある。でも、でんき、まだ」
「明日、屋根へソーラーパネルを置く。ポータブル電源ユニットから分電盤へ接続して、照明とコンセントを使えるようにする」
「一階と二階、分ける?」
「分電盤で回路は分かれている。片方で問題が起きても、他は使える」
「風呂も、別」
「ああ。風呂屋根にもパネルを載せ、専用電源にする」
「明日、やる」
「見学は安全な場所からな」
「わかってる」
窓の外では、こびゃっこが外階段の踊り場で浮かんでいる。
「手すりへ乗るなよ。まあ落ちないと思うが」
「音楽監督として、音響を確認しておるのじゃ」
「ラジカセを持ってきていないだろ」
「伴奏は心の中で鳴っておる」
「お前歌うつもりか」
「ここなら湖へ歌声が響くぞ」
「階段の踊り場をステージにするな」
こびゃっこは不満そうに降りてきた。その後、全員で宿泊棟内部の清掃を行った。
床を掃き、窓を拭き、換気扇と照明器具の状態を確認する。
今日は建物設置まで。ベッドや収納棚、消火器、避難表示などは明日以降に整える。
外へ出て、区画全体を眺めた。南には既存の住居ブロック。
北へ三十メートル離れた場所に、新しい職人区画。東向きの外階段を備えた二階建てプレハブ。西側には風呂とトイレ。風呂裏側には給水タンク。
周囲には、まだ五棟分の宿泊棟と、追加の風呂・トイレを置ける余地が残っている。
「ひろい」
ユキが言った。
「今はな」
「しょくにん、いっぱい、きたら?」
「建物を増やす」
「むれ、ふえる」
「職人が全員ここへ住み続けるとは限らないけどな」
「でも、かえるところ、ある」
「ああ」
ガランとドランが、何人連れて戻るのかは分からない。一人かもしれない。十人かもしれない。もっと多いかもしれない。
だが少なくとも、帰ってきた者へ、野原を指して寝ろとは言わずに済む。
風呂があってトイレがある。雨を防ぐ屋根があって眠れる床がある。明日には、照明と電気も使えるようにする予定だ。
「おっちゃん」
「何だ」
「きょうも、できた」
「建物はな。まだ中身は空っぽだ」
「でも、いえ、ある」
「そうだな」
「かんとくさま、まる」
ユキは監督用ノートへ、大きな丸を描いた。その横で、こびゃっこが小さな丸をもう一つ追加する。
「これは何だ」
「音楽監督評価じゃ」
「何もしていないだろ」
「作業の調和を見守った」
「タープの下で昼寝していただけだ」
「静寂もまた音楽の一部じゃ」
「便利な肩書だな」
明日は、宿泊棟二階の屋根と風呂ユニットの屋根へソーラーパネルを設置する。ポータブル電源ユニットと分電盤を接続し、建物内の照明とコンセントを使えるようにする予定。
その後は、ベッド、収納棚、机、避難用品。やることはまだ多い。だが、何もなかった草地に、また一つの生活区画が生まれた。
住む人は、まだいないが、それでも、帰ってくる人を待つ場所は、先に作っておける。
俺は湖へ向いた二階建てプレハブを見上げた。
ガランとドランが戻った時、驚くだろうか。ドランなら、建物より先に風呂と酒の保管場所を確認するかもしれない。
ガランは、まず防衛上の位置を気にするだろう。そしてニナは、二人へ自慢するはずだ。二階建ての地盤と基礎を、自分も測ったのだと。
「ニナ」
「なに?」
「今日の記録は、あとで清書しておいてくれ」
「する。地面と、平板と、排水と、建物」
「明日の電気設備も追加する」
「一冊にする」
「宿泊棟の工事記録台帳だな」
「また見れる。べんり」
「ああ。後から増設する時にも使える」
ニナは、新しい建物を見上げた。
「六棟、建つ」
「必要になればな」
「お風呂も、六個」
「あくまでそっちは、予定だ。一度に全員が入るわけじゃないから、必ず六棟必要とは限らない。区画として入るようにしただけだ」
「でも、入る」
「入るな」
「先に、考えた」
「それが段取りだ」
ニナは満足そうに頷いた。
「おっちゃん、だんどりのひと」
ユキが言う。
「昨日までは、なんでものひとだっただろ」
「なんでもの、だんどりのひと」
「長くなっただけじゃないか」
「歌の題名にするなら、『なんでもの段取り慕情』じゃな」
こびゃっこが言う。
「俺は段取りに、深く惹かれて恋しく思う気持ちはない」
「ではタイトルに、地面ぶるぶるを」
「絶対に入れるな」
新しい職人宿を前に、皆の笑い声が響いた。建物の中には、まだ家具も人もいない。それでも、この場所にはもう、誰かを迎える準備の音がしていた。
⸻
【第67話・収支報告】
異世界生活54日目〜55日目
日付:五の月13日〜14日
オリエント王国歴952年
開始残高:378,051pt
今回の購入:
・中古二階建て二連棟プレハブ
27,280pt(約2,728,000円)
・仮設風呂ユニット一棟
8,600pt(約860,000円)
・水洗式仮設トイレユニット一棟
6,800pt(約680,000円)
・大型給水タンク、給水配管一式
2,250pt(約225,000円)
・風呂用排水タンク、トイレ用密閉排水タンク
3,900pt(約390,000円)
・給排水管、分岐管、点検口、接続部材
1,180pt(約118,000円)
・造成用砕石、敷砂
2,460pt(約246,000円)
・300×300mm、厚さ100mmコンクリート平板一式
720pt(約72,000円)
・建物固定金具、配管保護材、表示杭等
410pt(約41,000円)
・充電式ランタン、清掃用品、施工消耗品
300pt(約30,000円)
今回支出合計:53,900pt(約5,390,000円)
現在残高:
378,051pt − 53,900pt = 324,151pt
円換算目安:
324,151pt × 100円 = 約32,415,100円相当
続く




