第66話 白狐神、昭和歌謡を聴く
こびゃっこは、並べられたCDケースをじっと見つめていた。
昭和初期。戦後。高度成長期。歌謡曲。青春歌謡。演歌。フォーク。女性歌手集。男性歌手集。懐かしのテレビ主題歌集。
年代ごとに分けられた十数枚のCDが、一つの箱へ収められている。
「どれから聞く?」
俺が聞くと、こびゃっこはしばらく答えなかった。やがて、一枚のケースへ前足を伸ばす。
「これじゃ」
選んだのは、昭和後期の歌謡曲を集めた一枚だった。
「原宿におった頃、街でよく流れておった」
「なら、それにするか」
CDラジカセは、畑倉庫のポータブル電源から給電する。屋外で使うため、タープの中央ではなく、雨や飲み物が掛からない倉庫側のテーブルへ置いた。
音量は、周囲の声や無線が聞こえる程度。工事中は流さない。休憩時間か、作業終了後だけ。
ラジカセの管理担当をニナへ押しつけるつもりもない。使用した者が電源を切る。CDをケースへ戻す時は汚れを拭く。食堂で使う場合は、食堂の棚へ戻す。畑へ持ってきた時は、俺か大人が運搬と収納を行う。
「こびゃっこも、蓋の上へ乗るな。回転中に開けない」
「CDの扱いくらい知っておるわ」
「千年以上ぶりなら、確認は必要だ」
「昔はレンタル店で、背表紙を端から端まで眺めたものじゃ」
「返却期限を守っていたのか?」
「神使に期限を設けおって、世知辛かったのう」
「つまり延滞したんだな」
ニナがラジカセの前へしゃがみ込む。
「この丸い板から、歌が出る?」
「円盤の表面に情報が記録されている」
「どうやって?」
「光で読み取る」
「ひかり?」
「中へ触るなよ。目にも見えない場所だ」
「触らない。見るだけ」
CDをトレーへ置き、蓋を閉じる。再生ボタンを押した。小さな機械音。
それから、前奏が流れ始めた。この場にいる全員が、音の出る箱へ視線を向ける。
伴奏に続き、日本語の歌声が流れる。もちろん、俺たちが普段使っている大陸共通語と、ほぼ同じ言葉だ。
「……ヒカル」
リーファが目を見開いた。
「歌っている言葉が分かるわ」
「俺の世界の、日本という国の歌だからな」
「けれど、歌い方も楽器も曲調も違う」
「この世界の歌とは違うか?」
リーファは音を聞きながら、ゆっくり頷いた。
「音の重なり方が多いわ。弦だけではない。笛とも違う音もある」
「電気を使った楽器や、複数の楽器を一緒に録音している」
「歌い手が目の前にいないのに、声が残っている……」
アルノも、驚いたようにラジカセを見る。
「これは、記憶の魔道具ではないのですか?」
「魔法ではない。地球の機械だ」
「この世界にも、音を一時的に保存する魔道具はあります」
マリベルが説明する。
「ただし非常に高価で、声を短く残す程度です。歌を何曲も入れ、何度も聞くような物は、王宮や大きな神殿でも珍しいでしょう」
「じゃあ、普通の人はどうやって歌を聞くんだ?」
「歌劇場や祭りですね」
アルノが答えた。
「王都や大きな街には、楽団を抱えた歌劇場があります。貴族の屋敷へ楽師が呼ばれることもあります」
「旅の吟遊詩人もいるわ」
リーファが続ける。
「宿や広場で、昔の英雄や戦い、恋物語を歌うの。曲は同じでも、旅人によって歌詞が少しずつ違うことがある」
「吟遊詩人は俺の世界にも大昔にいた。歌詞が違うのは口伝だからか」
「ええ。土地ごとの出来事を加える人もいるわ」
ロクが耳を動かす。
「酒場では、客が勝手に一緒に歌うっす。だいたい途中から歌詞が変わって、最後は飲み比べの歌になるっすけど」
「ドランが大声で歌っているのを想像できる」
「狼族の村にも、狩りから戻った時の歌があるっすよ。足音に合わせて歌う短いやつっす」
「ロクも歌えるのか?」
「じ、自分は聞く側っす」
「逃げたな」
ニナは、ラジカセから流れる音と、CDの表面を交互に見ている。
「ドワーフも、歌う」
「まさか鍛冶の歌とか?」
「うん。ハンマー、打つ時」
ニナは両手を交互に動かした。
「大きな鍛冶場は、何人も一緒に打つ。合図の歌がある。熱い鉄、持つ人。打つ人。次の鉄、入れる人。間違えないように」
「作業歌が工程管理にもなっているのか」
「鉱山も。掘る歌。荷車を押す歌。息を合わせる」
「ドランがいたら、絶対歌い始めたでしょうね」
リーファが笑う。
「酒の歌まで追加するっす」
ロクも頷いた。
「ここにいた時、歌いたいのを我慢していたのかもな」
リリアは、少し遠い目をして音楽を聞いていた。
「エルフの村では、畑仕事の歌があります」
「リリアも知っているのか?」
「はい。幼い頃なので、全ての歌詞までは覚えてませんが、種を蒔く時、草を取る時、収穫する時で違います。長い作業の間、手の動きを揃えるためでもあります」
アルノとリーファも頷く。
「森の中で大声は出さないけれど、皆で低く歌うの。鳥や獣を驚かせないように」
「こびゃっこの豊穣加護とは別に、畑へ歌を聞かせる文化もあるのか」
「歌で作物が育つわけではありませんけど」
リリアは少し笑った。
「ですが、一緒に働く人の気持ちは揃います」
「それは大事だな」
録音された歌。歌劇場の歌。吟遊詩人の物語。鍛冶場で槌を揃える歌。鉱山で息を合わせる歌。エルフが畑で静かに歌う作業歌。
世界が違っても、人が歌う理由はそれほど変わらないらしい。
嬉しい時。寂しい時。皆で力を合わせる時。過去を残す時。遠くにいる誰かを思う時。言葉だけでは足りないものを、音へ乗せる。
ユキは、椅子へ座り、足をぶらぶらさせながら歌を聞いていた。
「おっちゃんの、せかいのうた」
「ああ」
「ことば、おなじ」
「大陸共通語の元になった言葉だからな」
「でも、しらない」
「ユキが生まれるより、ずっと前の歌だ」
「こびゃっこ、しってる?」
こびゃっこは、ラジカセの前へ座ったままだった。
「知っておる」
その声は、いつもの調子へ戻りきっていない。
「街の店先で流れておった。テレビでも聞いた。若い者が口ずさんでおった。祭りの後、帰り道で誰かが歌っておったこともある」
「たのしかった?」
「楽しい時もあった。うるさいと思った時もあったがの」
「いまは?」
ユキが聞く。こびゃっこは少しだけ顔を伏せた。
「ただ、ひたすら懐かしいのう」
それだけ言った。
千年以上を生きた神使。地球と異世界を渡り、先代白狐神を守護し、湖畔の里を逃がすために神力を使い果たした。
実体を失った後は、四百年以上も誰にも触れられず、歌も食事もなく、夢の中から幼い白狐神を見守っていた。
普段は昭和の古いネタを自信満々に語り、稲荷寿司と酒を要求し、魔犬の背中で暴走族ごっこをする。
だが、その古い記憶は、笑い話だけではない。こびゃっこが生きてきた時間の一部なのだ。
「好きな時に聞けばいい」
俺は言った。
「ただし、休憩中か作業終了後。無線で歌うのは禁止」
「……うむ」
「食堂へ置いてもいい。昼寝する祠へ持ち込むのは駄目だ。電気製品だからな」
「神域で歌謡祭を開催できぬではないか」
「白木寝台の上で踊って落ちる未来が見える」
「びゃっこは浮けるぞ」
「CDが落ちる」
「むう」
少しだけ、いつものこびゃっこへ戻った。ユキが椅子から降り、こびゃっこの隣へ座る。
「こびゃっこ」
「何じゃ」
「さみしい?」
「少しだけの」
「ユキ、いる」
「おるのう」
「おっちゃんも、いる」
「おるな」
「むれ、いる」
こびゃっこは、前足でユキの手を軽く叩いた。
「そうじゃな」
昭和歌謡の一曲目が終わる。次の曲の前奏が始まった。こびゃっこは、今度は小さく鼻歌を重ねた。
歌詞をそのまま歌うのではなく、ところどころ「ふんふん」と音だけをなぞる。無線機ではない。誰の連絡も邪魔しない。だから俺も止めなかった。
◇
昼休憩を終え、工事を再開する。
ラジカセの電源を切り、CDをケースへ戻す。こびゃっこ自身が、ケースの爪へ正しく収めた。
「扱い方は本当に知っているんだな」
「びゃっこを何じゃと思っておる」
「無線機で、自作の曲を十八番まで歌おうとするぬいぐるみ」
「守護神使じゃ!」
「なら、充電台の無線機を勝手に使うな」
「ぐぬぬ」
ラジカセは畑倉庫の棚へ置いた。肥料や薬品の棚とは離す。埃がかからないよう、使用後は布カバーを掛ける。
CDは縦置き。直射日光の当たらない場所。管理は使用者全員でニナだけの仕事にはしない。
午後は、路盤材の施工だ。収納から砕石を十メートル区間ごとに分けて展開する。一度に全区間へ置けば、歩行や重機の動線を塞ぐ。
必要な量だけを、必要な位置へ出す。グイグイで薄く広げ、レーキで端部を整える。散水を行い、最初は無振動でゴロゴロを走らせる。
材料を落ち着かせてから、振動を入れる。重なり幅を一定にし、端から中央へ。急な方向転換はしない。停止した状態で振動を入れ続けない。
ニナが高さを確認し、低い場所へ砕石を追加する。ロクとリーファは生活動線を完全に分ける。
アルノとマリベルも、午後は畑作業を終え、休憩所側から見学していた。アルノはトトの記録ノートを預かり、今日見つけた虫の名前を整理している。
「こちらロク。畑側通路、歩行者なし。作業継続可能っす。どうぞ」
「こちらヒカル。確認した。ゴロゴロを前進させる。以上」
「こちらリーファ。森側も異常なし。以上」
連絡方法が統一され、作業がかなり楽になった。無線の頭に必ず自分の名前が入る。最後が「どうぞ」なら返答が必要。「以上」なら、その本人の連絡はそこで終了。短く、明確だ。
こびゃっこも、午後は無線機へ近づかなかった。タープの下で、ユキと一緒に作業を見ている。時々、ラジカセの方へ目を向けているが、工事中に再生しようとはしない。
約束を守っている。
「こちらユキ。かんとくばしょ。ゴロゴロ、まっすぐ。どうぞ」
「こちらヒカル。確認した。監督は安全位置を維持しろ。以上」
「こちらユキ。いじしています。いじょう」
少し言葉が固い。だが、安全位置は本当に維持している。俺はゴロゴロの運転席から手を上げた。ユキも両手を上げる。横でふわふわ浮いてる、こびゃっこまで前足を上げた。
三人で何をしているのか分からないが、現場の空気は悪くない。まあ異世界スローライフならぬ、異世界スローコンストラクションと言うべきか。
砕石一層目を十センチで締め固める。高さと密度を確認。軟らかい場所は再転圧。端部は地面ぶるぶるで補助する。広い面積はゴロゴロ。機械が寄れない端や、丁張付近は地面ぶるぶる。それぞれ役割が違う。
地面ぶるぶるの正式名称の尊厳は失われたが、機械としての役割は失われていない。
「じめんぶるぶる、ちいさい。でも、いる」
ユキが言った。
「そうだ。広い場所はゴロゴロ。狭い場所は地面ぶるぶる」
「おしごと、ちがう」
「機械もな」
「むれ、おなじ。でも、おしごと、ちがう」
「だから機械を群れに入れるな」
「おっちゃん、さっき、なかまっておもった」
「心を読むな」
その後、二層目の砕石を施工する。散水量は多すぎても少なすぎてもいけない。表面へ水が浮くほど掛けない。
握った時にまとまり、指で押せば崩れる程度。材料の状態を見ながら調整する。ゴロゴロを走らせる回数も、ただ多ければいいわけではない。必要な締まり具合へ達した後に繰り返しても、時間と燃料を使うだけだ。
日が傾き始めた頃、今日の五十メートル区間が形になった。
最終確認。延長。幅員六メートル。
中央高。横断勾配。前回施工区間との接続。畑側の排水。路面の不陸。端部の締まり。問題なし。
完全な道路ではない。側溝もない。縁石もない。舗装もしていない。だが、砕石道路として使用できる状態まで仕上がった。
これで第一期二百メートルのうち、百メートルが完成した。残り百メートル。
「こちらヒカル。全員へ連絡。本日の道路工事を終了する。完成区間は五十メートル。第一期区間は合計百メートル完成。重機周辺へ近づかず、点検終了まで待機。以上」
「こちらロク。了解っす。生活動線の規制を継続する。以上」
「こちらリーファ。森側も規制継続。以上」
「こちらニナ。記録、百メートル。高さ、だいじょうぶ。以上」
「こちらユキ。かんとくさま。きょうも、できた。いじょう」
最後の一件は、必要な通信か微妙だが、作業終了の確認としては許容範囲だろう。
俺はグイグイ、ゴロゴロ、ツチノコ、地面ぶるぶるを順番に点検した。
エンジン周辺。油漏れ。作業装置。履帯。ローラー表面。付着した砕石や土を落とす。燃料残量と稼働時間を記録。ニナは安全区域の外で、俺が読み上げた数字を記入する。
機械を止めたからといって、すぐ子供を近づけない。高温部がある。不意に動く可能性をなくすまで、キーも俺が持つ。すべての点検を終え、立入禁止を解除する。
「今日は乗らないぞ」
俺は先回りして言った。
「ユキ、まだ、いってない」
「顔に書いてある」
「ゴロゴロ、のりたい」
「今日は遅い。見学だけ」
「むー」
「次に時間がある時、完全停止状態でな」
「やくそく」
「点検が終わって、安全な時だけだ」
「おぼえる」
こびゃっこがゴロゴロの上へ浮かび上がろうとしたので、俺は手で捕まえた。
「お前も勝手に乗るな」
「びゃっこは浮いておるから、転落せぬ」
「機械の上で踊る気だろ」
「昭和歌謡を流し、ローラー車の上で歌うのも風情があるではないか」
「ない。危ない。CDも飛ぶ」
「世知辛いのう」
◇
作業終了後。ラジカセを食堂へ持ち帰り、夕食前にもう一枚だけCDを再生した。今度は、少し明るい曲が多い歌謡曲集だ。
リリアは夕食の準備をしながら、時々手を止めて聞く。
ミーシャは洗ったアルマイトの弁当箱を布巾で拭きながら、曲の拍子に尻尾を揺らしている。
トトはスケッチブックへ、黄金色の弁当箱とタコさんウインナーを描いていた。足は六本だ。
ニナは、ラジカセの外形を横から描き、ボタンの位置を記録している。取り説を作るつもりなのか?
ロクは耳を動かしながら、聞いたことのない楽器の音を探している。リーファは、エルフの作業歌とは違う旋律へ興味を示していた。アルノとマリベルは、この世界の魔道具と比較した、録音技術そのものについて話している。
ユキは、こびゃっこの隣で歌を聞いていた。
「こびゃっこ」
「何じゃ」
「このうた、すき?」
「昔は、あまり好みではなかった」
「いまは?」
「今聞くと、悪くないのう」
「ユキも、すき」
「そうか」
「ことば、わかる。でも、むかしのことば、ちょっとわからない」
「俗世の歌は、その時代の言葉や暮らしを映すものじゃ」
「こびゃっこ、むかし、いた?」
「おったぞ」
「ユキ、いなかった」
「まだ生まれておらぬからの」
「でも、いま、いっしょ」
「うむ」
こびゃっこは、それ以上何も言わなかった。だが、昼よりも少し穏やかな顔をしていた。
俺は作業倉庫の設計机から、今後の工事予定を書いた紙を持ってきた。
道路工事は、まだ残り四百メートルある。第一期区間だけでも百メートル残っている。その後には第二期三百メートル。
側溝。横断排水。道路照明。南門。案内標識。だが、道路だけを作り続けるわけにはいかない。
ガランとドランが職人を連れて戻る可能性がある。いつ戻るかは分からない。何人来るかも分からない。それでも、受け入れ場所は先に用意しなければならない。
「次の工事予定を整理してみたんだけど」
俺が声を掛けると、皆が紙の周りへ集まった。
「まず、道路工事をもう一日進めれば、第一期区間の残りは五十メートルになる。ただ、その後は別の工事へ移る必要がある」
「ガレージっすか?」
ロクが聞く。
「ガレージも必要だ。コンクリート基礎を作って、三連シャッター付きの組み立て式ガレージを建てる。今の計画ではバギー二台、ピックアップトラック、整備区画を入れる予定だった」
「グイグイとゴロゴロは?」
ユキが聞く。
「そこが問題だ。道路用重機まで入れるなら、今の設計では足りない」
「ツチノコと、じめんぶるぶるも、いれる」
「全部を一棟へ入れるなら、かなり大きくする必要がある」
ニナが図面を見る。
「入口、高くする。床、強くする」
「ああ。重機重量を考えて、土間厚と鉄筋も見直す。排水溝も必要だ」
「整備する場所、いる」
「いる。燃料と油脂類の保管場所も、居住区から離して設ける」
ガレージは必要だ。だが、それより優先順位が高いものがある。
「最優先は、職人用の宿泊棟だ」
「職人さんの家?」
ミーシャが聞く。
「そうだ。皆んなが今住んでいる住居の様な、完成された二階建てのプレハブを考えている。一階と二階へ寝室を分け、共有の休憩室も作る」
「何人分ですか?」
リリアが尋ねる。
「人数がまだ分からない。最初は八人から十二人程度を想定する。一応、プレハブには一階と二階それぞれ十人位は宿泊出来るが、増えた場合は、追加棟を建てる」
「二階建て……」
ニナの目が輝く。
「基礎、強くする」
「その通り。平屋より荷重が大きい。地盤確認、基礎の配置、階段、避難経路も必要だ」
「お風呂やトイレも必要ですね」
マリベルが言う。
「宿泊棟の本設備を全部最初から入れると時間がかかる。先に仮設風呂と仮設トイレを増設する。今ある設備を住人と職人全員で共用すると、混雑するからな」
「洗濯も増えます」
リリアが続ける。
「洗濯機の運用も見直す。職人自身に、自分たちの作業服や下着は基本的に自分で洗ってもらう。リリア一人の仕事にはしない」
「はい」
「ミーシャも手伝いはしていいが、職人全員の洗濯係にはしない」
「分かりました」
ミーシャが頷く。職人を招く。だからといって、湖畔の女性や子供へ世話を押しつけるつもりはない。
食事も同じだ。共同調理はするが、リリアだけへ負担を集中させない。
職人側にも当番を決めてもらう。手を動かす人が増えるのだから、生活を回す人も増えて当然だ。
「その次が、ガレージ」
「その次は?」
ユキが聞く。
「食堂の建て替えだ」
俺は、別の図面を広げた。現在の食堂はタープテントだ。雨風はある程度しのげるが、人数が増えれば足りない。
「大型ウッドデッキを基礎にして、全体へ屋根を掛ける。半分は開放的なテラス。半分は壁で囲う」
「にくのいえ!」
「また来たか」
「白狐神肉殿じゃ」
こびゃっこが口を挟む。
「却下」
「焼肉大明神食堂でもよいぞ」
「神社なのか食堂なのか分からなくなる」
俺は話を続ける。
「壁で囲う側には、食事室と厨房を置く。厨房の隣へ食糧庫。屋根にはソーラーパネル。室内照明と作業照明」
「診療所にある冷蔵庫も置くのですか?」
マリベルが聞く。
「大型の業務用冷蔵庫を入れる。人数が増えるし、畑の収穫も始まる。肉、魚、野菜を分けて保管できる物がいい」
「はたけのやさい、まだ?」
ユキが聞く。
「まだ収穫できない。順調には育っているが、今日明日で食べられるわけではないからな」
「まつ」
「ああ。野菜は育つまで待つ」
「ほっとけーきより、ながい」
「作物だからな」
厨房にはプロパンガス。給湯器。大型給水タンク。排水タンク。手洗い。食器洗い。食品と土付き野菜を扱う場所を分ける。
食糧庫には棚を置き、常温品、乾物、缶詰、調味料を分類する。床は掃除しやすく、滑りにくい材質。
虫と小動物の侵入対策。テラス側は、晴れた日に皆で食べられる場所にする。風向きによって、巻き上げ式の透明シートを下ろせるようにしてもいい。
「大きな工事が続くわね」
リーファが図面を見つめる。
「ああ。だから一度に全部はやらない。優先順位をつける」
俺は紙へ番号を書く。
1・職人用二階建てプレハブ。
2・仮設風呂、仮設トイレ、洗濯設備の増設。
3・大型ガレージ。
4・屋根付き大型ウッドデッキ食堂、厨房、食糧庫。
5・道路工事の残区間と排水設備。
「どうろ、ごばん?」
ユキが少し不満そうに聞く。
「工事を完全に止めるわけじゃない。合間に進める。ただ、職人が来て寝る場所がない方が困る」
「しょくにん、そとでねる?」
「それは避けたい」
「じゃあ、いえ、さき」
「そうだ」
「おふろも、いる」
「いる」
「ごはんのいえも、いる」
「いる」
「グイグイのいえも、いる」
「ガレージな」
「ぜんぶ、いる」
「そこが問題なんだ」
必要な物ばかり増える。道路を作るために重機を買う。重機を守るためにガレージが必要になる。
職人を呼ぶために宿泊棟が必要になる。職人が増えれば、風呂とトイレと洗濯と食堂を増やす必要がある。
食堂を作れば、冷蔵庫と給水と排水と電源が必要になる。建物が増えれば、それを結ぶ道路と照明が必要になる。
段取りの前に、段取りを置く場所が必要だ。
「おっちゃん」
ユキが俺を見上げる。
「何だ」
「なんでものひと」
「今、それを言うか」
「おっちゃん、ぜんぶ、つくる?」
「一つずつだ」
「ユキ、かんとくする」
「安全な場所からな」
「びゃっこは、うたうかの?」
「工事中は歌うな」
「では、休憩時間の音楽監督じゃ」
「そのくらいなら認める」
こびゃっこが固まった。
「……ほう、認めるのか?」
「音量を守る。無線を使わない。CDをケースへ戻す。作業開始前に電源を切る。それができるならな」
「びゃっこ、正式に音楽監督へ就任じゃ!」
「自称から正式になっただけで、権限はほぼないぞ」
「肩書とは、響きが九割じゃ」
「その考え方は危険だ」
ラジカセから、次の曲が流れる。ユキが椅子の上で、小さく体を揺らす。ミーシャとトトも真似をする。ニナはテーブルに置いてあった空の弁当箱を重ね、音が鳴らないよう棚へ戻す。
リリアとアルノは、CDから流れている昭和歌謡曲のリフレインがマッチしたのか、それに合わせエルフの畑作業歌の一節を小さく口ずさんだ。
録音された昭和の歌と、湖畔で受け継がれたエルフの歌。違う世界の音楽が、同じ食堂タープの下で重なる。
こびゃっこは目を閉じて聞いていた。今度は感傷だけではなく、少し楽しそうに。
「ヒカル」
リーファが俺を呼ぶ。
「何だ?」
「道路が完成したら、作業歌を作る?」
「誰が作るんだ」
「こびゃっこ殿っすかね」
ロクが言う。
「題名は『グイグイ街道まっしぐら』じゃ!」
「昭和のテレビ番組みたいな題名にするな」
「では『ゴロゴロ慕情』」
「道路工事なのか演歌なのか分からない」
「『ツチノコ掘れば、故郷が見える』」
「絶対に見えない」
「『地面ぶるぶる音頭』」
「それは少し聞いてみたい自分が悔しい」
皆が笑った。次に作るのは、職人たちの宿。その次は風呂とトイレ。ガレージ。食堂。そして残りの道。やることは多い。ポイントも無限ではない。職人が増えれば、食料も燃料も消耗品も必要になる。
道路重機と大型建築で、残高はさらに減る。いずれは魔物を狩り、魔石を補充しなければならない。
シオンの問題も、神務院の問題も残っている。だが今夜だけは、少しくらい昔の歌を聞いてもいいだろう。
歌は道を作らない。建物も建てない。畑へ水をやることもできない。それでも、長い作業の合間に、人の気持ちを同じ場所へ集めることはできる。
地球の歌。異世界の歌。エルフの作業歌。ドワーフの槌歌。吟遊詩人の英雄譚。いつか、この湖畔で生まれる歌もあるのかもしれない。
「おっちゃん」
「何だ」
「ユキのうたも、つくる?」
「どんな歌だ」
「かみのにくと、むれと、かんとくさま」
「内容が多いな」
「あと、ほっとみるく」
「食べ物ばかりになってきたぞ」
「おっちゃんの、うたも」
「俺もか」
「なんでものひと」
そう言ってユキは笑い、こびゃっこが前足を上げる。
「曲はびゃっこに任せよ!」
「昭和歌謡風は禁止な」
「ならばローラースケートを履いたアイドル路線で」
「情報が古い」
「む。やはり、地面ぶるぶる音頭じゃ」
「結局そこへ戻るのか」
昭和の歌が流れる食堂で、皆の笑い声が重なった。
道路は、まだ半分。家も、ガレージも、食堂も、これからだ。だが、今日も五十メートル進んだ。それでいい。
一つずつ作る。住む場所も。働く場所も。戻ってくる場所も。そして、時々は歌を聞く場所も。
俺は設計図を畳みながら、次の段取りを考え始めた。まずは、職人用二階建てプレハブの地盤調査からだ。
……休む暇がない。まあ、俺はなんでものひとらしいからな。
⸻
【第66話・収支報告】
異世界生活53日目
日付:五の月12日
オリエント王国歴952年
開始残高:378,051pt
今回の購入:
・新規購入なし
今回支出合計:0pt
現在残高:
378,051pt − 0pt = 378,051pt
円換算目安:
378,051pt × 100円 = 約37,805,100円相当
続く




