第59話 白狐神と群れの仕事道具
橋が完成した翌朝。俺は食堂タープのテーブルで、昨日書いた道路計画のメモを眺めていた。
南側入口から畑まで約200メートル。畑から橋を渡り、祠と食堂の前を経由して湖岸まで約300メートル。
合計約500メートル、幅6メートルの砕石舗装道路。
ブルドーザー。
ロードローラー。
タイヤローラー。
側溝。
道路照明。
南入口門。
案内標識。
「……増えてるな」
昨日より、検討項目が増えていた。
寝る前に思いついたことを書き足したせいだ。段取りというものは、放っておくと勝手に仲間を呼ぶ。しかも、かなりの大所帯になる。
「おっちゃん」
隣から声がした。
「みち、つくる?」
「その予定だ」
ユキは俺の腕へ頬をつけたまま、道路計画の紙を見ている。
向かいでは、こびゃっこが茶碗を抱え、小さなプラスチック製フォークで器用に生卵を混ぜていた。
「道路とは、食べ物を早く運ぶためのものでもあるぞ」
「それだけじゃない」
「肉の到着が早くなる」
ユキの耳が立った。
「みち、えらい」
「肉を経由すると、何でも評価が上がるな」
「物流は文明の血流じゃ」
こびゃっこはフォークを箸へ持ち替え、卵かけ御飯を一口食べた。
満足そうに頷く。
「そして白飯は文明の心臓じゃ」
「今朝の献立に引っ張られすぎだ」
今日は、道路工事を始める予定ではない。
橋が完成したことで、畑との往来が一気に楽になった。まずは新しい生活動線に合わせ、畑の設備と役割分担を整える。
そのための細かな物を、いくつか用意していた。
◇
朝食後、俺たちは徒歩で橋を渡り、畑へ向かった。
今日の参加者は、俺、ユキ、ミミに乗ったこびゃっこ、ニナ、ミーシャ、トト。
ロクはクロメを連れ、少し遅れて周辺巡回から合流する予定だ。リーファも森側の見回りを終えてから来る。
リリアは食堂で朝食の後片付けを済ませたあと、洗濯を始める。
マリベルとアルノは、午前中だけ診療所で薬草の選別作業を行うことになっていた。
橋を渡ると、昨日までの遠回りが嘘のようだった。
バギーを出す必要もない。靴を濡らすこともない。荷物を台車へ載せたまま渡れる。
「はし、はやくなった」
ユキが橋の中央で言った。
「橋は動いてないぞ」
「はたけ、ちかくなった」
「それは正しい」
距離そのものは変わっていない。
それでも、渡る手間がなくなるだけで、畑が拠点の一部として急に近く感じられる。
橋を渡り、畑の東正門から中へ入った。
朝露をまとった野菜の葉が、日の光を反射している。
こびゃっこの豊穣の加護を受けた畑は、今日も順調だった。
トマトは支柱へ沿って茎を伸ばし始め、ナスの葉も色が濃い。キャベツは防虫ネットの中で、葉を少しずつ広げていた。
ジャガイモの芽も、昨日より明らかに大きくなっている。
「また伸びてるな」
「びゃっこの加護は絶好調じゃ」
こびゃっこはミミの背中で胸を張った。
「ただし、世話を怠れば野菜もへそを曲げる。水と土と日当たり、虫と病気。神の加護だけで育つと思うでないぞ」
「そこは分かってる」
「うむ。神頼みだけでは農業はできぬ」
「神の側から言うと説得力があるな」
ユキは畑を見回し、監督らしく頷いた。
「やさい、げんき」
「ああ」
「きょうも、まもる」
「頼むぞ、畑監督」
「まかせる」
「任せる側なのか?」
「おっちゃんに、まかせる」
「結局、俺が何でも係だな」
◇
トトは畑へ着くと、水色の小さなメモ帳を取り出した。
表紙には、アルノが書いたらしい日付と、『ハタケノキロク』という文字がある。
トトはジャガイモの畝の前へしゃがみ、葉をじっと観察した。
「きのうより、二つ、増えた」
「葉の数か?」
「うん」
小さな鉛筆で、メモ帳へ何かを書き込んでいく。
俺は邪魔にならないよう、後ろから覗いた。
数字の下には、ジャガイモの芽が描かれていた。
丸みのある葉。
土から出ている茎。
畝の形。
横には、昨日の芽と今日の芽が並んでいる。
単なる記号ではない。見たものの特徴を、きちんと捉えた絵だった。
「トト、これ自分で描いたのか?」
トトは少し不安そうに、メモ帳を胸へ寄せた。
「へん?」
「いや、上手だ」
「ほんと?」
「本当だ。葉の向きも、昨日との違いも分かる」
トトの耳が、ぴくりと動いた。
もう一度、見せてもらう。
トマトのページには、支柱と結束紐まで描かれていた。
キャベツのページには、防虫ネット越しに見える葉。
とうもろこしは、細長い葉が左右へ伸びる様子。
さらに余白には、葉の上にいた小さな虫まで描かれている。
「虫も描いたのか」
「こわかったけど、リーファが、すぐ取ってくれた」
「だから記録した?」
「次にいたら、同じ虫か、分かる」
観察記録として正しい。
六歳でそこまで考えているのは立派だった。
俺が六歳の頃は、チラシの裏に手足とマントの生えたアンパンの絵を描いていた気がする。
俺は収納から、昨日用意しておいた物を取り出した。
子供用の小さめのスケッチブック。厚めの紙で、リング綴じ。
それと、携帯ケース入りの色鉛筆セット。
ケースを開くと、削った色鉛筆が一本ずつ固定されている。鉛筆削りと消しゴムも入っていた。
「トト」
「これ……?」
「畑の記録用だ。メモ帳には数字や気づいたことを書く。詳しい絵は、こっちへ描くといい」
トトはスケッチブックと色鉛筆を交互に見た。
「使っていいの?」
「トト用に買ったんだ」
「全部?」
「全部だ。ただし、畑へ持ってくる時はケースに戻すこと。土の上へ置きっぱなしにしない。雨の日は濡らさない」
「うん」
トトは色鉛筆のケースを両手で受け取り、蓋を開けた。
赤、青、黄、緑、茶色。
色が並んでいるだけで、目が輝いた。
「鉛筆に色が付いている!」
「ああ」
「葉っぱの色、緑だけじゃない」
「そうだな」
「こっち、濃い。こっち、薄い」
「色を重ねてもいいぞ」
「重ねる?」
「薄い緑の上へ、濃い緑を少し重ねるんだ」
俺が試しに葉を一枚描いて見せると、トトは息を止めるように見つめた。
「やってみる」
「最初から上手に描こうとしなくていい。毎日見て、変わったところを描けば、それが記録になる」
「うん」
ユキも横からスケッチブックを覗いた。
「ユキも、かく」
「ユキには前に渡した画用紙があるだろ」
「トトの、いい」
「これはトトの畑仕事用だ」
ユキは少しだけ口を尖らせた。公平に敏感なのは、ミーシャたちだけではない。
「ユキにも、あとで新しいスケッチブックを用意する。ただ、今日はトトが畑の記録を頑張っていたから、その仕事道具だ」
「おしごとどうぐ?」
「ああ」
ユキはトトを見た。トトはスケッチブックを抱いたまま、少し緊張している。
「トト、はっぱのひと?」
「……葉っぱと、虫を見る」
「じゃあ、トトのどうぐ」
「うん」
ユキは納得したらしい。
「むれ、おなじ。でも、おしごと、ちがう」
「その通りだ」
同じ物を同じ数だけ配ることだけが、公平ではない。役割が違えば、必要な道具も違う。ユキも、少しずつそれを理解し始めていた。
こびゃっこが空中からスケッチブックを覗いた。
「びゃっこの雄姿も描いてよいぞ」
「畑の記録だ」
「畑守り隊隊長の肖像は重要資料じゃ」
「毎ページに入り込むなよ」
「ブロマイドみたいに頼むぞ」
「また昭和っぽいことを言ってるな」
トトは少し考え、スケッチブックの隅へ、ミミの背に乗った小さな白狐を描き始めた。
「おお!」
こびゃっこが喜ぶ。
「さすが未来のアニメ絵師じゃ!」
「畑の記録から、勝手にこの世界に無い就職先を決めるな」
◇
「トト。こっちもあるぞ」
俺は収納から、赤いワゴンを一台出した。四輪の折りたたみ式キャリーワゴン。
頑丈な赤い布製荷台に、黒い金属フレーム。引き手の長さを調整でき、太めのタイヤで土の上も進める。
以前からニナが工具運搬に使っている物と、ほぼ同型だ。
「赤い、くるま」
「畑用だ。水やり道具、収穫籠、観察道具を運ぶ」
「トトが使うの?」
「主にトトが管理して、ミーシャと一緒に使ってくれ。作業が終わったら、乗って遊んでもいい」
トトは目を丸くした。
「管理……」
「使い終わったら土を落とす。雨に濡れたら拭く。畑倉庫の決めた場所へ戻す。壊れていないか確認する」
「できる」
「重すぎる物は入れない。坂では後ろから押さない。橋の上で遊ばない」
「橋の上は、ゆっくり渡る」
「そうだ」
畑の仕事がない時に、空のワゴンを引いて遊ぶくらいなら構わない。ただし、誰かを乗せて勢いよく坂を下るのは禁止だ。
そう俺が説明を終える前に、こびゃっこがワゴンの中へ飛び込んだ。
「では、試運転じゃ!」
「早いな」
「隊長車、発進!」
トトが引き手を握る。
「ゆっくり?」
「ゆっくりだ」
トトが歩き出すと、赤いワゴンが畑の通路を進んだ。中では、こびゃっこが前足を上げている。
「右よし! 左よし! 畑守り隊総長車、巡回開始じゃ!」
「隊長から総長へ昇格するな」
「赤い車体。シャコタン。大径タイヤ。これはもう立派な族車――」
「農業用ワゴンだ」
「箱乗りは禁止かの?」
「絶対に禁止だ」
ユキも乗りたそうに、ワゴンを見た。
「ユキも」
「仕事道具だから、遊ぶ時だけな」
「いま、あそぶ?」
「今は仕事だ」
「む」
「水やりが終わったら、広い草地で少しだけな」
「わかった」
トトは畑を一周すると、ワゴンを倉庫前へ止めた。引き手を畳み、タイヤについた土を小さなブラシで落とす。
説明したばかりなのに、もう管理を始めている。スケッチブックと色鉛筆は、蓋付きの収納箱へ入れた。トトには、物を大切に扱う素質があるらしい。
◇
「ミーシャにもあるぞ」
俺は、もう一台の赤いワゴンを取り出した。
「私にも?」
「ああ。これは洗濯と食堂の手伝い用だ」
ミーシャは畑の水やりもしているが、普段はリリアと一緒に洗濯物を運び、食事の準備も手伝っている。
橋ができたことで、畑用の布、作業着、手袋などをまとめて運ぶ機会も増える。
洗濯ハウスから物干し場。
住居から洗濯ハウス。
食堂から倉庫。
手で抱えて何度も往復するより、ワゴンを使った方が安全で楽だ。
「洗濯物を入れる時は、内側へ清潔なカバーを敷く。畑の土がついた物を運ぶ時は、別の防水シートを使う」
「きれいな物と、汚れた物を分けるのね」
「そうだ。カバーも色を分けた。白が洗った物。茶色が汚れた物」
「間違えない」
「頼む」
さらに、子供用のエプロンを数着出した。
赤系の細かなチェック柄。
薄い桃色。
生成りに赤い縁取り。
洗濯して交代で使えるよう、三着。リリア用にも、落ち着いた青系と緑系のエプロンを三着用意してある。
「これ、私の?」
「ああ。料理の手伝いと洗濯物を畳む時に使う。汚れたら無理に使わないで、洗濯へ回すこと」
ミーシャは赤いチェック柄のエプロンを胸へ当てた。
「リリアと同じ」
「形はな。大きさはミーシャ用だ」
洗濯物を洗濯機へ入れたあと、畑へやって来たリリアは、少し離れた場所で自分用のエプロンを広げていた。
「こんなに何着も、よろしいのですか?」
「毎日使うなら、洗い替えが必要だろ」
「以前のお屋敷では、使用人のエプロンは自分で繕いながら、一着を長く使うものでした」
「ここでは、破れるまで一着だけを使い続けなくていい」
リリアの手が止まった。こういう時、俺は返事に困る。本人にとっては普通だった過去を、こちらの基準だけで否定したくはない。
だが、不便や我慢を美徳にする必要もない。
「リリアが洗濯や料理をしてくれて助かってる。そのための仕事道具だ。ミーシャも同じだ」
「……ありがとうございます」
「ただし、働きすぎないこと。そこはこれからも同じだからな」
「はい」
ミーシャは早速、エプロンを着けようとした。だが、後ろの紐へ手が届かず、猫の尻尾まで巻き込みそうになる。
「ミーシャ。ちょっと待って」
リリアが笑いながら、紐を結び直した。
「尻尾を挟まないように、ここを少し上へしましょう」
「うん」
エプロンの裾から、赤茶色の猫尻尾が出る。ミーシャは、その場で一度くるりと回った。
「どう?」
「似合ってるぞ」
ユキが近づき、エプロンを触った。
「ミーシャ、ごはんのひと?」
「お手伝いする人」
「からあげも、つくる?」
「唐揚げは、まだヒカルのお手伝いだけ」
「がんばって」
ユキは真剣に、ミーシャの両手を握った。
「かみのにく、おねがい」
「神託みたいに唐揚げを任せるな」
畑での役割に合わせた道具が、少しずつ増えた。
トトには、野菜の成長を記録するための画材と、畑道具を運ぶ赤いワゴン。
ミーシャには、洗濯と食堂の手伝いに使うワゴンと、洗い替えのできるエプロン。
皆に同じ物を配ったわけではない。だが、それぞれが自分の役割を少しやりやすくするための物だ。
ユキの言葉を借りるなら――。
群れは同じでも、仕事は違う。そして、違う仕事をしていても、皆が同じ群れであることは変わらない。
⸻
【収支報告】
異世界生活50日目
日付:五の月9日
オリエント王国歴952年
開始残高:486,831 pt
今回の購入:
・折りたたみ式赤色キャリーワゴン2台
360 pt(約36,000円)
・トト用スケッチブック、携帯ケース入り色鉛筆セット、鉛筆削り、消しゴム
55 pt(約5,500円)
・ミーシャ用エプロン3着、リリア用エプロン3着、三角巾、洗い替え用布類
120 pt(約12,000円)
・午前中の飲料、軽食、消耗品
40 pt(約4,000円)
今回支出合計:575 pt(約57,500円)
現在残高:
486,831 pt − 575 pt = 486,256 pt
円換算目安:
486,256 pt × 100円 = 約48,625,600円相当
続く




