第58話 一方オリエント王国では(後編)
王との謁見を終えた日の夕方。ドランは、王都西区の職人街にある馴染みの酒場へ向かっていた。
石造りの建物が並ぶ通りには、木材、鉄、石粉、油、革の匂いが混じっている。昼間なら、鋸や金槌の音が絶えない場所だ。
だが、日が傾けば職人たちは仕事場から酒場へ移動する。それは仕事の話をするため。弟子を叱るため。材料の値段へ文句を言うため。そして最後には、誰が一番強い酒を飲めるかで揉めるためだ。
ドランは両手に荷物を抱え、石段を上がっていた。右手には、ヒカルから預かった酒と食料。左手には工具箱。
そして背中には、折り畳むこともできないマウンテンバイクを、そのまま担いでいる。
「重い」
後ろを歩くガランが言った。
「なら、降ろして自転車を押せ」
「見せ方が大事なんじゃ」
「背負う必要はないだろう」
「職人は第一印象で食いつかせねばならん」
「酒場へ自転車を背負って入る男の第一印象は、たぶん変人だ」
「わしは元から変人扱いされておる」
「それを誇るな」
酒場の看板には、鉄の杯と石槌が描かれていた。店名は《槌と麦酒亭》。職人街でも古くから続く店だ。
ドランが勢いよく扉を開ける。
「親父! 戻ったぞ!」
店内の視線が、一斉にドランへ集まった。
次の瞬間。
「ドランだ!」
「生きてたのか!」
「レイシスへ行って首輪をつけられたって聞いたぞ!」
「東風の牙が全滅したって噂もあったな!」
「いや、王国を捨てて鉱山王になったって聞いたぞ!」
「誰じゃ、最後の噂を流した奴は!」
ドランが怒鳴る。酒場の奥から、腹の出た人族の店主が顔を出した。
「戻って早々うるせえぞ。しかも何だ、その車輪は」
「新しい乗り物じゃ」
「酒樽運びか?」
「人が乗る」
「車輪が二つしかねえぞ」
「それで走る」
「倒れるだろ」
「止まる時はな」
「欠陥品じゃねえか」
「足をつけば倒れん!」
店内から笑いが起きた。ドランはマウンテンバイクを床へ下ろす。
「笑うなら乗ってみろ!」
「その前に酒だ」
奥の大きな卓から声が飛んだ。座っていたのは、腕の太い人族の男だった。
50歳前後。短く刈った灰色の髪。日焼けした顔。作業着の袖には、まだ木屑がついている。
大工棟梁、グレゴール。古い木組みと王国式建築に精通し、腕も確か。
気難しい職人気質ではあるが、新しい技術を頭ごなしに否定せず、実物を見て良し悪しを判断する男として知られている。
「お前が酒場へ持ち込んだ物に、ろくでもない物は多い。だが、面白くない物は少ない」
「褒めておるのか?」
「半分だけな」
グレゴールの横には、若い猫族の女性が座っていた。赤茶色の髪を短くまとめ、耳の先には黒い毛がある。
細身だが、腕と背中には高所作業で鍛えられた筋肉がついていた。
屋根職人、ミネット。
足場や梁の上を平地のように歩き、急勾配の屋根でも怯まず作業する、屋根工事の専門家だ。
「ドラン、ずいぶん遅かったにゃ」
「その語尾、まだ直っとらんのか」
「方言にゃ」
「どこの地方の方言じゃ」
「私の生まれた村では普通にゃ」
「村の者は、全員そう喋るのか?」
「半分くらいかにゃ」
「残り半分は?」
「普通」
「それは方言ではなく、個人差じゃろ」
ミネットは麦酒を一口飲んだ。
「あんまり細かいことを気にすると、屋根から落ちるにゃ」
「どういう理屈だ」
さらに隣には、痩せた人族の男がいた。髪を後ろへ撫でつけ、指には塗料の跡が残っている。
内装職人のエリオット。
壁、床、建具、収納、仕上げを得意とし、見た目の美しさと日々の使いやすさの両方へこだわる男だ。
エリオットは、マウンテンバイクを見て眉を寄せた。
「その乗り物、色が地味だな」
「最初に見るのが色か」
「形は悪くない。黒だけでは重い印象になる。泥除けへ細い線を入れれば、もっと見栄えがする」
「これは山道を走る道具じゃぞ」
「道具にも美しさは必要だ」
「ヒカルと話が合いそうじゃな」
別の卓には、ドワーフの女性が座っていた。太い三つ編み。小柄だが広い肩幅。革の前掛けの下から、鍛えられた腕が見えている。
鍛冶師のボルガ。
「鉄の話なら聞くよ」
彼女は短く言った。
「酒の話なら、もっと聞く」
「相変わらずじゃな」
「お前に言われたくない」
窓際には、狐族の兄弟がいた。兄のカイル。弟のレイル。赤褐色の耳と尾を持ち、顔立ちはよく似ている。
兄は落ち着いており、弟は何か思いつくたび、すぐ口へ出す。
二人は土木工事と水路施工を専門にしていた。
「湖畔の話なんだろ?」
カイルが尋ねた。
「水が豊富なら、用水路を引ける」
レイルが続ける。
「排水路も必要だ。水がある場所は、水を逃がす道もいる」
「話が早いのう」
最後に、酒場の隅で一人静かに飲んでいるドワーフがいた。
石工のバドル。
低い背丈。太い指。顔の半分を覆う黒髭。滅多に喋らず、石を見れば産地や硬さ、割れる方向まで分かると言われている。
ドランが声をかける。
「バドル」
「聞こえている」
「湖畔へ行かんか」
「石はあるか」
「あるぞ。多分お前さんが見た事のない質が良い石材だ」
「質だけではないぞ。使える石かが問題だ」
「保証する。現地で見ろ」
バドルは杯を置いた。
「それなら、行く理由になる」
「決まりか?」
「まだだ」
面倒な職人たちが揃っている。だが、全員、腕だけは確かだった。
◇
ドランは大きな卓の上へ、ヒカルから預かった品を並べた。
ウイスキー。日本酒。ワイン。高級ハム。サラミ。缶詰の焼き鳥。
短柄ラチェット。水平器。金属製の小型巻尺。替刃式の鋸。箱入りの木工ネジ。そして、黒と青の小型電動ドライバー。
さらに自分の腕時計を外し、卓の中央へ置く。
「湖畔にいる異界人、守護者ヒカル殿からの土産じゃ」
真っ先に反応したのは、鍛冶師のボルガだった。電動ドライバーを手に取り、先端や握り部分を確かめる。
「何だい、これは」
「回す道具じゃ」
「見れば分かる。何の力で回す」
「中に電気を溜める仕組みがある」
「でんき?」
「雷を小さくして箱へ詰めるようなものじゃ」
ガランが口を挟んだ。
「その説明は、たぶん正確ではない」
「わしにも詳しく分からんのじゃ」
ボルガが引き金へ指を掛けようとすると、ドランが工具を取り戻した。
「待て。まずは、わしが見せる」
ドランが引き金を引く。
ウィン――。
先端が勢いよく回転した。
グレゴールが眉を上げる。
「その音は何だ」
「電動ドライバーという道具じゃ。握れば先端が回る。ネジを締めるのも、緩めるのも、これ一つじゃ」
ドランは卓へ木材を一本置いた。その横へ、小さな紙箱を載せる。箱を開くと、中には木工ネジが大量に入っている。
「これを使う」
ミネットが一本つまみ上げた。
「細いにゃ。釘じゃないのかにゃ?」
「ネジじゃ。先を見てみい」
職人たちが顔を寄せる。鋭く尖った先端。一定の間隔で刻まれた螺旋。
揃った太さ。揃った長さ。そして頭部の中央には、十字形の溝が正確に切られている。
「全部……同じだ」
エリオットが箱から数本を取り出し、卓へ並べた。
「長さも、軸の太さも、頭の大きさも、溝の位置も揃っている」
グレゴールは一本ずつ指先で転がし、眉間へ深いしわを寄せた。
「これを一つずつ、鍛冶師が削ったのか?」
「違うらしい。工場という場所で、大量に同じ形へ作るそうじゃ」
「大量に?」
ボルガが、ドランからネジを奪うように受け取った。
「待って。螺旋の間隔まで、ほとんど同じ」
「そうじゃ」
「曲がりもない。軸が真っすぐだ。頭の中心へ、正確に溝がある。どうやって作っている」
「それを知りたければ、湖畔へ来いと言うておる」
「卑怯な勧誘するな!」
「効いておるではないか」
この世界にも、ネジは存在している。ただし、その多くは鍛冶職人による手作りだ。頭部の溝は、一本だけのマイナス形状。
長さや太さは、一本ごとに微妙に異なる。同じ箱へ入っていても、大きさが揃っておらず、作業の途中で工具を替えることも珍しくない。
溝が浅すぎる物。中心からずれている物。軸がわずかに曲がっている物。螺旋の間隔が不均一な物。それが当たり前だった。
「この十字の溝は何だ?」
グレゴールが尋ねる。
「先端が外れにくい形じゃ。専用の先を使う」
ドランは電動ドライバーへ十字形のビットを取り付けた。
木材へネジを立てる。
「よく見ておれ」
ウィン――。
ネジは迷いなく木材へ食い込み、数秒で頭まで沈んだ。
職人たちが黙った。
「……終わりか?」
「終わりじゃ」
「今ので?」
「今のでじゃ」
グレゴールは締め込まれたネジを確認し、木材を持ち上げた。
「下穴もなく、木を大きく割らずに入った」
「先端が尖っておるからな。材によっては下穴を開けるが、普通の木材なら、そのままでも入る」
「もう一度やれ」
ドランが隣へ二本目を打ち込む。
ウィン。
「もう一度」
ウィン。
「もう一度」
「おぬし、自分でやれ」
電動ドライバーを渡され、グレゴールは恐る恐る引き金を引いた。
先端が空中で回る。
「おおっ」
「まだ木へ当てておらんじゃろうが」
「分かっている!」
グレゴールはネジを立て、工具を押し当てる。
ウィン――。
少し斜めにはなったが、ネジは木材へ入った。グレゴールの目が変わる。
「……これは、人を駄目にする道具だ」
「便利な道具と言え」
「一日かかる仕事が、半日になる」
「慣れれば、もっと縮むかもしれんぞ」
「職人の腕が要らなくなるのか?」
「逆じゃ」
ドランは腕を組んだ。
「同じ時間で、より多く、より正確な仕事ができる。道具が仕事を奪うのではない。単純な締め付けへ取られていた時間を、腕の必要な仕事へ戻すんじゃ」
グレゴールは再び、箱の中の木工ネジを見た。
「工具より、こちらの方が恐ろしいな」
「ネジがか?」
「ああ。どれを取っても、同じ物が出てくる」
グレゴールは数本のネジを、きれいに並べる。
「寸法を決めて図面を引けば、その通りに組める。一本ごとの差を、職人が勘で調整しなくていい」
エリオットも頷いた。
「収納棚や建具を複数作る時も、仕上がりを揃えやすい」
ボルガは悔しそうに木工ネジを睨んでいる。
「これほど揃ったネジを、必要なだけ用意できるなら、家具も建具も道具も変わるぞ」
「釘とは使い分けるのか?」
グレゴールが尋ねた。
「ヒカルによれば、何でもネジにすればよいわけではないそうじゃ。力のかかり方、材の種類、解体の予定、施工速度。それぞれに向き不向きがある」
「便利な方を使うだけではなく、使い分けも考えているのか」
「ヒカルは、そういう男じゃ」
ミネットが木工ネジの箱へ顔を近づける。
「屋根板や下地を留めるのも早そうにゃ」
ドランは笑いながら、電動ドライバーと木工ネジの箱を指した。
「湖畔には、これ以外にもある。丸ノコ。レーザー距離計。水平を光で出す道具。見たこともない金具。守護者ヒカル殿は、それらを使って住居も診療所も祠も建てておる」
「工具は支給されるのか?」
グレゴールが聞く。
「働く者には、仕事に応じて支給すると言うておる。良い仕事をするなら、必要な道具は惜しまぬ男じゃ」
グレゴールは、木材へ並んだ四本のネジを見つめた。
「湖畔で三か月だったな」
「まずはな」
「……道具を見るだけだ」
「見るだけでなく、使いたいとは思わんか?」
「まだ行くとは言っていない」
そう答えながらも、グレゴールの手は電動ドライバーを離していなかった。
◇
次にグレゴールが興味を示したのは、金属製の巻尺だった。細い金属の帯を引く。するすると伸びる。
「目盛りが細かい」
「ミリとセンチじゃ」
「このまま止まるのか?」
「そこを押せ」
カチ。巻尺が固定される。
「戻す時は?」
「指を離す」
シュルルルルッ!
「おおっ!」
グレゴールがわずかに身を引いた。ミネットが笑う。
「棟梁、びびったにゃ」
「驚いただけだ」
「耳がないから分かりにくいにゃ」
「お前は、人の反応を耳で判断するな」
グレゴールは巻尺を何度も伸ばし、目盛りと先端金具を確認した。
「測る道具としては優秀だ。紐より速い。湿気でも長さが変わりにくい」
「図面もあるぞ」
「図面?」
「ヒカル殿は、箱の中の光る板で建物を描く。寸法を入れれば、上から見た形、横から見た形、基礎の鉄の位置まで出せる」
グレゴールの顔から笑いが消えた。
「冗談ではないな?」
「本当じゃ」
「誰が描く」
「ヒカル殿本人じゃ。今は、車両三台を収める建物を設計しておる」
「木造か?」
「鉄筋コンクリートの基礎へ、組み立て式の建物を置く予定じゃ」
「鉄筋……コンクリート?」
「鉄の棒を組み、石のように固まる物を流し込む」
「見たことのない工法だ」
「だから呼びに来た」
グレゴールは、巻尺と電動ドライバーを交互に見た。
「新しいから良いとは限らん」
「分かっておる」
「だが、良い物なら学ぶ価値はある」
「そう言うと思ったぞ」
「まだ行くとは言っていない」
「酒を飲んでから決めろ」
「お前の勧誘は、最後がいつもそれだな」
◇
ミネットはマウンテンバイクへ近づき、前輪を回した。
「軽いにゃ」
「持ち上げてみろ」
彼女は両手で車体を持ち上げる。
「梯子より軽い」
「人を乗せて山道を走れる」
「屋根の上は?」
「走るな」
「瓦屋根なら?」
「なおさら走るな」
「冗談にゃ」
「目が本気だったぞ」
ミネットはサドルへまたがった。ドランが慌てる。
「待て! 店の中で乗るな!」
「少しだけにゃ」
「壁へ突っ込むぞ!」
「猫族は平衡感覚がいいにゃ」
ミネットはペダルへ足を乗せた。そのまま、酒場の中をゆっくり一周する。客たちが慌てて杯を持ち上げた。
「おお!」
「乗れてるぞ!」
「初めてだろ?」
ミネットは卓の間を抜け、入口近くでブレーキをかけ、片足を地面へついた。
「簡単にゃ」
ドランの顔が引きつる。
「わしは乗れるまで、何度も転んだんじゃぞ」
「方言のおかげにゃ」
「平衡感覚じゃろ!」
「にゃはは」
ミネットはマウンテンバイクのフレームを撫でた。
「湖畔まで、これで行けるの?」
「お前たちが出る時は馬車を使う。材料と道具が多いからな」
「現地では貸してもらえる?」
「ヒカルへ頼めば、移動用に用意するかもしれん」
「屋根の点検が速くなるにゃ」
「屋根へ持ち上げる気か?」
「建物の周囲を見る時に使うだけにゃ」
「今度は本当に冗談だろうな」
◇
エリオットは、缶詰を手に取っていた。
「この金属容器は、どう開ける?」
「そこに輪がある」
「これか」
指を掛けて引く。ぱきっ。蓋が開き、甘辛い焼き鳥の香りが広がった。周囲の視線が集まる。
「肉が入っている」
「見れば分かる」
「どれほど持つ?」
「開けなければ、かなり長い」
「魔法保存か?」
「違う。加熱してから、空気が入らぬよう密閉しておるらしい」
エリオットは一口食べた。黙る。もう一口食べ、麦酒を呑んだ。
「酒に合う」
「そこへ着地するか」
「保存できて、容器にもなり、開ければすぐ食べられる。現場向きだ」
「ヒカル殿は、他にも色々持っておるぞ」
「内装材は?」
「床材、壁材、断熱材、塗料、金物、棚、机、椅子。必要になれば、いろいろ出してくる」
「色は選べるか?」
「選べる」
「木目は?」
「多分」
「金具の色も?」
「多分」
「多分ばかりだな」
「全部わしに聞くな! 本人へ聞け!」
「では行く」
「お前も決断が早いな」
「選べる材料が多い現場は面白い」
内装職人一名。参加決定である。
◇
狐族の兄弟は、水平器へ夢中になっていた。カイルが、透明な管の中の気泡を見る。
「中央へ入れば水平か」
「そうじゃ」
レイルが反対側を少し持ち上げる。
「傾くと気泡が動く」
「水路の勾配確認に使えるな」
「もっと長い物もあるのか?」
「ある」
「レーザーという光で、高さを測る道具もあるらしいぞ」
兄弟の耳が同時に立った。
「光で?」
「離れた場所の高さが分かる」
「水を流さなくても?」
「基準を作れるそうじゃ」
レイルが立ち上がる。
「兄さん」
「ああ」
「行こう」
「待て。条件を聞いてからだ」
カイルはガランを見る。
「湖畔では、何を作る予定だ」
「現在分かっている範囲では、ガレージ、食堂、排水設備、生活道路。今後は水路や畑も必要になる可能性が高い」
ガランは、畑がすでに作られていることを知らない。約50メートル四方の畑が、緑の柵で囲まれていることも。小川へ幅6メートルの鋼製橋が架かったことも。
南側道路の計画が始まったことも知らない。だから、この時点では可能性として話すしかなかった。
「水源は?」
「巨大な湖と、複数の小川がある」
「地形は?」
「湖岸は草地と砂利浜。少し離れれば森林。拠点周辺は比較的平坦だ」
カイルは弟を見る。
「三か月では足りないかもしれないな」
「なら半年いる?」
「勝手に期間を伸ばすな」
レイルは笑った。
「面白そうだ」
「条件次第だが、俺たちも参加する」
土木・水路職人二名も決まった。
◇
バドルは黙ったまま、日本酒を飲んでいた。小さな杯を口へ運び、ゆっくり味わう。
「どうじゃ」
「米の酒だな」
「知っておるのか?」
「古い石碑に、稲と酒の記録があった」
「王から聞いた。昔は、白狐神の里で米を作っておったそうじゃ」
バドルの手が止まった。
「白狐神の里?」
「湖畔に戻っておる」
「本当か」
「幼い白狐神ユキと、守護神使様がおる」
酒場の空気が、少しだけ変わった。ここまで道具や酒の話で騒いでいた職人たちも、静かになる。
オリエント王国に暮らす者なら、白狐神の伝承を知らない者は少ない。特に古い職人家系には、白狐神の里から伝わった技術の話が残っている。
石積み。水路。木組み。薬草乾燥小屋。冬を越すための貯蔵庫。畑の排水方法。多くは形を変えながら、今も王国で使われていた。
「先代の里は、滅びたのではなかった」
ガランが言った。
「守護神使様が、先代白狐神しらゆきと住民を別世界へ逃がした。今の湖畔には、新たな白狐神ユキと、守護者ヒカル殿がいる」
グレゴールが腕を組む。
「守護者は何者だ」
「異界人だ」
「信用できるのか」
「俺は信用している」
「お前がか」
「ああ」
ガランは正面から答えた。
「ヒカル殿は強い。俺でも剣では敵わない。だが、その力を自慢せず、子供の寝床と食事を先に整える男だ」
ミネットの耳が動く。
「子供がいるのかにゃ」
「猫族の姉弟、ドワーフの少女、そして白狐神ユキ。ほかにも、レイシスから逃れてきた者たちを保護している」
ボルガが低く言った。
「奴隷だった者かい」
「ああ」
「なら、行く理由が増えた」
バドルがようやく杯を置く。
「白狐神の新しい里に、石工は必要か」
「必要になる」
「何を作る」
「今は祠がある。これから基礎、石積み、側溝、道、橋台、建物も増えるだろう」
「石を見せろ」
「現地でな」
「なら行く」
石工一名も決定した。
◇
残るは、棟梁グレゴールと屋根職人ミネットだった。
もっとも、ミネットはすでにマウンテンバイクへ夢中で、参加する気が顔へ出ている。
「私は行くにゃ」
「早いな」
「美味しいご飯、新しい道具。行かない理由がないにゃ」
これで六人。全員の視線がグレゴールへ集まる。グレゴールは、ヒカルからの高級ハムを一枚取り、ゆっくり食べた。
次に日本酒を一口。腕時計を見る。巻尺を見る。木工ネジを見る。最後に、手から離していなかった電動ドライバーを卓へ置く。
「ヒカルという男は、俺たちを安い労働力として呼んでいるのか」
「違う」
「王国の命令か」
「違う」
「白狐神のためなら、黙って働けと言うつもりか」
「それも違う」
ドランは真面目な顔で答えた。
「ヒカル殿は、こちらの通貨を持っておらず、給金を払えないことを気にしておった。代わりに食事、酒、作業服、道具、住む場所を用意すると言った。嫌なら断ってよいともな」
「腕の上下は問わないのか」
「腕が良く、話を聞ける職人を連れてきてほしいとは言われた」
「新しい工法を、俺たちへ押しつけるか」
「多分、相談する。あやつは図面を引くが、現場で分からぬことは人へ聞く」
グレゴールは、木材へ打ち込まれた木工ネジを見た。
「守護者と呼ばれるほどの力を持ち、剣ではSランクに勝ち、異界の道具を出し、それでも職人へ相談するのか」
「そういう男じゃ」
「面白いな」
グレゴールは杯を空にした。
「行こう」
ドランが大きく笑った。
「よし!」
「ただし、条件がある」
「何じゃ」
「俺たちは客ではない。現場へ入る以上、仕事の判断では意見を言う」
「当然じゃ」
「危険な工事なら止める」
「ヒカル殿も安全第一じゃ」
「異界の工法でも、納得できなければ質問する」
「望むところじゃろ」
「それから、この木工ネジをもう一箱用意しろ」
「今は見本だけじゃ!」
「なら湖畔へ着いた日に頼む」
「結局、そこが決め手ではないか!」
「技術を確かめるためだ」
「電動ドライバーを握ったまま言っても説得力がないぞ」
大工棟梁グレゴール。屋根職人ミネット。内装職人エリオット。鍛冶師ボルガ。土木・水路職人カイルとレイル。石工バドル。合計七人。
湖畔へ向かう職人チームが決まった。
◇
「出発は二週間後だ」
ガランが全員へ説明した。
「早すぎないか?」
エリオットが尋ねる。
「王都から湖畔までは遠い。馬車と荷車を使う。道中の安全確保も必要だ」
「普通なら何日かかる」
「湖東側まで、およそ二週間。そこから湖畔拠点までは、迎えが出る予定だ」
「今度は、あの二輪車で行かぬのか?」
バドルがマウンテンバイクを見る。
「職人七人分の道具と資材を背負って走れるなら止めない」
「無理だな」
「だから馬車だ」
警護は、ガランの後輩にあたるAランクハンターチームへ依頼することになった。
東風の牙が近衛騎士団を退き、ハンターとして活動し始めた頃から面倒を見てきた若いチームだ。現在は王都を拠点とし、護衛、魔物討伐、街道警備を中心に活動している。
その夜遅く、ガランはハンターギルドを訪れた。
◇
ギルドの面談室に集まったのは、Aランクチーム《蒼岩の盾》の四人だった。
リーダーは、人族の重盾戦士オルフェン。副長は、犬族の槍使いセルド。斥候は、猫族の女性ナージャ。魔術師は、エルフの青年フィン。
オルフェンはガランを見るなり、背筋を伸ばした。
「ガラン先輩。お久しぶりです」
「堅くなるな。同じハンターだ」
「SランクとAランクでは違います」
「階級の話をしに来たんじゃない」
セルドが机へ身を乗り出す。
「湖畔の任務だと聞きました」
「耳が早いな」
「王城へ自転車で突入したという噂も聞きました」
「突入していない。正門で止まった」
「ドワーフが草むらへ飛んだとも」
「それは事実だ」
「やっぱり」
ナージャが笑う。
「その乗り物、あとで乗せてください」
「任務を受けるならな」
「受けます」
「まだ内容を説明していない」
「新しい乗り物がある場所へ行けるなら受けます」
「職人にも同じ反応の者がいたぞ」
ガランは依頼内容を説明した。職人七人の移動警護。王都から湖東側まで約二週間。
湖東側で、東風の牙か湖畔側の迎えと合流。その後、白狐神の湖畔拠点で三か月間、東風の牙と共同警備。
目的は職人の安全確保。湖畔拠点周辺の警戒。レイシス神務院への警戒。魔物や害獣への対処。
もちろん、白狐神ユキや守護者ヒカルへ命令する立場ではない。
「現地では、ヒカルの方針へ従え」
オルフェンが頷く。
「王国軍ではなく、現地警備員として動くということですね」
「そうだ。余計な威圧はするな。特にユキは敬称を嫌う」
「白狐神へ敬称なしで話すんですか?」
フィンが青ざめる。
「本人が『ユキはユキ』と言う」
「でも、神ですよね」
「神だ」
「幼い姿ですよね」
「五歳くらいだ」
「どう接すれば……」
「他にも子供達がいる、ユキだけ特別扱いしないで、同様に接して欲しい」
「そこが重要なんですか?」
「重要だ」
ガランは真顔だった。
「ユキは群れの公平を大切にする。子供たちには自分と同じ物を、同じ量だけ配る。それをヒカル殿も徹底している」
ナージャが感心する。
「良い守護者ですね」
「ああ」
「神務院は、その白狐神を狙っているんですか」
オルフェンの表情が変わった。
「可能性が高い。白狐神の力、結界、神気、隷属術式への干渉。利用しようとする理由はいくらでもある」
「なら、警護は必要です」
「ただし忘れるな。ヒカル殿は、お前たちより強い」
「先輩よりも?」
「剣では、俺でも勝てない」
四人が黙った。セルドが小声で言う。
「俺たち、警護に必要ですか?」
「強さだけが警備ではない。交代、巡回、監視、伝令、人員整理。やることは多い」
「なるほど」
「それにヒカル殿は、放っておくと工事と料理と子供の世話を全部一人でやろうとする」
「何者なんです、その人」
「守護者で、工務店で、料理係で、医療補助で、何でも係だ」
「最後だけ雑ですね」
「本人が、そう呼ばれている」
《蒼岩の盾》は、正式に依頼を受けた。表向きはハンターギルド経由。報酬は王国とギルドが負担する。
三か月間の長期任務だが、白狐神の里とレイシス神務院に関わる重要任務として、通常より高い報酬が設定された。四人は二週間後、職人たちと共に出発する。
◇
それから四日。ガランとドランは、王都で必要な準備を整えた。
王命書。大使任命書。魔石の入った大型箱。近衛騎士団派遣の通知。特使派遣の通知書。職人七人の名簿。
《蒼岩の盾》への依頼書。湖畔へ持ち帰る補給品。魔石箱は重量がありすぎるため、王国側の収納持ち職員に、湖東側の中継拠点まで運ばせる手配をした。
ガランとドランは先に湖畔へ戻り、ヒカルへ報告する。
湖東側までは王国の騎馬伝令隊が荷物を運び、そこからは東風の牙かバギーで回収する予定だった。
出発の朝。二人は王都東門の外で、マウンテンバイクを確認していた。
タイヤの空気。ブレーキ。チェーン。変速機。荷物の固定。予備チューブ。修理工具。水筒。非常食。
ガランは腕時計を見る。
「よし。出発だ」
ドランはサドルを睨んでいる。
「また、これへ乗るのか」
「行きは喜んでいたじゃないか」
「尻が未来を知ってしまった」
「何を言っている」
「尻だけ王都へ置いていけんかのう」
「無理だ」
「予備の尻は売っておらんか」
「ヒカルでも出せないと思うぞ」
「厚い座布団なら出せる」
「帰ったら頼め」
城門の衛兵たちが集まっていた。四日前、草むらへ倒れたドランを見ていた者たちだ。
「今度は転ばないでくださいよ」
「任せろ!」
ドランは胸を張って、マウンテンバイクへまたがった。右足をペダルへ乗せる。左足で地面を蹴る。ふらつく。
「おおっ」
「前を見ろ!」
「見ておる!」
「壁へ行っているぞ!」
「壁が寄ってきたんじゃ!」
「壁は動かない!」
どうにか街道へ出る。衛兵たちから拍手が起きた。
「やかましい!」
ドランが振り返って怒鳴ったため、今度は道端の杭へぶつかりかける。
「前を見ろと言っただろう!」
「見送りへ返事をしただけじゃ!」
ガランは先へ走り出し、ドランも遅れて追う。王都の城壁が、少しずつ遠ざかっていく。
湖畔へ戻れば、報告することが山ほどある。守護神使の古い名。白夜参上。王国との友好方針。大使任命。近衛騎士20名。銀狐族の特使。
そして、ヒカルのスキルで換算すれば、およそ3,000,000ptになる魔石。
七人の職人とAランクハンターチーム。ヒカルがどんな顔をするか、ガランには想像できなかった。
「ガラン!」
後ろからドランが叫ぶ。
「何だ!」
「湖畔へ戻ったら、最初に何を食う!」
「報告が先だ!」
「報告しながら食えばよい!」
「行儀が悪いぞ!」
「稲荷寿司なら、守護神使様も喜ぶ!」
「お前が食べたいだけだろう!」
ドランは笑った。
「米の飯が待っておるぞ!」
「だから前を見ろ!」
マウンテンバイク二台が、東の街道を進んでいく。
その頃、湖畔ではガランとドランが知っていた景色に、畑が増え、緑の柵が増え、小川には幅6メートルの鋼製橋が架かり、さらに南側道路の計画まで始まっていた。
たった数日。されど、ヒカルへ数日与えるということは、設備が一つか二つ増えるという意味ではない。
段取りが新しい段取りを呼び、拠点そのものが形を変えるという意味だった。
ドランが湖畔へ戻った時、鉄の橋を見てどれほど騒ぐのか、ガランはまだ知らない。ただ一つだけ確かなことがある。静かに驚くことだけは、絶対にない。
続く




