第55話 白狐神と明日に架ける橋
畑の周囲に簡易柵が完成してから、俺は新しくできた東正門の前で腕を組んでいた。
畑は約50メートル四方。地中にはポリカーボネートの波板を埋め、地上には単管パイプの骨組みと緑色の獣除けネット。東西南北に門を設け、ミミとクロメでも簡単には潜れないようにした。
いや、ミミとクロメは潜る以前に、1.5メートルの柵など簡単に飛び越えられるだろう。
「おっちゃん」
青ライン入りヘルメットをかぶったユキが、東正門から外を覗いた。
「つぎ、なにする?」
「橋だ」
「はし」
「ああ。小川を渡る橋を作る」
ユキは少し考えたあと、畑の向こうにある小川を見た。
「バギー、かわだと、みず、ばしゃーってする」
「そうなんだよな」
現在、拠点と畑の間をバギーで移動するには、湖側の浅瀬まで回り込み、そのまま川へ入り、対岸へ上がらなければならない。
水深は約30センチ。
バギーなら問題なく渡れるが、毎回タイヤと車体下部が濡れる。増水すれば使えない。荷物を積んでいる時には速度も落とさなければならない。
それに、畑の東正門から拠点までは、直線で結べばかなり近い。今は迂回して約5分。橋を架ければ、2分もかからないはずだ。
「小さな木の橋でもいいと思っていたんだが……」
俺は畑の倉庫に戻り、休憩用の椅子に腰を掛け、ショップのスキルで取り寄せた資料を見た。
長さ12,000ミリ。幅6,000ミリ。つまり全長12メートル、幅6メートル。主桁には、H鋼材高さ約594ミリ、幅約302ミリ、ウェブ厚14ミリ、フランジ厚23ミリという、見ただけでドランが王国から走って帰ってきそうな鉄の塊だ。
床面まで組み上がり、両側には高さ1,100ミリのガードレールが付いている。完成品として購入でき、収納から一体のまま配置指定展開できる。
簡易な人道橋ではない。普通に車両が通れる仮設橋である。
「……これは、ちょっと本気すぎるか?」
俺が呟くと、ニナが資料を覗き込んだ。
「大きい」
「大きいな」
「鉄、太い」
「太いな」
「バギー、通れる?」
「余裕で通れる」
「ツチノコも?」
「ミニバックホーのサイズなら余裕だ。ただし、橋台と進入路をきちんと作ってからだな」
ニナの目が輝いた。
「べんり」
この子に橋を見せると、最終的に橋梁技師まで目指しそうだ。
こびゃっこはクロメの背中に乗り、資料を覗いた。
「ほほう。立派な鉄橋ではないか」
「仮設橋だけどな」
「仮でこれなら、本番は瀬戸大橋かの?」
「いきなり海を渡る規模にするな」
「昭和の終わり頃は橋の開通で大騒ぎじゃったぞ。テレビでは特番、土産物屋では橋まんじゅう、橋せんべい――」
「橋ができるたびに饅頭を作る文化みたいに言うな」
「めでたい時には饅頭じゃ」
「お前は結局、食べ物へ着地するな」
俺はスキル表示された価格を、もう一度見た。
橋本体、鋼製床版、横桁、連結部材、支承材、高さ1,100ミリのガードレール、端部処理材まで含めて、完成品一式。
152,000pt。日本円換算で約1,520万円。一般には買い取るよりリースすることが多い構造物らしい。だが、この世界へ返却業者が回収に来るわけではない。だから買い取りのみの設定だ。
「高いのう」
こびゃっこが俺のスキル表示を見て言った。
「そう言えば、お前も見えるんだよな」
「ヒカルが高い買い物をする時は、眉間が倹約主婦になる」
「誰が倹約主婦だ」
「チラシを見比べて、卵を買いに隣町まで行く顔じゃ」
「ガソリン代で赤字になるやつだな」
だが、橋は必要だ。畑への移動だけではない。今後、南側へ道を伸ばすなら、ここが拠点の主要動線になる。俺は購入を決めた。
「橋を買う」
「おっちゃん、はし、かう?」
「ああ」
「はしで、たべる?」
「箸じゃなくて橋だ。食べない方」
ユキは残念そうな顔をした。
「たべられない、はし」
「その分類はやめよう」
こびゃっこが胸を張る。
「安心せい。橋の完成祝いには赤飯を炊くのじゃ」
「何でも祝い飯に変換するな」
まずは設置場所を決めよう。橋は重い。長さが足りれば、どこへでも置けるわけではない。
両岸の地盤。川幅。川底の形。増水時の流路。橋台の高さ。進入路の勾配。橋を置いたあとの全体動線。全部を見る必要がある。
俺はレーザー距離計、回転レーザーレベル、受光器、測量用三脚、スタッフ、巻尺、杭、水糸、マーキングスプレーを購入した。
ニナが回転レーザーを見つめる。
「光、回る?」
「ああ。水平な基準を周囲へ飛ばしてくれる」
「泡の水平器より遠くまで分かる?」
「かなり遠くまで分かる」
「すごく、べんり」
「光る測量機器は、ニナに見せると全部欲しがりそうだな」
「見るだけ」
「今は、だろ?」
「今は」
やっぱり言った。候補地を何か所か測った結果、畑東正門前から湖畔拠点への直線上に、条件のいい場所があった。
川底全体の幅は約6メートル。現在、水が流れている部分は幅約4メートル。水深は中央付近で約30センチ。
両岸は少し高くなっており、橋を載せる位置では、川面から主桁下端まで約2メートルを確保できる。
増水時にも流木が主桁へ当たりにくく、橋脚を川の中へ立てる必要もない。
「ここだな」
俺はレーザー距離計を畑東正門へ向けた。
ピッ。次に、対岸の草地。その先にある湖畔祠の参道入口。さらに食堂タープの前。そして湖の浜辺。測ってみると、驚くほど綺麗に一直線へ並んでいた。
畑東正門を出て草地を通る。橋で小川を渡り、再び草地を抜けて祠の参道入口の前を横切る。ただし、鳥居や参道へ車両が入らないよう十分な間隔を取る。
食堂タープ前を通り、そのまま湖の浜辺へ出る。浜辺から北側へ曲がれば、将来のガレージ予定地へ行ける。
「道路の軸として理想的だ」
俺が呟くと、リーファが周囲を見た。
「祠を正面から見られるけれど、参道そのものは横切らない。いい位置だと思うわ」
「車両が鳥居へ突っ込まないよう、参道入口前には車止めを置く。まあ今のところ車に乗る人間は、俺たち以外に居ないんだが」
「それがいいわね」
ユキが測量杭の横に立った。
「ここ、はし?」
「ああ。ユキの後ろ側が橋の中心線だ」
ニナがユキの横に立ち、スタッフを垂直に持った。
「ニナ、動くなよ」
「動かない」
ガードレールの完成高さは1,100ミリ。
今のニナの身長と、ほぼ同じくらいだった。
「ガードレール、ニナくらいだな」
ニナは自分の頭の高さに手を当てた。
「私が、ずっと並ぶの?」
こびゃっこがクロメの背中で前足をワキワキさせた。
「ニナ防護柵じゃ!」
「人を単位にするな」
「1ニナ、1.1メートルじゃ」
「正式な単位みたいに言うな」
ユキもニナを見た。
「ニナ、ものさし?」
「違う」
ニナ本人だけは、少し考えてから言った。
「でも分かりやすい」
「いや、納得しなくていいから」
_____
1日目は測量と掘削だった。
橋の両端を受ける橋台部分は、片側およそ幅7メートル、奥行き3メートルほどを作業範囲として確保する。
本格的な鉄筋コンクリート橋台ではない。今回の完成品橋は、締め固めた砕石基礎と鋼製支承、端部固定材で設置できる設定になっている。
ただし、地面へ直接置くだけでは駄目だ。軟らかい表土を除去し、支持できる地盤まで掘る。
必要なら砕石を何層にも分けて敷き、各層を転圧。水が溜まらないよう排水勾配をつける。橋の左右で高さを揃え、橋軸がずれないよう中心線を固定する。
「ツチノコ、しゅつどう」
ユキ監督の声で、俺はミニバックホーを動かした。ツチノコのバケットで表土を掘り取る。
ざくっ。土をすくい、旋回し、仮置き場へ落とす。
ニナは安全範囲の外から、掘削深さをスタッフで確認する。
「あと、20センチ」
「了解」
「右、少し高い」
「そこも削る」
7歳のドワーフ少女が測量補助員として普通に機能している。俺が7歳の頃は、砂場で山を作り、水を流して崩壊させていた気がする。
「ニナ、すっかり現場の作業員だな」
ロクが笑った。
「現場の子供じゃなくて、現場の作業員扱いなんすね」
「内容だけ見るとな」
「でも、危ない作業は禁止っすよ」
「もちろんだ」
ロクはミミとともに周囲警戒。リーファはクロメと反対側の森際を見る。
こびゃっこは、クロメからミミへ乗り換えて現場を巡回していた。
「橋架け隊、見回りじゃ!」
「畑守り隊はどうした」
「本日は橋梁部門じゃ」
「組織拡大が早すぎる」
「昭和の会社は多角経営じゃ。建設、不動産、ゴルフ場、リゾート――」
「最後に何かが弾けることになる会社の流れだぞ」
「バブルは永遠ではなかったのう」
「急に遠い目をするな」
ユキはツチノコの横で、赤白の誘導棒を持っている。ただし、当然ながら重機の作業範囲外だ。
「おっちゃん、みぎ、だいじょうぶ」
「了解」
「うしろ、だれもいない」
「ありがとう、監督」
「どういらしまして」
ユキ監督はご満悦だった。
午前中に拠点側、午後に畑側を掘削する。掘った底面を確認すると、大きな軟弱層はない。念のために不安な土は取り除き、下層へ大粒の砕石を入れた。
レーザーで高さを確認し、排水方向を確認。地面ぶるぶるで仮転圧する。
ぶるるるるるる。ユキが胸を張る。
「じめん、はしを、ささえる」
「そうだ。橋は地面が支える」
「じめん、えらい」
「今回は本当にえらい」
こびゃっこが頷いた。
「縁の下の力持ちじゃな」
「橋の下だけどな」
「細かいのう」
1日目の夕方には、両岸に大きな四角い掘削跡ができた。
橋そのものは、まだ影も形もない。だが、図面上では橋の中心線が、畑から湖まで一直線に通っている。
______
2日目は砕石基礎と橋受けの設置だ。砕石を一気に入れてはいけない。厚く入れすぎると、表面だけ締まり、下が緩いままになる。
約20センチずつ入れる。レーキで均す。含水状態を確認。転圧。再び砕石。また転圧。
「地面ぶるぶる、いっぱい」
ユキが言った。
「今日は地面ぶるぶる祭りだな」
こびゃっこがミミの背中で叫ぶ。
「ぶるぶる音頭じゃ! 掘って、入れて、締めて、また入れる!」
「作業手順を音頭にするな」
「橋台よいとこ、一度はおいで、締めが甘けりゃ橋傾く!」
「神使様は、俗世でどんな歌聴いてたんだ」
ニナはレーキで砕石を均している。
「こっち、2センチ高い」
「受光器で分かるか?」
「音、変わる」
「すごいな」
レーザーレベルの受光器は、基準高さへ近づくと音が変わる。ニナは数回使っただけで聞き分けていた。
「ピピピは上。ピーは同じ」
「その通り」
「べんり」
「文明の利器だな」
砕石基礎ができたら、橋の端を受ける鋼製支承材とベースプレートを配置する。
橋軸方向。左右間隔。高さ。水平。対角寸法。すべて測る。長さ12メートルの橋では、端の数センチのずれが反対側で大きな誤差になる。
「ニナ、畑側の基準点を見てくれ」
「分かった」
「リーファ、誰も中心線へ入れないよう頼む」
「任せて」
「ロクは周囲警戒」
「了解っす」
ユキが手を上げた。
「ユキは?」
「総監督」
「そうかんとく」
こびゃっこが抗議する。
「待て。びゃっこが総監督ではなかったか?」
「お前は畑守り隊の隊長だろ」
「兼任じゃ」
「役職を増やしすぎるな」
「ならば名誉会長じゃ」
「一番仕事をしない位置へ逃げたな」
「見守り寝ができる役職じゃろ?」
「寝る前提か」
夕方、両岸の橋受けが完成した。レーザーで最終確認する。左右差、許容範囲内。橋軸、問題なし。支承間距離、問題なし。締固め、良好。排水勾配、良好。
鑑定を使う。
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【鑑定結果】
名称:仮設橋用砕石橋台基礎
状態:良好
構造:
・支持地盤確認済み
・砕石層分割施工
・各層転圧済み
・鋼製支承材設置済み
・排水勾配確保
危険性:
通常使用で低
注意:
・大雨、増水後の沈下確認
・橋端部の緩み確認
・定期的な水平測定
・進入路完成まで徐行
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「よし」
川の両岸には、橋を受け止めるための地面ができた。
まだ橋はないけれど、畑東正門から拠点へ伸びる中心線は、もう途切れていなかった。小川の上だけが、ぽっかりと空いている。
俺は収納の中にある巨大な鋼製橋を意識した。長さ12メートル。幅6メートル。主桁の高さだけで、ユキの半分以上ある。明日は、あれをここへ置く。
「おっちゃん」
ユキが橋受けの手前に立ち、対岸を見た。
「あした、はし、でる?」
「ああ。出す」
「おおきい?」
「かなり大きい」
ユキは少し考え、真剣な顔で言った。
「あしたも、あんぜんだいいち」
「もちろんだ」
こびゃっこがミミの上で前足を掲げた。
「明日は開通式じゃ! 紅白饅頭を用意するのじゃ!」
「橋を置く前から食べ物の話をするな」
「祝い事は段取りが大事じゃろ?」
「そこだけ俺の言葉を使うな」
こうして2日目の作業は終わった。畑と拠点の間には、まだ小川が流れている。だが明日、その上に群れの道が架かる。
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【収支報告】
異世界生活48日目
日付:五の月7日・第二曜日
オリエント王国歴952年
開始残高:648,961 pt
※第53話・第54話の確定収支が未提示のため、第52話終了残高を暫定的に継承。
今回の購入:
・全長12メートル、全幅6メートル完成品鋼製仮設橋一式、鋼製床版、主桁、横桁、支承、端部材、高さ1.1メートルガードレール付き 152,000 pt(約15,200,000円)
・レーザー距離計、回転レーザーレベル、受光器、三脚、測量スタッフ、杭、水糸、巻尺 1,480 pt(約148,000円)
・橋台用砕石、粒度調整砕石、路盤材、排水用砕石 4,200 pt(約420,000円)
・鋼製支承補助材、ベースプレート、端部ストッパー、固定ボルト、緩み止め用品 2,350 pt(約235,000円)
・2日分の作業用飲料、軽食、食材、消耗品 210 pt(約21,000円)
今回支出合計:160,240 pt(約16,024,000円)
現在残高:
648,961 pt − 160,240 pt = 488,721 pt
円換算目安:
488,721 pt × 100円 = 約48,872,100円相当
続く




