第53話 白狐神と畑の城壁
畑守り隊の初出陣から一夜明けた朝、俺は食堂でコーヒーを飲みながら、ロクが持ち帰った報告を聞いていた。
「昨日の夜、畑の近くを見回ったんすけど、小さい獣の足跡があったっす」
「もう来たのか」
「畑の中には入ってないっす。まだ作物の匂いも薄いんで、様子を見に来ただけだと思うっす」
ロクが地面に指で形を描く。
小さな四つ足の跡。別の場所には、少し大きな蹄に似た跡もあったらしい。
「魔獣か?」
「たぶん普通の動物っすね。結界を警戒した動きじゃなかったっす」
俺はユキを見る。ユキはご飯を食べながら、首を傾げた。
「けっかい、きかない?」
こびゃっこが茶碗代わりのお猪口を抱えたまま答える。
「ユキの結界は、魔獣や悪意を持って近づく者には強く働く。じゃが、普通の鹿や兎や猪には、ほとんど効かぬのじゃ」
「わるくないから?」
「そうじゃ。腹が減って畑の野菜を食いに来る獣に、悪意はないからの」
「やさい、たべられる」
ユキの耳がぴんと立つ。
「それは困るな」
「こまる」
「結界が万能じゃないのは分かってたけど、普通の動物は普通の方法で防ぐしかないか」
こびゃっこが胸を張る。
「畑には柵じゃ。昔から、人と獣の知恵比べなのじゃ」
「豊穣の加護よりずいぶん現実的な話になったな」
「育てる力と守る力は別じゃ」
「正論だ」
ユキが箸を握ったまま、小さく宣言した。
「やさい、まもる」
「ああ。今日は柵を作ろう」
「んぐ。はたもりたい、しゅつどう」
「ご飯を飲み込んでから言おうな」
畑は約50メートル四方。周囲を囲うだけでも、単純計算で約200メートルある。住宅の庭にフェンスを立てるような規模ではない。もう小さな運動場を囲う工事だ。
俺は倉庫の設計スペースで、簡単な配置図を作った。
支柱は3メートルの単管パイプ。約2メートル間隔で配置し、ツチノコのバケットで上から押し込み、地中へ1.5メートル埋める。地上には約1.5メートル残す。
支柱の上部と下部には、4メートルの単管を横方向へ流していく。交差部をクランプで固定し、その外側へ緑色の獣除けネットを張る。
さらに、下から潜り込む小動物対策として、地面の中へポリカーボネートの波板を横向きに埋め込む。
見た目は簡易柵だが、作業量は簡易ではない。
「3日だな」
俺が呟くと、ニナが図面を覗き込んだ。
「支柱、たくさん」
「たくさんだ。下側のクランプはニナに頼みたい」
「全部?」
「全部は無理するな。届く範囲で、休みながらだ」
「できる」
「できても休む。安全第一」
ニナは黄色いヘルメットに書かれてある安全第一を指差した。
「書いてある」
「書いてあるから守れるわけじゃないぞ」
「守るから、書いてある」
「正論で返された」
ユキも青ライン入りヘルメットをかぶり、胸を張る。
「ユキ、かんとく」
「今日は本当に監督の仕事が多いぞ」
「おっちゃん、おちるな。ニナ、はさまるな。こびゃっこ、はしゃぐな」
「最後が一番難しそうだな」
こびゃっこがミミの背中から前足を上げた。
「びゃっこは畑守り隊隊長じゃ。はしゃいではおらぬ」
「昨日、直管コールしてただろ」
「あれは巡回時の警戒音じゃ」
「動物が逃げる前に俺の集中力が逃げる」
工事参加者は、俺、ユキ、ニナ。見張りはロクとミミ。こびゃっこはミミかクロメに乗って周辺巡回。
畑作業組はミーシャ、トト、リーファ。水やりや葉の確認を済ませた後、リーファがもう1台のバギーでミーシャたちを拠点へ送り届ける。
バギーは2台で移動することにした。片方を畑に残しておけば、怪我や急用があった時にも動ける。
こういう時、車両が2台あるのは大きい。畑へ着くと、ロクとミミが先に周囲を確認した。
「今のところ近くに大きな獣はいないっす」
「魔獣の気配は?」
「ないっす。ただ、森側は風向きが変わると分かりにくいんで、今日はこっち側にいるっす」
「頼む」
ミミはロクの隣で鼻を動かしている。こびゃっこは当然のように、その背中へ乗っていた。
「ゆけい、ミミ号。校門前を制圧するのじゃ!」
「畑だ」
「昭和の番長は校門前に立つものじゃ」
「作物に因縁をつける番長はいない」
「白菜高校、キャベツ中学、トマト商業の三つ巴じゃ」
「勝手に学区を作るな」
ユキが首を傾げる。
「トマト、がっこういく?」
「行かない」
「こびゃっこ、うそ?」
「昔話じゃ」
「時代に関係なく、トマトは学校に行かん」
まずは、柵を立てる線を決める。畑の端から少し余裕を取り、通路と作業空間を確保する。支柱位置へ杭を打ち、水糸を張る。
50メートル先まで伸びる水糸は、思った以上に長い。
「……遠いな」
俺が呟くと、ニナが端の杭を見た。
「見えにくい」
「だから途中でも確認する。真っすぐに立てないと、最後にずれる」
「最初のずれ、大きくなる」
「そういうことだ」
こびゃっこがふわりと浮いて、水糸の上を飛ぶ。
「人生も最初の道を誤ると、後で大きくずれるのじゃ」
「急に深いことを言うな」
「昭和の不良映画では、だいたい最初の一歩を誤っておったぞ」
「そういう設定が定番だな」
「じゃが最後は熱い友情で何とかなる」
「工事は友情で水平にならない」
支柱を立てる前に、地中へ埋め込むポリカ波板の溝を掘る。
ツチノコのバケット幅に合わせて、畑の外周を少しずつ掘っていく。深さは小動物が簡単に潜り込めない程度。埋めた波板が地表から少しだけ出るように調整する。
「ツチノコ、ほる」
ユキ監督が真剣に見ている。
「今日は長いぞ」
「ツチノコ、がんばる」
「操作する俺も応援してくれ」
「おっちゃんも、がんばる」
「ありがとう」
「どういらしまして」
「素直な応援でも返事はそれなんだな」
バケットで溝を掘り、掘った土を畑の外側へ仮置きする。
リーファとミーシャ、トトは畑の中で作業を続けていた。
「トマトの葉、昨日より大きい」
ミーシャが言う。
「豊穣加護が効いてるわね」
リーファが支柱を確認する。
トトはキャベツの防虫ネットを覗き込んだ。
「虫、いない」
「今日もよく見てくれたな」
「畑守り隊だから」
「頼もしいぞ」
昼前には、最初の一辺の溝が掘れた。そこへポリカ波板を横向きに並べていく。波板同士は少し重ね、隙間を減らす。土を戻し、足で軽く押さえる。
ニナがしゃがんで波板の位置を確認する。
「下、つながる」
「ああ。兎や小さい獣がネットの下を掘っても、これに当たる」
「透明な壁」
「土の中の壁だな」
「べんり」
「地味だけど大事だぞ」
こびゃっこがクロメへ乗り換えて戻ってきた。
「南側異常なしじゃ!」
「遊びに行ってたんじゃないだろうな」
「巡回じゃ。クロメ号の足回りも良好じゃ」
「魔犬に足回りって言うな」
クロメは満足そうに尻尾を振っている。どうやら本人も楽しんでいるらしい。
「それでは午後の部も、張り切っていくのじゃ!今度は夕暮れ特攻隊が、出陣じゃ!」
「もうそのネタはやめてくれ」
昼食後、こびゃっこは昼寝の為、ミミと一緒に一旦祠に戻った。
午後からは、いよいよ支柱を立てる。3メートルの単管パイプを、配置指定展開で支柱位置の近くへ並べた。
俺が1本を垂直に支え、ツチノコのバケットをゆっくり下ろす。
「ニナ、近づくなよ」
「離れてる」
「ユキも」
「かんとくは、ここ」
「こびゃっこは?」
見回すと、昼寝から戻ったこびゃっこが、ミミの頭の上からこちらを見ていた。
「びゃっこは安全地帯じゃ」
「ミミの頭は安全地帯じゃない」
バケットをパイプ上端へ当てる。急に押せば曲がる。少しずつ圧をかける。
ぎし、と土へ入る。さらに押す。
「入った」
ニナが真剣に見ている。
「まだ半分だ」
地中へ1.5メートル。地上へ1.5メートル。
水準器を当てて、垂直を確認。少し傾いていれば、バケット横で軽く押して直す。
「泡、真ん中」
「よし。1本目」
ユキが手を上げた。
「しちゅう、たった!」
「まだあと百本近くある」
「いっぱい」
「そう。いっぱいだ」
こびゃっこが前足を振った。
「千里の柵も一本からじゃ!」
「千里も作らないけどな」
「気持ちの問題じゃ」
「実際の長さを増やすな。心が折れる」
支柱を1本、また1本と立てる。
ツチノコで押す。垂直を見る。高さを確認する。間隔を見る。同じ作業の繰り返しだが、雑にはできない。
途中で硬い石に当たる場所もあった。その場合は少し位置をずらすか、バケットで先に掘る。
「これ、全部3日で終わるのか?」
俺が汗を拭くと、こびゃっこが言った。
「終わらせるのじゃ。昭和の工事現場は気合いじゃ」
「安全第一が消えたぞ」
ユキ監督がすぐに反応する。
「きあいより、あんぜんだいいち」
「監督が正しい」
こびゃっこは少し気まずそうに前足をワキワキさせた。
「も、もちろん、安全の中に気合いがあるのじゃ」
「後付けだな」
夕方までに、最初の一辺と、隣の一辺の途中まで支柱が立った。まだ横パイプもネットもない。地面から銀色の単管が何本も立っているだけだ。
トトが帰り際にそれを見て言った。
「大きい針みたい」
「地面に刺さった針か」
ミーシャは少し不安そうに聞く。
「これで動物、入れなくなる?」
「まだだ。明日、横のパイプをつけて、ネットを張る」
「明日も畑守り隊?」
「ああ」
ユキが胸を張る。
「まいにち、はたもりたい」
「畑がある限りな」
リーファがミーシャとトトをバギーへ乗せる。
「先に拠点へ戻るわ。夕食の手伝いもあるから」
「頼む。俺たちは工具を片づけてから戻る」
ニナは使用するクランプを数えていた。
「準備できてる」
「今日は支柱だけだからな。明日からニナの出番が増えるぞ」
「下、全部やる」
「全部と言うな。休みながらだ」
「わかった。だいたい全部」
「言い換えても同じだ」
帰りのバギーで、ユキは揺れながら言った。
「おっちゃん、きょう、かこいどこまで、できた?」
「まだ骨だけだな」
「ほね?」
「柵の骨組み」
「てつのほね」
「そう」
「ガレージも、てつのほね」
「よく覚えてるな」
こびゃっこがミミの背中から並走しながら叫ぶ。
「湖畔拠点は骨だらけじゃ! 鉄骨番長、ヒカル!」
「嫌なあだ名をつけるな!」
「畑の柵を支配する男じゃ!」
「まだ半分もできてない!」
湖畔へ戻る頃には日が傾いていた。柵工事は、まだ初日。畑を囲うはずが、今のところ地面からパイプが生えただけである。
豊穣の加護で野菜が育ち、工務店スキルで単管も育つ。……いや、単管は育っていない。俺が刺しただけだ。
夕食後、風呂に入り就寝。ユキが俺の腕をつかんだまま眠り、こびゃっこが籐カゴベッドで寝言を言った。
「むにゃ……お主ら何中じゃ?……害虫じゃと」
「害虫と会話するな」
「むにゃ……通行料は、稲荷寿司1個じゃ……」
「害虫を稲荷寿司一個で通すな」
畑の柵より先に、こびゃっこの悪徳料金所を規制する必要がありそうだった。
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【収支報告】
異世界生活44日目
日付:五の月3日・第五曜日
オリエント王国歴952年
開始残高:648,961 pt
今回の購入:
・3メートル単管パイプ、支柱用安全キャップ 2,850 pt(約285,000円)
・4メートル単管パイプ、横桟用資材 2,600 pt(約260,000円)
・地中埋設用ポリカ波板、継ぎ目固定用品 1,180 pt(約118,000円)
・水糸、測量杭、マーキング用品、水平確認用品 210 pt(約21,000円)
・作業用手袋、保護メガネ、安全ベスト、飲料、軽食 160 pt(約16,000円)
今回支出合計:7,000 pt(約700,000円)
現在残高:
648,961 pt − 7,000 pt = 641,961 pt
円換算目安:
641,961 pt × 100円 = 約64,196,100円相当
続く




