第48話 白狐神と先代白狐神
こびゃっこが覚醒した日の夕食は、急遽、メニューを変更した。稲荷寿司。具沢山の豚汁。唐揚げ。子供たちにはりんごジュース。大人にはビール、缶チューハイ。そして、日本酒。
理由は簡単だ。
「稲荷寿司じゃ! 稲荷寿司を所望するのじゃ!」
こびゃっこが二本足で立ち、祠の台座前で前足の指をワキワキさせながら叫んだからだ。
ぬいぐるみが食事を要求している。ぬいぐるみのはずなのに、口の中には小さな歯も舌もある。正直、ちょっと引く。
「おぬし、今、少し引いたじゃろ」
「いや、まあ、口の中があるとは思わないだろ」
「失礼な。食べるためには必要じゃ」
「ぬいぐるみなのに?」
「守護神使じゃ」
「便利な肩書きだな」
ユキはこびゃっこを抱きしめようとして、こびゃっこに前足で顔を押された。
「待つのじゃ、ユキ。今のびゃっこは腹が減っておる」
「こびゃっこ、ごはん、だいじ」
「そうじゃ。ごはんは神事じゃ」
「こびゃっこ、えらい」
「うむ。びゃっこはえらい」
「調子に乗るな」
こびゃっこは、ふわりと浮いて食堂タープへ向かった。途中で眠そうに少し落ち、四本足でトテトテ走る。そしてまた二本足で立つ。移動方法が安定しない。
「覚醒したてで本調子ではないのじゃ」
「なるほど」
「昼寝が必要じゃ」
「祠の中の寝台、使うのか?」
「当然じゃ。あれは実に良い。白木の匂いが落ち着く」
ユキが胸を張る。
「ユキが、たのんだ」
「よい仕事じゃ、ユキ」
「どういらしまして」
夕食の準備は大騒ぎになった。リリアが稲荷寿司の作り方を真剣に見る。油揚げを甘辛く煮て、酢飯を詰める。
「これが稲荷寿司ですか」
「ああ。俺の世界では定番だな」
こびゃっこが横から口を挟む。
「びゃっこは笠間でも食うたぞ。原宿ではクレープも食うた。あれも良い。紙に巻かれて、歩きながら食える。竹下通りでな」
「竹下通りを知ってるのか」
「知っておる。びゃっこは俗世にも詳しいのじゃ。人間に変幻したのじゃが、うっかり狐耳を出したまま歩いておったら、個性派少女と勘違いされてモデル事務所に声をかけられたこともある」
「情報が濃い。てか神使様が何やってるんだ」
「短い間じゃが、モデルで稼いだこともあるぞ」
「神使様がモデル収入を得るな」
「飯代は必要じゃろ」
「妙に現実的だな」
こびゃっこは得意げに胸を張った。
「笠間稲荷では巫女をしておってな」
「働きすぎだろ」
「俗世修行じゃ」
「便利な言葉だな」
こびゃっこの俗世知識は、確かに現代日本寄りだった。だが、話の端々が微妙に古い。
「原宿といえば竹の子族じゃな」
「古い」
「ホコ天のバンドでのう...」
「古い」
「クレープ片手に歩くのが洒落ておった」
「そこは少し分かる。クレープは今も人気だ」
「カセットはメタルテープの音質が――」
「原宿ですらなくなった」
こびゃっこは不満そうに前足をワキワキさせた。
「おぬし、すぐ古いとか言うのう」
「実際、昭和後期から平成初期に寄ってる」
「む。びゃっこにとっては最近じゃ」
「時間感覚が神使過ぎる」
稲荷寿司ができると、俺はこびゃっこ用に小さく切ろうとした。
「切るでない!」
こびゃっこが叫ぶ。
「抱えて食うのがよいのじゃ!」
「その体で?」
「食える」
こびゃっこは稲荷寿司を両前足で抱えた。ぬいぐるみの前足の先が、指のようにワキワキ動き、しっかり掴んでいる。
そして、がぶり。口が開いた。歯が見えて酢飯が消えていく。
「やっぱりちょっと怖い」
「うんみゃいのじゃ!」
こびゃっこは目を輝かせた。
「四百年以上ぶりの稲荷寿司……。これじゃ、これなのじゃ!」
ユキも稲荷寿司を食べる。
「うんみゃあ。すっぱあまいごはん」
「酢飯だからな」
「こびゃっこ、すき?」
「大好物じゃ!」
「ユキも、すき」
「良かったな」
こびゃっこは、俺が出した人形用の小さなナイフとフォークも使った。唐揚げはフォークで刺して食べる。箸も器用に使える。ぬいぐるみの手先とは思えない。
ニナが凝視している。
「箸、じょうず」
「当然じゃ」
「べんり」
「ふふん。びゃっこは器用なのじゃ」
ただ、唐揚げを食べたあと、口元に油がついた。
「あ、汚れたぞ」
「問題ない」
こびゃっこが前足を軽く振ると、ふわっと白い光が走り、口元が綺麗になった。
「浄化できるのか」
「ぬいぐるみの身で油汚れは大敵じゃからな」
「妙に生活密着型の神通力だな」
ユキが自分の手を見た。
「ユキも、きれいにできる?」
「できるぞ。ユキの神格がアップしたからの。ただし、無理はいかん」
こびゃっこは稲荷寿司を抱えたまま、先生のように言った。
「ユキの浄化の神気は、水、空気、軽い汚れ、穢れを清める力じゃ。じゃが、大きなものや、強く汚れたものは一気にやってはならぬ。鳥居印、祠、神棚、清浄な器。そういう拠り所を使って、少しずつじゃ」
「ちょっとずつ」
「そうじゃ。段取りじゃ」
俺は思わずこびゃっこを見た。
「神使まで段取りって言い出した」
「ヒカルの群れじゃからの。段取りは感染するのじゃ」
「病気みたいな言い方するな」
ユキは胸を張った。
「ユキ、むれの、みず、まもる」
「ああ。頼もしいな」
「でも、つかれたら、ねる」
「それも大事だ」
日本酒を小さな盃に注ぐと、こびゃっこの目が変わった。
「おお……御神酒」
「飲めるのか?」
「当然じゃ」
「体小さいから少しだけな」
「けちじゃのう」
「覚醒初日に酔い潰れる神使を見たくない」
こびゃっこは盃を両前足で持ち、ちびりと飲んだ。
「……くうう。染みるのじゃ」
ドランも日本酒を飲んで固まった。
「これは……米の酒か?」
「ああ」
「静かに強い。良い酒だ」
「分かるのか」
「酒なら分かる」
「そこだけ信頼できる」
ビール、チューハイ、日本酒。湖畔拠点の晩酌文化がまた広がった。危険である。主にドラン方面が。
食後、こびゃっこは少し眠そうになりながらも、全員に向き直った。
「さて。話さねばならぬことがある」
空気が変わった。
ユキはこびゃっこを抱きしめる。こびゃっこはユキの腕の中で、いつもより静かに話し始めた。
「びゃっこは、地球をホームとする稲荷神、宇迦之御魂神に遣わされ、この世界へ来た守護神使じゃ。千年以上前、この世界の白狐神を支えるためにな」
リーファが息を呑む。
「本当に、白狐神の守護神使……」
「そうじゃ。先代の白狐神の名は、しらゆき。泣き虫でのう。小さき幼神であったが、数百年をかけて少女神へ育った」
ユキが小さく言う。
「しらゆき」
「おぬしに似ておったぞ。泣き虫で、寂しがりで、それでいて群れを守ろうとした」
こびゃっこの声は、少しだけ遠くなった。
「しらゆきには守護者がいた。異界人、橘宗一郎。明治の北海道に住んでた開拓時代の医師じゃ。医学、農業、開拓の知識スキルを持っておった」
「明治……」
俺は思わず呟いた。
「宗一郎は白狐神の加護を受け長命となった。数百年をかけて、この湖畔を育てた。診療所を作り、畑を作り、水路を整え、森のエルフとも深く交わった」
アルノが顔を上げる。
「森のエルフ……」
リーファも頷く。
「伝承の源は、そこかもしれないわ」
「そうじゃろうな。湖畔に住んだエルフたちが、白狐神と守護者の話を森へ伝えた。やがて形を変え、伝承になった」
こびゃっこは続けた。
「その間にも、異界人は何人も訪れた。それぞれ特化したスキルを持ち、湖畔の発展にも、オリエント王国の発展にも寄与した」
ガランが反応する。
「確かに、異界人の影響は大きい」
こびゃっこは俺を見た。
「だが、ヒカル。おぬしのスキルは反則級じゃ」
「俺?」
「そうじゃ。趣味を手習いとして取り込み、本職まで成長する。しかも建築、医療、料理、工事、戦闘。何でも広がる。宗一郎も大概じゃったが、おぬしは道具の出し方がずるい」
「ずるいと言われてもな」
「よい意味じゃ。たぶんの」
「たぶんか」
そして、こびゃっこの声が低くなった。
「だが、湖畔は滅びた。レイシスの神務魔導府によってな」
「神務魔導府……」
マリベルが顔をしかめた。
「今の神務院の前身か」
ガランの声が硬くなる。
「そうじゃ。奴らは魔導技術で隷属紐や首輪を作った。奴隷の魔力を利用する、最悪の技術じゃ。人を縛り、命令し、魔力を搾り取る」
ユキがこびゃっこを強く抱いた。
「くびに、ひも、いや」
「そうじゃ。あれは嫌なものじゃ」
こびゃっこはユキの手に前足を置いた。
「神務魔導府は、さらに封印されていた魔導兵器を使った。前の白狐神の湖畔結界を破るためにな」
リーファの顔が青ざめる。
「白狐神の結界を破った……?」
「そうじゃ。だが、その兵器はレイシス側にも大量の死人を出した。暴走し、魔力を吸い、敵味方を問わず焼いた」
「そんなものを……」
「使ったのじゃ。しらゆきを奪うために」
こびゃっこは目を伏せた。
「最後に、びゃっこは神力でポータルを作った。しらゆきと、里の人々、住居、設備、畑を丸ごと別世界へ逃がした」
俺は息を止めた。目の前の小さなぬいぐるみの声で語られる過去は、重さが違った。
「びゃっこは神力を使い果たし、この世界に残った。白狐の実体を失い、長く眠った。ユキが覚醒してからは、夢の中で支え、シオンの夢にも行った」
「シオン……」
ユキが呟く。
「狐族の娘じゃ。あの子も白狐神の縁に触れておる。急がねばならぬが、焦ってはならぬ」
俺は拳を握った。神務院。奴隷首輪。シオン。封印兵器。怒りが出そうになる。だが、俺は息を整えた。
吸って、吐く。殺意ではなく、段取り。ユキが「こわいおっちゃん、だめ」と言ったことを、俺は忘れていない。
「分かった。まず情報を整理する」
「それがよい」
こびゃっこは頷いた。
「怒りで動けば、奴らの得意な場所に引きずり込まれる。段取りで動くのじゃ」
「俺の方針を分かってるな」
「夢で見ておったからの」
「プライバシー…」
「神使に細かいことを言うでない」
少し空気が緩んだ。こびゃっこはまた眠そうに目をこすった。
「むにゃ……少し寝る。覚醒したては疲れるのじゃ」
「祠の寝台に戻るか?」
「うむ。運べ」
「自分で浮けるだろ」
「眠いのじゃ」
「いきなり介護要求か」
ユキがこびゃっこを抱えた。
「ユキ、はこぶ」
「よい子じゃ」
その後、こびゃっこは祠の白木寝台で丸くなる。少し様子を見守っていると、寝言が聞こえてくた。
「むにゃ……やっぱり黄門様は、東野英治郎なのじゃ……」
「寝言も昭和ネタか」
俺は思わず突っ込んだ。
「助さんが、黄門様になったと教えたら驚きそうだな」
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そして翌朝、こびゃっこは本当に朝が弱かった。祠の中から、むにゃむにゃ声がする。
「……ビデオの爪を折らんと……上書きされるのじゃ……」
「今朝も寝言が昭和全開」
ユキは真剣にこびゃっこを覗く。
「こびゃっこ、あさ、よわい」
「らしいな」
「おひるね、いる」
「ああ。日課になりそうだ」
朝食後、こびゃっこは手水舎を見に行った。
「ヒカル、その給水タンクに鳥居を描くのじゃ」
「俺が?」
「そうじゃ。マジックでよい。ユキの神気が通る形にする」
俺は油性マジックで、小さな鳥居を給水タンクに描いた。
ユキが指先で軽く触れる。
ぱちっ。水が澄んだ気配がした。
「鑑定」
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【鑑定結果】
名称:手水舎用浄化給水タンク
状態:良好
効果:水質浄化、雑菌抑制、微弱な清浄効果
備考:拠点境界内にあり、鳥居印が消えない限り効果継続。飲用時はミネラルウォーター相当の清浄度。
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「……煮沸しなくてよくなった?」
「この水はの」
「すごいな」
「食堂と診療所の給水タンクにも描くのじゃ」
食堂と診療所の給水タンクにも、俺が鳥居を描き、ユキが軽く神気を通した。
鑑定結果は同じ。煮沸消毒不要。リリアが目を丸くする。
「水の管理が、かなり楽になります」
マリベルも頷いた。
「診療所で使う水が清浄なのは非常に助かります」
ニナがタンクを見る。
「鳥居の水、きれい。べんり」
「これは本当にべんりだ」
こびゃっこは胸を張った。
「びゃっこは守護神使であるぞ」
「威張るだけのことはあるな」
「もっと褒めてもよい」
「調子に乗るな」
湖畔祠の完成と、こびゃっこの覚醒。それは、拠点に新しい力をもたらした。と同時に、過去の重い話も運んできた。
先代白狐神のしらゆき。その守護者橘宗一郎。神務魔導府。隷属紐。封印魔導兵器。そして、今も囚われていれるシオン。
やることは増えた。だが、こちらにも増えたものがある。祠。守護神使。工務店スキル。医療スキル。清浄な水。そして、稲荷寿司を抱えて食う大食漢のぬいぐるみ。
「おっちゃん」
ユキが俺の袖を引く。
「またむれ、ふえた」
「ああ」
「むれ、つよくなった?」
「たぶんな」
再び床寝に入ったこびゃっこが、祠の中から声を出す。
「たぶんではない。強くなったのじゃ」
「まだ寝てろ」
「むにゃ」
俺は湖畔を見た。朝の光の中で、鳥居が赤く立っている。その奥に祠。その中には、寝起きの悪い守護神使。
どう考えても普通ではない。ここはもう普通の場所ではない。白狐神の群れの家だ。そして今日から、守護神使の昼寝場所でもある。
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【収支報告】
異世界生活39日目
日付:四の月28日・第七曜日
オリエント王国歴952年
開始残高:663,981 pt
今回の購入:
・稲荷寿司用油揚げ、米、酢、調味料、具沢山豚汁材料、唐揚げ材料 170 pt(約17,000円)
・缶ビール、缶チューハイ、日本酒、御神酒追加、子供用りんごジュース 180 pt(約18,000円)
・人形用カトラリー、小皿、小盃、こびゃっこ用食器類 90 pt(約9,000円)
・給水タンク鳥居印用油性マジック、清掃用品、手水舎追加用品 40 pt(約4,000円)
・食堂、診療所、手水舎の給水管理用品、タンク表示札 130 pt(約13,000円)
今回支出合計:610 pt(約61,000円)
現在残高:
663,981 pt − 610 pt = 663,371 pt
円換算目安:
663,371 pt × 100円 = 約66,337,100円相当
続く




