第35話 白狐神、群れの家に結界を張る
ユキは歯ブラシを握りしめ、真剣な顔で言った。
「ユキ、は、そうじする」
「そうだ。歯の掃除だ」
俺はキッチン側タープのシンク前で、全員に歯磨きのやり方を説明していた。
ロクが口を開け、犬歯を見せる。
「狼族はキバが大事っす」
「おお、立派だな」
「マエノハ、オクノハ、キバ。特にキバは手入れしないと駄目っす」
「俺の世界だと、それはケンシって言う」
「ケンシ?」
「漢字で書くと、犬の歯だ」
ロクの耳がぴくっと動いた。
「……ヒカルさん、今、俺を犬扱いしたっすね?」
「いや、文字の話だ」
「絶対ちょっと面白がってるっす」
「少しだけな」
「狼族っす!」
ユキが歯ブラシを持ったまま頷く。
「ロク、いぬのは、だいじ」
「ユキちゃんまで!?」
「きば、えらい」
「そこは嬉しいっすけど!」
笑いながらも、皆で歯を磨いた。ユキは最初、歯磨き粉の味に目を丸くした。
「すーすーする」
「少しだけな」
「はみがきこ、つよい」
「飲むなよ」
「のまない。ユキ、せんぱい」
ニナは歯ブラシの毛をじっと見ていた。
「細い毛、いっぱい。歯の間に入る。べんり」
「それは正しい」
ミーシャはトトの磨き残しを見てやり、トトは水色のマイコップを大事そうに両手で持っていた。リリアは白いコップを見つめ、静かに言う。
「自分専用のものがあるのは、不思議ですね」
「これから増えるぞ」
「……はい」
歯磨きが終わると、全員が少しさっぱりした顔になった。
「さてと…」
寝る前に、俺には試したいことがあった。
収納から、手のひらサイズの小さな飾りを取り出す。マグネット付きの鳥居だ。小さな朱色の鳥居の真ん中に、白狐の小さな飾りがぶら下がっている。
ユキが一瞬で反応した。
「びゃっこ!」
「白狐の飾りだな」
「ちいさい。こびゃっこより、ちいさい」
「気に入ったか?」
「うん。びゃっこ、かわいい」
ユキは両手で持って、こびゃっこと見比べた。
「こびゃっこ、おねえちゃん?」
「いや、ぬいぐるみとマグネットに姉妹設定を作るな」
「びゃっこ、ユキのいえ、まもる?」
「それを試したい」
まずは俺とユキのユニットハウスのドアに、その鳥居マグネットを付けた。
「ユキ。これに向かって、結界を張れるか?」
ユキは真剣に頷いた。
「ここ、おっちゃんとユキのいえ」
指先が鳥居に触れる。
ぱちっ。いつもの小さな火花では終わらなかった。
ドア全体に、薄い白い光が走った。鳥居から白狐の飾りへ、さらにドア枠へ、壁へ。空気が一瞬だけ澄んだように変わる。
「……おい」
俺は思わず鑑定を使った。
⸻
【鑑定結果】
名称:白狐鳥居マグネット
状態:白狐神ユキの神気付与済み
効果:
・居住空間の簡易守護結界
・低級魔物、害意ある小動物の接近抑制
・悪意ある者の侵入時、軽度の抵抗感を発生
・睡眠時の精神安定補助
・白狐神ユキが「家」と認識した対象への結界効率上昇
備考:
平面に描いた鳥居紋より、立体的な鳥居形状を持つ媒体の方が神気定着率が高い。
白狐を伴う意匠により、ユキの認識補正が強く働いている。
⸻
「……予想以上だな」
ガランが腕を組む。
「家そのものが結界になったのか」
「ああ。しかも、家として認識した場所に効きやすいらしい」
リーファが驚いて、興味深そうに鳥居を見る。
「立体の鳥居。形が大事なのね」
「らしい。地面に描いた鳥居紋より、こっちの方が定着する」
ユキは胸を張った。
「びゃっこ、えらい」
「かなり偉い」
「ユキも?」
「もちろん」
ユキは満足そうに尻尾を揺らした。
俺は同じ鳥居マグネットを追加で購入し、残り4棟のドアにも取り付けた。ユキが順番に触れていく。
「ここ、リリアとミーシャとトトとニナのいえ」
「ここ、リーファとマリベルのいえ」
「ここ、ガランとロクのいえ」
「ここ、ドランとアルノのいえ」
そのたびに、扉が淡く光った。
ロクが自分の部屋のドアを見て言う。
「なんか、寝やすそうな気配がするっす」
「精神安定補助があるらしい」
「すごいっすね」
「俺もびっくりしてる」
俺は寝る前に、子供達にトイレに行っておく様にとリリアに伝えた。
ちなみに、防災トイレテントは昨夜から食堂から見える程度に離れた場所に設置してある。中には簡易トイレを置き、使い方も全員に教えてある。夜中に迷わないよう、常夜灯の小型ランタンも置いた。
これで、最低限の夜間生活は回る。
各自のヘルメットを、今日のところは各ベッドの下に仮置きしてもらうことにした。倉庫ができたら壁にヘルメットラックを付ける予定だ。
ユキは青ライン入りヘルメットをベッド横に置き、少し名残惜しそうに撫でた。
「かんとく、ねる」
「そうだな」
「ヘルメット、またあした」
「明日な」
初めてのユニットハウス泊。
俺とユキの部屋は、まだ殺風景だった。セミダブルベッド。収納棚。ランタン2つ。靴を脱ぐ玄関に、小さな鳥居マグネットのついたドア。
それだけだ。でも、テントとは違う。壁がある。床がある。扉が閉まる。
ユキはベッドに乗ると、こびゃっことびゃっこ鳥居が貼ってある玄関を交互に見た。
「ここ、ユキのいえ?」
「ああ。仮だけどな」
「かりでも、いえ」
「そうだ」
ユキは俺の袖を掴み、尻尾を俺の腕にかけた。
「おっちゃん、にげるな」
「逃げない」
「びゃっこも、いる」
「いるな」
「こびゃっこも」
「ああ」
「なら、だいじょうぶ」
そう言って、ユキはあっという間に眠った。
翌朝。異世界生活12日目。
この世界では四の月一日、第一曜日。マリベルに聞いた話では、オリエント王国歴では952年らしい。大陸共通の紀年はないとのことだ。
元の世界なら新学期か、新たな期のスタートだな、と思った。
俺はまたユキの尻尾に頬を押さえられた状態で目を覚ました。
「……家になってもこれは変わらないのか」
「おっちゃん……にげるな……」
「これじゃあ逃げられない。白狐結界と尻尾結界の二重封鎖だ」
俺は何とか尻尾結界から抜け出し、玄関を開けて外へ出ると、ニナがすでに黄色ヘルメットを被り立っていた。
黄色トレーナーにデニムサロペット。三つ編みのおさげ。胸を張り、手には赤いワゴン台車の取っ手。
「おはよう。早いな、ニナ」
「おはよ。ランタン、回収する」
「朝イチから仕事モードか」
「ニナ、係」
「頼もしいな」
他の皆んなも起き出す。
ミーシャは赤系トレーナーとサロペット姿で、トトの水色トレーナーの袖を直していた。トトは眠そうだが、腕時計をちらちら見ている。
リリアは青系ネルシャツを羽織り、玄関から出てきた。リーファは深緑のアウトドアパンツに軽いジャケット姿で、家の掃き出し窓を開ける。中ではマリベルが多ポケットの紫系ジャケット姿で、薬箱の中を確認していた。
ガランとロクも外へ出て森側を見ている。ドランは寝癖のように髭を跳ねさせ、アルノは白っぽい顔ながらも昨日より少し落ち着いて見えた。
ユキは白トレーナーとデニムサロペット姿で出てきた。青ライン入りヘルメットは、まだかぶっていない。
「ユキ、かんとく、まだ?」
「朝食後でいい」
「む」
「髪を整えてからな」
リーファがすっと背後に回る。
「おはようユキちゃん、尻尾も整えましょうね」
「おはよ、リーファ、しっぽがかり」
「はいはい」
ニナはワゴン台車にランタンを1つずつ載せていく。各部屋から2個ずつ。合計10個。
「落とすなよ」
「大丈夫」
ニナは慎重に運び、食堂テントのポータブル電源前で止まった。
「赤、さす。緑、できた」
「そう。充電中は赤。終わったら緑だ」
ニナはひとつずつケーブルを差し込む。
「これは、べんり」
「そこは本当にべんりだな」
ユキが横から見ていた。
「ニナ、らんたんのひと」
「うん。あと、工事見習い」
「ユキ、かんとく」
「うん」
2人は互いの役割を確認しつつ、真剣に頷き合った。小さな現場組織ができつつある。方向性は少し不安だが。
朝食を終えたら、本格水回り整備だ。トイレ、大型給水タンク、風呂、洗濯室、倉庫。昨日準備した基礎材を使い、設置。
今日からまた湖畔が変わる。俺は袖をまくった。
「よし。今日も安全第一でいくぞ」
ユキが青ライン入りヘルメットをかぶり、胸を張った。
「あんぜんだいいち!」
ニナも黄色ヘルメットを押さえて頷く。
「安全第一」
湖畔の朝に、食堂テントの下では、ランタンの充電ランプが赤く灯っていた。群れの家は、今日も少しずつ形になっていくはずだ。
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【収支報告】
異世界生活12日目
日付:四の月1日・第一曜日
オリエント王国歴952年
開始残高:805,741 pt
今回の購入:
・白狐鳥居マグネット 5個 35 pt(約3,500円)
・防災トイレテント、簡易トイレ、夜間用小型ランタン、消耗袋追加 420 pt(約42,000円)
・歯磨き練習用追加歯ブラシ、予備コップ、口すすぎ用水補充 55 pt(約5,500円)
・ドア用小物フック、仮ヘルメット置き用収納箱、室内整理小物 95 pt(約9,500円)
今回支出合計:605 pt(約60,500円)
現在残高:
805,741 pt − 605 pt = 805,136 pt
円換算目安:
805,136 pt × 100円 = 約80,513,600円相当
続く




