第34話 白狐神、歯磨きを覚える
アルノ先生の時計授業が終わった。食堂タープの下では、ミーシャ、トト、ニナ、ユキがそれぞれ腕時計を見つめていた。
「いま、なんじ?」
ユキが俺を見る。
「13時少し前だな」
「じゃあ、つぎのにくのじかん?」
「夕飯な。まあ18時頃だな」
「じゅうはちじ。とけい、えらい」
用途が肉に偏っているが、時間を意識するのは大事だ。特にこれからは、作業時間、休憩時間、見張り交代、食事、就寝、起床。全部を曖昧にすると、誰かが無理をする。
「午後は食堂を広げたい」
俺はタープの外を指差した。
「今の食堂テントの裏に、キッチン用のタープを増設して、調理、食器洗い、手洗い、飲み水の管理をそこにまとめたいと思う」
リリアの顔が少し引き締まった。
「動線を分けるのですね」
「ああ。食べる場所と作る場所を分けたい」
「とても良いと思います。食器を洗う場所も、食事の席から少し離した方が衛生的です」
「助かる。座ったまま指示を頼む」
「はい」
言うと、リリアは少し嬉しそうに頷いた。働かせるのではなく、知識を借りる。そこを間違えないようにしないといけない。
「ユキ監督」
「はい!ユキ、かんとく!」
青ライン入りヘルメットをかぶったユキが、こびゃっこを抱えて胸を張る。
「午後は危ない機械は少ない。でも、杭、ロープ、重い棚、水タンクがある。勝手に触らない。走らない。あとニナを見張る」
「ユキ、ニナ、みる」
「ニナも安全第一でな」
黄色ヘルメットのニナが頷く。
「うん。安全第一」
俺は3m×6mのタープテントをもう一張り購入した。サイドシート付き。食堂テントの反対側にくっつけて並べ、連結用のロープとシートで雨風をある程度防げるようにする。
ガランとロクが支柱を押さえ、ドランがテントとロープで固定する補強用の杭を別に打つ。
「ドラン、強すぎる! 杭が地面と和解しすぎてる!」
「む? しっかり入ったぞ!」
「入ったというか、地面に説教して黙らせたみたいになってる!」
ユキが叫ぶ。
「ドラン、あんぜんだいいち!」
「おお、すまん監督!」
やはりユキの言うことは聞く。
ニナはタープの折り畳み構造を見て、目を輝かせていた。
「骨、広がってる。べんり」
「指を挟むなよ」
「うん。安全第一」
「よし」
タープが立つと、食堂の裏手にもう一つ部屋ができたようになった。床はまだ草地だが、調理用のテーブル、食器棚、シンクを置くと、一気にキッチンらしくなる。
俺はステンレス製の簡易シンクを2台出した。1つは食器洗い用。もう1つは手洗い、洗面用。両方とも蛇口が付いているタイプだ。
それぞれに排水タンクをつけ、下に置く。排水は溜まったら収納スキルの廃棄で処理する予定だ。
「水はどう出るんですか?」
リリアが聞く。
「この給水タンクからゴムホースで、シンクの給水口に取り付けて流す」
俺は200リットルの給水タンクをキッチンテントの端に設置した。飲料用ではなく、手洗いと食器洗い用。飲み水は別に煮沸して管理する。
「水、上にある」
ニナが見上げる。タンクは高さ150センチの高さがある専用架台に置いてある。
「ああ。高いところから下へ流れる。蛇口をひねると水が出る」
「蛇口。べんり」
試しに蛇口を開けると、水がちょろちょろと出た。
ユキの耳が立つ。
「おっちゃん! みず、でた!」
「出たな」
「じゃぐち、えらい」
「蛇口まで偉くなったか」
トトが恐る恐る手を出した。
「手、洗っていい?」
「ああ。ここは手を洗う場所だ。この液体の石鹸水を使って洗ってくれ」
俺はハンドソープの容器を置いた。トトが水に手を当て、少しだけ笑う。
「冷たい」
ミーシャも隣で手を洗う。
「食べる前に?」
「そう。食べる前、料理の前、汚れた後。手を洗う習慣をつける」
マリベルが強く頷いた。
「それはとても大切です。病気を防ぐ意味でも」
「だよな」
衛生は地味だ。だが、人数が増えた拠点では、飯や寝床と同じくらい大事になる。
次に、明日の準備だ。ユニットハウスの裏側に、明日設置する設備の基礎を用意する。
トイレ。
大型給水タンク。
風呂。
洗濯室用プレハブ。
倉庫用プレハブ。
洗濯室は6畳。ソーラーパネルを屋根に載せて、ポータブル電源を置く。電源は、洗濯機と室内の照明用に使う。このプレハブは排水管と蛇口があるタイプ。
倉庫は12畳。屋根にソーラーパネルを載せ、大型ポータブル電源2台分を運用する予定で、倉庫には、工具や工事用の資材を置く場所として使う。
また、各戸のランタンや電動工具のバッテリーの充電場所にする予定だ。
今日は設置まではしない。基礎建材だけを用意する。
「今日は準備だけだ」
俺が言うと、ドランが物足りなさそうな顔をした。
「建てんのか?」
「今日は建てない。疲れてるし、焦ると事故る」
ユキが即座に言った。
「あんぜんだいいち」
「そう、安全第一」
ニナも頷く。
「準備。べんり」
「よし。今日は分かってる」
俺はコンクリートブロック、砂、砕石、水糸、杭を出した。明日どこに何を置くか、地面に仮のラインを引いていく。
ガランが周囲を見渡す。
「住居の裏に設備をまとめるのか」
「ああ。水回りを近くに置いた方が管理しやすい。食堂にも近い。もちろん、トイレは風下寄りにする」
「なるほど」
リーファが湖側を見た。
「祠予定地からも少し離した方がいいわね」
「ああ。祠は食堂から見える少し高い場所にする」
「いいと思うわ」
午後いっぱいかけて、俺たちは明日のための準備を終えた。何も建てていないのに、かなり疲れた。段取りとは、つまり未来の自分を助ける作業だ。未来の俺、感謝しろ。
夕食はビーフシチューにした。
大鍋に牛肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも。デミグラス風の濃いソース。じっくり煮込む時間はスキルと調理器具がかなり助けてくれた。
横ではリリアがポテトサラダを作る手順を見ている。ミーシャとユキは混ぜる係。トトは皿を並べる係。ニナはスプーンとフォークを並べる係。マリベルが配膳と全般を手伝ってくれた。
「にく、多め、できる?」
ユキが真剣に聞いてきた。
「希望者は肉多めだ」
「ユキ、きぼうしゃ」
「知ってた」
ドランも手を上げる。
「ワシも希望者だ!」
「だと思った」
ガランは少し考えてから言った。
「俺も少し多めで頼む」
「ガランまで」
「今日は働いた」
「確かに」
ビーフシチュー、ポテトサラダ、ロールパン。大人には缶ビールとチューハイも少しだけ出した。子供たちはりんごジュース。
ユキはシチューを一口食べた瞬間、目を丸くした。
「うんみゃあ……にく、やわらかい」
「ビーフシチューだ」
「びーふしちゅー、えらい」
ニナはスプーンでじゃがいもを崩しながら言う。
「肉、汁、パンに合う。べんり」
「それは分かる」
ミーシャはロールパンをシチューにつけて食べ、耳を立てた。
「パンに、しみる」
トトも真似する。
「おいしい……」
リリアはポテトサラダを見て、少しだけ頬を赤くした。
「自分が手伝ったものを、皆さんが食べてくださるのは……不思議です」
「美味いぞ、リリア」
俺が言うと、ミーシャも頷いた。
「リリア、これ好き」
リリアは目を潤ませながら、微笑んだ。
「ありがとうございます」
ドランは缶ビールを飲み、深く頷いた。
「労働の後の酒は、神に近い」
ユキがビーフシチューを抱えながら言う。
「にくのほうが、かみ」
「肉の信仰が強すぎるな」
ガランが珍しく笑った。
食事が終わるころ、湖畔はすっかり暗くなっていた。ユニットハウスの窓から、ランタンの灯りが漏れている。食堂タープにも暖かい光がある。
俺は立ち上がった。
「よし。寝る前に、もう一つ大事な習慣を始めたい」
ユキが警戒した。
「にく?」
「違う」
「ふろ?」
「それも違う」
「じゃあ、なに?」
「歯磨きだ」
全員が、きょとんとした。俺はキッチン側のシンクを指差す。
「飯を食べた後、特に寝る前は歯を磨く。虫歯や口の病気を防ぐためだ」
マリベルがすぐに反応した。
「それは衛生習慣ですね。とても良いと思います」
「だろ」
俺は歯ブラシとコップを人数分出した。
「それぞれ自分専用だ。好きな色と模様を選んでくれ」
ユキの耳が立った。
「ユキの、ある?」
「ああ。白狐柄だ」
「びゃっこ!」
ミーシャには赤猫柄。トトには水色の小さな猫柄。ニナには工具と歯車柄。ニナはコップを持って固まった。
「歯車。かっこいい」
「気に入ったか」
大人たちにも、それぞれ色違いのコップと歯ブラシを渡す。ロクは自分のコップを見て呟いた。
「自分専用って、なんかいいっすね」
リリアも静かに頷いた。
「はい。とても……大切にしたくなります」
俺は歯磨き粉を少しだけ歯ブラシにつけ、実演した。
「つけすぎない。こうして磨く。強くこすりすぎない。終わったら水で口をゆすぐ」
ユキは歯ブラシを見て言った。
「これ、はの、ほうき?」
「まあ、歯のほうきだな」
「はのほうき、えらい?」
「かなり偉い」
ユキは真剣に頷いた。
「ユキ、は、そうじする」
その夜、湖畔拠点に初めて、寝る前の歯磨きの列ができた。白狐神の群れは、家だけでなく、生活の習慣も少しずつ作り始めていた。
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【収支報告】
異世界生活11日目
開始残高:809,671 pt
今回の購入:
・食堂タープテント増設分、サイドシート、連結ロープ、杭、固定具 720 pt(約72,000円)
・キッチン用調理テーブル、食器棚、スチールラック、収納ケース 480 pt(約48,000円)
・食器洗い用シンク、手洗い・洗面用シンク、給水タンク、排水タンク、蛇口、ホース類 950 pt(約95,000円)
・明日設置予定設備用のコンクリートブロック、砂、砕石、水糸、杭、仮基礎資材 1,100 pt(約110,000円)
・ビーフシチュー材料、牛肉多め、野菜、ポテトサラダ材料、ロールパン 310 pt(約31,000円)
・缶ビール、チューハイ、りんごジュース、飲料水補充 180 pt(約18,000円)
・歯ブラシ、子供用歯ブラシ、歯磨き粉、マイコップ各種、洗面小物 190 pt(約19,000円)
今回支出合計:3,930 pt(約393,000円)
現在残高:
809,671 pt − 3,930 pt = 805,741 pt
円換算目安:
805,741 pt × 100円 = 約80,574,100円相当
続く




