第28話 白狐神、群れの場所へ帰る
湖畔南側へ出た俺たちは、まず昼食を取ることにした。ここから仮拠点までは、湖岸沿いに西へ進む必要がある。小砂利の浜と草地が続いているので、森の中よりはずっと楽だ。
だが、負傷者もいる。子供もいる。リリアもまだ本調子ではない。焦って進んでも、良いことはない。
段取りは飯から。これはもう、異世界生活で学んだ鉄則である。俺はタープの下に折りたたみテーブルを出し、出来合いのおにぎりを購入した。
鮭。ツナマヨ。昆布。塩むすび。コンビニやスーパーで売っているような、個包装の三角おにぎりだ。
俺は包装を取り、具の種類は違うが、子供四人には同じ数。大人にも同じように配る。リリアとアルノには、食べやすいよう小さめのおにぎりを選んだ。あわせて味噌汁風スープも用意する。
「これは、俺の世界の携帯食みたいなものだ。米と言う穀物を水で炊いたものがご飯。それを握ったものが、このおにぎりだ」
ユキが両手でおにぎりを受け取る。
「おにぎり」
「ああ。ユキも初めてだな」
「さんかく?」
「そう。三角だ」
「しろいの、つつんでる」
「その外の黒いのは海苔だ。食べられる」
「くろいの、たべる?」
「食べる」
ユキは少し疑わしそうに海苔を見る。
「くろいの、だいじょうぶ?」
「大丈夫だ」
「おっちゃん、たべる?」
「もちろん」
俺が先にひと口食べて見せる。海苔の香り。米の甘み。中の鮭の塩気。
…ああ。これだ。元の世界へ帰ってきた様な味だ。いや、異世界の湖畔で食っている時点で帰ってきたわけではないのだが、胃袋だけ一瞬コンビニ前に帰省した。
「こうやって食べる」
ユキは俺を見て、真似するように小さくかじった。もきゅもきゅと口を動かす。すると耳がぴこっと立つ。
「……うんみゃあ」
「どうだ?」
「しろいの、ごはん?あまい。なか、しょっぱい。くろいの、いいにおい」
「気に入ったか」
「おにぎり、えらい」
「よかった」
ミーシャはおにぎりを両手で持っている。
「これ、手で食べていいの?」
「ああ。手で持って食べるものだ」
「落とさないように?」
「普通に食べればいい」
ミーシャは鮭おにぎりを小さくかじった。
目を丸くする。
「ご飯が……まとまってる」
「握ってあるからな」
「中に味がある」
「具が入ってる」
「不思議。でも、おいしい」
トトはツナマヨを見つめていた。
「三角……」
「怖いか?」
「食べていい形に見えない」
「食べていい形だ」
トトは恐る恐るかじる。しばらく固まって、それから耳が少し立った。
「中、やわらかい」
「ツナマヨだ」
「つなまよ?」
「魚と調味料を混ぜたものだな」
「おいしい」
ニナは塩むすびを手に持ち、まじまじと見ていた。
「白い。持てる。べんり」
「白さにべんりはない」
「手で持てる。食べやすい。べんり」
「それは正しい」
ニナはひと口食べる。
そして頷く。
「塩。ごはん。べんり」
「感想が短い」
「うまい」
「それで十分だ」
リーファもおにぎりを珍しそうに見ていた。
「白い穀物の粒を固めているのね。携帯食としては面白いわ。葉で包めば、この世界でも近いものは作れそう」
「海苔の代わりに葉か。ありかもしれないな」
マリベルは分析しながら食べている。
「米はお粥にも使っていましたね。これは水分が少ない分、携帯しやすい。アルノさんにも少量なら良さそうです」
アルノは小さめのおにぎりを両手で持ち、ゆっくり食べた。
「……優しい味ですね」
「無理するなよ」
「はい。でも、食べやすいです」
リリアはおにぎりを見つめていた。
「手で持って食べる食事なのに、崩れにくいのですね」
「握り方と米の粘りだな」
「家内管理でも、野外作業時の食事として参考になります」
「リリアの分析が実務的すぎる」
ドランは一口で半分ほど食べ、真剣な顔になった。
「ヒカル」
「何だ?」
「これは酒に合う」
「基準はそこか」
「塩気と米。悪くない」
「酒はまだ出さないぞ」
「むう」
ロクは味噌汁風スープを飲んで、耳をぴくっと動かした。
「温かい汁物、独特の香りだけど落ち着くっすね」
「味噌っぽい味だな」
「みそ?」
「俺の世界の調味料だ。豆を発酵させたもの」
「発酵っすか。匂いが強いのに、飲むと落ち着くっす」
「お前、けっこう繊細だよな」
「狼族っすから」
「関係あるのか?」
「たぶんないっす」
食後、少し休憩を取った。ユキは湖岸へ近づきたがったが、俺とリーファで止めた。
「水に入るのは駄目だ」
「ちょっと」
「駄目」
「しっぽ、みず、みたい」
「夕方、拠点に戻ってからな」
「む」
「戻ったらホットミルクもある」
ユキの耳が立った。
「ほっとみるく」
「全員分作る約束だろ」
「ユキ、がまんする」
「分かりやすすぎる」
昼食後、再びバギーに乗った。森の中よりずっと楽だった。小砂利の浜はタイヤが沈みすぎず、草地も広い。時々大きな石や流木を避ける必要はあるが、見通しが良いので運転しやすい。
湖を右に見ながら、西へ進む。風が気持ちいい。水鳥が飛んで、遠くで魚が跳ねる。湖面がきらきら光っている。ユキは前席で、ずっと湖を見ていた。
「おっちゃん」
「何だ?」
「みずうみ、しってる」
「ああ」
「おっちゃんと、ふたりで、きた」
「そうだったな」
「でも、いま、むれで、みずみてる」
俺は少し黙った。同じ湖でも、ユキにとっては違うのだろう。俺と一緒に来た湖。今は、群れで帰る湖。
「そうだな。群れで帰ってる」
「うん」
ユキはこびゃっこを抱き直した。
「こびゃっこも」
「もちろん」
「ミミも、クロメも」
「いるな」
「ガラン、ドラン、ロク、リーファ、マリベル、ミーシャ、トト、ニナ、リリア、アルノも」
「ああ」
「いっぱい」
「増えたな」
「おっちゃん、たいへん」
「本当にな」
でも、不思議と嫌ではない。その後、途中で何度か休憩した。トトの顔色を見て、リリアの足の震えを見る。アルノの熱を見つつ、ミミとクロメに水を飲ませる。
バギーのタイヤに小石が噛んでいないか確認する。ニナは毎回、タイヤを見ようとする。
「ニナ、近づきすぎるな」
「タイヤ、石、はさまってる」
「え?」
見ると、本当に小さな石が溝に挟まっていた。
「……よく気づいたな」
「音、ちがった」
ドランが豪快に笑う。
「やはり見込みがある!」
「見込みがありすぎて怖い」
俺はマイナスドライバーで石を外した。ニナは満足そうに頷く。
「直った。べんり」
「ニナ、将来整備士になるか?」
「せいび?」
「車を直す人」
ニナの目が光った。
「なる」
「即答か」
リリアが小さく笑った。ミーシャも、少しだけ笑った。トトは疲れていたが、その空気に安心したのか、バギーの座席でうとうとしていた。
午後の光が傾き始める。湖岸を進み、草地を抜け、見覚えのある地形が増えてきた。
あの岩。あの木。あの水辺。俺の心臓が、少しずつ落ち着いていく。帰ってきた。そう思った。
夕方。空が赤く染まり始めた頃だった。ユキが急に耳を立てた。
「おっちゃん」
「どうした?」
「あかりみえる」
「灯り?」
俺は前を見る。湖畔の向こう。木々の間。草地の奥に小さな灯りが見えた。高さ1.8メートルのソーラー式ポールライト。ここを出発する際、目印にと俺が建てたものだ。昼に充電し、暗くなると自動で点く。スキルショップのホームセンターで購入した庭用のライトだ。
「……見えた」
俺の声が少し震えた。ユキが前席で尻尾をふわっと広げる。
「あかり!」
「ああ。俺たちの灯りだ」
「おっちゃんの、ぽーるらいと!」
「覚えてたのか」
「きらきら、たってる」
後席のミーシャが身を乗り出す。
「あれが……帰る場所?」
俺はハンドルを握りながら答えた。
「ああ。まだ仮だけどな」
トトが眠そうな目を開ける。
「灯りがある」
「そうだ」
ニナが言う。
「夜、べんり」
「それは本当にべんりだ」
リリアは灯りを見つめて、何も言わなかった。
ただ、両手を胸の前で握っていた。ガランたちの二台目も速度を落とす。
リーファが遠くを見た。
「まだ結界の気配もあるわ」
マリベルが小さく息を吐いた。
「戻れましたね」
ドランが後ろから大きく笑う。
「よし! 帰ったら飯だな!」
「声が大きいです!」
「すまん!」
ロクが苦笑する。
「でも、正直ほっとしたっす」
ガランも頷く。
「俺もだ」
俺はゆっくりバギーを進めた。ソーラーポールライトの灯りが、少しずつ大きくなる。あれから、まだ一週間しか経っていない。だが、帰ってきた時には、人数が倍どころではなく増えていた。
拠点には何もない。でも、灯りがあった。それだけで、ここはただの湖畔ではなくなっていた。帰る場所だった。
拠点の手前にある、湖に流れ込む小川を渡る。浅瀬なのでバギーでも余裕で渡れた。そして俺はバギーを止め、エンジンを切る。
湖の波音が戻ってきた。ユキがシートベルトを外そうとして、俺を見る。
「外していいぞ」
カチッ。ユキは飛び降りるように地面に立ち、草地を踏んだ。
「ただいま!」
白い尻尾が夕方の光を受けて揺れる。こびゃっこを抱えたまま、ユキはポールライトの方へ駆け出しかけたが、すぐに止まり、こちらを振り返る。
「おっちゃん」
「何だ?」
「みんなも、ただいま?」
俺は少し笑った。
「ユキ、初めて来た人には、俺たちがこう言うんだ」
ミーシャは戸惑い、トトも不安そうにしている。ニナは首を傾げ、リリアは目を潤ませている。アルノは担架の上で、かすかに微笑む。
俺は湖畔の仮拠点を見た。そこはまだ小さく、まだ未完成。まだ何もかも足りない。でも、ここから作ればいい。俺は振り返って言った。
「拠点へようこそ。今は何もないが、ここに皆が住める家を建てる」
ユキが大きく頷く。
「ようこそ! ここ、むれのばしょ! おうち、たてる」
ミーシャが小さく言った。
「……ここが」
トトも続く。
「おうち」
ニナは灯りを見ながら言った。
「おうち。あるとべんり」
「最後は余計だが、まあいい」
リリアは目を潤ませ、かすれた声で言った。
「……皆の住む家」
その言葉は、たぶん彼女にとって、あたたかい言葉だった。
ガランが静かに頷く。
「やっと帰還したな」
「ああ」
俺は湖畔の草地を見渡した。まずは全員を休ませ、ホットミルクを作る。それから寝床を確保して、結界を強める。明日から拠点計画を組む。
家。
食堂。
診療場所。
シャワー設備。
倉庫。
車両置き場。
ミミとクロメの寝床。
そしてユキの祠。
段取りは山ほどある。だが今は。
「よし」
俺は袖をまくった。
「約束のホットミルクからだ」
ユキの耳が、ぴんと立つ。
「しあわせのおゆ!」
「全員分な」
「むれのみんな!」
「ああ。群れのしあわせのおゆだ」
日が暮れていく湖畔に、ポールライトの灯りが、その存在感を増していく。夕暮れの中、白狐神の小さな群れは、首輪の国から帰ってきた。
まだ仮の家へ。これから本当の家になる場所へ。
⸻
【収支報告】
異世界生活十日目
開始残高:865,231 pt
今回の購入:
・出来合いのおにぎり各種、味噌汁風スープ材料、飲料水補充 95 pt(約9,500円)
・バギー燃料補充分、タイヤ溝清掃工具、簡易整備用品追加 100 pt(約10,000円)
・湖畔帰還後のホットミルク材料、牛乳、砂糖、紙コップ類 70 pt(約7,000円)
・夜間帰還用ランタン電池補充、簡易結界周辺用目印ロープ 60 pt(約6,000円)
今回支出合計:325 pt(約32,500円)
現在残高:
865,231 pt − 325 pt = 864,906 pt
円換算目安:
864,906 pt × 100円 = 約86,490,600円相当
続く




