第22話 白狐神、夜に首輪を外す
2時10分。客舎の中は、息を潜めたように静かだった。
外では、砦の夜番が交代している。足音。低い話し声。槍の石突が石畳を叩く音。どれも昼間より大きく聞こえる。俺は寝台の端に座り、深く息を吐いた。
一、息を吐く。
二、吸う。
三、今できることを確認する。
怖い。とても怖い。だが、怖いからこそ段取りだ。ガランが小声で言う。
「最終確認だ」
全員が頷く。行動組は、ガラン、ロク、リーファ、俺、ユキ、マリベル。
ドランは客舎に残り、アルノを守る。騒ぎが起きた時の押さえ役でもある。
「ワシも行きたいがな」
「音が大きいから駄目だ」
「分かっておる」
ドランは不満そうだが、斧を抱えて扉のそばに座った。置物感がすごい。魔除けどころか、兵士除けである。
ユキは病弱な子供の偽装のままだ。
顔は特殊メイク。薄布。フード。耳は布で隠す。尻尾はリュックの中。こびゃっこは布袋に入れて胸元へ。
「おっちゃん」
「ん?」
「ユキ、かくれんぼ?」
「ああ。まだかくれんぼだ」
「でも、ひも、とる」
「取る。ただし、静かにだ」
「しずかに、ぱち」
「そう。静かに、ぱち」
静かな雷とは何だ。自分で言っておいて意味が分からない。だがユキは真剣に頷いた。
「ユキ、しずかにぱち、する」
ロクが扉に耳を当てる。
「外の兵士、二人っす。こっちを見てないっす。眠そうっすね」
ガランが俺を見る。
「催眠術、使えるか?」
「軽くなら」
俺は頷いた。人の記憶を弄る技術は怖い。だが、今は非殺傷で抜けるための道具だ。使いどころを間違えない。そう自分に言い聞かせる。
マリベルが扉を少し開けた。
「すみません。子供の熱が少し上がって、追加の水を」
兵士の一人が面倒そうに振り向く。
「こんな時間に――」
その視線が俺と合った。俺は目を合わせて低い声で、短く言う。
「少し眠いだけだ。問題ない。ここは静かだ」
催眠術。完全に眠らせるわけではない。注意を鈍らせ、違和感を流させる。兵士の目が少しぼんやりした。
「……静かにしろよ」
「ああ」
ロクが小さく親指を立てた。
「今っす」
俺たちは廊下へ出た。
2時12分。第一関門、客舎を出る。廊下は暗い。リーファが先行し、ロクが耳と鼻で周囲を探る。ガランは先頭寄り。俺はユキの手を握り、マリベルが後ろを守る。
ユキの手は小さい。でも、その指は首輪を外せる。鉄格子の建物へ近づくほど、ユキの手に力が入った。
「おっちゃん」
「匂うか?」
「くびに、ひも。いたい。こわい。ないてるにおい」
「……分かった」
怒りが胸の奥で膨らむ。息を吐く。怒りは燃料。ハンドルは段取り。
2時14分。鉄格子の建物の裏手に着いた。見張りは一人。予定より少ない。ロクの情報通りだ。
見張りは槍を持ち、壁に背を預けている。眠そうだが、完全には寝ていない。
ガランが指で合図する。リーファが小石を投げた。反対側の物陰で、かつん、と音がする。
「何だ?」
見張りが顔を向けた瞬間、ロクが背後から滑るように近づいた。口を押さえ、ガランが腕を取る。
一瞬。見張りは声を出せないまま、床に崩れた。殺してはいない。ロクがすぐに縛る。俺もロープワークで手伝い、口に布を噛ませる。
「悪いな」
小声で呟いた。悪いとは思う。でも、子供に首輪をつけている建物の見張りだ。同情にも限度がある。
扉には鍵。ガランが小さく舌打ちした。
「鍵が要るな」
「待ってください」
マリベルが見張りの腰を探る。小さな鍵束があった。
「これです」
「よし」
扉を開ける。
中は狭く、冷たかった。
石の床。鉄格子。奥に小さな壁掛け箱。薄い毛布。そして、三人の子供。
猫族の女の子が、弟らしき男の子を抱えてこちらを見る。隣では、三つ編みのおさげのドワーフの女の子が、無表情に近い顔でこちらを見ていた。
ただ、その手は震えている。
「誰……?」
猫族の女の子が小さく言った。ミーシャだ。俺は声を低くした。
「助けに来た」
その言葉だけで信じろという方が無理だ。ミーシャは弟を庇うように一歩下がる。
「嘘」
「嘘じゃない」
俺はユキを見る。ユキは一歩前に出た。薄布の下から、小さな声。
「ユキ、ひも、とる」
三人の目が、ユキに向いた。
「くびのひも、いたい。ユキ、きらい」
ミーシャの目が揺れる。
「取れるの……?」
「とる」
「命令石があると、痛いよ」
「いたいの、だめ」
ユキは静かに言った。
「ユキ、ぱちってする」
トトがミーシャの服を握りしめた。
「おねえちゃん……」
「大丈夫」
ミーシャはそう言いながら、自分も震えていた。ニナがぽつりと言う。
「首輪、外れるなら、べんり」
「そこ?」
思わず突っ込んでしまった。ニナは真顔だった。
「首輪、ふべん」
「そうだな。ものすごく不便だな」
ガランが奥の壁掛け箱へ向かう。
「命令石だ」
箱には小さな鍵がかかっている。見張りの鍵束で開いた。中には、黒ずんだ石が三つ。
鑑定。
⸻
【鑑定結果】
名称:使役命令石
対象:奴隷首輪 三基
状態:待機
効果:命令伝達、苦痛付与、位置反応
備考:首輪本体と魔力接続中
⸻
「これだ」
俺は命令石を布で包み、収納に入れた。見えない場所へ消える。ミーシャが目を見開いた。
「消えた……?」
「あとで説明する。今は静かに」
ユキがミーシャの前に立つ。
「こわい?」
ミーシャは唇を噛んだ。
「怖い」
「ユキも、こわい」
「あなたも?」
「うん。でも、ひも、とる」
ユキは小さな指を伸ばした。俺は膝をつき、ユキの背中に手を添える。
「無理するな」
「しずかに、ぱち」
「ああ」
ユキの指先に、白い火花が灯る。大きな雷ではない。小さく、細く、しかし真っ直ぐな白い光。それがミーシャの首輪に触れた。
ぱち。
金属の内側で、何かが焼き切れる音がした。首輪が、からん、と床に落ちる。ミーシャは動けなかった。自分の首に手を当てる。
「……ない」
声が震える。
「ない……」
ユキはこくんと頷く。
「ひも、ない」
ミーシャの目から涙が溢れた。
「ありがとう……」
ユキは少し考え、練習した言葉を言った。
「どういらしまして」
この場面で噛むのか。いや、だからユキなのだ。
トトの番だ。トトは怖がって、ミーシャの後ろに隠れようとした。
「いや……痛いのいや……」
「いたくしない」
ユキが言う。
「ちょっと、ぱち。すぐ、おわる」
「ほんと?」
「ほんと」
「おねえちゃん……」
ミーシャがトトを抱きしめる。
「大丈夫。この子、本当に取ってくれた」
トトは目をぎゅっと閉じた。ユキの指が触れる。
ぱち。
二つ目の首輪が落ちた。トトは数秒固まり、それから首を触った。
「ない……」
「ない」
ユキが頷く。トトは泣き出した。声が出そうになる前に、ミーシャが抱きしめて口元を覆う。
「静かに。逃げるの」
しっかりしている。本当に八歳か。
最後はニナ。ニナは自分から前に出た。
「次、ニナ」
「怖くないのか?」
俺が聞くと、ニナは首を横に振った。
「こわい。でも、外れるなら、べんり」
「便利基準、強いな」
ユキが指を伸ばす。
ぱち。
三つ目の首輪が落ちた。ニナは首を触り、落ちた首輪を見た。
「軽い」
「そうだな」
「首、べんり」
「首は便利とかそういうものじゃない」
ニナは少し考えた。
「でも、べんり」
「分かった。便利でいい」
俺は三つの首輪も収納へ入れた。証拠を残さない。ロクが耳を動かす。
「まずいっす。外の廊下、足音二人。予定より早いっす」
「巡回か?」
「たぶんっす」
ガランが即座に指示を出す。
「全員、奥へ寄れ。リーファ、影。ヒカル、子供たちを伏せさせろ」
「分かった」
俺はミーシャたちに小声で言う。
「今から逃げる。声を出さない。俺たちについてくる。いいな?」
ミーシャは涙を拭きながら頷いた。
「トト、静かに」
「うん……」
ニナも頷く。
「にげる。べんり」
それは便利ではないが、今は訂正しない。足音が近づく。ガランが扉脇へ。ロクが低く構える。
俺はユキと子供三人を背に隠す。息を吐く。怖い。でも動ける。
扉の外で声がした。
「おい、見張りは?」
「さっきまでいたはずだが――」
扉が開きかけた瞬間、ガランが引き込んだ。ロクがもう一人の足を払う。リーファが布を投げ、声を封じる。俺は反射的に刀へ手をかけそうになった。
だが抜かない。殺しに来たんじゃない。兵士二人は、数秒で縛られた。ガランが低く言う。
「予定より早く気づかれる。急ぐぞ」
「どこへ?」
「客舎には戻らない。変更だ。このまま南東側の通用門へ向かう」
「了解」
段取りは変わる。でも目的は変えない。首輪を外した。子供三人を確保した。次は脱出だ。
ユキが俺の手を握る。
「おっちゃん」
「どうした?」
「ひも、とれた」
「ああ」
「ミーシャ、トト、ニナ、ひも、ない」
「ああ。ユキが取った」
ユキは小さく息を吐いた。
「よかった」
その声は本当に小さかった。
でも、部屋の中で一番強い言葉だった。ミーシャがユキを見る。
「あなた、誰なの?」
ユキは少し考えた。そして、いつものように言った。
「ユキは、ユキ」
「ユキ……」
「おっちゃんは、おっちゃん」
「それは分からない」
「こびゃっこは、こびゃっこ」
「もっと分からない」
この非常時に自己紹介が独特すぎる。だが、ミーシャは泣きながら少し笑った。それだけで十分だった。
ロクが扉の外を確認する。
「今なら行けるっす」
ガランが頷いた。
「走らない。足音を殺す。だが遅れるな」
俺はミーシャ、トト、ニナを見る。
「行けるか?」
ミーシャがトトの手を握る。
「行きます」
ニナは頷いた。
「歩く。べんり」
「便利じゃなくて大事だ」
「大事、べんり」
「もうそれでいい」
ユキが俺の袖を引いた。
「おっちゃん」
「ん?」
「あとで、にく?」
「脱出できたらな」
「ミーシャたちも?」
「ああ。みんなで食べる」
ユキは真剣に頷いた。
「にくは、えらい。みんな、げんきになる」
その言葉に、トトが小さく鼻をすすった。
「お肉……?」
「ああ、あるぞ」
俺は小声で言った。
「だから、まず逃げる」
トトは涙目のまま頷いた。
「うん」
2時19分。
予定より早く、救出対象三名確保。ただし、巡回に見つかる可能性が上がった。俺たちは鉄格子の部屋を出る。
石造りの廊下は暗い。遠くで鐘の余韻が消えていく。この砦のどこかで、まだ誰も知らない。首輪をつけられた三人の子供が、もう首輪をしていないことを。白狐神の雷が、首輪の国の中で三つの輪を砕いたことを。
俺はユキの手を握り直した。次は逃げる。ここからが、本当の山場だ。
⸻
【収支報告】
異世界生活8日目
開始残高:947,366 pt
今回の購入:
・夜間行動用の黒布、簡易目隠し布、布手袋、追加ロープ類 45 pt(約4,500円)
・小型赤色ライト、遮光布、予備電池 35 pt(約3,500円)
今回支出合計:80 pt(約8,000円)
現在残高:
947,366 pt − 80 pt = 947,286 pt
円換算目安:
947,286 pt × 100円 = 約94,728,600円相当
続く




