第19話 白狐神、特殊メイクをされる
客舎、と呼ばれた建物は、砦の中ではまだましな部類だった。
石造りの小さな建物で、部屋は二つ。一つは寝台が四つある大部屋。もう一つは物置のような小部屋。窓には鉄格子。扉の外には兵士。客舎というより、丁寧な監視部屋である。
「客を泊める部屋じゃないな」
俺が小声で言うと、ガランが肩をすくめた。
「レイシスにしては上等だ」
「そういう国か」
「そういう国だ」
アルノは大部屋の奥の寝台に寝かせた。マリベルが状態を確認する。
「熱は少しありますが、悪化はしていません。食事と睡眠が取れれば、数日で歩けるようになると思います」
「数日か」
「本来なら、もっと休ませたいです」
当然だろう。あの衰弱ぶりで、ここまで運ばれてきたのだ。首輪が外れたとはいえ、身体に残った傷や疲労が消えるわけではない。
アルノは申し訳なさそうに目を伏せた。
「すみません……私のせいで」
「謝るな」
俺は即座に言った。
「逃げて倒れていた人間を助けただけだ。謝る必要はない」
「でも……」
ユキが俺の横から顔を出す。室内なので、薄布は少しだけ緩めているが、フードは深く被ったままだ。
「アルノ、ねてたべる。げんきになる」
アルノはユキを見て、微笑んだ。
「はい」
「ひも、もうない」
「はい」
「なら、だいじょうぶに、なる」
ユキの理屈はいつも簡単だ。でも、今のアルノには、それくらい簡単な言葉の方が必要だったのかもしれない。
アルノは静かに頷いた。
「ありがとうございます、ユキ」
「うん」
ユキは少し満足げに俺を見る。
「おっちゃん、ユキ、いいこといった?」
「ああ。かなりいいことを言った」
「もっと」
「ものすごくいいことを言った」
「よし」
リュックの中の尻尾が、もこっと動いた。
「尻尾」
「しっぽも、いいこといった」
「尻尾は言ってない」
「でも、きいた」
「はいはい」
部屋の中に、少しだけ笑いが漏れた。ただ、すぐに空気は重く戻る。
外では、入り口で引き渡した奴隷狩り五人の確認が行われているはずだ。あいつらが何を話すかで、こちらの状況も変わる。ユキが首輪を外したことを隠しているからだ。
だが、奴隷狩りたちは見ていた。白い狐耳。白い尻尾。小さな指先の放電。そして落ちた首輪。普通に考えれば、かなりまずい。
だが、今回は一つだけ救いがあった。俺の催眠術が、思った以上に効いている。
ロクが扉の近くに立ち、耳を澄ませた。
「……尋問室、少し遠いっすけど、声は拾えるっす」
ガランが聞く。
「どうだ?」
「捕縛者たち、かなりぼんやりしてるっす。『森でハンターに捕まった』『強いやつらだった』って繰り返してるっすね」
「白い子供のことは?」
俺は思わず聞いた。ロクは耳を動かす。
「一人が何か言いかけたっす。『白い……雷……』みたいな。でも尋問してる兵士に『寝ぼけているのか』って怒られて、そこから黙ったっす」
俺は大きく息を吐きそうになり、寸前で止めた。まだ安心するには早い。催眠術は完全な記憶消去ではない。一時的、部分的な混乱にすぎない。時間が経てば断片的に戻る可能性もある。
だが、今は効いている。
「助かった……」
「本当に効いているのね」
リーファが小さく言った。
「少し怖い技だわ」
「俺も怖い。多用する気はない」
これは本音だ。人の記憶をぼやけさせる技術なんて、便利だと思った瞬間に危ない。銃と同じだ。刀と同じだ。使いどころを間違えたら、自分が嫌なものになる。
ユキが俺の袖を引いた。
「おっちゃん、こわいこと、した?」
「少しな」
「ユキのため?」
「ああ」
ユキは少し考えてから、こくりと頷いた。
「でも、こわいおっちゃん、だめ」
「分かってる」
「ちょっとだけ」
「ああ。ちょっとだけにする」
そこへ、扉の外から足音が近づいてきた。兵士の声がする。
「しばらくしたら医官が来る。病の子供と負傷者を確認する」
来た。医官。砦長グレイナーが言っていた確認だ。俺はマリベルを見る。
「対策、始めるぞ」
「はい」
昨日までの病人風メイクでは足りない。相手は医官だ。病人を見慣れている人間相手に、ただ顔色を悪くしただけでは見破られる可能性がある。
必要なのは、もっと近くで見られても誤魔化せる技術。
俺は四十の手習いを開いた。
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【四十の手習い連動提案】
現在の状況に適した手習い候補:
・特殊メイク
・演劇
・コスプレ
・救急看護
・薬草趣味
最優先候補:特殊メイク
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「やっぱり出たか」
特殊メイク。映画や舞台で、傷、病変、老化、怪物などを表現する技術。
まさか異世界で医官をごまかすために使うとは思わなかった。元の世界の俺が見たら、たぶん会社の健康診断より真剣な顔をしている。
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【手習い:特殊メイクを取得しますか?】
必要魔石ポイント:900
取得内容:
・傷跡表現
・病変表現
・肌質変化
・老化、疲労表現
・簡易義装
・近距離確認への対応基礎
関連ショップ:
特殊メイク用品、肌用接着剤、人工皮膚、顔料、除去剤、道具一式
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「取得」
知識が流れ込む。
肌の質感を変える方法。
色ではなく凹凸で見せる方法。
炎症に見せる赤み。
乾燥した皮膚。
かさぶた風の質感。
弱っているような目元。
同時に注意点も入ってくる。
やりすぎると不自然。
触られるとばれる可能性。
医療確認に対しては、触らせない理由を作ること。
感染性、痛み、処置直後。
「よし」
俺はユキに向き直った。
「ユキ、少し顔にいろいろつけるぞ」
「きれい?」
「今回は、きれいじゃなくて病気っぽくだ」
「む」
「あとでちゃんと落とす」
「しゃわー?」
「できる場所があればな」
「ほっとみるく?」
「それも」
ユキは渋々頷いた。
「ユキ、がんばる」
「偉い」
まず、頬と目元の血色を落とす。ただ白くするだけではない。薄い青み、黄み、くすみを重ねる。
次に、薄布で隠れる頬の一部に、炎症のような赤みと乾燥した皮膚の質感を作る。医官が布を少し上げても、病変に見えるように。
ただし、耳元は絶対に見せない。そこには狐耳がある。
頭部にも症状があるように見せかけ、包帯とフードで完全に隠す。フードの内側には柔らかい布を入れ、耳の形が浮かないように調整した。さらに、薬草風の匂い袋を近くに吊るす。
「くさい」
ユキが鼻をしわしわさせる。
「薬の匂いだ」
「ユキ、いや」
「医官をごまかすためだ」
「ユキ、がまん」
「偉いぞ」
「あとで、あまいの」
「飴をやる」
「よし」
報酬交渉が成立した。特殊メイクで、ユキは本当に病弱な子供に見えるようになった。顔色は悪く、目元に疲れがあり、頬の一部は布の下から少し赤く荒れている。
マリベルが確認する。
「見事です。これなら、皮膚病と言われても違和感がありません」
「触られたら?」
「私が止めます。感染の疑い、処置直後、痛み。この三つで押します」
「頼む」
次にアルノだ。首輪跡はすでにメイクで隠してある。だが、医官が近くで見れば、輪状の痕跡に気づく可能性がある。
そこで特殊メイクを重ねる。首輪跡そのものを消すのではなく、別の傷に見せる。
獣に引っかかれた傷。枝で切った傷。森で倒れた時に擦った傷。首を一周する輪状の線が一番危険だ。そこに不規則な赤みと擦過傷表現を重ね、輪の連続性を崩す。
さらに包帯を斜めに巻き、首輪跡が一周していたと分からないようにした。アルノはじっと耐えていた。
「痛いか?」
「いいえ……ただ、不思議です」
「何が?」
「首輪の跡が、別の傷になるなんて」
「本物の傷を消せるわけじゃない。隠してるだけだ」
「それでも……今はありがたいです」
アルノは小さく息を吐いた。
「首輪をしていたことを、見られないだけで……少し呼吸が楽です」
俺は手を止めそうになった。だが、最後まで仕上げる。今は感傷より作業だ。
「よし。できた」
マリベルが確認する。
「これなら、首輪跡には見えません。森で負傷したと言われれば、納得できる範囲です」
ガランも見た。
「すごいな。まるで別の傷だ」
「特殊メイクだ」
「お前の世界は不思議だ」
「俺もこんな使い方をするとは思わなかった」
数分後、扉が叩かれた。
「医官を連れてきた」
ガランが俺たちを見る。
「準備は?」
「できた」
マリベルがユキの前に立ち、医療者らしい顔になる。俺はユキの手を握る。アルノは寝台に横たわり、包帯で首元を隠している。
扉が開いた。入ってきたのは、痩せた中年の男だった。灰色の髪。細い目。革の鞄。薬草の匂い。後ろには兵士が二人。医官は部屋に入るなり、鼻をひくつかせた。
「薬草臭いな」
マリベルが答える。
「感染抑制のため、薬草を使っています」
「感染性皮膚病の疑いがある子供とは?」
「こちらです」
医官の視線がユキに向く。ユキの手が強くなる。俺も握り返した。医官は近づこうとしたが、薬草の匂い袋の匂いに少し顔をしかめた。
「布を取れ」
マリベルがすぐに言う。
「処置直後です。急に空気に触れさせると痛みが出ます」
「診察できん」
「一部だけなら」
マリベルはユキの顔の薄布を、ほんの少しだけ上げた。特殊メイクで作った荒れた頬が見える。赤み。乾燥。薄いかさぶた風の質感。医官の目が細くなる。
「ふむ」
彼は近づこうとする。ユキが小さく震えた。俺はその肩を抱く。
「怖がっている」
医官は少し面倒そうに言った。
「痛むか?」
ユキは小さく頷く。
「……いたい」
演劇スキルの練習が効いたのか、声はかすれて小さい。医官は頬を見ると、触ろうとした。マリベルが即座に止める。
「触れるなら、手を洗浄し、布を替えます。二次感染の恐れがあります」
医官は顔をしかめた。
「そこまでする必要はない」
「では、視診のみでお願いします」
よし。触診は避けられた。医官はユキの目元を見る。
「発熱は?」
マリベルが答える。
「微熱。食欲は低下。日光で症状が悪化します」
「日光過敏か」
「その可能性があります」
ユキが小声で言った。
「……おっちゃん」
「大丈夫だ」
俺はユキの額に手を当てるふりをした。実際には熱はない。だが、特殊メイクと演技で弱って見える。医官はしばらく見て、やがて鼻を鳴らした。
「重症ではないが、面倒な症状だ。人に移る可能性は?」
マリベルは少し間を置いて答える。
「低いと思われます。ただし、患部に直接触れない方が良いでしょう」
「なら隔離の必要はないな」
助かった。医官はユキへの興味を失い、次にアルノへ向かった。
「負傷したエルフか」
声に軽蔑が混じる。俺の手に力が入りかけた。その瞬間、ユキが俺の指をぎゅっと握る。こわいおっちゃん、だめ。そう言われた気がした。俺は息を吐き、気持ちを落ち着ける。
医官はアルノの首元を見た。
「首の包帯を外せ」
マリベルが前に出る。
「傷があります。私が外します」
「勝手にしろ」
マリベルは包帯を少しずらす。特殊メイクで作った不規則な傷跡が見える。首輪跡には見えない。少なくとも、線はつながっていない。
医官は目を近づける。長い。また長い。俺の背中に汗が滲む。アルノは目を閉じている。震えないよう必死に耐えているのが分かる。
「森でやられたのか?」
医官が聞く。マリベルが答える。
「枝と獣による裂傷です。感染しかけていましたが、処置しました」
「奴隷首輪の跡ではないな」
心臓が跳ねる。この医官、疑って見ている。マリベルは静かに返す。
「首輪があったのですか?」
「逃亡奴隷の可能性があると聞いている」
「首輪は見つかっていません。現在の傷は、ご覧の通りです」
医官はさらに見た。だが、特殊メイクと包帯の巻き方が効いている。輪状の跡は見えない。やがて医官は、つまらなそうに言った。
「衰弱がひどい。二日は動かすな」
アルノの肩がわずかに緩んだ。マリベルが頷く。
「同意します」
「治療は任せる。死なせるな。死ぬと書類が面倒だ」
またそれか。この国では命より書類が前に来るらしい。いや、命を紙で管理しているから、こうなるのかもしれない。
医官は鞄を閉じた。
「砦長には、子供は感染性の疑いあり、ただし重症ではない。エルフは衰弱と外傷、二日安静、と報告する」
マリベルが頭を下げる。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。こちらの仕事だ」
医官は兵士を連れて部屋を出て行った。扉が閉まり足音が遠ざかる。数秒、誰も動かなかった。そして、俺は大きく息を吐く。
「……通った」
マリベルも肩の力を抜いた。
「特殊メイク、見事でした」
アルノは目を開け、震える声で言った。
「ありがとうございます……本当に……」
ユキは俺の手を離さないまま、布の下で小さく言う。
「ユキ、かくれんぼ、まけてない?」
「勝ってる。今のところ完全勝利だ」
「しっぽも?」
「尻尾も偉すぎる」
リュックが、ほんの少しだけもこっとした。
「だから動かすな」
「しっぽ、すごくよろこんだ」
「分かった。あとで全力で褒める」
ガランが扉の方を見ながら言った。
「これで少し時間が稼げた」
「二日安静と言われたな」
「ああ。つまり、砦内で二日滞在する理由ができた」
俺はガランを見る。ガランの目は鋭い。
「その間に情報を集める」
「神務院とシオンのことか」
「それと、奴隷管理局の動き。捕縛者たちの扱い。砦長の意図。あの鉄格子の子供たちもだ」
俺は頷いた。二日。危険な砦内での二日。でも、時間ができた。ユキの正体も隠せた。アルノの首輪跡もごまかせた。捕縛者の証言も、催眠術のおかげで今のところ問題になっていない。
段取りは、まだ生きている。ユキが小さく俺を見上げた。
「おっちゃん」
「なんだ?」
「ほっとみるく」
「……頑張ったからな」
「にくも」
「少しだけだぞ」
「ユキ、すごくがんばった」
「ああ。分かってる」
俺は苦笑した。この状況でホットミルクをねだれるあたり、ユキは強い。
いや、強いからこそ、いつものものを求めているのかもしれない。
砦の中。首輪の国。鉄格子の向こうには、首輪をつけた子供たち。それでも俺は、小さなカップにホットミルクを作ることにした。
薬草臭い病人部屋の中で、砂糖入りの温かい牛乳。それはたぶん、この砦で一番場違いで、一番必要なものだった。
⸻
【収支報告】
開始残高:991,226 pt
今回の購入:
・手習い:特殊メイク取得 900 pt(約90,000円)
・特殊メイク用品、肌用接着剤、人工皮膚、顔料、除去剤、道具一式 180 pt(約18,000円)
・ユキ用ホットミルク、少量の肉、飴 10 pt(約1,000円)
今回支出合計:1,090 pt(約100,900円)
現在残高:
991,226 pt − 1,090pt = 990,136pt
円換算目安:
990,136pt × 100円 = 約99,013,600円相当
続く




