第18話 白狐神、砦長と面会する
国境砦の内側は、想像していたよりも騒がしかった。
石畳の広場。荷馬車。兵士。商人。馬。槍を持つ門番。書類を抱えた役人らしき男たち。そして、あちこちから向けられる視線。
視線。視線。視線。
俺たちが門をくぐった瞬間、砦内の空気が少し変わったのが分かった。理由は分かる。
オリエント王国の正式な使節団。エルフ、ドワーフ、狼族を含むランクSパーティー《東風の牙》。担架のエルフ。病弱な子供を連れた異国風の男。そして、さっき入り口では、拘束した奴隷狩り五人を引き渡した。
目立たない方が無理だ。
「おっちゃん」
ユキが小さく言った。顔は薄布で隠れている。フードも深く被っている。狐耳も白い尻尾も隠れている。
「どうした?」
「ひとのにおい、いっぱい」
「嫌な匂いは?」
「ある」
短い返事だった。それだけで十分だった。レイシス皇国。人族至上主義の国。この砦だけでも、ユキには嫌な匂いが多いらしい。
「俺の服を離すな」
「うん」
ユキはぎゅっと俺の袖を掴んだ。背中のリュックは動いていない。尻尾も頑張っている。偉い。今すぐ褒めたいが、人前ではできない。あとでたくさん褒める。心の中で決めた。
兵士に案内され、俺たちは広場の奥にある石造りの建物へ向かった。砦の中央棟らしい。
入り口には二人の兵士。その横に、記録係のような痩せた男が立っている。彼は俺たちを見て、露骨に眉をひそめた。
「亜人が多いな」
その一言で、空気が少し冷えた。リーファの目が細くなる。ドランの肩がわずかに動く。ロクの耳が伏せる。だが、ガランは顔色を変えなかった。
「オリエント王国王命による正式使節団、ランクSパーティー《東風の牙》だ。砦長との面会を求める」
記録係は鼻を鳴らした。
「使節団ね。親書は?」
「砦長の前で提示する」
「ここで出せ」
「砦長の前で提示すると言った」
ガランの声は低い。
記録係は不快そうに顔を歪めたが、ガランの視線に押されたのか、それ以上は言わなかった。
「……待っていろ」
彼は建物の中へ消えた。俺は小声でガランに聞く。
「今のは普通なのか?」
「レイシスでは普通だ」
「胸糞悪いな」
「まだ軽い方だ」
「そうか」
軽い方。それが嫌すぎる。するとユキが俺の袖を引く。
「おっちゃん」
「ん?」
「ロク、いやなにおい」
ロクが小さく笑った。
「大丈夫っす。慣れてるっす」
「なれるの、だめ」
「そうっすね」
ロクの笑顔は少しだけ寂しかった。ユキは黙って、布袋越しにこびゃっこを抱いた。
しばらくして、記録係が戻ってくる。
「砦長がお会いになる。捕縛者はすでに別室へ移した。武器は一部制限する」
ガランが眉を上げる。
「一部制限?」
「砦長の前へ持ち込めるのは護衛剣一本と、治療用の杖のみだ。弓、斧、短剣は扉前で保管する」
「親書を持つ使節団に対し、護衛力を削ぐのか」
「砦の規則だ」
「では、責任を持って記録しておけ。オリエント王国の正式使節団は、砦の規則に従い、最低限の護衛武器のみで面会する」
記録係の顔がぴくりと動いた。責任。この言葉は効く。ガランは外交の場にも慣れているらしい。
「……好きにしろ」
記録係は不機嫌そうに言った。
俺のライフルは収納済みだ。見せる必要はない。腰にあるのは日本刀だけ。異国の剣と言えば通る。
面会室へ向かうメンバーは、ガラン、マリベル、俺、ユキ、担架のアルノ。
リーファ、ドラン、ロクは扉前で待機する。
ユキが俺の手を強く握った。
「おっちゃん」
「大丈夫。俺がいる」
「こびゃっこも」
「いる」
「しっぽも、いる」
「頑張ってるな」
「しっぽ、すごくがんばってる」
「あとで褒める」
「うん」
俺たちは石造りの廊下を進んだ。壁にはレイシス皇国の紋章が掛けられている。剣と王冠を組み合わせたような紋章だ。
廊下の途中、鉄格子の向こうに小さな部屋があった。
そこには、子供が三人いた。猫族の女の子。猫族の男の子。三つ編みのおさげをしたドワーフの女の子。全員、首に輪がある。
首輪。俺は見てしまった。猫族の女の子は俺たちを見ると、小さな猫族の男の子を庇うように抱き寄せた。姉弟だろうか。ドワーフの女の子は三つ編みのおさげを握りしめ、怯えた目でこちらを見ていた。
子供だ。首輪をつけられた、子供だ。ユキの手が震える。
「おっちゃん」
声がかすれている。
「見るな」
「くびに、ひも」
「今は見るな」
「でも」
「今は駄目だ」
俺はできるだけ優しく、けれど強く言った。
「ここで動いたら、助けられるものも助けられなくなる」
ユキは黙った。手だけが震えている。俺の中でも、何かがぐらぐら揺れた。すぐそこに、首輪をつけられた子供がいる。
ユキなら外せるかもしれない。だが、ここは砦の中。兵士に囲まれている。段取りなしで動けば、ユキが危ない。
俺は奥歯を噛みしめた。こわいおっちゃん、ちょっとだけ。まだだ。まだ、怒る場面ではない。
するとマリベルが小声で言う。
「ヒカルさん」
「分かってる」
「今は耐えてください」
「分かってる」
分かっている。でも、分かっているから楽になるわけではない。
面会室の扉が開いた。中は質素だが広い部屋だった。大きな机。壁に地図。窓は小さい。兵士が二人。書記が一人。そして机の向こうに、五十代くらいの人族の男が座っていた。
灰色の髪に整えられた口髭。鋭い目だ。軍人というより、官僚と武人の中間のような雰囲気。
鑑定。
⸻
【鑑定結果】
名称:ヴォルフ・グレイナー
所属:レイシス皇国西辺国境砦
職位:砦長
状態:警戒、計算、疲労
備考:高位軍人。政治判断能力あり。
⸻
悪人かどうかは分からない。少なくとも、門兵や記録係よりは話が通じそうに見える。見えるだけかもしれないが。
砦長グレイナーは、俺たちを見ると静かに口を開いた。
「砦長のグレイナーだ。オリエント王国の使節団か」
ガランが前に出る。
「ランクSパーティー《東風の牙》、ガラン。銀狐王セイラム陛下より、レイシス皇帝陛下への親書を預かっている」
ガランは封蝋のついた親書筒を取り出した。砦長はそれを部下に確認させる。封蝋を見た書記の顔が少し変わった。
「本物のようです」
砦長は頷いた。
「親書は皇都へ送られるべきものだ。使節団からの正式な預かりとして、この地域を治める辺境伯の証明書を出す必要がある」
「辺境伯が?」
「ああ。明日までに証明を用意させる。その後、親書はただちに早馬で皇都へ届ける」
俺は少し驚いた。親書をガランたちが皇都まで持って行くのではなく、ここで正式に預け、早馬で届けるらしい。
ガランは表情を変えずに頷いた。
「証明書には、オリエント王国使節団が正式に親書を提出したこと、封蝋が保持されていること、皇都へ早馬で送付されることを明記してもらう」
「当然だ」
「写しは我々にも渡されるな?」
「渡す。辺境伯印と砦長印を入れる」
ガランは静かに頷いた。
「ならば手続きとしては受け入れよう」
俺は内心で感心した。さすがランクSハンターで使節団。ただ強いだけじゃない。ちゃんと外交の段取りも分かっている。
俺だったら、親書って直接皇帝に手渡しじゃないのか、と素で聞いていた。危ない。おっさん、異世界外交の常識ゼロである。
砦長の視線がアルノの担架へ向く。
「それで、その負傷者と捕縛者の件だ」
ガランは簡潔に説明した。大境界森で負傷者を保護したこと。追ってきた者たちが攻撃を仕掛けたこと。彼らを拘束し、砦入り口で引き渡したこと。森はどちらの国の領土でもないこと。
奴隷首輪を外したことは言わない。アルノの首元は包帯とメイクで隠れている。砦長は話を聞き終えると、指で机を軽く叩いた。
「捕縛者が奴隷追跡権を持つ者だった場合、問題になる」
「彼らは領外で武力行使した」
「この森を領外と認めるかどうかは、皇国の判断だ」
来た。ガランの目が細くなる。
「大境界森は、オリエント王国も領有を主張していない。レイシス皇国も正式な領有宣言はしていないはずだ」
「死の森など、領有する価値もない」
「ならば領外だ」
砦長はガランをしばらく見た。そして、わずかに口元を歪める。
「口は立つようだな」
「剣よりは苦手だが」
「だろうな」
空気が少しだけ緩んだようで、緩んでいない。砦長は次にアルノを見る。
「そのエルフは奴隷ではないのか?」
マリベルが答える。
「森で倒れていた負傷者です。首輪はありません」
「首を見せろ」
来た。マリベルは落ち着いている。
「首には傷があり、処置済みです。包帯を外すなら、治療責任者として私が立ち会います。ただし、外せば出血の恐れがあります」
砦長はマリベルを見た。
「魔術師か」
「治療術も扱います」
「包帯の上から確認する」
兵士の一人が近づこうとした。俺の身体が反射的に動きそうになる。だが、マリベルがすっと前に出た。
「私が示します」
彼女はアルノの首元の包帯を少しだけずらした。見えるのは、メイクで処理した肌。首輪跡は見えない。傷跡に見える赤みだけを少し残してある。
「獣に引っかかれた傷です」
マリベルが言う。砦長の目が細くなる。彼はしばらく見た。長い。長すぎる。俺の背中に汗が滲む。
メイクが見破られるか。アルノが震えるか。ユキが何か言うか。全部が怖い。やがて砦長は短く言った。
「戻せ」
マリベルは包帯を戻した。俺は心の中で息を吐く。首輪跡は、隠せた。少なくとも今は。次に砦長の視線が、ユキへ向いた。
「その子供は?」
俺は一歩前に出た。
「俺の娘です。病のため、顔を覆っています」
「貴様は?」
「ヒカル。旅人です。ガランたちに同行しています」
「人族か?」
「はい」
当然異界人です、とは言わない。砦長は俺をじっと見た。
「変わった服装だな」
「東方の旅装です」
演劇スキルが補助してくれているのか、声は自然に出た。砦長はユキを見続ける。
「顔を見せろ」
マリベルが先に言う。
「感染性皮膚病の疑いがあります」
「門でも聞いた」
「事実です」
「ならば医官に確認させる」
まずい。俺は内心で舌打ちする。砦の医官。病気のふりがどこまで通じるか分からない。だが、マリベルは落ち着いていた。
「構いません。ただし、専門の防護を用意してください。症状が悪化すれば、使節団の同行者に害が出ます」
「脅しか?」
「医療上の注意です」
砦長は少し黙った。彼は迷っているようだった。病気の子供を無理に確認する面倒。他国使節団への対応。感染の可能性。そして、目の前の用件の多さ。砦長は最終的に、ため息を吐いた。
「医官を呼ぶ。だが今すぐではない。まず捕縛者の確認と、親書預かりの手続きが先だ」
助かった。完全には助かっていない。でも時間は稼げた。ユキは俺の手を握りしめたまま、微動だにしなかった。
すごい。本当に頑張っている。砦長は書記に命じた。
「捕縛者を別室で尋問しろ。奴隷追跡権を持つ者か確認する」
「はっ」
「それから、このエルフの身元も調べる。だが、治療中なら今は動かすな」
マリベルが頭を下げる。
「感謝します」
砦長は冷たい声で言った。
「感謝されることではない。死なれて面倒になるのを避けるだけだ」
嫌な言い方だ。でも、合理的ではある。砦長はガランを見る。
「親書については、明日までに辺境伯の預かり証明を出す。証明後、皇都へ早馬を出す。それまでは砦内の客舎で待機しろ」
「砦を出る許可は?」
「親書の扱い、捕縛者、負傷者、そして同行者の確認が済んでからだ」
「引き延ばしか?」
「手続きだ」
ガランと砦長の視線がぶつかる。数秒。長い沈黙。先に砦長が視線を外した。
「こちらも面倒は避けたい。貴殿らが問題を起こさない限り、丁重に扱う」
「それを聞いて安心した」
「安心しすぎるな。ここはレイシスだ」
自分で言うのか。俺は少しだけ砦長への評価を修正した。この男は、レイシスの人間だ。差別意識もあるのだろう。だが、門兵や記録係のような単純な嫌悪だけで動くタイプではない。
政治と責任を理解している。だからこそ厄介だ。面会は一旦終わり、俺たちは客舎へ案内されることになった。
部屋を出る時、砦長の声が背中にかかった。
「ヒカルと言ったか」
俺は振り返る。
「何でしょう」
「その子供を、医官には必ず見せてもらう」
「分かりました」
「隠し事があるなら、今のうちに考えておけ」
砦長の目は鋭かった。疑われている。ただし、何を隠しているかまでは分かっていない。俺は頭を下げ、部屋を出た。廊下に出た瞬間、ユキが小さく息を吐いた。
「おっちゃん」
「頑張ったな」
「ユキ、かくれんぼ、まけてない?」
「まだ負けてない」
「しっぽも?」
「尻尾も最高に偉い」
リュックがほんの少し震える。
「動かすな」
「しっぽ、ちょっとだけ、よろこんだ」
「なら仕方ない」
マリベルが小声で言う。
「医官の確認、対策が必要ですね」
「ああ」
アルノの首輪跡は隠せた。ユキの正体も今のところ隠せた。だが、次は医官。病人設定をどこまで押し通せるか。それとも別の手を打つか。俺は廊下の鉄格子の向こうに、また首輪の子供たちを見た。
猫族の女の子が、こちらをじっと見ていた。その腕の中には、小さな猫族の男の子。隣には、三つ編みのおさげをしたドワーフの女の子。
三人とも、首に輪がある。ユキも気づいたのか、俺の手を握る力が強くなる。俺は前だけを見る。今は駄目だ。でも、忘れない。首輪跡を隠すメイクができるなら。首輪を外すユキの力を守れるなら。きっと、まだできることはある。
まずは客舎。次に医官。親書は辺境伯の証明を得て、早馬で皇都へ向かう。そして、砦の中にある首輪の現実。俺は歩きながら、心の中で段取りを組み始めた。
⸻
【収支報告】
開始残高:991,226 pt
今回の購入:
・なし
今回支出合計:0 pt
現在残高:
991,226 pt
円換算目安:
991,226 pt × 100円 = 約99,122,600円相当
続く




