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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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17/30

第17話 白狐神、首輪の国に入る


 異世界生活六日目の朝、俺はいつもより早く目が覚めた。まだ空は薄青い。街道脇の野営地には、朝の冷たい空気が沈んでいた。


 遠くには、レイシス皇国の見張り塔。その先に国境砦がある。今日、俺たちはそこへ入る。


「……胃が重い」


 昨日の干し肉スープが悪いわけではない。完全に緊張だ。横を見ると、ユキは丸くなって寝ていた。


 フードは外している。白い狐耳がぴょこんと出て、こびゃっこを胸に抱え、尻尾は俺の足首に巻きついている。


「ほっとみるく……にく……」


「寝言が欲望で素直すぎる」


 そっと尻尾を外そうとしたら、尻尾がきゅっと巻き直された。


「おっちゃん、にげるな……」


「寝言で拘束するな」


 小声で突っ込む。なんとか抜け出すと、焚き火のそばでガランが起きていた。


「早いな」


「今日は砦入りだ。眠りは浅くなる」


「同じだ」


 捕虜の奴隷狩り五人は、木のそばで大人しく座り込んでいる。催眠術とマリベルの魔法、そしてユキの結界の効果で、昨日からずっとぼんやりしていた。暴れられるよりはいい。


 アルノは毛布に包まって眠っている。顔色は昨日より少し良いが、まだ弱っていた。


「アルノの首輪跡、隠した方がいいな」


 俺が言うと、ガランはすぐに頷いた。


「そのままでは逃亡奴隷だと疑われる」


 赤く擦れた痕。黒ずんだ線。首輪が長く食い込んでいた証拠。それを見られたら揉める。


 俺は収納からメイク用品を出した。ただし、現代的なケースは使わず、木箱に移して薬師の道具っぽく見せる。


 コンシーラー。肌色補正クリーム。小筆。スポンジ。固定用パウダー。まさか異世界で、元奴隷の首輪跡をメイクで隠す日が来るとは思わなかった。


 マリベルが起きてきた。


「ヒカルさん?」


「アルノの首輪跡を隠す。肌に合うか確認してくれ」


「分かりました」


 少量を腕の内側で試し、異常がないことを確認する。アルノも目を覚ました。


「……おはようございます」


「おはよう。今日、砦に入る。その前に首の跡を隠したい」


 アルノの顔が強張る。無意識に首元を押さえた。


「嫌ならすぐ止める。痛くはしない」


 彼はユキの方を見た。ユキはまだ寝ている。


「……お願いします」


 俺は慎重に作業した。まず清潔な布で軽く拭く。擦らない。傷になっている部分は避ける。


 赤みを抑え、黒ずんだ線をぼかし、肌色を少しずつ重ねる。最後に薄く粉を乗せる。


 完全には消えない。だが、遠目には分からない。薄い包帯を巻けば、負傷者として通せる。


「どうだ?」


 マリベルが確認する。


「驚きました。ほとんど目立ちません」


 リーファも息を呑んだ。


「首輪跡が……消えたように見えるわ」


 アルノに小さな鏡を渡す。彼は震える手で受け取り、自分の首を見た。


「……ない」


「隠してるだけだ。完全に消えたわけじゃない」


「でも……見えない」


 アルノの目から涙がこぼれた。


「奴隷になってから、鏡を見たことがありませんでした。自分の首に輪がないのを……初めて見ました」


 誰も何も言えなかった。その時、ユキがもぞもぞ起きた。


「……ユキ?」


「自分の名前で起きるな」


「おっちゃん、おはよ」


「おはよう」


 ユキはアルノを見て、首を傾げた。


「アルノ、くび、ひもない」


「ああ。おっちゃんが跡を隠した」


「おっちゃん、すごい」


「メイクの手習いだ」


「めいく、えらい?」


「今日はかなり偉い」


 ユキはこくんと頷いた。


「アルノ、もう、ひもない」


 アルノは涙を浮かべて笑った。


「はい。ユキのおかげです」


「おっちゃんも、あと、かくした」


「はい。ヒカルさんにも」


 朝食は控えめにした。パン。薄いスープ。少量のベーコン。ユキには小さなホットミルク。


「しあわせのおゆ、ちょっと」


「今日はちょっとで我慢」


「砦、終わったら?」


「状況次第で多めに作る」


「やくそく?」


「努力目標だ」


「どりょく?」


「大人の弱い約束だ」


「む」


「む、だけで偉い」


 ユキは納得していない顔だったが、カップを大事そうに抱えた。


 食後、ミミとクロメは街道から少し外れた林に待機させることになった。砦へ連れて行くと、魔犬だと疑われて面倒になる。


 ロクが匂いを残し、ユキが小さな鳥居を地面に描く。


「ここ、ミミとクロメ、まつところ。まもの、くるな。こわいひと、くるな」


 ぱちっ。鳥居紋が淡く光った。



【鑑定結果】

名称:小型守護結界

効果:低級魔物の接近抑制、対象の不安軽減微弱

対象:ミミ、クロメ

状態:安定



「犬用結界まで作れるのか」


「ミミとクロメ、群れ」


「そうだったな」


 ロクが頭を下げる。


「ユキちゃん、ありがとうございますっす」


「ロクも、いぬだから、あとで、かえってくる」


「狼族っすけど、戻ってくるっす」


 ユキの変装も整える。顔色を少し悪く見せ、目元に影を入れる。顔の下半分を薄布で覆い、耳は布とフードで隠す。尻尾は背負いリュックへ。こびゃっこは布袋に入れて胸元へ。


「こびゃっこ、くらい」


「砦を抜けるまで我慢だ」


「こびゃっこ、がんばる」


 ユキは布袋を撫でた。


 隊列を整える。先頭はガラン。隣にリーファ。中央に俺とユキ、マリベル、アルノの担架。後方にドランとロク、そして催眠状態で大人しい奴隷狩り五人。


 ライフルは収納済み。人前で見せる必要はない。刀だけを旅人の剣として腰に下げる。できる限りの段取りはした。それでも、不安は消えない。


「おっちゃん」


 ユキが小さく言う。


「こわい?」


「ああ」


「ユキも」


「でも、かくれんぼ中だ」


「ユキ、まけない」


「頼むぞ」


 街道を進むと、国境砦が見えてきた。石造りの壁。高い門。見張り台。旗。人の声。荷車の車輪。兵士の命令。ここはレイシス皇国の入口で、首輪の国の門がある。


 ガランが前を向いたまま言う。


「ここからは、俺たちが使節団として前に出る。ヒカルは余計なことを言うな」


「分かってる」


「特に怒るな」


「名指しか」


「ユキのためだ」


「……分かってる」


 門前で兵士が声を上げた。


「止まれ! 所属と目的を告げろ!」


 ガランが堂々と前へ出る。


「オリエント王国王命により、レイシス皇国皇帝陛下へ親書を届けに参った。ランクSハンターパーティー《東風の牙》、使節団として入国を求める」


 空気が変わった。周囲の商人たちがざわつく。


「オリエントの使節だと?」


「ランクS?」


 兵士の顔にも緊張が走る。昨日の巡回兵とは違う。門兵たちは、使節団の扱いを分かっているようだった。


 ガランが身分証と封蝋のある親書筒を示す。兵士の一人が確認し、すぐに姿勢を正した。


「確認する。少々待たれよ」


 思ったより丁寧だ。こちらが正式な使節団だからだろう。少なくとも門前で雑に扱うつもりはないらしい。


 少しして、責任者らしき中年の兵士が現れた。鎧は他の兵士より整っている。


「オリエント王国使節団と確認した。砦長代理が応接室でお待ちする。入城を許可する」


 すんなり通った。俺は拍子抜けしそうになったが、油断はしない。ここからが本番だ。責任者の視線が、担架のアルノへ向く。


「負傷者がいるようだが」


 マリベルが前に出る。


「森で保護した者です。治療中ですので、静かな場所をお借りできると助かります」


「医務室を用意させる」


 おお。それなりの待遇だ。ただ、その視線にはエルフへの侮りが少し混ざっていた。俺はそれを飲み込む。段取り。怒るな。今は怒る場面ではない。


「その子供は?」


 来た。俺は一歩前に出る。


「俺の娘です。病の治療中で、顔を覆っています」


 マリベルが続ける。


「感染性皮膚病の疑いがあります。症状は抑えていますが、念のため人との接触は避けています」


 責任者はわずかに眉をひそめたが、すぐに頷いた。


「医務室の別室を使うとよい」


「感謝します」


 マリベルが丁寧に頭を下げる。ユキは俺の手を握ったまま、黙って俯いている。尻尾も動かない。偉い。本当に偉い。


 責任者は捕虜の奴隷狩り五人を見る。


「拘束された者たちは?」


 ガランが答える。


「大境界森内で違法行動をしていた者たちだ。領外で逃亡者を追い、我々に攻撃を仕掛けた。砦側で身柄を確認してもらいたい」


 捕虜たちはぼんやりした顔で立っている。催眠術の効果で、反論する気力も薄いらしい。


 責任者は兵に命じた。


「別室で預かれ。使節団の前で騒がせるな」


 門兵たちが捕虜を引き取る。俺は少し緊張したが、捕虜たちは大人しく歩いていった。


 催眠術、効いている。怖いくらいに。多用はしない。絶対にしない。俺は心の中でそう決め直した。


 門が開く。


「使節団を応接区画へ案内しろ」


 兵士が先導する。俺たちは門をくぐった。石造りの門の内側。レイシス皇国の国境砦。兵士たちの視線が、こちらを舐めるように動く。


 リーファの長い耳。ドランの髭。ロクの獣耳。アルノの担架。ユキの深いフード。


 嫌な視線だ。だが、使節団としての体裁があるおかげで、露骨な暴言は飛んでこない。それでも、ユキの手が少し震えた。


「おっちゃん」


 布の下から、小さな声。


「なに?」


「かくれんぼ、まだ?」


「ああ。まだ続いてる」


「ユキ、まけてない?」


「負けてない。すごく上手い」


「しっぽも?」


「尻尾も偉い」


 リュックがほんの少しだけ震えた。


「今は動かすな」


「しっぽ、ちょっとだけ、よろこんだ」


「それは許す」


 砦の中庭を進む。石畳。兵舎。倉庫。訓練場。井戸。掲げられた皇国旗。そして、端の方に、鉄格子のある小さな建物が見えた。


 嫌な予感がした。鑑定したい気持ちを抑える。今は視線を向けすぎるな。


 ユキが俺の服を引いた。


「おっちゃん」


「どうした?」


「くさい」


「どの匂いだ?」


「くびに、ひも。いたいにおい」


 俺の背筋が冷えた。この砦の中にも、首輪の気配がある。当然だ。ここはレイシス皇国の国境砦なのだから。


 俺はユキの手を握り返した。


「今は黙ってろ」


「うん」


「声に出さず、服を引く。覚えてるな?」


「おぼえてる」


 ユキは俯いたまま歩く。小さな手だけが、俺の服を握っていた。


 応接区画らしき建物へ通される。外よりは整っており、床には古い敷物がある。暖炉もあった。それなりの待遇だが、空気は重い。


 ここは敵地だ。親書を届けに来た使節団として扱われているが、ユキの正体が知られれば一瞬で変わる。


 アルノの首輪跡は隠した。ユキの耳と尻尾も隠した。こびゃっこも布袋の中。ライフルは収納済み。俺の怒りも、今は隠す。隠し事だらけの入城だった。


 だが、門は越えた。第一段階は突破した。問題はここからだ。


 砦長代理との面会。捕虜の扱い。アルノの身柄。神務院の影。そして、この砦のどこかにあるかもしれない首輪の気配。


 俺はユキの手を握りながら、心の中で呟いた。段取り。段取りだ。この子を守るためなら、化粧でも演技でも何でもする。


 四十の手習い。まさかメイクで奴隷の首輪跡を隠し、病弱な娘の父親役で国境砦に入る日が来るとは、元の世界の俺は想像もしなかっただろう。



【収支報告】


開始残高:991,486 pt


今回の購入:

・アルノの首輪跡隠し用メイク用品補充、包帯、肌色補正材:90 pt(約9,000円)

・朝食用食材、アルノ用消化食、捕虜用最低限の食料:80 pt(約8,000円)

・ミミ、クロメ用フード補充、水皿用小物:60 pt(約6,000円)

・ユキ用ホットミルク少量、飲料水補充:30 pt(約3,000円)


今回支出合計:260 pt(約26,000円)


現在残高:

991,486 pt − 260 pt = 991,226 pt


円換算目安:

991,226 pt × 100円 = 約99,122,600円相当



続く

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