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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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第153話 白狐神と完成した始まりの祠


 異世界生活107日目。 

 七の月6日。


 朝から、湖畔はいつもより賑やかだった。いや、正確には、賑やかなのは湖畔だけじゃない。森の中にある、あの大木の周辺もだ。今日、いよいよ《始マリノ祠》が完成する。


 七の月三日に現場を確認した時、グレゴールは問題がなければ三日ほどで完成すると言っていた。


 それから三日。職人たちは最後の仕上げを進め、祠本体の据え付け、屋根と建具の調整、固定金物の本締め、排水設備の確認を終えた。


 そして、最後に残っていた森の鳥居も、昨日のうちに建てられた。今日は、その完成確認と、最初のお参りを行う予定だ。


「おっちゃん!」


「ん?」


「きょう、ほこら!」


「ああ。いよいよ完成だな」


「できた!」


「まだ最終確認が残ってるけどな」


「む?」


「全部ちゃんと出来ているか、最後に調べるんだよ」


「……あんぜん?」


「そう。安全確認も大事だ」


 ユキが真剣な顔で頷いた。


「だんどり!」


「そういうこと」


 今朝のユキは、いつも以上に張り切っている。白い狐耳はぴんと立ち、尻尾も落ち着きなく揺れていた。


 無理もない。あの大木は、俺とユキが初めて出会った場所だ。そして、先代白狐神しらゆきとも深い縁がある。そんな場所に、ようやく新しい祠が完成するのだから。


「おっちゃん」


「何?」


「ユキ、さいしょ?」


「何が?」


「おまいり!」


「ああ。そのつもりだ」


「やった!」


 ユキが両手を上げた。すると、隣で浮いていたこびゃっこが、ふむ、と頷いた。


「当然じゃな。白狐神を祀る祠なのじゃから、最初に参るのはユキがよかろう」


「お前も一緒に行くんだぞ」


「無論じゃ!」


「今日は酒樽を持ち込むなよ」


「なぜ先に釘を刺すのじゃ!」


「お前なら考えそうだから」


「……御神酒くらいは」


「ほらな」


 ユキが笑った。


「こびゃっこ、のみすぎ!」


「まだ飲んでおらぬわ!」


 ……いつも通りだ。こういう日くらい、少しは厳かな雰囲気にならないものだろうか。


     ◇


 朝食を済ませた俺たちは、森の祠へ向かう準備を始めた。今日は完成確認だけでなく、湖畔の皆にも祠を見てもらう予定だ。


 ただし、一度に全員が森へ入るわけにはいかない。湖畔の警備もあるし、診療所や食堂の仕事もある。


 それに、祠へ続く道は、まだ大勢が一度に通れるほど広くない。そこで、午前中は職人たちと関係者による最終確認。


 問題がなければ、昼前にユキが最初のお参りをする。その後、希望する住民に順番に参拝してもらうことにした。


「ヒカル」


 ガランが声を掛けてきた。


「おはよう。警備の方は?」


「予定通りだ。森の周辺はロクとリーファに確認させている。近衛にも協力してもらった」


「助かる」


「今日は大事な日だからな」


 ガランが森の方を見た。


「……あそこに祠が出来るとはな」


「最初に会った頃は、想像もしてなかったよ」


「俺もだ」


 ガランが小さく笑った。


「それに、白狐神の祠を造る仕事に、こんなに多くの職人が関わることになるとはな」


「皆のおかげだよ」


「そうだな」


 その言葉には、素直に頷けた。俺一人では、到底ここまで出来なかった。


     ◇


 森へ向かうバギーには、レイルが運転し、俺とユキ、こびゃっこ、グレゴール、カイル、ニナが乗った。


 もう一台のバギーは、ドランが運転。ボルガ、バドル、エリオット、ミネットたちが乗っている。

 

「ニナ」


「はい」


「今日の確認項目は?」


 俺が尋ねると、ニナは膝の上の記録帳を開いた。


「固定金物。建具。屋根。排水。足元。鳥居」


「よし」


「あと、工具の置き忘れ」


「それも大事だな」


「釘とか、金物の切れ端も」


「うん。参拝する人が怪我をしたら困るからな」


 ニナが頷いた。


「安全第一」


 七歳の安全担当班長は、今日も頼もしい。もちろん、危険な作業を任せるわけではない。最終的な確認と責任は、グレゴールたち大人が持つ。だが、ニナが記録を取り、見落としを指摘してくれるのは本当に助かっている。


「おっちゃん」


「ん?」


「ニナ、えらい」


「そうだな」


「かんとく!」


「ユキも監督様だな」


「うん!」


 ニナが少し照れたように笑った。


     ◇


 バギーをいつもの駐車場所へ止め、そこから徒歩で祠へ向かう。森の空気は、湖畔より少しひんやりしていた。木漏れ日が足元へ落ち、鳥の声が聞こえる。


 整備された参道を歩いていくと、やがて木々の間に新しい建造物が見えてきた。


「……おお」


 思わず足が止まった。鳥居だ。森の大木へ続く参道の入口に、真新しい鳥居が立っていた。


 湖畔の祠は既製品を組み立てたものだが、これは職人たちが俺の知識とこびゃっこの監修で、材料から加工と塗装を施したもの。大きさも高さ三メートル、横四メートルあり、湖畔の祠より二回り程大きい。


 柱と笠木の線が、木々の間にすっと浮かび上がっている。周囲の森に馴染む落ち着いた仕上がりだ。


 鳥居の向こうには、あの大木。そして、その傍らに建つ小さな祠。……完成したんだな。


「おっちゃん!」


 ユキが俺の手を引いた。


「とりい!」


「ああ」


「おっきい!」


「立派なのを作ってもらったな」


 ユキは鳥居を見上げたまま、しばらく動かなかった。その横で、こびゃっこも珍しく黙っている。


「どうした?」


「……いや」


 こびゃっこが小さく首を振った。


「よいものじゃな」


「そうだな」


「森に、白狐神の祠が戻ってきたようじゃ」


 ……戻ってきた、か。その言葉が、妙に胸に残った。こびゃっこは、しばらく大木を見つめていた。


「……妙じゃのう」


「何が?」


「いや。懐かしい気配がするのじゃ」


「懐かしい?」


「うむ。だが、以前とは少し違う……」


 こびゃっこはそれ以上、何も言わなかった。……何だ? 珍しく歯切れが悪いな。


     ◇


「さて、感動するのは確認が終わってからだ」


 グレゴールが声を掛けた。


「そうだったな」


「まずは鳥居から見るぞ」


「了解」


 俺たちは鳥居の周囲へ移動した。柱の据付位置、垂直、基礎との固定状態。木部の接合、金物の締結、雨水が溜まりやすい場所の有無。


 グレゴールとドランが一つずつ確認していく。


「柱の固定は問題ない」


 グレゴールが言った。


「金物も締まっとる」


 ドランが頷く。


「地面の仕上げは?」


「水が柱の根元へ集まらんようにしてある」


「よし」


 ニナが記録帳へ書き込んだ。


「鳥居、固定よし」


 ユキも頷く。


「よし!」


「まだ全部終わってないぞ」


「む」


 ……監督様、判定が早い。


 続いて参道を確認する。段差や浮いた石はないか。雨の後に滑りやすくなりそうな場所はないか。大木の根を傷つけるような施工になっていないか。


 以前から決めていた通り、参道も祠も、大木の根を避けて配置してある。


「ここは問題ないな」


 俺が言うと、カイルが頷いた。


「排水も確認した。雨水は左右へ逃がす形にしてある」


「実際に雨が降った後の確認は?」


「もちろん必要だ。そこは継続点検にしておく」


「頼む」


 レイルが笑った。


「水の流れは、雨が降って初めて分かることもあるからな」


「そうだな」


 完成したから終わり、ではない。これから長く使う場所なのだから、維持管理も考えておく必要がある。


     ◇


 次は祠本体だ。石材台座の上に据えられた木造の祠は、想像していた以上に美しく仕上がっていた。木材の色合いが揃い、屋根の線も整っている。


 扉の建付けにも無理がない。細部を見ると、職人たちが丁寧に仕上げてくれたことが分かる。


「エリオット」


「何だ?」


「いい仕事だな」


 エリオットが少し照れたように笑った。


「まだ確認が残っている」


「それでもだよ」


「……ありがとう」


 バドルは石材台座の周囲を確認していた。


「石の据わりは問題ない。目地も確認済みだ」


「ありがとう」


 ボルガが固定金物を指さす。


「本締めも終わってる。締め忘れがないか、ドランと二人で見直したよ」


「助かる」


「金物は見えないところほど大事だからね」


 ドランが胸を張った。


「当然じゃ!」


「そうだな」


「もっと褒めてもよいぞ!」


「まだ酒は出ないぞ」


「何で酒の話になるんじゃ!」


「顔に書いてある」


「む。書いておらん!」


 ……完成祝いの話は、あとで考えよう。


「そういえば、ミネット」


 俺は祠の屋根を見上げた。


「屋根の仕上げは、お前が担当したんだったな」


「そうにゃ!」


 ミネットが嬉しそうに尻尾を揺らした。


「最後の仕上げまで、きっちりやったにゃ!」


 祠の屋根は、左右の勾配が綺麗に揃い、軒先も真っ直ぐに通っている。木々の間から差し込む陽光が屋根を照らし、落ち着いた色合いの仕上げ材が、周囲の森によく馴染んでいた。


「見た目も綺麗だな」


「見た目だけじゃないにゃ!」


 ミネットが胸を張った。


「屋根で一番大事なのは、雨を中へ入れないことにゃ。綺麗でも雨漏りしたら失格にゃ!」


「そりゃそうだ」


「だから、重ね目の向きと軒先の納まりには、特に気を使ったにゃ」


 ミネットは屋根の端を指さした。


「雨は上から下へ流れるにゃ。途中の継ぎ目から水が入り込まないように、重ねる順番を揃えてあるにゃ」


「なるほど」


「それに、ここは森の中にゃ。雨だけじゃなく、落ち葉や小枝も屋根に乗るにゃ」



「ああ。それは気になってた」


「だから、落ち葉が引っ掛かりやすい段差をなるべく作らないようにしたにゃ。軒先からも、ちゃんと水が落ちるようにしてあるにゃ」


 ……さすがだ。俺が図面で指示したのは、屋根の形状や必要な寸法、それに基本的な防水構造だ。


 だが、実際に材料を加工し、現場で納まりを調整したのはミネットたち職人だ。


「それと、ヒカル」


「ん?」


「大木の枝から落ちる水にも気を付けたにゃ」


「枝から?」


「そうにゃ。森の中では、枝や葉に溜まった雨水が、まとまって屋根に落ちてくることがあるにゃ。だから、水が集中しそうな場所の継ぎ目も確認したにゃ」


「……そこまで考えてくれたのか」


「当然にゃ!」


 ミネットが得意げに笑った。


「神様のお家に雨漏りなんて、させられないにゃ!」


「おっちゃん!」


 ユキが俺の服を引っ張った。


「ん?」


「ユキのおうち?」


「ああ。白狐神の祠だからな」


「……あめ、はいらない?」


「そうだ。ミネットが雨の入らないように作ってくれたんだ」


 ユキが屋根を見上げた。


「ミネット!」


「何にゃ?」


「えらい!」


「にゃはは! ありがとにゃ!」


 ミネットの尻尾が、嬉しそうに揺れた。


「でも、まだ完成確認が残ってるにゃ」


「そうだったな」


 俺はグレゴールへ目を向けた。


「屋根の最終確認は?」


「施工中に下地と防水部分を確認してある。仕上げが終わった後も、ミネットと一緒に接合部を見直した」


「固定状態は?」


「問題ない。屋根材の浮きもない」


 グレゴールが頷いた。


「ただし、実際の大雨を受けた後の確認は必要だ。参道の排水と同じで、そこは継続点検だな」


「了解」


 俺はニナを見た。


「ニナ。屋根の確認項目は?」


 ニナは記録帳を開いた。


「屋根材の固定。軒先。雨水の流れ。落下物」


「そうだな」


「あと、高いところの工具」


「おっ、それも大事だ」


 ミネットが頷いた。


「作業が終わった後、屋根の上の工具と材料は全部降ろしたにゃ。グレゴールにも確認してもらったにゃ」


「うん」


 ニナが記録帳に印を付けた。


「屋根、確認よし」


「よし!」


 ユキも元気よく声を上げた。


「ミネット、あんぜん!」


「そうにゃ! 安全第一にゃ!」


 ミネットがユキへ親指を立てると、ユキも真似をして返す。


「だいいち!」


 ……七歳の安全担当班長と五歳の監督様。それに、屋根を仕上げた猫族の職人。何とも賑やかな完成検査だ。


 俺はもう一度、祠の屋根を見上げた。木々に囲まれた小さな祠。これから雨の日も、風の日も、ここに建ち続ける。


「ミネット」


「何にゃ?」


「いい屋根を作ってくれて、ありがとう」


 ミネットは一瞬、きょとんとした。そして、にっと笑った。


「任せてよかったと思ってもらえたなら、職人冥利に尽きるにゃ!」


 その言葉に、俺も笑った。……本当に、いい仲間に恵まれたな。


     ◇


 俺は祠の扉を開ける。内部には、白狐神を祀るための神棚が納められていた。


 しめ縄。鈴。鈴緒。必要なものが、それぞれ所定の位置へ整えられている。湖畔に最初の祠を造った時のことを思い出した。


 あの時も、ユキのために祠を整えた。そして、ユキが参拝した後、こびゃっこが覚醒し、ユキの神格が幼神三段へ上がった。……あれから、ずいぶん色々なことがあったな。


 最初は、ユキを守って暮らすことを考えるだけで精一杯だった。食べ物を用意して、寝る場所を確保して、病気や怪我をしないように気を配る。それだけだったはずなのに。


 今では住民が増え、職人が働き、子供たちが畑で野菜を育てている。更に近衛騎士団が警備に協力し、王国との正式な関係まで話し合うようになった。


 そして今日。ユキと初めて出会った森に、新しい祠が完成した。


「……不思議なもんだな」


 思わず呟いた。


「何がだ?」


 グレゴールが尋ねる。


「いや。最初はこんなことになるなんて思ってなかったからさ」


「そうか」


 グレゴールは祠を見た。


「だが、ここまで造れたのは、ヒカルが場所を決めて、必要なものを用意したからだ」


「いや、実際に造ったのは皆だよ」


「なら、皆で造った。それでいいだろう」


「……そうだな」


 ユキが俺の服を引っ張った。


「おっちゃん」


「ん?」


「みんなで、つくった!」


「ああ」


「むれの、ほこら!」


「そうだな」


 ユキが満足そうに頷いた。


「なら、よし!」


 ……本当に、そうだな。


     ◇


 最後に、ニナが工具の回収状況を確認した。


「ドラン」


「何じゃ?」


「金物の箱、数、合ってる?」


「合っとるぞ」


「ボルガ」


「何だい?」


「切れ端、回収した?」


「全部回収済みさ。グレゴールにも見せたよ」


「うん」


 ニナは記録帳へ印を付けた。


「エリオット」


「はいはい」


「木の切れ端は?」


「作業場所から片付けたよ」


「釘も?」


「磁石でも確認した」


「よし」


 ……本当に、七歳の会話じゃないな。グレゴールが最後に現場を一周した。俺も一緒に歩き、鳥居から参道、祠の周囲まで確認する。


 足元に危険なものはない。建具も正常。固定金物も問題なし。排水は施工時の確認を終え、今後の降雨時に継続確認する。そして、大木の根元も保護されている。


「……よし」


 グレゴールが頷いた。


「完成だ」


 その一言で、周囲の空気が少し変わった。


「完成?」


 ユキが顔を上げる。


「ああ」


 俺はしゃがんで、ユキと目を合わせた。


「約束した《始マリノ祠》、完成だよ」


 ユキの狐耳がぴんと立った。


「……できた?」


「出来た」


「ほんと?」


「本当だ」


「……!」


 ユキは一瞬、言葉を失った。そして。


「やったあ!」


 両手を大きく上げた。白い尻尾が勢いよく揺れる。


「ほこら! できた!」


 その声に、職人たちが笑った。


「おう! 完成じゃ!」


 ドランが胸を張る。


「やったね、ユキ!」


 ボルガが手を振った。


「立派に出来たぞ」


 エリオットも笑う。ニナが記録帳を閉じた。


「完成、確認」


「よし!」


 ユキがニナの方を向いた。


「ニナ!」


「うん」


「あんぜんはんちょう、えらい!」


 ニナが少しだけ頬を赤くした。


「……ありがとう」


 俺は思わず笑った。……いい完成報告だな。


     ◇


 昼前。完成確認を終えたところで、ガランたちが祠へやってきた。セレナ、レオン、ベルタ、アルノも一緒だ。マリベルは診療所の仕事を調整して、少しだけ顔を出してくれた。


 全員が鳥居の前で足を止める。


「……これは」


 セレナが静かに息を呑んだ。


「立派なものですね。王室の古い文献通りの神門……いえ、鳥居でしたね。それにお社も」


「職人たちのおかげです」


 俺が答えると、グレゴールが首を振った。


「皆で造ったものだ」


 セレナが微笑んだ。


「そうですね」


 レオンが鳥居を見上げた。


「白き神獣の神殿……いや、祠だったな。森の中に、こんな場所が出来るとは」


「まだ周辺の整備は続けるけど、祠そのものは完成だ」


「なるほど」


 アルノは早速、祠と参道の位置を確認していた。


「今後、湖畔施設の管理記録にも、この場所を正式に登録しておきます。湖畔の祠と共に最重要施設として」


「頼む」


 ベルタが尋ねた。


「警備巡回の対象にも加えますか?」


「ああ。祠の周囲を見回る時は、大木の根を踏み荒らさない経路にしてほしい」


「承知しました」


 ガランが頷いた。


「森の警戒と合わせて考えよう」


「助かる」


 ……完成した途端に、維持管理の仕事が増えていくが、それでいい。建物は造って終わりじゃない。ここで暮らす皆が、これから守っていくものなのだから。


     ◇


「さて」


 俺は皆を見渡した。


「最初のお参りを始めようか」


 ユキがぴくりと耳を動かした。


「おまいり!」


「ああ」


「ユキ、さいしょ?」


「もちろん」


 俺は頷いた。


「最初にお参りするのは、ユキだ」


 こびゃっこがふわりと浮き上がった。


「うむ。白狐神として、堂々と参るがよい!」


「うん!」


 ユキが鳥居の前へ進んだ。俺はその横へ立つ。


「ユキ。前に湖畔の祠でお参りした時のこと、覚えてるか?」


「うん!」


「じゃあ、最初は?」


 ユキが少し考えた。


「……おじぎ!」


「正解」


 ユキは鳥居の前で、ぺこりと頭を下げた。


「次は?」


「まんなか、あるかない!」


「そう。よく覚えてたな」


 以前、湖畔の祠を造った時に教えたことだ。鳥居の前で一礼し、参道の中央を避けて歩く。中央は神様の通り道と考えられているからだ。まあ、ユキは神様だから当てはまらないが、おそらく本人は皆と同じ様にしたいはずだ。


 あの時もユキは、一生懸命に作法を覚えようとしていた。


「じゃあ、行こうか」


「うん!」


 俺たちは鳥居をくぐり、参道の端をゆっくりと歩いた。


     ◇


 参道を進むと、祠の少し手前に新しい手水舎が設けられていた。木製の屋根の下には水をたたえた手水鉢があり、その脇には柄杓が並べられている。


 手水鉢の周囲には水はけを考えた石が敷かれ、使った水が参道へ流れ出さないよう排水も整えてある。


 森の景色に馴染むよう、派手な装飾は避けた。祠と同じく、職人たちが丁寧に仕上げてくれたものだ。


「おっちゃん!」


 ユキが手水舎を指さした。


「おてて、あらう!」


「そう。覚えてたか」


「まえも、した!」


「ああ。湖畔の祠でもやったな」


 ユキが得意げに胸を張った。


「ムフー!」


 俺は鳥居の意匠が施された台座の上にある手水鉢を覗き込んだ。水面には、木々の緑が映っている。今朝、使用前に水を入れ替えてあり、鉢も洗浄済みだ。給水と排水の状態も、完成確認の際に点検している。当然、手水鉢にはこびゃっこが浄化の神気を通してある。


「よし。じゃあ、もう一度作法を確認しよう」


「うん!」


「まず、右手で柄杓を持つ」


 俺が柄杓を取ると、ユキも真似をしようとした。


「ユキも!」


「ちょっと待った。まず俺がやって見せるからな」


「む」


「前にもやったけど、順番を思い出そう」


 俺は柄杓で水を汲んだ。


「最初に左手を清める」


 左手へ静かに水を流す。


「次に、柄杓を左手へ持ち替えて、右手を清める」


 ユキが真剣な顔で見ている。


「みぎ、ひだり」


「そう。両方の手だな」


 もう一度、柄杓を右手へ持ち替えた。


「次は、左手に水を受けて、口をすすぐ」


「おくち!」


「ああ。ただし、柄杓に直接口を付けちゃ駄目だぞ」


「うん!」


 俺は左手に受けた水で口をすすぎ、手水鉢の外側へ静かに吐き出した。


「それから、もう一度左手を清める」


 残った水を使って左手を洗う。


「最後に、柄杓を立てて柄の部分を流して、元の場所へ戻す」


 俺は柄杓を置いた。


「これで終わり」


 ユキが頷いた。


「できる!」


「じゃあ、やってみようか」


「うん!」


     ◇


 ユキは柄杓を手に取った。五歳児の手には少し大きいので、俺が横から支える。


「まずは?」


「ひだり!」


「正解」


 ユキは右手で柄杓を持ち、左手へ水を流した。


「つぎ!」


「右手だな」


「みぎ!」


 柄杓を持ち替え、右手を清める。少し水が跳ねたが、本人は真剣そのものだ。


「次は何だった?」


 ユキが口を指さした。


「おくち!」


「そう。左手に水を受けてな」


「うん!」


 ユキは小さな左手に水を受けた。俺が少し手を添えてやると、上手に口をすすぐことができた。


「ぺっ」


「よし。最後は?」


「おてて!」


「そう。左手をもう一度清める」


 ユキが水を流した。


「それから、柄杓の柄もな」


「ここ?」


「そうそう」


 柄の部分を流し、元の位置へ戻す。


「はい。出来たぞ」


 ユキが両手を上げた。


「できた!」


「よく覚えてたな」


「ユキ、えらい?」


「ああ。偉いぞ」


「ムフー!」


 白い尻尾が、嬉しそうに揺れた。すると、横からこびゃっこが口を挟んだ。


「ふむ。なかなか見事な手水じゃったぞ」


「こびゃっこも!」


「む?」


「おてて!」


 こびゃっこが自分の小さな前足をワキワキさせながら見た。


「……びゃっこもかえ?」


「もちろん」


 俺が答える。


「お前も参拝するんだろ?」


「確かに神使たるびゃっこが、清めを怠るわけにはいかぬが……柄杓が大きすぎるのじゃ」


「手伝ってやるから」


 ユキが笑った。


「こびゃっこ、ちっちゃい!」


「ユキも小さいではないか!」


「ユキ、できた!」


「ぐぬぬ……」


 ……負けず嫌いな神使の威厳は、今日もなかなか保てないらしい。


 こびゃっこが手水鉢を覗き込んだ。


「……ふむ?」


「どうした?」


「昨日、手水舎を浄化した時よりも、この場所の神気が澄んでおるような……」


「水を入れ替えたからじゃないのか?」


「そういうことではないのじゃが……」


 こびゃっこは首を傾げた。


「まあ、悪い気配ではない。むしろ、その逆じゃ」


「なら、問題ないか」


「うむ……」


     ◇


 こびゃっこの手水も済ませ、俺たちは祠へ向かった。新しい木の香り。静かな森。木漏れ日の下に建つ、小さな祠。ユキが祠を見上げた。


「おっちゃん」


「ん?」


「つぎ、すず?」


「ああ。その前に、お参りの作法も思い出してみよう」


「うん!」


「前の祠では、どうした?」


 ユキが小さな手を動かしながら考えた。


「おじぎ……ぱんぱん!」


「そう。二回お辞儀して、二回手を打って、最後にもう一回お辞儀だ」


「にれい、にはくしゅ?」


「そう。二礼二拍手一礼」


「……いちれい!」


「よく出来ました」


 ユキが胸を張った。以前、湖畔の祠を造った時にも教えた作法だ。あの時は、ユキ自身が礼をされることを嫌がっていた。自分だけ特別扱いされるのが、嫌だったらしい。


 だから、俺は説明した。これはユキを皆から遠ざけるためのものじゃない。皆がこの場所を大切にするための礼儀なのだと。……あの時のことも、覚えているだろうか。


「ユキ」


「ん?」


「お参りするのは、何のためだった?」


 ユキは少し考えた。


「……ありがとう?」


「そうだな」


「みんな、ありがとう!」


「ああ」


「おっちゃんも!」


「俺も?」


「うん!」


 ユキは祠を見上げた。


「ここ、みんなで、つくった!」


「そうだな」


「ありがとう、する!」


 ……なるほど。ちゃんと覚えていたらしい。俺は思わず笑った。


「じゃあ、最初のお参りをしようか」


「うん!」


     ◇


 ユキは祠の前へ進んだ。俺は隣にしゃがみ、必要な時だけ手を貸すことにした。


「まず、鈴を鳴らそう」


「うん!」


 ユキは鈴緒を両手で握った。


「……よいしょ」


 カラン。真鍮の鈴が、澄んだ音を響かせた。森の中へ、音がゆっくりと広がっていく。


「次は?」


「おじぎ!」


 ユキが背筋を伸ばした。一礼。そして、もう一礼。小さな身体を一生懸命に折り曲げる姿が、何とも可愛らしい。


「次は二拍手だ」


「うん!」


 ぱん。ぱん。小さな手を二度打ち合わせる。そして、ユキは両手を合わせ、静かに目を閉じた。……何を考えているんだろう。


 ジャガイモがたくさん採れることか。皆が元気で暮らせることか。それとも、もっと別のことか。しばらくして、ユキが目を開けた。そして、最後の一礼。ぺこり。


「……できた!」


「ああ。上手だったぞ」


 俺がそう言いかけた、その時だった。ふわりとユキの白い尻尾が、風もないのに揺れた。


「……ん?」


 俺は目を凝らした。ユキの足元に、淡い光が浮かんでいる。最初は木漏れ日かと思った。だが、違う。光はユキの周囲から、ゆっくりと広がっていた。


「……ユキ?」


 大木の葉が、いっせいに揺れた。さらさら、という音。その音に重なるように、祠の鈴が小さく鳴った。誰も触れていないのに。カラン。こびゃっこが、はっと顔を上げた。


「……ヒカル!」


「これは……!」


 俺は答えられなかった。目の前のユキから、視線を離せなかったからだ。そして俺の視界に、見慣れた半透明の表示が浮かび上がった。


【神格変動を検知しました】


 スキルの通知だ。……こんな時に?

いや、違う。表示されている文字を見て、俺は息を呑んだ。


「……え?」


 思わず声が漏れた。ユキは、まだ祠の前に立っている。淡い光が、その小さな身体を包んでいた。そして、表示がもう一度変わった。


【白狐神ユキの神格上昇を確認】


 ……神格が、上がった?俺はユキを見た。ユキも俺を見上げていた。


「おっちゃん?」


「……ああ」


「これ、なに?」


 俺は答えられなかった。湖畔の最初の祠が完成した時、ユキは幼神三段へ上がった。あれから、まだ二か月ほどしか経っていない。


 それなのに。この森の祠への、最初のお参りでまた、神格が上がったのか?こびゃっこが、震える声で呟いた。


「……まさかこんな早くに」


 俺はそちらを見た。


「こびゃっこ?」


「この祠は……」


 こびゃっこは言いかけて、口を閉じた。その視線は、大木へ向けられている。俺も見上げた。木々の間から差し込む陽光が、ユキの白い髪を照らしていた。


 小さな白狐神は、何が起きたのか分からない様子で、自分の両手を見つめている。


「おっちゃん」


「……ん?」


「ユキ」


「ああ」


「なんか、あった?」


 俺はもう一度、目の前の表示を見た。神格上昇。間違いない。だが、具体的に何が変わったのか。新しい神格は何段なのか。加護はどうなったのか。


 そして、この祠と大木に、いったい何が起きたのか。……まだ、何も分からない。俺はユキの小さな手を取った。


「ユキ」


「うん」


「どうやら、すごいことが起きたみたいだぞ」


「……すごい?」


「ああ」


 ユキは少し考えた。そして、いつものように胸を張った。


「ムフー!」


 ……いや、まだ何も説明してないんだけどな。俺は思わず笑ってしまった。

 

 森の初めての祠が完成した日。ユキが最初にお参りした、その瞬間。白狐神の神格は、再び上昇した。


 そして俺たちは、まだ知らなかった。この変化が、白狐の里に何をもたらすのかを。


続く


     ◇


【第153話・収支報告】

異世界生活107日目

七の月6日

オリエント王国歴952年


開始残高:3,114,180pt

項目ポイント

《始マリノ祠》本体・木材・屋根・建具24,000pt

森の大型木製鳥居・加工・塗装・建立16,000pt

石材台座・基礎・据付12,500pt

参道整備・路盤・安全対策11,000pt

排水設備・U字溝・施工7,500pt

手水舎・手水鉢・給排水設備6,500pt

固定金物・接合材・防腐処理5,000pt

神具・鈴・鈴緒・しめ縄等5,500pt

施工関連費・職人作業費相当6,000pt

資材運搬・消耗品・諸経費4,000pt

新規スキル取得0pt

神格上昇によるポイント収入未確認

工事費用精算合計98,000pt

第153話終了時の残高:3,016,180pt


円換算目安:301,618,000円相当(1pt=100円)



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