第154話 白狐神と幼女爆誕
異世界生活107日目。
七の月6日。昼前。
森の大木の傍らに完成した《始マリノ祠》。その最初の参拝を終えたユキの身体を、淡い白い光が包んでいた。
【白狐神ユキの神格変動を確認】
「……おいおい」
俺は、目の前に浮かんだ鑑定表示を見つめた。
【名称:ユキ】【種族:白狐神】【神格:幼神四段】【状態:良好】
「……幼神四段?」
間違いない。以前、湖畔の祠が完成した時、ユキは幼神三段へ上がった。それから二か月ほど。今度は、俺たちが初めて出会った森の大木のそばに祠が完成し、ユキは幼神四段へ上がったのだ。
「こびゃっこ」
「うむ」
「神格が上がったぞ」
「見れば分かるのじゃ」
「……お前には分かるのか?」
「分かるとも。神気の質が変わった」
こびゃっこはユキの周囲をゆっくり浮かびながら観察していた。いつものお調子者らしさが消え、珍しく真剣な顔をしている。
「……ふむ」
「どうだ?」
「驚いたのう。先代のしらゆきと比べても、ユキの成長は早い」
「……そうなのか?」
「うむ。神格の上がり方は個々の神によって違うが、この短期間で幼神四段とはのう」
こびゃっこが感慨深そうに頷いた。
「まったく。末恐ろしい幼神じゃ」
「おっちゃん?」
ユキが俺の服を引っ張った。
「ん?」
「ユキ、えらくなった?」
「ああ。幼神四段になったらしいぞ」
「よんだん!」
ユキが指を四本立てた。
「そう。四段」
「ムフー!」
白い尻尾が大きく揺れた。……本人は、いつも通りだ。
「ユキ。どこか痛いところはないか?」
「ない!」
「気持ち悪くない?」
「ない!」
「疲れてないか?」
「……む」
ユキが少し考えた。
「おなか、すいた」
「……そうか」
「おひる!」
……神格が上がっても、腹は減るらしい。その様子を見ていたセレナが、ようやく口を開いた。
「ヒカルさん。ユキの神格が上がったのですね?」
「ええ。幼神四段になっています」
「幼神四段……」
セレナはユキを見つめた。
「王国の古い記録にも、白狐神の神格については詳しい記述がありません。私たちは今、歴史に残る瞬間に立ち会ったのかもしれませんね」
「そこまで大げさなものなのか?」
ガランが腕を組んだ。
「少なくとも、ただの祠の完成祝いでは済まなくなったな」
「そうだな」
レオンも頷いた。
「俺は戦場で神獣の加護についての話を聞いたことはある。だが、神格が上がる瞬間を目の前で見るとは思わなかった」
ベルタはユキの様子を確認していた。
「神格が上昇しても、ユキご自身に異常はないのですね?」
「今のところは。本人は昼飯の心配をしてるくらいだ」
「……それなら、少し安心しました」
ベルタが微笑んだ。
「おっちゃん!」
「ん?」
「ごはん、だいじ!」
「ああ。大事だな」
こびゃっこも胸を張った。
「よいことじゃ! 腹が減っては神術も使えぬ!」
「お前はただ腹が減っただけだろ」
「なぜ分かったのじゃ!」
「顔に書いてある」
「だから書いておらぬ!」
周囲から笑いが起きた。……いつも通りの会話に戻って、少しほっとした。
◇
「ヒカルよ」
こびゃっこが俺の肩へ降りた。
「新しい能力の確認は、湖畔へ戻ってからにするのじゃ」
「ここでは駄目なのか?」
「神格が上がったばかりじゃ。神気が落ち着くまで、少し時間を置いた方がよい」
「分かった」
俺はグレゴールへ声を掛けた。
「今日の現場作業は、ここまでにしよう。完成確認も済んだし、昼飯を食ってから今後の管理を考えよう」
「そうだな。工具も片付けてある。現場を閉めて戻るか」
「森の警備は?」
ガランが答えた。
「巡回経路に組み込んである。帰還後も定時の巡回は続けるが、今ここにいる者は全員戻って問題ない」
「了解」
こうして俺たちは、一旦全員で湖畔へ戻ることになった。移動は六人乗りバギー二台と、警備用のパトロールバギー二台。来た時と同じく、先頭のバギーはレイルが運転し、俺とユキ、こびゃっこ、グレゴール、カイル、ニナが乗り込んだ。
二台目はドランの運転で、ボルガ、バドル、エリオット、ミネットたち。ガランや近衛の面々は、残りの二台のパトロールバギーへ分乗した。
出発前に人数を確認し、全員の乗車を確かめる。
「よし。出発しよう」
「おっちゃん!」
「何だ?」
「ユキ、よんだん!」
「ああ」
「いち、に、さん、よん!」
ユキが指を折って数え始めた。
「こびゃっこ!」
「何じゃ?」
「こびゃっこ、なんだん?」
「……む?」
こびゃっこが固まった。
「びゃっこは神使じゃ。幼神の段位はないのじゃ」
「……なんだん?」
「だから、違うのじゃ!」
ユキが少し考えた。
「こびゃっこ、けだま、だから?」
「なぜそうなるのじゃ!」
俺は思わず吹き出した。
「ユキ。毛玉は段位じゃないぞ」
「……ちがう?」
「違う」
「む」
ユキは納得したように頷いた。
「こびゃっこ、ただのけだま!」
「納得の仕方がおかしいのじゃ!」
……神格が上がっても、相変わらずだな。
◇
湖畔へ戻ると、食堂から昼食のいい匂いが漂ってきた。
リリアとマルタが調理を進めている。そして今日は、ミレイとアルバートの炊事担当コンビも一緒だ。
大鍋では肉と野菜の煮込みが温められ、別の調理台では、おかずのコロッケ。ご飯や付け合わせが用意されていた。
「おかえりなさい!」
リリアが声を掛けてきた。
「ただいま」
「祠は完成しましたか?」
「ああ。無事に完成したよ」
「よかった!」
マルタも振り返った。
「それじゃ、今日はお祝いだね!」
「そうだな。それと、もう一つ」
「何だい?」
「ユキの神格が上がった」
「……え?」
リリアの手が止まった。マルタも目を丸くする。
「神格が?」
「ああ。幼神四段になったらしい」
「まあ!」
ミレイが驚いて、手にしていた布巾を握り直した。
「ユキちゃん、また偉くなったの?」
「よんだん!」
ユキが胸を張った。
「ムフー!」
「おめでとう、ユキちゃん!」
アルバートも笑顔になった。
「それはめでたいですね。今日の昼食は、いつも以上に腕を振るわないと」
「もう十分いい匂いがしてるぞ」
「まだ仕上げが残っていますから」
マルタが笑った。
「アルバート、話してる場合じゃないよ。そっちの鍋を頼む!」
「はい!」
……神格上昇の報告を聞いても、食堂の仕事は止まらない。それが、何だかありがたかった。
◇
その時、外から自転車のベルが聞こえた。チリン、チリン。
「ヒカル!ユキ!」
ミーシャの声だ。食堂の外へ出ると、畑の方から二台の三輪自転車が戻ってくるところだった。
ミーシャとトトだ。その後ろには、二台のマウンテンバイク。ナージャとセルドが、それぞれ赤いワゴンを連結してゆっくり走っている。
ワゴンの中には、大きなスイカが五個ずつ積まれていた。
「おお。最後の収穫か?」
「うん!」
トトが三輪自転車を止めて頷いた。
「畑のスイカ、これで全部!」
「大きいのもあったよ!」
ミーシャが嬉しそうに報告する。ナージャが自転車を降り、ワゴンの中を指さした。
「熟れ具合を確認して、残っていたものを収穫してきたんです。こっちが五個」
「こっちも五個です!」
相変わらず通る声のセルドが、もう一台のワゴンを示した。
「合計十個。運ぶ時に転がらないよう、下に敷物を入れて固定してます」
「ありがとう。重かっただろ?」
「いえ。坂道は少し気を使いましたが」
セルドが笑った。
「でも、このマウンテンバイクは便利ですね。荷物を積んだワゴンまで引けるとは」
「急な曲がり角と下り坂では、特に気を付けてくれよ」
「はい。速度は控えめにします」
ナージャも頷いた。
「ミーシャとトトも、ちゃんと前を見て走ってたよ」
「えらい!」
ユキが二人を褒めた。
「ユキご機嫌だね、何かあった?」
ミーシャが尋ねると、ユキは胸を張った。
「ユキ、よんだん!」
「……四段?」
トトが首を傾げた。
「何の四段?」
「白狐神の神格だよ」
俺が説明すると、ミーシャとトトが同時に声を上げた。
「ええっ!」
「ユキ、すごい!」
「ムフー!」
……また一人、いや二人、驚かせてしまった。
俺はワゴンの中を確認した。どれも立派なスイカだ。今年の畑のスイカは、これで最後の収穫になるらしい。もっとも、俺の収納にも、これまで収穫した分がまだ残っている。
収納なら鮮度を保ったまま置いておけるし、食べる人数と量を調整すれば、この夏いっぱいは持ちそうだ。
「よし。十個とも預かるよ」
「全部?」
トトが尋ねる。
「必要な分は食堂へ出して、残りは収納で保管する。これなら傷む心配もないからな」
「じゃあ、あとで食べられる?」
「もちろん」
「やった!」
ミーシャが両手を上げた。
「ユキも!」
「分かってる。皆で食べような」
「すいか!」
ユキの白い尻尾が勢いよく揺れた。
……神格上昇より、スイカの方が嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
◇
「ナージャ!」
食堂からミネットが顔を出した。
「おかえりにゃ!」
「ただいま!」
ナージャが手を振る。
「祠の屋根、完成したんだって?」
「そうにゃ! 最後の確認まで全部終わったにゃ!」
「よかったね!」
そこへミレイもやってきた。
「二人とも、お疲れさま!もうすぐお昼できるからね」
「ミレイ!」
ミネットが嬉しそうに笑った。ミネット、ナージャ、ミレイ。仲のいい三人の猫娘が揃った。
「ミネット、屋根の仕上げはどうだった?」
ナージャが尋ねる。
「ばっちりにゃ! グレゴールにも確認してもらったにゃ!」
「さすがだね!」
「でも、雨が降った後の確認は残ってるにゃ。森の中だから、落ち葉にも気を付けないといけないにゃ」
ミレイが感心したように頷いた。
「ちゃんと先のことまで考えてるんだね」
「職人だから当然にゃ!」
「はいはい。偉い偉い」
ナージャが笑う。
「何にゃ、その言い方!」
「褒めてるんだよ!」
三人が笑い合った。……本当に仲がいいな。
「それより、ユキちゃんの神格が上がったって聞いたよ」
ミレイが言った。
「森の祠でユキがお祈りしたら、光に包まれていてビックリしたにゃ」
ミネットがユキを見る。
「ユキ、よんだん!」
「にゃあっ! 良かったにゃ!ユキ」
「お祝いしないとね!」
ナージャがそう言うと、ユキが三人を見上げる。
「みんな、えらい!」
「ユキちゃんもね!」
「ムフー!」
……何だか、褒め合い大会になっている。
◇
昼食の準備が整うまで、食堂の一角を借りてユキの状態を確認することにした。
セレナ、ガラン、レオン、ベルタも同席している。さらに、セレナの随員である銀狐族のファビイとビオラもやってきた。二人は記録帳と筆記具を持っている。
「ヒカルさん。今回の神格上昇について、記録を取らせていただいてもよろしいでしょうか?」
ファビイが尋ねた。
「構わないよ。ただし、分からないことは分からないまま記録してくれ」
「はい。推測と確認事項は分けて記載します」
ビオラが眼鏡を掛け直した。
「王国への報告に関わる可能性もあります。特に、神術の性質と使用条件は正確に残しておきたいと思います」
「助かる」
こびゃっこが机の上へ降りた。
「ふむ。記録係まで揃ったか」
ファビイが姿勢を正した。
「神使様。よろしくお願いいたします」
「うむ。びゃっこの偉大さを、余すところなく記録するがよい!」
「……偉大さ、ですか?」
「当然じゃ!」
ビオラが小声で尋ねた。
「ファビイ。今の発言も記録しますか?」
「……どうしましょう」
「そこは記録しなくていいぞ」
俺が言うと、こびゃっこが抗議した。
「なぜじゃ!」
「必要なのは事実の記録で、誇張は不要だからだ」
「びゃっこの偉大さは事実じゃ!」
ファビイとビオラが顔を見合わせた。……前の歓迎会の時も、こんなやり取りをしていたな。二人は千年以上生きる神使が酒を飲んだり、俺と口喧嘩したりするたびに固まっていた。
◇
「さて。まずは鑑定だな」
俺は食堂の一角に集まった面々を見回した。ユキの神格が幼神四段へ上がったことは、森の祠で確認しているが、何が変わったのかは、まだ詳しく調べていない。
湖畔の祠が完成した時もそうだった。あの時は、ユキが幼神三段へ上がり、こびゃっこがぬいぐるみの身体で覚醒した。そして、俺自身の加護やスキルにも変化が起きている。
今回も同じようなことが起きている可能性はある。
「ユキ。ちょっと能力を確認するぞ」
「うん!」
「疲れたり、変な感じがしたりしたら、すぐ教えてくれ」
「だいじょぶ!」
「まだ何もしてないけどな」
「ムフー!」
ユキが胸を張る。
……まあ、元気なのはいいことだ。俺はユキへ意識を向け、鑑定を発動した。
【総合鑑定】
【名称:ユキ】
【種族:白狐神】
【神格:幼神四段】
【状態:良好】
【主な神格能力】
・守護結界
・白狐神の神気
・浄化
・命令術式破壊
・雷撃系神術
・豊穣加護
・水への浄化神気付与
・神格に応じた各種神術
【新たに確認された神術】
・神気変幻
・神気浮遊
【神格特性】
・祠や鳥居など、神気の拠り所がある環境では神気が安定しやすい
【備考】
・神格上昇により、既存の神術にも変化が生じている
・神術の実際の効果範囲、威力、継続時間、制御精度は使用状況によって異なる
「……おお」
思わず声が出た。
「どうした、ヒカル?」
ガランが尋ねる。
「今回もちゃんと見えた。能力の一覧が出ている」
「ほう!」
こびゃっこが嬉しそうに浮かび上がり、俺の肩の上に降りた。
「やはり頭の中で浮かぶよりも、一覧で表示されると見やすいのう!」
俺のスキル表示はユキとこびゃっこにも見る事ができる。
「やはりって、お前もユキの能力変化が分ったのか?」
「当然じゃ!びゃっこは守護神使ぞ。ヒカルもユキの守護者じゃ。神格の変化を鑑定できても不思議ではない」
俺は表示をもう一度確認した。守護結界。浄化。雷撃。豊穣加護。水への浄化神気付与。奴隷首輪の命令術式を破壊する力。
これまでユキが使ってきた能力が、きちんと並んでいる。しかも、新しい項目が二つ増えていた。
「……神気変幻と神気浮遊」
「新しい神術ですか?」
俺が呟く様に言うとセレナが身を乗り出した。
「ええ。鑑定に表示されています」
俺は二つの項目を、表示を見る事ができないセレナに説明した。
「神気変幻は、神気を使って姿を変える能力。神気浮遊は、身体を浮かせて移動する能力らしいです」
「姿を変える……」
レオンが腕を組み、小声で俺に聞く。
「ロイド殿…いや、バードが使う変幻魔法のようなものか?」
「いや。説明を見る限り、魔法とは違うようだ」
俺は《神気変幻》へ意識を向けた。
【神気変幻】
【神気によって自身の姿を変化させる神術】
【白狐の姿、および神格に応じた人型・獣人型への変幻が可能】
【耳・尻尾など、身体の一部のみを変化させることも可能】
【身に着けた衣服は神気によって保持され、変幻した姿に応じた外観へ変化する】
【神格と習熟度により、変幻の精度・継続時間が変化する】
「……なるほど」
俺は表示を読みながら頷いた。
「こびゃっこ。これ、お前が使っていた変幻だよな?」
「うむ!」
こびゃっこが胸を張った。
「先代のしらゆきも使っておった神術じゃ!」
「やっぱり、しらゆきさんも姿を変えられたのか」
「当然じゃ。神の姿は、必ずしも一つとは限らぬ」
「……そうだったのか」
俺は少し驚いた。あの夢で会ったしらゆきさんは、落ち着いた雰囲気の女性だった。だが、あれが唯一の姿だったとは限らないわけだ。
「神格が上がると、そういうことまで出来るようになるんですね」
セレナが感心したように呟いた。
「王国の古い書物では、太古、白き神獣が人の姿を取ったという伝承はあります。ですが、実際の神術として確認できるとは……」
ファビイが慌てて記録帳を開いた。
「ビオラ。今の説明を記録してください!」
「はい!」
ビオラが筆記具を走らせる。
「神気変幻。外見だけでなく身体の形態も変化。衣服も神気によって保持……」
「ファビイ、神格との関係は?」
「幼神四段で使用可能と確認。ただし、習得に必要な最低神格は未確認、としてください」
「分かりました!」
……二人とも、実に手際がいい。こびゃっこが得意げに頷いた。
「うむ。記録係として、なかなか見込みがあるのう」
「ありがとうございます、神使様!」
ファビイが嬉しそうに頭を下げた。
◇
「それで、浮遊の方は?」
ベルタが尋ねた。
「確認してみよう」
俺は《神気浮遊》へ意識を向けた。
【神気浮遊】
【神気によって自身の身体を浮遊させる神術】
【浮遊中の姿勢保持、および空中移動が可能】
【高度・移動速度・方向転換の制御には習熟が必要】
【神気の消耗は使用状況によって変化する】
「……なるほど」
「どうだ?」
ガランが尋ねる。
「空中移動も出来る。ただし、最初から自在に飛べるわけじゃないみたいだ」
「習熟が必要、ということか」
レオンが頷いた。
「それなら訓練が必要だな」
「そうだな」
ベルタも真剣な顔になる。
「初めての浮遊なら、落下や急上昇への対策を考えた方がよいでしょう」
「同感だな」
俺は頷いた。
「浮遊の確認は外でやろう。最初は地面から十センチくらいまでだ」
ユキが手を上げた。
「ユキ!」
「ん?」
「とべる?」
「ああ。飛べるようになったらしいぞ」
「おそら!」
ユキの目が輝いた。
「いや、最初から空まで行くなよ」
「む?」
「低いところから練習だ」
「あんぜん!」
「そう。安全第一」
「だいいち!」
ニナが頷いた。
「ユキ。高いところ、危ない」
「うん!」
「最初は、低く」
「だんどり!」
……ちゃんと覚えてるな。俺は改めて鑑定表示を確認した。気になるのは、既存能力の変化だ。
「こびゃっこ。守護結界や浄化も、神格上昇で強くなったみたいだぞ」
「うむ。びゃっこも把握しておる。神気の質が変わっておるからのう」
「ただ、鑑定でも具体的な効果範囲や威力までは数字で出ていない」
「それは実際に使って確かめるしかないのじゃ」
「そうだな」
守護結界なら、どれくらいの範囲を守れるのか。浄化なら、どれくらいの量や強さまで対応できるのか。
雷撃は、威力だけでなく制御の問題もある。
奴隷首輪の命令術式破壊については、そもそも実物を使って試験するようなものではない。
……能力が強くなったからといって、無闇に試すわけにはいかないな。
「それと、ヒカル」
「ん?」
「おぬし自身の加護も確認しておくのじゃぞ」
「……ああ」
俺は自分の手を見た。そういえば、ユキが幼神三段へ上がった時も、俺の加護に変化があった。今回も何か変わっている可能性がある。
「俺の方は、あとでまとめて確認するよ」
「うむ。それがよい」
「まずはユキだな」
ユキが手を上げた。
「ユキ!」
「そう。今日はユキが主役だ」
「ムフー!」
白い尻尾が大きく揺れた。
◇
「では、ユキ」
こびゃっこが前足を上げた。
「まずは神気変幻から試すのじゃ」
「へんげん!」
「うむ。最初は簡単なところからじゃ」
俺は鑑定表示を閉じ、ユキの前へしゃがんだ。
「ユキ。まずは狐耳を消してみようか」
「みみ?」
「そう。耳だけ人族と同じ形に変えるんだ」
ユキが自分の狐耳を触った。
「……おっちゃん」
「ん?」
「みみ、なくなる?」
「本当になくなるわけじゃない。神気で姿を変えるんだ」
こびゃっこが補足した。
「うむ。戻そうと思えば戻せる。心配はいらぬ」
「……む」
ユキは少し考え、両手を握りしめた。
「……ほっ!」
ぽふん。
「……おお!」
俺は思わず声を上げた。ユキの頭から、白い狐耳が消えていた。代わりに、髪の両側へ人族と同じ形の耳が現れている。
「本当に変わった……」
セレナが呟いた。ガランも目を丸くした。
「おいおい。狐耳がなくなったぞ」
レオンがユキの頭を見つめる。
「幻術には見えないな」
「鑑定の説明通りなら、神気によって身体の形を変えているんだと思う」
俺が答えると、ベルタが感心したように頷いた。
「なるほど。これなら、状況に応じて姿を変えられるわけですね」
ファビイが記録帳を開いた。
「神気変幻、初回発動成功!」
ビオラも素早く書き込む。
「狐耳から人族の耳へ変化。意思疎通、身体状態ともに異常なし……」
「おっちゃん!」
「何だ?」
「みみ、どこ?」
「横にあるぞ」
「……ここ?」
「そう」
ユキが触った。
「……あった!」
「よかったな」
「ムフー!」
ニナが手鏡を差し出した。
「ユキ。見て」
「かがみ!」
ユキは鏡を覗き込み、嬉しそうに笑った。
「ほっ!」
ぽふん。狐耳が戻る。
「ほっ!」
ぽふん。また消える。
「ほっ! ほっ!」
ぽふん、ぽふん。
「……待て待て!」
俺は慌てて止めた。
「ユキ。何度もやって疲れないか?」
「だいじょぶ!」
「本当か?」
「うん!」
俺はもう一度、状態だけを鑑定した。
【状態:良好】
……よし。今のところ問題はない。
「ユキ。少し休憩しながらやろうな」
「うん!」
ニナが鏡を持ったまま言った。
「ユキ。耳がないと、便利」
「む?」
「ヘルメット」
「……へるめっと!」
ユキが目を丸くした。
「耳のところ、気にしなくていい」
「あ!」
ユキが両手を叩いた。
「へるめっと、みみ、むーっとしない!」
「そう」
「べんり!」
……神気変幻の最初の実用メリット例が、監督用ヘルメットとは。まあ、安全第一だからいいのか。
◇
「おっちゃん!」
「ん?」
「しっぽも!」
「尻尾も変えられるって出てたな。試してみるか」
「うん!」
ユキが目を閉じた。
「……ほっ!」
ぽふん。大きな白い尻尾が消えた。
「……おお」
ナージャが驚いた声を上げる。
「本当に消えた!」
ミレイも目を丸くした。
「ユキちゃん、すごいね!」
ミネットは自分の尻尾を見下ろした。
「にゃあ……それ、猫族にも出来たら便利そうにゃ」
「魔法とは違う神術だから、普通は無理だろうな」
「残念にゃ!」
ナージャが笑った。
「ミネット、尻尾がなくなったら寂しいんじゃない?」
「それはそうにゃ!多分、屋根の上でもバランスが取れなくなるにゃ」
「じゃあ、今のままでいいね」
ミレイも笑った。
「三人とも、尻尾があるから猫娘なんだもの」
「そうにゃ!」
……仲がいいな、本当に。
「ほっ!」
ユキが尻尾を戻す。そして鏡を覗き込み、戻った尻尾を見て満足そうに頷いた。
「しっぽ、よし!」
◇
「では、次じゃ」
こびゃっこが言った。
「今度は白狐の姿になってみるのじゃ」
「きつね!」
ユキが嬉しそうに立ち上がった。
「ちょっと待った」
俺は周囲を確認した。
「広い場所でやろう。机や椅子にぶつかったら危ない」
「あんぜん!」
「そう」
食堂の端にある空いた場所へ移動する。ニナが確認し、周囲の人にも少し下がってもらった。セレナたちも、興味深そうに見ている。
「ユキよ。自分が白い狐になった姿を思い描くのじゃ」
「しろい、きつね!」
「うむ。身体全体を変幻するのじゃ」
「……ほっ!」
ぽふん!白い光がユキの身体を包んだ。そして。
「……え?」
そこには、真っ白な小狐がいた。体長は、およそ三十センチ。尻尾まで含めても五十センチほどだろうか。
ふわふわの白い毛並み。ぴんと立った三角の耳。身体に比べて大きな尻尾。そして、見覚えのある黒い瞳の奥に、金色の光彩。
「……ユキ?」
「こん!」
小狐が俺を見上げた。
……こん?
「おっちゃん!」
次の瞬間、普通にしゃべった。
「……しゃべれるのか」
「うん!」
周囲が一斉にざわめいた。
「白狐に……!」
セレナが息を呑んだ。
「姿だけでなく、身体そのものが変わったように見えます」
レオンが膝をついた。
「これが神獣の変幻か……」
ガランは驚きながらも笑った。
「まさか、本当に狐になるとはな」
ベルタは、ユキの動きを注意深く見ていた。
「四本足での移動にも、すぐに慣れているようですね」
ユキは自分の前足を見た。
右前足を上げる。
左前足を上げる。
その場で、くるりと回った。
「きつね!」
「ああ。見事な白狐だな」
「ムフー!」
……狐の姿でも胸を張ろうとしている。
ただし、四本足なので、どうにも格好がつかない。
ファビイが小声で言った。
「……本物の白狐神様が、目の前に」
ビオラが眼鏡を掛け直す。
「記録します。変幻後の推定体長三十センチ。発声能力は維持。意思疎通に問題なし……」
「ファビイ。そちらから見た毛色は?」
「純白です。尻尾は身体に対して大きく、神気の発光は現在確認できません」
「ありがとうございます」
……研究者と法律家の組み合わせは、こういう時に強いな。
「おっちゃん!」
「何だ?」
「だっこ!」
「……ああ」
俺はしゃがみ、ユキを抱き上げた。軽い。腕の中には、本物の小狐がいる。
「……ふわふわだな」
「ムフー!」
ユキが俺の胸へ顔を擦り寄せた。……これは、まずい。可愛すぎる。
◇
「ユキねーちゃ!」
声の方を見ると、ミナがいた。赤茶色の狐耳と尻尾を揺らしながら、こちらへやってくる。その後ろにはテオもいる。
「おっちゃ!」
「おう、ミナ」
「ユキねーちゃは?……う?」
ミナが俺の腕の中を見た。そして、ぴたりと止まった。
「……きちゅね?」
「ああ。ユキだぞ」
「……う?」
ミナは首を傾げた。小狐のユキが顔を上げる。
「ミナ!」
「……ユキねーちゃ?」
「うん!」
ミナの狐耳がぴんと立った。
「ユキねーちゃ!」
両手を伸ばす。
「だっこしゅゆ!」
「……あ」
嫌な予感がした。だが、ユキは嬉しそうだ。俺はミナを椅子に座らせてから、慎重にユキを渡した。
「優しくな。ぎゅっとしすぎるなよ」
「あい!」
ミナがユキを抱きしめた。ぎゅううっ。
「……むぎゅ!」
「ミナ、少し緩めてやれ」
「あい!」
腕の力が少し緩んだ。
「ユキねーちゃ、ふわふわ!」
「ムフー!」
こびゃっこが微妙な顔をしていた。
「……ふむ」
「どうした?」
「幼子の抱擁は、時に神使をも圧倒するのじゃ」
「経験者だからな」
「言うでない!」
……どうやら、思い出したくない記憶らしい。
◇
「さて、次は浮遊か」
俺はユキを預かり、元の幼女姿へ戻ってもらった。ぽふん。服も変幻前の状態に戻っている。
「……本当に服まで戻るんだな」
「神気変幻じゃからのう」
こびゃっこが胸を張った。
「浮遊は外で試そう」
「そうですね」
ベルタが頷いた。
「人を離し、落下した場合に備えた方がよいでしょう」
俺たちは食堂の外にある広い草地へ移動した。周囲に障害物がない場所を選び、見物する者には少し離れてもらう。ニナが足元を確認する。
「人、離れた。足元、問題なし」
「よし」
ガランとレオンも周囲を見回した。
「こちらは大丈夫だ」
「子供たちは後ろへ下がってもらった」
セレナとベルタも少し離れた場所に立つ。ファビイとビオラは、記録帳を手にしていた。
「……本当に空へ浮かぶのでしょうか」
ファビイが呟いた。
「神使様が浮遊されるところは、何度も拝見していますが……」
ビオラも緊張している。
「白狐神様までとなると、さすがに想像がつきません」
こびゃっこがユキの前へ浮かんだ。
「では、ユキ。まずは足が地面から少し離れる程度でよい」
「うん!」
「身体を神気で包み、ふわりと持ち上げるのじゃ」
「ふわり!」
「急に上がろうとしてはならぬぞ」
「うん!」
ユキが両手を広げた。
「……ほっ!」
ふわり。
「……おお」
ユキの足が、地面から十センチほど浮いた。
「できた!」
「うむ! 見事じゃ!」
こびゃっこが嬉しそうに頷く。その瞬間。
「浮いた!」
ガランが声を上げた。
「本当に浮いたぞ!」
レオンも驚きを隠せない。
「身体強化でも風魔法でもない……」
セレナは両手を胸の前で組んだ。
「これが、白狐神の神術……」
ベルタはすぐに周囲へ声を掛けた。
「皆さん、もう少し距離を取ってください!」
ファビイの筆記具が止まった。
「……ビオラ」
「はい」
「今、浮きましたよね?」
「浮きました」
「地面から十センチほど?」
「はい。私も確認しました」
「……記録しましょう」
「もちろんです!」
……二人とも、驚いてから記録するまでが早い。
「ユキ。そのまま高さを保つんだぞ」
「うん!」
ふわり。さらに十センチ。
「……ユキ?」
「おっちゃん!」
「もう少し低くていいぞ」
「うん!」
ふわり。さらに上がった。
「……いや、上がってるぞ」
「む?」
ユキが首を傾げる。ふわり。五十センチ。一メートル。
「……待て待て!」
俺は慌てて立ち上がった。
「ユキ! 止まれ!」
「とまる!」
ユキが両手を握りしめた。だが、ふわりとさらに上がる。
「……おい!」
ガランの顔色が変わった。
「ヒカル! まだ上がってるぞ!」
「分かってる!」
レオンが即座に動いた。
「ベルタ! 周囲の安全を!」
「はい!」
ベルタが見物人をさらに下がらせる。セレナが不安そうに見上げた。
「ユキ!大丈夫ですか?」
「だいじょぶ!」
ユキは元気よく答えた。……いや、元気なのは分かったけど!ファビイとビオラも上を見上げている。
「……高度が」
「記録は後です! まず安全を!」
ビオラが記録帳を閉じた。こびゃっこがユキの横へ飛んだ。
「ユキ! 上へ行こうとするのではなく、今いる高さに留まるのじゃ!」
「とどまる?」
「そうじゃ! 上でも下でもない!」
「……む!」
ユキが真剣な顔になった。ふわり。……まだ少し上がった。
「こびゃっこ!」
「今、指導しておる!」
「指導だけじゃなく、何とかしてくれ!」
「分かっておる!」
俺はユキの真下へ移動した。何かあれば受け止めるつもりだ。レオンとガランも、落下に備えて近くへ来ている。
「ユキ! 怖くないか?」
「こわくない!」
「そうか!」
「おっちゃん、ちっちゃい!」
「……おい」
上から見下ろされると、そんな感想になるのか。
「よいか、ユキ」
こびゃっこが落ち着いた声で言った。
「神気を外へ押し出すのではない。身体を包んで、その位置を保つのじゃ」
「……ほっ!」
ユキの上昇が止まった。
「……止まった?」
「うむ!」
こびゃっこが頷いた。
「今じゃ! 少しずつ下へ降りるのじゃ!」
「うん!」
ユキは目を閉じた。そして。ふわり。ゆっくりと降りてきた。
「……よし」
俺は両手を広げた。
「ユキ。こっちだ」
「おっちゃん!」
ユキは俺の腕の中へ、ぽすんと収まった。
「……ふう」
思わず大きく息を吐いた。ガランも肩の力を抜いた。
「まったく。心臓に悪いな」
レオンが苦笑する。
「初めてであれほど上がれるとは思わなかった」
ベルタがユキを見た。
「ユキ。次は低いところで練習してくださいね」
「うん!」
セレナは安堵した様子だった。
「無事で何よりです。ですが、本当に驚きました」
ファビイが震える息を吐いた。
「神術の記録を取るつもりが、途中から何も書けませんでした……」
ビオラが頷く。
「私もです。あれほど高く上がられるとは……」
ユキが胸を張った。
「とべた!」
「ああ。飛べたな」
「すごい?」
「すごい。すごいけど……」
俺はユキと目を合わせた。
「次からは、こびゃっこの言うことをちゃんと聞いて、低いところで練習しような」
「うん!」
「安全第一だぞ」
「だいいち!」
「だんどり!」
「その通り」
……本当に分かってくれたんだろうか。俺は念のため、もう一度鑑定を発動した。
【名称:ユキ】
【状態:良好】
【神気浮遊:使用確認】
【備考:高度制御は習熟途中】
「……よし」
少なくとも、今のところ身体に異常はない。だが、鑑定で状態が良好だからといって、無理をさせていいわけじゃない。浮遊の練習は、当分の間、こびゃっこが付き添う低空訓練に限定だな。
◇
食堂へ戻ると、昼食の準備がほぼ終わっていた。リリアとマルタ、ミレイとアルバートが、最後の配膳を進めている。
「外がずいぶん賑やかだったね」
マルタが言った。
「……ちょっとな」
「ユキちゃん、飛んでたんですか?」
厨房にいたミレイが驚いた顔で尋ねる。
「ああ。初めて浮遊を試したんだ」
「本当に飛べるように?」
「飛べたけど、まだ制御が難しい」
「それは気を付けないと」
ナージャが頷いた。
「ミネットも、見た?」
「見たにゃ! でも、あんなに高く上がるとは思わなかったにゃ!」
「ユキちゃん、すごいねえ」
ミレイが笑った。
「でも、練習はちゃんと安全にね」
「うん!」
ユキが元気よく返事をした。……今日は何回、安全にと言っただろう。
◇
昼食までもう少し時間がある。俺は改めてこびゃっこへ尋ねた。
「それで、ユキの神格が上がった影響は、お前にもあるのか?」
「うむ。実は先ほどから、神気の巡りが違うのじゃ」
「違う?」
「昔の力が、少しずつ戻ってきておる」
「……本当か?」
「完全ではないがのう。守護結界、浄化、雷撃、豊穣の加護……以前より神気が通りやすい」
「それはよかったな」
「うむ!」
こびゃっこが嬉しそうに頷いた。先代しらゆきと宗一郎たちを守るために、大きな力を使い果たしたこびゃっこ。
湖畔の祠が完成した時に実体を取り戻したとはいえ、昔の力が完全に戻ったわけではない。それが今、少しずつ回復している。
「これでユキを守る力も増す」
「そうだな」
ユキがこびゃっこを見た。
「こびゃっこ!」
「何じゃ?」
「えらい!」
「……うむ!」
こびゃっこが胸を張った。
「もっと褒めてもよいぞ!」
「……調子に乗らなければ、もっと褒めるんだが」
「もう少し感動を分かち合おうてもええじゃろ!」
……やっぱり、いつものこびゃっこだ。
「それでじゃ」
こびゃっこが急に声を低くした。
「ヒカルよ。びゃっこにも、ついに戻った力がある」
「何の力だ?」
「……神気変幻じゃ!」
「……おお」
俺は少し身を乗り出した。
「お前も変幻できるようになったのか?」
「うむ!」
こびゃっこが、これまでにないほど得意げな顔をした。
「もう毛玉と呼ばせぬぞ!」
「……いや、別に」
「見るのじゃ! びゃっこの神々しい白狐姿を!」
……おお。これは、ちょっと楽しみだ。俺は厨房に、少し長引きそうなので昼食の仕上げを少し待ってもらった。
◇
こびゃっこは、夢や神域では本物の白狐の姿になることがあった。だが、現実の湖畔では、ずっと手のひらサイズのぬいぐるみ姿だ。それが、ついに本物の白狐になるのか。
「よし。見せてくれ」
「うむ!」
こびゃっこが机の上へ立った。
「皆の者!刮目するのじゃ」
……いやいや、何で急に演説ぶるんだ?
「これより、守護神使びゃっこの真なる姿を披露する!」
食堂にいた者たちが振り返った。ファビイとビオラも慌てて記録帳を開く。
「神使様ご自身も変幻を?」
ファビイが尋ねた。
「無論じゃ!」
ビオラが眼鏡を掛け直した。
「では、変幻前後の姿を記録させていただきます」
「うむ。存分に記録するがよい!」
ユキが拍手した。
「こびゃっこ!」
「うむ!」
「がんばれ!」
「任せるのじゃ!」
こびゃっこが目を閉じた。小さな身体から、白い神気が溢れる。
「神気変幻!」
ぽふん!白い光が、こびゃっこの身体を包んだ。
やがて光が収まると、そこには――。
「……おお?」
真っ白な狐がいた。ふわふわの毛並み。ぴんと立った耳。立派な尻尾。そして、いかにも偉そうな顔。
「……おお!」
俺は拍手した。
「すごいじゃないか!」
セレナも目を丸くしている。
「こびゃっこ様まで……!」
ファビイが興奮した様子で記録帳へ書き込んだ。
「神使様、白狐の姿へ変幻!」
ビオラも頷いた。
「変幻は成功。ただし……」
「ただし?」
俺が尋ねると、ビオラが少し言いにくそうに答えた。
「ユキ様の白狐姿と、大きさがほとんど変わらないように見えます」
「……あ」
俺も気づいた。そう言えば共有夢の中で見た白狐のこびゃっこよりもふた回りほど小さい。
こびゃっこが自分の身体を見下ろす。
「……む?」
そこでユキも白狐の姿へ変幻した。ぽふん!二匹の白狐が並んだ。
「……あれ?」
大きさが、ほとんど同じだ。どちらも体長三十センチほど。尻尾を含めても五十センチ程度。
「……こびゃっこ」
「……何じゃ」
「ユキと同じ大きさだな」
「……む」
こびゃっこが固まった。
「……そんなはずは」
「いや、同じくらいだぞ」
「……おかしいのじゃ」
こびゃっこが自分の前足を見た。
「びゃっこは、もっとこう……神々しく!」
「うん」
「大きく!」
「うん」
「威厳に満ちた白狐になるはずじゃったのに!」
……いや。十分可愛いぞ。ただし、威厳という点では、ちょっと厳しい。
ファビイが小声で言った。
「神使様の、本来のお姿ではないのでしょうか?」
ビオラが答える。
「神力が完全には戻っていない可能性があります。今の段階では断定できません」
「うむ! その通りじゃ!」
こびゃっこが勢いよく頷いた。
「まだ力が足りぬだけじゃ! いずれ、びゃっこの真なる姿を――」
「こびゃこ!」
その時だった。ミナが両手を広げてやってきた。
「……ぬ?」
「こびゃこ! きちゅね!」
「う、うむ。これがびゃっこの――」
「だっこしゅゆ!」
「……待つのじゃ」
こびゃっこが一歩下がった。
「ミナよ。まず話し合おうではないか」
「あい!」
「びゃっこは今、神々しい白狐の姿を――」
ぎゅううっ!
「むぎゅっ!?」
ミナがこびゃっこを抱きしめた。
「こびゃこ、ふわふわ!」
「ま、待て! 少々力が――」
すりすりすり。
「むおおお!?」
俺は慌てて声を掛けた。
「ミナ。優しくな」
「あい!」
腕の力が少し緩んだ。……ああ。いつもの光景だ。違うのは、こびゃっこが本物の白狐になっていることくらいか。
ユキも近づいてきた。
「ミナ!」
「ユキねーちゃ!」
「ユキも!」
「だっこ!」
……二匹とも抱っこしたいのか。
俺はミナを椅子へ座らせ、その膝の上にユキとこびゃっこを並べた。
「ほら。これなら大丈夫だろ」
「ふたり!」
ぎゅうううっ!
「むぎゅっ!」
「……むぎゅ!」
……あ。ユキまで巻き込まれた。
「ミナ、少し緩めてやれ!」
「あい!」
ユキが、ようやく顔を上げた。
「……おっちゃん」
「何だ?」
「こびゃっこ……たいへん」
俺は思わず笑った。
「ああ。分かったか?」
「うん!」
ユキが真剣に頷いた。
「ミナ、ぎゅー、つよい!」
「そうだな」
「こびゃっこ、いつも?」
「ああ。いつもだな」
ユキはこびゃっこを見た。
「こびゃっこ」
「……何じゃ」
「がんばった、えらい!」
「……うむ」
こびゃっこが、しみじみと頷いた。
「ようやく、びゃっこの苦労が分かったか……」
……妙なところで絆が深まったな。
◇
しばらくして、こびゃっこはミナの腕から解放された。白い毛並みを整え、机の上へ戻る。
「しかし、ヒカルよ」
「何だ?」
「先ほどの姿は、まだ本来のびゃっこではない」
「まあ、そうだろうな」
「じゃが!」
こびゃっこが、にやりと笑った。
「もう一つ、試したい姿がある!」
「……まだあるのか?」
「当然じゃ!」
「何だ?」
「人の姿じゃ!」
「……人間?」
「うむ!」
こびゃっこは、ふわりと机の上へ浮かんだ。
「先ほどの白狐姿は、少々不本意であった」
「十分立派だったぞ」
「慰めはいらぬ!」
「……そうか」
「じゃが、人の姿ならば話は別じゃ!」
こびゃっこは、妙に自信たっぷりだった。
……待てよ。人の姿。こびゃっこ。原宿。その三つの言葉が、頭の中でつながった。
「……おい、こびゃっこ」
「何じゃ?」
「まさか、お前……」
「ふっふっふ!」
こびゃっこが得意げに笑った。
「思い出したか、ヒカル!」
俺は、あの妙に鮮明だった共有夢を思い出した。
昭和の原宿。古い三角屋根の駅舎。歩行者天国。竹下通り。そして――。
大勢の若者に囲まれて、カメラへ向かってポーズを取っていた、白いツインテールの美少女。
「……イナリ・ミコ」
俺が呟くと、こびゃっこの耳がぴくりと動いた。
「さよう」
「お前、あの姿になれるのか?」
「無論じゃ!」
こびゃっこが胸を張った。
「びゃっこが原宿でブイブイ言わせておった頃の姿じゃぞ!」
「……あれ、やっぱり本当だったんだな」
「何を今さら!」
年齢は十代半ばほど。白いツインテールに白狐耳。大きな白い尻尾。少しつり上がった目。白と黒を基調にした、ゴシックロリータ風の服。
手には、生クリームと苺が山盛りになったクレープ。そして、周囲から飛び交う声。
『ミコちゃーん!』
『こっち向いて!』
『かわいい!』
……あれは、なかなか衝撃的だった。
「イナリ・ミコ、だったよな?」
「うむ!」
「稲荷の巫女だから、イナリ・ミコ」
「分かりやすかろう!」
「改めて聞いても直球だな」
「雑誌編集者が気に入ったのじゃ!」
「……そうだったな」
ユキが顔を上げた。
「ミコちゃん!」
「おお、ユキ! 覚えておったか!」
「うん!」
ユキが嬉しそうに頷いた。
「こびゃっこ、くれーぷ!」
「……そこか!」
俺は思わず笑った。
「ユキ。あの夢、覚えてるんだな」
「うん! ひと、いっぱい!」
「そうだったな」
「こびゃっこ、かわいい!」
「うむうむ!そうじゃろ」
「くれーぷ、おいしかった!」
「……結局、食べ物に戻るのか」
◇
「原宿?……モデル?……布教活動でしょうか?」
ファビイが呆然と呟いた。いや、違うから……。
「神使様は異界で、そのモデル?と言う活動までされていたのですか?」
「そうじゃ!」
こびゃっこが胸を張った。
「びゃっこは、かつて原宿のファッション界を席巻したのじゃ!」
「……そこまで言ってたか?」
「細かいことはよい!」
ビオラが眼鏡を掛け直した。
「以前も伺いましたが、神使様の活動範囲は、私たちの想像を超えていますね……」
「法律上、どう扱うか悩んでたもんな」
俺が言うと、ビオラが真剣に頷いた。
「はい。今でも結論が出ていません」
「今はそれを考えなくていいぞ」
「……助かります」
セレナが微笑んだ。
「ファビイ、ビオラ。まずは神術の記録を優先しましょう」
「はい!」
二人が揃って返事をした。こびゃっこが咳払いした。
「では、皆の者!」
……また演説が始まった。
「これより、びゃっこの真なる美少女姿を披露する!」
食堂にいた皆が振り返った。ガランが小声で言う。
「……こびゃっこ殿、何を始める気だ?」
「俺にも分からん」
レオンが答えた。ベルタは少し警戒している。
「周囲に危険はありませんか?」
「変幻だけなら大丈夫だと思う」
俺が答えると、こびゃっこが胸を張った。
「今度こそ見よ! 原宿でブイブイ言わせた、びゃっこの神々しいモデル体型の美少女姿を!」
……始まった。
◇
こびゃっこが机の上へ立った。白い神気が、身体から溢れ始める。
「……おお」
俺は思わず身を乗り出した。先ほどの白狐姿への変幻より、明らかに神気が強い。机の上に、淡い白い光が広がっていく。
「これぞ!」
こびゃっこが叫んだ。
「びゃっこの真なる美少女姿じゃあ!」
ぽふんっ!
白い光が弾けた。そして。そこに現れたのは――。
「…………」
俺は言葉を失った。
セレナも。ガランも。レオンも。ベルタも。ファビイとビオラも。食堂にいた皆が、目を丸くしていた。
白い髪。左右に結ばれた、ふわふわのツインテール。少しつり上がった、大きな瞳。
白と黒を基調に、赤い飾り紐をあしらった、巫女装束をアレンジしたようなゴスロリ風のドレス。
足元には、小さな編み上げブーツ。そして、白い狐耳と大きな白い尻尾。
……確かに。あの夢で見た「イナリ・ミコ」だ。
髪型も。目元も。衣装の雰囲気も。間違いない。ただし。
「…………」
俺は、ゆっくりとユキを見た。ユキも、こびゃっこを見ている。
「……こびゃっこ?」
俺は恐る恐る声を掛けた。
「……何じゃ?」
「お前……」
言葉が続かない。なぜなら、そこに立っていたのは――。
ユキと同じくらいの背丈をした、五歳児ほどの白髪ツインテール幼女だったからだ。
「…………」
こびゃっこは、自分の手を見た。小さな手。短い指。
次に、足を見た。小さなブーツ。そして、自分の身体を見下ろした。
「…………む?」
セレナが、ようやく口を開いた。
「……これは、神使様なのですか?」
「ああ。たぶん」
ガランが目を丸くしている。
「さっきまでの毛玉が、女の子になったのか?」
「毛玉と言うでない!」
こびゃっこが即座に抗議した。……声と口調は、いつものこびゃっこだ。
レオンが腕を組んだ。
「確かに変幻は成功している。だが……」
「だが?」
「本人が想定していた姿とは、少し違うようだな」
ベルタが冷静に頷いた。
「服装まで変わっています。身体の大きさも、ユキ様とほぼ同じですね」
ファビイは、記録帳を持ったまま固っていた。
「……神使様が」
ビオラも眼鏡を掛け直す。
「……幼女の姿に」
「ファビイ」
「はい」
「今の現象は、どう記録すれば……」
「……まず、変幻成功と記録しましょう」
「そうですね」
二人は同時に書き始めた。
「外見年齢、五歳程度……」
「白髪、ツインテール……」
「狐耳と尻尾あり……」
「衣装も同時に変化……」
こびゃっこが、ゆっくりと顔を上げる。
「……ヒカル」
「……何だ?」
「鏡を……」
「……ああ」
俺はニナを見た。ニナは無言で手鏡を差し出した。こびゃっこが鏡を覗き込む。
「…………」
長い沈黙。そして。
「…………な」
こびゃっこの口が、わずかに開いた。
「…………なぜじゃ?」
誰も答えられなかった。俺は、あの夢を思い出した。
昭和の原宿。竹下通り。カメラを構える若者たち。その中心でポーズを取っていた、十代半ばほどの美少女。……確かに、あの時はモデル体型だった。
少なくとも、今よりずっと背が高かった。なのに。目の前にいるのは、どう見ても五歳児だ。
「……こびゃっこ」
「……何じゃ」
「一応、確認するけど」
「……うむ」
「これ、あの時のイナリ・ミコだよな?」
「……そうじゃ」
「……何か、縮んでないか?」
「…………」
こびゃっこが固まった。ユキが、嬉しそうに手を叩いた。
「こびゃっこ!」
「…………」
「ユキと、おんなじ!」
「…………」
「ちっちゃい!」
こびゃっこが、完全に固まった。俺も、まだ何と言えばいいのか分からない。
……いや。確かに、美少女だ。可愛い。衣装も凝っている。あの夢で見たイナリ・ミコの面影も、しっかり残っている。
だが、原宿でブイブイ言わせたモデル体型が、どうして五歳児幼女になるんだ?
俺は、こびゃっこの顔を見た。こびゃっこも、俺を見た。そして、互いにしばらく黙り込んだ。
「…………」
「…………」
食堂に、何とも言えない沈黙が広がった。
その中心で。白髪ツインテールの小さな美少女は、手鏡を握りしめたまま、呆然と立ち尽くしていた。
……神格上昇。
どうやら、俺たちの想像以上に、とんでもないことになっているらしい。
続く
◇
【第154話・収支報告】
異世界生活107日目。七の月6日。オリエント王国歴952年。
開始残高:3,016,180pt
新規購入:0pt新規スキル取得:0pt魔石変換:0pt神格上昇に伴うポイント収入:未確認(加算なし)
第154話終了時残高:3,016,180pt
円換算目安:301,618,000円相当(1pt=100円)




