第147話 白狐神とクセが凄い司令官
異世界生活102日目。
七の月1日の夕方。
夕方。補給基地の外周に差し掛かったところで、見張り台の兵士がこちらを見つけた様だ。
どうやら前回、俺とガランが来た時にいた伝令隊はいない様だ。遠くからでも驚いているのが分かる。無理もない。馬も牽いていない黒い車両が、湖岸から走って来るのだから。
俺は速度を落とし、基地の入口から少し離れた場所で停車した。
「まず身分確認ですね」
セレナが言った。
「お願いします」
入口の兵士たちは、槍を持ってこちらを見ている。ただし、慌てて構えるわけではない。見張りの一人が別の兵士へ声を掛け、奥へ走らせていた。
「来訪者!」
兵士が声を張る。
「所属と目的を!」
セレナが窓を下ろした。
「オリエント王国正式特使、セレナです。湖畔の白狐の里より、東岸補給基地司令官へ重要な報告を持参しました」
兵士の表情が変わる。
「……特使殿?」
「はい」
「少々お待ちください!」
セレナが通行書類を示すと、兵士が確認した。
「近衛騎士団副団長レオン殿とご同行された……」
「その通りです」
「では、後ろの方々は?」
セレナが俺を見る。
「白狐神の守護者、サコン・ヒカル殿。そして――」
「ユキ!」
後部座席から元気な声がした。
「……?」
兵士が固まる。窓越しに、白い狐耳が見えた。
「しろい耳……?」
その横で、こびゃっこがふわりと浮き上がろうとする。
「びゃっこも――」
「座ってろ!」
「む!」
兵士の目が、さらに丸くなった。
「……今、何か話しましたか?」
「守護神使こびゃっこ様です」
セレナが平然と答えた。
「……」
「確認をお願いします」
「しょ、少々お待ちを!」
兵士は走っていった。……さて、どうなることやら。
◇
しばらくすると、基地の奥から一人の男が出てきた。四十代くらいの人族の兵士。革鎧の上から軍用の上着を羽織っている。
「セレナ特使殿!」
「オルダ殿」
「お久しぶりです」
セレナが頷いた。
「以前、近衛騎士団とともに立ち寄った際には、お世話になりました」
「いえ。それで、今回は……」
オルダと呼ばれた男が車を見る。
「……これは?」
「異界の車です」
「……異界の」
「ピックアップトラックと言います」
俺が補足した。
「馬は?」
「必要ありません」
「魔導具ですか?」
「いいえ。燃料を使ってエンジンを動かしています」
「……えんじん?」
……なんか前もここで同じ様な会話をした気がする。
「まあ、詳しくは後で」
オルダは何とも言えない顔をした。
「以前、湖畔の守護者殿が、似たような乗り物で魔石を受け取りに来たと聞いていましたが……」
「ああ。以前ガランと来たことがあります」
「では、あなたがサコン・ヒカル殿?」
「はい」
オルダが姿勢を正す。
「失礼しました。私はこの基地の警備責任者、オルダです」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。それで……」
オルダの視線が後部座席へ移る。ユキが窓から顔を覗かせ手を振っていた。
「こんにちは!」
「……」
「ユキはユキ!」
「……」
オルダが固まる。
「……びゃ、白狐神様?」
「む」
ユキが少し首を傾げた。
「ユキ、でいい」
「……」
オルダが深く頭を下げた。
「は、はい! ユキ様!」
「む。さま、いらない」
「……は、はい!」
困っているなあ。そこへ、こびゃっこがふわりと浮いて前足を上げた。
「びゃっこもおるぞ!」
「……!」
オルダの目が丸くなる。
「布玩具が……!」
「守護神使じゃ!」
「し、失礼しました!」
「びゃっこの名は、こびゃっこじゃ!」
「こびゃっこ様!」
「うむ!」
……何だろう。今日のこびゃっこ、やたら偉そうだ。
◇
「正式な司令官が着任されたと聞いていますが」
セレナが訊くと、オルダが頷いた。
「は、はい。数日前、王都から着任されました」
「お会い出来ますか?」
「もちろんです。ただ……」
「ただ?」
「少々、お覚悟を」
……ん?
「何を?」
俺が訊くと、オルダが微妙な顔をした。
「司令官は……非常に信心深い方でして」
「……」
「北のエルフ族の出身です」
セレナの表情が変わった。
「まさか、アルテイ殿ですか?」
「はい」
「……なるほど」
「知ってる人?」
俺が訊くと、セレナが頷いた。
「以前、大湖北東の森を拠点にしていた盗賊武装集団を壊滅させた部隊長です。指揮官としての実績もあります」
「おお!それなら安心ですね」
「はい。ただし……」
「ただし?」
「北のエルフ族は、かつて白狐の里と深い交流があった一族です」
……あ。
「つまり?」
「アルテイ司令官は、白狐神への信仰が非常に篤い方だと聞いています」
俺は後部座席を見る。ユキが楽しそうに窓の外を眺めていた。こびゃっこは専用席で胸を張っている。……嫌な予感がする。
◇
基地の内部へ案内され、指定された場所へ車を停めエンジンを切る。後部座席のドアを開き、まずユキのチャイルドシートを外す。
「ユキ」
「うん!」
「着いたぞ」
俺がユキを抱き下ろした、その時だった。
「……白狐神様!」
少し離れた場所から、低い声が響いた。振り返るとそこには、背の高いエルフ族の男性が立っていた。
長い耳。落ち着いた顔立ち。軍用の上着を着ており、胸には階級章らしいものが付いている。年齢は三十前後か?エルフ族だから、人族の見た目とは一致しないだろう。その男はユキを見た瞬間、足を止めた。
「……」
「……?」
ユキが首を傾げる。
「しれーかん?」
次の瞬間。男が片膝をついた。
「白狐神様……!」
……おお。
「四百二十年……」
男の声が震えていた。
「我ら北の森のエルフ族が、長きにわたり待ち望んだ……」
「……」
「白狐神様の御姿を、この目で拝する日が来ようとは……!」
ユキが俺を見る。
「おっちゃん」
「ん?」
「ひざ、いたい?」
「……いや、そういうわけじゃないと思う」
男がさらに頭を下げようとする。
「白狐神様!」
「む」
ユキが一歩前へ出た。
「たって」
「……は?」
「ひざ、いたい」
「……」
「ユキ、でいい」
男が顔を上げた。
「……ユキ、様?」
「む。さま、いらない」
「……!」
男の耳がぴんと立った。
「な、何と……!」
……ああ。これは大変そうだ。
◇
「司令官」
オルダが横から声を掛けた。
「まずは正式なご挨拶を」
「……あ、ああ!」
男が慌てて立ち上がる。
「失礼しました!」
姿勢を正し、胸へ手を当てる。
「オリエント王国軍東岸補給基地司令官、アルテイと申します」
「サコン・ヒカルです」
「おお! あなたが湖の厄災を終わらせた守護者殿!」
「……まあ、結果的にそういうことになります」
「そして白狐神ユキ様!」
「ユキ!」
「……はい!」
アルテイが深く頷く。
「ユキ様!」
「む」
……これはクセが凄いキャラか?そこへ、こびゃっこがふわりと浮かび上がった。
「久しいのう。北の森の者よ」
「……!」
アルテイの顔色が変わる。
「ま、まさか……」
「守護神使こびゃっこじゃ」
「守護神使様……!」
また膝をつこうとする。
「待て待て!」
俺が慌てて止めた。
「また膝をつくんですか!」
「し、しかし!」
「仕事の話をしに来たんですから!」
こびゃっこが胸を張る。
「まあ、びゃっこへの礼は後でもよいぞ」
「お前も煽るな!」
「む」
ユキがこびゃっこを見る。
「こびゃっこ」
「何じゃ?」
「いま、おしごと」
「……うむ」
「だんどり」
「……承知じゃ」
五歳の白狐神に、千年を生きた神使が仕事の段取りを教えられている。それを目の前で見たアルテイが、また感激した顔になった。
……頼むから、今は泣かないでくれ。
◇
「それにしても……」
アルテイが黒いピックアップトラックを見た。
「これが噂に聞く、異界の乗り物ですか」
「はい」
「馬もなく動くとは……」
「エンジンで動きます」
「えんじん……」
その横でセレナが言った。
「アルテイ司令官。私たちは本日午後、湖畔を出発しました」
「……本日?」
「はい」
「……湖畔から?」
「そうです」
アルテイが黙った。
「通常、馬で四日ほどかかる道のりですが……」
セレナが続ける。
「この車なら、夕方までに到着出来ました」
「……」
アルテイが俺を見る。
「守護者殿」
「はい」
「馬は?」
「いません」
「魔法は?」
「使ってません」
「……」
「普通に走ってきました」
「普通……?」
アルテイが天を仰いだ。
「異界とは、恐ろしいものですな……」
「便利と言ってほしいです」
◇
車を停めた場所の周囲には、いつの間にか兵士や工事の職人たちが集まっていた。誰もが白い狐耳と尻尾を持つユキを見ている。
そして、空中に浮かぶこびゃっこを。
「……本当に白狐神様なのか」
「間違いないらしいぞ」
「あの小さな方が……」
「守護神使様も……」
ユキは周囲を見渡した。新しく建てられた兵舎。丸太の防柵。見張り台。整然と並んだ資材。
「おっちゃん」
「ん?」
「ここ、みんな、つくった?」
「ああ。王国の兵士と職人たちが頑張ったんだろうな」
「おっきい」
「そうだな」
ユキが胸を張った。
「みんな、えらい!」
……。周囲が静かになった。
「……え?」
アルテイが呟くと、ユキが続けた。
「おうち、いっぱい」
「……はい」
「みちも」
「はい」
「おうまも、おうち」
「……はい」
ユキが大きく頷いた。
「みんな、えらい!」
アルテイの目元が、少し赤くなった。
「……ありがたき、お言葉……」
……ああ、やっぱり泣くのか。
◇
そこへ、こびゃっこが静かに浮かんできた。
「北の森の者たちは、昔から働き者じゃったのう」
アルテイが顔を上げる。
「……神使様」
「四百二十年前。まだ白狐の里が湖畔にあった頃、北のエルフ族はよく里へ来ておった」
「……はい」
「薬草や木の実を持ってのう。祭りの日には、里の者たちが料理を振る舞っておった」
こびゃっこが湖の方角を見た。
「幼いエルフたちが湖畔で遊び、しらゆきがそれを嬉しそうに眺めておったものじゃ」
アルテイの表情が変わった。
「……その話は、我が一族にも伝わっております」
「そうか」
「祖父の祖父、そのまた祖父の代から……」
アルテイが言葉を詰まらせる。
「白狐神の里は、北の森の民にとって、かけがえのない場所だったと……」
こびゃっこが静かに頷いた。
「北の森の者たちは、昔からよき隣人じゃった。びゃっこは忘れておらぬぞ」
「……!」
アルテイが目を閉じた。その頬を、一筋の涙が流れた。さっきまで冗談を言っていたこびゃっこが、今は本物の守護神使に見える。
……いや、本物なんだけどな。
◇
ユキがアルテイへ近づいた。
「アルテイ」
「……はい」
「こまった?」
「……いえ」
「だいじょうぶ?」
アルテイが小さく笑った。
「はい。大丈夫です」
ユキが頷いた。
「こまっても、むれがいる」
「……」
「だから、だいじょうぶ!」
アルテイは、しばらく何も言えなかった。周囲の兵士たちも静かだった。北のエルフ族が四百二十年待ち続けたもの。それが今、目の前にいる五歳の幼女なのだ。
本人はそんな歴史の重さを理解しているわけではないだろう。ただ、目の前にいる誰かが困っているように見えたから、声を掛けた。それだけだ。
……まあ、それがユキなんだよな。
◇
「……失礼しました」
アルテイが姿勢を正した。
「セレナ特使殿。重要な報告があると伺いました」
「はい」
セレナも表情を改める。
「司令官の執務室で、お話し出来ますか?」
「もちろんです」
「身分確認と文書の受領もお願いします」
「承知しました」
アルテイがオルダを見る。
「オルダ」
「はい!」
「車両の警備と、来訪者の宿泊場所を手配してくれ」
「承知しました」
「それから、兵士たちへ。通常業務を継続させろ」
「はい」
「白狐神様が来られたからといって、持ち場を離れて集まることのないように」
「了解しました」
……おお、ちゃんと司令官だ。感激して仕事にならないかと思っていたが、そこはさすがに軍人らしい。もっとも、ユキが横で、
「アルテイ、えらい」
と褒めた瞬間、また顔が緩んだのだが。
◇
司令官の執務室は、基地中央の木造建物にあった。まだ新しい木の匂いがする。机と椅子、地図、書類棚。壁には王国軍の旗が掛かっている。
「どうぞ、お掛けください」
アルテイが席を勧めた。セレナ、俺、ユキ、こびゃっこ。オルダも同席する。俺は収納から持参した書類ケースを取り出した。
「……収納を使えるのですね」
アルテイが訊く。
「まあ、そうです」
「本当に便利ですな」
「便利ですよ」
ユキが椅子に座り、足をぶらぶらさせている。
「おっちゃん」
「何?」
「おしごと」
「ああ。始めよう」
セレナが書類を机へ置いた。
「それでは、正式な報告を行います」
アルテイの表情が引き締まった。
◇
「まず、八の月1日についてです」
セレナが切り出した。
「レイシス皇国神務院が、湖畔方面へ《湖畔調査隊》を派遣する作戦を予定しているという情報を得ました」
アルテイが地図を見る。
「八の月1日……」
「はい」
「確かな情報ですか?」
「信頼出来る情報として扱っています。ただし、情報源は秘匿させていただきます」
「……承知しました」
アルテイが頷いた。
「続けてください」
「調査隊には、移動式魔導兵器が投入される可能性が高いと考えています」
その瞬間、アルテイの表情が変わった。
「……魔導兵器?」
「はい」
「レイシス皇国が、国境紛争で使用したという……?」
俺が頷いた。
「同じ系統の兵器である可能性があります。ただし、型式までは分かりません」
「なるほど」
「兵器は奴隷の魔力を利用する方式と関係している可能性があります」
アルテイが低い声で言った。
「……人を燃料にする兵器ですか」
「そういうことになります」
部屋の空気が重くなった。
◇
「その情報の根拠は?」
アルテイが訊く。
「複数あります」
俺は補足資料を開いた。
「まず、レイシス皇国側の調査活動について、以前から確認されている情報があります」
「はい」
「さらに、三年前のレイシス皇国とロックパーム公国の国境紛争で、実際に移動式魔導兵器の攻撃を受けた人物から、証言を得ています」
「……直接の証言者が?」
「はい」
アルテイが姿勢を正した。
「詳しく聞かせていただけますか」
「もちろん」
俺はラウルから聞いた内容を説明した。車輪を持つ大型の兵器。前方の金属製放出盤。防御術式を傷つけ、人や馬を痺れさせる魔力攻撃。そして、荷台中央の檻。
そこに収容された奴隷たちから、魔力を吸い上げる仕組み。
「……」
アルテイが黙って聞いている。
「兵器の移動にも奴隷を使っていたそうです」
「つまり、兵器を破壊しようとすれば……」
「奴隷たちも巻き込む可能性がある」
俺が答えると、アルテイが深く頷いた。
「……厄介ですね」
「はい」
◇
「ただし」
俺は続けた。
「今回、神務院が持ち込む兵器が同じものとは限りません」
「承知しています」
「だから、王国軍には敵を見つけたらすぐ戦うのではなく、まず確認して知らせてほしいんです」
アルテイが頷く。
「補給基地の通常警戒を強化する、ということですね」
「そうです」
「部隊の増援は?」
「急に増やさない方がいいと思います」
「理由は?」
「神務院は以前、湖畔の結界外から遠距離観測をしています」
俺は地図を指した。
「こちらの動きも見られている可能性があります。急に王国軍が増えれば、何か情報を得たと相手に知らせることになる」
「なるほど」
アルテイが考えた。
「ならば、輸送警備と巡回の通常運用の中で、確認場所を増やしましょう」
「助かります」
「西方からの移動集団、資材輸送、魔力反応。それらを重点的に確認します」
「お願いします」
「ただし、異常を発見した場合は単独で接触させません」
「それがいいです」
……うん。この司令官、仕事は出来るな。
◇
「それから、王都宛ての文書です」
セレナが封印した書状を差し出した。
「陛下と軍務卿へ、軍の正式な連絡経路で届けていただきたいのです」
アルテイが封書を確認する。
「特使殿の署名と封印を確認しました」
「ありがとうございます」
「早馬を手配します」
「どのくらいで王都へ?」
「街道と中継所の状況によりますが、数日で届けるよう手配します」
「お願いします」
アルテイがオルダを見る。
「王都への最優先連絡便を準備しろ」
「はい!」
「文書は封印を維持し、受領記録を残すこと」
「承知しました」
「途中の中継所には、軍務卿宛ての緊急連絡であることを伝えろ」
「了解しました」
オルダが部屋を出ていった。……よし。これで王都への報告経路が確保出来た。
◇
「もう一件あります」
セレナが別の資料を開いた。
「白狐の里自治領についてです」
「自治領?」
アルテイが顔を上げた。
「はい。湖畔では住民の合意に基づき、自治領としての体制整備を進めています」
「白狐神様が治められるのですか?」
「統合の象徴となる君主という位置付けです」
俺が答えた。
「ただし、政治の全てをユキ一人に任せるつもりはありません」
「……なるほど」
「住民自身が運営する共同体にしたいんです」
アルテイが少し考えた。
「つまり、オリエント王国へ編入されるのではない」
「そうです」
「王国とは対等な友邦として、正式な関係を結びたいと」
「はい」
アルテイが頷いた。
「その考えは、私個人としても尊重すべきものだと思います」
「ありがとうございます」
「ただし、正式な外交上の扱いは王都で判断されることになります」
「もちろんです」
……うん。ちゃんと立場を分けている。信心深いだけではないということだろう。
◇
その時、ユキが手を上げた。
「アルテイしれーかん」
「はい!」
「ユキ、おうさま?」
「……」
アルテイが少し考えた。
「白狐神様は、里の皆様にとって大切な存在です」
「む」
「しかし、王国の王とは違うお立場なのでしょう」
「うん!」
ユキが胸を張った。
「ユキは、ユキ!」
「はい」
「むれ、みんな!」
「……はい」
「みんな、えらい!」
アルテイが微笑んだ。
「そうですね」
……ああ、また感激しそうだ。俺は慌てて口を開いた。
「司令官、まだ報告が残ってますから」
「……はっ!」
アルテイが姿勢を正した。
「失礼しました!」
こびゃっこが横から笑う。
「ヒカルも大変じゃのう」
「お前も原因の一つだからな」
「む?」
◇
最後に、ラウル、テオ、ミナの三人について報告した。
「レイシス皇国側から逃れてきた三人を、現在湖畔で保護しています」
「三人?」
「成人男性一人、犬族の少年一人、狐族の幼女一人です」
アルテイの表情が険しくなる。
「子供まで……」
「三人とも隷属首輪を着けられていました」
「……」
「現在は首輪を解除し、治療も進んでいます」
アルテイが息を吐いた。
「無事なのですね」
「はい」
「それは何よりです」
俺は続けた。
「成人男性はラウル・ブルースと名乗っています。ロックパーム公国軍第一騎兵団の副団長だったという話です」
「……!」
アルテイが顔を上げる。
「ロックパーム公国の?」
「はい。ただし、正式な身分確認はまだです」
「承知しました」
「彼は三年前の国境紛争で捕虜になり、奴隷として扱われていたと証言しています」
アルテイが頷く。
「王都へ報告する価値のある情報です」
「そう思います」
「子供たちは?」
「湖畔で保護を続けます」
「……よかった」
アルテイが静かに言った。
「子供が安心して暮らせる場所がある。それだけでも、救いです」
俺は頷いた。……そうなんだよな。
◇
一通りの報告を終えると、アルテイが椅子の背へ身体を預けた。
「……重大な情報ばかりですな」
「そうですね」
「白狐神様の御来訪を喜んでいたところですが、状況は決して楽観出来ません」
「はい」
俺も頷いた。
「だから、今日ここへ来ました」
「承知しました」
アルテイが姿勢を正す。
「補給基地として出来ることは、確実に進めます」
「お願いします」
「そして王都から指示が届けば、それに従って行動します」
「助かります」
そこでアルテイが少し笑った。
「それにしても……」
「何です?」
「これだけ重大な報告を持って、白狐神様ご本人が、馬のいない黒い車で夕方に到着されるとは」
「……」
「王国軍の記録係が、どのように書くか悩むでしょうな」
「そのまま書けばいいと思いますよ」
「そのまま、ですか」
「はい」
俺は笑った。
「白狐神ユキ、黒いピックアップトラックで来訪。司令官に『えらい』とおっしゃった、と」
「……」
アルテイが少し考えた。
「……それは、ぜひ記録へ残したいですね」
「本当に書くんですか!?」
セレナが笑い出した。
◇
執務室を出る頃には、夕日が基地の防柵を赤く染めていた。アルテイが案内してくれた宿泊場所は、工事宿舎の一室だった。まだ正式な来客用宿舎は整っていないらしい。
「申し訳ありません。白狐神様をお迎えするに相応しい部屋がなく……」
アルテイが頭を下げる。
「いやいや、十分ですよ」
俺は慌てて答えた。
「屋根があって、寝られれば問題ありません」
「しかし……」
「ユキも普段はユニットハウスで寝てるし」
「……ゆにっと?」
「小さな建物です」
「はあ、なるほど」
ユキが部屋を見渡す。
「おっちゃん」
「ん?」
「おへや!」
「そうだな」
「おとまり!」
「ああ」
「こびゃっこも!」
「びゃっこの籐籠はどこじゃ?」
「ちゃんと持ってきたよ」
収納から籐籠を出す。
「おお!」
こびゃっこが嬉しそうに飛び込んだ。
「やはり旅先でも、びゃっこの寝床はこれに限るのう!」
「さっきまで専用席に喜んでただろ」
「移動用と就寝用は別じゃ!」
「贅沢な神使だな」
◇
夕食は基地の炊事場で用意してくれることになった。ただし、ユキがいると分かった兵士たちが、妙に張り切ってしまったらしい。
「白狐神様へ、何をお出しすれば……」
「王都からの保存肉は?」
「干し肉では失礼だろう!」
「魚は?」
「湖の魚を用意しろ!」
「いや、まず司令官へ確認を!」
……聞こえてるぞ。俺はアルテイへ声を掛けた。
「司令官」
「はい」
「普段の食事で十分ですから」
「しかし……」
「特別なものは必要ありません」
「……承知しました」
ところが、ユキが横から言った。
「おっちゃん」
「何?」
「ごはん、みんなと」
「ああ。そうだな」
「みんなで、たべる」
アルテイが顔を上げた。
「兵士たちと、ですか?」
「うん!」
「……」
アルテイの目元が、また少し赤くなる。……頼む。今度こそ泣かないでくれ。
◇
結局、夕食は工事宿舎の食堂で、基地の兵士や職人たちと一緒に食べることになった。
メニューは、肉と野菜の煮込み、パン、焼いた湖水魚。豪華ではないが、温かい食事だ。
「いただきます」
「いただきます!」
ユキが元気に言う。周囲の兵士たちが、一瞬だけ固まった。
「……いただきます?」
誰かが呟く。
「私の国の食べる前の挨拶です」
俺が説明する。
「食べ物と、作ってくれた人への感謝を込めてという意味です」
「なるほど……」
アルテイが頷いた。
「よい習慣ですね」
ユキが煮込みを一口食べる。
「……」
「どう?」
俺が訊く。ユキの耳が立った。
「うんみゃあ!」
……。食堂が静かになった。
「……うんみゃあ?」
アルテイが小さく繰り返す。俺は笑った。
「ユキの『美味しい』です」
「……!」
アルテイが厨房の方を見る。
「料理担当!」
「はっ!」
「白狐神様が……!」
「はい!」
「美味しいとおっしゃった!」
「……!」
料理担当の兵士が固まった。そして。
「……ありがとうございます!」
ものすごく嬉しそうに頭を下げた。……何だろう。湖畔ではいつもの光景なのに、ここでは大事件らしい。
◇
こびゃっこも煮込みを食べながら、満足そうに頷いている。
「うむ。なかなかよい味じゃ」
「ありがとうございます!」
料理担当が再び頭を下げた。
「ただし、もう少し香辛料があれば――」
「こびゃっこ」
「む?」
「余計なこと言うな」
「感想じゃ!」
「料理人が困るだろ」
アルテイが真剣な顔で訊く。
「神使様。香辛料について、何かご助言が?」
「びゃっこが日本で食した料理にはのう――」
「お前、料理監修まで始めるな!」
◇
食事の途中、年配の兵士が俺のところへやってきた。
「守護者殿」
「はい?」
「少し、よろしいでしょうか」
「もちろん」
兵士は緊張した顔をしていた。
「私は、この大湖の東側の村の出身です」
「そうですか」
「かつて湖には、巨大な魔物がいました」
「……レイクサーペント」
「はい」
兵士が頷いた。
「私の村でも、何人も命を落としました」
俺は黙って聞いた。
「湖へ近づくことも出来ず、漁も出来ず、荷を運ぶ舟も出せなかった」
「……」
「それが今は、こうして補給基地を建て、湖の近くで暮らせるようになりました」
兵士が深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
……俺は少し困った。
「あの時は、俺たちも必死だったんです」
「はい」
「ユキを守るために逃げることも考えましたし、怖くなかったわけじゃない」
兵士は顔を上げた。
「それでも、あなた方が湖の厄災を終わらせた」
「……」
「そのことだけは、変わりません」
俺は小さく頷いた。
「……そうですね」
横からユキが声を掛けた。
「おっちゃん」
「ん?」
「おじちゃん、えらい?」
「……ああ」
俺は兵士を見た。
「この基地を作って、みんなを守ってる人だ」
ユキが頷いた。
「おじちゃん、えらい!」
兵士の目元が、少し赤くなった。
「……ありがとうございます」
……今日は、やたらと涙腺の弱い人が多いな。
◇
夕食を終える頃には、食堂の空気も随分柔らかくなっていた。
最初は遠巻きに見ていた兵士たちも、ユキが普通に食事をしている姿を見て、少しずつ緊張が解けたようだ。
こびゃっこは職人たちから質問攻めにされていた。
「神使様は、本当に四百二十年前の白狐の里をご存じなのですか?」
「当然じゃ!」
「昔の湖畔には、どのような建物が?」
「木造の家が多かったのう。先代の宗一郎が、色々と工夫しておった」
「先代の守護者宗一郎様が?」
「うむ。道具も建物も、当時としては珍しいものが多かったぞ」
アルテイが興味深そうに聞いている。
「……先代の守護者様も、異界の知識を?」
「そうじゃ」
「なるほど……」
こびゃっこが胸を張る。
「びゃっこも、色々と教えてやったものじゃ!」
「悪戯も教えたんじゃないのか?」
俺が横から言う。
「これ!ヒカル!」
「王城の壁に落書きした話とか」
「それは言うでない!」
アルテイが目を丸くした。
「……王城の壁『白夜参上』ですな!王室からも歴史的聖遺物として写し絵が公開されております」
「王都でも話題になっているそうですね。千年くらい前の話ですが」
「びゃっこの黒歴史じゃ!」
「神使様にも、そのような過去が……」
「聞くでない!」
◇
夜。宿泊用の部屋へ戻ると、ユキは少し眠そうにしていた。
「おっちゃん」
「ん?」
「ユキ、きょう、えらい?」
「ああ。よく頑張ったな」
「ムフー」
「長い車の移動も平気だったし、ちゃんと挨拶も出来た」
「うん」
「司令官ともお話出来たしな」
「アルテイ、ないた」
「そうだったな」
「こまった?」
「嬉しかったんだと思うぞ」
「うれしい?」
「ああ。ずっと白狐神に会いたかったんだろう」
ユキが少し考えた。
「ユキ、また、くる?」
「いつか機会があればな」
「うん」
「でも、今度は仕事じゃなくて遊びで来たいな」
「おべんとうも!」
「そうだな」
ユキが満足そうに頷いた。
「なら、よし」
◇
こびゃっこは籐籠へ潜り込みながら、まだ何か考えているようだった。
「ヒカルよ」
「何?」
「アルテイという男、よい司令官じゃのう」
「そうだな」
「信心深いだけではなく、仕事も出来る」
「ああ」
「北のエルフ族の者が、今も白狐の里を覚えておるとは……」
こびゃっこが小さく息を吐いた。
「長く生きてみるものじゃ」
「……そうだな」
「四百二十年前、あの里を失った時には、もう二度と戻れぬと思っておった」
俺は黙って聞いていた。
「じゃが、今はユキがおる。ヒカルがおる。湖畔には、また人が集まり始めた」
「そうだな」
「……よいことじゃ」
こびゃっこが静かに頷いた。珍しく真面目な神使だ。……こういう時は、茶化さない方がいいな。
◇
ベッドへ入ると、ユキがいつものように俺の右腕へ抱きついてきた。大きな白い尻尾が腹へ載る。
「おっちゃん」
「ん?」
「シオンの、いったこと」
「ああ」
「できた?」
「ちゃんと伝えたよ」
「うん」
「明日から王国側でも、色々と準備が進むはずだ」
「シオン、まもる?」
「ああ」
ユキが頷いた。
「だんどり」
「そう」
「ばたばた、しない」
「しない」
「なら、よし」
……俺は天井を見上げた。今日は報告書を仕上げ、車を準備し、湖の南岸を走って東岸補給基地へ来た。
普通なら四日かかる道を、午後だけで走ってきたことにセレナが驚き、兵士たちは車と白狐神と守護神使に驚いた。
アルテイ司令官は何度も感激していたが、仕事はきっちり進めてくれた。王都への報告書も、正式な軍の連絡経路へ乗せることが出来た。
……悪くない一日だった。
あとは明日、無事に湖畔へ帰るだけだ。
◇
「……ヒカル」
籐籠からこびゃっこの声がした。
「何?」
「帰りの車じゃが」
「ん?」
「びゃっこの専用席は、そのままかの?」
「もちろん」
「……む」
「何か不満?」
「いや……」
少し間が空いた。
「やはり、ルームミラーに吊るした方が、神使としての存在感が――」
「お前、あれだけ怒ってたくせに!」
「交通安全の御利益は、やはり重要じゃろ!」
「自分からお守りになるな!」
ユキが俺の腕へ顔を埋めた。
「おっちゃん」
「ん?」
「こびゃっこ、うるさい」
「……そうだな」
「こびゃっこ、ねる」
「おお、すまんかったのう」
「おやすみ」
俺は目を閉じた。明日は湖畔へ帰る。ユキの妹分になったミナが、きっと食堂前で待っているだろう。
……そういえば。お土産、何も考えてなかったな。
続く
◇
【第147話・収支報告】
異世界生活102日目/七の月1日/オリエント王国歴952年
開始残高:3,114,180pt(第146話終了時点)
今回の新規購入:なし
・ピックアップトラック:既存車両を使用
・チャイルドシート、こびゃっこの車内専用席:既存品を使用
・報告資料・書類ケース:既存の準備品を使用
・こびゃっこの就寝用籐籠:既存品を使用
・東岸補給基地での食事・宿泊:王国軍施設の提供を受ける
今回支出合計:0pt
第147話終了時残高:3,114,180pt − 0pt = 3,114,180pt
円換算目安:311,418,000円相当(1pt=100円)




