第146話 白狐神、東岸へ出発する
異世界生活102日目。
七の月1日の朝。
「おっちゃん」
「ん?」
「きょう、くるま?」
「ああ。午後からな」
「くろいの?」
「そう。ピックアップトラック」
「ユキ、のる」
「そうだな」
「セレナも?」
「うん」
「こびゃっこも?」
「もちろんじゃ!」
朝食を食べていると、隣に座ったユキが今日の予定を一つずつ確認していた。
昨日までに作った報告書は、最後にセレナ特使の署名を入れるだけだ。午前中にセレナと最終確認を行い、問題がなければ、午後一番にオリエント王国軍の東岸補給基地へ向かう。
予定は今日のうちに補給基地へ到着し、報告を済ませて一泊。翌日、湖畔へ戻るというものだ。
「おっちゃん」
「何?」
「おとまり?」
「ああ。一晩泊まってくる」
「ユキも?」
「もちろん」
「こびゃっこも?」
「当然じゃ!」
食卓の上でこびゃっこが胸を張る。
「白狐神の外遊に、守護神使が同行せぬわけにはいくまい!」
「外遊って……補給基地へ報告書を届けるだけだぞ」
「白狐神が外へ出れば外遊じゃ!」
「そういうものか?」
「そういうものじゃ!」
……道中『遊』の字を履き違えそうな気もするが、まあ、いいか。
ユキが味噌汁を飲み、満足そうに頷いた。
「おっちゃん」
「ん?」
「シオンの、おはなし?」
「ああ。王国へちゃんと伝えてくる」
「ゆめのこと、ないしょ?」
「ああ。夢でシオンから聞いた事は出さない」
「うん」
「大事な情報だけ伝える。あの子が危険にならないようにな」
ユキが真剣な顔で頷いた。
「まもる」
「そうだ」
「ばたばた、しない?」
「しない」
「だんどり」
「そう」
こびゃっこも頷く。
「うむ。王国へ知らせるのは重要じゃが、焦って動けばよいというものでもない」
「珍しくまともなこと言うな」
「びゃっこはいつもまともじゃ!」
「昨日の朝は重機で未来を変える夢を見てたけどな」
「ネタバレ禁止じゃ!」
「何の話だよ!」
ユキが楽しそうに笑った。……今日も平和だな。もっとも、今日持っていく書類の内容は、平和とは程遠いのだが。
◇
午前八時半。工事事務所へ集まったのは、俺、ユキ、こびゃっこ、セレナ、ガラン、アルノ、レオンの七人だった。
机の上には、昨日作成した報告書と、湖畔周辺の地図。それに補足資料。
「では、最終確認を始めます」
セレナが書類を揃えた。
「まず、東岸補給基地司令官へ提出する警戒情報です」
俺はノートパソコンの画面と印刷した文書を見比べた。
第一項は、レイシス皇国神務院による湖畔方面への調査活動。
第二項は、八の月1日に予定されている《湖畔調査隊》の作戦。
第三項は、移動式魔導兵器の投入に関する情報。
第四項は、王国軍へ求める警戒と連絡体制。
「日付はこれでいいな」
ガランが確認する。
「ああ。ただし、八の月1日が作戦開始日なのか、湖畔への到着日なのかは分からない」
「そこは明記してあります」
アルノが答えた。続けてガランが確認する。
「兵力と移動経路も不明だな」
「うん。兵器の台数も分からない」
俺は頷いた。
「だから、こちらが知っていることと、分からないことを分けて書いてある」
セレナが次の紙を示した。
「移動式魔導兵器については、ラウル殿の証言と関連する可能性が高いと記載しました。ただし、三年前のロックパーム国境紛争で使用されたものと同一型式かどうかは未確認です」
「それでいい」
レオンが腕を組む。
「ラウルが見た兵器は、奴隷から魔力を吸い上げて動くものだったな」
「ああ。しかも、兵器を押して移動させるのも奴隷らしい」
「厄介だな」
ガランが低い声で言った。
「兵器だけを壊そうにも、周囲に人間がいる」
「そうなんだよ」
俺は息を吐いた。今回、シオンも同行させられるという。しかも首の銀環を使い、神性や共鳴を観測する対象として。だが、そのことは報告書へ記載していない。
シオンの名前も、共有夢も、銀環の詳細も伏せる。情報を共有することは必要だが、情報源を危険にさらすわけにはいかない。
◇
「王都向けの文書は、こちらです」
セレナが別の封筒を取り出した。内容は補給基地向けより詳しい。神務院の調査活動。移動式魔導兵器。奴隷を利用した魔力供給方式。ラウルの証言。湖畔の警備方針。
そして、白狐の里自治領としての今後の立場だ。
「自治領の話は、軍事報告とは別にしてあります」
セレナが言った。
「助かる。混ぜるとややこしくなるからな」
「はい。こちらは陛下と宰相府へ取り次いでいただく正式な外交文書として扱います」
「まだ条約締結の段階じゃないけどな」
「それでも、住民の賛同を得た方針を王国へ伝えることは重要です」
俺は頷いた。白狐の里自治領。どの国にも属さず、住民自身の合意に基づいて運営する場所。
ユキは統合の象徴となる君主だが、五歳の幼女へ政治の全責任を背負わせるつもりはない。
「おっちゃん」
「ん?」
「ユキ、しょーちょー、くんしゅ?」
「そうだな」
「おうさま、じゃない」
「ああ。ユキはユキでいい」
ユキが頷いた。
「ユキは、ユキ」
「そう」
「むれ、みんな」
「ああ」
「なら、よし」
セレナが微笑んだ。
「そこが一番大切ですね」
◇
書類の最終確認を終えたのは、午前十時を少し過ぎた頃だった。
セレナが正式特使として署名を入れる。王都向けの文書は封印し、補給基地司令官へ提出する報告書とは分けた。
「これで完成ですね」
「はい」
「じゃあ、今日の一つ目の仕事は終了」
俺が言うと、ユキが手を上げた。
「いっこ、できた!」
「そうだな」
「つぎ、くるま!」
「よく覚えてるな」
「だんどり!」
「はいはい」
こびゃっこが胸を張る。
「びゃっこも外交に同行する以上、神使としての準備を――」
「撮影見習いのカメラは持っていかなくていいぞ」
「なぜじゃ!」
「今回は報告任務だから」
「記録撮影も重要じゃろう!」
「基地内で勝手に撮影したら軍事機密の問題になる」
「……む」
「どうしても撮りたいなら、司令官の許可をもらってからな」
「……承知した」
珍しく素直だ。……これは後で何か言い出すな。
◇
事務所を出ると、レオンが俺の横へ並んだ。
「ヒカル殿」
「何?」
「本当に俺は同行しなくていいのか?」
「またその話か」
「近衛副団長として、特使と白狐神様の護衛は――」
「いらん」
後ろからガランの声がした。
「まだ何も言っていないだろう!」
「昨日も同じことを言っていた」
「警護は重要だぞ」
「ヒカルがいる」
「護衛対象本人だぞ」
「お前より強いだろう」
「……」
レオンが黙った。俺も微妙な気分だ。
「それに、お前が同行すれば目立つ」
ガランが続ける。
「特使と守護者だけなら、正式な連絡と視察で済む。そこへ近衛副団長まで加われば、何か大きな軍事行動が始まると見られかねん」
「……なるほど」
「お前は湖畔に残って近衛をまとめろ」
「分かった」
レオンが渋々頷く。そこへベルタがやってきた。
「副団長」
「何だ?」
「午前の巡回報告の確認がまだです」
「今から確認する」
「それから、午後の配置表も」
「分かっている!」
「では、こちらへ」
レオンが俺を見る。
「……どうやら、俺はここでやるべき仕事が定着したらしい」
「湖畔の警備が主要任務だろ。頼りにしているからな」
「ヒカル殿も守護者として、任務を遂行してくれ」
ベルタが一礼した。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ありがとう」
レオンが小声で言う。
「……最近、ベルタの方が副団長らしくないか?」
「彼女、副団長じゃなかったのか?」
「おい!」
◇
次は車両の準備だ。職人と騎士団のプレハブ宿泊の前にある大型ガレージ建設予定地で、収納から黒いピックアップトラックを出す。
湖畔では見慣れた車両になったが、近衛騎士たちにはまだ珍しいらしく、何人かが訓練を止めてこちらを見ていた。
「おっちゃん!」
ユキが走ってくる。
「くろい、くるま、ひさしぶり」
「そうだな」
「ユキ、のる!」
「まず点検してから」
「だんどり」
「そう」
俺はボンネットを開けた。エンジンオイル、冷却水、ブレーキフルード、バッテリー。さらにタイヤの空気圧と摩耗状態。足回り、灯火類、ワイパーも確認する。ニナが記録帳を持って横へ来た。
「ヒカル」
「ん?」
「タイヤ、見る?」
「頼む」
ニナは黄色いヘルメットを被ったまま、タイヤの横へしゃがむ。
「みぞ、ある」
「うん」
「きず、ない」
「よし」
「こっちも」
反対側へ移動する。実は彼女には、重機を含めた車両管理も少しずつ教えている。
「ニナ」
「何?」
「俺が留守の間、工具や設備の管理を頼むぞ」
「うん」
「グレゴールたちの作業記録もな」
グレゴールやドランたちは、今日も森で 《始マリノ祠》の工事をやっている。
「わかってる」
「自分で全部やろうとしないでな。職人たちやハンターチームの自主管理に任せているところや近衛騎士団の範囲は、ベルダに任せること」
「うん」
少し離れたところにいたこびゃっこが顔を上げた。
「ニナも頼もしくなったのう」
するとニナが記録帳へ何か書き込んだ。
「撮影見習い、外出」
「それは書かなくてもよいじゃろ!」
◇
荷台後部のブローニング重機関銃は、前回と同様に防水性のある厚手の黒いカバーを被せ、裾を固定ベルトで締めてある。弾薬はもちろん収納したままだ。
荷台には、予備燃料、工具、牽引ロープ、スコップ、ジャッキ、タイヤ修理用品を確認して積む。
飲料水、携帯食、救急用品、着替え、毛布、雨具。さらに、万一のための簡易テントとポータブル電源はスキル収納してある。おかげで荷物の量自体は問題にならないが、すぐ必要になるものは分けて車内へ置いておく。
「これで十分か?」
ガランが訊いた。
「一泊なら十分。念のため、もう一泊出来る程度の準備もしてある」
「それがいい」
「道中に障害物があったら無理に進まない。迂回出来なければ引き返す」
「了解した」
ガランが頷いた。
「こちらはいつも通り警備を続ける。一日、二日帰りが遅れたからといって、すぐに大騒ぎはしない」
「頼む」
「ただし、予定より大幅に遅れるなら、補給基地から連絡を入れてくれ」
「分かった」
湖畔から離れると、当然携帯トランシーバーは届かなくなる。連絡手段は補給基地の軍用伝令馬に頼ることがあるかもしれない。だから、出発前に行程と帰還予定を共有しておく。
◇
そして、今日一番大切な準備。チャイルドシートだ。バギーにも設置してあるが、ピックアップトラックにも専用のシートを設置することにした。
「ユキ」
「うん!」
「後部座席、真ん中な」
「まんなか!まえ、よくみえる!」
ピックアップトラックの後部座席中央へ、ユキ用のチャイルドシートを取り付ける。車両とチャイルドシートの適合する固定方式を確認し、しっかり固定。座面を押して、ぐらつきがないか確かめる。
「ニナ」
「ん?」
「動く?」
ニナが座面を押す。
「ほとんど、動かない」
「よし」
ユキを座らせ、肩のハーネスを調整する。
「苦しくない?」
「だいじょうぶ」
「肩は?」
「よし」
「尻尾は?」
ユキが少し身体を動かした。
「しっぽ、むー、しない」
「じゃあ合格」
「ムフー」
白い尻尾が嬉しそうに揺れた。セレナが助手席側から覗き込む。
「子供のための座席なのですね」
「そうです。大人用のシートベルトだと、身体の小さい子供には合わないので」
「なるほど」
「急に止まった時も身体を守れるようにするんです」
「異界には、こうした道具もあるのですね」
「事故が起きてからじゃ遅いですからね」
セレナが頷いた。
「大切な考え方ですね」
ユキが胸を張る。
「ユキ、あんぜん!」
「そう。安全第一」
◇
そこでユキが、何かに気付いた。
「おっちゃん」
「何?」
「こびゃっこは?」
「ん?」
「しーとべると」
……あ。俺とセレナが同時にこびゃっこを見る。こびゃっこは後部座席の上で、ふわふわ浮いていた。
「びゃっこか?」
「こびゃっこも、あんぜん」
「そうだなあ」
俺は少し考えてから、ルームミラーを見た。
「じゃあ、交通安全祈願として、紐でルームミラーにぶら下げるか」
「……む?」
「ほら、日本の車って昔は交通安全のお守りをぶら下げたりしてただろ。ちょうど白狐だし」
「……」
「白狐神の守護神使による、交通安全御守り」
こびゃっこの耳がぴんと立った。
「ヒカル!」
「何?」
「びゃっこを交通安全のお守りにするでない!」
「でも神使だろ?」
「神使じゃ!」
「交通安全の御利益くらいありそうだが」
「だからといって、首から紐でぶら下げる必要がどこにあるのじゃ!」
「まあカーブで左右に揺れるしな」
「揺らすでない!」
「ブレーキ踏んだらフロントガラスにガンガン当たるな」
「想像させるでない!」
ユキが楽しそうに笑い出した。
「こびゃっこ、ぶらんぶらん!」
「ユキまで言うでない!」
「おまもり!」
「ユキよ! びゃっこは守護神使であって、車内装飾品ではないのじゃ!」
ガランが腹を抱えて笑っていた。
「ハハハ!神使様を車に吊るすのか!」
「すまん冗談だ」
「冗談でも罰当たりなことを考える男じゃ!」
「視界の邪魔にもなるから、実際には絶対やらないけどな」
「なら最初から言うでない!」
◇
「じゃあ、ちゃんと座席を用意するか」
俺は収納から小型のペット用ドライブボックスを出した。
「……何じゃ、それは」
「こびゃっこ専用席。小型犬用だけど、十分な大きさだろ」
「びゃっこは犬ではない!」
「狐だな」
「狐でも神使じゃ!」
「でも身体は小さいし」
「そこは言わんでよい!」
セレナが笑いを堪えている。
「こびゃっこ様、安全のためですから」
「……特使まで」
「神使様専用のお席と思えば、いかがでしょう?」
こびゃっこが少し考えた。
「……神使専用席?」
「はい」
「びゃっこ専用?」
「もちろんです」
こびゃっこの尻尾が揺れた。
「ならば、悪くないかのう……おお!座り心地も良いではないか!」
……チョロいな、この神使様。
「……ヒカル。お主、今失礼な事考えておったろ」
勘の鋭い毛玉を無視して、後部座席の片側へドライブボックスを固定する。
「走行中はここな」
「……む」
「飛ぶのは禁止」
「分かっておる」
「窓から顔を出すのも禁止」
「子供扱いするでない!びゃっこを何だと思っておる!」
「さっきルームミラーに吊るされそうになった神使」
「まだ言うか!」
ユキが満足そうに頷いた。
「こびゃっこ、あんぜん」
「うむ。安全第一じゃ」
「なら、よし!」
◇
車両の準備を終えて食堂へ戻ると、昼食の支度が進んでいた。
今日の昼は、白飯と生姜焼き、野菜の味噌汁。いつもの湖畔の食事だ。食べ終えてから出発するつもりだったが、そこへ小さな足音が近づいてきた。
「おっちゃ!」
「ん?」
ミナだった。赤茶色の狐耳をぴんと立て、両手を広げて走ってくる。
「おう、ミナ」
「だっこ!」
「はいはい」
抱き上げると、小さな尻尾がぱたぱたと動いた。
「どうした?」
「くゆま!」
「車?」
「あい!」
「見てたのか?」
「ミナも!」
……ああ、そういうことか。
「今日はミナはお留守番だぞ」
「ヤッ!」
即答だった。
「おっちゃ、くゆま!」
「俺は行くけど」
「ミナも、いく!」
「今日は遠いところまで行くからなあ」
「いく!」
ミナが俺の服をぎゅっと握る。最近はすっかり元気になったが、こういうところは三歳児らしい。
「ミナ」
「う?」
「今日はお仕事なんだ」
「おしごと?」
「ああ。王国の人とお話をする」
「ミナも、おはなし!」
「それは出来るかもしれないけど」
「できゆ!」
……困った。
◇
そこへユキがやってきた。
「ミナ」
「ユキねーちゃ!」
「おっちゃん、おしごと」
「あい」
「ユキも、いく」
「ミナも!」
「ミナは、おるすばん」
「ヤッ!」
ユキは少し考えてから、俺へ手を伸ばした。
「おっちゃん、ミナ」
「ん?」
「おろして」
「ああ」
俺はしゃがみ、ミナを下ろす。ユキもミナの前へしゃがんだ。
「ミナ、おいで」
「……う?」
「ぎゅー」
「ぎゅー!」
二人が抱き合う。白い尻尾と赤茶色の尻尾が並んで揺れた。
「ミナ」
「う?」
「ユキ、おっちゃんと、いってくる」
「ミナも……」
「かえってくる」
「……?」
「おっちゃんも。こびゃっこも。ユキも」
ミナがユキの顔を見る。
「かえゆ?」
「うん」
「ほんと?」
「ほんと」
ユキが頷いた。
「ミナ、おるすばん、できる?」
「……」
ミナの狐耳が少し倒れた。ユキは急かさず、小さな手を握っている。
「ミナ、テオと、あそぶ」
「テオ?」
「うん。ミーシャも、トトも、ニナも、いる」
「……あい」
「ラウルも、いる」
「ラウゆ!」
「うん」
そこでユキは、少し胸を張った。
「ユキ、おねえちゃん。だから、ちゃんと、かえる」
……おお。ちゃんとお姉ちゃんしてる。ミナはしばらく考え、それから小さく頷いた。
「……ミナ、まつ」
「うん」
「ユキねーちゃ、かえゆ?」
「かえる!」
「おっちゃも?」
「ああ。帰ってくるよ」
「こびゃこも?」
「びゃっこも帰るぞ!」
こびゃっこが横から答えた。
「ミナ、まつ!」
ミナの返事に、ユキが満足そうに頷く。
◇
ところが。
「おっちゃん」
「何?」
「おみやげ」
「……ん?」
「ミナに」
「もう決まったこと?」
「うん」
ミナの狐耳が立った。
「おみやげ?」
「まだ何も買ってないぞ」
「ミナのおみやげ!」
「……何か考えておく」
ユキが胸を張る。
「ミナ、おっちゃん、おみやげ!」
「やった!」
ミナがぴょんぴょん跳ねた。……お姉ちゃん、なかなか交渉上手だな。
近くで見ていたリリアが笑っていた。最近はマリベルと協力して、一緒にミナの子守りもして貰っている。
「ユキ、ありがとうね」
「うん!リリア」
「ミナも、お留守番頑張りましょうね」
「あい!」
その横でテオが手を上げる。
「僕もいつか車動かしてみたい!」
「大きくなったら教えてやるぞ」
「ほんと?やった!」
「ああ」
ラウルも興味深そうに車を見ていた。
「しかし、馬がいないのに走るというのは、未だに信じられんな」
「そのうち慣れるさ」
「私の世界の常識が、また一つ壊れそうだ……」
◇
午後一番。ピックアップトラックを食堂前の草地へ移動すると、見送りのために随分な人数が集まっていた。
「……大げさだな」
俺が呟くと、ガランが笑った。
「白狐神様が初めて王国軍の補給基地へ向かわれるんだ。これくらい普通だ」
「報告書を届けるだけだぞ」
「それだけじゃない。一部ではあるが、いよいよ王国の人々に白狐神の存在を公にする事になるんだ」
……そういうものか。
セレナが助手席へ乗り込む。ユキは後部座席中央のチャイルドシート。こびゃっこは、その横の専用席だ。俺も運転席へ座り、全員の固定を確認する。
「セレナさん、シートベルトお願いします」
「はい」
かちっ。
「ユキ」
「よし!」
「こびゃっこ」
「よしじゃ!」
「走行中は飛ぶなよ」
「分かっておる!」
エンジンを始動する。ブルルル……。
「おっきな、おと!」
ミナがテオの手を握る。
「車の音だよ」
テオも興味津々だった。ユキが窓越しに手を振る。
「ミナー!」
「ユキねーちゃ!」
「いってくる!」
「いってらっしゃ!」
「おみやげ!」
「ミナ、そこ覚えてたのか!」
こびゃっこも前足を上げる。
「皆の者!留守は任せたぞ!」
「こびゃっこ、ちゃんと座ってろ」
「出発の挨拶くらいさせよ!」
俺は笑いながらギアを入れた。
「じゃあ、行ってきます」
◇
湖畔の拠点を離れ、南岸沿いへ進む。以前ガランと走ったことのある経路だ。
広い草地と小砂利の浜が続き、ところどころ森が湖岸近くまで迫っている。街道らしい道はないが、大湖の南岸を東へ進めば、方向を大きく間違えることはない。
「ここから少し揺れますよ」
俺が言うと、セレナが頷いた。
「承知しました」
「後ろは?」
「ユキ、よし!」
「びゃっこもよしじゃ!」
「じゃあ行くぞ」
車をゆっくり加速させる。タイヤが小砂利を踏み、車体が軽く揺れた。
「……おお」
セレナが声を漏らした。
「速いですね」
「まだそれほど出してませんよ」
「これで?」
「道が悪いので、あまり飛ばせませんけど」
セレナは窓の外を見る。
「馬とは全く違いますね。蹄の音もなく、こんな大きな荷車が滑るように進んでいく……」
「エンジンで車輪を回してるんです」
「以前説明していただきましたが、実際に乗ると不思議です」
「最初はみんなそう言います」
「ヒカルさんの世界では、これが普通なのですね」
「まあ、普通ですね」
セレナが少し考えた。
「王都でこれが走ったら……」
「大騒ぎでしょうね」
「間違いありません」
◇
道中は驚くほど順調だった。以前通った時に気になった倒木は、今回は走行経路から外れていた。
浅い沢も、水位が低く、底の状態を確認してから問題なく渡ることが出来た。草地には多少の凹凸があるが、ピックアップトラックなら十分走れる。
ただし、道が空いているからといって速度を上げすぎることはしない。何しろ後部座席には五歳児が乗っている。……いや、五歳児の白狐神か。
「おっちゃん」
「ん?」
「はやく、しない?」
「しない」
「なんで?」
「道が悪いから」
「じゃあ、ゆっくり」
「そう」
「だんどり」
「安全運転だけどな」
こびゃっこが横から言う。
「車の旅も、なかなかよいものじゃのう」
「そうか?」
「うむ。昔の日本でも、車で遠出するのは楽しかったぞ」
「お前、車に乗ったことあるのか?」
「あるわ!」
「ぬいぐるみで?」
「当時は別の姿じゃ!」
「それで?」
「助手席で景色を見ながら、音楽を聴いてのう」
「昭和のドライブか、まあ今も音楽は流すけどな」
「うむ!」
こびゃっこが懐かしそうに目を細めた。
「道路沿いの店。そして……」
「そして?」
「高速道路なら、サービスエリアの食べ物じゃ!」
「結局そこか!」
ユキの耳が立つ。
「さーびす?」
「道の途中にある休憩所だよ」
「ごはん?」
「食べ物を売ってるところもある」
「ユキ、いく」
「残念だが、この世界にはない」
「む」
こびゃっこが笑った。
「いつか湖畔にも作ればよいではないか」
「何を?」
「白狐神サービスエリアじゃ!」
「誰が来るんだよ!」
「王国からの旅人じゃ!」
「まず道路が必要だろ!」
「だんどりじゃ!」
「お前まで言うな!」
セレナが助手席で笑っていた。
「でも、将来王国と湖畔を結ぶ道路が整備されたら、途中の休憩所は必要になりそうですね」
「……」
俺は思わずセレナを見る。
「今、現実的な話にしましたね?」
「はい」
「こびゃっこの冗談が仕事になるんですよ」
「……今の時点では、それは困りますね」
「本当に……」
後部座席でこびゃっこが胸を張った。
「びゃっこの提案は先見の明があるのじゃ!」
「仕事を増やすな」
◇
途中の草地で一度休憩を取った。車を平坦な場所へ止め、周囲の安全を確認してから全員で降りる。
「ユキ、疲れてない?」
「だいじょうぶ」
「飲み物は?」
「のむ」
俺は収納から冷たい麦茶と紙コップを出した。セレナにはお茶。こびゃっこには小さな器。
「……なんでびゃっこの器だけ小さいのじゃ」
「身体に合わせた」
「もっと立派な杯でもよいぞ」
「車の中でこぼすだろ」
「む」
ユキがこびゃっこの前へしゃがむ。
「こびゃっこ」
「何じゃ?」
「むぎちゃ、のむ」
「うむ」
「こぼさない」
「……はい」
五歳児白狐神の指導が入った。
◇
再び東へ進む。湖面は午後の日差しを受け、細かく光っていた。湖岸には水鳥の姿も見える。時折、遠くで魚が跳ねる。
「おっちゃん」
「何?」
「みず、いっぱい」
「いつもの湖だけどな」
「ここ、ちがう」
「ああ。普段見てるのは西側だから」
ユキが窓の外を見つめる。
「おっきい」
「南岸の距離だけでも二百五十キロ以上ある大湖だからな。俺も最初は海かと思った」
俺がこの世界に転移し、ユキと初めて森を抜け湖を見た時、率直にそう思った。だが、潮の香りも無く、鑑定で直ぐ湖だと分かった。
「おっちゃん」
「ん?」
「むこう、うち?」
「方角としては、そうだな」
「とおい?」
「ここからだと結構遠い」
「でも、かえる」
「ああ。明日帰るよ」
ユキが頷いた。
「なら、よし」
◇
午後もかなり進んだ頃、セレナが地図を広げた。
「……ヒカルさん」
「はい?」
「今、どの辺りでしょうか」
「そうですね。前にガランと通った時の目印が、さっき見えたので……」
俺は湖岸の形と周辺の丘を確認。更に車の距離計を確認すると、既に二百五十キロを越えていた。
「もう東岸に近いと思いますよ」
「……え?」
「あと少しじゃないかな」
「……少し?」
セレナが窓の外を見る。
「私たちが馬で移動した時は、ここまででも何日もかかりました」
「そうでしょうね」
「この先に、補給基地があるはずですが……」
「じゃあ今日中に着きそうですね」
「……」
セレナが黙った。
「どうしました?」
「ヒカルさん」
「はい」
「普通、湖畔から東岸補給基地までは、馬でも四日ほどかかります」
「そうらしいですね」
「私たちは、今日の午後に出発しました」
「はい」
「そして、もう東岸ですか?」
「そうなりますね」
「……」
セレナはしばらく考え、それから小さく息を吐いた。
「異界の車というものは……」
「便利ですよ」
「便利という言葉では足りない気がします」
「慣れますよ」
「慣れてはいけない気がします」
……セレナまでそう言うか。
◇
さらに進むと、遠くに木製の見張り台が見えてきた。
「あれかな?」
俺が言うと、セレナが身を乗り出した。
「……あっ!」
「どうしました?」
「東岸補給基地です!」
「やっぱり」
遠くに丸太の防柵と、複数の建物が見える。資材置き場。仮設厩舎。兵舎らしい長屋。工事用の宿舎。
以前セレナたちが立ち寄った頃よりも、さらに建設が進んでいるようだ。
「おお……」
俺は思わず声を漏らした。
「随分出来てるな」
「本当ですね」
セレナも驚いている。
「王国の職人たちも、随分頑張ったようです」
「そうですね」
後部座席からユキが声を上げた。
「おっちゃん!」
「ん?」
「できた!」
「ああ。大きな基地だな」
「みんな、つくった?」
「そうだろうな」
「えらい!」
「そうだな」
……まだ会ってもいないのに、もう評価が決まったらしい。
続く
◇
【第146話・収支報告】
異世界生活102日目/七の月1日/オリエント王国歴952年
開始残高:3,114,180pt
今回の新規購入:なし
・報告書の最終確認・印刷:既存のパソコン、プリンター、用紙を使用
・黒いピックアップトラック:既存車両を使用
・チャイルドシート:既存品を使用
・こびゃっこのドライブボックス:既存品を使用
・燃料、車載工具、予備燃料、救急用品、飲料水、携帯食:既存在庫を使用
今回支出合計:0pt
第146話終了時残高:3,114,180pt − 0pt = 3,114,180pt
円換算目安:311,418,000円相当(1pt=100円)




