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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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146/152

第145話 一方、オリエント王国では③


 オリエント王国歴952年。

 七の月7日。


「ごめんください。ザックルさんを、お訪ねしました」


 修理場の奥で、ドワーフが振り返った。


 灰色の混じった髭。太い腕。革の前掛けには、削った鉄の粉が付いている。私を見た目は、商談へ来た客を迎えるものではなかった。


「何を直す」


「今日は、修理のお願いではありません」


「なら、何だ」


「昔の鉱山のことを、少し伺いたいのです」


 ザックルの眉が動いた。私は王都の鍛冶師組合から預かった紹介状と、商会証を取り出した。


「バーモント商会会頭、バーモントと申します。王都の組合と、こちらのオーリンさんから紹介を受けました」


「あいつが?」


「道も教えていただきました」


 ザックルは紹介状を受け取った。指先で紙を押さえ、ゆっくり読む。


 その間、私は待った。窓の外では水車が回っている。床へ低い振動が伝わり、外で誰かが袋を運ぶ声がした。


「……そこへ座れ」


 ザックルが、壁際の長椅子を顎で示す。


「ありがとうございます」


「まだ終わっとらん。話は、これを納めてからだ」


「もちろんです」


 私は長椅子の端へ腰を下ろした。作業台には、軸を支えるための金具が置かれている。ザックルは内側を削り、別の部品を当てた。抜いて、光へ透かす。もう一度、削る。


 私の方は見ないが、何を聞きに来たのか忘れたわけでもないのだろう。金具を拭きながら、低い声で言った。


「鉱山のどんな話だ」


「そこで働いていた、鍛冶師を探しています」


「名前は」


「ガルム、という方です」


 布を動かしていた手が止まった。


     ◇


「……誰に聞いた」


「東岸の補給基地で会った、ドワーフの職人からです。ザックルさんが、レイシス皇国の鉱山にいた赤毛の鍛冶師の話をしていたと」


「補給基地……」


 ザックルは考え、それから小さく頷いた。


「酒の席で話した覚えはある」


「その方から、こちらの名前を伺いました」


「ガルムを、何のために探す」


 私は、すぐには答えなかった。商売のため。設備の修理を頼むため。そういう説明では、この先の話は聞けない。


「ご家族に縁がありまして」


「家族?」


「今も、帰りを待っている子がいます」


 ザックルの目が、初めて私の顔を正面から捉えた。


「……娘か」


「はい」


 彼は金具を作業台へ置いた。


「どこにいる」


「安全な場所で、保護されています」


「無事なんだな」


「ええ」


 それだけは、迷わず答えられた。ザックルは少し黙り、前掛けを外した。


「待っていろ」


 金具を抱え、隣の建物へ出ていく。水車の音だけになった修理場で、私は膝の上の紹介状を見た。


 聞かせてもらえる。そう思った時、胸の奥が少しだけ熱くなった。


     ◇


 戻ってきたザックルは、木杯を二つ机へ置いた。中身は酒ではなく、水だった。


「仕事の途中なんでな」


「ありがとうございます」


「で、娘の名前は」


 私は杯を置いた。


「まず、ザックルさんの覚えていることを伺っても?」


「……なるほど」


 ザックルの目が細くなる。


「俺が、本当に知っているか確かめたいのか」


「失礼なのは承知しています。ただ、別の方だった場合、ご家族へ間違った話を届けたくありません」


 彼は怒らなかった。太い指で髭を撫で、短く言った。


「ニナだ」


 私は、息を止めた。


「娘の名はニナ。小さな娘を預けてきたと、あいつは言っていた」


「……そうですか」


「合っているか」


「はい」


 私は頷いた。


「探しているご家族の名前と、一致しています」


 ザックルが静かに息を吐いた。


「生きていたか、娘は」


「元気です。道具の使い方を学んでいます」


「道具?」


「鍛冶師や大工に教わりながら。使った道具を戻すことにも、随分厳しいですよ」


 ザックルの口元が、ほんの少し動いた。


「……親父に似たな」


     ◇


「ニ年前だ」


 ザックルは、椅子へ腰を下ろした。


「レイシスのグラードル鉱山。俺は、そこの修理仕事を請けていた」


「グラードル鉱山、ですね」


「ああ。レイシス皇国には似たような地名が多いが、グラードルだ」


 私は記録帳を開き、名前を書いた。曖昧だった地名に、ようやく最後の音が付いた。


「主に、何を採る鉱山でしたか」


「銀と鉛だ。鉄も出た。だが、俺が触っていたのは、採れた鉱石より壊れた鉄具の方が多い」


 ザックルが、作業台の道具を見る。


「つるはし、楔、台車の金具、鎖。巻上げの部品もだ。掘る奴がいる限り、直すものは出る」


「ガルムさんも、同じ仕事を?」


「同じ修理場にいた。鉄具の補修だ」


「直接、一緒に働かれたのですね」


「ああ。顔も知らん奴の話をしているんじゃない」


 声には、職人らしい硬さがあった。


「俺は外から雇われていた。あいつは、借金の代わりに働かされていた」


 私は筆を止めた。


「債務奴隷として?」


「そうだ」


「工房を持っていたと聞いています」


「持っていた。大口の仕事を受けて、材料を揃えた。ところが代金が入らん。借金だけ残った、と」


 聞いていた話と重なる。だが、今度は、その本人と仕事をした者の言葉だった。


     ◇


「腕のいい奴だった」


 ザックルは、そう言った。


「折れた物を繋ぐだけじゃない。なぜ折れたかを見る」


「なぜ、ですか」


「鉄が悪いのか。使い方か。形が合っていないのか。そこを見ずに直せば、また同じ所が壊れる」


 彼は机の上へ指を置いた。


「ここの巻上げもそうだ。軸が傾いたまま、留め具だけ替えろと言われることがある」


「それでは、また傷みますね」


「そういうことだ。ガルムも、そういう仕事を嫌った」


 私は、ニナの姿を思い出した。


 金物の位置を見る。

 角を確かめる。

 使う前に工具を調べる。


 あの子が湖畔で学んでいることを、この男も大切にしていた。


「監督役には、面倒な奴だと思われていたかもしれん」


「直すだけなら、早い方がいいと?」


「ああ。だが、直したあと長く使えるのも、あいつの仕事だった」


 ザックルは水を飲んだ。


「結局、難しいものほど回ってくるようになった」


     ◇


「娘のことを、よく話していましたか」


 私が訊くと、ザックルは少し考えた。


「べらべら話す奴じゃない。ただ、木片に小さな印を刻んでいたことを聞いたことがある」


「印?」


「娘に教えた、道具を置く場所の印だそうだ。名前を全部読めなくても、同じ印の所へ戻せる、と」


 私は筆先を止めた。


「……そうですか」


「何か思い当たるか」


「今も、工具を決まった場所へ戻すことを、大切にしている子です」


 ザックルは、しばらく私を見た。


「親父の教えを、覚えているんだな」


 私は頷いた。ニナ自身へ確かめた話ではない。それでも、父親ガルムの姿が、あの子のすぐ隣へ近づいた気がした。


「その子は、今いくつだ」


「七歳です」


「……そうか」


 ザックルが視線を落とす。


「大きくなったんだな」


     ◇


「ガルムさんは、そのあとも鉱山に?」


 私は尋ねた。ザックルは首を振った。


「いや。俺より先に、あそこを出た」


「解放されたのですか」


「違う」


 短い否定だった。


「別の仕事場へ移された」


「どちらへ」


「神務院の造兵廠だ」


 水車の音が、妙に大きく聞こえた。私は書きかけた文字を止め、顔を上げた。


「神務院、管轄の?」


「ああ」


「それは、本人から聞いたのでしょうか」


「本人からも聞いた。監督役が話しているのも聞いた。腕を見込まれた、と」


 ザックルの声に、嬉しさはなかった。


「鉱山より、いい場所ならよかったんだがな」


「移る時の様子は?」


「自分で荷を持って歩いていた。仕事が出来んほど、弱ってはいなかった」


「その時点では、お元気だった」


「無事だった、とまでは言えん。首輪は付いたままだったからな」


 私はゆっくり頷いた。


「……はい」


「だが、生きていた。俺が最後に見た時は、確かに」


     ◇


「造兵廠の場所は分かりますか」


「そこまでは知らん」


「名前は?」


「神務院の造兵廠としか」


「皇都か、その近郊か。それ以外か」


「聞いていない。連れていく連中も、行き先を細かく言わんかった」


 私は記録帳へ線を引いた。


 二年前、グラードル鉱山で生存。

 鉄具補修を担当。

 神務院管轄の造兵廠へ移送。


 その先は、空白だった。


「何をする仕事だと聞かれましたか」


「腕の立つ鍛冶師が要る。それだけだ」


 ザックルが私を見る。


「何を作っていたかは、俺には分からんぞ」


「分かりました。そこは、今から調べます」


「……商人がか」


 私は記録帳を閉じた。


「商人には、商人の尋ね方があります」


 ザックルは、すぐには答えなかった。それから、低い声で言った。


「知らん相手へ、娘のことを話すなよ」


「はい」


「親父が働いている限り、娘まで使おうとする奴がいる」


 私は背筋を伸ばした。


「承知しました」


     ◇


 鉱山の場所は、ザックルに大まかな道筋も教えてもらった。当時通った町。荷を運ぶ街道。最後に山道へ入る分岐。地図の上で辿れば、王都で候補に挙がっていた場所とも照合出来そうだった。


 ただし、二年の間に道が変わっている可能性はある。


「行くつもりか」


 ザックルが訊いた。


「必要なら」


「鉱山に行っても、ガルムは戻っていないかもしれん」


「ええ。移ったあとの記録や、覚えている人がいないかを探します」


「なら、俺が話したのは、あの頃のことだと忘れるな」


「忘れません」


 私は立ち上がり、頭を下げた。


「ありがとうございました」


「礼は、まだいい」


 ザックルは机の木杯を取った。


「あいつを見つけたら、娘が道具を大事にしていると伝えてやれ」


 私は頷いた。


「必ず、伝えます。会うことが出来たら」


「ああ。それでいい」


     ◇


 そこで私は、収納から包みを取り出した。


「これは、話をしていただいたお礼です」


「金なら要らん」


「酒です」


 ザックルの目が動いた。


「……酒?」


「ウイスキーという、蒸留酒です。かなり強いので、最初は少しずつ」


「どこのだ」


「珍しい仕入れ先から」


 瓶を受け取ったザックルは、琥珀色の中身を光へ透かした。


「仕事が終わってから、試してください」


「オーリンに言われたか」


「ええ」


「余計なことを」


 口ではそう言いながら、瓶は丁寧に棚へ置いた。


「娘にも、伝えられるか」


 ザックルが、こちらへ向き直る。


「親父は、いい鍛冶師だとな」


 胸の奥が、少し詰まった。


「伝えます」


「……ああ」


 修理場を出ると、水車は変わらず回っていた。私は馬の所まで歩いてから、もう一度だけ記録帳を開いた。


 グラードル鉱山。

 神務院の造兵廠。


 探すべき先が、変わった。


     ◇


 翌日、ベルグを発った。帰る前に、金物商とオーリンへ礼を言い、商会向けの見本も渡した。調味料の使い方は添えた紙へ書いてある。詳しい感想は、あとで王都の商会へ送ってもらうことにした。


 馬を急がせ過ぎず、宿場ごとに記録をまとめる。


 ザックルが直接見たこと。

 本人から聞いたこと。

 場所が分からないこと。


 ニナの名が出た時の声まで、忘れないうちに書いた。


 七の月11日。王都へ戻った時には、昼を少し回っていた。


「会頭!」


 商会へ入るなり、番頭が駆け寄ってくる。


「ただいま戻りました」


「見つかったのですか?」


「ええ。お話も聞けました」


「それは、よかった」


 番頭がほっとした顔をした。だが、次の瞬間には別の紙を差し出してくる。


「それで、こちらもお待ちです」


「何でしょう」


「王城からです。お戻りになり次第、知らせるようにと」


 私は封を見た。父上である軍務卿の執務室を通した、正式な呼び出しだった。


「何かあったのでしょうか」


「そこまでは。昨日も、まだかと確認の使いが」


「……そうですか」


 私は荷を下ろした。こちらから報告へ行くつもりだったが、向こうにも話があるらしい。


     ◇


 王城へ入ったのは、その日の午後だった。控え室で変幻魔法を解き、銀色の耳と尾を戻す。旅の埃を払ってから、執務室の扉をくぐった。


 そこにはセイラム王とゼビウス軍務卿。二人の前には、湖と西方街道の地図が広げられていた。


「戻ったか、ロイド」


「ただいま戻りました、陛下」


「探していた職人には会えたのか」


「はい。有益な証言を得ました」


「聞こう。ただ、その前に、こちらから知らせることがある」


 王の声は静かだった。私は椅子へ座る。父上が、封を切った書状を一通、机の上へ置いた。


「七の月6日。東岸補給基地から、早馬が着いた」


「補給所から?」


「ああ。七の月1日、セレナ特使が訪問している」


 私は頷きかけた。特使が中継地点へ報告を持ち込む。それ自体は不思議ではない。だが、父上の言葉はそこで終わらなかった。


「白狐神ユキ様、守護神使こびゃっこ様、守護者ヒカル殿を伴ってな」


「……御三方も?」


「黒い異界の乗り物で、湖岸沿いに来られたそうだ」


 私は思わず、地図へ目を落とした。


     ◇


「以前、魔石を引き渡し、レイクサーペントの討伐証明として牙を引き取った際の報告にもあった、馬のいない四つの車輪を持つ乗り物だ。中へ人が座り、荷を積む場所もある」


 父上が報告書を読む。


「ヒカル殿の、ピックアップトラックでしょうね」


「知っているのか」


「湖畔にある乗り物の一つです」


「報告した警備責任者は、初見だったので最初、魔導車両の一種かと考えたそうだ」


「オルダ殿ですか」


「そうだ。お前が泊まった時、対応した者だな」


「ええ」


 丸太の防柵。新しい木の匂いのする工事宿舎。夕食を食べていた職人たち。あの場所へ、あの四人が来た。


 ……それは驚くだろうな。


「特使の通行書類と署名は照合済み。来訪者の確認も、特使自身が行っている」


 父上が続ける。


「駐屯兵たちは、初めて白狐神様を直接目にしたわけだ」


 セイラム王が、書状へ目を向けた。


「白い髪と耳、尾を持つ幼い御方が、守護者殿のそばにおられた、と」


「はい」


「そして、小さな白狐の神使様は、空中に浮いて話された」


「……そこは、いつもどおりですね」


 父上が、ほんの少しだけ眉を動かした。


「お前の言ういつもどおりは、こちらにとっては一大事だがな」


     ◇


 セイラム王は、書状を指先で押さえた。


「湖の厄災を終わらせた守護者と白狐神が、自分たちの所へ来た。信心深い司令官はじめ兵の中には、何度も顔を確かめた者もいたそうだ」


「信心深い司令官ですか?」


「お前も聞いたことがあるだろう。先代白狐神の里と深い交流があった、北のエルフ族出身のアルテイ司令官だ」


「大湖北東の森を拠点とした盗賊武装集団を壊滅させた部隊長のアルテイ殿ですか?」


「うむ。本人がゼビウスに司令官職を強引に自薦してきたそうだ」

 

 王がそう言うと、父上は目を閉じて少し耳を伏せた。


「本来あそこの司令官は、あまり信心深い者は任命しないつもりだったのだが、兄上が……」


 父上がそう言うと、王が続けた。


「私も当初はそう思った。しかし北のエルフ族は歴史的に白狐神の里と深い繋がりがあり、四百二十年前の里の消失以来、我々王国以上に深い失意の中にあった」


 セイラム王は、大湖周辺の地図へ視線を落とした。


「アルテイは、その歴史をよく知っている。もちろん信仰心だけで任命したわけではない。盗賊討伐での実績も、指揮能力も十分だ」


「ですが兄上、白狐神様を目の前にして冷静でいられるかが心配だったのです」


 父上が言うと、王は笑った。


「実際、ユキ様が車から降りられた瞬間、アルテイは膝をついたそうだ」


「……やはり」


「ところが、白狐神様は『む。さま、いらない』とおっしゃったらしい」


「……え?」


 私は思わず聞き返した。


「『ユキで、いい』とな。そして、短期間で立派な補給基地を築いた兵や職人たちを見渡して、『みんな、えらい』と褒められたそうだ」


 ……ああ。実にユキ様らしい。


「アルテイは、何と?」


「感激して、しばらく言葉が出なかったそうだ」


 父上が額を押さえた。


「……司令官がそれでは困りますな」


「しかも、それだけではない」


 王は楽しそうに続けた。


「こびゃっこ様が、四百二十年前の北のエルフ族との交流を語られたそうだ」


「神使様が?」


「うむ。かつて北の森からエルフたちが薬草や木の実を持って里を訪れ、祭りの日には白狐神の里からも料理を振る舞ったこと。幼いエルフたちが湖畔で遊び、先代しらゆき様がその様子を嬉しそうに見守っておられたことをな」


 千年前を知る神使様なら、確かにその光景を覚えておられるのだろう。


「神使様は、『北の森の者たちは、昔からよき隣人じゃった。びゃっこは忘れておらぬぞ』とおっしゃったらしい」


「……それは」


 父上も黙った。


「アルテイは、先祖から語り継がれてきた話を、当時を知る神使様の口から聞いたのだ。涙を堪えられなかったそうだぞ」


 セイラム王の声が、少し柔らかくなった。


「そしてユキ様は、そんなアルテイへ『こまっても、むれがいる、だから、だいじょうぶ』とおっしゃった」


 私は思わず微笑んだ。あの小さな白狐神様にとって、昔からの友邦も、今そこで働いている兵士も、きっと大切な群れの仲間なのだろう。


「……四百二十年待った者たちには、何よりのお言葉でしょうね」


「うむ」


 王が頷いた。


「もっとも、アルテイは感激しながらも、特使の身分確認、報告書の受領、早馬の手配を滞りなく済ませている」


「それなら司令官としては合格ですな」


 父上が、ようやく息を吐いた。


「ただし、白狐神様のためと称して独断で兵を動かさぬよう、厳命してあります」


「ははは! 相変わらず心配性だな、ゼビウス」


「兄上が楽観的すぎるのです!」


 私は笑いを堪えながら、報告書へ目を戻した。


「それにしても、東岸の兵たちにとっては忘れられない日になったでしょうね」


「ああ」


 セイラム王が頷く。


「白狐神様のお姿を拝見出来ただけでなく、湖の厄災を終わらせた守護者殿にも会えたのだからな」


「東岸には、レイクサーペントで家族や知人を失った者もいますから」


「うむ」


 王が小さく頷く。


「直接、礼を言えた者もいたとある」


 私は、ヒカル殿の困った顔を想像した。自分たちは逃げることも考えた。怖かった。あの人なら、きっとそう答える。


「ただし、訪問は白狐神再誕披露のためではありませんね」


 私が言うと、父上の表情が戻った。


「ああ。正式な報告書の提出だ」


 机へ置かれた、もう一通の書類。セレナ特使の署名。湖畔側からの警戒情報。私は姿勢を正した。


     ◇


「八の月1日」


 父上が言った。


「レイシス皇国神務院が、《湖畔調査隊》を動かす予定だという」


 私は目を上げた。


「日が、分かったのですか」


「ああ。移動式魔導兵器の投入も予定されている」


 以前、私が持ち帰ったのは、内部で使われている言葉だった。


 湖畔調査隊。

 奴隷供給。

 術式試験。


 それが、日付と兵器を持つ計画になった。


「調査という名で、武装した部隊を送り込む」


 セイラム王の声が低くなる。


「事実上の侵攻だ」


「……はい」


「ただし、八の月1日に何処を発つのか、何時に湖畔へ着くのか、そこまでは分からん」


 父上が補う。


「兵数、経路、指揮系統の詳細も未確認だ」


「情報源は?」


「文書では秘匿されている。セレナが、その扱いも含めて署名している」


 私は、その先を尋ねなかった。機密を守るために名前を伏せることを、自分が一番よく知っている。今は、報告にあることから考えるべきだった。


     ◇


「それと、湖畔で三人を保護したそうだ」


 父上が、次の紙を示した。


「レイシスからの逃亡者だ。成人男性一名、犬族の少年一名、狐族の幼女一名」


「幼女まで……」


「ラウル・ブルース。少年はテオ。幼女はミナ。三人とも、隷属首輪を着けたまま逃げてきた」


 セイラム王の尾が、椅子の横で静かに揺れた。


「現在は首輪を外され、治療と保護を受けている」


 私は、ようやく息を吐いた。


「無事なのですね」


「ああ。負傷と衰弱はあったが、回復しているとの報告だ」


「その三人が、新しい証言を?」


「特に、ラウルという男だ」


 父上が私を見る。


「ロックパーム公国軍、第一騎兵団副団長だと名乗っている」


 私は、言葉を失った。


     ◇


「三年前の国境紛争で捕虜となり、奴隷として扱われていた」


 父上が読み進める。


「住民を退かせるため、部下と殿を務めた。その時、移動式魔導兵器の攻撃を受けている」


「兵器を、自分で見ているのですか」


「攻撃も受けた」


 私は、机の端へ手を置いた。兵器は、車輪を持つ大型の荷台。前方に、金属製の放出盤。照射された魔力は、防御術式結界を傷つけ、人や馬の身体を痺れさせる。


 そして、荷台中央には檻。父上の説明が、そこで一度止まった。


「檻の中の奴隷から、魔力を吸い上げるという」


「……それが、奴隷供給の意味」


「全てを、それだけで説明出来るとは限らん。だが、関連は強く疑われる」


 私は頷いた。さらに、兵器を押すのも奴隷だという。武器を壊そうとすれば、押している者も巻き込む。


「動力と、人夫と、盾にするのですか」


「ああ」


 父上の返事は短かった。セイラム王は、黙ったまま書類を見ていた。


     ◇


「三人は、神務院による魔力の検査を受けたあと、研究施設へ移される予定だった」


「子供たちもですか」


「そうだ」


「何を調べたのでしょう」


「魔力量ではなく、魔力濃度の適合という説明がある」


 私は指先を握った。魔力を多く持つ者だけを選ぶのなら、幼児まで集める理由が薄い。だが、術式との相性を生まれ持った性質で選ぶなら。


「年齢を問わず、候補にする」


 私の言葉へ、父上が頷いた。


「その可能性がある。だから、今後調べるなら、成人の移送だけを追うな」


「承知しました」


「ラウル殿たちは移送中の混乱で逃げ、湖畔へ辿り着いた。首輪は白狐神様と神使様が解除されたという」


 私は、二人の子供の名をもう一度見た。


 テオ。

 ミナ。


 私が湖畔を出た時には、いなかった子供たち。今は、あそこにいる。せめてそれだけは、よかったと思った。


     ◇


「ラウル殿は、公国軍へ復帰する意思を示している」


 父上が、地図の北西側を指した。


「ただし、子供二人は湖畔で保護を続ける。本人もそれを望んでいる」


「公国へ連れ帰るより、安全だと判断したのですね」


「ああ」


 セイラム王が口を開いた。


「この件は、人一人を助けたという話だけでは済まなくなる」


「ロックパームとの関係ですか」


「うむ。我が国と公国には、正式な国交がない。だが、湖畔には公国軍の者が保護されている」


 王は地図から手を離した。


「そこで、もう一つ。守護者殿から、湖畔の立場について申し入れがあった」


 私は書類の題へ目を向けた。《白狐の里自治領》。そこに、見慣れない呼び名が記されていた。


     ◇


「どの国にも属さず、住民の合意に基づいて自治を行う」


 セイラム王が言った。


「白狐神ユキ様は、その統合の象徴となる君主。だが、全ての決定を白狐神様一人へ委ねる制度にはしない」


「……象徴」


「主権は、そこに暮らす領民にあるという」


 私は読み直した。王が臣民へ権利を与える。領主が土地と住民を治める。そういう順番とは違う。


 あの人は、子供を助けたからといって、自分の所有にしなかった。今度は、土地を整えたからといって、自分の領地にするつもりもないらしい。


「ヒカル殿らしいですね」


 私が言うと、セイラム王は少し笑った。


「お前なら、そう言うと思った」


「王国へ、何を求めておられますか」


「対等な友邦としての、正式な友好関係だ。細部はこれから協議する」


 父上が続けた。


「住民の賛同は得ている。ただし、規則や代表職の整備まで全て終わったわけではない。条約も、まだ締結されていない」


「分かりました」


 私は頷いた。初めて会った時の湖畔を、頭の中で思い返す。あの小さな拠点は、私がいない間にも、次の形を選び始めていた。


     ◇


「ロックパーム公国とも、対等な関係を望んでいる」


 セイラム王が言う。


「白狐神を敬う国だからこそ、先に立場を伝えたい、と」


「庇護や保護を口実に、抱え込まれないためですね」


「うむ。白狐神様は、他国の所有でも、政治の道具でもない」


 王の言葉は、はっきりしていた。


「それは我が国も同じだ」


「はい」


「湖畔が両国の橋渡しとなる可能性もある。しかし、それを当然の役目として押し付けることはしない」


 私は深く頷いた。父上が地図を畳みかけ、また開いた。


「公国側への接触案もあるが、訪問が実施されたかどうかは、この報告ではまだ確認出来ていない」


「分かりました。実施済みとして扱わないようにします」


 報告を受ける側になってみると、分からないことは、案外多い。それでも、一つずつ埋めていけば、次に必要なものが見えてくる。


     ◇


 私は書類の末尾へ目を通した。近衛とハンターによる混成巡回。異界の乗り物と騎馬、それぞれに合った経路の確認。仮設厩舎二十三頭分の完成と、運用開始。《始マリノ祠》の工事進捗。


「厩舎は、もう完成したのですか」


「六の月27日との報告だ」


「……早いですね」


「お前もそう思うか」


「湖畔なら、と言いそうになった自分が怖いです」


 父上が小さく息を吐いた。


「警備も、増員だけでなく既存の者同士の連携を進めている。補給基地へは、普段の巡回と輸送警備の範囲で注意を強めるよう指示した」


「湖畔へ、急に大部隊を送らない方針は継続ですね」


「ああ。敵の調査対象になっている以上、こちらが何を知ったかまで知らせる必要はない」


 セイラム王が頷いた。


「軍は守る準備をする。お前たち情報担当は、相手の動きを掴め」


 私は椅子の上で背を伸ばした。


「承知しました」


     ◇


「では、こちらの報告を」


 私は記録帳を取り出した。


「ザックルは、ベルグ北外れの修理場にいました。七の月7日、直接面会しています」


 二人の視線が集まる。


「二年前、レイシス皇国のグラードル鉱山で、ガルムという赤毛のドワーフ鍛冶師と、鉄具の補修をしていました」


「直接、一緒に働いた証人か」


「はい。娘の名がニナであることも、こちらから教える前に答えています」


 父上の目が、少しだけ動いた。


「本人である可能性は、高まったな」


「ええ。ただし、現在の生存までは確認出来ていません」


「最後の消息は?」


「腕を見込まれ、神務院管轄の造兵廠へ移されています」


 執務室が静かになった。父上が、私の書いた文字を見た。


「……神務院か」


「はい。造兵廠の所在地と、正式名称は不明です」


     ◇


 私は、ザックルから聞いたことを順番に説明した。


 工房の借金。鉱山の修理場。移される直前も、自分で歩いていたこと。首輪は外されていなかったこと。それから、娘へ教えた道具の置き場所の印。セイラム王は、最後まで黙って聞いた。


「その話は、湖畔へ届けねばならぬな」


「はい。ただ、私が直接戻ると、時間が掛かります」


「伝令を出そう」


 父上が言った。


「東岸補給基地へ送り、そこから湖畔へ届ける。今後の連絡経路としても確認が必要だ」


「お願いします」


「内容は、お前がまとめろ。確かめた範囲を明記する」


 私は頷いた。


「ヒカル殿とガラン大使、セレナ特使へ。ニナへどう伝えるかは、現地で判断してもらいたいと思います」


「二年前の生存と、現在の無事は別だからな」


「ええ。ですが、父親を直接知る職人が見つかったことは、伝えられます」


 セイラム王が、静かに頷いた。


「その父親が、よい鍛冶師だったということもな」


「……はい」


     ◇


 私は一度、息を整えた。


「陛下。お願いがあります」


 セイラム王がこちらを見る。


「何だ」


「レイシス皇国へ、入ります」


 父上の眉が寄った。だが、すぐに反対の声は出なかった。


「目的を言え」


「神務院の調査隊について、編成、経路、出発の動きを調べます。併せて、造兵廠とガルムの消息を追います」


 私は地図の西側を示した。


「王都で帳簿を探すだけでは、ここから先は届きません」


「シオンの件は」


「現地の情報網と接触して、所在と移送の有無を確認します。独断で連れ出すことはしません」


 父上が私を見据えた。


「三つとも、お前一人で抱えるつもりか」


「いいえ。私が全ての場所を見に行くのではありません。既存の情報担当へ、今回分かったことを渡します。調べる場所を絞り、こちらへ返す情報を揃えます」


 私は続けた。


「そのために、今は私が行く方が早いと判断します」


     ◇


「何日で入れる」


 父上が訊いた。


「急げば、十日ほどで現地の情報網へ接触出来る見込みです」


「十日……」


「通常の商隊に合わせるより、かなり急ぎます。途中の乗り継ぎと、連絡先の準備をお願いしたい」


「12日に出れば、22日前後か」


「順調なら。ただし、天候と道の状態で変わります」


 八の月1日まで、余裕があるとは言えなかった。


 だが、今から行けば、動き出す前に得られるものがあるかもしれない。


「調査隊が、まだ集結しているなら」


 私は言った。


「部隊そのものが分からなくても、食糧、車輪、護衛、移送の準備に動きが出ます」


「商人として調べる、か」


「ええ。ただし、今回商会へ入った異界の商品は使いません。目立ちますから」


 父上が頷く。


「お前自身の商会とのつながりも、必要以上に表へ出すな」


「承知しています」


     ◇


 セイラム王は、少しの間考えていた。それから、顔を上げる。


「許可する」


 私は頭を下げた。


「ありがとうございます」


「ただし、情報を持ち帰ることを優先せよ」


「はい」


「敵の作戦を一人で止めようとするな。軍の動きは軍へ渡せ。救出に人手が要るなら、それも知らせろ」


「承知しました」


 父上が、机の上の書類を揃えた。


「連絡を一度で済ませようとするな。途中で掴んだことから送れ。所在を長く途切れさせるな」


「分かっています」


「それから」


 私は顔を上げた。軍務卿の目が、ほんの少しだけ父親のものになる。


「帰ってこい」


 私は、一度だけ深く頷いた。


「はい」


     ◇


 王城を出る前に、私は湖畔宛ての書状を書いた。


 ザックルの現在地。

 面会した日。

 二年前のグラードル鉱山。

 ガルムの仕事と、造兵廠への移送。

 現在の生死、所在は未確認。


 その下へ、少し迷ってから一行を添えた。


 《ザックル殿は、ニナが無事に道具を学んでいることを喜んでおられました》。


 これなら、私が直接聞いたことだ。封を閉じ、父上の担当官へ預ける。


「確かにお預かりしました。東岸補給基地を経由し、湖畔の特使へお届けします」


「お願いします」


「明朝、出発予定です」


 同じ日に、違う方向へ進む。私はレイシス皇国へ。書状は東岸を経由し、白狐の里自治領へ。


 自分が戻らなくても、届ける方法はある。それを当たり前に使えるようになったことが、少し心強かった。


     ◇


 商会へ戻ると、番頭は私の顔を見ただけでため息をついた。


「また、ですね」


「……まだ何も」


「お戻りになった時より、出かける顔をしています」


「そんな顔があるんですか」


「あります。何度も見ていますから」


 私は、観念した。


「少し長く、留守にします」


「行き先は」


「西です」


 いつもなら、レイシス皇国のククレ商店と言うところだが、今回はあえて詳細は伏せる。番頭は、それ以上尋ねなかった。机の上から帳簿を持ち上げ、別の紙を下へ入れる。


「留守中の決裁は、前と同じ範囲でよろしいですね」


「ええ。大きな契約は急がず、返事を待ってください」


「試験販売の追加注文は、まだ取らない」


「はい」


「王宮から調理について尋ねられたら、料理人同士で確認してもらいます」


「助かります」


 番頭は筆を置いた。


「会頭。商会の仕事は、こちらで進めます」


「……はい」


「ですから、どこへ行くにしても、帰ってきてください」


 今日、二度目の同じ言葉だった。私は笑おうとして、少しだけ口元が遅れた。


「分かりました」


     ◇


 夜、私室で荷を整えた。必要な書類。着替え。旅の食糧。ベルグへ持っていった酒は、もうない。今度の旅に、珍しい土産は必要なかった。


 机の上には、出発前に目を通す書類だけを残す。


 八の月1日。

 湖畔調査隊。

 魔力供給に使われる者たち。


 シオン。そして、ガルム。どこか一つへ駆け込めば、全部が分かるわけではない。


 だから、先に繋ぐ。誰が何を知っているか。どの知らせを、誰へ返すか。私は書類を畳んだ。


「……行くか」


 私は灯りを落とした。


     ◇


 七の月12日の朝。まだ店の戸が開く前に、裏手で馬へ乗った。番頭が、食糧の包みを差し出す。


「朝の分です」


「ありがとうございます」


「パンです」


「……硬い?」


「今日は、少し柔らかいものを選びました」


 私は笑った。


「贅沢ですね」


「会頭が湖畔へ行ってから、うちも少しずつ変わっていますから」


 私は包みを受け取り、収納へ収めた。


「じゃあ、留守を頼んだよ。キーマ」


「承知しました」


 番頭のキーマが、深く頭を下げる。

私は馬を進めた。表通りへ出ると、空は白み始めていた。荷車が動き、店の煙突から細い煙が上がる。


 王都の朝だ。このあたりまえの朝を、湖畔でも続けられるように、私は西へ向かう。同じ頃、王城からも、東岸補給所へ向かう伝令の馬が出るはずだった。


 あの書状が届いた時、ヒカル殿は何と言うだろう。ニナへ伝えるかどうか、きっと慎重に考える。そして、次に調べることを整理する。


 ……私も同じ。これは段取りだ。


 西門が近づく。門番へ書類を示し、開いた門の向こうへ馬を進めた。十日ほどで、レイシス皇国の情報網へ。そこから先は、現地で確かめる。


 誰かを待たせている者を、見つけるために。誰かの暮らしを壊す企てを、知らせるために。私は手綱を握り直した。王直属密偵《バード》の仕事は、ここからだった。


続く

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