第140話 白狐神と湖畔の初スイカ
異世界生活99日目。
六の月28日の朝。
目を開けた瞬間、昨夜聞いた言葉が頭へ戻ってきた。
八の月一日。湖畔調査隊。移動式魔導兵器。そして、シオン。
「……夢じゃなかったな」
「……?ゆめだったよ」
右腕に抱きついていたユキが目を覚まし、目を擦りながら答えた。
「いや、そういう意味じゃなくてな」
「シオン、いた」
「ああ」
「しゃべった」
「ああ」
「はちのつき、ついたち」
「そこまで覚えてるか」
ユキが目を開け、俺の腕へ頬を押しつけたまま頷く。
「くる」
「うん」
「へいきも」
「来るらしい」
「シオンも」
少し間が空いた。
「……来る」
湖畔調査隊の目的は、まだ全て分からない。
分かっているのは、神務院が八の月一日に何らかの作戦を行うこと、移動式魔導兵器を投入すること、そしてシオン自身も銀環を使った観測対象として同行させられるということだ。
それでも昨夜聞けた情報だけで、救出方法まで決められるわけじゃない。
「おっちゃん」
「ん?」
「だんどり?」
「ああ。まずガランたちに話す」
「ばたばた、しない?」
「しない」
「なら、よし」
「びゃっこもそれでよいと思うぞ」
枕の間の籐籠から声がした。
「起きてたのか」
「八の月一日と聞いて、のんびり二度寝出来るほど神経は太くないわ」
「昨日寝る前はスイカの話してたけどな」
「スイカは別腹じゃ」
「シリアスな話とケーキの様に分けるな」
ユキがむくりと起き上がる。
「きょう、すいか」
「ああ」
「シオンも、だいじ」
「うん」
「すいかも、だいじ」
「今日は休みだからな」
「ふたつ、する?」
「まず話して、それからスイカ」
「だんどり」
「そう」
俺より切り替えが早い。
◇
朝食前。工事事務所へ集まったのは、俺、ユキ、こびゃっこ、ガラン、セレナ、レオンの六人だった。
他の者にはまだ声を掛けていない。
大勢を突然集めれば、それだけで何かあったと分かるし、休日の朝から湖畔全体を緊張させる必要もない。
「昨夜、またシオンと繋がった」
俺が切り出す。ガランの顔から眠気が消えた。
「声が聞こえたのか?」
「ああ。今回は前よりはっきり会話出来た」
セレナが姿勢を正す。
「シオン本人からですか?」
「間違いないと思う。今回もこっちから姿は見えなかった。でも向こうからは俺とユキ、それにこびゃっこが見えていた」
「びゃっこは夢の中では白狐姿じゃった」
こびゃっこが机の上へ座り直す。
「昔、シオンの夢へ現れておった頃に近い姿じゃ。あの子もすぐにびゃっこと分かった」
「それで、何を?」
レオンの声も低くなった。
「八の月一日」
三人とも黙った。
「シオンは、神務院側の作戦日が八の月一日だと言った」
「作戦日……」
ガランが繰り返す。
「《湖畔調査隊》が来る。それに移動式魔導兵器も一緒らしい」
セレナの表情が硬くなる。
「以前ロイド殿が確認した《術式試験》と関係する可能性がありますね」
「俺もそう思う。ただ兵器の型までは分からない。シオンの話とラウルから聞いた内容を合わせれば、三年前にロックパーム国境で使われた物と同じ系統だと思う」
「四百年以上前の最後の兵器そのものではない」
こびゃっこが補足する。
「じゃが、同じ流れの技術である可能性は高いじゃろうな」
◇
「兵力は?」
ガラン。
「不明」
「何人で来る?」
「分からない」
「出発地点は?」
「それも分からない」
「兵器は何台だ?」
「そこまでは聞けなかった」
ガランは眉間へ指を当てた。
「だが、日付が出たのは大きい」
「ああ」
少し前までは、神務院が湖畔を調べているという段階だったが、今は違う。八の月一日という具体的な日付がある。
「シオンは?」
セレナが訊く。
「同行させられる」
「兵器の供給要員として?」
「違う。本人も否定した。首の銀環を使って、湖畔やユキとの共鳴を見るための観測対象らしい」
セレナの目が細くなる。
「人ではなく、観測装置の一部として扱っているのですね」
「そういうことだと思う」
「銀環は?」
「会話の最後に熱くなったと言ってた」
「前回より長く繋がったからじゃろう」
こびゃっこが自分の首元を前足で示した。
「夢そのものなのか、ユキの神性なのか、びゃっことのつながりなのか。銀環は何らかの反応を拾っておる」
◇
「警備は?」
レオンが訊く。
「表向きは今まで通りだ」
ガランの返事は速かった。
「増員なし?」
「急に西側だけ人数を倍にしたら、自分たちから『何か知りました』と教えるようなものだ」
「密偵がまた見ている可能性もあるか」
「ああ。一度結界の外まで来ている。いないとも限らん」
ガランは机に置いてあった湖畔周辺図を引き寄せる。
「人数は変えず、巡回経路と確認する場所を少しずつ変える。西側森林、湖岸、南側道路。この三つを今までより意識して見る」
「近衛側も合わせよう」
レオンが頷いた。
「通常の地形確認や巡回訓練の範囲なら不自然ではない」
「《蒼岩の盾》には?」
「今すぐ全てを話す必要はない。必要になった部分だけ共有する」
俺も頷く。八の月一日までには時間がある。だからこそ、今日から全員へ緊張を強いる必要はない。
◇
「問題は王都への報告だな」
俺が言うと、セレナが少し考えてから口を開いた。
「湖畔から直接王都へ使者を出すより、東岸の補給基地を使うべきだと思います」
「あそこか」
以前、俺とガランが王国から届いた魔石を受け取るため、黒いピックアップトラックで湖の東側まで走ったことがある。
ここから湖岸を東へずっと走ると、途中は草地や小砂利の浜。浅い沢や倒木もあり、まともな街道ではなかったが、ピックアップなら走れたし、朝出発して東岸の中継地点へ着き、その日のうちに湖畔へ戻った実績もある。
今回は、その東岸に建設が進んでいる王国軍の東岸補給基地まで行くことになる
「俺たちがここに来る途中に一泊した時は、まだ警備責任者が現場を預かってたよな」
レオンが言った。
「はい。ただ、あれから日数も経っています」
セレナが頷く。
「王都から正式な司令官が派遣される予定でしたので、今頃なら着任している可能性が高いでしょう」
「司令官なら王都へ早馬を出せる?」
「軍の正式な通信経路があります。湖畔から人を王都まで走らせるより、補給基地から軍用の早馬へ引き継いでもらった方が速く、途中の扱いも確実です」
「なるほど」
それなら使わない理由はない。
◇
「今日行きますか?」
セレナが訊いた。
「いや」
そこは迷わなかった。
「今日と明日は予定通り休む」
レオンが少し意外そうに俺を見る。
「八の月一日の話だぞ?」
「だからこそだ。今日飛び出したところで一か月以上先の日付は変わらない。それより、内容を整理しないまま司令官のところへ押しかける方が駄目だ」
「報告書を先に作る?」
「ああ。休み明けに俺とセレナでまとめる」
セレナも頷く。
「補給基地司令官へ見せる報告書と、王都へ送ってもらう文書は分けましょう」
「情報源は?」
「出さない」
俺が即答すると、ガランも頷いた。
「それでいい」
「シオンの名前も?」
「補給基地には出す必要がありません」
セレナが答える。
「司令官へ伝えるのは、信頼出来る情報として《八の月一日にレイシス神務院系の湖畔調査作戦が予定されている》《移動式魔導兵器を伴う可能性が高い》という事実です」
「情報源を訊かれたら?」
「外交上、秘匿すべき情報源であると私から説明します」
「それで通る?」
「私は正式特使です」
セレナが小さく胸を張った。
「そこは仕事をさせてください」
「頼む」
◇
「では俺も行こう」
レオンが当然のように言った。
「何しに?」
「護衛だ」
「誰の?」
「ヒカル殿と特使殿の」
ガランが鼻で笑った。
「いらん」
「なぜだ?」
「ヒカルがいる」
「護衛対象本人だぞ」
「ヒカルの剣技の腕前を忘れたか?」
「……」
レオンが黙る。俺も何とも言えない。
「それに近衛副団長が同行すれば、それだけで目立つ」
ガランが続ける。
「ヒカルとセレナが補給基地へ向かうだけなら、連絡や視察で済む。近衛副団長付きとなれば話が違う」
「俺一人くらいなら同じだろう」
「違う。お前は役職が大きすぎる」
「……役職が邪魔になる時もあるのだな」
「今頃気付いたのか」
レオンは少し不満そうに俺を見る。
「ヒカル殿」
「何?」
「何かあったら戦わず戻れ」
「お前に言われると妙だな」
「護衛対象には無理をさせない」
「今回は護衛じゃないだろ」
◇
「ユキも、いく」
隣から声がした。
「え?」
「ユキも、くるま」
「いや、ユキは……」
「いく」
「ちょっと待て」
「シオンのこと、はなす?」
「話すけど」
「ユキも、きいた」
「それはそうだけどな」
俺は渋った。オリエント王国側の補給基地だから、敵地へ行くわけじゃない。
ただ、俺とガランが走った時でも、道中には倒木があり、森も沢も通った。ピックアップだから早いだけで、舗装道路を走って隣町へ行くのとは違う。しかも今回の目的は遊びでも荷物受け取りでもない。
セレナが俺を見て、少し迷ってから口を開いた。
「私は、ユキが同行することには意味があると思います」
「セレナまで?」
「もちろん、安全が確認出来ることが前提です。ただ今回は情報源を伏せた状態で、かなり具体的な警告を司令官へ渡すことになります」
「八の月一日」
「はい。私が正式特使として保証しても無視はされませんが、白狐神本人と守護者であるヒカルさんが直接来たとなれば、司令官が受け取る重みはさらに変わります」
「ユキを証拠代わりにするのは嫌だな」
「証拠ではありません」
セレナは首を横へ振る。
「白狐神の里側が、単なる噂ではなく正式な警告として持ち込んだのだと示すためです」
「ユキは、ユキ」
当人が言った。
「はい」
セレナが笑う。
「だからこそです」
「ユキ、いく」
ユキが俺を見る。
「おっちゃんと」
「……安全確認してからな」
「いく?」
「まだ決定じゃない。車と経路を確認して、天気と周辺状況を見て――」
「だんどり」
「そう」
「なら、きまり」
「最後まで聞け」
ガランが笑った。
◇
「こびゃっこも行くのか?」
俺が訊くと、こびゃっこは当然のように胸を張った。
「白狐神が行くのに、守護神使が残ってどうする」
「今回は撮影見習いか?」
「神使じゃ!」
「使い分けが早いな」
「もちろん道中の撮影を――」
「あ。いらないです」
「東岸紀行の記録じゃぞ!」
「報告任務だから」
「では『白狐神、東へ』」
「タイトルを考えるな」
◇
東岸補給基地へ着いてからの順番も決めた。まず司令官へ面会する。セレナが正式特使として身分を示し、俺たちは白狐神の里側から重要な報告を持ってきたことを伝える。
そこで、八の月一日。神務院系の湖畔調査作戦と、移動式魔導兵器投入の可能性を口頭と文書で報告する。
情報源は明かさず、シオンの名前も出さない。共有夢も銀環の話も伏せて置く。そのうえで王都宛ての封書を司令官へ預け、軍の早馬で届けてもらう。
「宛先は?」
「陛下と軍務卿へ正式に送ります」
セレナが言った。
「その方が立場上自然です。必要なところへは王都側で回るでしょう」
「補給基地の司令官にも王都から指示が来る?」
「当然来ると思います」
「なら、東岸側も準備に入れるな」
「はい」
◇
「よし」
俺は息を吐いた。
「今日決めるのはここまで」
「もう終わりか?」
レオン。
「今日は休みだぞ」
「この状況でか?」
「この状況だからだ」
「……なるほど」
「報告書を書くのは休み明け。東岸へ出るのもその後。今日と明日は予定通り休む」
ガランも頷いた。
「それでいいだろう」
「びゃっこも賛成じゃ」
セレナが小さく笑う。
「では私も今日は特使から、スイカを食べる者へ戻ります」
「実は昨日からその気だっただろ」
「はい」
否定しなかった。
「すいか!」
ユキが手を上げる。
「朝飯食ってからな」
「む」
◇
朝食を終える頃には、湖畔はすっかり休日の空気になっていた。
工事は休みで、鍛冶場も休み。厩舎は馬の世話があるため、ハロルドたちが交代で担当。診療所も急患対応以外は休み。畑も水やりと見回り程度。
なのに食堂タープテント前には、ほとんど全員が集まっていた。
「休日だぞ?」
「知ってるにゃ」
ミネット。
「だからスイカを見るにゃ」
「昨日あれだけ不気味って言ってたのに?」
「不気味だからこそ、正体を確かめる必要があるにゃ」
「害獣調査みたいな言い方するな」
ミネットは真顔だった。
「葉っぱの下に、緑と黒の丸い物がごろごろしてるにゃ。猫族として警戒するのは当然にゃ」
「猫族を巻き込むな」
「ミレイも不気味って言ってたにゃ」
少し後ろでミレイが頷いた。
「でも、私はミネットほどではありません」
「裏切ったにゃ!」
◇
「全員で畑に入るなよ」
俺は改めて念を押す。
「昨日言った通り、畑の列へ入るのは収穫組だけ。見学は外側。警備は警備」
「はい!」
何故かベルタが一番良い返事をした。
「ユキは?」
「かんとく!」
「畑監督頼むぞ、見学者を畑の中に入れないように声を掛けてくれ」
「うん!」
「こびゃっこはと……」
「畑守り隊隊長兼撮影担当じゃ!」
「撮影頼む。なるべくみんなを撮ってやってくれ」
「ニナの準備は……」
「秤。メジャー。記録板」
「刃物は?」
「大人が使う」
「よし」
「トト」
「記録帳持った」
「ミーシャ」
「赤ワゴン引いてくね」
「テオ」
「ミナといっしょに見る」
最後にミナを見る。
「ミナ」
「う?」
「今日は何する?」
赤茶色の狐耳がぴんと立つ。
「ミナも、しゅいか!」
「うーん。ミナは畑で何したい?」
「しゅいか、やゆ!」
「うん。何をやるのか分かってないな」
「あい!」
「元気な返事だけは完璧」
◇
食堂前から草地を進み、祠の脇を抜けていく。今日は大人数なのでみんな徒歩で移動する。小川の鋼橋を渡り、砕石道路を進む。
畑へ近づくにつれて、単管パイプに緑色のネットで張られた柵越しに、葉と蔓の間から大きな緑色の実が見えてきた。
「……やっぱり不気味にゃ」
最初に言ったのはミネットだった。
「まだ言う?」
「前より大きくなって、更に怖いにゃ」
「そりゃ成長するからな」
「大きいにゃ。丸いにゃ。緑に黒い縞にゃ。それが地面から生えてるにゃ」
「それがスイカだ」
ミネットが慎重に一個へ近づき、腰を少し落とした。
「……動かないにゃ?」
「動いたら俺も怖いよ」
「叩いたら鳴く?」
「鳴かない」
「割ったら?」
「赤い」
「やっぱり怖いにゃ!」
「何でだよ!」
後ろでミレイが吹き出した。
「ミネット、昨日より警戒してません?」
「実物を間近で見たからにゃ!」
「屋根の上では平気なのに」
「屋根は動かないにゃ!」
「スイカも動かないから」
◇
アルノとトトが先に畑へ入り、昨日まで記録していた収穫候補を一つずつ確認する。
「全部採るわけじゃないんですね」
オルフェンが訊く。
「まだ早い実もあるしな」
俺は一つのスイカの横へしゃがんだ。果実に近い巻きひげと蔓。地面に接していた部分の色と大きさを見る。最後に軽く叩く。ぽん、ぽん。後ろでミネットの猫耳がぴくっと動いた。
「今、音したにゃ」
「叩いたからな」
「中、空洞?」
「違う。実が詰まってる音だ」
「魔物の卵みたいにゃ」
トトが記録帳を見る。
「昨日より低い音」
「よく聞いてるな」
「これ、採る?」
「ああ」
ユキの耳が立った。
「すいか!」
◇
蔓を切るのは俺がやる。
「ここ?」
ニナが少し離れた位置から見る。
「そう。実のすぐ横じゃなく、少し残して切る」
「何で?」
「実を傷つけないため」
「うん」
園芸ばさみを入れる。ぱちん。
「取れた」
ユキが両手を上げる。
「すいか、しゅうかく!」
「一個目!」
ミーシャも嬉しそうに声を上げる。ミネットだけが少し離れた位置からじっと見ていた。
「何?」
「蔓を切ったのに、何も起きないにゃ」
「何が起きると思ってたの?」
「ぷしゅーって何か出るとか」
「魔物じゃないんだから」
「中が真っ赤な時点でまだ疑ってるにゃ」
「食べ物だよ!」
◇
「ミナ、さわる?」
テオが訊く。
「あい!」
ミナがワゴンの横へしゃがみ、大きなスイカへ両手を置く。
「かたい」
「外はな」
「つめたい?」
「少しだけ」
「なか、あか?」
ユキがすぐ横へ来る。
「あかいよ」
「たね、あゆの?」
「うん。くろいたね」
「おいし?」
「うんみゃあ」
ミナの尻尾がぱたぱた動く。
「ミナも、たべゆ!」
「あとでな」
「あい!」
そこへミネットが顔を寄せる。
「ミナ、怖くないにゃ?」
「う?」
「これ」
ミネットがスイカを指す。ミナも見る。
「しゅいか」
「怖くない?」
ミナは少し考え、首を傾げた。
「おいし?」
「まだ食べてないにゃ」
「ユキねーちゃ、おいし、ゆった」
「なるほどにゃ……白狐神のお墨付きがあるから警戒しないのかにゃ」
「三歳児に説得されてるぞ」
「違うにゃ。情報源の信頼性を評価してるにゃ」
「急に難しい言い方になった」
◇
今日収穫したのは十二個。一番軽い物でも六キロを超え、一番大きい物は十キロ近かった。
最初の一個は八・七キロ。周囲は約七十二センチ。
トトが成長記録へ数字を書き込み、ニナも重量と寸法を別の記録板へ残していく。
こびゃっこは畑守り隊長兼撮影見習いとして、三脚カメラと首の小型カメラを使い分けている。もちろん三脚の設置と水平調整はニナが手伝った。
◇
収穫したスイカは、まず赤いワゴンに三つほど積んでみんなで交代に引っ張る。残りは俺の収納に入れた。早速食堂へ運び、何個かをタライに張った水で冷やす。
昼前。大きめの二個をまな板の前へ出すと、朝から「不気味」と言い続けていたミネットが、何故か最前列にいた。
「近くない?」
「内部確認にゃ」
「さっき怖がってたよな」
「だからこそ確認するにゃ」
「ずっとその理屈で押す気だな」
ミレイも隣にいる。
「私も見たいであります!」
「この間のお菓子作りの時みたいに、気合いが入ってきたな」
「ミネットほど怖がってませんから」
「また裏切ったにゃ」
◇
「切るぞ」
包丁を入れる。ざくっ!皮を割り、そのまま半分へ。ぱかっと割れると鮮やかな赤い果肉に黒い種が現れる。
「赤い!」
テオが声を上げる。
「ほんとに赤いんですね……」
セレナ。
「黒い種もありますね」
冷静に見るベルタ。そしてミネットはというと……。
「…………」
「どうした?」
猫耳が真横へ倒れている。
「やっぱり怖いにゃ」
「まだ?」
「外が緑と黒で、中が赤と黒にゃ。色の組み合わせが完全に警告色にゃ!」
「毒みたいに言うな!」
「しかも汁が出てるにゃ!」
「果汁だ!」
「血じゃない?」
「果汁!」
ミナが横から断面を覗く。
「あか!」
「赤いな」
「しゅいか!」
「ああ」
「たべゆ!」
「今切るからな」
ミナは怖がるどころか、もう両手を伸ばしかけている。ミネットがその姿を見る。
「ミナの方が勇敢にゃ……」
「三歳児に負けたな」
「まだ負けてないにゃ!」
「何の勝負だよ」
◇
食べやすい三角形に切る。子供組は少し小さめ。ミナはさらに小さく。
「種は出せばいいからな」
「とばすのじゃ!」
こびゃっこが即座に言う。
「飛ばさない」
「西瓜の種飛ばしは日本の夏の伝統競技――」
「競技にするな」
こびゃっこを見ていた、ユキが俺を見る。
「おっちゃん」
「駄目」
「む。まだ、いってない」
「顔で言った」
ミナもユキを見てから俺を見る。
「ミナも?」
「飛ばさない」
「ヤッ!」
「そこは拒否するところじゃないから」
◇
「じゃあ、いただきます」
「いただきます!」
「たーきましゅ!」
皆一斉に食べる。俺も一口。しゃく。うん、冷たい、甘い、水分も多い。
「……うまい」
「おっちゃん!」
ユキを見る。もう口の周りが赤い。
「どう?」
「うんみゃあ!」
「知ってた」
「まえより!」
「どんな風に?」
ユキは少し考える。
「ユキたちの、すいか!」
味の説明にはなっていない。でも、たぶん一番大きな違いはそこだ。
「もっと、えらい!」
「昇格したか」
「すいか、もっとえらい!」
◇
そして、さっきまで散々怖がっていたミネットを見る。三角形のスイカを両手で持っていた。まず匂いを嗅ぐ。
「……甘い匂いはするにゃ」
「するだろ」
「でも赤いにゃ」
「もう分かったよ」
「黒い種もあるにゃ」
「それも見た」
「ミネット、食べないなら私が」
ミレイが手を伸ばした。
「食べるにゃ!」
そこは速い。恐る恐る端を一口。しゃく。
「…………」
止まった。
「どう?」
ミネットの猫耳が、ぴん、と前へ向いた。
「……甘いにゃ」
「そりゃよかった」
もう一口。しゃく。
「冷たいにゃ」
「冷やしたからな」
もう一口。
「汁いっぱいにゃ」
「うん」
さらに一口。さっきまでの警戒はどこへ行った。
「ミネット?」
「忙しいにゃ」
「何が?」
「食べるのにゃ」
「お前、五分前まで『警告色』って言ってただろ」
「過去の情報に固執するのは職人としてよくないにゃ」
「掌返しを職人気質で正当化するな!」
ミレイが笑う。
「さっき『血じゃない?』って言ってましたよ」
「知らない猫族にゃ」
「あなたでしょ」
「この赤は美味しい赤にゃ!」
「分類が変わった!」
◇
ミネットはあっという間に一切れを食べ終え、皿を見る。
「……」
「何?」
「もう一個あるにゃ?」
「あるけど」
「小さいのでいいにゃ」
「さっき怖かったんじゃ?」
「安全確認が完了したにゃ」
「胃袋で?」
「最も確実な確認方法にゃ」
「職人の安全確認を食欲に使うな」
ユキが隣で胸を張る。
「すいか、えらい」
「ユキの言う通りだったにゃ!」
「昨日の時点で信じろよ!」
「実食確認は必要にゃ!」
ミネットへ二切れ目を渡す。
「ありがとにゃ!」
受け取る速さだけは、今日一番だった。
◇
ミナは自分の小さな一切れを両手で持ち、じっと見ている。
「あか」
「うん」
「たね」
「黒いな」
「たべゆ?」
「食べていいぞ」
「あい!」
小さくかじる。しゃく。動きが止まり、狐耳も尻尾も口も全部止まる。
「ミナ?」
ユキが覗き込む。
「う?」
「おいしい?」
次の瞬間、赤茶色の尻尾がぶわっと膨らんだ。
「んんんん!」
「何?」
「んまっ!」
その反応、前にホットケーキを初めて食べた時と同じだ。
「おいしい?」
「あい!」
もう一口。
「おいし!」
「よかったな」
「ユキねーちゃ!」
「うん!」
「しゅいか、おいし!」
「うんみゃあ!」
「うんみゃあ!」
狐耳の幼女二人で通じ合っている。それを見ていたラウルが苦笑した。
「また言葉を覚えたな」
「湖畔に来てから覚えるの早いよな」
「ここが安全だと分かったからだろう」
その言葉に、少しだけ胸が温かくなる。ミナは残った一切れを見て、今度は俺を見る。
「おっちゃ」
「何?」
「もいっこ!」
「まずそれ食べてからな」
「あい!」
◇
ラウルも一口食べる。
「これは……外見から絶対に想像出来ないな」
「昨日から全員それ言ってるな」
「実際に食べると余計に分からん……。いや美味いんだが」
「それ褒めてる?」
「最大限褒めている」
セレナも小さく笑う。
「暑い日に冷やして食べる理由が分かります」
レオンはかなり大きい一切れを持っている。
「水分補給にもよさそうだ」
「水分は多いけど、水の代わりだけにはするなよ。冷えたスイカは食い過ぎると腹を冷やすからな」
「そうなのか?それじゃあ団員にも注意しないとな」
◇
トトは食べるより先に断面を描こうとしていた。
「冷たいうちに食え」
「食べる前に描きたい」
「こびゃっこに写真撮ってもらいな」
俺はふわふわ浮きながら首に掛けた小型カメラで、みんなのスナップ写真を撮っているこびゃっこを呼ぶ。
「こびゃっこ。トトのスイカを撮ってやって」
「任せよ!」
「撮影見習い。頑張っているな」
「これで主任復帰も近いじゃろ!」
「あまい!写真一枚で昇格しないぞ」
ニナがスイカが載った皿を少し動かし、こびゃっこが首の小型カメラで撮影する。
「もう少し上」
「こうかの?」
「影、入る」
「む」
「こっち」
「ニナ、もう助手じゃなくて撮影監督になってるな」
「びゃっこの主任復帰が遠ざかるではないか!」
「ニナは工事現場の撮影も慣れているからな。復帰は甘くないぞ」
◇
マルタとアルバートは料理人らしく、食べた後すぐ別方向へ興味が向いた。
「塩を少し振った食べ方もあるぞ」
俺が言うと、マルタが首を傾げる。
「甘い物に塩かい?」
「少量だと甘味を強く感じることがある」
「試していいかい?」
「ああ。試してみな」
一切れの端へほんの少し塩を振る。
「……なるほどね」
マルタがもう一口食べる。
「確かに甘く感じる」
アルバートも試す。
「うん、甘い。面白いですね」
ミネットが即座に寄ってきた。
「塩?それも試すにゃ」
「お前さっきまで逃げ腰だったよな?」
「比較試験にゃ」
「三切れ目食べるための言い訳を正当化するな」
「研究に犠牲はつきものにゃ」
「犠牲になってるのはスイカだけだ」
◇
食べ終える頃には一個半ほどなくなっていた。そのうちミネットがどれくらい食べたかは考えないことにする。
「食べ物に見えないって言ってたの誰だったかな」
俺が呟くと、ミネットは最後の皮を皿へ置きながら胸を張った。
「未知の建材も、実物を試験して評価を改めるにゃ」
「スイカを建材にするな」
「評価は大幅に上方修正にゃ!ちなみに畑には、まだ何個あるにゃ?」
「評価じゃなく、在庫確認になってるから!」
ミレイが腹を抱えて笑っていた。
◇
種はトトとニナが少量を取り分けて乾かすことになった。
「全部植えるなよ」
「記録用だけ、植える」
トトが言った。
「形と大きさ見る」
ニナ。
「来年使うなら発芽するか確認してからな」
「うん」
アルノも収穫記録を整理する。
「収穫数、重量、周囲長、外観、食味まで記録しておきます」
「食味?」
「ユキの『もっとえらい』も入れますか?」
「それは公式記録へ入れなくていい」
「む。それ、だいじ」
ユキから異議が出た。ミナまで手を上げる。
「だいじ!」
「ミナは意味分かってる?」
「あい!」
「うん。怪しい」
アルノが笑う。
「では備考欄に入れておきます」
「結局入るのか」
◇
昼食後。畑へ戻る者はいない。今日、明日も休みだ。
カイルとレイルには畑の排水を見に行くのを禁止し、グレゴールにも祠の木材へ触らないよう言い、ドランとボルガにも鍛冶場へ近づかないよう念を押した。
「ヒカルが一番仕事しそうだがな」
ガランに言われた。
「今日はしない」
「本当か?」
「報告書も書かない」
「ほう」
「休み明けにセレナとやる」
セレナも頷く。
「私も今日は書きません」
「特使まで?」
「そう決めましたから」
レオンが腕を組む。
「では俺も剣の訓練は――」
「軽い運動なら勝手にしろ」
「手合わせは?」
「しない」
「即答か」
◇
食堂タープから湖岸側を見る。ウッドデッキの先には広い草地があり、その向こうには大湖が広がっている。
湖面は昼の光を反射し、岸へ寄せる小さな波が一定の間隔で音を立てていた。
その草地では、すでに子供たちが集まっている。ユキ、ミーシャ、トト、ニナ。そしてテオとミナ。ミミとクロメもいる。
そこへ、食後のスイカを誰より気に入っていたミネットまで混ざっていた。
「またやるのか」
俺は収納から、この間の休みに使った、直径四十センチほどのビーチボールを出した。
「びーちぼーる!」
ユキがすぐ反応する。
「前と同じやつな」
ぽん、と軽く放る。ユキが両手で受けようとしたが、少しずれて腕へ当たり、そのまま上へ跳ねた。
「トト!」
「うん!」
トトが落ちる場所を見て一歩移動し、両手でふわりと上げる。
「ニナ!」
ニナも強く叩かず、ミーシャの取りやすい位置へ返した。前回遊んだ時と同じだ。何度かやっているだけあって、子供組はもう動きを覚えている。
◇
「何してるの?」
テオが興味津々で近づいてきた。
「落とさないように、みんなで回す」
トトが説明する。
「投げちゃ駄目?」
「最初は投げてもいい」
「僕もやっていい?」
「もちろん」
ユキが胸を張る。
「テオ、ここ!」
「分かった!」
輪が少し広がった。その横では、ミナがビーチボールを目で追っている。右、左、上。赤茶色の狐耳まで一緒に動いていた。
「ミナ」
「う?」
「やる?」
ユキが訊くとミナの目が丸くなる。
「ミナも?」
「うん」
「やゆ!」
「じゃあミナは最初、投げていいぞ」
「あい!」
俺がボールを渡すと、ミナは両手で抱えた。顔より大きい。
「おっき!」
「大きいな」
「これ、ぽーん?」
「ユキへ投げてみろ」
「ユキねーちゃ!」
「こい!」
ミナが両腕を振る。
「ぽーん!」
投げた。真上へ。
「そっち!?」
本人の頭上へふわりと上がったボールを、ユキが慌てて走り込み、両手でトス。
「おお!」
テオが笑う。
「ミナ、上に投げちゃったよ!」
「できた!」
「出来たことにするの?」
「あい!」
満足そうな笑顔。まあいい。
◇
次はテオ。
「僕はちゃんとユキに投げるよ」
「頼む」
「行くよ!」
両手で押し出す。今度は真っ直ぐ。
「ユキ!」
「うん!」
ユキが両腕を揃えてレシーブ。上へ返す。
「トト!」
「こっち」
トトが落下位置へ入ってトスで返す。そしてニナ、ミーシャ、テオもトスで返す。
「おお!」
「続いてる!」
テオが大喜びする。
「もう一回!」
「まだ終わってない!」
ミーシャが笑いながら返す。
「ミナ!」
「う?」
ボールがミナの方へ飛んだ。
「ミナ、手!」
ユキの声。
「て!」
ミナが両腕を前へ出す。ぽふっ。ビーチボールが腕に当たり、ほとんど真横へ飛んだ。
「わふっ!」
そこへミミが走り込み、鼻先でぽんと弾いた。
「ミミ!」
「わふ!」
ボールが戻る。ミナの目が一気に輝いた。
「ミミ、できた!」
「わふっ!」
「ミナも、もっかい!」
「次来たらな」
◇
クロメも負けていない。少し低く飛んできたボールへ走り込み、鼻先で器用に押し上げる。
「クロメ!」
テオが声を上げる。
「魔犬も出来るの!?」
「この二頭も前からやってる」
「すごい!」
今度はミミとクロメの間へボールが落ちる。二頭同時に飛び出した。
「わふ!」
「わん!」
ごつん。鼻先同士がぶつかった。ボールはその間を抜け、ぽとんと草地へ落ちる。
一瞬の沈黙。テオが吹き出した。
「あはははは!」
ミナも何が面白いのか分かったらしく、両手を叩く。
「ミミ! クロメ! ごっちん!」
「わふぅ」
ミミが少し気まずそうに顔を逸らす。
「もう一回!」
ミナは完全に大はしゃぎだ。
◇
「そこはこう返すにゃ」
ミネットが入ってきた。
「ミネットもやるの?」
「前にやったにゃ」
「そうだったな」
前回は釣りをしていたはずなのに、ビーチボールを見つけた途端に途中参加し、初めてとは思えないくらい上手かった。屋根の上を歩き回るだけあって、距離感と身体の使い方が妙にいい。
「テオ、こっちへ投げるにゃ」
「はい!」
テオが投げる。ミネットは軽く膝を曲げ、両腕でぽん。綺麗にニナの前へ上がる。
「おお!」
「上手いな!」
「ふふん。屋根職人を舐めるでないにゃ」
「球技と屋根仕事の関連が未だに分からん」
「落ちたら困る物を扱うのは同じにゃ」
「無理やりだな」
◇
「ミネット!」
ユキから飛ぶ。
「任せるにゃ!」
ぽん。
「トト!」
「うん」
ぽん。
「テオ!」
「来い!」
ぽん。
「ミナ!」
「ミナ!」
自分で自分の名前を叫んだ。
「手を出せ!」
「あい!」
ぽふっ。今度は少し上へ飛んだ。
「できた!」
ユキがすぐ褒める。
「ミナ、できた!」
「あい!できゆ!」
ミナはその場でぴょんぴょん跳ね、赤茶色の尻尾をぶんぶん振っている。
「もっかい!」
「順番な」
「ヤッ!」
「そこは嫌がるところじゃない」
「ミナ、もっかい!」
「分かった分かった。次来たらな」
テオも笑いながら手を上げる。
「僕ももう一回!」
「お前までミナと同じになってるぞ」
「だって面白いもん!」
この間まで奴隷として連れて歩かれていた子供とは思えないくらい、普通に大声で笑っている。それでいい。
◇
こびゃっこも飛んできた。
「びゃっこも参加するぞ!」
「頭突きは禁止しないけど、ミナの近くでは加減しろよ」
「頭突きではない。《びゃっこ式頭突き返球》じゃ!」
「同じだ」
「来い!」
ミーシャからボールが飛ぶ。こびゃっこが空中で少し下がり、
「とうっ!」
ぽん。額で返した。
「こびゃこ!」
ミナが目を丸くする。
「見たか! これぞ神使流――」
「こびゃっこ、みならい」
すかさずニナが遮る。
「撮影の話ではない!」
◇
しばらくすると、ルールも何もなくなった。落とさないように回すだけ。途中でミミやクロメが入ってもいい。
ミナは両手で抱えて投げてもいい。テオも最初は投げていたが、トトの真似をして腕でトスやレシーブする練習を始めた。
「こう?」
「もっと下から」
トトが見本を見せる。膝を少し曲げ、落ちてくる位置へ入ってから両腕へ当てる。ぽん。
「へー。なるほど」
テオも真似する。一回目は後ろへ飛んだ。
「あっ!」
二回目。真上にボールが上がる。
「おお!」
三回目。トトの方へ返す。
「出来た!」
「うん」
「トト、上手いね」
「前やったから」
「いつ?」
「この前の休み」
「そうなんだ。僕、いなかった」
トトがテオの顔を見て、少し考えてから言った。
「明日、釣りする?」
テオの目が輝く。
「釣り?」
「湖で」
「魚?」
「うん。この前、うなぎも釣った」
「うなぎ?」
「長いやつ」
テオが両手を広げる。
「そんなに?」
「もっと」
「釣りたい!」
「じゃあ明日」
「いいの?」
「ヒカルに聞く」
「今聞こえてる」
二人がこっちを見る。
「ヒカル。明日、釣り?」
俺は湖を見る。
「大人が一緒ならいいぞ。湖へ落ちないよう救命胴衣も着ること」
「やった!」
テオが飛び跳ねる。トトも小さく笑う。
「釣竿、教える」
「僕、やったことない」
「大丈夫」
「エサ、触れる?虫もあるけど」
「……触らないと駄目?」
「釣れないよ」
「まあ、そこから練習だな」
◇
「ミナも!」
当然聞いていた。
「ミナも釣り?」
「あい!」
「じっと座れる?」
「あい!」
「本当?」
「……あい!」
「少し間があったな」
ユキがお姉ちゃん顔になる。
「ミナ、つり、ひとりあぶない」
「う?」
「みず、どぼん、だめ」
「どぼん、ヤッ!」
「そう。だから、ユキといっしょ」
「あい! ユキねーちゃ、いっしょ!」
「まだ行くって決まってないぞ」
「ユキ、いく」
「決まったらしい」
テオが笑う。
「じゃあみんなで釣り?」
「参加したい人がな。明日みんなに聞く」
「はーい!」
「あい!」
「うん」
返事だけで誰か分かるようになってきたな。
◇
ビーチボールはまだ続いている。ミネットが上げ、トトが返し、テオが追いかけ、ユキが飛び込み、ミーシャが笑いながら戻す。
ミナは自分のところへ来るたびに、
「ミナ!」
と叫びながら、真剣な顔で両腕を出し、当たれば、
「できた!」
外れても、
「もっかい!」
なので、本人に失敗という概念がほとんどない。ある意味強い。
ミミとクロメも尻尾を振りながらボールを追い、時々鼻先で返してはテオとミナから大歓声を浴びている。
「ミミ、しゅごい!」
「クロメも!」
「わふ!」
「わん!」
湖岸の草地へ、子供たちの声が響く。食堂からでも全部見える距離だ。
少し前までは、ここで遊ぶ子供はユキ、ミーシャ、トト、ニナくらいだったが、今はテオとミナがいる。
ミネットまで子供に混ざってボールを追いかけている。
「ミネット、本気でやってるな」
俺が呟く。ちょうどボールがミネットの頭上へ飛んだ。
「取るにゃー!」
猫族らしい身軽さで飛びつき、綺麗に返す。
「……まあいいか」
休日なんだから。
◇
俺は食堂の端へ腰を下ろし、冷たい麦茶を飲んだ。遠くではガランとレオンが普通の顔で話している。セレナはファビイ、ビオラと一緒にスイカの記録を見ていた。
休み明けになれば、俺とセレナで報告書を作る。
八の月一日の湖畔調査隊。移動式魔導兵器。情報源は秘匿。報告書がまとまれば、黒いピックアップトラックで補給基地に向かう。
以前、湖東側まで往復した時と同じように、出発前に車両を点検しよう。今度はユキ用のチャイルドシートも忘れずに準備しなきゃ。
天候と湖岸経路を確認し、無理なら引き返す。目的は戦うことじゃない。補給基地の司令官へ報告することだ。
八の月一日の件をまず直接伝え、王都宛ての文書を渡し、軍の早馬で届けてもらう。そこから先は王国側の段取りになる。
「おっちゃーん!」
「何?」
ユキが遠くから手を振っている。
「すいか、あとで!」
「まだ食べるの?」
「あとで!」
その隣でミネットまで手を上げた。
「ヒカル!」
「何?」
「残り、何個冷やしてるにゃ?」
「お前まで!」
「在庫確認にゃ!」
「朝の警戒心どこ行った!」
「安全確認、完了済みにゃ!」
完全に別人……いや、別猫になっていた。
◇
シオンが神務院に連れて来られることも、魔導兵器が動く可能性も消えないが、今日から全員の生活を止めるつもりもない。
やることは決まっている。だったら今日は、それ以上を抱え込まなくていい。
守るために準備する。でも、準備するために日常を壊さない。シオンが帰って来られる場所は、武器と見張りだけが並ぶ場所じゃない。
子供がスイカを食べて笑って、白狐神が「もっとえらい」と胸を張り、朝までスイカを不気味がっていた猫族が午後のおかわりを狙い、撮影見習いの神使が種飛ばし大会を企画して怒られる、そういう場所でいい。いや、そういう場所だから、守る意味があるんだろう。
続く。
◇
【第140話・収支報告】
異世界生活99日目
日付:六の月28日
オリエント王国歴952年
開始残高:3,119,005pt
今回の新規購入:なし
・スイカ収穫には既存の園芸ばさみ、赤色キャリーワゴン、秤、メジャーを使用
・冷蔵設備、保冷用品、食器、調理器具も既存品を使用
・東岸補給基地への移動は休み明けのため、本日は車両燃料・追加物資の新規購入なし
今回支出合計:0pt
現在残高:
3,119,005pt − 0pt
= 3,119,005pt
円換算目安:
3,119,005pt × 100円
= 約311,900,500円相当




