第14話 白狐神と首輪の重さ
奴隷狩りを拘束し、エルフの青年を担架に乗せ、俺たちは再び森を進み始めた。さっきまでとは、隊列の重さが違う。
負傷者が一人。捕虜が五人。首輪を外された魔犬が二頭。
そして、白狐神ユキ。ユキは俺の隣を歩いていた。フードを深く被り、こびゃっこを胸に抱えている。白い尻尾はまたリュックの中だ。
「しっぽ、むー」
「少し我慢な」
「あとで、ふわふわ」
「ああ。約束だ」
ユキは小さく頷いた。俺は担架の上の青年を見る。首元には、赤黒く擦れた跡が残っていた。さっきまでそこに奴隷首輪があった。
首輪一つで、人が人ではなくなり、命令石一つで、苦痛を与えられる。
「……胸糞悪いな」
呟くと、隣のガランが低く答えた。
「ああ。何度見ても慣れん」
「何度も見てるのか」
「レイシスとの国境ではな」
ガランは前を見たまま言った。
「逃げてくる者は少なくない。だが、助かる者は少ない。首輪で追跡され、命令され、魔力を封じられる。逃げる力を奪った上で、逃げたら追い詰める仕組みだ」
「最悪だな」
「最悪だ」
俺は奥歯を噛んだ。この世界には、奴隷制がある。しかも魔法で補強された奴隷制だ。そしてユキは、その首輪を外した。白き神獣の伝承どおりに。
ガランが俺を見る。
「ヒカル。ユキの力は絶対に隠せ」
「ああ」
「レイシスに知られれば、国を挙げて奪いに来るかもしれん。オリエントでも、扱いを間違えれば信仰の中心に据えようとする者が出る」
「オリエントでもか」
「善意で囲おうとする者もいる。守るためだ、祀るためだ、と言ってな」
俺はユキを見る。フードの奥で、ユキは眠そうに瞬きをしていた。こびゃっこを抱え、俺の袖を掴んでいる。
神様。白き神獣。奴隷首輪を外す力を持つ存在。だが、俺にとっては、肉とホットミルクが好きで、尻尾を隠すと「むー」となる五歳児だ。
「ユキはユキだ」
俺が言うと、ユキが顔を上げた。
「ユキ?」
「ああ。お前はユキだ」
「ユキは、ユキ」
「そうだ」
「おっちゃんは、おっちゃん」
「それもそうだ」
「こびゃっこは、こびゃっこ」
「完璧だ」
ガランが小さく笑った。
「その感覚を忘れるな」
「ああ」
少し進んだところで、マリベルが声をかけてきた。
「ヒカルさん。水を少し。この方に飲ませたいのですが」
「分かった」
俺は収納からミネラルウォーターを出しかけて、すぐ水袋へ移し替えた。ペットボトルを見せる必要はない。
マリベルはエルフの青年の頭を支え、少しずつ水を飲ませる。
「ゆっくりでいいですよ」
青年の喉がかすかに動いた。ユキがそれをじっと見ている。
「おっちゃん」
「ん?」
「ユキ、なにする?」
「そばにいてやればいい」
「そば?」
「怖くないように」
ユキは少し考え、担架の横に近づいた。
「ユキ、いる」
青年はぼんやりとユキを見る。ユキは小さく言った。
「ひも、もうないよ」
青年の目に涙が滲んだ。
「……はい」
「もう、いたくない?」
青年はかすかに頷く。
「ありがとう……ユキ……」
「うん」
ユキは満足そうに頷いた。リーファが、その様子を複雑な表情で見ていた。
「同族なのか?」
俺が聞くと、リーファは静かに頷いた。
「たぶん森エルフの系統ね。レイシスでは、エルフの奴隷は高価に取引されるわ」
「高価、か」
嫌な言葉だった。
「長命で、魔力が高く、見目が良いとされるから。家内奴隷、魔力供給、貴族の飾り……用途はいくらでもある」
「人を物みたいに」
「彼らにとっては物であり、資源なのよ」
リーファの声は静かだった。静かだからこそ、怒りが深い。
昼を少し過ぎたところで、ガランが休憩を決めた。沢に近い開けた場所だ。ロクが周囲を一周し、リーファが木の上と遠方を確認する。安全と判断されてから、俺はユキのリュックを外した。
「しっぽ!」
白い尻尾がふわっと広がる。ユキは嬉しそうに抱え込んだ。
「しっぽ、むー、なくなった」
「よかったな」
近くにいた魔犬二頭が、ユキの尻尾を見て少し後ずさった。
「いぬ、しっぽ、こわい?」
ロクが魔犬を見た。
「たぶん、ユキの神気に驚いてるっす。あと、尻尾が大きいっす」
「ユキのしっぽ、えらい」
「えらいっす」
魔犬たちは、首輪が外れてからかなり大人しくなっていた。まだ懐いたわけではないが、ロクの近くにいる。
「魔犬はどうするんだ?」
「今放すと森で死ぬかもしれないっす。調教されすぎてる。しばらく俺が見ます」
「優しいな」
「俺犬じゃなくて狼族っすけど、犬っぽいやつを見ると放っておけないんすよ」
「実は犬族?」
「狼族っす」
ユキが魔犬へ近づく。
「ひも、もうない。だいじょうぶ」
一頭がユキの前で伏せた。もう一頭も、少し遅れて伏せる。
「いぬ、ぺたん」
「服従姿勢っすね」
「ユキ、えらいから?」
「たぶんそうっす」
ユキは真剣に頷いた。
「いぬも、ユキの群れ?」
「それは……どうっすかね」
魔犬の尻尾が少し揺れた。
「群れ」
「増えたな、群れ」
俺は苦笑した。
「おっちゃん」
「なんだ」
「いぬにも、なまえ」
「名前か」
一頭は灰色の毛で、片耳が欠けている。もう一頭は黒っぽい毛で、目元に白い模様があった。
「こっち、ミミ」
ユキは灰色の魔犬を指差す。
「耳が欠けてるけど?」
「みみ、がんばってる」
「なるほど」
次に黒い方を指差した。
「こっち、クロメ」
「黒い目?」
「め、くろい。ここ、しろい」
目元の白い模様を指す。
「いい名前だ」
「ユキ、なまえつけた」
ミミとクロメは、ユキの声に反応するように耳を動かした。
昼食は簡単に済ませた。パン、スープ、焼いたベーコン、チーズ。捕虜にも最低限の水と食料を与える。
ユキは不満そうに見ていた。
「おっちゃん、くさいひとにも、ごはん?」
「ああ」
「わるいひと」
「悪い人でも、捕まえたなら飯は出す」
「むずかしい」
「俺もそう思う」
ユキは少し考えた。
「でも、ひもは、だめ」
「ああ。首輪は駄目だ」
「ごはんは、いる?」
「いる」
「むずかしい」
「世の中、難しいことが多いんだ」
ユキはベーコンをかじった。
「にくは、わかりやすい」
「それはそうだな」
昼食中、エルフの青年が少しだけ意識を取り戻した。
マリベルが優しく声をかける。
「お名前を言えますか?」
「……アルノ」
「アルノさんですね。ここは森の中です。あなたは逃げて、倒れていました。私たちが保護しました」
アルノの目が揺れる。
「首輪……」
「外れました」
壊れた首輪を見せると、アルノはまた涙をこぼした。
「本当に……」
彼はユキを見る。ユキはこびゃっこを抱え、少しだけ後ろに下がった。
「ユキが……?」
マリベルが頷く。アルノは担架の上から、必死に頭を下げようとした。俺は慌てて止める。
「動くな。傷が開く」
「ありがとう……」
「礼なら元気になってからでいい」
ユキが小さく言う。
「ユキ、ひも、とっただけ」
「それが、どれだけ……」
アルノは言葉に詰まった。ユキは困ったように俺を見る。
「おっちゃん」
「ありがとうって言われたら、どういたしましてでいい」
ユキはアルノを見て、ぎこちなく言った。
「どういらしまして」
噛んだ。だが、アルノは泣きながら笑った。
「ありがとう、ユキ」
「うん」
午後の移動はさらに遅くなった。負傷したアルノ。拘束した奴隷狩りの捕虜。魔犬のミミとクロメ。予定していた場所までは行けない。ガランは早めに判断した。
「今日はこの先の沢沿いで野営する。予定より手前だが、無理はしない」
「賛成だ」
俺は即答した。野営地に着いたのは、夕方より少し前だった。沢のそばの小さな開けた場所。水が取れ、周囲の見通しも悪くない。
「ユキ、結界できるか?」
「できる」
「疲れてないか?」
「ちょっと」
「無理なら言え」
「ユキ、やる」
ユキは地面に鳥居を描いた。俺も手伝う。四隅に鳥居。中央に一つ。アルノのそばに一つ。ユキが一つずつ放電する。
「まもの、くるな」
ぱちっ。
「くさいひと、あばれるな」
ぱちっ。
「アルノ、いたくなるな」
ぱちっ。
「ミミとクロメ、こわくなるな」
ぱちっ。
「おっちゃん、にく、わすれるな」
ぱちっ。
「最後、結界に必要か?」
「だいじ」
鳥居紋が淡く光り、野営地を包んだ。
⸻
【鑑定結果】
名称:簡易守護結界
基点:鳥居紋 六箇所
効果:低級魔物の侵入抑制、敵意ある接近への軽度阻害、精神安定微弱
術者:白狐神ユキ
補助:サコン・ヒカル
状態:安定
⸻
「精神安定までついたぞ」
マリベルが驚いた。
「ありがたいです。負傷者にも捕虜にも効くかもしれません」
捕虜は結界の端に縛って座らせる。ロクとドランが見張りにつく。アルノは担架のまま、焚き火から少し離れた場所へ。ミミとクロメはロクの近くに伏せた。
夕食は温かいものにした。材料を折り畳みテーブルの上に出す。鶏肉、野菜、牛乳、バター、小麦粉、塩、胡椒。カセットコンロを使ってクリームシチューを作る。
異世界の森でクリームシチュー。変ではあるが、温かくて柔らかく、アルノにも食べやすい。鍋から湯気が上がると、ユキの鼻が動いた。
「あまいにおい?」
「シチューだ」
「しちゅー」
「肉と野菜を煮た温かいやつだ」
「にく」
「野菜もある」
「むー」
「今日は頑張ったから、肉多めだ」
「おっちゃん、えらい」
全員にシチューを配る。捕虜にも少量だが渡した。ユキは今度は何も言わなかった。ただ、少し難しい顔をしていた。
シチューを一口食べたユキの耳が立つ。
「あったかい。うんみゃあ」
「そうだ」
「にく、やわらかい」
「煮込んだからな」
「しちゅー、えらい」
「気に入ったか?」
「しちゅーは、ごはんのふかふか」
「分からんが、良かった」
アルノにも少しずつ食べさせる。彼は涙を浮かべながら、何度も礼を言った。
「こんな温かいもの……何年ぶりか……」
俺は返す言葉に困った。ユキは自分の器を見る。鶏肉を一つすくい、かなり迷った顔をした。
肉を見る。アルノを見る。また肉を見る。そして、震える手で俺の器に入れた。
「おっちゃん、これ、アルノに」
「自分で渡さないのか?」
「ユキのにく、すごくだいじ。だから、おっちゃん、ちゃんとして」
「責任重大だな」
俺は肉を小皿に移し、アルノに渡した。
「ユキからだ」
アルノは驚いてユキを見る。ユキは照れているのか、少しそっぽを向いていた。
「ユキ、ちょっとだけ、あげる」
「ありがとうございます」
「にく、えらいから、元気でる」
「はい」
ガランたちは、静かにそれを見ていた。ドランでさえ何も言わなかった。ユキにとって、肉を分けることは大変なことなのだ。
食後、ユキにはホットミルクを作った。砂糖を少し多めにする。
「今日は頑張ったからな」
ユキは両手でカップを持った。
「しあわせのおゆ」
「ああ」
「おっちゃん」
「ん?」
「アルノも、しあわせのおゆ?」
「飲めるようになったらな」
「うん」
夜の森に、鳥居結界が淡く光っていた。捕虜。解放されたエルフ。元使役魔犬。ランクSハンター。白狐神の幼女。そして俺。ずいぶん大所帯になった。
ユキはホットミルクを飲み終えると、こびゃっこを抱えたまま俺の膝に頭を乗せた。
「ねむい」
「寝ていいぞ」
「おっちゃん、いる?」
「いる」
「こびゃっこも?」
「いる」
「ミミとクロメも?」
「いる」
「アルノも?」
「いる」
「ガランたちも?」
「いる」
ユキは目を閉じた。
「群れ、ふえた」
「増えたな」
「おっちゃん、たいへん」
「本当にな」
俺は苦笑した。焚き火が静かに鳴る。鳥居の結界が光る。だが、その先にはレイシス皇国がある。奴隷の首輪を作り、命令石を使い、人を物として扱う国。
俺は眠るユキの頭をそっと撫でた。
「段取り、組まないとな」
ユキを守る。アルノを助ける。親書を届ける。奴隷首輪の秘密を隠す。必要なら、誰かの首輪を外す。
重すぎる。でも、ユキの指先が首輪を外したあの瞬間を、俺はもう忘れられない。からん、と地面に落ちた金属音。あれは、きっとこの世界で一番小さな反抗の音だった。
⸻
【収支報告】
開始残高:993,736 pt
今回の購入:
・折りたたみ担架、救護用ブランケット、固定ベルト:120 pt(約12,000円)
・昼食用食材、捕虜用最低限の食料、水袋補充:80 pt(約8,000円)
・夕食用クリームシチュー材料、ホットミルク用牛乳・砂糖:120 pt(約12,000円)
今回支出合計:320 pt(約32,000円)
現在残高:
993,736 pt − 320 pt = 993,416 pt
円換算目安:
993,416 pt × 100円 = 約99,341,600円相当
続く




