第137話 白狐神、生まれた場所に戻る
異世界生活97日目。
六の月26日の朝。
「忘れ物ないな?」
「図面ある」
「水準器も」
「杭と板も積んだ」
「水糸もあるぞ」
朝食を終えてから、俺たちはバギーの荷台を確認していた。今日の午前中は《始マリノ祠》を建てる森の現地確認だ。
昨日、バドルと打ち合わせた通り、実際に大木の周囲をもう一度確認し、祠の台座と基礎をどこへ、どう作るのか決める。
メンバーは俺、ユキ、こびゃっこ、バドル、カイル、レイル。
大工のグレゴールは作業倉庫で祠本体の仮組みを続けてもらい、ミネットとエリオットもそちらだ。
今日はまだ建物を持ち込まない。先に基礎を決める。
「おっちゃん」
「ん?」
「ツチノコは?」
「収納」
「いる?」
「現場見てから出す」
「ツチノコ、はたらく?」
「働けそうならな」
「よし」
ユキは青ライン入り白ヘルメットをぽんぽん叩いた。
「かんとく、いく」
「今日は森だから足元注意な」
「ユキ、しってる」
「木の根につまずくなよ」
「……」
何故そこで黙る。
「おっちゃん」
「何だ?」
「まえ、ユキ、つまづいた」
「覚えてたのか」
「きが、わるかった」
「まだ木のせいにするのかよ」
こびゃっこが俺の肩へ飛び乗った。
「何の話じゃ?」
「昔、ユキが木の根につまずいた話」
「ユキ、ころんでない」
「俺が掴んだからな」
「なら、ころんでない」
「結果だけ見ればそうだけど」
「きが、まけた」
「勝負だったのか?」
バドルがバギーへ乗り込む。
「朝から何の話をしてる」
「白狐神と木の根の長年の因縁」
「ユキ、かった」
ユキが即答した。
◇
バギーを出す。湖畔の生活区域を離れ、森側へ入る道へ進んだ。
完全な道路ではない。森の巡回で以前から人が歩いたり、マウンテンバイクや馬やバギーで何度か通ったりしているため、草が倒れて簡単な道筋にはなっている。それでも湖畔から大木までは森の中だ。左右を確認しながらゆっくり走る。
「どのくらいなんだ?」
後部座席のバドルが聞いた。
「湖畔から?」
「ああ」
「バギーなら十分くらい。歩けばもっとかかる」
「近いようで、建材運ぶには微妙な距離だな」
「だから現地組立の前に仮組みしてる」
「なるほど」
カイルが森を見る。
「水の流れは前回より分かりやすそうだな」
「昨日、少し雨降ったから?」
「ああ。こういう時の方がいい」
レイルも頷く。
「晴れの日だけ見て排水決めると、あとで泣く」
「職人の言葉って大体経験談に聞こえるな」
「大体そうだ」
嫌な説得力だ。
◇
バギーが森の中をゆっくり進む。
助手席のユキは、さっきから木々の間をじっと見ていた。いつもならツチノコの話でも始めそうなのに、今日は珍しく静かだ。
「どうした?」
「ん?」
「ずっと森見てるから」
「むかし、みてる」
「昔?」
ユキが窓のない横から顔を少し出し、流れていく木々を見る。
「ユキ、ここに、いた」
「この辺りの森にいたな」
「ひとりだった」
「ああ」
そう答えてから、前に見た夢を思い出した。
あの頃のユキにとって、一人でいることは寂しいことではなかった。木の実を拾い、魚を捕り、森の音を聞きながら眠る。それが普通の暮らしだった。
『ごはん、ひとり。ねる、ひとり。けがしても、ひとり』
それでもユキは、
『だから、さびしい、しらなかった』
と言っていた。誰かと一緒にいる温かさを、まだ知らなかったからだ。
「おっちゃんも?」
「ん?」
「ここきたとき、ひとり?」
「ああ。俺も一人だった」
異世界に放り出され、どこにいるのかも分からず、知っている人間なんて一人もいなかった。ただ俺の場合は、ユキと違って一人が普通だったわけじゃない。
「あの時は結構困ってたな」
「なんで?」
「森しかないし、家もないし、この世界のこと何も知らなかったから」
「ユキ、もり、しってた」
「そこはユキの方が先輩だったな」
白い耳が少し立つ。
「ユキ、せんぱい?」
「森暮らしだけなら」
「ムフー」
そこ威張るところか?ユキは少し得意そうにしてから、また森を見る。
「でも、おっちゃん、きた」
「ああ」
「おみず、くれた」
「渡したな」
「あったかい、すーぷ」
「コンソメスープ」
「ぱん」
「ロールパン」
「タレあじの、にく」
「焼き鳥な」
「ホットミルクも、ふくもくれた」
「ああ」
「くつも」
「足、怪我してたからな」
「ぺたってした」
「絆創膏」
ユキが自分の足元を見る。今はちゃんと靴を履いている。初めて会った時は裸足だった。
「ユキね」
「うん」
「むかし、ひとり、ふつうだった」
「ああ」
「いま、ひとりじゃないのも、ふつう」
俺は少しだけハンドルを握る手に力が入った。
「……そうだな」
「おっちゃんいる。こびゃっこいる。みんな、いる」
「ああ」
「だから…」
ユキが笑顔で俺を見る。
「いまのほうが、すき」
短い言葉だった。でも、それで十分だった。
「俺もだよ」
「うん」
俺の肩に乗っていたこびゃっこが、そこで小さく鼻を鳴らした。
「なんじゃ、びゃっこまで忘れるでないぞ」
「今、ちゃんと名前出ただろ」
「念を押しただけじゃ」
「何の念だよ」
「びゃっこは、あの頃からユキを見ておったからの」
こびゃっこが流れていく森へ顔を向ける。
「一人で生きることしか知らなかった幼神が、今では自分から『みんな、いる』と言うようになった。びゃっこにとって、それだけで十分じゃ」
いつもの軽口より少しだけ静かな声だった。ユキがこびゃっこを見る。
「こびゃっこも、いる」
「うむ」
「ずっと?」
「ずっとじゃ」
「なら、よし」
ユキは満足したように前を向いた。しばらくして、白い尻尾が助手席の横でゆっくり揺れ始める。
森の景色は昔とそれほど変わっていない。でも、そこを走っている俺たちは、あの頃とは随分変わった。
◇
十分ほどで大木の近くへ到着した。バギーを直接大木の根元まで入れず、少し離れた平坦な場所へ止める。
「ここから歩くぞ」
「うん」
ユキが降りる。バドル、カイル、レイルも荷台から測量道具や板、杭を下ろした。俺も必要な物を収納から出す。
「おっちゃん」
「何?」
「ツチノコ?」
「まだ」
「む」
「まず人間の目で見てからな」
「ユキも」
「監督の目も」
「こびゃっこもじゃ」
「神使の目もな」
「ならよし」
◇
木々の間を抜けると、その大木が見えてきた。他の木より明らかに太い。
幹は大人が数人で手を回しても届かないほどで、根元から何本もの太い根が地表近くへ広がっている。
ユキがこの世界で最初にいた場所。そして先代の白狐神しらゆきも、遠い昔、この場所で生まれたという。
さらに別世界側には、今も《始マリノ祠》が残っている。
「……やっぱり大きいな」
俺が見上げる。
「四百年以上前から大きかったぞ」
こびゃっこが答える。
「お前より年上?」
「可能性はある」
「千年以上?」
「木に年齢を尋ねたことはないのう」
「鑑定出来るかな」
「やめとけ」
バドルに止められた。
「何で?」
「年寄りに年を聞くな」
「木にも適用するのか」
「する」
石工なのに木への配慮も強い。
◇
ユキが大木へ近づき、根元の少し手前で立ち止まった。
「ここ」
「ああ」
「ユキ、ねてた」
「そうだな」
俺が初めて見つけた時、ユキはこの辺りを寝床にしていた。落ち葉を集め、木の根元で眠り、地面や木に鳥居の印を描き、一人で自分の場所を守っていた。
俺が思い出していると、ユキが根の近くへしゃがんだ。
「おっちゃん」
「何?」
「むかしの、ユキのおうち」
「ああ」
ユキが周囲を見る。
「ここで、ユキ、うまれた」
「そうだな」
「おうち、かわる?」
俺は少し考えた。
「変わらないんじゃないか」
「?」
「ここが昔のユキの家だったことは変わらない。今は湖畔にも家がある。それでここには祠が出来る」
「いっぱい?」
「場所が増えたってことだ」
「ユキの?」
「ユキだけのじゃないけどな」
「むれ?」
「ああ。群れの祠」
ユキは大木を見上げた。
「なら、よし」
◇
「感傷は終わったか?」
バドルが図面を開いた。
「もう少し浸っていてもいいだろ」
「石と土は待たん」
「雨じゃなければ待つだろ」
「仕事が待たん」
「職人だなあ」
俺たちは大木の周囲を確認する。昨日の図面上では、祠本体を大木から十分離し、根へ影響を出さない位置に置く予定だった。
だが図面は図面。現地では地表に見えていなかった根もある。バドルは鉄棒のような細い探り棒を地面へ差し込み、感触を見る。
「ここ、根がある」
「見えないけど?」
「硬い。石とは違う」
カイルがしゃがみ、少し離れた地面を見る。
「雨水はこっちへ流れてるな」
「大木側から?」
「ああ。ただ、この辺で二方向に分かれる」
レイルも足元を見る。
「祠を予定通り置くなら、裏側へ水を溜めたくない」
「排水溝?」
「浅いので十分だと思う。水を切って横へ逃がす」
「大木の根を横切らない?」
「そこを今見る」
◇
俺はCADから出力した平面図を作業板へ載せ、現地と照らし合わせる。
「祠本体はこの辺」
「もう少し右だ」
バドルが言う。
「こっちに太い根がある」
探り棒の位置を見る。
「二十センチで避けられる?」
「基礎の幅も考えれば三十くらいだな」
「了解」
こびゃっこが大木側から見る。
「向きは?」
「三十センチ横へ動かすだけなら変わらない」
「なら問題ないじゃろう」
カイルが排水位置を指す。
「こっちへ僅かに振るなら、水も抜きやすい」
「じゃあ全体を三十センチ東へ?」
「それがいい」
レイルも頷く。
「鳥居との芯は調整出来る」
「鳥居も根優先で位置変えていい?」
「構わぬ」
こびゃっこが即答する。
「神事の見栄えのために、この木を傷める方がよほどおかしい」
◇
「じゃあ施工範囲決めるぞ」
杭を打つ。ただし大木の根が近い場所では無理に打ち込まず、位置をずらす。四隅の外側へ板を立て、水平を見ながら丁張りを作っていく。
「おっちゃん」
「ん?」
「それ、どうろのときの?」
「そうだ。ここも板を立てて、水糸を張る」
こびゃっこが水糸の高さまでふわふわ浮く。
「これが祠の芯か?」
「こっちが基準線」
「ほう」
「触るなよ」
「びゃっこを誰だと思っておる」
「昨日カメラのストラップを梁に引っ掛けた神使」
「偶然じゃ!」
◇
施工範囲が見える形になると、祠の大きさが一気に実感出来るようになった。
大木を主役にした小さな祠。大規模な神殿ではない。湖畔にある祠よりも、むしろ静かな場所になる。
「これくらいがいいな」
「なにが?」
ユキが聞く。
「大き過ぎなくて」
「ユキ、おおきいの、いらない」
「そうか」
「おうちも、いまのでいい」
「じゃあ城はいらない?」
「いらない」
「王様になる?」
「ならない」
「象徴君主は?」
「しょーちょーくんしゅ、さま、ないから、よし」
「そこなの?」
こびゃっこが笑う。
◇
「重機は入れられるな」
カイルが周囲を見る。
「問題はどこから入れるか」
俺も確認する。バギーを止めた場所からここまで、木と木の間には十分な幅がある場所もある。ただし枝と根が邪魔をする部分もある。
「ツチノコ出してみるか」
「きた!」
ユキが嬉しそうだ。
「乗せないぞ」
「わかってる」
俺は周囲の安全を確認してから、収納からミニバックホーを出した。湖畔ではすっかり《ツチノコ》の名前で定着した重機。
「相変わらず妙な名前だ」
バドルが言う。
「俺が付けたんじゃない」
「ユキ、ツチノコ、なづけした!」
命名者が胸を張った。
◇
まず実際に掘らず、走行経路だけを見る。エンジン始動し、低速で移動。木へ接触しないよう、カイルとレイルに左右を見てもらう。
「右、枝」
「了解」
「左の根、乗るな」
「見えてる」
キャタピラを少しずつ進める。通れそうだが、大木の根元までは入れない。予定している施工範囲の外側までならいけそうだ。
「ここなら旋回も出来る」
俺が言う。
カイルが距離を見る。
「小さい機械で正解だな」
「グイグイ持って来たら?」
レイルが言うと、バドルが真顔になる。
「森が泣く」
排土板を下ろし、祠予定地から少し離れた部分だけ、表面の草と浮いた土を軽く押す。がりがり削るような整地ではない。あくまで表層の凸凹を均す程度。大きな根へは近づかない。
「そこまで!」
バドルの声。すぐ停止。
「何かあるか?」
「あの先、根が上がってる」
「了解」
数十センチ戻す。排土板を上げる。
「ここは人力」
「ああ」
◇
十五分ほどで最低限の整地を終えた。まだ基礎工事ではない。本当に施工範囲を分かりやすくしただけだ。それでも水糸が張られ、周囲の草が少し整理されると、森の中に建物の輪郭が見える。
「ユキ」
「うん」
「ここに祠が立つ」
ユキは水糸の四角を見る。
「ここ?」
「そう」
「まだ、ない」
「明日から作る」
「だんどり」
「ああ」
こびゃっこが大木の方を見た。
「四百年以上前にも、この場所で同じように皆で地面を見たのう」
「しらゆきの時?」
「そうじゃ。もっと簡素な祠じゃったが、宗一郎が排水だけはきちんとしないとうるさくての」
「夢で会った宗一郎さんなら言いそうだ」
「誰かに似ておるな」
「お前、俺見ながら言ってるだろ」
◇
ユキが、森の奥の方を見ている。
「おっちゃん」
「ん?」
「さいしょ、むこうで、あった?」
「俺とか?」
「うん」
「そうだな、向こうの方角だ」
俺が異世界転移初日に会った正確な位置は、ここから少し離れている。でもユキの寝床は、この大木の根元だった。
「ユキ、しゃー、してたの、みた?」
「みてた」
「びゃっこ、つよいぞ、いったの、みた?」
「みたな」
「……」
ユキが恥ずかしそうに耳を伏せる。
「どうした?」
「ちょっと……」
「棘狼相手に『びゃっこ、かむぞ』って言ってたな」
「おっちゃん」
「何?」
「それ、いわない」
「何で」
「ユキ、いま、かんとく」
「過去を消そうとするな」
「ユキの、くろれきし」
「こびゃっこの王城の落書きとは違うぞ」
「ヒカル!それを言うでない!」
「かんとくの、いげん」
「五歳児に威厳が必要なのか?」
バドルが小さく笑った。
「今の方が十分強そうだ」
「ほら」
ユキが胸を張る。
「バドル、わかってる」
「でも木の根には負けてたけどな」
「むー!おっちゃん!」
森にユキの声が響いた。
◇
現地確認を終える。今日決まったのは、祠本体の位置を図面より三十センチほどずらすこと。
台座基礎は大木の太い根を避けて独立した支持点を取ること。
排水は大木側から流れてくる水を祠背面へ溜めず、左右へ逃がすこと。
鳥居も見た目の完全な左右対称より根を優先。
明日から最初の掘削。ただし最初はツチノコで一気に掘らず、人力で根の位置を確かめながら進める。
「それでいい?」
俺が聞く。
「異論なし」
バドル。
「排水も問題ない」
カイル。
「明日もう一度、水の出口だけ確認する」
レイル。
「びゃっこもよいぞ」
こびゃっこ。
「かんとくも、よし!」
ユキ。
「じゃあ決定」
俺は図面へ現地変更を書き込む。
「おっちゃん」
「何?」
「祠、いつできる?」
「基礎からだからな。まだ掛かるぞ」
「いつ?」
「段取り通り行けば、そんなに遠くない」
「なんにち?」
「監督様、現場は予定通り行かないこともあります」
「む」
「でもちゃんと作る」
「なら、よし」
◇
再びバギーに乗って湖畔へ戻る。午前の森作業で汗をかいたので、昼食前に手洗いと着替え。
食堂ではミーシャとマルタが昼食を用意していた。今日の昼は冷やしうどん。暑くなってきたのでありがたい。
「うんみゃあ」
ユキは早々に麺をすすっている。
「監督様、午前はどうでした?」
俺が聞く。
「森、よし」
「雑だな」
「ツチノコ、よし」
「それは分かる」
「根、いたい、だめ」
「一番大事」
「祠、つくるの、きまった」
「はい」
こびゃっこが横から言う。
「まとめれば合っておるじゃろう」
「五歳児の報告書としては優秀か」
◇
午後。俺は厩舎工事へ合流した。昨日の時点で残工事はかなり減っている。馬房扉は残り三枚。給水は各馬房の最終確認。照明は器具と配線をほぼ終え、最終結線待ち。ゴムマットの端部処理と金具の再点検。
明日の午前中、屋根へソーラーパネルを載せ、ポータブル電源へ接続して照明を結線すれば、工事そのものは終わる予定だ。
ソーラーパネル用の架台は、少し前に俺とミネットで屋根へ取り付けてある。
「明日は二時間くらい?」
俺が聞く。エリオットが天井側の配線を見る。
「問題がなければ、そのくらいだ。パネルを載せて配線を下ろして、ヒカルが結線。点灯確認」
「全部点けば終わり」
「ああ」
「長かったな」
グレゴールが馬房扉を閉めながら言う。
「仮設にしちゃな」
「その言葉、最近信用出来なくなってきた」
「何が?」
「ヒカルの仮設」
「俺のせい?」
「仮設と言いながら長く使う前提で作らせる」
「安全に使うならそうなるだろ」
「だから仮設じゃない」
「いや、将来的に本設作ったら外せる構造だから仮設」
「なんか屁理屈っぽいな」
「工務店の常識です」
◇
「ヒカル!」
少し離れたところから声がした。振り返ると……。
「お?」
見学者が来ていた。先頭はテオ、赤いキャリーワゴンを引いている。その中にはミナ。
「おっちゃ!」
俺を見つけるなり立ち上がろうとした。
「ミナ。座ってろ!」
「あい!」
前回の教育が効いている。ワゴンの横にはミーシャとトト。少し後ろをマリベルとラウルが歩いてくる。ラウルはまだ歩行補助具を使っている。
「見学か?」
「ミナがどうしてもな」
マリベルが苦笑する。
「昨日から『おうま、みゆ』と言っていたので」
「おうま!」
ワゴンの中からミナ。
「僕も見たかったから」
テオが言う。
「トトたちも?」
「厩舎、まだちゃんと見てなかった」
トトが答えると、ミーシャはミナを見る。
「ミナ、立たないでね」
「あい」
「手も外へ出し過ぎない」
「あい」
「お姉ちゃん増えたな」
「私は前からお姉ちゃんだよ」
そうだった。
◇
「ここが厩舎か」
ラウルが入口で足を止めた。
「ああ。まだ工事中だが」
ラウルが建物全体を見る。
単管を基本骨組みにした大きな仮設厩舎。馬房は二十三頭分。屋根にはブラウン系のポリカーボネート波板を使い、ところどころ明るさを取り込める構成にしてある。
ラウルの視線が屋根で止まった。
「……あの屋根は何で出来ている?」
「ポリカーボネート」
「ぽり……?」
「樹脂。俺の世界の材料」
「ガラスではない?」
「違う」
「木でも鉄でもない」
「そう」
ラウルが少し位置を変え、屋根を見る。
「光を通している」
「完全な透明じゃないけどな。昼間の明るさを取り込みやすい」
「割れないのか?」
「絶対じゃないけど、普通のガラスより衝撃にはかなり強い。軽いし」
「雨は?」
「もちろん防ぐ」
「雪は?」
「固定と下地をちゃんとすれば対応出来る。ただこの土地の冬をまだ経験してないから、積雪量は今後確認」
ラウルはしばらく屋根を見上げた。
「不思議な素材だな」
「俺も普段はホームセンターで普通に見てたけど……」
「ほーむ?」
「あーいや、忘れてくれ」
◇
「中も見ていいか?」
「入口からなら」
ラウルは馬房を見る。木の腰壁に扉。給水、照明、ゴムマット。尖った金具を馬側へ出さない納まり。端の二馬房だけ少し広くしてある。
「これは……」
「どう?」
「王都の軍厩舎より綺麗なのではないか?」
レオンの声が後ろからした。
「そこは聞き捨てならんな」
いつの間にかレオンとベルタも来ている。
「副団長」
「見回りついでだ」
ベルタが工具と工事範囲を見ている。特に照明が気になる様だ。
「副官は通常運転だな」
「いえ、使い慣れないものは、まず安全な手順を確認する必要があります。」
「まあ、そうだな」
「なので、あの灯りの中を――」
「却下。分解禁止」
◇
ラウルは改めて厩舎を見る。
「これだけの馬房があり、水も各所で使えて、夜は灯りも点く?」
「明日点く予定」
「屋根もある」
「厩舎だからな」
「床も土間ではない」
「掃除しやすくしたいから」
「病気や怪我の馬を分ける房まである」
「端の広い二つな。さすがにわかるか」
「立派なものだ」
素直に感心している。
「ありがとう」
「湖畔では馬を随分大切にするのだな」
「俺が馬に詳しいわけじゃないから、騎士団側にも運用は確認するけどな」
「それでいいと思う」
ラウルが頷き、それから言った。
「これだけの厩舎を作るのに、どれほど掛かった?」
「仮設だから、それほどでも」
「……今何と言った?」
「仮設」
「これが?」
「うん」
ラウルが俺を見る。もう一度厩舎を見る。レオンを見て、また俺を見る。
「仮設?」
「仮設」
「二十三頭入る?」
「ああ」
「給水があって?」
「ある」
「灯りも?」
「明日完成」
「屋根はあの特殊素材」
「ポリカ」
「それで仮設?」
「将来的に本設を建てるなら、解体や移設しやすいようにしてある」
ラウルが額へ手を当てた。
「ヒカル」
「何?」
「お前の国では、仮設という言葉の意味が違うのか?」
レオンが笑った。
「安心しろ。我々も最初は同じことを思った」
「やはり?」
「ああ。湖畔でヒカルが『仮設』と言った時は、しばらく使える建物だと思った方がいい」
「おい」
「事実だろ」
「否定しづらい」
◇
「おうま!」
ミナがワゴンから身を乗り出す。
「ミナ」
ミーシャの声。
「あい」
すぐ戻った。
「馬ならあっち」
俺は厩舎から少し離れた場所を指した。近衛騎士団の馬たちが仮の繋ぎ場で休んでいる。職人たちの荷馬車の三頭も一緒だ。
厩舎が完成するまでは、屋外の仮設馬柵と簡易雨除けを使っている。
「おっきい!」
ミナの狐耳が立つ。
「馬、初めて?」
俺が聞く。
「ミナ、みたことあゆ」
ラウルが答えた。
「収容所から移送されている時に見ていたはずだ」
「……ああ、そうか。じゃあ乗ったことは?」
「ないだろう」
「ミナ、のゆ!」
「今は駄目」
「ヤッ!」
「即答しても駄目」
ミーシャが笑う。
「大きくなってからね」
「おっきく、なゆ」
「すぐは、無理だよ」
「むー」
ユキに似てきたな。
◇
ラウルも馬の方を見た。その表情が少し変わる。軍人…というより、騎兵の顔だった。
「……いい馬だな」
レオンが隣へ立つ。
「王国近衛の馬だからな」
「なるほど」
ラウルはしばらく黙って馬を見る。
「三年か」
「何が?」
俺が聞く。
「まともに馬へ乗っていない」
「ああ」
「捕虜になってからは当然だが、その前も戦闘続きで、ゆっくり馬へ乗るようなものではなかった」
「騎兵って毎日乗るんじゃないの?」
「乗る。だが戦場で乗るのと、普通に馬へ乗るのは違う」
「なるほど」
ラウルが少し笑った。
「怪我が治ったら、馬に乗りたいな」
◇
「なら乗ればいい」
レオンがさらっと言った。ラウルが振り返る。
「いいのか?」
「何が?」
「近衛の馬だろう」
「そうだ」
「私はロックパームの軍人だぞ」
「まだ身分確認は出来ていないがな」
「そこを言うか」
「事実だ」
レオンは笑いながら馬を見る。
「怪我が治って、エレナとマリベルが許可を出して、馬の扱いが本当に出来ると確認出来たら、一頭くらい貸してやる」
「簡単に言うな」
「馬に乗りたいんだろ?」
「乗りたいが」
「なら問題ない」
ベルタが横から口を挟む。
「問題はあります」
「副官」
「貸し出す馬の選定。装具の調整。騎乗前の健康確認。本人の身体状態。乗馬区域。付き添い」
「ほら、ベルタが段取りを作ってくれる」
「副団長が何も考えず許可するからでしょう!」
「役割分担だ」
「便利に使わないでください」
この二人も通常運転の様だ。
◇
ラウルは少し困ったように笑った。
「本当にいいのか?」
今度は真面目にレオンへ聞く。
「ああ」
「正式な国交すらない国の軍人だぞ」
「国交がないことと、敵であることは同じではない」
「……」
「それに」
レオンがラウルの脚を見る。
「お前、馬を見ている時だけ顔が違う」
「そうか?」
「騎兵なんだろ」
「ああ」
「なら乗ればいい。ただし治ってからだ」
マリベルが即座に続けた。
「そこは絶対です」
「分かっている」
「まだ補助具を使っている人が馬へ乗るのは認めません」
「はい。マリベル殿」
ラウルが素直。マリベル強い。
◇
「ラウゆ、うま?」
ミナが呼ぶ。
「ああ」
「ラウゆ、のゆ?」
「治ったらな」
「ミナも!」
「それはヒカルへ聞け」
「俺に振るな」
「おっちゃ!」
「まず馬よりワゴンの中で立たないところから」
「ミナ、たたない!」
「今日はな」
「できゆ!」
「じゃあ明日も」
「む」
ミナが口を尖らせた。テオが笑う。
「僕も乗ってみたい」
「お前もか」
「犬族だから馬に乗らないわけじゃないよ」
「それは分かってるさ」
「ロックパームでは騎兵団、人気あるんだ」
ラウルがテオを見る。
「そうなのか?」
「うん。ラウルも騎兵だし」
「まあ、一応な」
「ラウルが馬に乗ったところ見たい」
「怪我が治ってからな」
◇
トトは厩舎の屋根を見ていた。
「ヒカル」
「ん?」
「ここ、絵に描いていい?」
「もちろん」
「透明な屋根のところ、光が違う」
「よく見てるな」
「馬が入った時も描きたい」
「完成したら頼む」
「うん」
ミーシャは馬房の水桶側を見る。
「馬も水、ここから飲むの?」
「ああ。直接給水して使う」
「毎日運ばなくていい?」
「そう」
「楽になるね」
「世話する側がな」
設備って、結局そういうものだ。派手さより、毎日の手間を少し減らす。それが何年も続けば大きい。
◇
見学組には規制線の外へ戻ってもらい、残りの作業を再開した。日が傾き始めた頃には、あと少しのところまで進んだ。
「これで今日分は終わりだな」
グレゴールが工具を置く。
「明日は?」
「朝からソーラーパネルだな」
ミネットが屋根を見上げる。
「架台はもう付いてるにゃ」
「ああ。ソーラーパネルを載せて固定。配線を下ろす」
エリオットが続ける。
「俺は下で配線確認で、ヒカルが結線だな」
「それから点灯試験」
「全部点けば終了か」
「二時間くらいで終わるにゃ?」
「余計な問題が出なければな」
「そういうこと言うと出るんだにゃ」
「言わなくても出る時は出る」
◇
「明日の午前中で完成か……」
俺は厩舎を見る。最初は、近衛の馬二十頭が来ると決まって急いで考え始めた建物だった。職人の荷馬車の三頭と合わせて二十三頭。とりあえず雨風をしのげればいい。最初はそういう話だった。
でもグレゴールたちと図面を詰め、ミネットが屋根を考え、カイルとレイルが水を通し、ドランとボルガが金具を作り、エリオットが照明を入れた。
気づけば、ラウルに「立派だ」と言われるものになった。
「仮設なんだけどな」
「まだ言ってるのか?」
レオンが笑う。
「仮設は仮設だ。出来は満足しているが」
「もう好きにしろ」
◇
夕食へ戻る途中。ユキが俺の手を握った。
「おっちゃん」
「何?」
「祠できたら」
「うん」
「むかしのユキ、びっくりする?」
俺は少し考えた。
「たぶんな」
「おっちゃんも?」
「初日の俺が今を見たら?」
「うん」
「逃げるかも」
「む。おっちゃん、にげるな」
「仕事が多過ぎる」
「おっちゃん、いそがしい」
「誰のせいだろうな」
「おっちゃん」
「俺なの?」
「だんどりが、ふえた」
「反論できない」
ユキが笑う。
◇
森の中。人のいなくなった大木のそばでは、今日張った水糸が夕方の光を受けて細く光っている。
まだ何も建っていない。地面を少し均し、板と糸で、小さな四角を作っただけ。それでも、そこはもう、何もなかった昨日とは少し違う。
四百年以上前に白狐神の里の始まりとなった場所。三ヶ月前、一人だったユキと、一人だった俺が出会った森。
そして今。もう一度、群れのみんなで祠を作り始める場所になった。
まずは土台から。何事もそこからだ。
続く。
◇
【第137話・収支報告】
異世界生活97日目
日付:六の月26日
オリエント王国歴952年
開始残高:3,122,365pt
今回の新規購入:なし
・《始マリノ祠》現地確認は既存の測量・施工用品を使用
・丁張り用の板、杭、水糸等は既存在庫
・ミニバックホー《ツチノコ》を使用
・厩舎工事も既購入済み資材・設備を使用
・ソーラーパネルおよびポータブル電源は既存設備を使用予定
今回支出合計:0pt
現在残高:
3,122,365pt − 0pt
= 3,122,365pt
円換算目安:
3,122,365pt × 100円
= 約312,236,500円相当




