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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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第136話 白狐神と夢の向こうの声


 異世界生活96日目。

 六の月25日の早朝。


「……シオン!」


 自分の声で目が覚めた。反射的に上半身を起こすと、薄暗い住居ユニットの中だった。


 窓の向こうはまだ明るくなり始めたばかりで、森の輪郭が薄青い朝靄の中に浮かんでいる。いつものベッド、いつもの部屋、そして俺の右腕には、さっきまで夢の中にいたユキがしっかり抱きついていた。


「……おっちゃん」


 ユキも目を開けた。白い狐耳がぴんと立ち、まだ寝ぼけているはずなのに、その黒い瞳だけははっきりと俺を見ている。


「ユキ」


「シオン」


「ああ」


「きこえた」


 夢じゃなかった。いや、夢ではあった。でも、ただの夢じゃない。


「俺も聞こえた」


「シオン、おっちゃん、いった」


「言ってたな」


「ユキも、よんだ」


「ああ」


 俺たちはしばらく顔を見合わせた。昨日までなら、ここで「変な夢だったな」で終わったかもしれない。でも今回は違う。シオンは俺たちの声に答えた。


 俺も、ユキも、確かにシオンの声を聞いた。しかも……。


「こびゃっこ」


 俺が呼ぶと、枕の間に置いた夜用の籐籠から白い毛玉が顔を出した。


「起きておる」


「やっぱり起きてたのか」


「途中からのう」


 こびゃっこは籐籠の縁へ前足を掛け、そのままふわりと浮かび上がった。


「びゃっこは、シオンの声を聞いた時には既に目を覚ましておった」


「夢の中じゃなく?」


「そうじゃ」


 こびゃっこが俺たちの前へ降りる。


「最初に感じたのは、強い意識じゃった。誰かがこちらを見ようとしておるような、遠くから呼ばれておるような感覚じゃ」


「シオン?」


「恐らくの」


 ユキが布団の上で正座した。


「ユキも、シオン、わかった」


「どんな感じだった?」


「んー……」


 難しい質問だったらしい。ユキは自分の胸へ手を当てて考える。


「シオン、いる」


「いる?」


「みえない。でも、そこ」


 夢の中でもそうだった。シオンの姿そのものは、ほとんど見えなかった。霧の向こうに誰かがいるような輪郭と、そこに確かに人がいると分かる気配。


「俺も似た感じだったな」


「じゃろう」


 こびゃっこが腕を組む。


「しかし、びゃっこにはそれ以上に妙なのじゃ」


「何が?」


「起きておるのに声が聞こえた」


「ああ」


「普通ではない」


 そりゃそうだ。


     ◇


 俺はベッドから降り、服を着ながら頭の中を整理した。これまでにも妙な夢は何度かあった。


 ユキと俺とこびゃっこ。そして別次元にいる先代白狐神しらゆきと橘宗一郎。あの時は、こびゃっこが《始マリノ祠》の話をしていた時に、俺たちの意識が繋がった。


 一方でシオンの場合は少し違う。


 覚醒前のこびゃっこは、巨大な白狐の姿で夢の中へ現れ、孤独だったシオンのそばにいた。だが実体を取り戻してから、こびゃっこは自分からシオンの夢へ入れなくなった。


 それでもシオンは時折、俺たち湖畔側の生活を夢として見ているのは感じていたらしい。


 見るだけ。基本的には一方通行。俺とユキは、シオンがこちらを見ていることすら分からない。ただ時々、強い恐怖や悲しみだけが逆に流れ込んでくる。それが昨日、初めて変わった。


「シオンから、繋いだのか?」


 俺が聞く。こびゃっこはすぐに首を振らなかった。


「分からぬ」


「そこ即答じゃないんだな」


「むしろ即答出来る方がおかしいじゃろう」


「それもそうだ」


「ただし」


 こびゃっこは少し考えてから続けた。


「シオン自身の力だけではない気がする」


「どういうこと?」


「以前からシオンには、こちらの夢を見る性質があった。白狐神と何らかの縁があるのは確かじゃ。しかし昨日は、それだけでは説明がつかぬ」


 ユキが首を傾げる。


「ユキ?」


「おぬしも関係しておるかもしれぬ」


「ユキ、なにした?」


「何をしたのかは分からぬ」


「なら、よし……なの?」


「いや、まだよくはない」


 朝から通常運転だ。とりあえずユキは変に動揺していないようだ。


     ◇


 こびゃっこは俺を見る。


「ヒカル」


「ん?」


「最近、びゃっことおぬしとユキは同じ夢を見ることが増えたじゃろう」


「ああ」


「最初は偶然に近かった。しかし、しらゆきや宗一郎と繋がったあたりから、三人の意識の距離が以前より近くなっておるように感じる」


「夢の中で?」


「夢だけではない。普段からじゃ」


「普段?」


「例えばユキが強く不安になれば、おぬしがすぐ気づくことが増えた。逆にヒカルが無理をしておれば、ユキも以前より早く気づく」


「それは一緒に暮らしてるからじゃないか?」


「それもある」


 こびゃっこは頷いた。


「じゃが、それだけとも思えぬ」


 ユキが俺を見る。


「おっちゃん、つかれた、わかる」


「それは顔見れば分かるだろ」


「あと、におい」


「それは能力だな」


「あと」


 ユキが俺の腕を掴む。


「なんとなく」


「一番説明しづらいやつ来たな」


「なんとなく、わかる」


「うむ。その『なんとなく』じゃ」


 こびゃっこが妙に真面目な顔で頷いた。


「白狐神と守護者、それに守護神使。三者の意識が、長く暮らすうちに結びつきを強めておるのかもしれぬ」


「それにシオンが引っ掛かった?」


「可能性はある」


「でも昨日まで会話なんて出来なかったぞ」


「じゃから、もう一つ何かがあったのではないかと考えておる」


「何か」


「それが分からぬ」


 まあ、そこだよな。


     ◇


 ヒカルたちが知らないだけで、答えは既にシオンの首元にあった。


 神務院が《保護具》と呼んでいる銀環。


 本来はシオンの魔力変化や精神状態、外部から流れ込む特殊な魔力や神性共鳴を観測するために作られた装置だった。


 だが観測装置というものは、ただ受け取るだけではない。


 極めて弱い共鳴を検知するため、銀環内部には外部から届いた波を拾い上げ、術式内で増幅する機構が組み込まれている。


 神務院の設計者たちにとって、それは単なる測定補助だった。


 しかし彼らは知らなかった。


 シオン自身が以前から持っていた白狐神との夢の繋がり。日を追うごとに強くなっていたヒカル、ユキ、こびゃっこの共有夢。


 その二つが重なった瞬間、銀環が本来観測するだけだった共鳴を、逆に増幅してしまったことを。


 それは神務院が意図した機能ではない。シオン自身も知らない。もちろん、湖畔の三人にも分からない。


 ただ昨夜。いくつもの細い糸が、偶然同じ場所で重なった。


 その結果、ほんの短い間だけ。見るだけだった夢が、声の届く場所へ変わった。


     ◇


「とにかく」


 洗面所で俺は顔を洗いながら言った。


「分からないからって、今すぐ何か試すのはやめよう」


「うむ」


「シオンにもう一回呼びかけるとかもなし」


「なぜじゃ?」


「向こうの状況が分からないから」


 昨夜、夢が切れる直前。シオンの首元で銀色の光が見えた気がする。


 あれが以前、密偵バードが神務院に侵入した時に見た銀環だとすれば、こちらから刺激することで何か起こる可能性がある。


「シオンは神務院の施設にいる。向こうが何を監視してるか分からない」


「おっちゃん」


「ん?」


「シオン、だいじょうぶ?」


「分からない」


 嘘はつかない。


「でも昨日は話せた」


「うん」


「それなら、今までより一つ進んだ。だから焦らない」


「……だんどり?」


「そう。段取り」


 ユキは少し考えてから頷いた。


「なら、よし」


     ◇


 朝食後。俺はガラン、セレナ、レオンを工事事務所へ呼んだ。もちろんユキとこびゃっこも一緒だ。


「夢で会話?」


 最初に聞き返したのはレオンだった。


「正確には姿はほとんど見えてない」


 俺は昨夜の出来事を最初から説明した。


 シオンの気配をユキが感じたこと。

 ユキが名前を呼んだこと。

 シオンの声が返ってきたこと。

 途中で目を覚ましていたこびゃっこにも、その声が聞こえていたこと。


 俺も共有夢の中でシオンの声を聞いたこと。そしてシオンが、以前の尋問で湖畔のことを話してしまったと謝ったこと。


「やはり尋問を受けていたか」


 ガランの表情が険しくなる。


「本人は『無理やり聞かれた』とは言っていない。でも状況から考えれば、普通の聞き取りじゃないだろうな」


「ロイド……バード殿からの情報とも一致しますね」


 セレナが静かに言った。


「神務院専用区画。銀色の環。そして《赤眼》という言葉」


「問題は、その銀環ですか」


 レオンが腕を組む。


「俺もそう思う」


「夢の接続へ影響した可能性が?」


「分からない。でも昨夜、切れる直前に銀環らしきものが光った」


 こびゃっこが頷く。


「びゃっこも妙な反応を感じた。あの瞬間だけ、繋がり方が急に強くなり、その後一気に消えたのじゃ」


「神務院の装置が原因なら」


 ガランが低く言う。


「向こうにも何か記録された可能性があるな」


「俺もそれを心配してる」


 部屋の空気が少し重くなる。


     ◇


「ただし」


 俺は続ける。


「シオンとは短いけど会話出来た。それ自体は大きい」


「何を話しました?」


 セレナが尋ねる。


「ほとんどはシオンを安心させる話。湖畔のことを話したのを謝ってたから、悪いのは無理やり聞いた側で、シオンじゃないって」


「それは大切ですね」


「あと、助けるって直接言えた」


 セレナが小さく息を吐いた。


「本人へ届いたのですね」


「ああ」


 ユキが胸を張る。


「ユキも、いった」


「何て?」


「シオン、わるくない」


「うん」


「おこってない」


「それも言ったな」


「それから」


 ユキが俺を見る。


「おっちゃん、たすける、いった」


「ああ」


「だから、たすける」


「そうだな」


 レオンが少しだけ笑った。


「白狐神殿にそこまで言われれば、こちらも動かざるを得ませんな」


「む。ユキはユキ」


「……失礼。ユキ」


「うん」


     ◇


「昨夜の件は」


 ガランが言う。


「バードへ伝えたいところだが、今どこにいるか分からん」


「王都へ戻る途中か?」


「予定通りなら、王都へはあと一週間はかかるだろう。ただしバードがどの経路を使うかによって時間差があるだろう」


「じゃあ無理に追いかけない」


「ああ。まずは王都へ速報を出せる体制にしたい」


 セレナが頷く。


「速報を出す際は、私からも一筆添えます。内容は限定しましょう。『シオンとの夢による短時間の意思疎通を確認』『神務院による尋問を受けた可能性が高い』『銀環が接続時に反応した可能性あり』。この程度で」


「救出計画を急ぐとは書かない?」


「書きません」


 即答だった。


「こちらが焦っていると知られる必要はありませんし、王都側が独断で大きく動けば、神務院へ感づかれる可能性もあります」


「賛成だな」


 俺は頷いた。


「シオンを助けるために、シオンを危険にするのは違う」


「その通りです」


     ◇


「湖畔の警戒は?」


 レオンが聞く。


「目立つ形では増やしたくない……」


 ガランが先に答えた。


「ハンターチームとしては今まで通りだ。ただし西側森林と南の湖岸は意識して見る」


「近衛側も同じ運用にする。人数を急に倍にしたり、武装を強化もしない」


「あくまで自然にだな」


     ◇


「それと」


 俺は三人を見る。


「この話は湖畔のみんなに全部広げない方がいいと思う」


「理由は?」


「心配するだけになるから」


 シオンと話せた。これは嬉しい情報だ。でも神務院に反応を観測された可能性まで、子供たちに細かく説明する必要はない。


「アルノ、リリア、マリベル辺りには必要なら共有。警備側はガランとレオンから必要範囲だけ。職人には今まで通り仕事してもらう」


「ヒカルらしいな」


 ガランが笑う。


「何が?」


「危機が増えても工事を止めない」


「危険が迫ってるかどうかもまだ分からないし」


「それでも普通は浮き足立つ」


「浮き足立って祠が完成するなら、いくらでも浮くぞ」


「そりゃ、完成しないな」


「だろ?」


 こびゃっこが前足を上げた。


「では、びゃっこは?」


「普通に祠の監修」


「重大な神的事象が起きた直後じゃぞ!」


 珍しくこびゃっこが焦っている。


「だからこそ、お前が必要な仕事をやる」


「む」


「始マリノ祠、あと少しだろ」


「……そうじゃな」


 こびゃっこの耳が少し上がる。納得した様だ。


     ◇


 一方、同じ頃。レイシス皇国の皇都郊外にある神務院研究施設。


 シオンは昨夜ほとんど眠れないまま、二人の神官に挟まれて観測室の隣にある小さな尋問室へ連れて来られていた。


 首元の銀環は、いつも通り冷たい。

けれど昨夜、これが光った。そしてその直前まで声が聞こえていた。


 ユキ、びゃっこ、おっちゃん……いや。


「ヒカル……」


 シオンは声に出さないよう、心の中だけで名前を呼んだ。


『ヒカルだ。いるぞ』


 名前は以前見た夢で知っていたが、昨夜、本人から初めて直接聞いた。でもシオンにとってはまだ、《おっちゃん》の方がしっくりくる。


     ◇


「座れ」


 神官に言われ、シオンは椅子へ腰を下ろした。いつもオルガが立っていた場所を見る。


 今日はいない。眼帯をした女の姿はなかった。それだけで、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。


「昨夜、夢を見たな?」


 机の向こうに座る司祭が尋ねる。


「……はい」


「何を見た」


 シオンは答える前に、ほんの少しだけ息を吸った。昨夜、ヒカルが言った言葉を思い出す。


『待ってろ、シオン。必ず助ける』


 ユキも言っていた。


『シオン、わるくない』


 びゃっこも。


『ここじゃ』


 だから、言わない。初めて、シオンは自分の意思で決めた。


「……湖」


「湖?」


「はい」


「他には」


「家……いっぱい」


「建物か?」


「はい」


「人は?」


「いました」


「誰がいた」


 ここまでは、以前にも話している。


「ユキ……白い子」


「白狐神と思われる少女だな」


「……はい」


「異界人は?」


「いました」


「サコン・ヒカルだな」


 シオンの指が膝の上で僅かに動いた。


「……いました」


「何をしていた」


「みんなと、いました」


「具体的に」


「ごはんの前……だったと思います」


 嘘ではない。湖畔の日常を見た、夕食前だった。小さな女の子がこびゃっこを抱いていた。大きな犬もいて、みんな笑っていた。


 全部、本当の話だ。ただ、会話出来たことだけを言わない。


     ◇


「共鳴値が、これまでの観測で最大だった」


 司祭が別の紙を見る。


「何か特別なものを見たはずだ」


「……人が、いっぱい」


「以前より?」


「はい」


「兵士か?」


「分からない」


「武装した人間は?」


「いた……かも」


「何人だ」


「分かりません」


 シオンは俯いた。本当に数えていない。夢の中で騎士らしい者は見えた。でも何人かなんて分からない。


「大型機械は?」


「見てません」


「橋は」


「前に見ました」


「昨夜は?」


「分からない」


 司祭の眉が寄る。


「本当にそれだけか?」


「……はい」


     ◇


 シオンの心臓が速くなる。もしオルガがいたら、赤眼を使われたら、自分は隠せただろうか。分からない。でも今日はオルガはいない。


 昨夜、オルガ自身が尋問中止を進言したことをシオンは知らない。ただ、いつもの眼帯の女がいない。それだけが幸運だった。


「銀環が強い共鳴を記録している」


 司祭が言う。


「何か聞こえなかったか?」


 シオンの背中が冷たくなる。


「……」


「声だ」


「……夢の中で?」


「そうだ」


 シオンは少し間を置いた。


「みんな、しゃべってました」


「誰と誰が」


「湖の人たち」


「お前へ話しかけた者は?」


 来た。シオンは唇を結ぶ。でも。


「……いません」


 言えた。


「誰も?」


「はい」


 司祭がじっとシオンを見る。赤眼ではない。ただの視線だ。


「そうか」


 司祭は記録へ何かを書き込んだ。シオンは膝の上で握った指を、ゆっくり緩めた。


     ◇


「尋問はこれで終わりだ」


「……え?」


 思わず顔を上げた。


「今後、湖畔について毎日聞き取りを行う予定はない」


 その言葉だけなら嬉しいが、司祭は続けた。


「代わりに、お前には湖畔調査隊へ同行してもらう」


「……え?」


「八の月一日、湖畔へ向かう」


 シオンの耳がその言葉だけを拾った。八の月一日。


「湖……いく?」


「ああ」


「ほんと?」


 思わず声が大きくなる。司祭はそれを別の意味に取ったらしい。


「心配する必要はない。お前は魔力供給奴隷ではない」


「……」


「銀環の観測対象として同行するだけだ。白狐神へ近づいた際、どのような反応が生じるか確認する」


 シオンの胸に湧いた喜びが、一瞬で別のものに変わった。湖畔へ行ける。ユキたちのところへ。でも神務院と一緒に?


     ◇


「司祭様」


 後ろにいた神官が口を挟んだ。


「出発準備は七の月末でよろしいでしょうか」


「いや、湖畔までは最低五日かかるだろう。兵器隊は先行準備がある。奴隷供給も遅れているから、二十日までには全対象を移送区画へ集めろ」


「銀環対象も?」


「シオンは最後でいい。八の月一日の決行日に間に合えば問題ない」


「承知しました」


 シオンは俯いたまま、その会話を聞いた。


 八の月一日、決行日、兵器隊、奴隷供給。言葉の意味を全部理解出来るわけではない。でも、いい話ではないことくらい分かる。


「……」


 言わなきゃ。どうやって?また夢が繋がれば。でも、昨夜みたいに話せる保証はない。シオンは首元の銀環を触るが、冷たい感触だけで何も答えてくれない。


     ◇


「戻せ」


 司祭の言葉で、二人の神官がシオンの両側へ立つ。部屋を出る直前、シオンは一度だけ振り返った。


 机の上には、昨夜の観測記録。大きく跳ね上がった波形。自分と湖畔が繋がった証拠。それを神務院は別の意味で見ている。


「……ユキ」


 今度も声には出さない。


「おっちゃん……」


 八の月一日。伝えないと……。


     ◇


 その頃。湖畔では。


「右、あと三ミリ」


「三ミリ?」


「そこ」


「こっちか」


「そう」


 朝からニナが細かい。


「グレゴール、もうちょい右」


「ニナ、お前ほんと数字細かいな」


「三ミリ、ずれる」


「見りゃ分かる」


「じゃあ、直す」


「はいはい」


 昨日の夜、神務院だの銀環だの夢だのという話をしていたのが嘘みたいに、作業倉庫では《始マリノ祠》の仮組みが進んでいた。


 俺も朝食後の報告会を終えて合流している。


 グレゴールとエリオットが木部を確認し、こびゃっこは少し離れた位置から軒や木鼻の意匠を見る。


 今日はニナも参加し、コンベックスを持って寸法を確認している。ミネットも参加して仮組の屋根部分を見ている。


「にゃー……これは楽しいにゃ」


「まだ屋根載せてないぞ」


「屋根職人は、屋根が乗る前から楽しいにゃ」


「意味分からん」


「ヒカルは屋根職人の心が分からないにゃ」


     ◇


 《始マリノ祠》は、作業倉庫で出来る範囲の加工と仮組みがかなり進んでいた。


 柱、梁、桁、軒まわり、内部仕上げと金物。


 まだ本固定ではないが、一度ここで組んで寸法を確認しておけば、森の中で一から合わせるよりずっと早い。


「この調子なら」


 グレゴールが全体を見る。


「ここでの仮組みはあと二日、余裕を見ても三日だな」


「その後は森?」


「ああ」


「ユキの大木のところ」


 俺が言うと、こびゃっこが頷いた。


「いよいよじゃの」


 ユキが小型双眼鏡を胸元へ下げながら言う。


「はじまりの、おうち?」


「おうちじゃなくて祠だな」


「ユキ、うまれた、ところ」


「その近く」


「しらゆきも?」


「同じ大木の近くじゃった」


 こびゃっこの声が少し柔らかくなる。


「しらゆきも、あの場所から始まった」


 ユキが大木のある森の方向を見る。


「じゃあ、はじまり」


「そうじゃ」


「なら、よし」


     ◇


「でも」


 俺は図面を見る。


「現地へ持っていったら、まず建物じゃない」


「基礎じゃな」


 グレゴールが答える。


「そう。大木の根を避けて、台座と基礎。それから排水」


「呼んだか」


 低い声がして振り返ると、バドルが入ってきた。ドワーフの石工。相変わらず石を見る時と人を見る時で目つきがほとんど変わらない。


「丁度いい。バドル、現地基礎の話をしたかった」


「図面は見た」


「どう?」


「現地をもう一度見る」


「やっぱり?」


「石は図面だけで決めない」


「さすが」


「土も見る。根も見る。水も見る」


「カイルとレイルも一緒だな」


「ああ」


     ◇


 俺たちは作業台へ図面を広げた。祠本体の下には、直接地面へ置くのではなく、石の台座と基礎を設ける。


 ただし普通の建物と違い、大木のすぐ近く。ユキと先代しらゆきが誕生したとされる木だ。その根を傷つけたら意味がない。


「ここ」


 俺が平面図を指す。


「前回の現地確認で、大きな根がこの方向へ走ってた」


「なら掘らん」


 バドルが即答。


「杭も避ける」


「そうしたい」


「台座を少しずらす」


「祠そのものの向きは?」


 こびゃっこが図面を覗き込む。


「大きくは変えぬ方がよい。昔の祠も、大木へ真正面を向けておったわけではない。根と水を避けて僅かに振っておった」


「なら、数度程度なら調整可能?」


「問題ないじゃろう」


「よし」


     ◇


「石は?」


 バドルが聞く。


「主要部分は、俺のスキルで購入する」


 それを聞いたバドルは少し考える。


「主要以外の表面に使える石は湖岸から持ってきてもいい。ただ、森の湿気がある。水を吸い過ぎる石は使わん」


「凍結も?」


「冬がどこまで冷えるか、まだ分からんからな」


「そこも考えるか」


「石は、人より長く覚えている」


「出た」


「何がだ」


「いや、名言」


「普通の話だ」


 バドルにとっては普通らしい。


     ◇


 台座の次は鳥居。湖畔の鳥居と同じものを祠本体とは別に、少し離れた位置へ設置する予定だ。


「鳥居の基礎はこっち?」


 俺が別図を出す。


「ああ。ただし、これも根を避ける」


「左右で根の状態が違ったら?」


「基礎寸法を同じにすることに拘らん。上が真っ直ぐならいい」


「なるほど」


「見た目を揃えるために木を傷つける方が馬鹿だ」


「それは完全同意」


 こびゃっこも頷いた。


「祠も鳥居も、神のためと言って木を傷めるようでは本末転倒じゃ」


 ユキも真似して頷く。


「き、だいじ」


「そう」


「き、いたい、だめ」


「そういうこと」


     ◇


「じゃあ明日か明後日」


 俺は予定を書き込む。


「バドル、カイル、レイル、俺で現地再確認。こびゃっこも」


「びゃっこは必要じゃ」


「ユキも!」


「ユキは根を見る係じゃないぞ」


「かんとく」


「それなら規制区域の外から」


「うん」


「大木の周りだから、掘削位置を決めるまでは重機入れない。最初は人力で確認」


「それがいい」


 バドルが頷く。


「根の深さが分かってから機械を使え」


「了解」


 こういう時は専門家に任せる。俺が工務店スキルを持っていても、石を何十年も扱ってきた職人には敵わない。


     ◇


「屋根は?」


 ミネットが待ちきれないように聞く。


「まだ先」


「にゃあ……」


「でも仮組み終わったら、屋根まわりの確認はミネット中心」


「任せるにゃ!」


 復活早い。


「昔の形をそのままコピーするんじゃなくて、雨仕舞は今の湖畔仕様にしたい」


「そこはもう見たにゃ。軒の出も十分だし、下地も悪くないにゃ」


「風は?」


「森だから湖岸より直接の風は弱い。でも枝葉から落ちる水があるにゃ」


「雨だけじゃない?」


「そうにゃ。上から大粒で落ちるにゃ」


「なるほど。防水性重視か」


 屋根職人の見るところは違う。


「あと落ち葉」


「じゃあ掃除しやすく」


「最初からそうするにゃ」


 これも段取り。


     ◇


 午前中はそのまま《始マリノ祠》の仮組みと、現地施工の打ち合わせを進めた。


 こびゃっこは何度も図面と木部を見比べていた。昨夜のことが気になっていないわけじゃない。たぶん俺より気にしている。それでも、今やるべき仕事をやる。千年以上生きているだけあって、その切り替えは俺より上手い。


「こびゃっこ」


「何じゃ」


「シオンのこと、気になる?」


「当たり前じゃ」


「だよな」


「じゃが」


 こびゃっこは祠の梁を見上げる。


「これもシオンに無関係ではない気がしておる」


「始マリノ祠が?」


「はっきりと分からぬがの」


「またそれか」


「分からぬものを分かったふりする方が危険じゃ」


「正論だな」


「ただ、しらゆきたちとの共有夢が始まった頃から、こちら側の繋がりが強くなっておる。それとこの祠の存在が全く無関係とも言い切れぬ」


「まだ完成してないぞ」


「だから不思議なのじゃ」


 確かに。始まりの祠と共有夢。そしてシオンとの接続、銀環。何が原因か分からない。だから今は、決めつけない。


「完成してから考えよう」


「うむ」


「まず建てる」


「結局工事じゃな」


「そこは俺だからな」


     ◇


 昼食後。今度は厩舎へ移動した。昨日までの作業で、馬房の扉と腰壁はかなり進んでいる。


 給水配管もカイルとレイルがほぼ通し終わり、照明はエリオットが最終位置を確認していた。


「あと二日だな」


 グレゴールが言う。


「二日?」


「大きな問題が出なければ」


「じゃあ余裕見て三日?」


「そうだな」


 俺は厩舎の中を見る。二十三頭分。既存の三頭と、近衛騎士団の二十頭。端の二馬房だけ少し広い。大型馬や体調不良馬、一時隔離用。床にはゴムマットを敷く位置の墨が入っている。


 腰壁も馬が蹴ったり身体を擦ったりして危険がないよう、金具の出っ張りを一つずつ潰している。


 仮設厩舎の割に中々の造りになった。


「ニナ」


「なに?」


「こっちの扉、確認した?」


「した」


「何を見た?」


「開く。閉じる。金具、出てない。下、引っ掛からない」


「よし」


「あと」


 ニナがしゃがむ。


「ここ、五ミリ」


「何が?」


「隙間、違う」


 グレゴールが覗く。


「……ほんとだ。こりゃ、目立つな」


「直す?」


「直す」


「じゃあ記録する」


「先に直してから書け」


「分かった」


     ◇


 ユキは今日は本来の監督様へ戻っていた。青ライン入り白ヘルメット。小型双眼鏡にホイッスル。


「ユキ」


「うん」


「昨日はお姉ちゃん業務だったけど、今日は監督だな」


「うん。きょう、かんとく」


「ミナは?」


「マリベルと、リリア」


「ちゃんと休ませた?」


「ミナ、げんき。でも、まだ、ぜんぶげんき、じゃない」


「そう」


「だから、あそぶの、ちょっとだけ」


「よく分かってきたな」


 ユキが胸を張る。


「おねーちゃん、わかる」


「監督兼お姉ちゃんか」


「いそがしい」


「五歳で多忙だな」


「おっちゃんも」


「俺は四十だから」


「よんじゅっさい、いそがしい?」


「まあな」


     ◇


 作業は午後も順調だった。一つずつ作業箇所が終わっていく。今は俺がいなくてもかなり進む。


 グレゴールが木工をまとめ、カイルとレイルが水。エリオットが照明と仕上げて、ドランとボルガが金具を取り付けていく。ニナがそれぞれの手元を手伝いながら、寸法チェックと工程を記録。


 俺は全体を見て、安全と納まりを確認する。以前なら、自分で工具を持って走り回っていた。


「ヒカル」


「ん?」


「そこ立ってると邪魔」


 ニナに言われた。


「俺も監督なんだけど」


「そこ、通る」


「はい」


 素直にどいた。成長したな、俺。


     ◇


 夕方前。工事を止め、今日の出来形を確認する。


「扉、残り三」


 ニナが記録を読む。


「腰壁、ほぼ終わり」


「給水は?」


 カイル。


「主管は終わった。各馬房の確認が明日」


「照明」


 エリオット。


「器具取り付けと配線の取り回しは終わり。あとはヒカルの最終結線と、点灯確認、保護カバーだ」


「金具」


 ドラン。


「危ない出っ張りは今日見た分は潰した。明日もう一周じゃ」


「床」


 グレゴール。


「マット敷きと端部処理」


「じゃあ」


 俺は全員を見る。


「やっぱり二日。余裕見て三日だな」


「そうなるな」


「祠の仮組みも同じくらいか」


「重なるにゃ」


 ミネットが言う。


「終わりが二つ同時に来るにゃ」


「それはいいことだろ」


「次の仕事も二つ来るにゃ」


「……それもそうだな」


     ◇


 祠の仮組みが終われば、森で基礎。鳥居、台座、排水、現地組立。


 厩舎が完成すれば、馬を移す準備、動線確認、飼料、水、清掃。工事が完成したら終わりではない。次は使う段取りが始まる。


「おっちゃん」


「ん?」


 ユキが俺の服を引っ張る。


「シオンも、くる?」


「何?」


「ここ」


 湖畔。そういう意味だろう。


「来てもらう」


「いつ?」


「まだ分からない」


「……」


「でも昨日、直接言っただろ」


「たすける」


「そう」


「まってろ?」


「ああ」


「シオン、まってる?」


 俺は少し考えた。


「たぶんな」


「じゃあ、ユキも、まつ」


「ただ待つだけじゃないぞ」


「なにする?」


 俺は建設途中の厩舎を見る。その向こうには食堂、住居、診療所、畑、そして湖。森の中には、これから建てる《始マリノ祠》がある。


「普通に暮らす」


「ふつう?」


「工事して、ご飯食べて、遊んで、寝る」


「シオン、たすけない?」


「助ける準備もする。でも、それだけにならない」


「……」


「シオンが来た時に、ちゃんと帰って来られる場所がないと困るだろ」


 ユキが考える。


「シオンの、おうち?」


「それは本人が決める。でも、ここにいたいなら、いられる場所にはしておきたい」


 ユキはしばらく黙ったあと、俺の手を握った。


「じゃあ、つくる」


「何を?」


「かえる、ばしょ」


 俺は少し笑った。


「ああ」


     ◇


 その頃。遠く離れた神務院の小さな部屋で、シオンは寝台に座り膝を抱えていた。


 八の月一日。その日、神務院は湖畔へ行き自分も連れて行かれる。


 理由は銀環。白狐神への反応を見るため。怖い、とても怖い。でも昨夜聞いた声を思い出す。


『いるよ』


『待ってろ、シオン。必ず助ける』


『必ずじゃ』


「……」


 シオンは首元の銀環へ触れる。冷たい輪。自分を監視するための物。ずっと嫌だった。今も嫌いだ。それでも昨夜、これが光った時。初めて向こうへ声が届いた。


「……なんで?」


 答えはない。シオンにも分からない。ただもう一度繋がれたら、言わなければならないことがある。


「八の月……一日」


 忘れないように、もう一度口の中だけで呟く。


「八の月一日」


 今度は少しだけ強く、そして目を閉じた。


「ユキ」


 返事はない。


「びゃっこ」


 返事はない。


「……おっちゃん」


 もちろん返事はない。


 それでも、昨日までとは違った。返事がないことと、誰もいないことは同じではないと知ったからだ。


     ◇


 湖畔の夕方。厩舎工事を終え、食堂へ戻る途中で、俺は西の空を見た。何となく、本当に何となくだ。誰かに呼ばれたような気がした。


「おっちゃん?」


「ん?」


「どうした?」


「いや」


 俺は首を振った。


「何でもない」


 ユキも西の方を見る。こびゃっこは少しだけ耳を動かした。でも、今度は声までは聞こえなかった。


「帰るか」


「うん」


「夕餉じゃ!」


「お前はそこだけ早いな」


「腹が減っては神使は出来ぬ!」


「昨日ミナに揉まれても出来てただろ」


「あれは別問題じゃ!」


 ユキが笑う。俺も笑った。今日も湖畔の一日が終わる。祠はあと二、三日で仮組みを終え、厩舎もあと二、三日。その先には森の基礎工事と鳥居の設置。


 馬たちの引っ越し。ロックパームとの交渉。シオンの救出。やることは山ほどある。それでも、一つずつだ。


 昨日、夢の向こうにいた少女へ声が届いた。なら次は声だけじゃない。本当に会うための段取りを始める。


続く。


     ◇


【第136話・収支報告】


異世界生活96日目

日付:六の月25日

オリエント王国歴952年


開始残高:3,122,365pt


今回の新規購入:なし


・《始マリノ祠》仮組みは既存在庫の木材、金物、加工資材を使用

・厩舎工事も既購入済み部材を使用

・新規工具、設備、医療用品等の購入なし


今回支出合計:0pt


現在残高:


3,122,365pt − 0pt

= 3,122,365pt


円換算目安:


3,122,365pt × 100円

= 約312,236,500円相当

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