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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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133/139

第133話 白狐神とみんなの権利


 異世界生活95日目。

 六の月24日の朝。


 朝食を終えたあと、工事事務所には俺、ユキ、こびゃっこ、アルノ、リリア、ミーシャ、トト、ニナが集まっていた。


 昨日の夜に勢いで決めたわけではない。前から頭の片隅にあった物が、ようやく形になっただけだ。


 《白狐の里自治領》。


 どの国にも属さない独立した土地。白狐神ユキを象徴君主として、そこに住む者たち自身が主権を持つ自治領。

――と、自分で考えておいて何だが。


「朝から話す内容として重いな」


「ヒカルさん?」


 アルノが首を傾げる。


「いや、何でもない」


 工事事務所の窓から外を見る。今日は鍛冶場の溶接朝練は休みにした。


 グレゴールとエリオットは既に作業倉庫へ行き、《始マリノ祠》の仮組みを進めている。午後からは二人とも厩舎の馬房工事へ合流予定だ。


 俺とニナも、午前中の話し合いが終わり、昼飯を食べてから厩舎へ行く。だから午前中は、こっち。


「じゃあ、始めるか」


 俺は全員を見る。


「昨日、俺が考えたことを話したい」


「おっちゃん」


「何?」


「しょーちょー」


「いきなり結論を言うな」


 ユキが胸を張る。


「ユキ、しょーちょー、くんしゅ」


「まだ決まってない」


「む」


「だから今日、みんなに聞くんだよ」


     ◇


「まず」


 俺はホワイトボードへ《白狐の里自治領》を大陸共通語のカタカナで書く。全員が文字を見て、ミーシャが最初に声を出した。


「昨日までの湖畔と、何が変わるの?」


「生活は、たぶんほとんど変わらない」


「じゃあ何で名前をつけるの?」


 いい質問だ。


「外に説明するため」


「外?」


「オリエント王国とか、ロックパーム公国とか、レイシス皇国とか」


 ミーシャの猫耳が少し伏せた。トトも静かになる。ニナの顔からも表情が消えた。やっぱりレイシスという言葉は、まだ軽く聞ける名前じゃない。


「今までは、ここが何なのか聞かれても『白狐神の湖畔』とか『俺たちの拠点』って答えてた」


 アルノが頷く。


「確かに、公的な名称はありませんでした」


「そうなんだよ」


「ですが、ガランさんは既に王国大使です」


「ああ」


「大使を受け入れている側に、正式な名称がないのはやはり……」


「変だよな」


「……かなり」


「そこまで言う?」


「事務方をやらせてもらう様になった頃から気になっていました」


「早く言ってくれ」


「ヒカルさんが嫌がると思いまして」


「……それは正解」


 アルノが少し笑う。


     ◇


「それで」


 俺は続ける。


「俺はここを《白狐の里自治領》として、外に向かって正式に名乗りたい」


 リリアが聞いた。


「自治領とは、どういう意味でしょうか」


「簡単に言えば、自分たちで自分たちの暮らしを決める場所」


「王が決めるのではなく?」


「そう」


「領主様でも?」


「いない」


 ニナが俺を指す。


「ヒカル」


「違う」


「でも作った」


「作ったけど領主じゃない」


「道路も」


「作った」


「橋も」


「作った」


「家も」


「……作ったな」


「じゃあ領主?」


「だから違う!」


 トトが笑った。


「ヒカル、工事の人」


「それでいい」


「おっちゃん、こうじのひと」


「ユキまで」


「あと、だんどりのひと」


「もう肩書きそれでいいかな」


 対外的な役職名を検討しているこびゃっこが慌てる。


「よくないのじゃ! 代表が『工事と段取りの人』では締まらぬ!」


     ◇


「それで、一番大事なことなんだが」


 俺はもう一つ書いた。《主権は領民にある》。全員が黙る。予想通りだった。


「……しゅけん?」


 ユキが読む。


「そう」


「なに?」


「難しいよな」


 ユキだけじゃない。リリアも、ミーシャも、トトも、ニナも。アルノですら、言葉の意味は分かっていても、俺が言いたい感覚までは掴めていない顔をしている。


「自分のことを、自分で決める権利があるってこと」


 ミーシャが首を傾げる。


「自分で?」


「うん」


「誰に聞かなくても?」


「何でも好き勝手していい、って意味じゃないぞ」


「違うの?」


「他の人にも同じ権利があるから」


「……?」


 ここが難しい。俺は少し考えた。


「例えば」


 ミーシャを見る。


「ミーシャが今日、お菓子を作りたいと思った」


「うん」


「俺が理由もなく『お前は作っちゃ駄目だ』って言った」


「……嫌」


「そうだろ?」


「うん」


「でも『厨房で火を使うから、リリアかマルタが一緒にいてくれるなら』って言ったら?」


「それなら分かる」


「その違い」


 ミーシャが少し考える。


「危ないから止めるのと、ヒカルが偉いから止めるのは違う?」


「そう」


 よく分かったな。


「誰かが偉いから、何でも命令していいわけじゃない」


 リリアの顔が変わった。ミーシャも。トトも。ニナも。


 俺が何を話そうとしているのか、ようやく分かったらしい。


     ◇


「俺の世界には、人権という考え方がある」


「じんけん」


 トトが小さく繰り返す。


「人として生きる上で、誰でも最初から持っている権利だ」


「最初から?」


 リリアが聞く。


「ああ」


「誰かから与えられるのではなく?」


「違う」


「王からでも?」


「違う」


「神から?」


 俺はユキを見る。ユキも俺を見る。


「少なくとも、俺の考えでは違う」


 ユキが小さく頷く。


「ユキ、あげられない」


「うん」


「みんな、もってる?」


「そう」


「なら、よし」


 簡単に言った。でも、その言葉が一番しっくりきた。


「生きること」


 俺は指を一本立てる。


「勝手に殺されないこと」


 二本目。


「傷つけられないこと」


 三本目。


「どこに住むか、自分で考えられること」


 四本目。


「誰と暮らすか、自分で選べること」


 五本目。


「物みたいに売られないこと」


 そこまで言った時、ミーシャの猫耳が完全に伏せた。トトは膝の上で拳を握っている。ニナは机を見つめた。リリアは子供たちを見た。


「……奴隷と反対?」


 ミーシャが聞いた。


「そうだな」


     ◇


「俺が奴隷制度を嫌う理由は、それだ」


 事務所が静かになる。


「俺のいた世界にも、昔は奴隷制度があった」


 全員が俺を見る。


「異界にも?」


 アルノが聞く。


「形は違っても、人を物の様に扱う時代があった。世界中に」


「今は?」


「少なくとも、俺がいた時代の日本では、人を所有物として売ったり買ったりするのは認められてない」


「どうして無くなったのですか?」


「長い時間がかかった」


 戦争や奴隷解放運動、法律改正を求め、色んな人が声を上げた。そんな全部を簡単に説明することは出来ない。


「人は物じゃないって考えるようになったからだ」


「……物」


 ニナが呟く。


「奴隷首輪って、相手を人じゃなくて『所有物』にする道具だろ」


 誰も答えない。


「命令に逆らえない」


 あの首輪。


「逃げられない」


 砦の牢。


「売られる」


 奴隷市場。


「家族と引き離される」


 ミーシャがリリアを見る。


「名前まで奪われることがある」


 俺はそこで止めた。これ以上、朝から具体的に思い出させる必要はない。


     ◇


「だから俺は嫌いだ」


 ミーシャが俺を見る。


「レイシスが?」


「奴隷制度が」


「同じじゃないの?」


「違う」


 ここは分けたい。


「レイシスに住んでる人全員が悪いわけじゃない」


「……」


「そこに生まれただけの人もいる。奴隷制度がおかしいと思ってる人もいるかもしれない」


 アルノが静かに頷いた。


「国の制度と、その国に住む全ての人間は同じではない……」


「そう」


「だから、俺たちが対抗する相手は?」


「奴隷制度。神務院。そして、それを利用する者たちですね」


「そういうこと」


 怒る相手を間違えると、同じことになる。人族だから。獣人だから。エルフだから。レイシス出身だから。


 それだけで相手を敵にするなら、人族至上主義と大して変わらない。


     ◇


 リリアがゆっくり手を上げた。


「一つ、聞いてもよろしいでしょうか」


「うん」


「私たちも、その……主権を持っているのでしょうか」


「もちろん」


 即答すると、リリアが目を伏せる。


「ですが私は……」


「元奴隷?」


「はい」


「関係ない」


 ミーシャも俺を見る。


「私も?」


「持ってる」


「トトも?」


「持ってる」


「ニナも?」


「当然」


 ニナが自分を指差す。


「最初から?」


「最初から」


「奴隷だった時も?」


 胸が詰まった。


「ああ」


「でも、なかった」


「奪われてたんだ」


「……」


「無かったんじゃない」


 そこは絶対に違う。


「本来持ってた物を、他人が無理やり使えなくしてた」


 ニナが黙る。


「だから」


 俺は全員を見る。


「俺が返した訳でもない」


「でも、ヒカルが助けた」


「助けはした」


「ユキが首輪外した」


「それでも、お前たちの権利を俺やユキが与えたわけじゃない」


「……」


「最初から、お前たちのものだった」


 長い沈黙。ミーシャがしばらく考えてから、恐る恐る手を上げた。


「じゃあさ」


「ん?」


「自分のことを自分で決めていいなら、ヒカルの言うことも聞かなくていいの?」


「いきなりそこへ行くのか」


「だって、自分で決めるんでしょ?」


「さっきも言ったけど、何でも好き勝手していいって話じゃないぞ」


「じゃあ、ごはんの前にお菓子食べるのは?」


「駄目」


「自分で決めたのに?」


「夕飯が食べられなくなるから駄目」


 ミーシャの猫耳が少し伏せる。すると、今度はトトが手を上げた。


「夜、遅くまで絵を描くのは?」


「ほどほどにして寝なさい」


「自分で決めるのに?」


「寝不足になるだろ」


 今度はニナ。


「一人で溶接――」


「絶対駄目」


「自分で決め――」


「事故があったら危険だろ」


「む。全部言ってない」


 そして象徴君主まで手を上げた。


「おっちゃん」


「……何でしょう」


「おやつのチョコパイ、みっつ――」


「駄目です」


「む。まだ、いってない」


「絶対その先、『食べたい』だろ」


「……よっつ?」


「何故増える?」


 ミーシャが笑った。


「ぜんぜん自由じゃない」


「違う違う」


 俺も笑いながら首を振る。


「自分で決めていい。でも、危ないことを止めたり、みんなで暮らすための約束まで無くなるわけじゃないんだよ」


「むずかしい」


「だな」


 俺にも、五歳から八歳の子供たちへ一回で説明できるほど上手い言葉は見つからない。するとユキが、しばらく考えてから言った。


「じぶんで、きめる。でも、あぶないの、だめ?」


「そう」


「おやつ、ふやすのも?」


「駄目」


「……む」


「そこだけ納得してないな?」


 ユキが真剣な顔で言った。


「おっちゃん。おやつ、あんぜん」


「そういう問題じゃない」


 今度こそ、みんなが笑った。


     ◇


「でも」


 俺は続ける。


「決まりも、俺が一人で好きに決めるんじゃなくていいと思う」


 アルノが反応する。


「領民会議のようなものですか?」


「そういうのがいると思う」


「大人だけ?」


 ミーシャが聞く。


「子供の意見も聞く」


「ほんと?」


「子供に関係することなら特にな」


「ユキも?」


「もちろん」


「ユキ、しょーちょー」


「象徴な」


「しょうちょー」


「まあいい」


 ユキはかなり気に入っている。


「じゃあ」


 トトが聞いた。


「ヒカルが間違ったら?」


「止めてくれ」


「いいの?」


「いい」


「怒らない?」


「内容次第では怒るかもしれない」


「怒るんだ」


「人間だからな」


「でも止めていい?」


「いい」


 それが大事だ。俺だって間違う。四十歳だろうが、異界人だろうが、守護者だろうが、それで正解になるわけじゃない。


     ◇


 アルノが腕を組み、しばらく考えたあと口を開いた。


「私は賛成します」


「早いな」


「以前から、必要だと感じていました」


「そうだった」


「ただし制度は、これから細かく詰める必要があります」


「頼む」


「やはり私ですか」


「改めてこの自治領の文官をお願いしたい」


「そうですか……」


「専門家に任せる」


「便利な言葉を覚えましたね」


「成長したと言ってくれ」


 リリアが続いた。


「私も賛成です」


「無理に合わせなくていいぞ」


「違います」


 少しだけ笑う。


「自分で決めてよい、と今教えていただきましたから」


 そうだった。一本取られた。


「なら、ありがとう」


「ミーシャは?」


 俺が聞く。


「賛成」


「理由は?」


「ユキが王様じゃないから」


「そこ?」


「王様だったら、ユキだけ偉くなるでしょう?」


「まあ」


「でも象徴なら、ユキはユキでしょ?」


 ユキが力強く頷く。


「ユキはユキ」


「それがいい」


 子供の理解は時々、説明した大人より本質を突く。


「トトは?」


「賛成」


「ニナ?」


「賛成」


「理由は?」


「工具の場所、みんなで決められる」


「自治領の第一政策が工具棚になりそうだな」


「だいじ」


「大事だけど」


     ◇


 最後に俺はこびゃっこを見る。


「お前は?」


「びゃっこか?」


「ああ」


 こびゃっこは腕を組み、少しだけ目を細めた。


「反対する理由はない」


「意外と普通だな」


「何を期待しておる」


「高尚な演説」


「良いのか?」


「長いから、やっぱいい」


「聞くのじゃ!」


 全員が笑う。


 ここには、まだ正式な制度は何もない。領民の範囲も、規則や代表職の名前も、税金、会議の仕組みも、何一つ決まっていない。


 でも、最初の一つだけは決まった。ここに住む人間は、誰かの所有物じゃない。そして誰かに生き方を決められるだけの存在でもない。


 自分たちの場所を、自分たちで決める。それでいい。


     ◇


 話し合いが一段落した頃。ユキがミーシャの服の裾を引っ張った。


「ミーシャ」


「なに?」


「ミナは……」


「うん」


「おやつ、たべたこと、ある?」


 ミーシャの表情が止まった。


「……たぶん」


 少し考える。


「ないと思う」


 俺も黙った。ミナは三歳、生まれてから収容所。まともな食事すら十分に与えられていなかっただろう。


「テオも?」


 ユキが聞く。


「甘い物は、ほとんど無かったんじゃないかな」


 ミーシャの声が少し変わる。自分が砦にいた頃を思い出しているのかもしれない。


「わたしも、ここ来るまで、甘いのほとんど食べたことなかった」


「……」


「最初、チョコ食べた時、びっくりした」


 そうだった。まだ湖畔に来たばかりの頃。


「ヒカル」


「ん?」


「午後、作っていい?」


「何を?」


「ホットケーキとクレープ」


 ユキの耳がぴんと立つ。


「つくる!」


「お前、午後は厩舎監督だろ」


「……」


 完全に忘れてた顔。


「かんとく」


「うん」


「おかし」


「うん」


 悩み始める。


「どっち?」


「むうう……」


 五歳児に究極の選択を迫ってしまった。


     ◇


 しばらく悩んだあと、ユキが俺を見る。


「おっちゃん」


「何?」


「ユキ、きょう、おかし」


「監督は?」


「あした、する」


「そうか。休んでも工事は進むから、安心しろ」


「ほんと?」


「グレゴールもいる。俺も午後から行く」


「ニナも?」


「行く」


 ニナが頷く。


「工具見て、記録して、工事手伝う」


「なら」


 ユキが考える。


「ユキ、おねーちゃん、する」


 なるほど。今日は監督よりお姉ちゃんらしい。


「リリアとマルタが一緒ならいい」


「やった!」


 ミーシャの猫耳が立つ。


「火を使うからな。子供だけは禁止」


「分かってる」


「ユキも勝手に触らない」


「あんぜんだいいち」


「そう」


「ミナとテオの分はマリベルに確認してから。あっ、ラウルの分も作ってやってくれ」


「うん」


「回復途中だから、生クリームとかチョコを大量に食わせない」


「ちょっと?」


「少し」


「む」


「不満そうだな」


「いっぱいが、おいしい」


「それは分かるが、いっぱいは、体が良くなった後」


     ◇


 昼食後。俺とニナは厩舎へ向かった。午前中、作業倉庫ではグレゴールとエリオットが《始マリノ祠》の仮組みを進めていた。


 午後から二人もこちらへ合流。馬房扉、給水、照明、金具等、まだ細かい作業は残っている。


 今日の溶接朝練は休みにしたので、ドランとボルガも朝から通常作業。


「ユキは?」


 グレゴールが聞く。


「今日は監督休み」


「珍しいな」


「お姉ちゃん業務」


「……なんだそれ」


「俺も最近できた役職だから説明しにくい」


     ◇


 丁度その頃。食堂厨房では、おやつ作りが始まっていた。


 中心に立つのはミーシャ。赤いチェック柄のエプロン。初めてホットケーキを作った時に着けていたのと同じ物だ。あの頃は、ヒカルに一つずつ教わっていたが今は違う。


「ユキ、卵割れる?」


「できる」


「じゃあ、ここ」


 ミーシャが小さなボウルを前へ出す。


「直接大きいボウルに割らないでね」


「なんで?」


「殻が入ったら取りやすいから」


「だんどり」


「そう」


 コン。ユキが卵を台へ当てる。力が少し弱い。


「もう一回」


 コン!割れ目が入り、両手で開く。中身がボウルへ落ちた。


「できた!」


「上手」


「ユキ、たまご、できる」


 白い尻尾が大きく揺れる。リリアは少し離れた場所から見守り、マルタは調理台の反対側で腕を組んでいた。


「ミーシャ」


「なに?」


「ずいぶん慣れたもんだね」


「いっぱい作ったから」


「生地の固さも見るのかい?」


「うん。ホットケーキはこれくらい」


 泡立て器を持ち上げる。生地が太く落ちる。


「クレープはもっとさらさら」


「なるほどね」


 マルタが感心したように頷く。


「材料の配合だけじゃなく、生地を見て判断出来るなら十分だよ」


 ミーシャの猫耳が嬉しそうに動いた。


     ◇


 そこへ。


「甘味製造と聞いて参りました!」


 厨房入口から元気な声。猫耳の近衛騎士団の炊事担当、ミレイ・カッツ。

いつになく張り切っている。


「仕事は?」


 マルタが聞く。


「本日の炊事担当分は終えております!」


「警備は?」


「午後は非番であります!」


「甘味が目的?」


「……勉強が九割であります!」


 ミーシャが振り向く。


「残り一割は?」


「試食であります!」


「正直」


 リリアが笑った。


「ミレイさん、ホットケーキ作ったことない?」


「ありません!」


「クレープも?」


「ありません!」


「じゃあ教える」


「よろしくお願いします、先生!」


「先生?」


 八歳のミーシャが固まった。


「はい!」


「ミーシャ先生」


「……」


 猫耳が赤くなった。


     ◇


 ホットプレートが温まる。ミーシャが油を薄く塗った。


「いっぱい入れすぎないで」


「はい、先生!」


「ミレイさん、声大きい」


「申し訳ありません!」


「まだ大きい」


「すみません……」


 今度は小さい。


「このくらい」


 お玉から生地を落とすと、丸く広がる。ジュウ。甘い香りが立ち始めた。


「まだ触らない」


 ユキが顔を近づける。


「ぷつぷつ」


「そう。表面に穴が出てきたら、ひっくり返す」


「いま?」


「まだ」


「いま?」


「まだ」


「いま?」


「ユキ」


 リリアが笑う。


「見て待つのもお料理よ」


「む」


 じっと見る。


「……いま?」


「今」


「やった!」


 ミーシャがフライ返しを差し込み、くるりと返す。綺麗なきつね色。


「おお!」


 ミレイの猫耳が立つ。


「美しいであります!」


「戦果報告みたいだね。もう、普通に喋りな」


 マルタが笑った。


     ◇


 次はクレープ。こちらは少し難しい。薄い生地を素早く広げる。


「ユキは最初、ミーシャと一緒ね」


「うん」


 ミーシャがユキの手へ自分の手を重ねる。


「流したら、すぐ傾ける」


「こう?」


「反対にも」


「む」


「止めると厚くなるよ」


「いそぐ?」


「でも、ばたばたしない」


 ユキが止まった。


「それ、ユキ、いってる」


「ヒカルがいつも言ってるでしょ」


「だんどり」


「そう」


 薄い生地が丸く広がる。完全な円ではない、少しだけ歪んでいる。でも十分だった。


「できた!」


「できたね」


「ユキ、くれーぷ、できる!」


     ◇


 ミレイも挑戦した。


「参ります!」


「普通にやって」


「はい!」


 生地を流す。勢いよくフライパンを回す。


「速い!」


 ミーシャが言う。


「あっ」


 生地が端へ偏った。


「……」


 薄い部分と厚い部分。地図みたいな形。


「これは」


 ミレイが真顔になる。


「うーん。敵陣の地形図みたい」


「これ食べ物だよ」


 ミーシャの指摘が冷静だった。マルタが吹き出した。


「ここは戦場じゃないよ」


「もう一回お願い!」


「いいよ」


 三枚目にはかなり丸くなった。


「上手」


「やりました!」


「ミレイさん」


「はい?」


「甘い物好きだから覚えるの速いね」


「当然です!」


「当然なの?」


     ◇


 出来上がったホットケーキとクレープ。ホットケーキには少量のバターと蜂蜜。クレープには、バナナ、少量の生クリーム、刻んだチョコ。


 回復途中の三人用は甘さを控えめにし、量も小さく。残りは働いている皆の休憩分。マルタが一枚のホットケーキを試食した。


「……」


 黙った。ミーシャが不安そうになる。


「変?」


「いや」


 マルタはもう一口。


「これ、売れるよ」


「ほんと?」


「ああ」


 今度はクレープ。


「こっちも面白いね。中身を変えれば食事にも出来そうだ」


「甘くないの?」


「肉や野菜を包んでもいい」


 ミーシャが目を丸くする。


「それ今度やりたい」


「いいね」


 料理人同士の話になった。八歳と大人だが。


     ◇


 午後三時。厩舎工事の休憩時間。俺はニナと一緒に食堂へ向かった。遠くから甘い匂いがする。


「すごいな」


「甘い」


 ニナも鼻を動かす。食堂タープの下には、職人や近衛の非番組も少しずつ集まり始めていた。


「おっちゃん!」


 ユキが俺を見つける。白いエプロン姿で、頬には何故か小麦粉。


「どうした顔」


「つくった」


「顔を?」


「むー。ちがう!」


 怒られた。


     ◇


 そこへマリベルが診療所から歩いてくる。ラウル、テオ、ミナ。三人も一緒だ。ラウルはまだ脚を庇いながら、補助具を使っている。テオは自分で歩き、ミナはマリベルと手を繋いでいた。


「おっちゃ!」


「今日は外に出られたか」


「あい!」


「走るなよ」


「ヤッ!」


「そこは『あい』だろ」


 ユキが駆け寄る。


「ミナ!」


「ユキねーちゃ!」


「おやつ!」


「おやつ?」


 ミナにはまだ意味が分からない。ミーシャが少し緊張した顔で前へ出た。


「マリベル」


「はい」


「食べても大丈夫?」


 小さめに焼いたホットケーキと、半分サイズのクレープを見せる。マリベルが内容を確認する。


「今日は朝も昼も問題なく食べられていますから、少量なら大丈夫です」


「ほんと?」


「ただし、ミナちゃんはまず半分ずつ」


「分かった」


「ラウルさんとテオも、食べ過ぎなければ」


「患者の権利は?」


 ラウルが聞く。


「食事療法中は制限があります」


「昨日、主権の話を聞いたばかりなのだが」


「健康管理とは別です」


「強いな」


 俺が言う。


「マリベルには勝てない」


     ◇


 テーブルへ座る。最初にミナの前へ置かれたのは、小さなホットケーキ。直径十センチくらい。上にはほんの少しのバター。蜂蜜もごく少量。


 ミナが見る。


「……」


 鼻を近づける。


「くん」


 もう一度。


「くんくん」


「ミナ。犬族みたいだぞ」


 テオが笑う。


「ミナ、食べていいよ」


 ミーシャが言った。


「たべゆ?」


「うん」


「いただきます、する」


「たーきましゅ!」


「よし」


 小さく切ってある一片をフォークで刺し、口へ。


「……」


 止まった。狐耳も、尻尾も、口も全部。


「ミナ?」


 ユキが覗き込む。


「……」


「どうした?」


 俺も見る。次の瞬間。ぶわっ。ミナの赤茶色の尻尾が最大まで膨らんだ。


「んんんんんん!」


「何!?」


「んまっ!」


 両手が上がる。


「んま! あま! ふわ!」


 情報量が追いついてない様だ。


「うんみゃあ?」


 ユキが聞くと、ミナが物凄い勢いで頷く。


「あい!あい!あい!んま!」


 もう一口。目が丸くなる。


「ユキねーちゃ!」


「うん」


「あまい!」


「うん」


「ふわふわ!」


「うん。えらい?」


「えらい!」


 ユキの目が輝いた。


「ミナ、えらい、わかった!」


「何の継承だ」


     ◇


 ミーシャはその様子を見ていた。少しだけ。本当に少しだけ、泣きそうな顔をした。リリアが気付いたが、何も言わない。


 ミーシャが先に笑った。


「クレープもあるよ」


「くれーぷ?」


「これ」


 小さく巻いたもの。中にはバナナと、ほんの少しだけクリーム。ミナが警戒するように見る。


「さっきより甘いかも」


「……」


 ミナがユキを見る。


「だいじょうぶ」


「ユキねーちゃも、たべてる?」


「うん。いつも」


「いつもではない」


 俺が訂正する。


「ちょっと、いつも」


「何だそれ」


 ミナが一口。また止まる。そして。


「……」


 尻尾が揺れる。一回、二回、三回。


「うんみゃああ!」


 出た、最高評価。


「ユキのうんみゃあが継承されたな」


 ユキも胸を張る。


「くれーぷ、うんみゃあ、えらい」


「今日はミーシャが偉い」


「ユキもつくった」


「ああ。ユキも偉いぞ」


「ミレイも作ったであります!」


 横から声。


「戦果報告か!」


     ◇


 テオもホットケーキを一口食べた。


「……甘い」


「嫌い?」


 ミーシャが聞くと、テオは首を振る。


「違う」


 もう一口。


「こんなの……いつ食べたっけ」


 ラウルが静かに言った。


「祭りの時じゃないか?」


「祭り?」


「公国の冬祭り。蜂蜜菓子が出る」


「……あ」


 テオが少し笑った。


「食べたことあるかも」


「覚えてる?」


「少し」


 ラウルも一切れ口へ入れる。


「……これは」


「どう?」


「三年ぶりどころではないな」


「甘い物?」


「ああ」


 もう一口。顔が緩む。軍人の顔じゃない、ただの三十歳くらいの男の顔。


「うまい」


「よかった」


 ミーシャが笑った。


     ◇


「ミーシャ」


 テオが呼ぶ。


「なに?」


「これ、ミーシャが作ったの?」


「うん。ユキとミレイさんも」


「俺たちのために?」


「みんなの分もあるよ」


「あ、そうだよな」


「でも」


 ミーシャは少しだけ言葉を選んだ。


「ミナたちにも食べてほしかった」


「どうして?」


「わたしも昔、食べたことなかったから」


 テオが黙る。


「湖畔に来て、初めて甘い物食べたの」


「……」


「だから」


 ミーシャが笑う。


「今度はわたしが作る番」


 その言葉を聞いて、俺は朝の話を思い出した。


 権利、主権、人権。難しい言葉を並べた。でも、たぶん、これも同じなんだと思う。自分がしてもらって嬉しかったことを、今度は自分の意思で誰かにする。


 命令じゃなく義務でもない。自分で決める。そういう小さなことの積み重ねが、自分の人生を自分で生きるってことなのかもしれない。


     ◇


「おっちゃん」


「何?」


「ミナ、おかわり」


 ミナが皿を持ち上げている。


「マリベルに聞け」


 全員がマリベルを見る。


「……」


 マリベルが腕を組む。ミナが見上げる。


「おかわり」


「今日は」


「……」


「クレープをあと半分だけ」


「やった!」


「ゆっくり食べてな」


「あい!」


「返事だけは完璧だな」


     ◇


 午後三時の食堂タープテントに、職人たちも、近衛騎士団も、子供たちも、みんな同じホットケーキとクレープを食べている。ミレイは自分で焼いた三枚目のクレープを見て満足そうだ。


「ミーシャ先生!」


「なに?」


「次はチョコレート増量をお願い!」


「夕飯食べられなくなるから駄目」


「先生厳しい!」


「当然だよ」


 マルタが横で笑っている。


「ミレイ。八歳に食事管理されてどうするんだい」


「甘味の師匠に年齢は関係ないです!」


「それは少し分かるね」


「マルタまで!」


 リリアが笑う。ユキがミナの隣でクレープを食べる。


「ミナ」


「う?」


「うんみゃあ?」


「あい!」


「ミーシャ、えらい」


「うん!」


「ユキも?」


「ユキねーちゃも」


「ムフー」


「またそれか」


     ◇


 俺は時計を見る。


「そろそろ戻るか」


 ニナが立ち上がる。


「馬房」


「ああ」


 ユキがこちらを見る。


「ユキも?」


「今日はこっちにいるんだろ?」


 少し悩む。ミナを見る。ミーシャを見る。


「ユキ、きょう、おねーちゃん」


「じゃあ残れ」


「うん」


「厨房の片付け手伝えよ」


「やる」


「食べるだけじゃ駄目だからな」


「ユキ、あらう」


「もし皿割っちゃたら、リリアに任せろ」


「む。ユキわらない。でも、あんぜんだいいち」


「よし」


     ◇


 食堂を離れ、ニナと厩舎へ戻る。途中でニナが言った。


「ヒカル」


「何?」


「朝の話」


「自治領?」


「うん」


「どうした?」


「わたしも、決めていい?」


「ああ」


「仕事も?」


「出来ることと安全の範囲なら」


「工具も?」


「それはニナの得意分野だから、むしろ意見を聞きたい」


「……」


 ニナが少し胸を張った。


「じゃあ、もっと決める」


「頼む」


「でも危ない時はヒカル止める?」


「止める」


「それも権利?」


「俺が止める権利というより」


 少し考える。


「ニナが安全に働く権利かな」


「……むずかしい」


「俺も今勉強中」


「ヒカルも?」


「当然」


「四十歳でも?」


「四十歳でも」


「じゃあ、いっしょ」


「ああ」


「なら、よし」


 それ、ユキの言葉だぞ。でもまあ、それでいい。白狐の里自治領。まだ制度も法律も何もない。


 でも、自分で考えて。分からなければ聞いて、間違ったら直す。それくらいから始めればいい。


 午後の湖畔には、まだ甘いホットケーキの匂いが残っていた。


続く。


     ◇


【第133話・収支報告】


異世界生活95日目

日付:六の月24日

オリエント王国歴952年


開始残高:3,122,585pt


今回の新規購入:なし


・ホットケーキ、クレープ用材料は厨房既存在庫を使用

・小麦粉、卵、牛乳、バター、蜂蜜、生クリーム、バナナ、チョコレート等は既存在庫

・工事資材、工具類も既購入済み資材を使用

・新規設備・衣類・医療用品購入なし


今回支出合計:0pt


現在残高:


3,122,585pt − 0pt

= 3,122,585pt


円換算目安:


3,122,585pt × 100円

= 約312,258,500円相当


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