第131話 白狐神と軍人としての選択
異世界生活94日目。
六の月23日の夜。
夕食を終えたあと、工事事務所には俺、こびゃっこ、ガラン、レオン、それに特使セレナが集まっていた。
ユキはいない。夕食中から何度も、
「ミナ、きょうも、おふろ?」
と気にしていたので、今頃はリーファと一緒にミナを風呂へ連れて行っているはずだ。
昨日までなら、こういう話にはユキも普通に同席していたが今日は違う。
「きょうも、おふろ、おしえる」
そう胸を張って行ってしまった。お姉ちゃん業務が優先らしい。まあ、今回の話は重い。ユキがいない方がいい内容もある。
◇
事務所のテーブルには何枚かの紙が広げてあった。中央には俺が昨日聞いた話を簡単にまとめたメモ。
ラウル・ブルース。ロックパーム公国軍第一騎兵団副団長。
三年前の国境紛争。奴隷を動力源、魔力源、そして盾として使う移動式魔導兵器。神務院による魔力検査。魔力量ではなく、魔力濃度による適合判定。皇都郊外の神務院研究施設への移送。そしてテオとミナ。
「……偶然で片付けるには、少し材料が増えすぎたな」
ガランがそう言って腕を組む。
「私もそう思います」
セレナが答えた。その前には、別の紙。十日ほど前に、バーモント――いや、王直属密偵が持ってきた神務院内部の情報だ。
もっとも、この場でその正体を知っているのは俺、こびゃっこ、ガラン、レオン、セレナだけ。
「もう一度整理しましょう」
セレナが紙へ指を置く。
「神務院の収容施設で言及されたのは、《湖畔調査隊》《奴隷供給》《術式試験》」
「ああ」
レオンが頷く。
「それに、シオンだな」
「はい」
レイシス皇国奴隷管理局の収容施設。その中でも神務院専用区画に囚われている。首には、普通の奴隷首輪とは違う銀色の環。何のための物かは、まだ分かっていない。
「一か月ほど前には、神務院の密偵オルガが湖畔まで来ています」
セレナが続ける。
「結界に拒まれたため内部へは侵入出来ませんでしたが、外部からかなりの範囲を観察した」
「俺たちも見られてるんだよな」
「はい」
俺やユキ。こびゃっこ、ニナ、ミーシャ、トト、アルノとリリア。畑や道路。建物に重機。この湖畔そのものが、向こうの調査対象になっている。
「そして昨日」
ガランが俺のメモを見る。
「ラウルから、神務院が収容所の人間へ魔力濃度検査を行っていたという証言が出た」
「それも、魔導兵器に適する者を選別していた可能性がある」
レオンの表情が険しくなる。
「あくまで可能性です」
セレナがすぐに言った。
「そこはまだ断定出来ません」
「分かっている」
「ただし」
セレナは指先で三枚の紙を順番に示した。
「《奴隷供給》」
次が。
「《術式試験》」
最後にラウルの証言。
「《魔力濃度適合》」
誰も喋らない。
「……繋がって見えるな」
俺が言う。
「見えるだけじゃ」
こびゃっこが低い声で答えた。作業台の端に座っていた白い毛玉は、今日は珍しくふざけていない。
「まだ繋がったとは申せぬ。じゃが、同じ匂いはする」
「四百二十年前の兵器とも?」
俺が聞く。
「それも同じじゃ」
こびゃっこが前足を組む。
「昨日ラウルが語った兵器は、びゃっこが昔見た物とほぼ同じ系統じゃ。じゃが現在、神務院が何を作っておるかは別の話」
「昔の兵器をそのまま復活させているとは限らない」
「うむ」
「でも、人を魔力源として使う発想そのものは残ってる可能性がある」
「可能性は高いと思う」
レオンが言った。
「三年前に実際に使われた兵器があるからな」
セレナが小さく頷いた。
「王都へ送る報告では、事実と推測を明確に分けます」
紙へ文字を書き足す。
「事実。ロックパーム公国軍第一騎兵団副団長を名乗る人物から証言を得た」
「まだ身分確認は出来てないけどな」
「もちろん、それも記載します」
「本人が嘘を言ってる感じはしないが」
ガランが言う。
「軍人なのは間違いないだろう。第一騎兵団という部分も、おそらく本当だ」
「だが未確認は未確認だ」
レオンが続ける。そういうところは二人とも軍人だ。
「次に」
再びセレナが切り出す。
「三年前、奴隷を盾、牽引役、魔力供給源として利用した移動式魔導兵器を目撃し、その攻撃を受けたとの証言」
ペンが走り、セレナが続ける
「そして神務院による魔力濃度検査と三人の研究施設への移送予定」
そして少し間を置く。
「これらが、既に王国側が把握している《奴隷供給》《術式試験》と関連する可能性」
「可能性、だな」
「はい」
セレナが俺を見る。
「この段階で『新型魔導兵器を開発している』と断定して報告してはいけません。単に同型兵器を増産しているのかもしれません」
ガランが頷く。
「確かに。三年前の兵器投入で、レイシス皇国側は戦果を挙げている。兵器改良の発想は無い可能性もある」
レオンが眉間に皺を寄せる。
「いずれにせよ厄介だ。警戒度は上げるべきだな」
「同時に情報収集の優先度も上げるべきでしょう」
セレナが言うとガランが答えた。
「今すぐ兵を増やせば向こうにも察知され、余計な対抗策を立てられるだろう」
「結論としては、これまでと同じだな」
「基本的にはな。見張りは増やすが、騒ぎは増やさない。バードもレイシスに戻ったら、再び情報収集を始めるだろう。俺たちはその情報も有効に活用する」
その方針で一致した。
◇
ちょうどその時だった。事務所の扉が叩かれる。
「ヒカルさん」
マリベルの声だ。
「どうした?」
扉を開けると、マリベルが立っている。
「ラウルさんが、ヒカルさんに話があるそうです」
「俺に?」
「はい。それと――」
マリベルが事務所の中を見る。
「神使様と、ガラン。それからレオン副団長にも聞いていただきたいと」
こびゃっこが前足で自分を指した。
「びゃっこもかえ?」
「はい」
「セレナ特使は?」
俺が聞く。
「ラウルさんからは名前が出ていません」
「なら私はこちらに残ります」
セレナがすぐ判断した。
「ちょうど報告書の下書きを始めたかったところですから」
腰の無線機を取る。
「ファビイとビオラを呼びます」
「ロイドの件は?」
マリベルに聞こえない様、小声でガランが確認する。
「もちろん伏せます」
セレナも小声で答える。
「二人へ見せる報告書では『王国側情報源から得た神務院内部情報』まで。バーモント殿の正体も、《バード》という存在も記載しません」
「その方がいい」
レオンが頷いた。セレナが送信ボタンを押す。
「こちらセレナ。ファビイ、ビオラ、聞こえますか。どうぞ」
少ししてノイズ。
『こちらファビイ。聞こえています。どうぞ』
続いて、
『ビオラです。こちらも聞こえています』
「二人とも工事事務所へ来てください。王都向け報告書の整理を行います。資料を持ってきてください。どうぞ」
『了解しました』
『すぐ向かいます』
「終わります」
セレナが無線機を腰へ戻した。
「こちらは任せてください」
「頼む」
「もしラウル殿から新しい情報が出たら?」
「あとで共有する」
ガランが答える。
「必要な範囲でな」
◇
俺、こびゃっこ、ガラン、レオン。それにマリベルで診療所へ向かった。外はもう暗い。道路沿いのポールライトが点いている。診療所からは室内灯の白い光が漏れていた。
扉を開ける。
「おっちゃ!」
まず聞こえたのはミナだった。
「風呂上がりか」
「あい!」
赤茶色の髪はまだ少し湿っている。ミナは甚平型の患者着を着ていた。
隣にはユキ。こちらも白い髪が少し湿っていて、タオルを肩へ掛けている。
「ミナ、きれい」
「リーファに洗ってもらったんだろ」
「ユキも!」
「はいはい」
「む」
ユキの後ろではリーファが苦笑している。
「じゃあ私は戻るわね」
「ありがとう」
「ミナ、また明日ね」
「あい!」
リーファが出ていった。ベッドにはラウル。その隣にテオ。二人ともこちらを待っていたらしい。
「すまない」
ラウルが上半身を起こす。
「夜に呼び出してしまった」
「構わないさ。で、話って?」
俺たちは椅子を持ってきた。ユキも当然のように残る。ミナはユキの横。マリベルも壁際へ。ラウルが一度全員を見る。
「まず」
背筋を伸ばした。
「改めて礼を言わせてほしい」
「昨日も聞いたぞ」
「これは昨日とは別の話だ」
ラウルの視線が俺から、こびゃっこ、ガラン、レオンへ移る。
「私は怪我が治り次第、ロックパーム軍へ戻りたい」
予想していた言葉だった。それでも診療所の空気が変わった。
「軍へ復帰するのか」
ガランが確認する。
「ああ」
「すぐに?」
「歩けるようになってからだ。無茶をする気はない」
俺を見る。
「本当だ」
「先に言われた」
「信用がないからな」
「自覚あるんじゃないか」
ほんの少し空気が緩む。だがラウルの顔はすぐ軍人のものへ戻った。
「三年前のことを報告しなければならない」
「魔導兵器?」
「それも含めてだ」
ラウルは頷く。
「俺たち第一騎兵団が壊滅した時に使われた兵器。その構造。奴隷を盾にしていたこと。奴隷から魔力を吸っていたこと」
ラウルは続ける。
「三年間収容されていた施設の場所、内部の構造、監視の方法」
「捕虜の情報だな」
ガランが言う。
「ああ」
「まだ残ってる部下」
「それだけじゃない」
ラウルの声が低くなる。
「民間人もだ」
逃げ遅れて捕まった人たちは、ロックパームの住民だ。軍人ではない。
「それに神務院が始めた魔力検査」
拳が握られる。
「私やテオ、ミナがなぜ選ばれたのか。何をしようとしているのか」
「まだ全部は分からないぞ」
「分かっている」
ラウルは俺を見る。
「だからこそ、知っていることを国へ持ち帰る」
副団長として。生き残った兵士として。
「三年も戻れなかった」
ラウルが静かに言う。
「生きていると知らせるだけでも意味がある」
誰も止められなかった。俺だって止める理由はない。
「それで」
ラウルが続ける。
「お願いがある」
「何?」
ラウルの視線がテオへ。次にミナ。
「この二人を、ここで面倒見てもらえないだろうか」
「……」
テオがラウルを見る。ミナも。
「本来なら」
ラウルは続ける。
「ロックパームの民間人だ。私が保護した以上、公国へ連れ帰るべきだと思う」
「でも?」
「安全とは言えない」
はっきり言った。
「国境では今もいつ衝突が起こるか分からない。私がどこへ配属されるかも分からない」
そしてミナを見る。
「何より、この二人は神務院から魔力濃度適合と判断されている」
「連れて帰れば狙われる可能性があると……。」
レオンが言う。
「ああ。湖畔なら結界がある。それに白き神獣様と神使様がいる」
ラウルがユキとこびゃっこを見る。
「私が知る限り、この二人にとって、ここ以上に安全な場所はない」
そこまで聞いて、俺は息を吐いた。
「最初からそのつもりだったよ」
「……何?」
「テオとミナ」
二人を見る。
「昨日の話を聞いて、治ったら『はい、帰ってください』なんて出来るわけないだろ」
「しかし二人はロックパームの民だ」
「それと、ここで暮らすのは別の話じゃないのか?」
ラウルが黙る。
「国に許可がいるって話なら、あとで必要な手続きは考える。でも俺としては、この二人がここにいたいならいていいと思ってる」
テオの目が少し大きくなる。
「……俺も?」
「十歳を一人だけ追い出す趣味はない」
テオが俯いた。
「ありがとう」
「まだ礼は早い」
「何で?」
「生活の決まりは覚えてもらう」
「決まり?」
「危険なところに勝手に入らない。工事現場は許可なしで入らない。湖へ子供だけで行かない。工具は勝手に触らない」
ニナがいれば増えそうな項目だ。
「あと、ちゃんと食べる。ちゃんと寝る」
「……分かった」
「それでいい」
ラウルが深く頭を下げた。
「感謝する」
「だから頭下げなくていいって」
「これは下げさせてくれ」
「……分かった」
「公国へ戻り次第、この件は正式に上へ報告する」
「うん」
「助けられたこと。保護されたこと。この二人のことも」
一度息を吸う。
「必ず国として相応の礼を――」
「いらない」
「ヒカル」
「礼はいらない」
「しかし」
「テオとミナを助けたのは、ロックパームと取引するためじゃない」
ラウルが言葉を止める。
「困ってたから助けただけ。それで十分」
「国と国の話になれば、そう単純では」
ガランが言いかける。
「それは後でガランとセレナ特使に任せる」
「丸投げか?」
そう言ってガランが苦笑した。
「専門家に任せる」
「成長したな」
「そこ褒めるところ?」
◇
「ヤッ!」
突然、ミナが言った。
「ん?」
見る。ミナの頬が膨らんでいる。
「どうした?」
「ラウゆ、いく?」
ラウルが固まった。
「……私か?」
「あい。ラウゆ」
どうやらラウルはラウゆらしい。発音が難しいんだろう。
「ラウゆ、いく?」
「……ああ」
「ヤッ!」
ミナがユキの袖を掴む。
「ラウゆ、いっしょ!」
ラウルの顔が崩れた。一瞬だけ。
「ミナ……」
俺が声をかけようとする。
「ヤッ!」
「まだ何も言ってないぞ」
「ヤッ!」
「先回りされたな」
テオも俯いたまま口を開く。
「俺も……」
「テオ」
「ラウルと行きたい」
ラウルが目を閉じる。
「駄目だ」
「なんで!」
「危険だからだ」
「俺はもう十歳だ」
「十歳だから何だ」
「ミナを守れる!」
「三年間守ったのは知っている」
ラウルの声は強い。でも怒ってはいない。
「だからこそだ」
「……」
「今度はお前が休め」
テオが唇を噛む。
「ずっと守ってきたんだろう」
「ああ」
「なら少しくらい、誰かに守られてもいい」
テオの目から涙が落ちた。
「……でも」
「私は戻る」
「いつ?」
「分からない」
「そんなの……」
「だから約束する」
ラウルが右手を出した。
「必ずまたここへ来る」
テオが顔を上げる。
「本当に?」
「ああ」
「死なない?」
ラウルが一瞬黙った。
「それは」
「そこで正直になるなよ」
俺が口を挟む。ラウルが苦笑する。
「簡単に死ぬつもりはない」
「絶対?」
「努力する」
「弱いな」
「軍人に絶対を約束させるな」
「そこは分かるけど」
ミナがベッドから手を伸ばす。
「ラウゆ」
「何だ?」
「かえゆ?」
「ああ」
「また、くゆ?」
ラウルの目が少し赤くなる。
「来る」
「ほんと?」
「本当だ」
「……あい」
ミナはしばらくラウルを見たあと、両手を広げた。
「だっこ」
俺はミナを抱えてラウルのベッドへ座らせる。ラウルが腕を回し、ミナも首へ抱きつく。
「ラウゆ」
「ああ」
「また、くゆ」
「ああ。必ず」
隣でテオが鼻をすすっていた。ユキがそのテオを見る。少し迷ってから。
「テオ」
「……何?」
「ラウゆ、またくる」
「ユキまでラウゆにするな」
「ミナ、ラウゆ」
「まあそうだけど」
「だから、ラウゆ」
「理屈がおかしい」
ラウル本人が笑った。
◇
「一つ聞きたい」
しばらくしてガランが言った。
「公国へ戻ると言ったが、どうやって戻る?」
ラウルがミナをベッドへ戻しながら答える。
「公国には戻らない」
「何?」
ガランの表情が変わる。レオンも。
「正確には、公都までは戻らないという意味だ」
「では?」
ラウルが一度診療所の扉を見る。そして声を少し落とした。
「この大湖の北西岸付近に、公国軍の前進基地がある」
空気が止まった。
「……前進基地?」
レオンが聞き返す。
「ああ」
「ロックパーム軍の?」
「そうだ」
「いつから?」
「少なくとも俺が捕まる前にはあった」
「規模は?」
ガランが聞く。
「それは言えない」
即答。そしてラウルが苦笑する。
「いや」
少し考え直す。
「今の話だけでも十分に軍事機密だ」
「だろうな」
「第一騎兵団の部隊が常駐しているはずだ」
「はず?」
「私は三年間収容所にいた」
当然だ。
「今も運用されている保証はない。移転している可能性もある」
「レイシスは知ってる?」
「おそらく知らない」
「おそらく?」
「発見されていれば、三年前までに攻撃されていたはずだ。私たちのあとに、新たな捕虜は収容されていない」
ラウルが言う。
「対レイシス有事のための基地だ。存在を知られないことが前提になっている」
俺はガランを見る。ガランも俺を見る。
「……これ聞いてよかったのか?」
「私から話した」
ラウルは淡々としている。
「この湖畔の人間に隠して、後から北西岸で公国軍と接触する方が危険だ」
「それはそうだが」
「それに」
ラウルは俺を見る。
「俺だけが秘密を聞くのも不公平だろう」
「ん?」
「今度はこちらから質問させてほしい」
なるほど。そうきたか。
◇
「なぜ」
ラウルはガランを見る。
「オリエント王国の近衛騎士団がここにいる?」
次にレオン。
「副団長まで」
「……」
「それだけではない」
昨日、今日。窓から見える範囲だけでもラウルはかなり観察していたらしい。やはり彼は軍人だ。
「オリエント王国のハンター」
《東風の牙》と《蒼岩の盾》のことだろう。
「オリエント王国から来たと思われる職人」
グレゴールたち。
「料理人もいる」
マルタ。
「それなのに」
ラウルの目が俺へ向く。
「ここにオリエント王国の旗はない」
「ないな」
「関所もない」
「ない」
「徴税所もない」
「税金取ってないからな」
「城主も領主もいない」
「いない」
「あなたが領主では?」
「違う」
「……そこは即答なのだな」
「絶対違う」
こびゃっこが笑う。
「ヒカルは領主より現場監督の方が似合う」
「褒めてないだろ」
「褒めておる」
「絶対違うな」
ラウルが少し笑う。だがすぐ真剣になる。
「では改めて聞きたい」
ユキを見る。
「この場所――白き神獣の里とおぼしき場所と、オリエント王国はどういう関係にある?」
◇
最初に答えたのはガランだった。
「俺は《東風の牙》のリーダーだ」
「それは聞いた。Sランクのハンターチームである事も」
「それと同時に」
ガランが背筋を伸ばす。
「オリエント王国から、この湖畔へ派遣された大使でもある」
ラウルの目がわずかに動いた。
「大使?」
「ああ」
「では、ここはオリエント王国領ではない?」
「違う」
「王国軍が守っているのに?」
「近衛は派遣隊だ」
レオンが答える。
「この地を占領するためではない」
「なら何のために?」
ガランとレオンが一度目を合わせる。
「……少し時間をくれ」
ガランが言った。
「何?」
「どこまで話していいか、少し話し合う」
「誰と?」
「オリエント王国の特使だ」
ラウルの眉が動いた。
「特使…までいるのか」
「ああ」
「……ますます分からなくなった」
「だろうな」
俺もそう思う。事情を知らない人間から見れば、この湖畔は意味不明だ。
白狐神に異界人と神使。元奴隷の住人や王国の大使に特使。近衛騎士団。ハンターや職人たちと料理人。そしてどこの国にも属していない。
「行ってくる」
ガランが診療所を出た。
◇
工事事務所では、セレナ、ファビイ、ビオラが机を囲んでいた。机の上には、既に何枚もの報告用紙。
「特使殿」
「ガラン大使?」
「少し相談がある」
ガランが扉を閉め、事情を説明する。ロックパーム公国軍の第一騎兵団副団長が明かした、湖の北西岸の前進基地。そしてラウルから湖畔とオリエント王国の関係を問われたこと。
セレナの表情が変わる。
「前進基地……」
「本人からの申告だ」
「裏付けは?」
「ない」
「では存在は未確認として扱います」
「当然だ」
ビオラが顔を上げる。
「ロックパーム公国ですか?」
「ああ」
「正式な国交はありませんよね」
「ない」
ファビイもペンを止める。
「では、相手は公国軍人?」
「そう名乗っている」
「それなら、情報開示には注意が必要ですね」
セレナが頷いた。
「ファビイ、ビオラ。少しこの作業を続けていてください」
「特使様は?」
「本人と話します」
二人が頷く。ガランとセレナは再び診療所へ向かうことになった。
◇
その頃。診療所では、妙な歴史説明会が始まっていた。
「全部話す必要はないと思うぞ」
レオンが言う。
「分かってる」
でもラウルが疑問を持つのも当然だ。
「まず、この場所がどう始まったかくらいなら俺から話せる」
「頼む」
ラウルが頷く。
「三か月くらい前」
「三か月?」
「ああ」
俺は森へ転移した異界人であることを明かす。四十歳の普通の会社員。無趣味のおっさんが、訳も分からず森の中。
「そこでユキに会った」
ラウルがユキを見る。ユキはミナの隣に座っている。
「この子は、まだ名前もなかった」
「ユキ、びゃっこ」
ユキが言う。
「そう。自分のことを『びゃっこ』って呼んでた」
「白狐神様が?」
「あの時は俺も白狐神だなんて知らなかった」
棘狼を狩猟スキルで仕留め、助けた小さな白い狐耳の女の子。
腹を空かせていたので、肉を食べさせ、その後、一緒に暮らし始めた。
「そして名前を付けた」
「ユキはユキ」
ユキが胸を張る。
「ああ」
「ヒカルが白狐神様へ名を?」
「そうなる」
「……大胆だな」
「俺も後から思った」
「失礼じゃの」
こびゃっこが言う。
「白狐神は、名前を付けたくらいで祟ったりせぬ」
「その説明、先に欲しかったな」
「びゃっこはまだ、覚醒していなかったからのう」
◇
そこから湖畔へ来た。最初は俺とユキだけ。テントを張って、簡単な炊事。少しずつ物が増えた。
人も増えた。アルノ、リリア、ミーシャ、トト、ニナ。そしてガランたち。
「砦で助けた三人というのが?」
ラウルが聞く。
「ミーシャ、トト、ニナだ」
「昨日会った子たちだな」
「ああ」
それから湖畔へ帰ってきた。ユニットハウスの各住居や診療所、湖畔の祠を建てた。
「そこで」
俺はこびゃっこを見る。
「守護神使が戻ってきた」
「戻ったとは失礼な」
「ぬいぐるみになっただろ」
「神使の御姿じゃ」
「手のひらサイズの?」
「愛らしさも神徳のうちじゃ」
「その理屈初めて聞いたぞ」
ラウルがこびゃっこを見る。
「神使様は元々、この地に?」
「そうじゃ」
こびゃっこの声が少し変わる。
「千年以上前、宇迦之御魂神よりこの世界へ遣わされた」
先代白狐神しらゆき。その守護者である明治時代の日本から来た医師、橘宗一郎。そして四百二十年前。神務魔導府の襲撃。
「最後に、びゃっこは里ごと逃がした」
ラウルが黙る。
「別の世界へ?」
「うむ」
「それがロックパームにも伝承として……」
「そこはびゃっこにも分からぬが」
伝承がどう伝わったのか。誰が持ち帰ったのかは分からない。
「それで終わったと思ってた」
俺が続ける。
「でも最近、夢で会った」
「誰に?」
「先代の白狐神、しらゆきに」
ラウルが固まる。
「……何?」
「橘宗一郎にも」
「待て。夢の中で、という意味か?」
「ああ。ただ、普通の夢とは少し違う」
ラウルが眉を寄せた。
「どう違う?」
「俺一人が見た夢じゃない」
「……?」
俺はユキを見る。するとユキが自分を指差した。
「ユキも、みた」
次にこびゃっこ。
「びゃっこもじゃ」
「三人が……同じ夢を?」
「ああ」
俺たちが見たのは一晩だけの夢ではなかった。何度かに分かれて続いた長い夢。俺とユキ。そしてこびゃっこ。三人とも同じ場所にいて、同じ景色を見て、同じ会話を聞いた。
「目が覚めたあとで確認したんだ」
「確認?」
「俺が見た内容を先に全部話すんじゃなくて、それぞれ覚えていることを照らし合わせた」
ラウルの表情が変わる。
「一致したのか?」
「かなり細かいところまでな」
「ユキ、しらゆき、みた」
ユキが言う。
「そうだな」
「そういちろうも」
「ああ」
こびゃっこが腕を組む。
「夢という形を取ってはおったが、ただの記憶の再生ではなかった」
「どういう意味です?」
ラウルが聞く。
「最初の頃には、昔の出来事を見せられておるような夢もあった」
こびゃっこが説明する。
「じゃが、しらゆきと宗一郎に会った時は違った」
「違った?」
「向こうも、びゃっこたちを見ておった」
ラウルが息を止める。
「……会話を?」
「した」
俺が答える。
「一方的に昔の映像を見てたんじゃない。向こうから俺たちに話しかけてきた」
「こちらの問いにも答えた?」
「ああ」
「それは……」
ラウルが言葉を失う。無理もない。俺だって実際に体験していなければ、同じ反応をしたと思う。
「つまり」
ラウルが慎重に言葉を選ぶ。
「夢を通して、別の場所にいる者同士が意思を通わせた?」
「今のところは、そう考えてる」
「夢は、とらんしーばー?」
「似てるようだが、違う」
「む」
ユキは少し不満そうだ。
「要するに」
俺はラウルへ戻る。
「俺たちは、この現象を《共有夢》みたいなものとして扱ってる」
「共有夢……」
「三人が同じ夢を共有するだけじゃなく、別次元にいるしらゆきと宗一郎とも、その場で意思疎通出来た」
「そんなことが……」
「びゃっこにも詳しい理屈は分からぬ」
こびゃっこが言う。
「白狐神との縁。神力。そして二つの世界に残った同じ場所。それらが重なった結果なのかもしれぬ」
「二つの世界に同じ場所?」
「ああ」
俺は頷く。
「向こうにも湖がある」
「この湖と同じ?」
「ほぼ同じらしい」
湖、森、小川、そして、大木。
「こびゃっこが四百二十年前に里を逃がした先は、遠く離れた土地じゃなかった」
「では?」
「別の世界だ」
「……」
「俺の感覚で言えば、同じ場所に重なって存在する、別次元とか平行世界に近い」
「同じ場所なのに、別の世界……」
「俺も完全には説明出来ないが」
こびゃっこが続ける。
「四百二十年前、びゃっこは里を守るため、とにかくここではない場所へ門を開いた」
「行き先を選んだわけではない?」
「細かく選ぶ余裕などなかった」
「結果として」
俺が引き継ぐ。
「向こう側にも、こことほとんど同じ地形の湖畔があった」
そして。
「そこで里は生き残った」
ラウルが動きを止めた。
「生き……残った?」
「ああ」
「白狐神しらゆき様も?」
「ああ」
「守護者殿も?」
「ああ」
「四百二十年経っているのに?」
「そこは俺も最初に聞いた」
「人族だろう?」
「俺と同じ、日本から来た異界人だ」
「それでも四百二十年は……」
「しらゆきの加護なのか、異界人だからなのか、それとも向こうの世界へ移った影響なのか。正確な理由はまだ分かってない」
ラウルは額へ手を当てた。
「待ってくれ。整理させてくれ」
「ゆっくりでいい」
俺だって最初は頭が追いつかなかった。
「では、四百二十年前に消えたとされていた白狐神の里は」
「滅びてない」
「……」
「住民も全部死んだわけじゃない」
こびゃっこが静かに言う。
「びゃっこが送り出した者たちは、向こうで暮らし続けた」
「その子孫も?」
「うむ」
「今も里が?」
「里というには大きくなりすぎたみたいがの」
こびゃっこの声に少し誇らしさが混じる。
「今では《白狐の里自治区》と呼ばれておるそうじゃ」
「自治区?」
「人口は約三万人」
俺が言う。
「……三万?」
ラウルが完全に固まった。
「三百ではなく?」
「三万」
「三千でも?」
「三万」
「……」
「俺も二回くらい聞き返した」
「おっちゃん、びっくりしてた」
「したな」
ユキが得意げに頷く。
「向こうでは、その四百二十年の間にかなり発展したらしい」
建築。農業。医療。教育。工学。交通。宗一郎が地球の知識を伝え、それをこの世界の技術や魔道技術と組み合わせて発展させた。
「周囲の国とも今は友好的にやっている」
「では、戻ってくることは?」
「今のところ出来ない」
ラウルが俺を見る。
「共有夢で話せるなら、門も開けるのでは?」
「それが分からない」
「出来ぬ」
こびゃっこがはっきり言った。
「少なくとも今のびゃっこには、四百二十年前と同じ門を自由に開く力はない」
「ユキ様なら?」
「む。ユキ」
即座に訂正が入る。
「……ユキなら?」
ユキは首を傾げる。
「わかんない」
俺が言う。
「分からない力を当てにして、人を行き来させる気はない」
「なるほど」
「ただ」
俺は少し考えてから続ける。
「共有夢には、たぶん場所も関係してる」
「場所?」
「《始マリノ祠》」
ラウルの目が動いた。
「今日作っていた祠か」
「ああ」
ユキが生まれ、俺と出会う前に寝床にしていた大木。その脇に昔、《始マリノ祠》があった。
「向こうの世界にも?」
「ある」
「同じ祠が?」
「少なくとも対応する祠がある」
こびゃっこが前足を上げる。
「四百二十年前、この湖畔にも《始マリノ祠》があった。そして向こうの世界にも、同じ場所に対応する祠が残っておる」
「それが共有夢に?」
「可能性はある」
俺は答える。
「でも、まだ可能性だけだ」
「祠を完成させればまた夢を見られる?」
「それも分からない」
「門が開く?」
「もっと分からない」
「……慎重だな」
「分からないものを『出来る』って言う方が怖いだろ」
ラウルは少し笑った。
「確かに」
「今のところ俺たちは、祠が二つの世界の《縁》とか《座標》の拠り所になる可能性がある、と考えてる」
「座標……」
「目印みたいなものだと思ってくれ」
「なるほど」
「ただし」
俺は念を押す。
「向こうへ行くための装置を作ってるわけじゃない」
「そうなのか?」
「ああ」
「じゃあ、なぜ作る?」
一瞬考える。
「残すためかな」
「何を?」
「昔ここに里があったこと」
こびゃっこを見る。
「こいつらがここで暮らしてたこと」
ユキを見る。
「今も白狐神がここにいること」
そして。
「もし、その結果として向こうとの縁が少し強くなって、また夢で話せたら嬉しい。そのくらいだ」
こびゃっこが静かに頷く。
「しらゆきへ続く道になるのか、ただ縁を強くする拠り所になるのか。まだ誰にも分からぬ」
「でも」
ユキが言った。
「また、あえたら、いい」
「ああ」
それが一番だ。ラウルは長い間、何も言わなかった。そしてようやく口を開く。
「……大公閣下が」
「ん?」
「これを知れば、ロックパーム大公閣下は、さぞお喜びになる」
◇
「白狐神を信仰してるって話だったな」
「ああ」
ラウルがゆっくり頷く。
「我が国の始まりそのものに、白狐神への信仰がある」
三十年前。レイシス皇王家の血を引く公爵がいた。人族至上、亜人差別奴隷制度。そして白狐神を自らの権威や術式へ利用しようとする神務院。それらへ反発した人物。
現在のロックパームへ続く独立の始まり。
「大公家では」
ラウルが言う。
「レイシス皇王室が過去に白狐神の里へ行った行為を、今も恥として伝えている」
こびゃっこの目が少し開く。
「知っておるのか」
「詳細までは」
「なら何を?」
「白き神獣を自らの権威へ縛ろうとし、その地を攻めた。その結果、多くの命を失った」
ラウルが頭を下げる。
「私も伝承でしか知らなかった」
「おぬしが頭を下げる必要はない」
こびゃっこが言う。
「四百年前の者の罪を、今のおぬしが背負う必要はない」
「しかし」
「悔やむなら繰り返させぬことじゃ」
静かな声だった。
「びゃっこは、それでよい」
ラウルが顔を上げる。
「先代白狐神しらゆき様が生きている」
「ああ」
「そして今、この世界にも」
ユキを見る。
「新たな白き神獣様がいる」
「ユキは、ユキ」
すかさずユキが言うと、ラウルが少し笑う。
「そうだったな」
「さま、ない」
「……それはまだ努力する」
「む」
◇
そこで診療所の扉が開いた。
「戻った」
ガラン。その後ろにセレナ。ラウルが身体を起こそうとする。
「そのままで結構です」
セレナが先に制した。
「怪我人へ礼を求めるために来たわけではありません」
「あなたは?」
ラウルが聞く。セレナは一歩前へ出た。銀色の狐耳。同じく銀色の尻尾。背筋を伸ばし、正式な外交使節としての顔になる。
「改めてご挨拶いたします」
一礼。
「オリエント王国特使、セレナ・アルジェントです」
ラウルの目が見開かれた。
「特使殿……」
「はい」
セレナは椅子を一つ引き、ラウルのベッドの前へ座る。
「ガラン大使から、あなたがロックパーム公国軍第一騎兵団副団長、ラウル・ブルース殿と名乗っていること。そして、この湖畔と我が国との関係について説明を求めていると伺いました」
「……はい」
「その前に」
セレナは一度、俺を見る。次にユキ、そしてラウルへ視線を戻した。
「いくつか確認させてください」
診療所の空気が、もう一度変わった。ここから先は。白狐神の群れの話ではなく、オリエント王国とロックパーム公国。正式な国交すら持たない二つの国の話になる。
セレナが静かに口を開いた。
続く。
◇
【第131話・収支報告】
異世界生活94日目
日付:六の月23日・夜
オリエント王国歴952年
開始残高:3,122,585pt
今回の新規購入:なし
・夕食後の工事事務所での情報整理、会議のみ
・診療所でラウル、テオ、ミナとの今後について協議
・無線機、照明、診療所設備等は既存設備を使用
・新規のショップ購入、設備購入、資材購入なし
今回支出合計:0pt
現在残高:
3,122,585pt − 0pt
= 3,122,585pt
円換算目安:
3,122,585pt × 100円
= 約312,258,500円相当




