第130話 白狐神と狐耳の妹
異世界生活94日目。
六の月23日の朝。
昨日までの二日間は本来なら休日だったはずなのだが、振り返ってみれば休日らしかったのは一昨日までだ。
昨日は森の中から三人を保護して、矢尻を抜いて、三年前の戦争と四百二十年前の魔導兵器の話を聞いて、三歳児が一人増えた。いや、最後の言い方だけ妙に軽いな。
「おっちゃ!」
「……朝から元気だな」
「あい!」
その三歳児が、診療所のベッドの上で胸を張っていた。
朝食後。俺とユキは仕事へ行く前に、ラウル、テオ、ミナの様子を確認するため診療所へ来ていた。
マリベルが三人を順番に診ている。ミナは昨日より明らかに顔色が良い。熱もほぼ下がった。水分も取れている。朝は柔らかく煮たご飯と卵入りのスープを食べたらしい。
「ミナ、たべた!」
「聞いたよ」
「ぜんぶ!」
「全部は食べてませんよ」
マリベルが即座に訂正する。
「半分くらいです」
「う?」
ミナがマリベルを見る。
「半分でも十分だよ」
「あい!」
復活が早い。でも元気そうに見える時ほど止めるのが大事だ。
「今日は診療所で休むからな」
「ヤッ!」
「即答か」
ミナの狐耳が横へ倒れ、頬がぷくっと膨らむ。
「ユキねーちゃと、いく」
隣に立っているユキを見る。今日のユキはすでに白いトレーナーとデニムサロペット。その上から青いライン入りの監督用ヘルメットを抱えている。
これから厩舎で監督だ。
「ミナ」
「う?」
「ユキ、きょう、おしごと」
「あい。ミナも!」
「ミナ、おやすみ」
「ヤッ!」
昨日お姉ちゃんになったばかりのユキが、いきなり難問へ直面した。ユキは少し考え、俺を見る。
「おっちゃん」
「自分で考えてみな」
「む」
昨日までなら俺へ丸投げだったところだ。頑張れ、お姉ちゃん。ユキはミナへ向き直った。
「ミナ、からだ、よわってる」
「う?」
「まだ、げんき、ちょっと」
ユキはベッドの横にヘルメットを置き、両手を少しだけ開く。
「ちょっと?」
「あい」
「だから、きょう、ねる」
「……」
「げんき、いっぱい、なったら」
今度は両腕を大きく広げる。
「いっしょ!」
ミナはしばらく考えた。
「いっぱい?」
「うん」
「ミナ、いっぱい、げんき?」
「なったら」
「……あい」
納得した。すごい。
「ユキ」
「ん?」
「ちゃんとお姉ちゃんしてるぞ」
ユキの耳がぴんと立つ。
「ユキ、おねーちゃん」
胸を張った。この肩書き、当分使いそうだな。
◇
「では、びゃっこも仕事へ――」
「こびゃこ!」
「ぬ?」
診療所から脱出しようとした白い毛玉を、ミナが発見した。
「だっこしゅゆ!」
「待つのじゃ」
こびゃっこが空中で急停止する。
「ミナよ。昨日、びゃっこと話し合ったであろう」
「う?」
「忘れておる!」
ミナがベッドの上で両腕を伸ばす。
「こびゃこ!」
「びゃっこには神使としての務めが――」
ユキが言った。
「こびゃっこ、ミナといる?」
「なぜじゃ!」
「ミナ、おやすみ」
「それとびゃっこに何の関係がある!」
俺は笑いを堪えながら言う。
「監督がいなくなると寂しいんじゃないか?」
「テオもラウルもマリベルもおるじゃろ!」
テオが隣のベッドから小さく笑う。
「俺はいても、神使様がいいみたい」
「ぬ!」
「大人気だな。神使様」
「好意の圧力が強すぎるのじゃ!」
「こびゃこ!」
ミナがもう一度手を伸ばす。こびゃっこは俺の肩へ退避した。
「ヒカル。連れて行くのじゃ」
「祠の作業か?」
「うむ!」
「でもお前、午前中は祠の意匠を見る予定だったか?」
「……」
「昨日までにだいたい確認終わってるよな?」
「……神使には、急な神事があるのじゃ」
「具体的には?」
「急じゃからまだ決まっておらぬ」
「逃げる気満々じゃないか」
ユキが首を傾げる。
「こびゃっこ、ミナ、きらい?」
こびゃっこが固まった。
「……嫌いではない」
「ミナ、しゅき?」
ミナが聞く。
「その二択なのかえ?」
こびゃっこは小さく咳払いした。
「まあ……幼子としては、可愛いと思わぬでもない」
「こびゃこ、しゅき!」
「ぬおっ!」
ベッドから降りようとしたミナをマリベルが止めた。
「ミナちゃんは降りません」
「ヤッ!」
「今日は休みます」
「ヤッ!」
「元気になりたいですか?」
「あい!」
「では休みます」
「……う!」
三歳児が論理に敗北した。
「……あい」
「マリベル強いな」
「患者さんですから」
◇
結局こびゃっこは、午前中は俺と一緒に作業倉庫へ来ることになった。ただし昼休みには診療所へ顔を出す約束付きだ。
診療所の前にニナが来る。朝食後のニナは赤いワゴンに積んだ工具を一旦厩舎へ持って行き、群れの鍛冶場に戻って、溶接の朝練をする予定だ。
厩舎に行く途中、診療所に寄ったニナは、ユキに声をかけた。
「ユキ、いっしょに行こう」
「うん」
ユキは監督ヘルメットを被り、ニナは黄色いヘルメットを被っている。二人は一緒に厩舎方面へ歩いて行く。
「ニナ」
「何?」
「きょうも、ひばな?」
「朝だけ」
「ヒカル、いない」
「ドランとボルガいる」
ユキが俺を見る。
「おっちゃん、いなくて、だいじょうぶ?」
「大丈夫」
「ほんと?」
「ああ」
俺はニナを見る。
「昨日までに手順は決めた。ドランとボルガも分かってる。ニナも分かってるだろ?」
「うん。電流、低く。仮付け二回。疲れる前に終わる」
「保護具は?」
「全部つける」
「周りは?」
「入れない」
「終わったら?」
「片付け。電源切る。ケーブル確認」
「よし」
ユキが納得した。
「だんどり、できてる」
「そういうこと」
俺がいないと何も出来ない、では困る。むしろ今は、俺がいなくても安全に出来るようになったことの方が大事だ。
◇
朝八時半。群れの鍛冶場では、ドラン、ボルガ、ニナの三人が溶接朝練を始めた。
俺はそこへ行かず、作業倉庫の脇から遠目に確認しただけだ。
ドランは防炎服に革エプロン。自動遮光面を装着している。ボルガも同じ。ニナは子供用に調整した防炎装備一式。
周囲には遮光防火カーテン。消火器を置いて、可燃物が周りにないか確認している。
「ヒカル。最初から最後まで行かないのか?」
倉庫作業場で、グレゴールが木材を台の上へ載せながら聞いた。
「行かない」
「気になる顔だぞ」
「ものすごく気になる」
「なら行けばいいだろう」
「行ったら口を出すからな」
エリオットが笑った。
「ヒカルらしいな」
「だから行かない」
グレゴールが頷く。
「それも任せるってことか」
「お互いの練習でもある」
◇
今日の午前中は《始マリノ祠》の部材加工。作業倉庫の中には、すでに加工済みの柱や横架材が番号順に並べられている。
グレゴールが木工。エリオットが内部仕上げと建具周辺。俺はCAD図面と実物を照らし合わせながら寸法、接合部、仮組みの確認。
こびゃっこは作業台の上。
「ここじゃ」
前足で図面を指す。
「この木鼻は、もう少し短くてもよい」
グレゴールが頷く。
「ここの出を短くすれば、軒先の納まりも楽になる」
「じゃあ変更」
図面へ書き込む。エリオットが加工済みの板を合わせる。
「内部側は、この板で?」
「うん。直接地面の湿気を拾わないようにする」
「昔の祠より随分丁寧じゃの」
こびゃっこが言う。
「昔はどうだった?」
「宗一郎が後から直しまくった」
「なんか想像つくな」
「最初は『これくらいでよい』と言っておったくせに、雨が降るたび排水を見て、冬になれば隙間風を見て」
「俺と同じじゃないか」
「だから何度も言うておろう」
こびゃっこが胸を張る。
「おぬしらは似ておる」
「何か複雑だな」
◇
午前九時過ぎ。倉庫作業場裏手の群れの鍛冶場から、溶接機の音が止まった。しばらくして、赤いワゴンを引くニナが作業倉庫の前を通る。後ろにはドランとボルガ。
「終わった?」
「終わった」
「どうだった?」
「二回」
「それは知ってる。出来は?」
ニナが少し胸を張る。
「昨日より、いい」
「『ムフー』はしないのか?」
「むふー?」
「いや、何でもない」
いかん、脳内が三歳児に侵食されている。
「ヒカル!」
ドランが嬉しそうに言う。
「今日はワシも――」
「三回目やろうとした」
ニナが即座に告発した。
「おい!」
「やったの?」
「いや、やっておらん」
「ニナに止められた?」
「……うむ」
「成長したな」
「どっちがじゃ!」
「両方」
ボルガが笑っている。
「ニナが『まだできる時にやめる』って言ったら、この人、黙ったよ」
「先生が七歳になってるな」
「ワシが先生じゃ!」
「なら先生が手本見せろ」
「むう」
ユキが厩舎側から走らず、早足でこちらへ来る。
「ニナ!」
「ユキ」
「ひばな、できた?」
「できた」
「こわくなかった?」
「少し。でも大丈夫」
「なら、よし」
監督確認終了。三人はそのまま厩舎へ向かった。
◇
厩舎では朝から職人組が動いていた。カイルとレイルは給水配管。バドルは入口側の石材と排水まわり。ミネットは屋根と雨仕舞いの再点検、それが終わると馬房側の細かい手伝い。
そこへドラン、ボルガ、ニナが合流。ニナは赤ワゴンで金具と工具を運ぶ。そして現場中央の安全区域には、青い監督ヘルメットのユキ。
「ミネット」
「はいにゃ」
「うえ、あぶない?」
「今日は上に登らないにゃ」
「なら、よし」
「監督の確認が入ったにゃ」
ミネットが敬礼する。そこへニナ。
「この金具、四つ」
「こっちは?」
「六つ」
「さすが工具担当にゃ」
「工具だけじゃない。金具も」
「担当範囲が増えてるにゃ」
ユキも胸を張る。
「ユキ、かんとく」
「知ってるにゃ」
「ニナ、こうぐ」
「知ってるにゃ」
「ミネットは?」
「美人屋根職人にゃ」
「……」
ユキとニナが顔を見合わせて同時に黙った。
「何か言ってほしいにゃ!」
◇
一方その頃。ガランを中心とした警備組は、朝から森と湖畔へ散っていた。
《東風の牙》と《蒼岩の盾》のハンターチーム。そしてレオン以下、近衛騎士団。全員が同じ場所を歩くわけではない。森、湖岸、南側道路から東南方面。
班を分けて巡回し、昨日三人が入ってきた西側森林も重点的に確認する。三人の首輪は外し、追跡術式も切れている可能性は高いが、追手が絶対に来ないとは限らない。
警戒はするが、レイシス側に警備の強化を悟られない様にする。森へ大人数を投入して、こちらから「特別警戒中」と宣伝することもしない。
いつもより少し丁寧に。それだけだ。巡回後は近衛騎士たちの訓練を行う。拠点を中心とした歩哨、騎馬、バギーの運転。そしてマウンテンバイク。最近は近衛の中にも普通に乗れる者が増えてきた。
ただし速く走る練習ではない。止まる、曲がる、段差を越える、押して歩く、異常があれば降りる。まずはそこからだ。
◇
畑方面へはアルノ、ミーシャ、トト。護衛兼作業補助としてロクとセルド。さらに魔犬のミミとクロメ。こちらも十分すぎる警備体制だ。
「今日は、畑の手入れの他、トマトとナスの収穫記録、それからとうもろこしの残りを確認します」
アルノが台帳を開く。トトも自分の記録帳を持っている。
「昨日の続き描く」
「何を描くの?」
アルノがトトに聞いた。
「とうもろこし」
ミーシャが赤ワゴンを引いて来た。
「厨房で使う分、収穫する?」
「お願いします。トマトとナスも収穫しましょう」
セルドが畑の外周の柵を見回す。
「ここ、子供が来る場所とは思えないくらい警備が硬いですね。湖畔の周囲と畑の周囲の二重結界で魔物が入れないのに、更に柵で囲っているなんて」
ロクが鼻を動かす。
「魔物以外の獣が入る可能性もあるし、何と言ってもここ畑っすから」
「畑だから?」
「この群れ、食い物が絡むと本気っす」
「説得力があるような、ないような」
ミミとクロメが畑の外周を走っていった。
◇
昼前。祠の仮組みは一区画まで進んだ。
「今日はここまでにするか」
グレゴールが言う。
「午後はいつも通り厩舎だな」
「ああ」
俺も頷く。
「馬房の残りを進める。ここは一度寸法を確認して、次に続けよう」
エリオットが加工済み部材へ番号札を付ける。
「片付けてから昼にするんだろ」
「そうしよう」
こびゃっこが飛び上がる。
「では昼餉じゃ!びゃっこは、いつにも増して空腹なのじゃ」
「お前、そんな体動かしてないだろ」
「監修は頭脳労働じゃ」
「半分くらいミナから逃げる相談してただろ」
「それも危機管理じゃ」
◇
昼食後。俺とユキ、ニナ、ミネット。そして逃げようとしたが、ユキに捕まったこびゃっことで、診療所へ向かった。
「なぜミネットまで?」
「付き添いにゃ」
「昨日も聞いた」
「今日は本当に付き添いにゃ」
「誰の?」
「ユキちゃんとニナちゃん」
「別に俺がいるし、二人とも付き添い要らないだろ」
「では、神使様の護衛にゃ」
「びゃっこは守護神使じゃ!護衛される側ではないぞえ!」
俺たちは、必死になってプライドを守ろうとする毛玉をそのままに、診療所へ入る。
「ユキねーちゃ!」
ベッドの上からミナの声。朝よりさらに元気だ。
「ミナ」
ユキがすぐそばへ行く。
「ねてた?」
「あい!」
マリベルが後ろから言う。
「二十分くらいですけどね」
「ミナ、ねた!」
「まあ嘘ではないか」
ニナがベッドの横へ来る。
「ミナ」
「う?」
「わたし、ニナ」
「ニナ?」
「うん」
昨日会っているが、まだ覚えきれていないらしい。ミナがニナの黄色いヘルメットを見る。
「きーろ」
「これ、ヘルメット」
「へゆめっと?」
「ヘルメット」
「へゆめっ!」
「ミナ、惜しい」
何故かニナがちょっと嬉しそうだ。ユキも自分の青ライン入りヘルメットを見せる。
「ユキ、かんとく」
「かんとく?」
「うん」
「ミナも、かんとく、やゆっ!」
「「「まだ駄目」」」
俺とユキとニナが同時に言った。
「ヤッ!」
ミナの頬が膨らむ。ミネットが腹を抱えて笑う。
「三人同時だったにゃ」
「安全第一だからな」
「ミナ、げんき!」
そう言って、ミナが胸を張る。
すかさずマリベルが言う。
「ミナちゃん。まだ療養中ですよ」
「……」
「午後も休みます」
「ヤッ!」
「早く元気になりたい?」
「あい!」
「では休みます」
「……あい」
「また負けたにゃ」
◇
そして問題の白い毛玉。ミナの目が、俺の肩へ向いた。
「こびゃこ!」
「ぬっ」
こびゃっこが身構える。
「だっこしゅゆ!」
「待つのじゃ!」
診療所に声が響く。
「まず条件を決めるのじゃ!」
「う?」
「ぎゅうは弱く!」
「ぎゅ?」
「耳は引っ張らぬ!」
「あい!」
「毛を逆立てぬ!」
「あい!」
「途中でひっくり返さぬ!」
「あい!」
こびゃっこが俺を見る。
「よし。今度こそ理解したようじゃ」
「嫌な予感しかしないが」
「幼子を信じるのじゃ」
「昨日も信じただろ」
「昨日とは違う!……はずじゃ」
こびゃっこが恐る恐るミナの腕へ降りるとミナが抱く。ぎゅ。
「……」
こびゃっこが動かない。
「どう?」
「昨日よりは弱いかのう」
ミナが頬ずりする。すりすり。
「うむ。これなら――」
「ふわふわ!」
ミナが頭を撫でる。わしゃわしゃわしゃ。
「ちょ!ちょ!毛ぇ!」
「こびゃこ-!」
ミナが再び抱きしめる。ぎゅうう。
「むぎゅううう! は、話が違うのじゃああ!」
ミネットが笑いすぎて壁へ手をついている。
「神使様、負けっぱなしにゃ!」
「笑っておらんで助けるのじゃ!」
「ミナちゃん、交代するにゃ?」
「ヤッ!」
「即拒否されたにゃ!」
ニナが冷静に言う。
「ミナ。力、半分」
「はんぶん?」
ニナが両手で大きく丸を作る。
「今これ」
次に小さくする。
「これくらい」
ミナがそれを見て、少し考える。
「あい!」
腕が緩んだ。
「おお!」
こびゃっこが感動する。
「ニナ! おぬし、幼子の扱いが上手いではないか!」
「ネジも締めすぎると壊れる」
「びゃっこをネジと同列にするでない!」
診療所に笑い声が広がった。テオまで笑っている。ラウルも昨日より穏やかな顔だ。
◇
「調子は?」
俺はラウルの脚を見る。
「痛みはかなり減った」
「だからといって歩き回らない」
「分かっている」
「本当に?」
「……分かっている」
少し間があったな。一方、テオも回復している様だ。まだ痩せてはいるが、食事量は少しずつ増やせそうだ。ミナは今日一日診療所で療養。明日は様子次第だな。
「外、見たい」
テオが言った。
「今日は診療所の周りまでなら、夕方少しな」
「いいの?」
「マリベルが許可したら」
テオがマリベルを見る。
「身体を診てからです」
「……うん」
「この診療所、患者の発言権が弱いな」
ラウルが呟く。
「健康になるまで辛抱してくれ」
◇
午後。俺とグレゴール、エリオットも厩舎工事へ合流した。午前中だけでもかなり進んでいる様だ。
「速いな」
「そりゃ人数がいるからな」
グレゴールが答える。腰壁の残りと馬房扉。そして金具、給水、照明。それぞれが別々に動いている。俺は全体を見て、必要な場所だけ手を出す。
以前なら全部自分で確認して全部自分でやろうとしていただろう。今は違う。
「ヒカル」
ニナが呼ぶ。
「ここ」
「何?」
「金具、馬側に出てない?」
「その前に、誰か確認した?」
「ドランとボルガ」
「じゃあ俺は?」
「最後」
「最終検査員になったな」
「うん」
こういう役割なら悪くない。すると監督ヘルメットを被ったユキが歩いてくる。
「おっちゃん」
「何?」
「ごごも、あんぜん、みる」
「そうだな」
「ミナ、やすんでる」
「それも安全のためだな」
「ユキ、おねーちゃんとかんとく」
「お姉ちゃんは仕事じゃないけどな」
ミネットが屋根の下から言う。
「今日はずっとそれにゃ」
「む。ミネット」
「何にゃ?」
「しごと」
「してるにゃ!」
ユキ監督は厳しい。
◇
夕方。森と湖岸へ出ていた巡回組が戻り始めた。今のところは異常なし。西側森林にも新しい追跡痕は確認されなかったそうだ。
近衛騎士団のマウンテンバイク訓練では、転倒者が二名。ただし低速での転倒だったので怪我はなし。むしろ転び方の練習になったらしい。
「ちなみに誰?」
俺がレオンへ聞く。
「まあ、名前は伏せておこう」
「本人たちの名誉?」
「ああ」
その後ろでハロルドと若い団員が、土を払っている。
畑組も戻ってきた。赤ワゴンにはトマト、ナス、とうもろこし。
トトの記録帳には新しいスケッチ。アルノは今日の収穫量を記録した。ロクとセルドからは畑周辺は異常なしとの報告。
「平和だったっす」
今日も平和で何よりだ。今日『が』ではない……。過去の歴史を踏まえ、少なくとも湖畔では、常に予期せぬ不測の事態に備えていく方針だ。
◇
夕食前。仕事を終えた俺は、もう一度診療所へ顔を出した。窓際のベッドではミナが眠っていた。腕の中に白い毛玉を抱えて。
「……」
こびゃっこが、細い目を片方だけ開けて俺を見る。
「助けるか?」
小声で聞く。
「……ミナが寝ておる」
「うん」
「起こすとまた揉まれるのじゃ」
「確かに」
「しばらくこのままでよい」
意外だった。寝ているミナの腕は昼よりずっと緩いはずだ。ただ抱えているだけ。頬はこびゃっこの頭へ触れている。
「こびゃっこ」
「何じゃ」
「気に入られたな」
「……仕方のない幼子じゃ」
口ではそう言うが、逃げようとはしなかった。今日のこびゃっこはユキではなく、一人の幼女の完全な守護神使になっていた。
その隣では、ユキがミナの寝顔につられたのか、椅子に座って眠そうに目をこすっている。
「おっちゃん」
「何?」
「ミナ、ねた」
「ああ」
「ユキ、おねーちゃん、できた?」
「今日はかなり出来てたんじゃないか」
「ムフー」
「それミナの真似だろ」
「ユキも、できる」
「何を競ってるんだ」
ユキが両腕を伸ばす。
「おっちゃん。だっこ」
「お姉ちゃんじゃなかったのか?」
ユキは真顔で答えた。
「おねーちゃんも、だっこ、だいじ」
「はいはい。そうですか」
俺はユキを抱き上げる。神様とは言え、五歳児は五歳児だ。お姉ちゃんになったからって、急に大人になる必要はない。
俺の腕の中でユキがベッドのミナを見る。
「ミナ、げんきになる?」
「なるように、みんなで見てる」
「ユキ、ミナげんきになるの、まつ」
「明日もっと元気なら、少し外へ出られるかもしれない」
ユキの耳が立つ。
「いっしょ?」
「短時間な」
「ユキ、て、つなぐ」
「頼むぞ」
「おねーちゃんだから」
「ああ」
今日の湖畔も一日が終わる。祠は少し進み、馬房も少し進んだ。溶接の朝練は俺がいなくても安全に終わった。
巡回も、警備も、訓練も。そして畑も。俺が全部見ていなくても、今日もちゃんと回っている。
そして昨日増えた小さな狐族の子にも、もう湖畔で待っている人が出来た。
「おっちゃん」
「ん?」
「ごはん」
「ああ、行くか」
「こびゃっこは?」
ベッドの上を見ると、白い毛玉はミナの腕の中で完全に諦めた顔をしている。
「……ずっとこのまま置いていこう」
「うん」
「聞こえておるぞ!何がずっとじゃ!」
白い毛玉の守護神使様は、まだ元気だった。
続く。
◇
【第130話・収支報告】
異世界生活94日目
日付:六の月23日
オリエント王国歴952年
開始残高:3,122,585pt
今回の新規購入:なし
・《始マリノ祠》製作は既存在庫の木材、金物、加工資材を使用
・厩舎馬房工事も既購入済み部材を使用
・ドラン、ボルガ、ニナの溶接朝練は既存設備・消耗材の範囲内
・診療所の治療、食事、衛生用品も既存在庫を使用
今回支出合計:0pt
現在残高:3,122,585pt
円換算目安:3,122,585pt × 100円
= 約312,258,500円相当




