第124話 白狐神と守護者の抜刀術
異世界生活90日目。
六の月19日。
二日間の振替休日が終わった。昨日の夜は映画を二本見て、ユキは天津飯の夢を見ながら寝た。俺もいつもより少し遅く寝たはずなのだが。
「……朝になると、ちゃんと仕事の日の空気になるんだよな」
住居ユニットを出ると、湖畔はもう動き始めていた。
近衛宿の前では騎士たちが装備を確認している。厩舎では馬の蹄や鞍の確認。職人宿からは、グレゴールたちが工具箱を持って出てくる。厨房では朝食の準備中だ。
昨日までビーチボールを追いかけ、映画の続きを要求していた連中と同じとは思えない。
「おっちゃん」
「ん?」
「きょう、しごと」
隣にいるユキも、今日は青ライン入り監督ヘルメットをかぶっている。
「ああ。二日休んだからな」
「ちゃんと、やすんだ?」
「監督様のおかげでな」
「よし」
そう言ってユキが胸を張る。そして、その横。
「びゃっこも本日より通常勤務へ復帰じゃ!」
「お前、昨日も映写主任とか言って働いてただろ」
「娯楽文化監修じゃ」
「そんな役職認めてないけどな」
「では、本日は正式な《始マリノ祠》歴史文化文字総合監修主任として――」
「長い長い!文字監修以外、勝手に増やすな」
「朝から厳しいのう!」
白い毛玉は、休日明け一発目から通常運転だった。
◇
朝食後。まず鍛冶場へ向かったのは、ドラン、ボルガ、ニナの三人だった。
「じゃあ、いつもの朝練だけな」
俺は作業倉庫へ向かう途中、一度だけ鍛冶場へ顔を出した。
「今日はヒカルは見んのか?」
ドランが聞く。
「新しい段階へ進めるなら立ち会う。でも今日は昨日までと同じ短い仮付け練習だろ?」
「うむ」
「ならドランとボルガで見てくれ。ニナの体調確認は?」
「したよ」
ボルガが答える。
「肩も腕も問題なし。握りも普通」
ニナも黄色いヘルメットをかぶったまま頷く。
「だいじょうぶ」
「寝不足は?」
「ない」
「焦ってる?」
「ない」
「昨日リバーシでベルタに負けた悔しさは?」
「ある」
「そこはあるのか」
「でも、溶接とはべつ」
「ならよし」
七歳児に、そこを分けて考えられているなら十分だ。
作業台には、練習用の鋼材。溶接面、防炎服、革手袋。消火用具もいつもの位置にある。
「ニナ」
「なに?」
「今日は何回?」
「短い仮付け、二回」
「終わったら?」
「やめる」
「まだできそうでも?」
「やめる。明日もできる」
「よし」
三つ編みが少し揺れた。ドランが腕を組む。
「ワシも二本ほどビードを引くぞ」
「ドランはニナと同じ時間で終わらなくてもいいけど、朝から張り切りすぎるなよ」
「分かっとる」
ボルガが笑う。
「この人、放っておくと『もう一本』を五回くらいやるからね」
「おぬしもじゃろ!」
「私は三回だよ」
「そんなもん誤差じゃ」
「二人とも、練習だからな」
俺が言うと。
「分かっとる!」
「分かってるよ」
「……ほんとに?」
ニナが二人を見た。
「ニナに心配されてるぞ」
「ぐぬ」
「これは効くね」
俺は笑いながら鍛冶場を出た。
◇
俺の午前中の仕事は、作業倉庫内の《始マリノ祠》だった。既に図面は固まっている。部材加工もかなり進んだ。今日の午前は、俺一人でできる細かい加工を進める。と言っても、本当に一人というわけではない。
「そこじゃ」
「どこ?」
「その木鼻の形じゃ」
作業台の上に、こびゃっこが腕組みならぬ前足組みをして立っている。
「昨日図面で確認しただろ」
「図面と実物は違うのじゃ!」
「職人みたいなこと言い始めたな」
「千年の神事経験を舐めるでない」
「そこは本物だから困る」
俺は加工途中の木材を持ち上げる。祠そのものは大きくないが、ただの箱を作るわけじゃない。柱、土台、梁、屋根下地。それぞれを現代工具で加工しつつ、見た目は昔の祠の意匠を残す。
俺が電動トリマーを使って木端を整えると、こびゃっこが少し近づいた。
「止まるまで近づくなよ」
「分かっておる!」
工具停止。電源を切り、刃の回転が完全に止まってから部材を見せる。
「これでどうだ?」
「もう少し丸みが欲しいのう」
「昔のやつはそんな感じなのか?」
「うむ。しらゆきが幼い頃、よく指で撫でておった」
「……そんなところまで覚えてるのか」
こびゃっこが一瞬、細い目を伏せた。
「長くおったからの」
「そうか」
「じゃが、完全に同じでなくてよい」
「前にも言ってたな」
「これは昔の祠を墓のように残すものではない」
こびゃっこが木材へ前足を置く。
「今のユキがおる場所に、今の者たちが建てる祠じゃ」
「……ああ」
「昔を伝えるのは、びゃっこの仕事じゃ。今に合わせるのは、お主らの仕事じゃ」
まともなことを言うと、本当に千年以上生きた神使なんだよな。
「じゃあ丸みは残す。でも、水が溜まりやすくなる形にはしない」
「それでよい」
「監修承認?」
「承認じゃ!」
「勝手に判子押すなよ」
「そうじゃ!判子も欲しいのう」
しまった。余計な事を言ってしまった。
「……作らないぞ」
◇
その頃。職人たちは厩舎へ入っていた。グレゴールを中心に、カイル、レイル、バドル、ミネット、エリオット。
屋根は完成済み。今は馬房の腰壁と扉、仕切り。馬側へ金物が飛び出さないよう確認しながら、一房ずつ仕上げていく。もちろん今日の監督様もいる。
「グレゴール」
「何だ、ユキ」
「ここ」
ユキが規制線の外から指差した。
「ニナがまえ、いってた」
「どこだ?」
「した。あくところ」
「ああ。清掃用の隙間だな」
「うん。ひっかかるの、だめ」
「覚えてたのか」
「ユキ、かんとくさまだから」
「そうだったな」
グレゴールが笑う。以前ニナが気づいた腰壁下端の清掃用隙間も、今日は仕上げ寸法を確認しながら施工する。
敷料や汚れを掃き出せる程度には開けるが、蹄や脚が入り込むほど広くしてはいけない。馬側の角もできるだけ丸め、ボルトや金具は突出させない。
「扉、一枚動かすぞ!」
グレゴールの声。
「周りよし!」
カイル。
「馬側よし!」
レイル。
「金物よし!」
エリオット。ユキが少し遅れて、
「ユキも、よし!」
と声を上げる。
「監督様確認入ったにゃ!」
ミネットが笑った。
◇
鍛冶場の朝練を終えた三人も、少しして厩舎へ合流した。
「終わった」
ニナが黄色ヘルメットのまま、赤ワゴンを引いてくる。
「かたは?」
ユキが聞いた。
「だいじょうぶ」
「ひばな、だした?」
「二回」
「ちゃんと、やめた?」
「やめた」
「よし」
七歳児を五歳児が安全確認している。そこへドラン。
「ワシも練習を終えたぞ!」
「なんかい?」
「……」
「ドラン?」
「三本じゃ」
ボルガが横から言う。
「四本目へ行こうとして止めた」
「止められたのかよ」
「ニナに」
ニナが淡々と言う。
「まだできるとき、やめる」
「うむ……」
ドランが少し小さくなった。ユキは満足そうに頷いた。
「ニナ、あんぜんはんちょう」
「うん」
三つ編みが揺れた。
◇
一方その頃。湖畔では近衛騎士団の本格的な巡回訓練も始まっていた。
二日間休養を取ったからといって、湖畔へ派遣された目的が変わるわけではない。ただし、近衛だけで勝手に巡回しない。
この森と湖岸は、《東風の牙》と《蒼岩の盾》が先に知っている。だから最初は混成だ。森側巡回は、二班。一つはマウンテンバイク班。ロク、リーファ、ナージャを中心に、近衛の徒歩・軽装組から数名。今日はシルヴァンも入る。
もう一つは騎馬班。森の外縁寄り、馬で無理なく通れる範囲を別ルートで確認する。馬に乗れば速いが、森の中なら常に馬の方が便利というわけでもない。枝、根、ぬかるみ、狭い獣道。そういう場所ではマウンテンバイクや徒歩の方が動きやすい区間もある。
◇
「シルヴァン」
「はい」
「前の枝」
リーファが言った。
「見えています」
「自転車に慣れてないうちは、弓より先に前を見て」
「……はい」
シルヴァンが少し悔しそうに返事をする。昨日までは釣竿を持っていた銀狐族の弓士班長だが、今日はマウンテンバイク。もちろん弓は背負っている。
「止まって撃つのは?」
「あり」
「走りながらは?」
「なし。というか無理でしょ」
「魔法補助は?」
「なし」
フィンがよく言われた事をつい確認してしまったらしい。ナージャが笑う。
「この湖畔、乗り物を覚える時だけ魔法に厳しいですよね」
ロクが前を見たまま答える。
「壊れた時に魔法なしでも止まれないと危ないっすからね」
「なるほど」
「まず普通に乗れる。そこからっす」
シルヴァンが頷いた。
「合理的ですね」
◇
湖岸側では別の隊が動いている。先頭はバギー。運転はガラン。助手席にはオルフェン。後席にはセルドとフィン。
その後ろへ近衛騎士団の騎馬班。ハロルド、クラウディアを中心に数騎。今日は南側湖岸から東へ向かうルートの確認だ。バギーを先頭にして路面状態を見ながら速度を調整する。
「前方、砂利が深い」
ガランが速度を落とす。後ろへ手で合図。ハロルドがさらに後続へ伝える。
「速度落とせ!」
馬の速度も下がる。セルドが後ろを振り返った。
「こうして見ると、バギーは偵察にも使えますね」
「使えるが」
ガランが答える。
「何でもこれで行けると思うな」
「分かっています」
「深い泥、急斜面、密林、倒木。馬の方がいい場所もあれば徒歩の方がいい場所もある」
「使い分けですね」
オルフェンが言う。
「そうだ」
「盾と同じですね」
「盾?」
「大盾が強いからといって、全部の状況で大盾だけ使えばいいわけではない」
「まあ、そういうことだ」
後ろでフィンが小さく笑った。
「皆、自分の専門へ置き換えますね」
「お前も魔法へ置き換えるだろ」
「否定できません」
◇
午前の巡回は、森側も湖岸側も大きな異常なし。足跡、獣の動き、風向き、ぬかるみ、倒木等、今まで《東風の牙》たちが当たり前に見ていた物を、近衛側も実際に覚えていく。
ここでは、敵の発見だけが巡回じゃない。昨日までなかった倒木。崩れた岸。馬では通りにくくなった場所。獣の糞。見慣れない足跡。そういう小さな変化を察知し発見することが最も重要だ。
神務院の偵察を知っているからこそ、露骨に警戒を強めるのではなく、普通の巡回精度を上げる。気づいたことを、騒がず記録する。今の湖畔には、それが必要だった。
◇
昼前。俺が作業倉庫で柱材へ墨付けしていると、外からユキが入ってきた。
「おっちゃん」
「監督様、厩舎は?」
「おひる」
「ああ、もうそんな時間か」
「ちゃんと、とまった」
「工事?」
「うん」
「グレゴールたちは?」
「て、あらってる」
「よし」
こびゃっこが作業台から飛ぶ。
「びゃっこも昼食監修へ――」
「ただ食いたいだけだろ」
「食文化の安全確認じゃ」
「便利な肩書きを作るな」
俺は工具を片付ける。木粉を掃除し、電動工具の電源を抜く。作業場を離れるなら中途半端でも止める。
「おっちゃん」
「ん?」
「ちゃんと、とめた」
「見てた?」
「ユキ、かんとく」
「はいはい。それで合格した?」
「おっちゃん、ごーかく」
◇
昼食を挟み、午後の作業へ入る前。近衛とハンターチームには、少し長めの訓練時間を取ることになっていた。
午後も森側と北側湖岸の巡回がある。その間の時間を使って、マウンテンバイクや剣技。弓や盾と防御それぞれの訓練を行う。
広い草地に訓練区画を分ける。近衛の全員が同じ訓練をするわけじゃない。騎馬が得意な者や、剣、槍、弓、魔法、防御などそれぞれ役割が違う。
ただ、湖畔では巡回手段としてマウンテンバイクも使うため、希望者には順番に基本操作を覚えてもらう。
◇
「ブレーキ!」
「はい!」
「前だけ強く握らない!」
「はい!」
「止まる前に足を出す!」
「はい!」
ナージャが完全に教える側へ回っていた。数日前まで自分が教わっていたはずなのに。
「次、緩く曲がりますよー!」
近衛騎士が慎重にハンドルを切る。
「視線、足元じゃなくて進む方!」
「分かりました!」
「そうそう!」
ロクが横で笑う。
「ナージャ、もう先生っすね」
「教えると自分も復習になるんですよ」
「ガランみたいなこと言い始めたっす」
「それ褒めてます?」
「もちろんっす」
◇
少し離れたところでは弓班。リーファとシルヴァン。こちらは互いに教え合うというより、技術交換に近い。
「森なら、この射角」
リーファが矢を放つ。短い距離。枝の隙間。真っすぐ飛ばすのではなく、撃てる空間を先に探す。
シルヴァンが目を細める。
「王都の訓練場では、ここまで枝が邪魔になる状況は少ない」
「森は射線が通らないことの方が多いわ」
「湖岸なら?」
「湖岸は逆。風を見る」
「なるほど」
シルヴァンも一本、魔法を使わず射る。矢が標的へ突き刺さる。
「強いな」
俺は少し離れたところから声を出した。
「ヒカルさん」
シルヴァンが振り返る。
「見学ですか?」
「祠の作業へ戻る前に少しだけ」
「射てみます?」
「今日はいい」
「弓も使えるんですよね?」
「狩猟スキルで一応」
「一応……」
リーファが笑う。
「ヒカルの『一応』は信用しない方がいいわ」
「なぜ?」
「本人が思っているよりできるから」
「やめてくれ」
◇
防御訓練区画ではクラウディアが、小型盾を構えていた。
「もう一度」
セルドが模擬槍を突き出す。盾で受ける。同時に、クラウディアの前に淡い光が広がった。幅三メートルほどの半透明防壁。槍先がその手前で止まる。
「おお」
俺は思わず声を漏らした。クラウディアが防壁を消す。
「長時間は持ちません」
「それでも便利だな」
「使う場所を選びます。横から回られれば意味がありません」
「真正面を数秒止めるため?」
「はい。その数秒で後ろが動ける」
「なるほど」
オルフェンが頷く。
「盾役と同じです」
「本職が言うと説得力あるな」
「自分自身、理解しやすいので」
◇
そして……見なければよかった。いや、見たこと自体は別にいい。問題は、剣技訓練区画の横を通ったことだった。
「ヒカル!」
「また今度な」
「まだ名前しか呼んでいないぞ!」
「その声の勢いで用件が分かる」
レオンが木剣を持ったまま近づいてくる。その後ろではガランが額を押さえていた。
「ヒカル、諦めろ」
「何で?」
「こいつは前から、お前の剣を見たいと言っていた」
レオンが目を輝かせる。
「ガランからも聞いたぞ。お前は異界の剣術を使うそうだな!」
「余計なこと言ったな、ガラン」
「既に王国への報告にもある話だからな」
「だからって本人へ焚きつける必要ないだろ」
「すまん」
「素直に謝るな!」
レオンが一歩前へ出た。
「特に抜刀術だ!」
「やっぱりそこか……」
「飛びかかってきた棘狼を、剣を鞘から抜く動作のまま一刀で斬ったと聞いた」
「その話も聞いたのか」
「だから見たい!」
「嫌だよ。真剣でそんなことできるか」
「木剣でいい」
「木剣?」
「鞘はあるのだろう?」
俺は少し考える。収納には剣術スキルを取った時に揃えた練習用の鞘付き木刀もある。
「あるけど」
「なら、それを腰に差してくれ」
「型を見るだけ?」
「いや」
レオンが自分の木剣を見せた。
「俺も腰に差す」
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「互いに剣を抜いていない状態から立ち合いたい」
「もっと嫌な話になった!」
◇
「待て待て」
俺は両手を上げる。
「抜刀術が見たいだけじゃなかったのか?」
「だからだ」
「だったら俺が一人で抜けばいいだろ」
「それでは実戦の抜刀術が分からん」
「分からなくていいよ!」
「俺が知りたい!」
「欲望に正直だな!」
レオンは真顔だった。
「もちろん木剣だ。俺も木剣を使う。互いに腰へ差し、抜く構えから始める」
「それ、普通に立ち合いだろ」
「そうとも言う」
「そうとしか言わないだろ!」
後ろからベルタが来る。
「副団長」
「何だ」
「ヒカルさんは祠の作業途中です」
「短時間だ」
「怪我をした場合は?」
「木剣だぞ?」
「木剣でも怪我はします」
「……」
「しかも副団長は熱くなると加減を忘れます」
「忘れん!」
ベルタが無言でレオンを見る。
「……たぶん」
「信用できません」
「副官が容赦ないな」
俺が言うと、ガランまで頷いた。
「そこはベルタに同意する」
「ガランまで!?」
◇
これで終わるかと思った。だがレオンは諦めない。
「では、打ち合わない」
「どういうこと?」
「互いに抜刀する。ただし相手を打つ必要はない。俺はお前がどう間合いへ入り、どう抜くのかを見たい」
「……」
俺は少し考えた。刀はレイシス皇国へ向かう途中、棘狼を斬って以来、実戦ではほとんど使っていない。
剣術スキル自体は今もある。たまに早朝、素振りをする程度だ。でも、近衛騎士団の副団長という本職の剣士が、自分の剣術をどう見るのか。それには少し興味があった。
「ガラン」
「何だ?」
「危なくないか?」
「木剣で、互いに寸止めを徹底するならな」
「お前までやらせる側なの?」
「正直に言えば……」
ガランが少し笑った。
「俺も見たい」
「お前もか!」
「以前は一瞬だったからな」
あの時は、俺自身も必死だった。
「……分かったよ」
レオンの顔が一気に明るくなる。
「おお!」
「ただし一回だけ!」
「分かった!」
「あと、本当に木剣だからな」
「当然だ!」
「真剣を出せとか言うなよ」
「……」
「何で黙る?」
「分かった!」
「今、一瞬考えただろ!」
◇
俺は収納から鞘付きの木刀を出した。腰へ帯を巻き、そこへ差す。
「こういう感じ?」
「おお……」
レオンが急に静かになった。
「何?」
「いや」
俺の腰を見る。
「剣を持っただけで雰囲気が変わった」
「そう?」
「ヒカル」
ガランも俺を見る。
「やはりその形だ。森で見た時と同じだ」
「俺にはよく分からないけどな」
レオンも自分の木剣を腰へ差した。この世界の剣には、日本刀のような抜刀術を前提とした文化はない。それでもレオンほどの剣士なら、腰に携えた状態から抜いて攻撃する動きくらい当然できるだろう。
「これで条件は同じだ」
「剣の形が違うけどな」
「そこは仕方ない」
◇
「おっちゃん?」
声がして振り向く。いつの間にかユキがいた。青ライン入りの監督ヘルメットをかぶったままこちらを見ている。
「何で来てるの?」
「おっちゃん、かたな?」
「木刀だよ」
「たたかう?」
「戦わない。ちょっと練習」
「ほんと?」
「本当」
ユキがレオンを見る。
「レオン」
「何だ?」
「おっちゃん、けが、だめ」
「もちろんだ!」
「レオンも」
「……俺も?」
「けが、だめ」
レオンが少し笑った。
「分かった。約束しよう」
「なら、よし」
その横にはニナまでいる。
「ニナも?」
「休憩」
「何でこういう時だけ集まるんだ」
上空には当然のように白い毛玉。
「歴史的異界剣術実演じゃ!」
「煽るな!」
「撮影機材を持ってくればよかったのう!」
「持ってこなくて正解だ!」
◇
俺とレオンが向かい合う。距離は数メートル。互いに木剣は腰。まだ抜かない。ガランが立ち合いの合図を出す事になった。
「……」
さっきまで騒いでいたレオンから表情が消え、右手が柄へ近づく。俺も木刀の柄へ手を添えた。空気が変わる……何だこれ、練習だぞ?
それなのに、正面に立つレオンがさっきまでとまるで違う。近衛騎士団副団長。王直属の近衛として、剣を仕事にしてきた人間。
構えらしい構えすら取っていないのに、正面へ立つだけで分かる。――不用意に入ったら打たれる。
「……怖いな」
俺が呟く。レオンの眉がわずかに動く。
「本気で言っているのか?」
「本気」
「そうは見えん」
「怖くても、動かなきゃいけない時はあるから」
森で棘狼を前にした時もそうだった。怖かったし、手も震え膝も震えた。その時はマインドフルネスの表示に従って呼吸を整えた。
今も同じ様に息を吸って吐く。視界を広げレオンだけを見ない。肩、腰、足、右手そして剣。全部をぼんやり見て、何をするかは考えない。考え始めたら、多分遅い。
◇
周囲から声が消えた。さっきまで訓練していた近衛たちまで動きを止めている。
リーファ、ロク、ナージャ、シルヴァン、クラウディア、オルフェン、セルド、フィン、ベルタ。そしてガラン。誰も喋らない。
「……」
「……」
レオンの右手が柄へ触れた。俺も柄を握る。妙に時間が長く感じた。レオンは動かない。俺も動けない。数秒なのか、十秒なのか分からない。
風が草を揺らし、遠くで馬が鼻を鳴らした。ユキも黙っている。こびゃっこすら、珍しく何も言わない。
◇
ガランが俺たちを交互に見る。
そして。
「――始め!」
◇
レオンの右腕が動いた。速い。腰の木剣が抜かれ鞘から刀身が走り出る。
俺には、それしか見えなかった。いや。見えたと思った時には、身体が勝手に動いていた。
◇
「――っ!」
誰かが息を呑んだ。俺自身も、何が起きたのか一瞬分からなかった。
気づいたら俺はレオンの懐へ入っていた。腰を落とし、木刀を両手で握り、刃先を上へ向けるようにして、下から斜め上へ支える形。
そして。木刀の切っ先がレオンの額、その十センチほど手前、真正面で止まっていた。
「……」
「……」
レオンの木剣は、既に鞘から抜けている。だが、まだ完全な攻撃動作へ移る直前。剣を抜ききった、その辺りで止まっていた。
◇
誰も動かない。俺も、レオンも、そして周りも。
「……え?」
最初に声を出したのは、たぶん俺だった。何だ、この位置。近い、レオンの顔が近い。そして俺の木刀の先端は、その額の前にある。
「……ヒカル」
レオンが動かないまま言った。
「何?」
「止めているのか?」
「……たぶん」
「たぶん!?」
「俺も今、確認してる!」
◇
ゆっくり。本当にゆっくり木刀を引き、俺は一歩下がる。そこでようやくレオンも木剣を下ろした。
周囲は静かだった。
「……」
ガラン。
「……」
リーファ。
「……」
ロク。
「……」
近衛騎士たち。全員、唖然としている。
「何?」
俺は聞くが、誰も答えない。
「いや、何?」
ようやくロクが口を開いた。
「ヒカル……」
「何?」
「今、何したんすか?」
「レオンが抜いたところを見て……」
「その後っす」
「気づいたらここにいた」
「……」
「何その顔」
◇
「速い」
シルヴァンが呟いた。弓士だからだろうか。目はいいはずだ。
「いや……速いというより」
「何?」
「動き出したのが分からなかった」
クラウディアも頷く。
「私もです」
「そんなに?」
「副団長が抜くのは見えました」
「俺もそこは見えた」
「ですが、その直後にはヒカルさんの木刀が副団長の額の前にありました」
「……」
俺は自分の木刀を見る。
「スキルって怖いな」
「そこでその感想になるのか!」
レオンが叫んだ。
◇
「ガラン!」
レオンが振り返る。
「見えたか!?」
「一応な」
「どうだった!」
ガランが腕を組む。
「以前と同じだ」
「同じ?」
「ああ」
ガランが俺を見る。
「棘狼を斬った時も、俺にはヒカルが刀を抜いたようには見えなかった」
「いや、抜かないと斬れないだろ」
「だから見えなかったと言っている」
「そんな速かった?」
「お前、自覚なかったのか?」
「必死だったから」
「……そうだったな」
◇
レオンはまだ呆然としていた。自分の木剣を見て、次に俺の木刀を見る。そして自分の額を触った。
「十センチくらいだったよな?」
「たぶん」
「寸止めまでできるのか」
「いや」
「いや?」
「止めようとは思ったけど、あの位置に止めようとは思ってない」
「……」
「だからスキルだって」
レオンがしばらく黙る。
「ヒカル」
「何?」
「もし真剣だったら?」
「その話やめない?」
「重要だ」
「……」
俺はさっきの位置を思い出す。
「額か、その前で止めてたんじゃないか?」
「実戦なら?」
「……斬ってたかもな」
レオンが黙った。周りも沈黙する。
「だから真剣でやりたくなかったんだよ!」
◇
「おっちゃん!」
ユキが真顔で呼ぶ。
「はい」
「おわり!」
「終わりです」
「もう、しない!」
「はい。しません」
レオンが振り向く。
「いや、ユキ。今のをもう一度――」
「レオン!」
「……」
「だめ」
「……はい」
近衛副団長が五歳児に負けた。
「監督様、強いな」
レオンが呟くと、ガランが笑う。
「湖畔では俺より強いぞ」
「お前まで認めているのか!」
◇
ニナは俺の木刀をじっと見ている。
「ヒカル」
「何?」
「いま、いつぬいたの?」
「俺にも分からない」
「そう」
「納得するの?」
「ヒカルのスキルだから」
「ニナまでそれで済ませるの?」
「ヒカル、そういうの、おおい」
「……否定できない」
こびゃっこが、ようやく俺の肩へ降りてきた。
「やはりのう」
「何が?」
「本人より身体の方が、剣を分かっておる」
「前にもそんなこと言ってたな」
「長年剣を振った者の技を、スキルで突然身体へ入れればそうもなろう」
「俺、何年分の技が入ってるの?」
「知らぬ」
「今の適当に言ったな!」
「雰囲気じゃ!」
「神使が雰囲気で解説するな!」
◇
レオンは木剣を鞘へ戻した。さっきまでの興奮した顔ではない。むしろ考え込んでいる。
「……なるほど」
「何?」
「ガランが見せたがらなかった理由が分かった」
「ガラン自身は見たがってたけどな」
ガランが苦笑する。
「ただ、ヒカル」
「何?」
「俺もここまでとは思っていなかった」
「そう?」
「以前は相手が魔物だった。今は相手がレオンだ」
「それが?」
「近衛騎士団の副団長が抜ききるまでに、額へ切っ先を置いた」
「木刀な」
「そういう問題ではない」
「俺にとっては、そういう問題だよ。安全が大事」
◇
レオンが顔を上げる。
「ヒカル」
「もうやらないぞ」
「まだ何も言っていない!」
「次に言うこと分かる」
「次の休養日に――」
「やらない」
「型だけでも!」
「それなら考える」
「よし!」
「まだ決めてない!」
ベルタが手帳を開く。
「では、次回休養日の仮予定として――」
「ベルタまで!?」
「副団長が勝手に真剣を持ち出さないよう、正式な訓練枠にした方が安全です」
「そっち!?」
「安全管理です」
「……それなら否定しづらい」
ユキが頷く。
「あんぜん、だいじ」
「監督様まで!」
「おっちゃん」
「はい」
「もう、おしごと」
「そうだった!」
俺は木刀を収納へ戻す。今日は祠を作っていたんだ。危うく近衛副団長と抜刀勝負をする日になるところだった。
いや。もうなったのか。俺は自分の右手を見る。
「……本当に、いつ抜いたんだろ、俺」
背後でレオンが叫ぶ。
「そこからなのか!?」
「自覚ないんだからしょうがないだろ!」
周囲から、ようやく笑い声が上がった。
◇
午後。俺は本来の仕事へ戻った。作業倉庫には、グレゴールとエリオットが合流する。
「何か外で騒いでたな」
グレゴール。
「聞かないで」
「レオン副団長が『次は真剣』って」
「やらない」
「剣も使えるんだな」
「一応」
エリオットが笑う。
「リーファが言ってたな。ヒカルの『一応』は信用しない方がいいって」
「広まってる!それより祠やるぞ!」
「はいはい」
◇
午後の《始マリノ祠》作業。まず土台の仮組み。倉庫の床へ墨を打ち、その位置へ加工済みの部材を並べる。
「ここと、ここ」
グレゴールが木材を合わせる。
「入るな」
「削りが足りない?」
「いや。ほんの少しだけ角度が違う」
俺も見る。
「数ミリあるかないかだぞ」
「祠は小さい。小さいほど誤差が目立つ」
「なるほど」
エリオットも継ぎ目を指で撫でる。
「ここ、仕上げた時に光が拾うな」
「そこまで見る?」
「内装屋だからな」
昨日映画の魔法学校の階段を見ていた男とは思えない。
「削るか?」
「先に仮組み。全体を見てから」
「そうだな」
俺はインパクトではなく、まずクランプで位置を仮固定する。
◇
こびゃっこも監修として当然いる。
「柱位置はよい」
「屋根の向きは?」
「よい」
「正面の意匠は?」
「うむ」
「随分素直だな」
「ちゃんとしておるからの」
「もっと褒めていいぞ」
「調子に乗るでない」
「厳しいな」
ユキも厩舎工事の合間に一度だけやってきた。
「これ、ほこら?」
「まだ骨組みだけ」
「ちいさい」
「祠だからな」
「ユキ、はいる?」
「中に入る建物じゃないぞ」
「こびゃっこは?」
「入れそうじゃ!」
「いっそのこと、ここに住むか?」
「なぜじゃ!」
ユキが笑う。
「こびゃっこの、おうち?」
「違うのじゃ!」
「じゃあ、ユキの?」
俺は少し考える。
「ユキだけのでもないかな」
「しらゆき?」
「しらゆきも関係ある」
「そういちろう?」
「ああ」
「みんな?」
「そうだな」
ユキは仮組みされた木材を見る。
「じゃあ、むれの、ほこら?」
俺とこびゃっこが一瞬黙った。こびゃっこが先に口を開く。
「……悪くないのう」
「正式名称は《始マリノ祠》だけどな」
「うん」
ユキは納得した。
「はじまり。みんなの」
難しい意味までは分かっていないのだろう。でも、そのくらいでいい。
◇
午後の警備班も動き始めた。今度は午前と担当を一部交代。森側巡回。そして北側湖岸。北は南側より整備された道が少なく、湖岸線も場所によって起伏がある。
騎馬班とマウンテンバイク班を、その区間に合わせて使い分ける。
午前の訓練で自転車に少し慣れた近衛も、いきなり難しい区間へは入れない。
まず平坦な区間。経験者が前後に、急な場所は降りて押す。
「乗れるからって全部乗る必要はないっす」
ロクが言う。
「降りる判断も訓練っす」
近衛騎士が頷く。
「馬と同じですね」
「そうっす。無理に乗るより降りた方が早い場所もあるっす」
また一つ、湖畔式の巡回が共有されていく。
◇
夕方前。厩舎側でも今日の区切りまで作業が進んだ。ドランとボルガは金具を調整。ニナは扉金物の位置と、工具の回収確認。
「ラチェット、一本」
「ある」
「ビット」
「ある」
「予備バッテリー」
「ある」
「コンベックス」
「ある」
確認しながら赤ワゴンへ戻していく。午前中に指示された範囲は他の職人たちで進められている。ヒカルやグレゴールがいないと止まる現場ではない。担当が分かれている。それが今の湖畔だった。
◇
俺たちも祠の仮組みをいったん止めた。
「今日はここまでにしよう」
俺が言う。
「まだいけるぞ」
グレゴール。
「明日もある」
「ニナみたいなこと言うな」
「湖畔で流行ってるんだよ」
エリオットが笑う。
「『まだできる時にやめる』」
「悪くないだろ」
「ああ」
工具を戻し、掃除する。充電式の掃除機で木粉を吸い込み、加工材へ番号札を付ける。
「これで明日、続き分かる?」
俺が聞く。
「これなら」
グレゴールが札を見る。
「むしろ王都の現場へ持って帰りたい方法だな」
「番号振るだけだぞ」
「大きな仕事ほど効く」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
◇
そして夕方。巡回組も順に戻ってきた。
「異常なし」
ガラン。
「森側も大きな変化なしっす」
ロク。
「北側湖岸、一か所倒木あり。巡回そのものには支障なし」
リーファ。
「記録しておきます」
フィンがノートを開く。近衛側も、それぞれ気づいた場所を報告する。
道が狭い区間。
馬なら通れる場所。
自転車なら押した方がいい場所。
弓の射線が通る場所。
逆に見通しが悪い場所。
警備態勢を派手に変えてはいない。でも、見る目は増えた。
昨日まで休日を一緒に過ごした人間が、今日はそのまま湖畔の見張りの目になっている。
◇
「おっちゃん」
「ん?」
ユキが俺の横へ来る。
「きょう、ひとりでした?」
「してない」
「だれと?」
「午前はこびゃっこ。午後はグレゴールとエリオット」
「ほかは?」
「厩舎は職人たち。警備はガランたちと近衛。溶接はドランとボルガとニナ」
「うん」
「剣は……レオンに捕まった」
「レオン、だめ」
「そこまで言わなくていい」
少し離れた場所から。
「なぜだ!」
聞こえていたらしい。耳がいいな。
「おっちゃん、しごとあった」
「短時間だったろ!」
「む。だめ」
「……はい」
五歳児の圧に、副団長がまた負けた。
◇
こびゃっこが俺の肩へ降りる。
「しかし初めて直接見たのう、お主の異界剣術」
「そうか!お前、前はユキの意識から……」
「見ておった」
「どうだった?」
「相変わらず、本人より身体の方が分かっておる剣じゃ」
「褒めてる?」
「半分はの」
「残り半分は?」
「お主自身は戦いたがらぬ」
「悪いか?」
「いや」
こびゃっこが少しだけ真面目な声になる。
「それでよい」
「そう?」
「剣を抜くのが好きな者より、抜かずに済ませたい者の方が、ユキの側には向いておる」
俺は肩の白い毛玉を見る。
「珍しくまともだな」
「珍しくは余計じゃ!」
◇
夕食前。ユキは今日進んだ厩舎を見ている。今日は馬房の扉が一枚増え、祠の部材が少し形になり、近衛騎士たちは森と湖岸を回り、マウンテンバイクへ乗った。
大きな変化ではない。でも、休んだ後でもスムーズに仕事へ戻れるのは、悪くない。
「おっちゃん」
「何?」
「きょうも、みんなちゃんと、しごとした」
「ああ」
「むれ、おなじ。でも、しごとちがう」
「そうだな」
「なら、よし」
ユキが頷く。俺も今日の湖畔を見る。祠はまだ完成していないし、厩舎もまだ途中。警備の引き継ぎも始まったばかりで、シオンの救出計画だって、これからだ。
けれど、全部が俺一人の仕事ではない。それが、以前とは一番違う。
「ヒカル!」
遠くからレオン。
「次の休みに剣――」
「却下!」
「まだ最後まで言ってないぞ!」
「言わなくても分かる!」
「では映画の続編――」
「それも今決めるな!」
「夜なら仕事では――」
「おーいベルタ!」
「副団長」
「……」
レオンが黙った。俺は思わず笑う。この湖畔には、どうやら俺だけじゃなく、レオンを止める段取りまで揃ってきたらしい。
続く
⸻
【第124話・収支報告】
異世界生活90日目
日付:六の月19日
オリエント王国歴952年
開始残高:
3,123,678pt
今回の購入:
・なし
0pt
※溶接練習用資材・保護具・機材は既存品を使用。
※《始マリノ祠》加工用の木材・電動工具・金物・クランプ等も既存購入済み資材を使用。
※近衛騎士団・ハンターチームの巡回用マウンテンバイク、バギー、無線機、双眼鏡等も既存装備を使用。
※ヒカルが剣技実演に使用した木刀は既存の剣術関連装備を使用し、新規購入なし。
今回支出合計:
0pt
現在残高:
3,123,678pt
円換算目安:
3,123,678pt × 100円 = 約312,367,800円相当




