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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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118/139

第118話 白狐神、銀狐の商人を見送る


 異世界生活88日目。

 六の月17日の朝。


 昨日まで近衛騎士団の受け入れやら警備講習やらで湖畔は一気に賑やかになった。


 そして今日。一人、湖畔を離れる。商人バーモント。またの名を王直属の密偵《バード》。本名、ロイド・ゼビウス。三つも名前を持つ、ややこしい銀狐族の男だ。


「おっちゃん」


「ん?」


「バーモント、きょう、いくの?」


「ああ。朝飯食ったらな」


「おうさまに?」


「まず王様のところ」


「シオンのこと?」


「それも話してくれる」


 ユキが小さく頷く。


「しらゆきも?」


「ああ」


「ガルムも?」


「それも」


 指折り数えていたユキが、最後にロイドが泊まっている職人宿の方を見る。


「ひと、いっぱい」


「いっぱいだな」


 ロイドが持っていくのは報告だけじゃない。昨日の夕食後。俺たちは、もう一つかなり大きな商談をしていた。


     ◇


 話は昨夜に遡る。歓迎会の翌日ということもあり、夕食自体は比較的普通だった。もっとも、昨日とんかつと異界酒を初体験した近衛連中が、今日の夕食を「普通」と受け取っていたかは怪しいが、好評ではあった様だ。


 夕食後。俺、アルノ、マルタ、そして商人バーモントとしてのロイドが、食堂の端へ集まった。


「それでヒカルさん」


 ロイドが紙を広げる。


「王都へ持っていける商品を、今夜のうちに決めたいのですが」


「明日の朝出るんだろ?」


「ですから今夜決めます」


「商人だなあ」


「褒め言葉ですね」


「半分くらいは」


 今回、いきなり大量販売はしない。これは最初にロイドと話した通りだ。異界の品は品質が高すぎる物がある。それを何も考えず王都へ大量に流せば、既存の商人や職人を潰す可能性がある。


 だから最初は、少量。高付加価値があって、現地産業と極端に競合しない物。そして販売後の実際の反応を見る。


「雑貨類は、これくらいかな」


 俺は収納から候補を並べた。丈夫な裁縫用品に安全ピン。携帯用の小型爪切りに金属製の計量スプーン。小分け保存袋と密閉容器。簡易なキッチン用品や文具類。


「工具は?」


 ロイドの目が少し光る。


「これも今回は少しだけ卸す」


「残念です」


「ベルタみたいな顔するな」


 ドワーフと商人に新しい道具を見せると話が長くなる。そこへアルノが書類をめくった。


「食品については、王室献上分と商会取り扱い分を分けるのですね」


「そうした方がいいと思う」


 俺は収納から、以前購入した在庫から白い米袋を出す。十キロ入り。一袋、二袋、三袋とロイドが数える。


「……まだ出ます?」


「十袋」


「王室用が?」


「十袋」


「商会用は?」


「同じく十袋」


「二百キロ……」


「多い?」


「いえ。私の収納なら問題ありません」


「荷馬車一台分くらい入るんだっけ」


「その程度なら余裕があります」


 ロイドが米袋を一つ見つめる。


「これ、陛下が見たらかなり喜ぶでしょうね」


「まだ食ったことないんだよな?」


「ありません」


「なのに米好きなの?」


「王室の伝承にありましたが、ガラン大使の報告を聞いたせいでしょう」


 ガランを見ると、少し離れた席でお茶を飲んでいた本人が目を逸らした。


「稲荷寿司の報告は必要だった」


     ◇


 次はカレー。


「これが家庭用カレールー」


 こちらも以前購入した在庫分から、段ボール箱を二箱。


「王室用一箱。商会用一箱」


 ロイドが箱を持ち上げる。


「この中に、あのカレーが?」


「ルーが入ってる。肉と野菜と水があれば作れる」


「非常に危険な商品ですね」


「何が?」


「簡単すぎます」


「そこ?」


「調理人の技量差をある程度吸収してしまう」


「ああ……商人から見るとそうなるのか」


「そしてこちらは?」


「業務用のカレー粉だ」


 購入在庫分から二キロ缶を王室用十缶。商会用に十缶出す。ロイドが一缶持って重さを確認した。


「こちらはルーと違う?」


「調味された完成品に近いルーと違って、こっちは香辛料の混合粉。使う側で塩や油、小麦粉なんかを調整する」


 ロイドの目が完全に商人になった。


「こちらの方が私の商会向きですね」


「香辛料屋だもんな」


「成分を見ても?」


「いいけど、全部同じ香辛料を王国で揃えられるかは分からないぞ」


「そこを調べるのも商売です」


 やっぱり楽しそうだ。


     ◇


 畑からは、ジャガイモととうもろこし。これも王室用と商会用にそれぞれ数キロ。


「これは異界の商品ではないんですよね?」


 ロイドがジャガイモを見る。


「湖畔産の野菜だな」


「ユキと神使様の豊穣加護を受けた畑の?」


「そう」


「……王室へ献上するには、むしろこちらの方が意味がありますね」


「ああ」


 ユキやこびゃっこが育てた、と言えば語弊がある。畑仕事をしているのはみんなだ。でも白狐神と守護神使の豊穣加護を受けた作物であることは間違いない。


「とうもろこしは、茹でるだけでも食べられる」


「焼いても美味いぞ」


 マルタが横から言う。


「醤油塗って焼きな」


「それもレシピへ入れます」


 アルノがさらさら書き加える。


「ジャガイモは?」


「茹でる。焼く。揚げる。煮る。潰す」


「幅が広い」


「保存法は別紙」


「承知しました」


 そのほか、醤油と味噌。出汁の粉末等、和食用の基本調味料を少量ずつ、料理法も一緒に渡す。米の炊き方やカレーライス。焼きとうもろこしにじゃがバター。粉ふき芋。味噌汁。醤油を使った照り焼きや簡単な煮物。


「商品だけ渡して『好きに使え』じゃ分からないからな」


 俺が言うと、マルタも頷いた。


「知らない調味料なんて、料理人でも最初は困るよ」


「マルタも最初そうだった?」


「味噌をそのまま舐めた時は、正直『ヒカルはこれをどうしろってんだ』と思ったね」


「そう思ったのなら、聞いてくれよ」


「あの時は、他にも驚く食材ばかりだったからね。余裕が無かったのさ」


     ◇


 そして商会向け商品の金額。


「代金は、王都へ戻った後でいいよ」


 俺が言う。


「市場へ出して、売れた分からで」


 ロイドが首を傾げた。


「なぜです?」


「なぜって……」


「仕入れですよ?」


「まあ初回だし」


「初回でも仕入れは仕入れです」


 ロイドは収納から革袋を取り出すと机へ置いた。ジャラ。妙に重い音。


「……何?」


「代金です」


 中を見ると、五百円硬貨大の金貨がかなり入っている。


「待て待て待て」


「何でしょう」


「多くない?」


「計算済みです」


「いやいや」


 俺は自分のスキルショップで購入した価格を頭の中で計算した。米。カレー。調味料。雑貨。諸々。もちろん王室献上分は俺が勝手に出しているので商会の仕入れ代金には入っていない。


 それでも。


「俺が買った金額の、感覚的には十倍くらいあるぞ」


「それで適正です」


「嘘だろ」


「嘘をつく意味がありますか?」


「商人だから?」


「商人だからこそ、仕入れ価格では嘘をつきません」


 マルタが金貨を見る。


「バーモントの言ってることが正しいよ」


「マルタまで?」


「あんたは異界で普通に買えるから感覚がおかしいんだ」


「そうか?」


「米なんて王都じゃ誰も安定して持ってこれない。カレー粉に至っては、その香辛料全部を同じ品質で揃えようとしたら、とんでもない手間だよ」


 ロイドが頷く。


「輸送費、希少性、品質、再現性。さらに『白狐神の湖畔から入った品』という付加価値まであります」


「最後のは値段に含めるなよ」


「もちろん過度には使いません」


「過度には?」


「商人は商品の産地など、由来も売ります」


「まあ確かになあ」


「ですから適正価格です」


「でも十倍……」


「ヒカルさん」


 ロイドが少し真面目な顔になる。


「あなたが安く仕入れられることと、この世界で安い商品であることは別です」


「……ああ」


「安く売りすぎれば、それも市場を壊します」


 そこまで言われて、ようやく納得した。


「高すぎても駄目。安すぎても駄目か」


「そういうことです」


「商売って面倒だな」


「だから面白いんです」


 この男、本当に商人だ。


     ◇


 その話が終わったところで、セレナがやってきた。


「ヒカルさん。少しお願いがあります」


「何です?」


「陛下への献上品についてなのですが」


「米?」


「それも大変お喜びになると思います」


「じゃあ何?」


 セレナが少し言いにくそうにする。


「その……稲荷寿司を」


「はい?」


「可能なら、バーモントさんに持っていっていただけませんか?」


 横にいたロイドが目を瞬かせる。


「私が?」


「はい」


「どうして稲荷寿司?」


「陛下から頼まれております」


「王命?」


「そこまで正式なものではありません」


 セレナが微妙な顔をする。


「『もし湖畔で稲荷寿司が出たなら、味をよく確認してこい。保存方法も。可能なら調理法も』と」


「めちゃくちゃ具体的ですね」


「さらに、土産として持たせていただけるなら――」


「期待してるんだ」


「……かなり」


 ガランが遠くで額を押さえた。


「陛下……」


 こびゃっこは嬉しそうだ。


「分かっておるではないか、銀狐王!」


「何を?」


「稲荷寿司の偉大さじゃ!」


「明日の朝作るか」


「大いに作るのじゃ!」


「お前が一番喜んでるだろ」


     ◇


 そして今朝。朝食の主役は稲荷寿司になった。


 厨房では、俺とマルタ、リリア、ミーシャ、それに騎士団炊事担当のアルバートとミレイが、朝から酢飯と格闘している。


「この皮、甘いんですね」


 アルバートが味付け油揚げを一枚見る。


「甘辛く煮る」


「ここへ米を?」


「酢飯」


「普通の白飯ではない?」


「酢と砂糖と塩で味を付ける」


「米料理がまた増えた……」


「任務との差は?」


「危険なところまで迫っています」


「まだ任務が一位なんだな」


「辛うじて」


 ミーシャが隣で小さな稲荷寿司を作っている。


「詰めすぎると破れるよ」


「そうそう」


「こっちくらい?」


「いい感じ」


 マルタが腕を組む。


「簡単そうに見えて、形を揃えるのが難しいね」


「食えば同じだけどな」


「商売で出すなら見た目も大事さ」


 もう王都展開を考えている。


     ◇


 食堂へ大量の稲荷寿司を運ぶ。近衛騎士たちの反応が妙だった。


「これが……」


「王国の伝承や歴史書に出てくる……」


「白狐神の里の……」


 シルヴァンなど、完全に歴史資料を見る顔になっている。ベルタまで珍しく無言だ。


「食べ物だからな?」


 俺が言う。


「分かっています」


 ベルタが答える。


「ですが、王国の古い記録にあります」


「本当に?」


 セレナが頷く。


「初代国王の時代の記録にも、白狐の里で米を甘辛い油揚げへ詰めた料理を供されたという記述があります」


「名前も?」


「後世の写本では《イナリズシ》と」


「千年前の飯が文献に残ってるのか……」


「む?」


 その時、さっきまで自分の稲荷寿司を両前足で抱えていたこびゃっこが、ぴたりと動きを止めた。


「初代国王とな?」


「はい」


 セレナがこびゃっこを見る。


「建国王セイル一世です。王国史では、即位前から白狐神の里と交流があり、建国後も何度か里を訪れたとされています」


「おお、セイルか!」


「知ってるの!?」


「知っておるも何も、何度も来ておったぞ」


 さらっと千年前の知人みたいに言うな。いや、実際そうなんだけど。


 セレナの銀狐耳がぴんと立った。


「神使様は、セイル一世をご存じなのですか?」


「あやつがまだ王になる前から知っておる」


「……王になる前から」


 セレナだけじゃない。近くで聞いていたレオンやベルタ、シルヴァンまで静かになった。王国の歴史書に載っている人物を、目の前の手のひらサイズの白い毛玉が「あやつ」呼ばわりしている。考えてみれば、とんでもない光景だ。


「では、本当に初代国王は白狐神の里で稲荷寿司を?」


「食うたぞ」


 こびゃっこは即答した。


「最初にもてなしたのは宗一郎じゃ」


「宗一郎さんが?」


「うむ」


 こびゃっこが稲荷寿司を一つ見つめる。


「宗一郎は客人が来るとな、よく稲荷寿司を作っておった。びゃっこもしらゆきも好きであったからの」


 声が少しだけ柔らかくなった。


「当時はこちらの米も今ほど作りやすくはなかった。油揚げも同じじゃ。宗一郎が里の者へ豆腐の作り方を教え、油揚げを作り、酢の加減まで何度も試しておった」


「先代の守護者殿が……」


 セレナが呟く。


「それを初代国王へ?」


「そうじゃ。確か最初は……」


 こびゃっこの閉じた吊り目が、ほんの少し緩んだ。


「セイルは妙な顔をしておったのう」


「妙な顔?」


「油揚げの中に飯が入っておるからな。『なぜ飯を袋へ入れるのだ』とか申しておった」


「初代国王が?」


「うむ」


「歴史書にはありません」


「そんな所感まで歴史書に書かぬじゃろう」


「確かに」


 レオンが吹き出した。こびゃっこは続ける。


「ところが一つ食うたら、もう一つ。二つ食うたら、また一つじゃ」


「気に入ったんだな」


「たいそう気に入っておった」


 こびゃっこが胸を張る。


「帰る時には宗一郎へ作り方を聞いておったぞ」


 セレナが目を見開いた。


「では……王国へ稲荷寿司を伝えたのは」


「宗一郎じゃ」


 こびゃっこは、はっきり答えた。


「宗一郎がセイルに作り方を教えた。油揚げの作り方も、酢飯の合わせ方もな。もっとも、こちらで手に入る材料に合わせて少し変えておったがの」


「それが王国へ……」


「広まった」


 セレナの声に、少し驚きが混じる。


「古い宮廷料理の記録に、稲荷寿司に似た料理が残っています。現在はもう作られていませんが……白狐神の里から伝わった料理で、守護神使様の好物だったという説がありました」


「説ではないぞ」


 こびゃっこが前足を上げる。


「びゃっこが証人じゃ」


「生き証人が強すぎるな」


「千年以上の一次資料じゃ!」


「よくしゃべる資料だな」


 レオンが声を上げて笑った。ベルタまで口元を押さえている。けれど、こびゃっこは、手元の稲荷寿司へもう一度目を落とした。


「……懐かしいのう」


 ぽつり。今度の声は小さかった。


「宗一郎が作る時は、しらゆきが必ず横におった」


 誰も口を挟まない。


「まだか、まだかとな。油揚げを煮ておる時から台所をうろうろしての。宗一郎に『味が染みるまで待ちなさい』と何度言われても待てぬ」


「ユキみたいだな」


 思わず言った。


「む」


 ユキが不満そうに俺を見る。


「ユキ、まてる」


「唐揚げを揚げる時は?」


「……ちょっと、まてる」


「ちょっとか」


 こびゃっこが、ふっと笑った。


「似ておるよ。ちょうど背丈もユキくらいじゃった」


「しらゆきに?」


「うむ」


 こびゃっこはユキを見る。


「しらゆきも、食べ物の前ではまるで待てぬ白狐神であった」


「いっしょ?」


「かなりの」


「む。こびゃっこ!」


「事実じゃ!」


 ユキが頬を膨らませる。でも、こびゃっこの声は楽しそうだった。


「宗一郎は多めに作っての。しらゆきが食べ、里の子らが食べ、客人が来れば皆で食べた」


 そして、前足に持っていた稲荷寿司を見つめる。


「セイルも、その中の一人じゃった」


 千年前。まだ王ではなかった銀狐族の青年に異世界から来た医者。そして先代白狐神と白狐の神使。


 里の人たちと同じ場所で、同じような物を食べていた。


「それが王国へ伝わって……歴史書に残ったのか」


「そういうことじゃな」


 こびゃっこが稲荷寿司を一口かじる。しばらく味わってから、小さく頷いた。


「……うむ」


「どうした?」


「宗一郎のとは、やはり少し違う」


「そりゃレシピも材料も違うからな」


「じゃが――」


 もう一口。


「稲荷寿司じゃ」


 それだけ言った。セレナは自分の皿にある稲荷寿司を見た。


「陛下へ、この話もお伝えしてよろしいでしょうか」


「もちろんじゃ」


 こびゃっこが答える。


「セイラム王にも教えてやれ」


「はい」


「そなたの国の始まりには、こうして白狐の里から渡ったものもあるとな」


「必ず」


「そして――」


 こびゃっこがびしっと前足を上げた。


「稲荷寿司は、千年を越えて王国と白狐の里を結ぶ由緒正しき友好食なのである!」


「急に話を盛るな!」


「盛っておらぬ!」


「今いい話だったのに!」


「極めて重要な歴史的考察じゃぞ!」


「だったら口に米粒つけたまま言うな!」


「む?」


 こびゃっこが自分の口元を前足で探る。ユキが指を差した。


「こびゃっこ、ここ」


「どこじゃ」


「はんたい」


「むむ」


 セレナがとうとう耐えきれず笑った。王国の歴史書に残る料理であり、千年前、宗一郎が初代国王をもてなした料理。それを今、俺たちが同じ湖畔で食べている。そう考えると――。ただの朝飯だったはずの稲荷寿司が、ほんの少しだけ特別なものに見えてきた。


     ◇


 ロイドも一つ手に取った。昨日までカレーやとんかつを普通に分析していた商人が、今日は少しだけ慎重だ。


「まさか、緊張してる?」


「多少」


「密偵なのに?」


「王国史に載っている料理ですよ?」


「食べ物だぞ」


「セレナ特使と同じことを言われました」


 一口。


 ロイドの銀狐耳――今日は出発まではバーモント姿だから見えないが、おそらく頭の中では立っている。


「……甘い」


「皮がな」


「そして酢飯の酸味」


「どう?」


「陛下が執着する理由が少し分かりました」


「まだ食ってないのに執着してるんだけどな」


 セレナも食べる。シルヴァン。レオン。ベルタ。エレナ。クラウディア。ハロルド。他の騎士団員も次々、口へ運ぶ。


「これが千年前にも……」


 セレナが呟く。


「似た物だろうけどね」


「味が完全に同じでなくても構いません」


「そう?」


「同じ名前の料理を、白狐神のいる湖畔で再び食べられたことに意味があります」


 そう言われると、俺も少しだけ見方が変わった。


     ◇


「おうさまのぶん?」


 ユキが厨房脇の重箱を見る。


「そう」


 三段の重箱。中には形を揃えた稲荷寿司。


「いっぱい」


「王様一人で食べるわけじゃないと思うぞ」


「おうさま、いっぱい、たべる?」


「どうだろ」


 ガランが答えた。


「かなり食べると思う」


「本当か?」


「事実だ」


 セレナが小さく笑った。


「陛下なら喜ばれるでしょう」


 俺は重箱の蓋を閉じる。


「ロイド、これ頼む」


「承知しました」


「大丈夫なんだよな?」


「私の収納は生鮮品の劣化も非常に遅いです。王都到着までなら問題ありません」


 よかった。


「それと、こっちも」


 味付け済みの稲荷寿司用油揚げ。一パックずつ密封されたものを十パック。


「これは?」


「自分たちで作れるように」


 別紙に、酢飯の割合やご飯の炊き方と、詰め方や保存上の注意を書いたものを添えて出す。


「レシピ付きで献上します」


 セレナが受け取って確認する。


「これなら王城厨房でも再現できますね」


「最初はアルバートくらい料理できる人にやらせた方がいい」


「承知しました」


 アルバートが遠くから反応する。


「王城へ戻る時、私も同行してよろしいでしょうか!」


「お前は湖畔勤務だ!」


「残念です!」


     ◇


 朝食を終えると、いよいよ出発準備。ロイドは商人バーモントの姿だ。


 馬具や水。携帯食、地図。双眼鏡、方位磁針、LEDライト、マルチツールに昨日渡したミリタリーウォッチ。それらを確認している。


「時計、もう使ってる?」


「はい。非常に便利です」


 手首を見る。


「今、七時四十三分」


「早速馴染んでるな」


「待ち合わせに正確なのは商人にも密偵にもありがたい」


「どっちにもか」


「ええ」


 収納の中には、王室への献上品。商会用の商品。シオン関連資料。神務院関連資料。しらゆきと宗一郎、《白狐の里自治区》についての報告。ガルム捜索資料。湖畔交易に関する仮契約資料。


 かなりの量だ。


「予定、もう一回聞いていい?」


「もちろん」


 ロイドが馬の腹帯を確認しながら答える。


「まず王都まで二週間弱を見ています」


「急げばもっと早い?」


「可能ですが、馬を潰す必要はありません」


「それでいい」


「途中の中継地点と街道宿を利用します。王都到着後、陛下へ直接報告」


「シオン、神務院、しらゆき」


「ガルム、湖畔交易も」


「多いな」


「陛下には覚悟していただきます」


「王様大変だな」


「その後、自分の商会を確認します」


「会頭だもんな」


「二か月近く留守にする可能性がありますから」


「従業員怒ってない?」


「優秀な番頭がいます」


「それに甘えてない?」


「かなり」


「認めるんだ」


「一週間ほど王都に滞在する予定です」


 そこで商品の反応も見る。米とカレー。調味料や雑貨。市場価格や王都の料理人や商人の反応を見るとの事。


「その後は?」


「レイシスへ向かいます」


 空気が少しだけ変わる。


「ククレさん?」


「はい」


「商売?」


「もちろん」


「諜報?」


「もちろん」


「どっちが本業?」


「商売です」


「そこはぶれないな」


 ロイドが笑った。


「ククレ商店を拠点に、神務院周辺の動きをもう一度確認します」


「シオンも?」


「可能なら」


「銀環」


「最優先項目の一つです」


「湖畔調査隊は?」


「出発時期、人数、装備。可能な限り調べます」


「無理するなよ」


「そのつもりです」


「前も天井裏這ってたじゃん」


「必要でしたから」


「それを無理って言うんじゃないの?」


「密偵の普通です」


 基準がおかしい。


     ◇


「全部で二か月くらい?」


「予定では」


「長いな」


「王都往復だけでも時間が掛かりますから」


「何かあったら?」


 ロイドの表情が変わる。


「レイシス側に大きな動きがあれば、予定を切り上げます」


「湖畔調査隊が動くとか」


「はい」


「シオンが移送されるとか」


「それも」


「銀環の運用が始まるとか」


「危険度次第で即座に戻ります」


「連絡は?」


「王国側の情報網も使います」


「分かった」


 全部をロイド一人へ背負わせるつもりはない。だけど、相手の領内へ入り、商人として自然に動ける人間は貴重だ。


「バード」


 俺は小さな声で言った。ロイドがこちらを見る。


「頼む」


「任されました」


 短い返事だった。


     ◇


 見送りは大人数にしなかった。湖畔の鋼橋に朝の光が、茶色い透水性舗装へ斜めに落ちている。橋の向こうには南へ続く砕石道路。


 ここまで来たのは、俺とユキ、こびゃっこ。ガランとセレナにレオン。そして馬上のバーモント。


「見送り少ないですね」


 冗談っぽくロイドが言う。


「密偵を盛大に送り出してどうする」


「商人としてなら?」


「それでも全員集合するほどじゃない」


「まあ確かにそうですね」


「バーモント」


 ガランが一歩前へ出る。


「陛下への報告、頼んだ」


「必ず」


「それからシオンの件も」


「引き続き探ります」


「だが、

無理はするな」


「ガラン大使に言われるとは」


「どういう意味だ」


「《東風の牙》時代の記録を少々」


「誰から聞いた」


「父から」


「軍務卿……」


 ガランが頭を抱えると、レオンが笑う。


「是非ともその話、今度聞かせてくれ!」


「レオン!」


「ここに戻ったら酒の席で!」


「私、二か月は戻りませんが……」


「では帰還後だ!」


     ◇


 セレナが前へ出た。


「ロイド殿」


 今ここには、正体を知る者しかいない。だから本名だ。


「陛下へよろしくお伝えください」


「もちろん」


「それと」


「はい」


「稲荷寿司を絶対に潰さないでください」


「そこですか」


「重要です」


「外交上ですか?」


「もちろん。せっかく湖畔のみなさんが作った物なので」


 俺が笑った。


「セレナさんも、気に入った様でしたね」


「大変美味しかったです」


 こびゃっこが胸を張る。


「稲荷寿司の威光じゃ!」


「お前が作ったわけじゃないだろ」


「文化監修担当じゃ!」


「非公認のな」


     ◇


 ユキが馬のそばまで行く。


「バーモント」


「はい」


 ロイドが少し身を屈める。


「いってらっしゃい」


 一瞬、ロイドが目を細めた。


「……はい」


「シオンのこと……」


「見てきます」


「いま、ひとり……」


「できるだけ、一人にしないよう動きます」


「おうさまも?」


「動いてくれます」


「ガルムも?」


「調べます」


「しらゆき、げんきのこと……」


「陛下へ伝えます」


 ユキは一つずつ確認する。そして最後に。


「バーモントも、ひとりじゃない?」


 ロイドが少し驚いた顔をした。


「ええ」


 それから笑った。


「私も一人ではありません」


「なら、よし」


     ◇


 こびゃっこがふわりと浮く。


「ロイドよ」


「はい」


「セイラム王へ伝えてくれ」


 声が少し変わる。いつもの役職乱立神使ではない、千年以上生きた守護神使の声だ。


「しらゆきは、生きておる」


「はい」


「宗一郎も」


「はい」


「里も続いておる」


「必ず」


「王国が四百年悔やんできたことへ、一区切りを付けさせてやってくれ」


 ロイドは馬上で姿勢を正した。


「王族ロイド・ゼビウスとして、お約束します」


「うむ」


 こびゃっこが頷いた。


「それと稲荷寿司は横にするでないぞ」


「せっかくいいこと言ったのに最後で台無しだ!」


「重要じゃ!」


     ◇


「ヒカルさん」


 ロイドが俺を見る。


「何?」


「商会分の商品代」


「もうもらった」


「次回は今回の売れ行きを見て価格を調整します」


「上げるの?」


「下がる可能性もあります」


「ちゃんと市場見るんだな」


「当然です」


「俺、まだ十倍くらいするって感覚に慣れないんだが」


「二か月後には慣れてください」


「嫌だなあ」


「商人になるのでしょう?」


「俺は商人になるつもりないぞ」


「湖畔が商売をするなら同じです」


「アルノに任せようかな」


「それも立派な経営です」


 何を言っても逃げ道を塞いでくる。


「それじゃ」


 ロイドが手綱を取る。


「行ってきます」


「ああ」


「気をつけて」


 セレナが声を掛ける。


「陛下へよろしく」


 ガランが言う。


「戻ったら飲もう!」


 と最後までぶれないレオン。


「レオン!そればっかりか!」


 と俺が突っ込む。


「いってらっしゃい!」


 ユキが笑顔で手を振った。


「必ず戻るのじゃぞ」


 最後にこびゃっこが言った。


 馬が歩き出し、鋼橋を渡る。蹄が舗装面を叩く。コッ、コッ、コッ。橋を渡り切り、砕石道路へ入るとロイドが一度だけ振り片手を上げる。俺たちも手を上げた。


     ◇


「行ったな」


 ガランが言う。


「ああ」


 南へ延びる道を、バーモントの馬が小さくなっていく。二週間弱で王都に到着後、王へ報告。商会に戻った後、そこからレイシスへ。およそ二か月の予定だ。その間、俺たちにもやることはある。


 シオンを待つだけじゃない。始マリノ祠、厩舎の残工事、ガレージ、ウッドデッキ食堂、道路の第一期の残工事。近衛騎士団との警備体制の構築。畑の管理や収穫。交易。夏祭り。そして、普通の毎日。


「おっちゃん」


 ユキが俺の手を握った。


「バーモント、かえる?」


「帰ってくるよ」


「ここに?」


「ああ」


「おみやげ?」


「もう?」


「うん」


「何だろうな」


 こびゃっこが言う。


「レイシスの珍味なんか良いかもしれんのう!」


「密偵へ土産要求してもな」


「商人でもあるぞ」


「そうだった」


 セレナが小さく笑った。


「本当に、不思議な方ですね」


「どの顔のこと?」


「全部です」


「確かに…俺もそう思う」


     ◇


 ロイドの姿が完全に見えなくなったが、それでも道は残っている。俺たちが作った砕石道路と鋼橋。その先の街は王都へ、そしてレイシスへも繋がる。


 俺一人で全部の場所へ行く必要はない。王都へ情報を届ける人がいて、レイシスへ潜る人がいる。湖畔を守る人も増えた。


 ユキは南へ続く道をもう一度見てから、俺を見上げた。


「おっちゃん」


「何?」


「いまからやすみ?」


「そう、やっとな」


「きょう、やすみ」


「ああ。今日と明日は休み」


 本当なら六の月14日と15日が、週休二日制を始めて二回目の連休になるはずだった。


 だが14日は、近衛騎士団二十人を迎える前に厩舎の馬房を少しでも使える状態へ持っていきたくて、工事を続けた。15日は、その近衛騎士団とセレナたちが予定より早く到着。


 受け入れ、馬の世話、宿舎、警備の確認、歓迎会と、とても休日どころじゃなかった。

 

だから朝一番に職人たちには伝えてある。


『今日と明日、工事は休み』


 グレゴールには、


『今度こそ本当に休むんだな?』


 と念を押された。ドランは、


『馬房の続きが――』


 と言いかけ、マリベルに止められた。ニナも今日は工具を持たない。充電管理など最低限の日課を終えたら休みだ。


 近衛騎士団にも同じ方針は説明してある。ただし警備だけは全員一斉に休めない。団員もハンターチームも交代制。巡回、馬、夜警、無線待機を維持しながら、一人につき週二日の休みを取る。


「おっちゃんも?」


 ユキが聞く。


「休む」


「ほんと?」


「今日はCADも重機も触らない」


「こうじも?」


「しない」


「しごとは?」


「緊急の連絡が来たら別。それ以外は休み」


 ユキがじっと俺を見る。


「……ほんと?」


「信用ないなあ」


 こびゃっこが横で腕を組む。


「過去の実績というものじゃ」


「お前まで言うな」


 ユキはしばらく俺を見ていたが、ようやく頷いた。


「なら、よし」


「で、休みの日は何する?」


「おっちゃんと、いっしょ」


「具体的には?」


 少し考える。


「あとで、きめる」


「それ休日っぽくていいな」


 今日は何かを完成させる日じゃなければ、誰かへ仕事を渡す日でもない。休むために休む日だ。


 湖畔へ戻る俺たちの後ろで、朝日を浴びた鋼橋が静かに光っていた。


続く


⸻


【収支報告】


異世界生活88日目

日付:六の月17日

オリエント王国歴952年


開始残高:3,127,873pt


今回の購入:


・なし 0pt


※王室献上用およびバーモント商会納入用の米、カレールー、業務用カレー粉、醤油、味噌、雑貨類等は既存在庫を使用。

※ジャガイモ、とうもろこしは湖畔の畑で収穫済みの作物を使用。

※稲荷寿司用の米、油揚げ、調味料等も既存在庫を使用。

※王室献上分については無償提供。

※バーモント商会納入分については、王国通貨の金貨で即金決済。魔石ポイント残高には直接加算しない。

※初回取引価格は、ヒカルが異界側で購入した際の価格感覚と比較して約10倍前後となったが、バーモントおよびマルタ判断では王国市場における希少性、輸送、品質等を考慮した適正価格。


今回支出合計:0pt


現在残高:


3,127,873pt


円換算目安:

3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当

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