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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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第117話 白狐神と動き出した新たな群れ


 異世界生活87日目。

 六の月16日の朝。


 昨夜、あれだけ人が増えて酒まで出たというのに、湖畔の朝はいつも通りだった。いや違うな、これは……。


「……いつも通りって人数じゃないな」


 住居ユニットを出た俺は、思わず呟いた。二階建てプレハブの近衛宿の前では、すでに何人もの騎士が動いている。


 宿の中では自分たちの寝具を整える者。宿の周囲を確認する者。厩舎へ馬の様子を見に行く者。


 厨房裏の洗面所では、昨日教えたばかりの水栓を使いながら、まだ若干不思議そうな顔で歯を磨いている騎士までいる。


 昨日来たばかりなのに、さすが集団生活には慣れている。


「おっちゃん」


「ん?」


 俺の右手を握っているユキが、近衛宿を見る。


「きし、はやい」


「騎士だからな」


「みんな、おきてる」


「仕事あるしな」


「レオンも?」


「……たぶん」


 昨夜、酒を二杯までと厳命された男だ。結局、ガランへ三杯目を要求しようとしてマリベルに阻止されていた。その時。


「ガラーン!」


 噂をすれば、近衛宿の方から元気な声が響いた。


「起きてるな」


「レオン、うるさい」


「朝から正確な評価だな」


 五歳児にまで認識されている。


     ◇


 朝食後。俺はまず、《群れの鍛冶場》へ顔を出した。今日の午前中、俺には別の仕事がある。だからドラン、ボルガ、ニナの溶接練習は、いつもより短めに立ち会う。練習段階を上げるわけではないので、基本確認だけしてからドランとボルガへ任せる。


「体調は?」


「問題なしじゃ」


「アタシも大丈夫だよ」


 ニナは両肩を軽く回す。


「だいじょうぶ」


「昨日の疲れは?」


「ない」


「肩は?」


「へいき」


「よし。今日は新しいことやらない。昨日までと同じ、短い仮付けだけ」


「うん」


 ニナが自動遮光面を抱える。


「終わったら?」


「馬房」


「そう」


「グレゴールと合流」


「正解」


 ドランが笑う。


「毎朝の恒例行事じゃな」


「作業予定は毎回確認するくらいでちょうどいい」


「分かっとるよ」


 ボルガが溶接機を見る。


「今日はヒカル抜きかい?」


「最初だけ見る。電流設定と装備確認したら、後はドランと一緒にいつもの範囲で」


「了解」


「何か変えたくなったら?」


「勝手に変えない」


「機械を開けたくなったら?」


「保証を思い出すよ」


「よし」


 ドランが不満そうな顔をする。


「ワシら、そこまで信用ないか?」


「あるから任せるんだよ」


「うむ。ならよい」


「ただし分解方面の信用は別だ」


「む。細かいのう!」


 ニナがぽつり。


「こわしたら、ふべん」


「ぐっ」


 七歳の安全担当班長が一番強い。


     ◇


 その後、俺は工事事務所へ向かう前に、厩舎へ寄った。グレゴールはすでに図面を広げている。


「今日は俺、午前中ほとんどこっち来られない」


「昨日聞いてる」


「馬房工事、任せていいか?」


 グレゴールが鼻で笑った。


「そのために俺たちがいるんだろ」


「そうでした」


「腰壁は昨日の続き。扉は完成したところから建付け確認。金物の位置は馬側へ出っ張らせない。そこまでは分かってる」


「給水はカイルとレイル」


「照明はエリオット」


「ミネットは?」


「そこで張り切っているぞ」


「ああ」


 その張本人が少し離れたところにいた。作業着ではあるが腰道具はない。代わりにマウンテンバイクのヘルメットを抱えている。


「ヒカル」


「何?」


「本当に今日は工事じゃないにゃ?」


「朝に頼んだとおりだ」


「近衛騎士団にマウンテンバイクを教えるのにゃ?」


「そう。今日は先に湖畔生活の先輩として頼む」


 ミネットの猫耳が立つ。


「屋根仕事じゃないけど、教える側なら悪くないにゃ!」


 うん。扱いやすい。


「無茶な見本は禁止な」


「信用がないにゃ」


「屋根の上のミネットを知ってるからな」


「今日は地面にゃ!」


「だから余計に速度出すなよ」


「……わかったにゃ」


 少し間があったな。


     ◇


 今日の午前中。俺には、近衛騎士団の受け入れよりさらに重要な話があった。


 商人バーモントは、本来なら今日、王都へ向けて出発する予定だった。何故なら早急にセイラム王へ報告するためだ。


 シオンや神務院。しらゆきの件やガルムの件。そして湖畔との交易。だが昨日、予想より早く正式特使と近衛騎士団が湖畔へ到着した。


 そのため予定を一日変更。今日の午前中に、必要な情報を共有することになった。もちろん全員ではない。


 特使セレナと近衛副団長レオン。この二人だけだ。工事事務所には、俺とユキ、こびゃっこ、ガラン、セレナ、レオン。そして、商人バーモント。


 扉を閉めると、バーモントが全員を見る。


「念のため、認識阻害を使います」


 セレナが少し眉を動かした。


「認識阻害?」


「外から見た者が、この建物内の会話へ意識を向けにくくする程度です」


 レオンがバーモントを見る。


「バーモント殿。ずいぶん妙な魔法を使うな」


「商売には秘密が付き物ですから」


「それは分かるが、本当にそれだけか?」


「これから説明します」


 ガランが俺を見る。


「いいか?」


「ああ」


 こびゃっこも頷く。


「害のある術ではないからのう」


 魔法が展開されると、ユキの耳がぴくっと動く。そしてバーモントが立ち上がった。


「では、改めまして」


 淡い光。人族に見えていた耳が消え、銀狐耳が現れる。背後には銀色の尾。同じ銀狐族のセレナの目が大きく開いた。


「……ロイド殿下?」


 レオンも完全に固まった。


「は?」


「ロイド・ゼビウスです」


「いや、待て!」


 レオンが立ち上がる。


「何で王弟殿下の御子息が商人やってるんだ!?」


「商人は本業です」


「そこじゃない!」


「正確には三つ仕事があります」


 ロイドが指を一本立てる。


「王族、ロイド・ゼビウス」


 二本。


「王直属密偵《バード》」


 三本。


「バーモント商会会頭、バーモント」


 レオンは黙り、セレナも黙った。


「……肩書き多いな」


 俺が言う。


「今さらですか?」


「改めて聞くとやっぱり多い」


 レオンがガランを見る。


「お前、知ってたのか?」


「一昨日知った」


「俺より先に!?」


「そこを競うな」


 セレナが一度息を整えた。


「陛下から、湖畔には王直属の情報担当が先行する可能性があるとは聞いていました。しかし……」


「名前までは?」


「伺っておりません」


「当然です」


 ロイドは銀狐耳を軽く動かす。


「私の正体を知る者は少ない方がいい」


 レオンが腕を組んだ。


「私たちへ明かした理由は?」


「今後、湖畔警備と王国側の動きを調整する上で、副団長であるあなたが知らない方が危険だからです」


「なるほど」


「ただし」


 ロイドの声が少し低くなる。


「騎士団全員へ話す必要はありません」


 レオンもすぐ表情を変えた。


「分かった」


 セレナも頷く。


「私も特使として秘匿します」


 ユキがロイドを見る。


「きょうは、ロイド?」


「この部屋では」


「そと、バーモント」


「はい」


「バードも?」


「仕事の話では」


 ユキが一つずつ確認する。


「いっぱい」


「自分でもそう思います」


「でも、みんな、ほんと」


「はい」


「なら、よし」


 ロイドの身分問題は白狐神の認可を受けた。


     ◇


「本題へ入ります」


 ロイドが最初に出したのは、シオンの情報だった。セレナとレオンの顔から、さっきまでの驚きが消える。


「狐族少女、シオン。十二歳」


 ロイドが机へ見取り図を置いた。


「現在、レイシス皇国奴隷管理局収容施設。その内部に設けられた神務院専用区画にいます」


「生存は?」


 セレナが聞く。


「私自身が確認しました」


 レオンの目が細くなる。


「助け出さなかったのか?」


「できなかった、ではありません」


「……」


「やらなかったんです」


 レオンがロイドを見るが、ロイドは淡々と続ける。


「首に銀色の環がありました。機能は不明。施設の警備全容も不明。追跡術の有無も分からない。その状態で連れ出せば、途中で捕まる可能性がある」


 ガランが言う。


「失敗すれば、移送されるかもしれない」


「最悪の場合、処分されます」


 レオンは少し黙ってから椅子へ座り直した。


「……正しい判断だ」


 声は低かった。


「俺なら連れ出したくなる」


「当然の感情です。私もそうでした」


 ロイドが答える。


「だからこそ、連れ出さなかった」


 ユキが俺の服を掴んでいた。


「シオン、まだ、そこ?」


「ああ」


「たすける?」


「助ける」


「いつ?」


「助けられる段取りができたら」


 ユキの耳が少し下がる。


「でも、おそく、しない?」


「しない」


「急ぎます。でも焦らない」


 ロイドが言った。ユキが彼を見る。


「いそぐ?」


「はい」


「でも、ばたばた、しない?」


「そうです」


「……わかった」


 五歳児なりに飲み込んだらしい。


     ◇


「もう一つ」


 ロイドが湖畔周辺の地図を出す。


「神務院は、この湖畔の存在をすでに把握しています」


 セレナが息を呑む。レオンの表情が一気に険しくなった。


「いつだ?」


「約一か月前。オルガという神務院密偵が偵察しています」


「侵入された?」


「いいえ」


 俺が答えた。


「結界に止められた」


 こびゃっこも言う。


「南側道路へ近づいたところで拒絶されたそうじゃ」


 ロイドが補足する。


「ですが遠距離観測を行っています」


 確認されたもの。俺やユキ。こびゃっこ。ニナ、ミーシャ、トト。アルノやリリア。畑、道路、建物、重機。


 レオンが低く唸った。


「かなり見られているな」


「はい」


「近衛を追加配備するか?」


「いや、急に増やしすぎない方がいい」


 そう俺が言うと、レオンがこちらを見る。


「なぜ?」


「神務院側は、こっちが偵察に気づいたことを知らない可能性がある」


 セレナがすぐ理解した。


「警備を突然大きく変えれば、こちらが察知したと知らせることになる」


「そうです」


 ガランが続ける。


「だから近衛の到着そのものは隠せないが、異常な戦時態勢にはしない。通常の共同警備として組み込む」


 レオンが少し考える。


「巡回は増やすが、自然に」


「そう」


「なるほどな」


 笑みを浮かべる。


「面白い」


「戦争じゃないぞ」


「分かっている。ガラン」


 少し不安だ。


「それから」


 ロイドが続ける。


「神務院内部で《湖畔調査隊》《奴隷供給》《術式試験》という言葉を確認しています」


 こびゃっこの表情が変わった。


「四百年前と、同じ匂いがする」


 セレナがこびゃっこを見る。


「神使様」


「四百二十年前、神務魔導府も人を資材のように使った」


 いつもの軽い声ではない。


「何をするつもりかは分からぬ。じゃが、楽観はせぬ方がよい」


「承知しました」


 セレナも静かに答えた。


     ◇


 次は、しらゆきの話だが、これは説明に時間がかかった。俺とユキとこびゃっこが見る共有夢。夢の中で先代白狐神しらゆき、橘宗一郎と実際に意思疎通したこと。


 こびゃっこが約420年前に開いた門は、別大陸ではなく別次元へ繋がっていたこと。そこに白狐の里が残っていること。


 いや。残っているどころか、人口約三万人の自治区へ成長していること。


「三万……」


 セレナが呟いた。レオンも今度ばかりは黙っている。


「しらゆき様も?」


「生きておる」


 こびゃっこが答えた。


「宗一郎もじゃ」


「四百二十年以上……」


「向こうの時間も同じように流れているらしい」


 俺が言う。


「少なくとも聞いた内容からはそう判断してる」


 セレナが両手を組んだ。


「陛下は……」


 一度、言葉を止める。


「陛下は、この報告をお聞きになれば、本当に喜ばれるでしょう」


「そうだと思う」


 ロイドが頷く。


「だから明日、私が直接王都へ持ち帰ります」


 レオンが聞く。


「文書だけか?」


「基本は私から口頭でも報告します」


「共有夢という性質上、文書だけでは誤解される可能性がありますから」


 セレナも頷いた。


「私からも、特使として確認した旨を一筆添えましょう」


「それは助かります」


「ただし」


 セレナが俺を見る。


「これは王国が、しらゆき様たちに干渉していく意味ではありません」


「分かってます」


「向こうには向こうの暮らしと歴史がある」


「はい」


「そこは大事です」


 四百二十年だ。


 今さら「元々こちらの神様だから戻って来い」では済まない。向こうには三万人の生活がある。セレナはその辺をちゃんと分かっている。


     ◇


「そして《始マリノ祠》」


 俺はCADの図面を見せた。


「今作ってる」


 セレナが図面を見る。


「この大木のそばに?」


「そう」


「ユキが最初にいた場所でもある」


「ユキ、ここでうまれた」


 ユキが大木の位置を指差す。


「おっちゃん、きた。ユキ、いた」


「俺たちが出会った場所です」


「さらに向こうの別次元にも、ほぼ同じ場所に祠が残ってる」


「二つの世界を繋ぐ可能性が?」


「可能性だけ」


 俺はそこを強調する。


「祠を作れば単に門が開く、とか、そういう話じゃない」


「分かっています」


「ただ、縁の拠り所かもしれない」


 こびゃっこが言う。


「420年前、びゃっこは神力で向こうの世界とポータルで繋いだ。じゃが今のびゃっこの神力では到底再現はできぬ。向こうの世界のしらゆきは、白狐神として成長し、以前のびゃっことは比べ物にならないくらい神力を発揮できるじゃろ。じゃが、そんなしらゆきでさえ、この次元世界の座標を見つけポータルを繋ぐ事は不可能じゃろう」


 こびゃっこは続ける。


「あくまでも可能性の話じゃが、両方の世界の祠が、互いの座標を結び付けるかもしれん。昔から白狐神に関わる場所じゃ。何も意味がないとは思えぬ」


 レオンが図面を見る。


「これもヒカルが作るのか?」


「職人みんなでやるつもりだ」


「ヒカル一人ではないぞ」


 ガランが言った。


「お」


 レオンがニヤッとする。


「ガランから聞いたぞ。全部一人で抱える癖があったって」


「余計なこと言うなよ、ガラン」


 ユキが言う。


「おっちゃん、みんなでやる、れんしゅうちゅう」


「その情報は広げなくていい」


 セレナが笑った。重い話が続いていたので、少しだけ空気が緩んだ。


     ◇


 話し合いが終わる頃には、昼が近くなっていた。


「では」


 ロイドが資料をまとめる。


「王都への出発は明朝に変更します」


「今日じゃなくていいのか?」


 俺が聞く。


「今日、セレナ特使とレオン副団長から得た確認事項も報告へ加えた方がいいと思いまして」


「なるほど」


「それに」


 ロイドが窓の外を見る。


「近衛騎士団が湖畔で実際にどう運用されるか、今日一日だけですが確認できます」


「密偵として?」


「商人としても」


「何を見るんだよ」


「装備品の双眼鏡や無線機に商品価値はあるのか」


「売らないぞ」


「まだ言っていません」


「顔に出てる」


 セレナが目を丸くする。


「本当に商人なのですね」


「そこを一番疑われるのが心外です」


     ◇


 その頃。俺が事務所で話している間にも、湖畔の仕事は止まっていなかった。厩舎では、グレゴールを中心に馬房工事が進んでいる。


 朝の溶接練習を終えたドラン、ボルガとニナも合流。ニナは専用の赤ワゴンへ、コンベックスとラチェット。電動インパクトとビット。固定金具等の細かな材料を積んでいた。


「ニナ」


 昼前に俺が顔を出す。


「どう?」


「すすんだ」


「溶接は?」


「おわった」


「何回?」


「二回」


「止められた?」


「うん」


 ドランが横から言う。


「今日はびっくりするほど素直じゃったぞ」


「いつも素直だろ」


「やりたい仕事が後に控えておるからの」


「馬房?」


 ニナが頷く。


「こっちも、すき」


「なるほど」


 グレゴールが腰壁を叩く。


「ヒカルがいなくても仕事進むぞ」


「それ言われると複雑だな!」


「誉めてるんだ」


「本当に?」


「お前が全部やらなくても進むってことだ」


「……それなら誉め言葉か」


 ニナが俺を見る。


「ひとりで、してない」


「今日も監査厳しいな」


     ◇


 昼食後。今度は警備講習だ。


 近衛騎士団二十人が、近衛宿前の広場へ集まった。前に立つのは《東風の牙》のリーファとロク。《蒼岩の盾》も補助に入っている。


 長机の上には、人数分の装備品を並べてある。


 防水双眼鏡。方位磁針。小型LEDライト。ホイッスル。メモ帳とボールペン。マルチツール式のアーミーナイフ。そして最後に、黒系のミリタリーウォッチ。


 どれも近衛受け入れ用として事前に確保しておいたものだ。


 騎士たちが並んだ装備を見る。


「これを全員へ?」


 戦闘班長のハロルドが確認する。


「ああ。基本的には個人装備として使ってもらう」


「王国から持参した装備とは別に?」


「こっちで巡回する時に便利な物だけな。王国側の装備を使うなって意味じゃない」


「用途で使い分けるわけですね」


「そういうこと」


 リーファが最初に防水双眼鏡を持ち上げた。


「まず、これは双眼鏡。遠くを拡大して見る道具よ」


 首から下げ、接眼部を目へ当てる。


「最初に自分の目へ合わせて調整すること。それと、使う時は必ず立ち止まる」


 横でユキが大きく頷いた。


「あるきながら、みない!」


「そう。監督様の言う通り」


 リーファが笑う。


「双眼鏡を覗いている間は、足元が見えないからね。橋、段差、森の根、全部危険になるわ」


 昨日到着した近衛たちの何人かがユキを見る。昨日までなら、白狐神が安全講習?という顔をしていただろう。


 今日はもう、この湖畔では普通らしいくらいの顔になっている。


「倍率が高ければ高いほど良いわけでもないわ」


 リーファが説明を続ける。


「広い範囲から人や魔物を探すなら、見える範囲が広い方が使いやすい。最初から一点だけを拡大しないこと」


 弓士班長のシルヴァンが双眼鏡を覗く。


「……かなり鮮明ですね」


「森の端を見てみて」


「葉まで見える」


 少し倍率を変える。


「魔力を使わない遠魔鏡のようなものですか」


「近いけれど、魔力反応までは見えないわ」


「しかし、軽い」


「巡回ではそこが大事」


 シルヴァンが何度か遠方と肉眼を見比べる。


「これは弓士にはありがたい装備です」


 次は方位磁針。ロクが掌へ載せる。


「これは方位磁針っす。針が一定方向を指すっす」


 セルドが覗き込む。


「魔法具じゃない?」


「違うっす」


「魔力なし?」


「なしっす」


「なのに方向が分かる?」


「そういう道具っす」


 俺が補足する。


「ただし、金属の塊や磁力の強い物の近くでは狂うことがある。方位磁針だけを絶対視しない。地形、湖、道路、太陽、地図と合わせて使ってくれ」


 ナージャが横から言う。


「森で『この針がこうだから絶対こっち』って歩くと危ないわよ。地形と一緒に見るの」


「斥候の道具ですね」


 クラウディアが言う。


「警備でも使う」


 ガランが答えた。


「夜間や天候不良時、方向感覚を失った時の補助になる」


     ◇


「次っす」


 ロクが小型LEDライトを持ち上げる。


「これが携帯用の灯りっす」


 スイッチを入れると、昼間でもはっきり分かる白い光が点いた。何人かの近衛が目を細める。


「明るい……」


「火は?」


「使わないっす」


「魔石も?」


「使わない」


 俺が言う。


「充電式。使った後は所定の充電場所へ戻す」


 ベルタが即座に反応した。


「充電というのは、昨日宿舎で見た照明と同じ方式ですか?」


「そう」


「中に電気を蓄える?」


「だいたいその理解でいい」


「……」


「その顔やめろ」


「何も言っていません」


「開けたい顔だ」


「……少しだけ」


「禁止」


「はい」


 素直なのは偉い。


「夜間巡回では、必要以上に遠くを照らし続けないこと」


 リーファが続ける。


「こちらの位置も分かるからね」


 クラウディアが頷く。


「戦術灯としても扱うべきですね」


「そう。明るいから安全、じゃない」


     ◇


 ホイッスル。これは説明が早かった。


「吹けば大きな音が出るっす」


 ロクが見せる。


「無線が使えない時、転倒した時、助けを呼ぶ時にも使えるっす」


 ユキが自分の監督用ホイッスルを持ち上げる。


「ユキも、もってる」


 レオンが見る。


「監督用?」


「そう」


「白狐神専用警笛……」


「普通のホイッスルだよ」


「名前を付けると、ありがたみが増すと思ってな」


「増やさなくていい」


 こびゃっこが横から、


「名前なら白狐神監督警笛――」


「お前も乗るな」


「ぬう」


     ◇


 次はメモ帳とボールペン。


「巡回で見つけた異常は、覚えて帰るだけじゃなく書く」


 ガランが説明する。


「場所、時間、方向、人数、特徴。分からないことは分からないと書け」


 トトが少し離れた場所から見ている。ナージャが笑う。


「風向きとか足跡とかもね」


 シルヴァンがメモ帳を開いた。


「紙質がかなり均一ですね」


「そこ?」


「書きやすさは重要です」


 バーモントが少し離れたところから頷いている。


「非常に同意します」


「お前はノートとボールペン、もう気に入ってるもんな」


「王都へ戻る前に予備を――」


「今は商談しないぞ」


「では、後ほど」


     ◇


「で、これがアーミーナイフっす」


 ロクがマルチツールを手に取る。ナイフ、小型ハサミ、マイナスドライバー、缶切り、栓抜き。その他の小工具。順番に展開する。


「刃物として使えるのはもちろんっすけど、巡回中の細かい作業に便利っす」


 ハロルドが興味深そうに見る。


「一つの道具にこれだけ?」


「そうっす」


「野営向きですね」


「便利っす。ただし――」


 遠くから声が飛んだ。


「分解にも使えるぞ!」


「ドラン!」


 ロクが振り向く。


「余計なこと言わないでほしいっす!」


 ベルタの目が光る。


「なるほど」


「なるほどじゃないっす!」


 ボルガも横から顔を出す。


「ネジ回しの形が良いんだよ」


「また一人増えたっす!」


「ドワーフ三人揃うと警備装備の説明が進まないな……」


 俺が言うと、ニナまで自分のアーミーナイフを取り出す。


「これ、べんり」


「四人目!」


     ◇


「最後」


 俺は長机の上に並べてあった黒い腕時計を一つ取った。そこまで比較的落ち着いていた近衛たちの視線が、少し変わった。


 時計自体は王国にもある。ただし普通は、塔の時計や置時計。高価な懐中時計。魔道式の携帯時計などそういったものだ。


 腕へ巻き付け、作業しながら常時時刻を確認できる物は珍しい。


「これは腕時計だ。湖畔ではみんなに時間を意識して行動してもらいたい」


 俺が言う。


「全員に一本ずつ……」


 一瞬、静かになった。


「……全員ですか?」


 ベルタが真っ先に聞き返した。


「ああ」


「二十本も?」


「二十本。他に特使一行にも支給するつもりだ」


「同じ物を?」


「基本的にはな」


 ベルタが腕時計を受け取る。黒い樹脂系バンドに耐衝撃性を重視したケースで、見やすいデジタルで時刻、秒が表示される。ボタン式の照明やストップウォッチ、アラームの機能もある防水仕様だ。軍用・アウトドア用途の丈夫なモデルを選んである。


「実は昨日、ニナさんに少しだけ見せてもらいました」


「そうなのか」


 ベルタは昨日、歓迎会の最中にニナに腕時計を見せてもらったらしい。湖畔メンバーが、ごく当たり前のように手首を見て時間を確認している動作に気づいていたらしい。


「最初から気になっていました」


「やっぱり」


「皆さん、何かあるたびに手首を見るでしょう?」


「ああ」


「工事開始、休憩、食事、巡回交代……全部です」


 ベルタが腕時計を見る。


「昨日、ニナさんへ聞いたら『じかん、みる』と」


 ニナが少し離れた場所から頷く。


「べんり」


「それしか言わなかったので」


「ニナらしいな」


 ベルタが腕時計の表示をじっと見る。


「これは今の時刻?」


「そう」


「常に?」


「基本ずっと」


「魔力補充?」


「なし」


「魔石交換?」


「なし」


「では動力は?」


「内部の電池」


「……また電気ですか?」


「そう」


 ベルタの視線が完全に技術者のそれになった。


「こんな小さな物の中に?」


「入ってる」


「どれくらい動くのです?」


「2、3年くらいかな」


 今度こそ、ベルタが固まった。


「……2、3年?」


「機種にもよるけどな」


「一度入れた電池で?」


「そう」


「毎日使って?」


「そう」


 ベルタは無言で腕時計を見る。


 その周囲で、近衛たちもざわつき始めた。


「数字で秒まで表示されているぞ」


「これを全員が持つのか?」


 ハロルドが腕時計を受け取り、真剣な顔になった。


「これ、交代勤務に非常に有効ですね」


「そこが一番大きい」


 俺は頷く。


「『日が沈んでからしばらく』とか、『鐘が何回鳴った頃』じゃなく、何時何分で交代できる」


 ハロルドの目が変わった。


「夜間警備の交代時間を完全に揃えられる」


「そう」


「巡回開始時刻、帰着時刻も記録できる」


「そういうこと」


 ガランが続ける。


「無線連絡でも、『十四時三十分に集合』と時間指定できる」


「……これは大きい」


 ハロルドが呟いた。


「警備を組む側からすると、双眼鏡以上に欲しい装備かもしれません」


     ◇


 俺はボタンを押した。文字盤全体が淡く光る。


「おお……」


 近衛の何人かから、ほぼ同時に声が出た。


「夜も見える」


 クラウディアが覗き込む。


「灯火を点けなくても?」


「短時間ならこれで時間だけ確認できる」


「夜警中にありがたいですね」


「ただし何度も光らせて遊ぶなよ」


     ◇


「このボタンは?」


 ベルタが聞く。


「ストップウォッチ」


「何です?」


「時間を測る」


「時計も時間を測っているのでは?」


「もっと短い時間」


 俺が操作すると表示が、00:00:00になる。


「今から」


 ボタンを押す。数字が増えていく。


「止める」


 もう一度押す。


「十八秒と……」


「細かく測れる」


「何に使うのです?」


「工事なら作業時間。訓練なら走った時間。警備なら巡回区間に何分かかるかとか」


 既に腕時計を使っているナージャが反応する。


「そうだ!ヒカル、自転車の周回時間も測れる?」


「測れるな」


「今度、みんなで競――!」


「競争道具にするなよ」


「少しだけ!」


「駄目。みんなちゃんと乗れる様になってからだ」


 レオンがすでに自分の時計を見る。


「剣の――」


「手合わせに時間は測らないだろう」


「まだ何も言ってないぞ!」


「もう分かる」


     ◇


「アラームもある。指定した時間に音が鳴る」


 試しにアラームを鳴らす。ピピッ!ピピッ!小さな電子音が鳴る。ユキの耳がぴんと立った。


「なった」


「鳴ったな」


「おっちゃん」


「何?」


「ユキのも?」


「お前の時計にも付いてる」


「おひる、ならす?」


「昼飯の時間か?必要ないだろ」


「なんで?」


「腹時計が正確だろ。ほぼ毎日、十二時十分前に、お腹鳴らしてるし」


「む。でも、だいじ」


 こびゃっこが割り込む。


「三時のおやつ時報にも――」


「お前ら食い物から離れろ」


     ◇


 ベルタは実際に腕へ巻いた。手首を返し見る。また返し、もう一度見る。


「どう?」


「軽い」


「仕事の邪魔にならないだろ?」


「確かに。懐中時計なら作業中に取り出す必要があります」


 ベルタの顔がどんどん真剣になる。


「ニナさんが昨日、作業中に何度も手首を確認していた理由が分かりました」


 ニナが自分の腕時計を見せる。


「じかん、だいじ」


「はい」


 ベルタが頷く。


「非常に大事ですね」


 完全に意気投合した。


     ◇


 シルヴァンも腕へ着けてみる。


「部隊全員が同じ時間を持つ」


 静かに呟く。


「それが普通なのですか? ヒカルさんの世界では」


「かなり普通だった」


「……」


 シルヴァンが周囲の近衛を見る。


「遠距離巡回でも、時計を合わせていれば合流時刻を共有できる」


「そう」


「森の中で鐘が聞こえなくても」


「使える」


「雲で太陽が見えなくても」


「関係ない」


 シルヴァンはもう一度腕時計を見る。


「これは便利というより……警備の考え方が変わりますね」


 ガランが笑った。


「俺も最初にそう思った」


     ◇


 近衛二十人への説明が終わったところで、俺は別に一式用意してあった装備を持ち上げた。


「それと」


 少し離れたところで、商人の顔をして話を見ていたバーモントへ向ける。


「バーモントさん」


「私ですか?」


「こっち来て」


 渡したのは同じ基本セット。防水双眼鏡に方位磁針。小型LEDライトとホイッスル。マルチツールのナイフ。そしてミリタリーウォッチ。


「これは?」


「任務用」


 表向きには、長距離を移動する商人への装備支給で通る。俺とガランたちだけは、本当の用途を分かっている。


「王都との往復もするんだろ」


「しますね」


「レイシスへも行く」


「もちろん」


「なら持ってた方がいい」


 バーモントはまず腕時計を取った。


「これが、皆さんが使っている時計ですか」


「そう」


 手首へ巻き、表示を見る。


「秒まで共通?」


「合わせればな」


「興味深い」


 俺は小声で聞いた。


「密偵には便利?」


 一瞬だけ、バーモントの目が俺を見る。声は普通の商人のまま。


「商人にも非常に便利ですよ」


「そういうことにしとく」


「待ち合わせ時刻を正確に指定できます」


「商談の?」


「はい。他にも色々な待ち合わせの」


「どうやら役に立ちそうだな」


「非常に」


 こいつの場合、絶対ほかの意味がある。


「……」


「どうした?」


「これ売りませんか?」


「やっぱり商人に戻った!」


「任務用に便利なら商品価値もあります」


「一個もらった直後に仕入れ交渉するな!」


「職業病です」


 ベルタが横から真顔で言った。


「私も購入できるなら欲しいです」


「今渡しただろ!」


「予備です」


「早いな!」


 ドワーフと商人へ新しい道具を見せると、必ずこうなるのだろう。気をつけないと。


     ◇


 最後にガランが全員へ言った。


「今渡した道具は、持っているだけでは意味がない」


 騎士たちが静かになる。


「双眼鏡は見るため。方位磁針は方向を確かめるため。ライトは暗い場所で使うため。ホイッスルは知らせるため。メモ帳は記録するため。そして時計は、全員が同じ時間で動くためだ」


 ハロルドが自分の腕時計を見る。


「同じ時間で動く……」


「今日から巡回記録には、出発と帰着の時刻も書いてもらう」


「了解しました」


「警備交代も時刻基準へ合わせる」


「承知しました」


 俺も言う。


「ただし、道具があるから安全になるわけじゃない」


 何人かがこちらを見る。


「双眼鏡見ながら歩けば転ぶ。ライト点けっぱなしなら位置がばれる。ナイフを雑に使えば自分を切る。時計ばっかり見て周りを見なきゃ意味がない」


 ユキが大きく頷く。


「どうぐ、べんり。でも、ちゃんと、つかう」


「そういうことだ」


 ニナまで言う。


「べんり、つかいかたで決まる」


「お前ら今日はまとめるなあ」


 リーファが笑った。


「では装備確認が終わった人から、自分の名前と管理番号を記録して。腕時計の時刻は全員こちらへ合わせます」


 近衛たちが一斉に腕を上げる。二十個の小さなデジタル表示。昨日までこの湖畔では見なかった光景だった。


 レオンが自分の時計を見る。


「ガラン」


「何だ」


「今夜の酒は二十時から――」


「時計を酒の予約に使うな!」


「早速活用しているだけだ!」


「活用方向が違うぞ!」


 初日から用途を間違えている人間も一人いた。まあ、時間を共有するという意味では、間違ってはいないのかもしれない。たぶん。


     ◇


 無線機は、昨日貸与した班長クラスの団員だけ。レオン。ベルタ。ハロルド。クラウディア。シルヴァン。エレナ。今日は実際に使ってもらう。


「基本は1番」


 ガランが説明する。


「巡回警備は2番。工事は3番。4番は緊急予備」


 レオンが無線機を見る。


「では俺が試す」


「どうぞ」


 レオンがスイッチを押した。


『こちら近衛副団長レオン。ガラン、今夜飲――』


「私用の通話禁止」


 俺が即止めた。


「業務連絡だ!」


「酒の誘いは業務じゃない」


 近衛から笑いが漏れる。ベルタが無線を取る。


『こちらベルタ。近衛宿前。受信状態確認。ガラン大使、どうぞ』


 ガランが少し離れた場所から返す。


『こちらガラン。感度明瞭。以上』


 ベルタの目が輝いた。


「これの中――」


「分解禁止」


「まだ言ってませんって!」


「今日二回目な」


     ◇


 装備説明後。全員で拠点内の警備ポイントを回った。生活区画から厨房と食堂。診療所に職人宿。近衛宿と厩舎。畑と南側道路。途中にある鋼橋。湖岸と森側。拠点中央にある祠の周辺。


「重要なのは……」


 ガランが説明する。


「全部を同じ強さで守ることじゃない」


 クラウディアが頷く。


「侵入可能経路、生活者の動線、避難経路を分けて考える事だ」


「そうだ」


 俺も補足する。


「工事中はさらに規制区域が増える。警備だからって勝手に入ると危ない場所もある」


 レオンが厩舎を見る。


「敵より先に工事現場で怪我するのは笑えないな」


「そういうこと」


「俺たち騎士団は湖畔の警備を引き受けに来たが、湖畔の生活を邪魔しに来たわけじゃない」


「そういう認識でいてもらうと助かる」


 セレナも少し離れて一緒に歩いている。外交官だから湖畔の警備体制には直接関わらないが、自分が暮らす場所として見ているらしい。


     ◇


 午後の実地訓練は二つに分けた。森林側と湖岸側で。森林パトロールは徒歩。指揮はリーファ。近衛側から、ハロルド。シルヴァン。その他数名。


「今日は歩くわ」


 リーファが言う。


「馬は?」


 シルヴァンが聞く。


「最初に地形を足で知った方がいいわ」


 ハロルドが頷く。


「同感です」


「馬上だと見落とす地形もあるし」


「倒木、ぬかるみ、獣道、水場ですね」


「それに」


 リーファが森を見る。


「この森は枝が低い場所があるのよ。騎馬巡回に向く道と向かない道を分ける必要があるわ」


「了解」


 全員が徒歩で森へ入っていった。


     ◇


 一方。湖岸パトロール。こちらはバギーで運転はロク。近衛側からベルタほか三名が同乗する


「自分が運転するっす」


「よろしく」


 助手席へ乗ったベルタが、さっきから落ち着かない。シート、メーター、シフト、ペダルにハンドル。全部見ている。そんなベルタに俺は声をかける。


「ベルタ」


「はい」


「前も見てな」


「見ています」


「今エンジンの方見てただろ」


「走行中に降りて確認しないでほしいっす」


「しません!」


 ロクが苦笑いしながらエンジンを掛ける。ブルン!するとベルタの目がさらに輝く。


「魔力なし……」


「燃料っす」


「聞いています」


「発進するっすよ」


「はい」


 バギーが動く。


「おお……」


「身を乗り出さないでほしいっす!」


「乗り出してません!」


「半分乗り出してるっす!」


 前のセルドと同じだ。ドワーフは機械を見ると年齢関係なく少し幼くなるのだろうか。


     ◇


 その間。湖畔の空いた草地ではマウンテンバイク講習が始まっていた。


 先生役は、ナージャ。オルフェン。セルド。フィン。そしてミネット。


「まずブレーキにゃ!」


「先に跨がらない!」


 ナージャが叫ぶ。


「サドルの高さを合わせる!」


 セルドも補助。ガランが以前《蒼岩の盾》へ教えた内容を、そのまま今度は近衛へ渡している。


 なんかいいな。教わった人間が次の人間へ教える。


「フィン」


 俺が言う。


「はい?」


「魔法――」


「使いません」


「まだ全部言ってないぞ」


「前科を毎回確認されるので先に答えました」


 学習している。ちょっとしつこかったか。ミネットはというと。


「そうにゃ。視線は足元じゃなくて前にゃ!」


「ミネット、教えるの上手いな」


「屋根でも足元ばっかり見てたら危ないにゃ!」


「ああ、そこに繋がるのか」


「バランスは職人の基本にゃ!」


 意外と理屈も通っている。近衛騎士たちは馬には慣れているが二輪車は別物。最初は全員、


「これ、立たないのか?」


「止まると倒れる?」


「馬なら勝手に姿勢を直すんだが……」


 と戸惑っていた。


「自転車は自分でバランス取る!」


 ナージャが得意そうに言う。少し前まで自分も初心者だったのに……でもまあ、それでいい。


     ◇


 一時間ほどして森林班が戻った。リーファが先頭。ハロルドとシルヴァンも汗はかいているが問題なし。


「どうだった?」


「森側は騎馬だけでは無理ですね」


 ハロルドが即答した。


「場所によって馬を降りる必要があります」


「だろ?」


「ただ、外周の一部は騎馬が使える」


 リーファが地図へ線を引く。


「ここからここまでは問題ない。ただし雨の後は別」


 シルヴァンも言う。


「弓についても、長弓では枝が邪魔になる区間があります」


「昨日話した通りね」


「実際に歩くとよく分かりました」


 実地は大事だ。


     ◇


 少し遅れて湖岸班も戻る。バギーが止まり、ベルタが降りてくる。


「どう?」


「素晴らしいです」


「湖岸?」


「バギーです」


「そっちかよ」


「もちろん湖岸も確認しました」


 ロクが後ろから言う。


「途中からずっと『この足回りは』『駆動方式は』って質問されたっす」


「必要な確認です」


「警備に?」


「将来運用するなら必要です」


「整備は必要だが、分解は禁止だからな」


「まだ言っていません!」


 ベルタが少し悔しそうな顔をした。


     ◇


「戻った人は自転車講習へ合流!」


 ナージャが手を上げる。


「私が教えるよ!」


 シルヴァンがマウンテンバイクを見る。


「これが……」


「さっき言ったやつ」


「本当に馬なしで走るのですね」


「足で漕ぐ」


「乗ってみたい」


「まずブレーキ」


「はい」


 ベルタも当然寄ってくる。


「これは内部構造が――」


「見るだけな」


「……はい」


 返事だけはいい。副団長レオンも参加した。


「ガラン!」


「何だ?」


「競争しよう!」


「講習だ!」


「直線だけ!」


「初心者が煽るな!」


「俺は乗れるぞ!」


「いつ覚えた?」


「さっき厩舎の方で少しな」


「勝手に!?」


「暇だったからな、ミネットのを借りた!」


 どこにいてもレオンはレオンらしい。クラウディアが横から言う。


「副団長。初心者班へ戻ってください」


「俺は経験者だぞ」


「五分乗っただけだと聞いています」


「なぜ知っている」


「見ていました」


「お前ら俺の行動を監視しすぎじゃないか?」


「必要です」


 近衛副団長にも監督が必要らしい。


     ◇


 夕方までに、全員が乗れるようになったわけではない。まあ当然だが、直進できた者。発進から停止まで。ふらつきながら数十メートル乗れた者など、人によって差がある。でも、今日の目的はそこじゃない。


「馬と置き換える必要はないと思う」


 俺は全員へ言った。


「騎馬には騎馬の良さがあるだろ」


 ハロルドが頷く。


「その通りです。長距離、悪路、荷の運搬は特に」


「そう。それに騎士団は馬の扱いに慣れてる」


「では自転車やバギーは?」


「使える場所で使う」


 ガランが地図を広げた。


「森外周の一部は徒歩か自転車」


 リーファが指す。


「湖岸はバギーが速いわ」


 ロク。


「南側道路や畑周辺は自転車でも十分っす」


 ハロルドも続ける。


「遠距離警戒や結界外側へ出るなら騎馬ですね」


「そう、そういう感じで決めて欲しい」


 全部を新しい道具へ置き換える必要はない。馬、徒歩、マウンテンバイク、バギー。それぞれ向いている場所が違う。


 ユキが言った。


「おっちゃん。これも、むれ、おなじでも、おしごと、ちがうから?」


 俺は笑う。


「そうだな。使う道具も同じ事が言える」


「どうぐも?」


「同じ仕事する道具でも得意な場所が違う」


 ユキは少し考える。


「おうまも、じてんしゃも、バギーも?」


「そう」


「みんな、えらい?」


「まあ、使いどころによってはそういうこと」


「なら、よし」


 万能という言葉より、ユキの方が分かりやすい。


     ◇


 講習終了後。自転車を点検して元の場所へ戻す。タイヤやブレーキとチェーン。転倒した車体には傷がないか確認。


「乗って終わりじゃないからな」


 俺が言うとベルタがすぐ反応した。


「整備も覚えたいです」


「そのうちな」


「いつです?」


「ニナみたいな聞き方するな」


 少し離れたところからニナが言った。


「ベルタ、べんり、すき?」


「好きです」


「ニナとおなじ」


 早くもドワーフ同盟ができつつある。


     ◇


 夕方、工事事務所前でバーモントが王都行きの荷物を整理していた。


「明日の朝か」


「はい」


「馬は?」


「今日一日休ませました。ハロルドにも状態を見てもらいました」


「無理させるなよ」


「途中で一泊以上します」


「ならいい」


 バーモントが、今日配った双眼鏡を見る。


「ヒカルさん」


「それもまだ売らない」


「まだ何も」


「四回目だ」


「今日はベルタさんのせいで先回りが早いですね」


「ドワーフ三人に商人一人。油断できない」


 バーモントが笑う。


「でも」


 少し表情が変わる。


「今日、セレナ特使とレオン副団長へ話せたのは良かった。同じ情報を共有できましたから」


「俺もそう思う」


「私が王都へ戻っている間、湖畔側と近衛側で情報差が大きすぎるのは危険ですから」


     ◇


 夕暮れ。近衛宿の前では、自転車を経験した騎士たちがまだ感想を言い合っている。


 厩舎では、今日また数房分の腰壁と扉が進んでいた。全部、俺がいない間にだ。


「おっちゃん」


 ユキが横へ来る。


「ん?」


「きょう、いっぱい、おしえた」


「俺はそんなに教えてないぞ」


「みんな、おしえてた」


「ああ」


「リーファ、おしえた」


「うん」


「ロク、おしえた」


「うん」


「ナージャ、おしえた」


「そうだな」


「ミネットも」


「意外と上手かった」


「ニナも、おしごと」


「ああ」


「おっちゃんは?」


「午前は話し合い。午後は全体見てただけだな」


 ユキが俺を見る。


「それも、おしごと?」


 少し考える。少し前の俺なら、工具を持っていない時間を仕事だと思えなかったかもしれない。自分が作っていないと落ち着かなかった。でも今は違う。


 グレゴールとドラン中心で馬房を作り、リーファとロクが近衛へ警備を教えた。ナージャたちは自転車を教え、セレナとレオンには、これから守る相手と、相手側の脅威を知ってもらった。


 ロイドは明日、その続きを王へ届ける。


「ああ」


 俺は答えた。


「俺の仕事だ」


「ひとりで、しない?」


「しない」


「ちゃんと、できた?」


「たぶん」


「たぶん?」


「今日はユキの採点厳しいな」


 ユキは少し考えた。


「うん。おっちゃんできた」


「そりゃどうも」


「なら、よし」


 今日も合格したらしい。


     ◇


 少し離れたところでは、ベルタがバギーを見ていた。ずっと見ている。


「……あれ絶対、いつか運転したいって言うぞ」


 ガランが隣で頷く。


「間違いないな」


「自転車より先に?」


「レオンが止めるだろう」


 そのレオンは。


「ガラン! 今日は自転車講習で汗をかいた! 一杯だけ――」


「昨日と変わらずか……」


「レオン、勤務表確認してからだ!」


 俺はため息をついた。


「レオンは昔からああか?」


「十五年前からだ」


「十二年前じゃなかったっけ?」


「もうどうでもいい」


 ついにガランが折れたか……。と思っていると、ユキが俺の袖を引いた。


「おっちゃん」


「何?」


「レオン、きょうも、うるさい」


「そうだな」


「でも」


 ユキはレオンを見る。


「たのしそう」


 ガランは全然楽しそうじゃないが。


「まあ、ああいう人なんだろ」


「むれ?」


「まだ来たばっかり」


「じゃあ、これから?」


「ああ」


 これからだ。王国の特使と二十人の騎士。王族で密偵で商人という、ややこしい男。昨日までは湖畔の外側にいた人たちが、少しずつこの場所の仕事を覚え始めている。


 森を歩き、湖岸を走り、双眼鏡を覗き、無線を使い、自転車を転びそうになりながら乗った。


 明日になれば、バーモントは王都へ向かう。シオンや神務院。しらゆきの件もガルムの件も全部まだ途中だ。


 でも、湖畔で待っているだけじゃない。外へ情報を運ぶ人がいて、ここを守る人が増え、教える人も増えた。できることは、少しずつ増えている。


「おっちゃん」


「ん?」


「おなかすいた」


「やっぱり最後そこ?」


「ユキ、いっぱい、うごいたよ」


「監督してただけだろ」


「む。かんとくも、おしごと」


「……それ言われると反論できないな」


「なら、よし」


「正当化するのに便利だな、その言葉」


 ユキの尻尾が大きく揺れた。俺たちは、夕飯の灯りがついた食堂へ向かう。昨日より人数の増えた湖畔で、今日もまた、誰かが誰かへ仕事を繋いだ一日だった。


続く


⸻


【収支報告】


異世界生活87日目

日付:六の月16日

オリエント王国歴952年


開始残高:3,127,873pt

円換算目安:

3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当


今回の購入:


・なし 0pt


※近衛騎士団へ支給した防水双眼鏡、方位磁針、小型LEDライト、ホイッスル、メモ帳、筆記具、アーミーナイフ、ミリタリーウォッチ等は、近衛受け入れ用として事前確保していた既購入在庫を使用。

※班長級へ使用させた携帯無線機も既購入・準備済みの機材を貸与。

※厩舎馬房施工は既購入済みの木材、金具、ゴムマット、配管資材等を使用。

※溶接練習も既存設備・消耗品在庫を使用。


今回支出合計:0pt


現在残高:


3,127,873pt

円換算目安:

3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当


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