第116話 白狐神と歓迎の宴
異世界生活86日目。
六の月15日の夕方。
近衛騎士団二十人と特使セレナ一行を迎えた記念写真を撮り終えたあと、湖畔はもう一度慌ただしくなった。ただし、今度は工事でも警備でもない。ささやかな歓迎を兼ねた夕飯だ。
「ヒカル!」
食堂側からマルタの声が飛んできた。
「どうした!」
「ちょっと手ぇ貸しな!」
「何人分になった?」
「数えるのも嫌になるくらいだよ!」
「それじゃ料理できないだろ!」
「たとえだよ。ちゃんと数えてあるよ!」
さすが料理人だった。食堂へ戻る途中、俺は頭の中でもう一度人数を数える。
俺、ユキ、こびゃっこ。リリア、ミーシャ、トト、ニナ、アルノ。ガラン、ドラン、ロク、リーファ、マリベル。職人が七人。《蒼岩の盾》四人。マルタ、そしてバーモント。
そして今日増えた近衛騎士二十人と、特使セレナと随員二人。
「……大所帯だな」
「おっちゃん」
横を歩くユキが俺を見上げた。
「ん?」
「きょう、なに?」
「夕飯?」
「うん」
「まだ秘密」
ユキの白狐耳がぴくりと動いた。
「おにく?」
「肉だ」
「!」
尻尾まで膨らんだ。
「でも、まだ教えない」
「なんのおにく?」
「豚肉」
「ぶた」
「そう」
「からあげ?」
「違う」
「しょうがやき?」
「違うんだなあ」
「カレー?」
「それも違う」
ユキが難しい顔になる。こびゃっこが俺の肩の横をふわふわ飛びながら、鼻をひくつかせた。
「この匂い……油……肉……そしてパン粉……」
「こびゃっこ。シッ!」
「はっ!」
「答え言うなよ」
「びゃっこは何も言うておらぬぞ!」
「パン粉って言っただろ」
「素材じゃ!」
「十分ヒントだ」
ユキがこびゃっこを見る。
「パン?」
「ユキ、考えるな。食えば分かる」
「むう」
今日の歓迎夕食は、全員にとって初めての料理にすることにした。
とんかつ。考えてみれば、今まで揚げ物はかなり作った。唐揚げとコロッケ。ナスの揚げ物や虹マスのフライなど。でも意外と、とんかつはまだだった。
人数が一気に増えた初日。特別な宴会料理にしすぎるのも違う気がする。だけど、少しくらい「歓迎された」と感じる飯にはしたい。そこで思いついたのが、とんかつだった。
◇
厨房へ入ると、すでに戦場だった。
「肉、次!」
「はい!」
「キャベツまだあるよ!」
「トマト洗います!」
リリアとマルタを中心に、ミーシャも安全な場所で野菜を扱っている。今日使う豚ロース肉は収納していた既存在庫。小麦粉、卵、パン粉。揚げ油も在庫から。
畑のキャベツは千切り。トマトは大きめのくし切り。ナスは焼きナスにして、生姜醤油。とうもろこしは粒を外して、バターと少量の醤油で炒める。汁物は豆腐とわかめの味噌汁。主食はもちろん白飯。
「人数が多いから、一人一枚を全部同時に揚げるのは無理だ」
俺が言うと、マルタが大鍋を見た。
「順番に出せばいいさ。最初から全員へ一斉配膳する必要もない」
「揚げたて優先だな」
「ああ。席ごとに出すよ」
リリアも頷く。
「最初に子供たちと、長旅を終えた方々からでいいでしょうか」
「それでいこう」
そこへアルバートが厨房の入口から覗いた。
「何か手伝えますか?」
「もう来たのか」
「炊事担当ですから」
「米目的じゃない?」
「それもあります」
「正直だな」
マルタが腰へ手を当てる。
「あんた、騎士団の料理担当なんだって?」
「はい」
「包丁使える?」
「一通り」
「じゃあキャベツ切ってみな」
「キャベツ?ああ、この玉菜ですね。承知しました」
アルバートは手洗いをして、俺が渡した包丁を受け取った。キャベツを半分に切る。芯を外す。それから細く刻み始める。
「お」
俺は思わず声を出した。
「上手い」
「王城厨房へ手伝いに入ることもありますので」
「近衛騎士ってそこまでやるの?」
「全員ではありません」
「だろうな」
千切りは少し太いが、十分だった。マルタも腕を組む。
「悪くないね」
「ありがとうございます」
「でもこっちじゃ、もっと細くするよ」
「教えていただけますか?」
「もちろん」
到着初日から厨房で技術交流が始まった。
◇
ミレイもやってきた。
「私も炊事担当です!手伝わせてください」
「チョコを探しに来たんじゃないだろうな」
「違いますよ!」
「本当?」
「……九割違います!」
「一割残ってるぞ」
ミーシャが笑った。
「ミレイさん、トマト運ぶ?」
「やります!」
「赤いお皿のところ」
「了解!」
猫族同士だからなのか、ミーシャとミレイはすぐ距離が縮まっていた。もっとも年齢はかなり違う。ミーシャが八歳。ミレイは近衛騎士の中では若いが、当然成人している。それでも、甘い物と食べ物の話になると精神年齢が少し近づくらしい。
「ミーシャちゃんは料理するの?」
「うん。お菓子好き」
「何作れる?」
「ホットケーキとクレープ。卵焼きも。オムライスも手伝えるよ」
「ほっとけーき?くれーぷ?」
ミレイの猫耳が立った。
「なにそれ?」
こびゃっこがどこからともなく現れた。
「薄く焼いた生地に、生クリームや果物やチョコを包む、原宿文化の結晶じゃ!」
「きゃー!食べたい!」
「こら」
俺はこびゃっこの頭を指で軽く押した。
「夕飯前に甘味会議を始めるな」
「甘味文化の交流じゃ!」
「都合のいい言葉を使うな」
ミレイがこびゃっこをじっと見る。
「……あの神使様」
「なんじゃ?」
「やっぱり飛んでる……」
「今さらかえ?」
「いえ、今日初めてお会いしたので……」
「そうじゃったのう」
こびゃっこは空中で、原宿の夢でも見せたモデルポーズを短い両足でする。
「存分に見よ」
ミレイが少し顔を近づける。
「触っても?」
「初対面で触るのは、ちと早いのう」
「すみません!」
「冗談じゃ」
「いいんですか!じゃあ……」
「びゃっこは高貴な神使ゆえ、撫でる場合は耳の後ろが――」
「こびゃっこ」
厨房の料理受け渡し窓の外からユキの声。
「なんじゃ?」
「ごはんの、じゅんび。じゃましない」
「……心得たのじゃ」
神使が五歳児に注意された。
◇
近衛騎士団の中で、こびゃっこへ慣れていないのはミレイだけではなかった。こびゃっこが食堂テントへ戻ると、何人かの騎士が明らかに視線を向けている。
そりゃそうだ。王国では建国史に登場する守護神使。歴史書では空を飛ぶ白狐。王城の壁へ「白夜参上」と書いた伝説的存在。
それが今は、大人の手のひらくらいの白いぬいぐるみ姿で、テーブルの上へ座って小さな湯呑みを抱えている。慣れろという方が無理だ。
「神使様」
弓士の銀狐族シルヴァンが少し遠慮気味に声をかけた。
「なんじゃ?」
「お聞きしても?」
「よいぞ」
「本当に……あの白夜様なのですか?」
こびゃっこの動きが止まった。俺は吹き出しそうになる。
「その名を出すでない」
「やはりそうなのですね」
「違うのじゃ」
「今、出すなと」
「気のせいじゃ」
シルヴァンの銀狐耳が少し動く。
「王城の西棟へ残されている文字も……」
「知らぬ」
「厩舎にあった注意書きと、筆跡が同じなのは?」
「知らぬ!」
「神殿資料では――」
「夕食の席で歴史研究を始めるでない!」
副団長レオンが大笑いする。
「これは本物ですな!」
「何がじゃ!」
「ガランから聞いていた通りだ!」
「ガラン!」
「俺は事実しか報告していない」
「おぬし、余計な事実まで報告したじゃろ!」
特使セレナも笑いをこらえている。
「神使様。王城では、あの壁を現在も保存しております」
「知っておる!」
「陛下は一度、修復して保存状態を良くするよう命じました」
「なぜじゃ!」
「歴史的価値が高いからです」
「黒歴史の保存活動をするでない!」
「黒歴史とは?」
副官のベルタが聞く。
「ヒカルの世界の言葉じゃ」
「どういう意味です?」
俺は答えた。
「本人が思い出したくない過去」
「なるほど」
「そこで理解するでない!」
こびゃっこが頭を抱えた。近衛たちの緊張が少し抜けた気がした。
◇
「そろそろ揚げるよ!」
マルタの声。俺も厨房へ戻る。油は十分温まっている。豚ロース肉は筋切りをして、軽く塩胡椒。小麦粉に溶き卵。パン粉をまぶす。
まず試しに一枚、油へ入れる。
ジュワアアアッ。厨房に揚げ物特有の音が広がる。
「おお……」
アルバートが横で固まった。
「何をしているのです?」
「揚げてる」
「肉を丸ごと?」
「そう」
「先ほど白い粉と卵と……乾燥パンを?」
「パン粉な」
「何のために?」
「衣を作る」
「衣」
「見てれば分かる」
油の中でパン粉が黄金色へ変わっていく。ひっくり返す。もう一度揚げる。中心温度を確認。取り出して油を切り、少し休ませる。
「切るぞ」
包丁を入れる。サクッ。音がした。断面から肉汁。
「……」
アルバートが完全に料理人の顔になった。
「食べる?」
「よろしいのですか?」
「味見してくれ」
「では任務として……」
「便利な言葉だな」
一切れ渡しアルバートが口へ入れる。咀嚼したかと思うと顔の表情が停止する。
「どう?」
「……」
「おーい」
「これは危険です」
「何が?」
「自分はまだ、おにぎりしか食べていませんが、これは、米に非常に合う予感がします」
「そこかよ」
その横からマルタが一切れ取る。
「ほう。そう思うかい」
口に入れて味見する。
「外はサクサク、中は肉汁……」
「ソースをつけてみて」
「まだ上があるのかい?」
中濃ソースを少量。マルタがもう一口。目が変わった。
「ヒカル」
「何?」
「これ、王都へ持って帰る」
「料理を?」
「作り方をだよ!」
「まあいいけど」
「キャベツを添えるんだね?」
「定番はな」
「理由は?」
「口直しにもなるし、揚げ物と合う」
「なるほど」
続けて大鍋二つで交互に揚げていく。片方の油温が下がったら、もう片方へ回す。
それを見ながらアルバートも真剣にメモを取っている。また増えた。異界料理を吸収しようとする人間が。
◇
最初の皿を運ぶ。白飯にとんかつ。添えられた千切りキャベツとトマト。焼きナスにとうもろこしのバター醤油炒め。そして味噌汁。まずは子供たちと、特使一行から。ユキが皿を見て固まった。
「……」
「どうした?」
「これ、なに?」
「とんかつ」
「とん……かつ」
「豚肉に衣をつけて揚げた」
ユキの目がとんかつから離れない。
「きる?」
「もう切ってある」
「ソース?」
「少しかけてみるか」
俺がソースを細くかける。
「まず一切れな」
ユキが箸でつまむ。少し大きいが、口を開ける。
「あむ」
サク。ユキが止まった。白狐耳が立って、尻尾がふわっと膨らむ。そのままユキの目が丸くなる。
「……」
「どう?」
ユキがゆっくり飲み込んだ。
「おっちゃん」
「何?」
「これ」
「うん」
「すごい」
「おお」
「おにく、サクサク」
「そうだな」
「そと、パン」
「パン粉」
「なか、おにく」
「そう」
「ソース、あう」
「うん」
ユキが真剣な顔で言った。
「えらい」
「最高評価出た」
「どうしよう?からあげもえらい」
「比べなくていい」
「でも」
「どっちも美味いでいいんだ」
ユキは少し考える。
「からあげ、かみのにく」
「ああ」
「とんかつ……」
嫌な予感。
「おうさまのにく」
「王様!?」
「えらいから」
「肉に身分制度を作るな!」
セレナが吹き出した。
「では陛下へ報告しておきます」
「やめてください」
「『ユキによれば、とんかつは王様の肉』と」
「外交文書に書くな!」
ユキが真顔で言う。
「おうさまも、たべる?」
「陛下も食べたいでしょうね」
「じゃあ、よし」
勝手に承認された。
◇
ニナも一口食べた。サク。しばらく無言になる。
「どう?」
「……べんり」
「久々だな。料理の便利判定」
「パンと肉、いっしょ」
「そういう見方か」
「でも、手、よごれない」
「まあ箸で食ってるからな」
もう一口。三つ編みが少し揺れた。
「おいしい」
短い。でも十分だった。ミーシャは一口目で目を輝かせた。
「これ、お菓子みたいに衣つける!」
「ちょっと似てるな」
「小麦粉、卵、パン粉?」
「そう」
「私も今度やりたい!」
「油を大量に使うから、大人と一緒な」
「うん!」
トトはとんかつを食べる前に絵を描こうとしていた。
「冷めるぞ」
「あと少し」
「食べてからでも描ける」
「でも、サクサク、いま」
「音を描いてるのか?」
トトが頷く。スケッチブックには、茶色い衣の周囲へ細い線。
「これ、音?」
「うん」
「面白いな」
写真じゃ残らない立体的な表現。確かに、トトの記録だ。
◇
近衛騎士団にも順番に皿が回った。最初に食べたレオンが、とんかつを噛んだ瞬間、目を見開く。
「ガラン」
「何だ」
「お前、これを食っていたのか?」
「これは俺も初めてだ」
「嘘をつけ!」
「本当だ」
「お前だけ異界料理を先に何十種類も食っているくせに!」
「それは事実だが、とんかつは初めてだ」
「くそっ」
「何で悔しがる」
「十五年の友情に差がついた気がする」
「飯で友情を測るな」
ドランが横から言う。
「本当にわしらも今日が初めてじゃぞ!」
「本当か?」
「本当じゃ」
レオンの顔が少し明るくなる。
「なら公平だ!」
「何の勝負なんだよ」
そこへロク。
「これ、すげえっすね。肉に衣つけて揚げるだけなのに、全然違うっす」
「衣が油を含むからな。食いすぎると重いぞ」
「自分、狼族っすから肉は歓迎っす」
「それ関係ある?」
「気分の問題っす」
リーファは千切りキャベツと交互に食べていた。
「確かに、キャベツが合うわね」
「だろ?」
「油の後に口が軽くなる」
「そういう組み合わせ」
シルヴァンも真似する。
「なるほど……肉、キャベツ、米」
「順番は好きに食え」
「この三つを一緒に口へ入れるのも良いですね」
「もう順応してるな」
◇
セレナの随員二人も、最初は少し緊張していた。二人とも今日ここへ来てから、見るもの全部が異界の物ばかりだ。
電気の灯りや水道。水洗式トイレやプレハブ二階建ての宿泊棟。単管パイプとポリカーボネイト屋根の厩舎。無線から聞こえる人の声。
そのうえ、目の前には伝説上の守護神使がテーブルに座っている。片方の銀狐族女性ファビイが、こびゃっこをちらちら見る。こびゃっこが気づいた。
「気になる事があるなら、聞いてもよいぞ」
「えっ」
「先ほどからびゃっこを十回以上見ておる」
「数えていたのですか?」
「神使じゃからの」
「それ関係ないだろ」
俺が突っ込む。もう一人の眼鏡をかけた銀狐族女性ビオラが恐る恐る尋ねた。
「神使様は……その、小さなお姿が本来のお姿なのでしょうか?」
「今はこれが本体じゃ」
「今は?」
「今も愛くるしい毛並みのびゃっこじゃが、昔はもっと気品のある白狐じゃった」
「王都の空も飛ばれたとか」
「そうじゃ。この様にの」
こびゃっこがふわり。二人の女性が同時に身を引いた。
「おお」
「ほ、本当に……」
「いや、さっきから飛んでたでしょう」
俺が言う。
「動揺して、現実として認識できていませんでした」
「分からなくもないが……」
こびゃっこはそのまま空中で一回転。
「さらに少女へ変幻することもできたぞ」
「少女!」
「かつて原宿では――」
「その話、長くなるぞ」
「モデルじゃ!」
「やっぱり言うのか」
随員二人が完全に困惑した。
「……原宿?ですか」
「ヒカルさんのいた世界の地名です」
セレナが補足する。
「神使様は、異界でも生活経験があるそうです」
二人の視線がさらに複雑になる。
「千年以上生きておられて……異界でモデル……」
「情報量が多いだろ?」
俺が言うと、二人とも真剣に頷いた。
「はい、私はこの大陸の歴史学を専攻したのですが、実際この目で見聞きすると理解が追いつきません」
ファビイがそう言うと、ビオラも眼鏡を掛け直し言った。
「私は、この大陸各国の法律を専攻したのですが、神使様の存在を法的にどの様な扱い方をしたら良いのか、全く検討もつきません」
「そのうち慣れる」
「慣れられますか?」
「俺たちは慣れた」
こびゃっこが胸を張った。
「安心せい。びゃっこは日常を共にする愛くるしい存在じゃ!」
「自分で言うな」
◇
エレナはマリベルと隣り合って座っていた。
「診療所、拝見しました」
「どうでした?」
マリベルが聞く。
「驚きました。機器や設備もそうですが、特に記録の方法です」
「ヒカルさんの世界では、診療の記録を長く残すそうです」
「こちらでも記録はしますが、検査値を定期的に比較する発想は軍でも徹底されていません」
「先日の健康診断で、全員の基準値を取ったところです」
「ぜひ後日、詳しく教えてください」
「もちろん」
エレナが微笑む。
「代わりに、こちらの軍用回復術と外傷対応も共有します」
「ありがたいです」
ここも話が早い。医療に職種はあまり関係ないらしい。
◇
防衛班長クラウディアはオルフェンと警備の話をしている。
「森側は視界が悪いのですね」
「そうだ。ただし結界の内側へ入ったから安全、とは考えない方がいい」
「了解しています」
「夜は特に、音を拾う者と弓手を組ませた方がいい」
「犬族や狼族?」
「ああ。ロク先輩が慣れてる」
セルドが横から言う。
「自分も犬族です」
「なら森側へ?」
「希望します」
クラウディアが即座に言う。
「希望だけで配置はしません」
「はい」
「明日、実地で経路を確認してからです」
「はい……」
セルドの犬耳が少し下がる。俺は笑ってしまった。
「近衛騎士団も同じなんだな」
「何がです?」
「やりたい仕事と、向いてる配置は別」
「当然です」
「俺も基本仕事は同じ様に考えてる」
ユキが遠くから言った。
「むれ、おなじ。でも、おしごと、ちがう」
クラウディアがユキを見る。
「……いい言葉ですね」
「ユキの言葉だ」
「覚えておきます」
ユキはよく分かっていない顔で、とんかつを食べていた。
◇
弓士シルヴァンとリーファは弓談義。
「その矢、かなり太いわね」
リーファがシルヴァンの専用矢を見る。
「魔力を一射へ集中させるためです」
「射程は?」
「実用なら五十メートル前後。厚い木板も抜けます」
「森では少し長いわね」
「はい」
「枝に取られる」
「やはりそうですか」
「湖岸なら使えるわ。森なら短めの弓の方がいい場所もある」
「勉強になります」
そこへナージャが口を挟む。
「森の巡回ならマウンテンバイクも使うわよ」
「マウンテンバイク?あのガラン大使が王都へ乗ってきたという」
「そう二輪車」
「騎馬ではなく?」
「足で漕ぐ」
「……」
シルヴァンの銀狐耳が立つ。
「明日乗れますか?」
「まず講習だ」
ガランが遠くから即答した。
「講習では魔法補助禁止。魔力併用はまずは基本を覚えてからだ。」
フィンが小さく咳払いする。
「なぜ私を見るんです」
「前科があるからだ」
◇
副官ベルタはドラン、ボルガ、ニナと固まって話をしていた。嫌な予感しかしない。
「無線機の内部は――」
「分解禁止」
俺が離れたところから言う。
「まだ何も!」
「聞こえてた」
ドランが笑う。
「ベルタ殿。ヒカルは保証にうるさいぞ」
「保証?」
「勝手に開けると修理してもらえなくなるんじゃ」
ボルガが腕を組む。
「これは本当に効くよ」
「あなた方、何度止められたんです?」
「何度もではない!」
「何度かね」
「ボルガ!」
ニナがとんかつを食べながら言う。
「こわしたら、つかえない」
ベルタが頷く。
「その通りですね」
「おお」
俺は感心した。
「ベルタは話が早い」
「当然です」
「ドランとボルガも見習ってくれ」
「ワシらも分かっとる!」
「分かってるからこそ、見たいんだよ!」
見たい気持ちは消えていないらしい。
◇
グレゴールたち職人は、近衛の装備へ逆に興味を持っていた。
「その盾、縁は鉄か?」
グレゴールがクラウディアの小盾を見ている。
「はい。芯材は硬木です」
「重くないか?」
「防壁魔法を併用するので、全面を覆う必要はありません」
「魔法込みの道具か」
「そうなります」
エリオットはセレナの馬車の内装へ興味。
「特使殿」
「はい?」
「あの馬車、明日中を見てもいいでしょうか」
セレナが目を丸くする。
「なぜです?」
「内装が気になります」
「そこですか?」
「座席、壁、収納、窓。長距離移動用として参考になります」
俺は笑う。
「職人はどこへ行っても職人だな」
ミネットも言う。
「私は馬車の屋根を見るにゃ」
「馬車もかよ。お前は本当に屋根ばっかりだな」
「屋根職人にゃ」
「知ってる」
◇
石工バドルは静かにとんかつを食べていた。近くにハロルドが座る。
「バドル殿」
「バドルでいい」
「ではバドル。厩舎の排水桝を見ました」
「どうだった」
「軍の仮設厩舎より丁寧に設置されてます」
「長く使う可能性があるからな」
「仮設なのに?」
バドルは一度箸を置いた。
「仮設は、雑に作ってよいという意味ではない」
ハロルドが少し考える。
「確かに」
「すぐ撤去する物でも、使っている間に壊れれば危ない」
「なるほど」
「石も地面も、人間が仮設と言っても知らん」
「……覚えておきます」
バドルは無口だが、核心をつく事をよく言う。俺も覚えておこう。
◇
トトは、さっきから近衛たちを描いていた。ミレイが気づく。
「それ、私?」
「うん」
「見せて!」
そこにはチョコを食べた時のミレイ。猫耳が真っすぐ立っている。
「……耳、こんなに立ってた?」
「うん」
「恥ずかしい」
ミーシャが笑う。
「すごく立ってたよ」
「二人とも見てたの!?」
「みんな見てた」
トトが追撃する。
「そんなに!?」
今度は湖畔側が新しく来た騎士をからかう。少しずつ境目が薄くなる。
◇
とんかつの皿が一巡し、食堂全体の緊張もかなり解けてきた頃だった。
「ヒカル」
嫌な予感のする声がした。見ると、レオンがこちらを向いている。
「何?」
「歓迎会だよな?」
「一応」
「夕食でもある」
「そうだな」
「長旅も終わった」
「何が言いたい」
レオンが満面の笑みを浮かべる。
「酒は?」
「やっぱりそれか」
横にいたガランが額を押さえた。
「お前、到着して数時間だぞ」
「だからだ。無事に着いた祝いだ」
「明日から正式な調整がある」
「今夜全部飲み潰すとは言ってない」
「お前の場合、それを信用できん」
「十五年前の話をいつまで引きずる!」
「十二年前だ」
「細かい!」
そこへマリベルがすっと顔を出した。
「飲む人は先に確認します」
レオンの勢いが止まる。
「確認?」
「今夜、夜間警備に入る人。馬の夜間当番。緊急対応担当。体調の悪い人は飲酒なしです」
「……なるほど」
「それ以外も二杯程度まで」
「二杯」
「異界のお酒を初めて飲む人が多いでしょう? 強さが分からない物を最初から大量に飲ませません」
エレナが隣で頷いた。
「妥当です」
「医療班長まで……」
「私は近衛医療班長ですから」
「味方がいない」
ガランが言う。
「ここではそれが普通だ」
「お前は完全に湖畔側になったな」
「元からだ!」
◇
飲める者だけを確認してから、俺は少量ずつ酒を出すことにした。最初は日本のビール。瓶ではなく、扱いやすい缶を何本か。
「これが、異界の酒ですか?」
ベルタが缶を手に取り、真剣に表面を見る。
「まずそこから見るの?」
「容器も技術です」
「ドワーフだなあ」
「どういう意味です?」
「褒めてる」
プシュッ。俺が一本開けるとベルタの目が開いた。
「今の音は?」
「中に炭酸が入ってる」
「炭酸?」
「泡の出る飲み物」
透明なグラスへビールを注ぐ。黄金色の液体。白い泡に近衛騎士たちの視線が集まった。
「麦酒……ですよね?」
アルバートが尋ねる。
「分類としてはそう」
「王都の麦酒より、ずいぶん澄んでいます」
「製法が違うからな」
レオンが待ちきれない顔をしている。
「飲んでいいか?」
「少しずつな」
「分かっている」
レオン、ベルタ、ハロルド、クラウディア、それから希望した近衛たちへ少量ずつ配る。セレナと随員二人にも。
「それでは」
セレナがグラスを持つ。
「本日の無事な到着と――」
「堅い挨拶はいいぞ」
ガランが言った。セレナが少し笑う。
「では、今日ここで皆さんと食事ができたことに」
「それで十分」
グラスを軽く上げる。
「乾杯」
「かんぱい!」
ユキも麦茶のコップを上げた。こびゃっこだけは、小さな酒杯を両前足で高々と掲げる。
「乾杯じゃー!」
「お前が一番元気だな」
◇
セレナがビールを一口。少しだけ目を見開いた。
「……苦い」
「最初はそう感じるかも」
もう一口。
「でも、不思議ですね。とんかつの後だと……」
「口の中がさっぱりするだろ?」
「はい」
隣の随員女性も慎重に飲む。
「泡が舌に刺さります」
「痛い?」
「痛いというほどでは……面白いです」
もう一人の随員がグラスをじっと見る。
「麦酒なのに、こんなに冷たい状態で飲むのですね」
「向こうでは、それが普通だった」
「冷やすこと自体が贅沢です」
「ああ。こっちじゃそうなるよな」
ハロルドは一口飲んで黙った。
「どう?」
「これは危険ですね」
「またその評価?」
「美味いです」
「なら普通にそう言え」
「長旅のあとに飲むには美味すぎます」
「だから二杯までなんだよ」
「納得しました」
◇
「次はこれじゃ!」
こびゃっこが勝手に前へ出てきた。俺の手元にある瓶を指差す。
「日本酒!」
「お前が仕切るな」
「びゃっこは日本酒文化監修――」
「その役職はない」
「では愛飲者代表!」
「それなら否定しにくい」
透明な日本酒を、小さな杯へ少しだけ注ぐ。セレナが匂いを確かめる。
「これが、米から作った酒……」
アルバートの顔が変わった。
「米が酒にもなることは知っていました。ですが実物は初めてです」
「また米が迫ってきたな」
「任務との差がさらに縮まりました」
「負けるな任務」
アルバートが恐る恐る口へ含む。
「……」
「どう?」
「米なのに、米ではない」
「初見だとそうなるよな」
「香りが違う。甘さもある。でも酒です」
「そうだな」
アルバートは白飯を見る。日本酒を見てまた白飯を見る。
「同じ原料……」
「世界が広がった?」
「非常に」
マルタが大笑いした。
「私も最初は同じ顔したよ!」
◇
ベルタは日本酒より、次に出したウイスキーの方で完全に固まった。
「……これは蒸留酒」
「強いから一杯だけにしといた方がいい」
琥珀色の液体。香りを確かめたベルタが眉を上げる。
「木の香りがします」
「樽で熟成させる」
「樽の中で?」
「ああ」
少量を口へ。ベルタが目を閉じる。
「熱い」
「度数高いから」
「喉から胸まで熱くなる」
「だから一気に飲むなよ」
ドランが横で嬉しそうに言う。
「慣れると美味いぞ!」
「お前は勧めるな」
「なぜじゃ!」
「酒量注意されてる人間だから」
マリベルが無言でドランを見る。
「……わしは何も言うておらん」
「今、勧めました」
「一口だけじゃ!」
「あなたは今日二杯まで」
「量の単位が厳密じゃのう……」
ベルタが小さく笑った。
「ドラン殿も管理されているのですね」
「健康管理です」
マリベルが即答した。
◇
レオンには、ウイスキーを炭酸水で割ったハイボールを出した。
「これは?」
「さっきの強い酒を、炭酸で割ったもの」
「薄めるのか」
「飲みやすくする」
「酒を薄めるとは……」
少し不満そうに飲む。一口。
「……」
二口目。
「ガラン」
「何だ」
「これ美味いぞ」
「俺に報告しなくてもいい」
「揚げ物に合う!」
「それは分かる」
「お前知ってたのか!?」
「お前が来る前から何度か飲んでる」
「この裏切り者!」
「何の裏切りだ!」
レオンがとんかつを口にし、続いてハイボールを飲むと目を見開いた。
「ヒカル!」
「何?」
「これは反則だ!」
「何が?」
「肉を食べ酒を飲むとまた肉が欲しくなる!」
「正常な反応だ」
「これじゃあ、永久に止まらないではないか!」
「そこを抑えるのが、二十人もの騎士を束ねる人の理性だ。近衛騎士団副団長殿」
「むっ!現実を言うな!」
セレナが肩を震わせて笑っている。
「副団長。陛下へ報告する内容が増えましたね」
「特使殿、この酒はぜひ陛下にも!」
「正式な外交項目には入れません」
「なぜ!」
「お酒ですから」
「重要な文化交流ですぞ!」
「その理屈、こびゃっこと同じだぞ」
「む?」
こびゃっこが反応して、日本酒が注がれたお猪口を両前足で掲げる。
「レオンよ。なかなか見所があるのう」
「神使様!」
「酒文化交流顧問に任命して――」
「勝手に仲間を増やすな!」
◇
近衛たちの中でも好みははっきり分かれた。ビールを気に入る者。日本酒の柔らかな香りに驚く者。ウイスキーは強すぎると首を振る者。ハイボールなら飲みやすいと言う者。
セレナは日本酒をもう一口だけ味わってから杯を置いた。
「私は、これが一番好きかもしれません」
「日本酒?」
「はい。香りが穏やかです」
こびゃっこの耳がぴんと立つ。
「さすが銀狐の特使!分かっておるではないか!」
「お前は静かに飲め」
「同志を見つけたのじゃぞ!」
「特使を酒仲間へ勧誘するな」
随員の銀狐族ファビイとビオラは、ビールを半分ほど飲んだところで止めていた。
「もう十分です」
「無理しなくていいよ」
「美味しいのですが、身体が温かくなってきました」
「初めてなら、そのくらいでいい」
ビオラが日本酒を見ながら言う。
「異界では、これほど多くの種類のお酒が普通にあるのですか?」
「もっとあるぞ」
「もっと?」
「ワイン、焼酎、梅酒、サワー、カクテル……」
二人の顔が固まった。
「まだあるのですか?」
「山ほど」
こびゃっこが胸を張る。
「日本人は酒の魔改造にも余念がないからのう!」
「お前、日本代表みたいな顔するな」
◇
その一方、今夜の警備に入る者は最初から酒へ手を伸ばさなかった。クラウディアも杯を半分で止める。
「美味しいですが、今日はここまでにします」
「明日もあるしな」
「はい。地形確認をしていない状態で酔うのは避けたいです」
ハロルドも頷く。
「馬の夜間確認がありますので、私は一杯だけで」
「すまん。助かる」
レオンが信じられないものを見る顔をした。
「一杯で止めるのか?」
「副団長」
「何だ?」
「仕事です」
「……正しい」
「副団長も二杯です」
「分かっている!」
近衛としての規律はちゃんとしているらしい。そこは安心した。
◇
ユキは酒を飲む大人たちを眺めながら、オレンジジュースを飲んでいた。
「おっちゃん」
「何?」
「おさけ、うんみゃあ?」
「大人にはな」
「こびゃっこもおとな?」
「千歳超えてるしな」
「びゃっこは大人中の大人じゃ!」
「見た目は一番小さいけどな」
こびゃっこがお猪口を掲げる。
「びゃっこの酒歴も千年を超えてるのじゃ!」
「何だよ酒歴って。その割に飲む理由が軽いな」
「酒を歴史として体内へ保存しておるのじゃ」
「ぬいぐるみの体内ってどうなってるんだよ。トイレには行かないのか?」
「風情のないことを言うでない!」
ファビイとビオラが、またこびゃっこを見て固まる。ファビイが小声で言った。
「神使様が……お酒を飲んで……」
ビオラも小声。
「いつも守護者殿と、あんな会話を……」
俺は聞こえないふりをした。そのうち慣れる。たぶん。……慣れるよな?
◇
俺は席を見回した。ユキはとんかつの残りを大事そうに食べている。こびゃっこはソースを出しすぎて、俺に注意された。
ニナはベルタへラチェットの反転レバーを説明している。ミーシャはミレイへクレープの話。トトは近衛の耳や装備を絵へ残す。
リリアはセレナの随員の銀狐族の二人へ洗濯ハウスや生活当番を説明している。アルノはセレナと、明日確認する王書や文書の段取りを話している。
マリベルとエレナは医療。ガランとレオンは喧嘩みたいな昔話。
ドラン、ボルガ、ベルタは工具。ロクとセルドは夜間の匂いと音の拾い方。リーファとシルヴァンは弓。
グレゴール、エリオット、ミネット、カイル、レイル、バドルは近衛たちと建物や厩舎の話。
マルタとアルバートは厨房。《蒼岩の盾》も近衛へ湖畔巡回の経験を伝えている。
バーモントは――。
「ヒカルさん」
「何?」
「このとんかつという料理」
「売らないぞ」
「まだ何も言っていません」
「商売になるかって言うだろ」
「……なぜ分かるのです?」
「もう分かるようになった」
「では話が早い」
「早くない」
「パン粉は王国でも再現可能だと思います」
「もう分析してるのか」
「揚げ油の価格と豚肉の流通を考えれば、王都では中上級向け――」
「まあ、今日は食え」
「商人に休日はありません」
俺は小声で言った。
「密偵には?」
「あります」
「王族は?」
「できればずっと休みたいです」
「お前、優先順位が分かりやすすぎる」
他のみんなは、俺とバーモントの会話を普通の商談だと思っている。
◇
「おっちゃん」
ユキが俺の袖を引いた。
「何?」
「とんかつ、また?」
「また作るよ」
「いつ?」
「もう次の予約?」
「うん」
「そのうちな」
「そのうち、いつ?」
「ユキ、それを世間では交渉と言う」
「こうしょう」
「覚えなくていい」
こびゃっこがすぐ反応する。
「食文化交渉担当主任――」
「増やすな!」
ニナが向こうから言う。
「かってに、ふやすと、ややこしくなる。ふべん」
「む。今日はニナが強いのう!」
「班長だから」
「ぐぬぬ」
ユキが俺を見る。
「ニナ、はんちょう」
「今日正式になったな」
「ユキ、かんとくさま」
「そうだな」
「こびゃっこ、みならい」
「む。今日は守護神使の威厳がアップしたと思うたら、このざまじゃ」
食堂に笑いが広がった。セレナの随員二人も、今度は普通に笑っている。
さっきまでこびゃっこが飛ぶたびに目で追っていたのに、少しだけ慣れてきたらしい。
ただ、こびゃっこが小さな茶碗を両前足で持ち器用に箸を使って味噌汁を飲むと、また二人の目が止まった。
「……やっぱり慣れませんね」
「そうじゃろ。初日から守護神使の威厳に慣れるものはおらん」
「いや、そこじゃないと思うぞ」
◇
歓迎会といっても、誰かが壇上へ立って挨拶するようなものにはしなかった。セレナもそれを望まなかった。
だから一度だけ、食事の途中で立って、短く言った。
「本日は突然の到着にもかかわらず、私たちを迎えていただき、本当にありがとうございます」
食堂が少し静かになる。
「私はオリエント王国の特使として参りました。近衛騎士団も、王国から派遣された者です」
セレナは一度ユキを見る。それから俺。さらに食堂にいる全員を見る。
「ですが、こちらへ王国の決まりを押しつけるために来たのではありません」
ガランも静かに聞いている。
「まず、皆さんがどう暮らし、どう働き、何を大切にしているのかを知りたいと思っています」
少し間を置く。
「その上で、互いに助け合える関係を作りたいと思います」
難しいことは言わない。それで十分だった。ユキが首を傾げる。
「いっしょに、ごはん?」
セレナが笑う。
「はい。それも含めて」
「じゃあ、いま、してる」
「そうですね」
「なら、だいじょうぶ」
セレナの銀狐耳が少し前へ向いた。
「白狐神にそう言っていただけるなら、安心しました」
「さま、いらない」
「はい。ユキ」
「うん」
正式な外交協議は明日。今日はそれくらいでいい。
◇
夕食が終わった。とんかつは完売。少し多めに作ったつもりだったが、残らなかった。
「マルタ」
「何だい?」
「余りは?」
「ないよ」
「一切れも?」
「ない」
「すごいな」
「騎士が二十人増えたんだ。肉なんて消えるよ」
確かに。アルバートは厨房で使用したパン粉の残りを眺めている。
「ヒカルさん」
「何?」
「明日、余裕がある時で構いません」
「うん」
「パン粉の作り方から教えてください」
「そこから?」
「再現するなら必要です」
「料理人だな」
「騎士です」
「どっちだよ」
「両方です」
マルタが豪快に笑った。
「気に入ったよ!」
「ありがとうございます」
「明日の朝、厨房へ来な!」
「はい!」
早速弟子入りしてる。
◇
食後は全員で片付けた。近衛たちも当然参加する。食器を運ぶ者、机を拭く者、厨房へ返す者そしてごみを分別する者。最初は勝手が分からないので、リリアやマルタ、アルノが流れを説明する。
「食器はこちらです」
「残飯は?」
「この容器へ」
「油の付いたものは?」
「先に紙で拭き取ってください」
「了解」
近衛たちは手際がいい。軍隊だから集団生活には慣れている。湖畔の仕組みを覚えれば、こっちの負担もそれほど増えなさそうだ。
むしろ人手は増える。警備。医療。馬。炊事。防衛。伝令。全部、今までより余裕ができる。
「おっちゃん」
「ん?」
ユキが俺の横で、自分の小さな皿を持っている。
「ユキも、もってく」
「よし、片付けよう」
「うん」
ユキが食器返却場所へ歩いていく。その後ろを、セレナが自分の皿を持って歩いていた。銀狐族の正式特使。そのさらに後ろに二人の随員。ここでは誰もが自分で行う。
◇
片付けが終わる頃には外はかなり暗くなっていた。湖畔の灯りは昨日までよりそれほど増えたわけではない。でも、その灯りの中にいる人数は増えた。
「おっちゃん」
ユキが俺の手を握る。
「きょう、いっぱい」
「人が?」
「うん」
「疲れたか?」
「ちょっと」
「じゃあ風呂入って寝よう」
「うん」
少し歩いたところで、ユキが止まる。
「おっちゃん」
「何?」
「とんかつ」
「まだ言うの?」
「また、つくる?」
「作る」
「やくそく?」
「約束」
「なら、よし」
それを聞いて満足したらしい。俺たちは歩き出す。後ろの食堂から、レオンの声が聞こえた。
「ガラン!二杯までなら飲めるんだよな!」
「そうだが」
「一杯目を大きな杯にすれば――」
「レオン副団長」
マリベルの声。
「聞こえていますよ」
「……」
静かになった。
「おっちゃん」
「ん?」
「レオン、うるさい」
「初日で分かったか」
「うん」
五歳児の人物評価は早い。でも、その声に嫌そうな響きはなかった。今日来た人たちは、まだ湖畔の群れではないのかもしれない。
王国の特使と王国の騎士。そして仕事で来た人たちが、一緒に飯を食った。とんかつを食べて驚き、工具の話をして森の話をした。医療の話もして、こびゃっこを見て困惑し笑った。
それでいい。友邦とか盟約とか、そういう大きな話は明日から。今日はまず、一緒に飯を食えた。それだけで十分だった。
続く
⸻
【収支報告】
異世界生活86日目
日付:六の月15日
オリエント王国歴952年
開始残高:3,127,873pt
円換算目安:
3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当
今回の購入:
・なし 0pt
※とんかつ用豚ロース、小麦粉、卵、パン粉、揚げ油、調味料、味噌、豆腐、わかめ等は既存在庫を使用。
※キャベツ、トマト、ナス、とうもろこしは湖畔の畑で収穫済みの作物を使用。
※白米も既存在庫を使用。
※ビール、日本酒、ウイスキー、炭酸水、オレンジジュース等も既存在庫を使用。
今回支出合計:0pt
現在残高:
3,127,873pt
円換算目安:
3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当




