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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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114/141

第114話 白狐神の里を商人が歩く


 翌朝。目を覚ました瞬間、バーモントは一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。


 見慣れない材質の天井に白い壁。妙に平らな床。そして金属製とおぼしき枠に、王都でも見たことのない、大きな一枚ガラスがはめ込まれた窓の外から差し込む朝の光。


「……そうか」


 湖畔だ。昨夜は職人用の二階建てプレハブ、その一階に泊めてもらった。建物や部屋そのものにも驚いたが、もっと驚いたのは、その後だった。


 まず、ヒカル殿が出してきた寝具。床へ直に敷くのではなく、簡素だが身体を支える金属の骨組みで出来た寝台と、上等な柔らかな寝具。


 さらに建物の壁に付いた小さな板へ触れると、天井の照明が点灯した。魔石はなく、魔力反応もない。それなのに、夜でも昼間のように明るい。


「電気……でしたか」


 昨日ヒカル殿から聞いた言葉を思い出す。そして風呂。あれは、もっと意味が分からなかった。栓をひねれば水が出る。別の操作をすれば温かい湯が出る。大きな釜へ薪をくべる必要もなければ、火の魔石を管理する必要もない。ヒカル殿は、「ガス給湯器」と説明した。理解できたのは、燃料を燃やして水を温めているらしい、というところまでだ。だが、燃料そのものが見えない。


 さらに水洗式のトイレ。用を足したあと、操作すると水が流れ、汚物がどこかへ消えていく。最初、本気で収納魔法か転送術を疑うと、ヒカル殿に笑われた。


「配管だよ」


 と言われたが、むしろ配管だけであれを実現している方がおかしい。


 最後に、厨房裏の洗面所。小さな洗面台。水やお湯の出る蛇口やガラスの鏡。歯ブラシと歯磨き粉。


「これを……歯へ?」


 恐る恐る試すと白い練り粉が出て、少し驚いた。ブラシに付けて歯を磨き、口をゆすいだ。すると歯が妙につるつるし、口の中が清涼感と香草の様な香りで溢れた。


 そこで、私は思った。この湖畔は危険だ。別の意味で。一度この便利さと快適さを覚えると、元の生活へ戻るのが面倒になる。


     ◇


 外へ出ると、朝の空気は少し冷たかった。職人宿の前には、昨夜も見たソーラー式のポールライトが、まだ一部が淡く点灯している。


「ん?」


 その近くを、小さな三輪自転車が走っていた。乗っている少女は、黄色いヘルメットと言う兜を被っている。赤い三つ編みが揺れていた。


「おはようございます」


 声を掛けると、少女が止まった。彼女はドワーフのニナ。昨夜捜索依頼を受けたガルムの娘で、レイシス皇国から逃亡した元奴隷の少女だ。


「おはよう」


 荷台には、いくつもの充電式ランタンが載っている。


「何をしているんです?」


「回収」


「ランタンを?」


「うん」


「毎朝集めるのですか?」


「充電するから」


 ニナは当然という顔で答えた。


「それ、全部?」


「全部」


「一人で?」


「三輪、あるから」


 そう言って荷台を軽く叩く。なるほど。重い物を抱えて運ぶのではなく、車輪付きの荷台へ載せる。しかも子供でも扱える。


「便利ですね」


「うん。べんり」


「売ってもら――」


 そこまで言って止めた。昨日、ヒカル殿に何度も同じ顔を見抜かれた。ニナがじっとこちらを見る。


「なに?」


「何でもありません」


「しょうにん?」


「……よく分かりましたね」


「顔が、なんとなく」


「この湖畔、顔に書いてあるって言う人が多すぎませんか?」


「ヒカルもいう」


「やはり」


 ニナはそれだけ言うと、また三輪自転車を漕ぎ出し、私に伝えた。


「朝ごはん、もうすぐだよ」


「ありがとうございます」


 小さな荷運び車が、静かに遠ざかっていく。他の場所なら、あの仕事をするために子供へ何度も往復させるか、大人が籠を持って歩く。


 ここでは異界の道具を使う。しかも、その道具を仕事へ合わせて使い分ける。たった朝の一場面だけでも、考え方が違う。


     ◇


 食堂へ入ると、また理解しにくい光景が待っていた。


 白飯が朝から普通に出る。味噌汁と呼ばれる、発酵調味料を使ったスープ。湖畔で釣れたという焼き魚。野菜の漬物。そして――。


「……生卵?」


 何人かが小さな器へ卵を割り入れている。神使様が小さな手で、器用に卵を箸で溶いている。他にもアルノさんやリリアさん。そしてニナや白狐神ユキ様まで。スプーンやフォークではなく、皆んな器用に箸を使う。


「そのまま食べるんですか?」


 私が聞くと、神使様が胸を張った。


「卵かけご飯じゃ!」


「卵を……生で?」


「うむ」


「危なくないのですか?」


 今度はヒカル殿が答えた。


「普通の卵で真似しないでくれ。これは生食前提で衛生管理された卵だから食える」


「生で食べるために管理する?」


「そう」


「鶏から採った後に?」


「飼育環境、洗浄、温度管理、流通まで含めてな」


 私は卵を見る。


「そこまでして、生で?」


「食べれば分かる」


 マリベルさんが横から言った。


「私は焼いた方が好きですけどね」


「本人の好みもあるからな」


「でも食べられること自体は分かりました」


 私は少し迷ってから、器へ卵を割った。


「そこへ醤油を少し」


「これですね」


 黒っぽい液体。香りを確認する。


「……これも発酵調味料?」


「よく分かったな」


「商人ですから」


「専門外じゃない?」


「食べ物は大体商売になります」


「ぶれないな」


 卵へ醤油を少量。使い慣れない箸で混ぜ、白飯へかける。


「全体を混ぜてもいいし、そのままでもいい」


「では……」


 一口。


「……」


 美味い。思わず止まってしまった。ヒカル殿が聞く。


「どう?」


「これは、まずいですね」


「あ、口に合わなかった?」


「逆です」


 思わず真顔になった。


「米、卵、醤油をまとめて扱いたくなりました」


「そっちの『まずい』かよ」


「非常に商売になります」


「生卵は駄目だぞ」


「なぜです?」


「さっき言っただろ。衛生管理まで込みだからだ。卵だけ持って行って、同じように生で食べろって売るのは危ない」


「なるほど」


「冷蔵、流通、期限管理。それができる環境じゃないと無理」


 私は箸を止めた。


「商品だけでは成立しない」


「そういうこと」


 私は卵かけご飯をもう一口食べた。


「では、米と醤油だけでも」


「そこは後で相談」


「承知しました」


 すると神使様が言った。


「次は納豆じゃな」


「初日にやめろ」


「卵を突破した男じゃぞ」


「段階ってものがある」


「未知の商品へ挑むのも商人の務めじゃ」


 私は興味を覚え、聞いてみた。


「納豆とは?」


「聞くな」


「発酵食品じゃ」


「こびゃっこ!」


「商人として興味があります」


「二対一になった……」


 ユキが卵かけご飯を食べながら言った。


「こびゃっこ、おいしいって」


「ユキまで援軍するな」


     ◇


 朝食後、俺は今日の仕事をいくつか確認した。


 ドラン、ボルガ、ニナは朝のうち、仮設鍛冶場でアーク溶接の練習。短時間の低電流。防炎装備をして、ニナの練習には大人が横につく。


 終わったら厩舎工事へ合流してもらう。屋根工事が終わっているので、引き続き馬房仕切りと腰壁へ入る。


 ガランたちはバギーで湖岸側を巡回。リーファ、ロク、ナージャたちはマウンテンバイクで森側を巡回する。


 神務院が湖畔を把握していると分かったからといって、急に警備人数を倍にするような真似はしない。昨日話した通り、普段の形を崩さず、巡回経路や確認箇所を少しだけ変える。


「ヒカルさん」


 食堂の外でバーモントが待っていた。


「今日は湖畔を案内していただけると」


「ああ。そのつもりだ」


 隣にはこびゃっこ。


「びゃっこも同行するぞ」


「案内役?」


「歴史文化特別解説担当じゃ」


「また肩書き増やした?」


「本日は正当じゃ」


「まあ祠の説明はお前がいた方がいい」


「ほれ見ろ」


 ユキは?と思って探すと、ミネットともう厩舎方向へ歩いている。


 青ライン入りヘルメットを被り腰には小型無線。監督様は出勤らしい。


「ユキ」


「なに?」


「俺たちはバーモントさんを案内してくる」


「うん」


「厩舎、頼む」


「かんとくする」


「規制線から入るなよ」


「はいらない」


「双眼鏡使いながら歩かない」


「ユキ、とまる」


「私もいるから、大丈夫にゃ」


横にいるミネットが言った。


「大人として模範を示してな。不必要に屋根に登るな」


「必要ならいいのにゃ?」


「登る前提で聞くな」


     ◇


 まず案内したのは、生活区画だ。五棟の住居ユニットハウスに、四棟の大型食堂タープテントを改めて説明する。そして厨房と診療所。洗濯ハウスに風呂、トイレ、手洗い場もガス給湯器や洗濯機、給排水の設備も含め、改めて説明した。


 バーモントは、昨日ある程度見ている。それでも昼間に改めて見ると、また違うらしい。


「屋根の板は?」


「ソーラーパネルだ」


「昨夜の電気を作る?」


「そう」


「湖畔全部を?」


「施設ごとに分けてるものが多い」


「一か所壊れても全部止まらない?」


「そういう利点もある」


 バーモントが小さく頷いた。密偵として記録している顔だ。


「商品として考えています?」


「それは難しいかも。メンテナンス…つまり、整備や使用上の注意や安全を徹底させないと、事故に繋がる可能性がある」


「電気の力ですか?」


「ああ。基本的に雷の力と同じ危険性がある」


     ◇


 そのまま畑方面の南側へ進むと、赤い鳥居が見えてきた。


「ここです」


 バーモントの足が自然に止まった。鳥居。手水舎。小さな祠。祠そのものは大きくない。およそ一メートル四方。石材の台座に、祠の中には三社造りの神棚。真鍮の鈴と鈴緒がある。神棚脇には、小さな白木寝台があり、こびゃっこの昼寝場所でもある。


「……これが」


「今の湖畔の祠」


 こびゃっこが少し前へ出る。


「ユキがこの地で正式に白狐神として祀られた場所でもある」


「そして」


 俺が続ける。


「こびゃっこが実体を取り戻した場所」


 バーモントがこびゃっこを見る。


「ここで?」


「うむ」


「それまでは?」


「夢の中や、残留思念。僅かな神力だけの存在じゃった」


 こびゃっこが祠を見る。


「ユキがここへ参り、祈り、びゃっこを呼んだ」


「その時、ユキの神格も上がったんだ」


「幼神三段じゃな」


 バーモントはしばらく無言だった。商人の顔でも、密偵の顔でもない。銀狐族として、王家の人間として見ている。


「王家の記録には」


 ようやく言った。


「白狐神の祠について、断片的な記述しか残っていません」


「昔の祠とは違うぞ」


「はい」


「これは俺たちが今ここで作った祠」


「それでも」


 バーモントは鳥居を見る。


「白狐神が今ここにいる。そのための場所であることに違いはない」


「そうだな」


 俺は鳥居へ目を向けた。


「それと、この鳥居」


「何か?」


「結界の中心でもある」


 バーモントさんの目が変わった。


「昨日、私が越えた?」


「そう」


 こびゃっこが浮かぶ。


「正確には、この鳥居を中心にユキとびゃっこが神力を流し、湖畔一帯を覆っておる」


「二人で?」


「うむ」


「白狐神ユキの力だけではない?」


「今は二人で支えてる」


 俺が答える。


「ユキが主。こびゃっこが補助」


「なるほど」


 バーモントは鳥居を見上げる。


「オルガはこれに拒まれた」


「そういうことになる」


「私は通れた」


「結界が敵と判断しなかったんだと思う」


「判断基準は?」


「完全には分からない」


 これは正直に答えるしかない。


「敵意だけかもしれないし、害意、目的、何か別のものも見てるかもしれない」


「王家の血は?」


「可能性を否定はしないけど、それだけとは思ってない」


 こびゃっこも頷く。


「銀狐王家だから通した、と決めつけるのは早いのう」


「分かりました」


 バーモントは手帳と羽ペンを出しかけた――。


「あ。バーモントさん。後でいいもの貸すよ」


「いいもの?」


「午後に」


 バーモントの目が輝いた。


     ◇


 祠へ一礼してから、俺たちは厩舎方面へ向かった。道の途中で、工事区画が見える。大型ガレージの建設予定地だ。現在そこには重機を停めてブルーシートを被せていた。


 俺はバーモントに見せるため、ブルーシートを取る。ブルドーザー、マカダムローラー、ミニバックホー。三台が並んでいる。整備・待機状態だ。


 バーモントが止まった。


「……」


「これ見たかったんだろ?」


「……」


「バーモントさん?」


「少し待ってください」


「昨日と同じ反応だな」


「情報で知っているのと、実物を見るのは違います」


 ブルドーザーへ近づく。


「これは?」


「ブルドーザー」


「何をするんですか?」


「土を押し地面をならす。盛土を広げて、大きな力で前へ押す仕事」


 こびゃっこが横から言う。


「グイグイじゃ」


「正式名称で説明してるんだから邪魔するな」


「ユキ命名じゃぞ」


「そっちは愛称」


 バーモントがブルドーザーの大きな排土板を見る。


「これを一人で操作?」


「基本は一人」


「人夫何人分です?」


「現場次第」


「十人?」


「もっと働くこともある」


「二十?」


「単純換算はできないって」


 目が完全に商人だ。


「売る予定はないよ」


「まだ値段を聞いていません」


「その顔は値段を聞く顔」


「……皆さん本当に顔を読む」


 次。


「これは?」


「マカダムローラー」


「ゴロゴロじゃ」


「こびゃっこ」


「正式愛称じゃ」


「どっちなんだ」


 俺は前後の鉄輪を示す。


「砕石や路面を締め固める。上から振動や圧力を掛けて地面を丈夫にする」


「道路用?」


「主に」


 バーモントが、ローラーをじっくりと見る。


「南側の道も?」


「使った」


「……なるほど」


 次。


 ミニバックホー。


「これは掘る機械」


「ツチノコじゃ」


「愛称な」


「ガラン大使から王都への報告書にあった機械ですね。これで土を?」


「側溝。基礎。穴。掘削全般」


 バケットを指す。


「この先を交換して別作業にも使える」


「一人で?」


「一人で動かせる」


「……」


 また黙った。


「これも魔力は?」


「使わない」


「魔石も?」


「使わない」


「何で動くんです?」


「燃料を燃やして動かす」


「燃料が切れると?」


「止まる」


「壊れたら?」


「修理」


「部品がなかったら?」


「動かせない」


 バーモントがそこで初めて、商人ではなく考える顔になった。


「つまり」


「うん」


「この機械だけを王国へ持っていっても、完全には使えない」


「そういうこと」


「燃料。整備。交換部品。操作する人間」


「全部いる」


「技術一式ですね」


「道具だけあっても駄目」


 バーモントはしばらく機械を見た。


「……面白い」


「商売?」


「それもあります」


「それ以外は?」


「国としてです」


 声が少し低くなる。


「神務院がこれを見たら、兵器だと思うでしょう」


「兵器じゃないぞ」


「分かっています」


「道路を作る道具だ」


「ですが、彼らから見れば」


 ブルドーザーを見る。


「魔力を使わず、巨大な鉄の塊が一人の操作で土を押し、道を作る」


「そう見えるか」


「軍事利用できるかどうかを考える人間は必ずいます」


「……それはそうだな」


「だから余計に、技術の扱いは慎重にした方がいいでしょう」


 俺は頷いた。バーモントは、やっぱり商人だけじゃない。


     ◇


 そのまま厩舎へ向かう。現場では、すでに馬房の腰壁作業が始まっていた。


「おっちゃん!」


 ユキが規制線の外から手を振る。


「どう?」


「かんとくしてる」


「現場は?」


「だいじょうぶ」


 ドラン、ボルガ、ニナも溶接練習を終えて合流している。ニナは地上で材料寸法を確認。グレゴールとエリオットが木製腰壁を組む。ミネットも地上で作業している。


「高いところが恋しいにゃ」


「昨日言っただろ」


「分かってるにゃ」


 バーモントが厩舎を見回す。


「これが二十頭以上?」


「そう」


「近衛騎士団の馬も含めて」


「含めてる」


「本当に作ったんですね」


「まだ途中」


「屋根だけでも十分大きいです」


「馬房、扉、給水、照明まで終わって完成」


 ユキが言う。


「まだ、できてない」


「そういうこと」


「完成の基準が厳しいですね」


「普通だろ」


 バーモントは笑った。


「湖畔では、それが普通なんでしょうね」


     ◇


 午前中は全く驚きの連続だった。午後。ヒカル殿と工事事務所に移動する。商人バーモントではなく、《密偵バード》としての時間が始まる。


 机の上には王への報告書。シオンと神務院。赤眼の密偵オルガ。銀環。奴隷供給。術式試験。しらゆき。宗一郎。白狐の里自治区。始マリノ祠。ガルム。湖畔交易。報告項目は多い。


「これ、使って」


 ヒカル殿が机へ何か置いた。


「何です?」


「ノートとボールペン」


「……ノート?」


 薄い冊子。紙が均一で罫線まで全部同じ。それを開いてみると。


「紙が……」


「どう?」


「薄い」


「書ける?」


「もちろん」


 今度はペン。


「これは?」


「ボールペン」


「インク壺は?」


「いらない」


「……」


「また止まった」


「どうやってインクを?」


「中に入ってる」


「先端から?」


「そう」


 試しに線を引いてみた。


「……」


 もう一度。するすると書ける。


「乾かす必要は?」


「ほぼない」


「羽根を削る必要は?」


「ない」


「インクを付け直す?」


「ない」


「売り――」


「言うと思った」


 ヒカル殿が笑った。


「これ、商人だけじゃなく役人が欲しがります」


「だろうな」


「軍も」


「たぶん」


「学校も」


「そうだろうな」


「筆記具の市場壊れますね」


「だから昨日の話になる」


「少量から」


「そう」


 私はボールペンを見つめた。重機より小さいが、社会へ与える影響はむしろこちらの方が広いかもしれない。兵士や役人。商人や教師。職人。誰でも使う。


「これは、かなり慎重に扱った方がいいと思います」


「同感だな」


 ノートとボールペンを手元へ置く。


「もらっていいんですか?」


「報告書作る間だけじゃなく、そのまま使っていいよ」


「……本当に?」


「消耗品だから」


「湖畔の『消耗品』は怖いですね」


     ◇


 私は、報告書の最後へ新しい項目を作った。表題は《白狐神の湖畔・現地所感》


 ペンを少し止める。何と書くべきか。神務院側が掴んでいる情報では、この場所は奇妙な土地だった。異界人に逃亡奴隷。白狐神と空飛ぶ神使。侵入を拒む結界。文字だけを読めば、正体不明の危険な勢力にすら見える。


 だが実際に歩き見て回るとまるで違う。朝。赤毛のドワーフ少女が三輪自転車でランタンを回収し、食堂では、皆が一緒に朝食を食べ、生卵を白飯へかけていた。職人は仕事へ向かい、警備担当は巡回へ出る。


 白狐神は青い線の入った白いヘルメットを被り、厩舎工事を監督している。守護神使は、妙な肩書きを増やしている。異界人は、仕事を一人で抱え込まず、職人へ仕事を渡している。


 祠があり、そこから結界が広がっている。しかし、結界の内側にあるのは軍事施設ではない。普通の暮らしがある居住地だ。私は書いた。


『湖畔は、現時点において軍事拠点として形成された共同体ではない。』


 次。


『防衛能力は高い。特に白狐神および守護神使による結界、元高位ハンター、異界由来の技術は、外部勢力から見れば大きな脅威となり得る。』


 少し考える。


『しかし、これらの大半は生活・建設・医療・農業・安全確保を目的として運用されている。』


 さらに。


『異界技術の価値は、個々の物品だけで評価すべきではない。重機には燃料・整備・部品・教育が必要であり、生食用卵には衛生管理と流通が必要である。単純な模倣・輸入は危険。』


 ここで少し笑う。朝の卵かけご飯が、王への報告書に入った。だが重要だ。技術とは物ではない。使い方。維持。管理。人。全部込みだ。


 さらに書く。


『ヒカル殿は、自身がすべてを行うことを避け、現地職人・湖畔住民へ役割を分担し始めている。異界技術が一個人の能力に留まらず、湖畔内部で部分的に共有されつつある。』


 これは密偵として重要な評価だ。そして最後。少し迷ったが書いた。


『白狐神ユキ様は、やはり人々が想像するような祭壇上の神ではない。』


 ペンが止まり、昨日の言葉を思い出す。


「ここ、おうち」


 今日の姿は、白いヘルメットで厩舎を見ていた、小さな白狐神。また書く。


『現在の白狐神は、この湖畔で人々と食事をし、働く者を見守り、子供として笑い、同時に自らの群れを守ろうとしている。』


 そして。


『王国が友好を望むならば、白狐神だけを見るべきではない。この湖畔で暮らす人々と、その生活全体を相手として考える必要がある。』


 バードはペンを置いた。


「……こんなところですかね」


 工事事務所の窓の外を見ると遠くに厩舎。その向こうには湖。白いヘルメットの小さな白狐神が、まだ規制線の外から現場を見ている。


 横には白い毛玉が浮かんでいる。そして、ヒカル殿が職人たちと何か話していた。


 神と守護者。そして守護神使。

 肩書きだけ見れば、とても遠い存在に思える。実際に来てみれば、朝は卵かけご飯を食べ、昼は工事をし、夜になれば、同じ食堂へ帰る。


「……なるほど」


 バードは小さく呟いた。王が、なぜこの湖畔を領地にしようとしないのか、少し分かった気がした。


 ここは、誰かが所有するための場所ではない。すでにここで暮らしている者たちの家なのだ。


続く


⸻


【収支報告】


異世界生活85日目

日付:六の月14日

オリエント王国歴952年


開始残高:3,127,873pt

円換算目安:約312,787,300円相当


今回の購入:


・なし 0pt


※バーモント用寝具、歯ブラシ・歯磨き粉等は既存在庫品を使用。

※朝食用の生食対応卵、米、醤油等も既存在庫を使用。

※ノート、ボールペンは文具類の既存在庫からバーモントへ提供。

※厩舎工事、アーク溶接練習、重機等は既存資材・設備を使用。


今回支出合計:0pt


現在残高:3,127,873pt


円換算目安:3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当


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