第110話 白狐神、夏祭りを約束する
その夜、俺は夢を見た。最近の夢は、妙に具体的だ。夢だと分かっているのに、匂いがする。音が聞こえる。風の温度まで感じる。
そして今回、最初に聞こえてきたのは――。ドン、ドドン。腹の底へ響く太鼓の音だった。
「……祭り?」
気がつくと、俺は石畳の上に立っていた。空はもう暗い。なのに周囲は明るかった。頭上には提灯が何列も並び、参道の両側には屋台がずらりと続いている。
焼きそば。たこ焼き。お好み焼き。焼きとうもろこし。フランクフルト。綿あめ。かき氷。金魚すくい。射的。ヨーヨー釣り。そして、どこからか聞こえてくる笛と太鼓。
「懐かしいな……」
俺は自分の格好を見下ろした。
「って、浴衣?」
紺色の浴衣に帯。足元は雪駄。いつ着替えたんだ?夢だから考えても仕方ないが。
「おっちゃん!」
聞き慣れた声に振り返る。そこにいたのは――。
「おお……」
ユキだった。白地に赤い金魚と小さな花模様の浴衣。帯は赤。いつもの白髪はそのままだが、耳の横に赤い花飾りまで付いている。
もちろん頭には白い狐耳。後ろからは大きな白い尻尾。本人は自分の浴衣を何度も見下ろしていた。
「おっちゃん」
「何だ?」
「ユキ、これ、なに?」
「浴衣だ」
「ゆかた?」
「日本の夏に着る服だな。祭りとかでよく着る」
ユキが両腕を広げた。
「ユキ、きれい?」
「ああ、綺麗だぞ」
俺が即答すると、黒い瞳の金色の光彩が、提灯の光を反射する。
「もっと」
「大変、可愛いです」
「よし、えへへ」
尻尾が大きく揺れた。いつものユキだ。ユキは、それから俺を上から下まで見る。
「おっちゃんも、ゆかた」
「ああ」
「きれい?」
「俺に綺麗は違うだろ」
「じゃあ……」
少し考える。
「おっちゃん」
「結局そこかよ」
「おっちゃんは、おっちゃん」
「はいはい」
俺が笑った、その時。
「ほほほほほ!」
聞き覚えのある笑い声がした。嫌な予感がする。
「二人とも、似合っておるではないか!」
振り返った。
「……えーと、どちら様?」
「何じゃと!」
そこには一人の少女が立っていた。十代後半くらいだろうか。長い黒髪のツインテールに、紺地に白い朝顔模様の浴衣。帯は淡い水色。見た目だけなら、夏祭りに来た普通の少女だ。
狐耳も尻尾もないが、腰に手を当てて胸を張る姿。そして、その喋り方。
「こびゃっこ?」
「びゃっこじゃ!」
「やっぱりか」
「何故、一瞬分からなかったのじゃ!」
「普段が手のひらサイズだからだよ」
俺は思い出した。この姿。以前、夢で見た原宿の少女だ。こびゃっこが日本で生活していた頃、変幻していた姿。
「耳と尻尾は?」
「消しておる」
こびゃっこが自分の頭を指した。
「当時の日本で狐耳と尻尾を出して歩けば、さすがに目立つからの。髪も黒髪じゃ」
「令和ならコスプレ扱いされるかもしれないけどな」
「時代が違うのじゃ」
ユキがこびゃっこの周りを回る。
「こびゃっこ、おおきい」
「ふふん」
「でも、こびゃっこ」
「当然じゃ」
ユキが鼻を近づけた。
「におい、おなじ」
「やっぱり匂いか!」
◇
「ここ、どこ?」
ユキが辺りを見回した。
「笠間じゃ」
こびゃっこが答えた。
「びゃっこが巫女をしておった神社の夏祭りじゃな」
「笠間……」
俺も参道の先を見る。大勢の参拝客。その向こうには、灯りに照らされた社殿。さらに振り返れば――。
「とりい!」
ユキが叫んだ。
「ああ」
「おっきい!」
立派な鳥居が夜空を背負って立っている。ユキは口を開けたまま見上げた。
「おっちゃん!」
「いるよ」
「とりい、おっきい!」
「二回言ったな」
「こはんのより、おっきい!」
「そりゃそうだ」
夢の再現だから、実際の時代や祭りの細部がどこまで正確なのかは分からない。でも、こびゃっこの記憶が元になっているのだろう。
境内には人、人、人。浴衣姿の家族。手を繋いだ子供に友達同士の学生。そして年配の夫婦。屋台からは湯気が立ち、ソースの焦げる匂いが漂ってくる。ユキの鼻が動いた。
「……にく」
「神社より先にそっちか」
「にく、いる」
「いるな」
「あっち」
指した先は焼き鳥。
「その隣も」
フランクフルト。
「向こう」
お好み焼き。
「高性能の肉探知機かよ」
こびゃっこが胸を張った。
「祭りとは食文化の総合展示会でもあるからの。びゃっこが案内進ぜよう」
「それ、屋台へ行きたいだけだろ」
「何を言う。びゃっこは元巫女として、祭礼文化を――」
グウウウ。こびゃっこの腹が鳴った。
「……」
「……」
「まずは屋台文化からじゃ」
「正直でよろしい」
◇
夢なのに、何故か金を持っていた。俺はユキへ小さな焼き鳥を一本渡す。
「熱いから気をつけろ」
「うん」
ふう、ふう。冷ましてから一口。
「タレのあじ!うんみゃあ!」
「良かったな」
「おまつり、えらい」
「評価が早い」
こびゃっこは焼きそば。
「これじゃ! この香りじゃ!」
「この前、湖畔で食っただろ」
「場所が違えば味も違う!」
「夢だけどな」
「細かいことを言うでない!」
ユキは次々と目に入るものへ反応した。
「おっちゃん、あれ!」
「綿あめ」
「くも?」
「砂糖」
「くも、たべる?」
「雲じゃない」
「あれ!」
「金魚すくい」
「おさかな、つかまえる?」
「紙の道具ですくう」
「たべる?」
「食べない」
「あれ!」
「射的」
「おっちゃんとおなじ、らいふる?」
「祭り用のやつな」
「あれ!」
「かき氷」
「こおり?」
「甘いシロップを掛ける」
「たべる!」
「はいはい」
赤いイチゴ味のかき氷を渡す。ユキは一口食べた。
「つめたっ!」
「そりゃ氷だからな」
でも、すぐ二口目。
「つめたい。あまい」
「ゆっくり食えよ」
「うん」
三口目。急に額を押さえた。
「おっちゃん……」
「どうした?」
「ここ、いたい」
「だからゆっくり食えって」
夢なのに、リアルすぎるだろ。
「こおり、こうげきした」
「違う」
こびゃっこが笑う。
「それも夏祭りの醍醐味じゃ!」
◇
境内の一角には舞台があった。舞台上では太鼓や笛の演奏や踊り。地元の人たちによる演目が次々と続いている。ユキは最前列近くで、じっと見ていた。
「いっぱい、ひと」
「ああ」
「みんな、たのしい?」
「そうだな」
「おまつり、だから?」
「それもある」
俺は周囲を見る。神社の祭り。神様へ感謝し、人が集まり、食べ、笑い、踊る。詳しく説明することもできる。でもユキには、もっと単純でいい気がした。
「みんなで同じ日に集まって、楽しいことをするんだ」
「むれ?」
「ここまで多いと群れっていうか町だけどな」
「おっきい、むれ」
「まあ、それでもいいか」
すると、近くを歩いていた女性がユキを見た。
「あら、可愛い」
ユキが振り向く。
「狐さん?」
「うん、しろきつね」
「すごい。尻尾もふわふわ」
夢だからなのか。白狐耳も大きな尻尾も、誰も本物とは思っていないようだ。今度は子供が寄ってくる。
「きつね!」
「しろい!」
「かわいい!」
ユキが俺の浴衣を掴んだ。
「おっちゃん」
「大丈夫」
「ユキ、みんな、みる?」
「そうみたいだな」
以前の原宿の夢でも似たようなことがあった。
「ユキ、なにもしてない」
「何もしなくても目立つんだよ」
「おっちゃんは?」
「俺は目立たなくていい」
こびゃっこが腕を組む。
「ヒカルよ」
「何だ」
「白狐神と守護者が夏祭りへ現れる。絵になるのう」
「お前も神使だろ」
「今のびゃっこは美少女巫女枠じゃ」
「巫女服じゃなく浴衣だけどな」
「お主、夢の中でも細かいのう!」
◇
やがて祭りの終わりが近づいた。提灯の向こうには大きな鳥居。そしてその先に夜空が広がる。ユキは俺の手を握っていた。
「おっちゃん」
「ん?」
「ユキ、これ、すき」
「祭り?」
「うん」
「そうか」
「みんな、ゆかた」
「ああ」
「ごはん、いっぱい」
「そこ重要なんだな」
「とりい、おっきい」
「ああ」
「たいこ、どんどん」
「そうだな」
「みんな、わらう」
俺はユキを見る。
「そうだな」
ユキがもう一度、境内を見渡した。
「こはんでも、する?」
「え?」
「おまつり」
視界が白くなり、そこで夢が終わった。
◇
「おっちゃん」
「……ん」
「おっちゃん」
「……あと五分」
「ゆかた」
「……何?」
「ユキ、ゆかた、きる」
その一言で目を開けた。目の前にユキの顔。
「近い」
「ゆかた」
「夢の話?」
「うん」
やはり同じ夢を見ていたらしい。籐カゴの方を見ると……。
「……むにゃ……祭礼実行委員長は……びゃっこ……」
「お前もか」
「びゃっこの焼きそば二人前……予算計上……」
「どこの国会議員だ。寝言で不正予算を組むな」
ユキが俺の胸へ乗り出す。
「おっちゃん」
「分かった分かった」
「ゆかた」
「浴衣は用意できると思う」
関連ショップを探せばあるだろう。ユキの顔が明るくなる。
「おまつりは?」
「そっちもか」
「こはんで」
「……」
夏祭り。そういえば以前、焼きそばを作った時にも、こびゃっこが似たような話をしていた。
その時は保留にした。でも今は、人も増えた。職人たちや《蒼岩の盾》。近衛騎士団と特使一行も来る。湖畔は以前よりずっと賑やかになるだろう。
「本物の神社の祭礼みたいなのは無理だぞ」
「ちょっと?」
「ちょっとなら……」
「する?」
まずい。逃げ道がなくなった。
「夏までにな」
「やった!」
尻尾が布団を叩いた。バサッ!
「うおっ」
「おっちゃん、おまつり!」
「まだ企画段階!」
「ゆかた!」
「それもこれから!」
籐カゴから、目が覚めたらしいこびゃっこが勢いよく浮上した。
「こびゃっこ、ここに就任じゃ!」
「祭礼実行委員長なら却下」
「まだ何も言っておらぬ!」
「寝言で言ってた」
「何じゃと!?」
「焼きそば二人前も予算に入れてたぞ」
「それは必要経費じゃ!」
「個人の食費だ!不正予算も却下」
◇
つい、朝食の席で話したのが間違いだった。
「夏祭り?」
ミーシャが目を輝かせる。
「何するの?」
「まだ何も決まってない」
「焼きそば!」
「ミーシャも覚えていたか。それはほぼ確定してる」
マルタが即座に反応した。
「屋台料理は、厨房にある様な鉄板で客の前で焼くのかい?」
「そういうのもある」
「面白そうじゃないか」
「マルタまで乗るな」
「料理人が祭りの料理に乗らないでどうするんだい」
グレゴールも興味を示す。
「夜にやるのか?」
「日本だと夕方から夜の祭りも多い」
「照明なら今の湖畔でもできるな」
「まだ設備計画へ入るな」
ミネットが猫耳を動かす。
「浴衣って、どういう服にゃ?」
ユキが言う。
「きれいで、かわいいふく」
「なら着てみたいにゃ」
ナージャも頷く。
「私も興味ある!」
ニナが小さく手を上げた。
「浴衣、工具、つける?」
「何故工具?付けない」
「そう」
「残念そうな顔するな」
ユキが口を挟む。
「ニナ、ゆかた、きれいなふく」
ニナが止まった。
「……そう?」
「うん」
「じゃあ、着る」
「決断早いな」
こびゃっこは食卓の中央付近で前足を組んでいた。
「屋台、浴衣、盆踊り、提灯、花火……」
「おいおい」
「何じゃ」
「最後に危険物をさらっと混ぜるな」
「花火なくして夏祭りを語れるか!」
「できる!」
「玩具の花火でもよいぞ」
「それなら安全区域を作れば考える」
「ほほう!」
「まだ決定じゃない」
ユキが手を上げる。
「はなび、なに?」
「夜に火を使って光らせるもの」
「きれい?」
「まあ、きれいだ」
「はなび、する!」
「だから決定じゃない!」
いつの間にか夏祭りが、湖畔の正式なイベントみたいになっていた。
◇
朝食後は厩舎工事に入る。祭りの話は一旦置く。仕事は仕事だ。倉庫作業場での祠製作は、休みとした。
昨日までにポリカ波板はかなり張り進めてある。今日は残りを施工し、屋根を完成させる予定だ。
「まず昨日の固定部を確認する」
俺は作業前に全員へ伝えた。
「いきなり続きから張らない。浮き、割れ、固定不足がないか見る」
「了解にゃ」
ミネットが安全帯を確認する。高所作業の中心は今日もミネットで、グレゴールと俺がサポートしていく。ニナは地上で作業する。
「ニナ」
「うん」
「波板の枚数と金具の残数」
「もう数えた」
手元のメモを見せる。
「波板、足りる。予備もある。金具も足りる」
「さすが」
「仕事」
「そうだな」
ドランが横から覗く。
「ワシの出番は?」
「今日は地上で材料渡しと寸法確認をしてくれ」
「そうか」
「今日も屋根へ上がりたい?」
「いや」
「即答だな」
「屋根職人へ転職する必要はない。本職もいるしの」
「まあそうだな」
ユキは今日も規制区域外。青ライン入りヘルメットを被り、首から小型双眼鏡を下げ監督用椅子に座る。
「かんとくさま、じゅんび、よし」
「よろしく」
こびゃっこは三脚の横。
「撮影見習い、準備よし!」
「祭礼実行委員長は?」
「現在は撮影業務へ専念しておりますのじゃ」
「切り替えだけは早いな」
「職務分掌じゃ」
「難しい言葉を知ってるな」
◇
屋根へ上がる前に、俺も固定状態を確認した。波板の重ねや軒先の出。通りと固定位置。そして勾配。昨日施工した部分に大きな問題はない。
「よし。続けよう」
波板を一枚ずつ上げる。風が強くないことも確認済みだ。ポリカ波板は軽い。だからこそ高所で風を受けると危険になる。
「ミネット、無理に持たないでくれ」
「分かってるにゃ」
「風が出たら中止」
「はいにゃ」
波板を重ね、位置を合わせる。いきなり全部固定せず、まず基準を取る。ミネットが慣れた手つきで位置を合わせた。
「こっち、あと少しにゃ」
「三センチ」
地上のニナが言う。
「見えるのか?」
「印、つけた」
「ああ、昨日の基準か」
「うん」
職人とニナの連携も、ずいぶん自然になった。俺が全部指示しなくても進む。それでいい。
◇
昼前。最後の数列へ入った。
「あと二枚にゃ!」
ミネットの声が上から聞こえる。
「焦るなよ!」
「分かってるにゃ!」
「最後だからって急ぐな!」
「ヒカルは心配性にゃ!」
「事故るよりいい!」
最後から二枚目を固定。そして最後の一枚。位置を合わせ、重ね幅確認し軒先確認。ミネットが俺を見る。
「いいにゃ?」
「待って」
俺は地上から全体を見る。
「……よし」
「固定するにゃ!」
グレゴールがドリルビットを付けたインパクトドライバーで下穴を空けて、その後をミネットが、ボックスレンチを付けたインパクトドライバーで金具が締めていく。一か所、二か所、三か所。そして最後の金具を締める。
「終わったにゃ!」
ミネットが手を上げた。地上から拍手が起こる。
「まだだぞ!」
俺が止める。
「完成確認が先!」
「分かってるにゃ!」
笑い声が起きた。全員が降りてから、屋根全体を確認する。
通り。固定。波板の割れ。重ね。端部。雨仕舞。排水方向。屋根下からも光漏れや不自然な隙間を確認。グレゴールが腕を組んで見上げた。
「いいんじゃないか」
「俺もそう思う」
ミネットが胸を張る。
「屋根は屋根職人へ任せるにゃ」
「はい。参りました」
「素直でよろしいにゃ」
ドランが屋根を見上げる。
「これで雨が降っても作業しやすくなるな」
「ああ」
「馬房は明日からか?」
「その予定」
俺は図面を確認した。
「明日以降、馬房の間仕切りと壁。それから給水設備、照明。床側のゴムマットと敷料も進める」
「まだ仕事はあるのう」
「屋根が終わっただけだからな」
「じゃが、一区切りついたのう」
「ああ」
それは確かだ。
◇
「おっちゃん!」
ユキが規制線の向こうから呼んだ。
「おわった?」
「屋根はな」
「できた?」
「できた」
「みんなで?」
俺は一瞬だけ止まった。
「ああ」
笑って答える。
「みんなで作った」
ユキが満足そうに頷いた。
「なら、よし」
「監督検査は?」
ユキは双眼鏡を構える。
「する」
「歩きながら見るなよ」
「わかってる」
椅子に座ったまま屋根を見る。
「……」
「どうですか、監督様」
「ちゃいろ」
「そこ?」
「おおきい」
「うん」
「あめ、だいじょうぶ?」
「そのための屋根だ」
「なら、よし」
簡潔な検査だが、監督のお墨付きを貰った。こびゃっこが三脚のカメラを止める。
「撮影終了じゃ!」
「お疲れさん。主任復帰の方は……」
こびゃっこが期待した顔になる。
「まだな」
「何故じゃ!」
「お前から聞いてくる前に、俺から答えといた」
「ぬか喜びさせるでない!」
◇
昼食をとるため、食堂へ戻る途中。ユキが俺の手を握った。
「おっちゃん」
「ん?」
「おまつり」
「覚えてたか」
「わすれない」
「そうだろうな」
「ゆかた、みんな?」
「希望者はな」
「ニナも」
「着るって言ってたな」
「ミーシャも、トトも」
「たぶん」
「リリアも」
「似合いそうだな」
「マリベルも」
「ああ」
「ガランも」
「男物もある」
「ドランも?」
俺は浴衣姿のドランを想像した。
「似合いそうだけど、酒持ってそうだな」
「こびゃっこも」
「あいつは絶対着るな」
後ろから声が飛んできた。
「当然じゃ!」
「聞いてたのか」
「祭礼実行委員長として当然――」
「まだ任命してない」
「では祭礼企画主任!」
「それも」
「夏祭り文化監修!」
「……文化監修くらいなら」
「認めたな!」
「しまった」
こびゃっこが空中で一回転した。
「夏祭り文化監修こびゃっこ、ここに就任!」
「ただし勝手に買い物するなよ」
「予算は?」
「まだない」
「焼きそばは?」
「食事計画に入れる」
「日本酒は?」
「祭りと関係ないだろ」
「ある!」
「お前が飲みたいだけだ!」
ユキが笑った。
◇
俺は完成した厩舎の屋根を振り返った。茶色い波板が長く続いている。まだ壁もなく馬房もない。馬を入れるには、もう少し仕事が必要だ。それでも、昨日まで骨組みだった場所に、今日は屋根がある。
明日は壁と馬房。その先には給水や照明。一つずつ完成へ近づいていく。そして仕事が一つ終わったと思ったら、今度は夏祭りが増えた。
「……また仕事増えたな」
「おっちゃん」
「何だ?」
「ひとりで、する?」
俺はユキを見る。最近、何度も聞かれる質問だ。
「しない」
「だれと?」
「料理はマルタとリリア。屋台を作るならグレゴールたち。浴衣は……まずリリアに相談かな。安全関係はガランたちにも手伝ってもらう」
「こびゃっこは?」
「文化監修」
「びゃっこは総合祭礼文化監修主任じゃ!」
「増やすな!」
ユキが満足そうに頷いた。
「なら、よし」
夏は、まだ少し先だ。それまでには厩舎も完成しているだろう。《始マリノ祠》も進んでいる。畑では、これから別の野菜も収穫時期を迎える。
近衛騎士団やセレナたちも、湖畔での暮らしに慣れていくはずだ。
シオンのこともある。しらゆきたちのこともある。ニナの父親、ガルムのことも。全部が楽しい話じゃない。
だからこそ――。みんなで笑える日を、先の予定へ一つ入れておくのも悪くない。
「おっちゃん」
「ん?」
「おまつり、たのしみ」
「ああ」
「ゆかた、きれい?」
「まだ買ってないだろ」
「でも、きれい?」
「はいはい。綺麗な浴衣を用意する」
「やった!えへへ」
白い尻尾が嬉しそうに揺れる。湖畔の夏の予定表に、また一つ新しい項目が増えた。
――夏祭り。どうやら俺たちの群れは、馬の家だけじゃなく、思い出まで自分たちで作ることになりそうだ。
続く
⸻
【収支報告】
異世界生活84日目
日付:六の月13日
オリエント王国歴952年
開始残高:3,127,873pt
円換算目安:3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当
今回の購入:
・なし
0pt
※厩舎用ポリカ波板、鉄下地用波板取付ビス、施工工具は在庫品を使用。
今回支出合計:0pt
現在残高:3,127,873pt
円換算目安:3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当




