↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
107/141

第107話 白狐神ともう一人の段取り男


 レイシス皇国、奴隷管理局収容施設。


 その地下にある神務院専用区画で、ロイドは息を殺していた。変幻した姿は、黒髪の人族女性。壁際の柱と柱の間、魔石灯の光が届きにくい位置へ身体を寄せている。


 少し先には、シオンが収容されている部屋。さらに廊下の向こうから、神官兵たちの足音と共に、話し声が近づいていた。


「湖畔の調査隊については?」


「奴隷供給が揃い次第、術式試験へ移るそうです」


「足りていないのか」


「適正魔力を持った人間が、まだ足りないようです」


 ロイドは動かない。


 必要な情報は、かなり集まった。

 シオンの所在地。

 銀色の環。

 奴隷供給。

 術式試験。

 湖畔調査隊。


 本来なら、ここで引くべきだ。密偵は、情報を多く集めた者ではなく、生きて持ち帰った者が勝つ。


 だが、その時だった。


「それにしても、オルガの報告が本当なら厄介ですね」


 神官兵の一人が言った。ロイドの意識が、その名へ集中する。オルガ?聞き覚えはない。


「逃亡奴隷どもが、あの湖畔にいるという話か」


「はい」


 ロイドの目がわずかに細くなる。


「ドワーフの子供、猫族の姉弟、それにエルフも確認したそうです」


「異界人もいたのだろう?」


「例のサコン・ヒカルと思われる人族男性も」


 ――なるほど。ロイドは頭の中で情報を組み替えた。神務院は、ただ白狐神が湖畔にいるかもしれないと疑っているだけではない。


 すでに現地を見ている。しかも、砦から逃げた子供たちまで確認されている。


「白狐神らしき幼女も見たとか」


「狐耳は確認できなかったらしいが、白髪と白い尾、それに空を飛ぶ小さな白狐」


「守護神使か?」


「司祭たちはそう見ている」


 これはまずい。ロイドの中で、任務の優先順位が変わった。シオンの居場所を確かめ、神務院の準備状況を探る。そこまでは情報収集だった。


 だが湖畔がすでに監視されているとなれば、これは警告案件だ。ガラン大使と守護者ヒカルへ、できるだけ早く知らせる必要がある。


「結界を越えられなかったと聞いたが」


「ああ。拠点まで百メートルほど近づいたところで拒まれたらしい」


「そんな結界が?」


「魔力隠蔽をしても駄目だったそうだ」


 ロイドは心の中で苦笑した。白狐神。初代王の記録にある存在の力が、どうやら本当に戻っている。そして、その結界は神務院の密偵すら通さない。王国側から見れば朗報だが、相手にその存在を知られたこと自体は、まったく朗報ではない。


「オルガ本人から聞いたのか?」


「いや。司祭補佐からだ」


「彼女は今どこに?」


「この施設にいるはずだ」


 不意にロイドの眉が動いた。近い、危険な匂いがする。その直後だった。廊下の空気が、わずかに変わった。


 魔力そのものではない。視線に似たものが、こちらを探している。ロイドは反射的に魔力循環をさらに落としたが遅かった。


「……誰かいるの?」


 女の声がして、足音が止まった。神官兵が振り返る。


「オルガ殿?」


「しっ!静かに」


 今度は別の足音が近づいてくる。ロイドは柱の影から、ほんの少しだけ覗いた。


 灰色がかった焦げ茶の髪を後ろで束ねた、人族の女。年齢は二十代半ばほど。左目に黒革の眼帯。――あれがオルガ。ロイドは顔を覚える。服装。歩幅。右手の位置。腰の短剣。呼吸。すべて頭へ入れる。だが、観察している場合ではない。


「何か感じたのか?」


 神官兵が尋ねる。


「……一瞬だけ」


 オルガは周囲を見る。


「魔力が動いた」


「巡回兵では?」


「違う」


 ロイドは内心で舌打ちした。かなり鋭い。通常の魔術師なら、今の自分を探知するのは難しい。変幻維持に必要な魔力まで抑えている。


 それでもオルガは感じた。魔力感知が異常に優れている。女は一歩ずつ近づいてくる。ロイドとの距離、十数メートル。


「誰かいるなら出なさい」


 当然、出ない。オルガの右目が廊下の暗がりをなぞる。さらに、左手が眼帯へ触れた。赤眼だ。先ほど聞いた言葉が頭へ浮かんだ。


 あれを使われたら何が起きる?精神干渉か、探知か、自白術か。分からない以上、視線を合わせるのは危険だ。


 ロイドは周囲を見る。右にシオンの個室。左は行き止まり。戻ればオルガの正面。上へ逃げる場所は――。あった。天井近くに、保守用の横梁。


 人一人が伏せられる程度の幅しかない。ロイドはオルガが一瞬、別方向へ視線を向けた瞬間、音もなく壁へ足を掛けた。


 手を伸ばし梁へ指を掛け、身体を引き上げる。その直後、オルガが振り向いた。


「そこ!」


 短剣が飛んだ。ロイドは身体を捻る。刃が衣服の裾をかすめ、壁へ突き刺さった。


 まずい。だが完全には見られていない。ロイドは梁の上を這うように進み、反対側の暗がりへ移る。


「侵入者!」


 神官兵が声を上げる。


「静かに!」


 オルガが即座に制した。


「逃げ道を塞ぐ。騒げば逆に逃げられる」


 頭も切れる。ロイドはますます嫌になった。こういう相手は、密偵として一番面倒だ。


 腕力だけの兵士なら撒ける。魔術だけの神官なら隙がある。だが、隠密を理解した相手は、自分ならどう動くかを考える。


 廊下の出口へ神官兵が回る。ロイドは天井梁の途中で身体を止めた。このまま正規出口へ行けば待ち伏せされる。ならば別方向。


 梁の先に小さな点検口がある。閉まっているが、金具は単純だ。ロイドは収納から細い工具を出し、留め具へ差し込む。


 カチ。小さな音がした。


「上!」


 オルガが気づく。


「ちっ」


 ロイドは点検口を押し上げ、そのまま中へ身体を滑り込ませた。


 狭い。埃臭い。配管と魔力導線のための保守空間らしい。すぐ後ろで点検口が開く音がした。


「追え!」


 まずいな。そう思いながら、ロイドは四つん這いになって進む。


「密偵は格好よく屋根を走るものだと思っていたんだけどね」


 小声で呟く。現実は埃まみれで狭い配管空間を這う。右側に縦穴があり、その下は倉庫らしい。ロイドは迷わず降りた。床へ着地する直前に身体を回し、音を殺す。


 木箱の影があり、薬品臭が漂う。奴隷用の拘束具らしい物品も並んでいる。見ている暇はない。裏口は見取り図にあった。搬入口側だ。


 ロイドは人族女性の姿を保ったまま、倉庫の作業員用外套を収納から取り出して羽織る。目の前の箱を一つ抱え、扉を開ける。


「何をしている!」


 警備兵がいた。ロイドは面倒そうな顔をした。


「上で侵入者だそうです。薬品箱を移せと言われました」


「誰に?」


「神官兵の――」


 そこで廊下の奥から叫び声。


「黒髪の女を探せ!」


 警備兵の目がこちらを見る。ロイドは箱を投げた。


「悪いね」


「なっ――」


 箱が相手の胸へ当たり、ロイドはその横を抜けつつ、警備兵の足を払う。すかさず、倒れた相手の顎へ軽く掌底を入れた。殺しはしない、気絶させるだけだ。そのまま搬入口を開ける。


 外まだ暗い夜。塀まで三十メートルほどを全力で走る。背後で警報用の鐘が鳴った。


「結局騒ぎになったか」


 塀際へ到達、助走して壁を蹴り上端へ手を掛ける。身体を引き上げたところで、背後から女の声。


「止まりなさい!」


 オルガだ。ロイドは振り返らない。だが、視界の端で彼女が眼帯へ手を掛けるのが見えた。赤い目を見るのは御免だ、そのまま塀の外へ飛び降り、着地して路地へ走り込む。


 最初の角を曲がった瞬間、変幻を解除。黒髪女性から、銀髪の人族商人バーモントへ戻る。


 外套を替え、歩調も変える。数秒後には、夜中に騒ぎを聞いて店から出てきた商人の顔をしていた。


 追ってきた神官兵たちが通り過ぎる。


「何かあったんですか?」


 ロイドが聞く。


「見ていないか! 黒髪の女だ!」


「黒髪? いえ」


「怪しい者を見たら知らせろ!」


「もちろんです」


 兵たちが走り去る。ロイドは商人らしく肩をすくめて呟く。


「夜中に物騒だなあ」


 そして反対方向へ歩き出した。今夜は十分だ。いや、十分すぎる。これ以上は欲張りになる。


     ◇


 ククレ商店へ戻った時には、夜明け前だった。裏口を二度、間を置いて一度叩く。しばらくして扉が少し開いた。


「遅い」


 ククレだった。


「ただいま」


「怪我は?」


「ないよ」


「……入れ」


 店内へ入る。ククレはロイドの服を見た。


「裾が切れてるぞ」


「ちょっと刃物が飛んできた」


「見るだけじゃなかったのか」


「見ただけだよ。向こうが投げてきた」


「屁理屈だ」


「商人だからね」


「密偵だろ」


「それは秘密」


「知っとるわ」


 二階の隠し部屋へ移動する。ロイドは椅子へ座ると、紙を広げた。


「シオン、いたよ」


「間違いないか」


「狐族、十二歳前後、銀の環。本人と見ていい」


「生きてる?」


「ああ」


 ククレはわずかに息を吐く。


「それから」


 ロイドは続けた。


「湖畔へ神務院の密偵が入っている」


「もう?」


「ひと月くらい前らしい」


「何を見たと?」


「砦から逃げた子供たち。異界人。白髪で白い尾の幼女。飛ぶ白狐」


 ククレの顔から眠気が消えた。


「白き神獣?」


「相手はそう疑っている」


「結界は?」


「密偵は越えられなかった」


「ならまだましか」


「いや」


 ロイドは首を振る。


「居場所を知られた時点で、かなり悪い」


「そうだな」


「調査隊も準備中。奴隷を集めている。術式試験という言葉も聞いた」


「……急ぐ話だな」


「ああ」


「王国へ戻るのか?」


「そのつもり」


 これは嘘ではない。正確には、王国へ戻る方向へ向かい、その途中から湖畔へ向かう。だがククレには、湖畔という目的地を伝えない方がいい。協力者が知る情報は、少ない方が安全だ。


「朝になったら出る」


「荷は?」


「商会の荷は置いていく」


「馬は?」


「一頭借りたい」


「一番速いのを出す」


「助かる」


「二週間で着くか?」


「馬車を引かないから、そのくらい」


 ククレはロイドをじっと見た。


「何?」


「いや」


「言いたいことがあるなら……」


「ない」


 明らかにある顔だった。


「本当に?」


「商人は相手が言わないことまで聞かん」


「昨日まで値段の理由を全部聞いてたけど」


「商売と密偵は別だ」


「なるほど」


 ククレはたぶん気づいている。おそらく湖畔へ行く事を。でも彼は聞かない。こういうところが信用できる理由の一つだった。


「取り敢えず寝ろ」


 ククレが言った。


「二時間でも寝た方がいい」


「そうするよ」


「それと」


「何?」


「馬、潰すなよ」


「分かってる」


「お前、自分より馬を酷使しそうだからな」


「失礼な、人も馬も使い方は荒くないよ」


「早く寝ろ、バーモント会頭」


「おやすみ、ククレ店主」


     ◇


 翌朝。ロイドは軽装で馬へ乗った。

商人用の大きな荷はない。収納には食料、水、替えの衣服、王から預かった二通の書簡。そしてシオンと神務院についての記録。


「戻ってこいよ」


 ククレが店先で言う。


「もちろん」


「次は香辛料、六分値引きな」


「旅立つ前に値切る?」


「約束は早い方がいい」


「三分では?」


「五分だ」


「じゃあ四分」


「よし。それで決まりだ」


「ちょっと、勝手に決めないでよ」


「早く行け」


 冷たい口調とは対照的な笑顔で見送るククレに、ロイドは笑った。


「じゃあ、また」


 馬を進め、交易都市を抜け、東へ向かう。目的地は、オリエント王都ではない、白狐神の湖畔だ。順調なら三日ほどで着く。


 ただし馬を潰さない様、途中で休ませ、水を与え、必要なら乗り換えも考える。急ぐことと、無茶をすることは違う。


「商売でも密偵でも、やっぱり段取りだよな。もうすっかり日常の一部だけど」


 誰かの口癖のような言葉を、ロイドは呟いた。


     ◇


 同じ日。異世界生活82日目。六の月11日。湖畔拠点の朝は、いつもの朝食から始まる。それを終えると、俺たちは《群れの鍛冶場》へ移動した。


「今日も一時間位やろう」


 俺が言う。


「分かっとる」


 ドラン。


「ああ。始めよう」


 ボルガ。


「うん」


 ニナ。


 三人とも防炎服を着ている。ニナは革エプロン。自動遮光面に手袋。足元も確認済み。ドランとボルガも同様の格好だ。


 発電機は屋外の所定位置。溶接機や消火器、遮光防火カーテンなど全部確認する。


「毎朝やってるが、省略しないでな」


「分かっとる」


「昨日も聞いたよ」


 ボルガが笑う。


「じゃあ質問。発電機を止める前に何する?」


 俺が聞く。


「溶接機の負荷を切るんだろ」


 ボルガ。


「ケーブル確認」


 ニナ。


「燃料コックと運転後点検じゃ」


 ドラン。


「よし。皆んな正解」


 だいぶ身についている。最初の頃は、アークを出すことだけで精一杯だった。今は準備、停止、片付けまで含めて一連の作業として考えている。


「今日はドランから」


「任せろ」


 ドランが遮光面を下ろす。火花を起こす……バチッ! 短いアークが安定して続く。まだプロの溶接工というわけではないが、最初の頃みたいに棒を盛大に固着させて、


「ぬおおお、取れん!」


 と叫ぶことは減った。


「長さ、一定になってきたな」


「鍛冶屋を舐めるでない」


「でもアーク溶接は初心者だろ」


「鍛冶屋としては初心者ではないぞ」


「まあ、そこは否定してない」


 次はボルガ。


「行くよ」


 バチッ! 短いビード。少し止めて、また進む。ボルガは金属の溶け方を見るのがうまい。鍛冶師だから当然だが、アーク距離と進行速度は、まだ意識して調整している。


「今のどう?」


「少し近い。でも昨日よりいい」


「分かった」


「次はニナ」


「うん」


 ニナは無通電で一度動きを確認する。姿勢と棒の角度。手首と距離を確認。それから通電する。


 バチッ! 短い仮付けをして止める。


「もう一回」


「一回だけな」


「分かった」


 二回目。バチッ!今度も成功。ニナは遮光面を上げた。


「まだできる」


「だから今日はここまで」


「うん」


 即答だった。そこが一番成長した部分かもしれない。最初なら、もう少しやりたいと顔に出ていた。今では、まだできる時に止める。明日もできるから。それを覚えた。


「ニナ、片付けまでな」


「分かった」


 溶接棒を戻し、ケーブルを確認。端材を分類して、作業台の火花やスラグを掃除する。


 俺は三人を見ながら考えた。


「ドラン」


「何じゃ?」


「あと二、三日、今と同じ内容で安定してできたら、朝練の責任者を任せたいんだが」


 ドランが止まった。


「ワシに?」


「ああ」


「ヒカルが毎回立ち会わんのか?」


「基本はな」


 ボルガもこちらを見る。


「次の段階へ進める時は俺が立ち会う。電流を上げるとか、練習材を変えるとか、新しい姿勢をやる時も」


「普段の反復はドランが見るってことかい?」


「そう」


「ニナは?」


「今までと同じ短時間。ドランかボルガ、どちらかの大人が必ず横につく」


「分かった」


 ニナは普通に頷いた。ドランは髭を撫でる。


「責任者か」


「酒が残ってたら即解任」


「そこを最初に言うか!」


「一番重要だから」


「前夜の酒量に気を付けないとね」


 マリベルの声がした。


「うおっ」


 振り返ると、鍛冶場の外に立っている。


「どこから出た!」


「人を魔物見たいに言わないでよ。」


「現れる頃合いが、良過ぎるじゃろ」


 マリベルがドランを見る。


「責任者になるなら、前夜の酒量も今まで以上に自分で管理しないと」


「分かっとる」


「本当に?」


「分かっとる!」


「二回言う人は少し怪しいわね」


「信用が薄い!」


 ボルガが笑う。


「酒に関しては仕方ないね」


「おぬしまで!」


 ニナが淡々と言った。


「責任者、酒くさいと、だめ」


「ニナまで敵に回った!」


「敵じゃない。安全」


「正論が一番痛い!」


 朝から元気だ。


     ◇


 鍛冶場の練習が終わる頃、警備組も出発準備をしていた。


 ロク、リーファ、オルフェン、ナージャはマウンテンバイク。


 ガラン、セルド、フィンは今日はバギー側へ回る。


 片方が森側の巡回。片方が湖岸をパトロールする。シフトに合わせ交代する体制だ。


「ナージャ、今日は決めた経路以上に走るなよ」


 ガランが言う。


「分かってますって」


「昨日もそう言って、帰ってきたら『もう一周行ける』って言っただろ」


「行けましたよ?」


「行けるかどうかじゃない」


「まだできる時に止める、ですね」


 そう言ってナージャが、通りかかったニナに聞く。


「最近これ、湖畔の流行語じゃない?」


「安全標語、だいじ」


 ニナが答える。


「そういうところ、あなた本当は何歳?」


「七歳」


「即答された」


 現場に向かうユキは、双眼鏡を首から下げながら手を振る。


「ガラン、いってらっしゃい」


「ああ。行ってくる」


「ころばないで」


「ああ。気をつける」


「ナージャも」


「はい、監督さま」


「セルド、ばぎーから、でない」


「ぐっ……了解です!!」


「こえ、おおきい」


「すみません!」


「また、おおきい」


 セルドは朝からセルドだった。


     ◇


 警備組が出たあと、厩舎現場では職人たちが資材を準備していた。


 単管パイプとクランプ。親綱に足場用の板。ポリカ波板に固定金具。今日も引き続き、屋根側骨組みを行う。


「グレゴール」


「何だ」


「午前中、昨日の続きを頼む。片流れ勾配を崩さず、残りの屋根骨組みを進めてくれ」


「ああ。分かった」


「ミネットは高所側な」


「待ってましたにゃ!」


「だから張り切りすぎるな」


「昨日も言われたにゃ」


「今日も言う」


「明日も?」


「必要なら言う」


「しつこい男は嫌われるにゃ」


「安全については嫌われても言う」


 ミネットが笑った。


「そういうのは嫌いじゃないにゃ」


「どっちだよ」


 ドランがラチェットを持つ。


「ワシは下と上を行ったり来たりじゃな」


「高所で転がるなよ」


「転がらん!」


「屋根で酒の話するな」


「まだ何も言っておらん!」


「先に封じた」


「横暴じゃ!」


 ニナは地上で単管の長さとクランプ数を確認している。


「ニナ」


「うん」


「下側の組み立てと材料確認。今日も頼むぞ」


「うん。分かった」


「俺は途中で抜けるから、分からなくなったら止めて……」


「グレゴールに聞く」


「うん。それでいい」


 ユキは今日も規制線外で、青ライン入りヘルメットを被り、無線を膝に乗せて監督椅子に座る。こびゃっこは三脚横でカメラ撮影をスタンバイ。


「本日も撮影任務開始じゃ!」


「手際良くなってきたな」


「もちろんなのじゃ。主任復帰も近いかの?」


「その質問で一段遠のいた」


「何でなのじゃ!」


 ユキがこびゃっこを見る。


「こびゃっこ、まだ、みならい」


「ユキまで言うのかえ……」


 白い毛玉がしょんぼりした。


     ◇


 作業開始。俺は最初の数本をグレゴールと確認しながら組む。昨日作った部分との通りや高さ。勾配と支持。仮締めから本締めまでを説明しながら行う。


「ここまで同じ要領だ」


 俺が言う。


「ああ」


「ただし最後の一列は波板幅との納まりを見るから、勝手に決めないで一度止めてくれ」


「了解」


「ミネット」


「はいにゃ」


「屋根側は親綱確認してな」


「確認済みにゃ」


「二丁掛けのフック、掛け替え時に片方残す」


「分かってるにゃ」


「昨日より説明短いだろ」


「ヒカルも少し成長したにゃ」


「俺が?」


「ヒカルが人へ任せる能力」


「そこかよ」


 グレゴールが笑った。


「確かに最初よりましだ」


「職人二人に評価されてる」


 ユキが安全区域から言う。


「おっちゃん、ひとり、してない」


「監督にも評価された」


「なら、よし」


 最近それが合格印になっている。


     ◇


 しばらく厩舎側を見たあと、俺はグレゴールへ声を掛けた。


「予定通り抜ける」


「祠か?」


「ああ。午前中は材料加工を始める」


「昼から俺も行く」


「頼む」


「エリオットにも言ってある」


「じゃあこっちは?」


「ドランを作業責任者にする」


 ドランが振り返る。


「おお?」


「午前の溶接責任者候補に続いて、今日は厩舎側の現場責任者」


「ワシ、急に偉くなりすぎではないか?」


「Sランクハンターの前衛で、鍛冶と石工もできる人間が何言ってる」


「ドワーフじゃ」


「そこじゃないが、こりゃ失礼」


「責任者になったから、今夜は祝杯――」


「なし」


「まだ言い終わってない!」


「言い終わる前に分かった」


「以心伝心じゃな」


「嫌な方向だけな」


     ◇


 俺は倉庫内の作業場へ移った。昨日仕上げた《始マリノ祠》の図面を作業台へ広げる。今日はまず材料出し。


 白木材、柱材、梁、屋根下地、床板と内部化粧材。固定金具と仮組み用の木工ネジ。収納から取り出し、種類ごとに並べる。


 購入品だからといって、全部完成寸法で出てくるわけではない。今回は職人たちと作るため、ある程度の規格材を選んでいる。


 まず木取り。どの材からどの部品を切り出すか。節、反りと木目。俺一人で決めるより、グレゴールが来てから重要部分は見てもらった方がいい。


 なので午前中は、寸法が確定している下地材と、仮組み用の部材から始める。


「墨付け」


 差し金とスケールを使い、切断位置を書く。卓上丸ノコの作業区域を確保して、集塵機を接続。保護メガネと耳栓をして、刃の状態を確認する。


「よし」


 切る。ウィーン! 一本、二本、三本。切断したら寸法確認して番号を書き、図面と対応させる。ちょっと前の俺なら、とにかく切って積んでいたかもしれないが今は違う。誰かへ仕事を渡すなら、部材番号と図面が対応している方がいい。


「A1。A2。B1……」


 そこへ、白い毛玉がふわりと入ってきた。


「ヒカル」


「撮影は?」


「ミネットの屋根作業を固定撮影へ切り替えてきたのじゃ。許可も取った」


「で?」


「祠の材料を見に来た」


「仕事中じゃないのか」


「歴史監修じゃ」


「今日は撮影見習いだろ」


「兼務!」


「増やすなよ。まあ良いけど」


 こびゃっこが作業台へ降り、図面を覗く。


「この柱材はよいの」


「分かるのか?」


「昔の祠を見ておったからの」


「木材の種類まで?」


「そこまでは知らぬ」


「今の発言、雰囲気だけかよ」


「太さじゃよ! 太さ!」


「本当か?」


「疑い深い男じゃ」


「お前、自称の役職が多すぎるからな」


 こびゃっこは前足を腰へ当てた。


「びゃっこは千年の実績がある」


「王城の落書きも実績に入ってそうだな」


「言うでない。それは黒歴史じゃ」


「歴史監修が歴史を選ぶな」


     ◇


 昼前。厩舎側へ一度戻ると、屋根骨組みは順調に進んでいた。


「おっちゃん!」


 ユキが手を振る。


「どう?」


「ドラン、ちゃんとしてる」


「本人に聞こえるぞ」


「聞こえておる!」


 ドランが上から叫ぶ。


「ちゃんとしてるならいいだろ」


「褒められているのに、なぜか納得できん!」


 ミネットは足場上で単管の通りを確認している。


「こっち、あと二列にゃ」


「予定通りだな」


「午後には波板へ入れるかもしれないにゃ」


「焦らなくていい。骨組み終わってから一回全体確認」


「分かってるにゃ」


 ニナが下から測定値を読む。


「高さ、こっち、予定どおり」


「記録した?」


「した」


「よし」


 ドランが胸を張る。


「どうじゃ。ワシが責任者でも問題なかろう」


「今のところ」


「今のところを付けるな!」


「昼飯で酒飲まなければ評価上げる」


「だから飲まん!」


「よし」


「子供扱いされとる気がする!」


 ボルガが笑った。


「確かに酒の時は手が掛かるね」


「おぬしまで!」


     ◇


 昼食。今日は簡単に、おにぎり、稲荷寿司、卵焼き、ソーセージ、朝の残りのコールスロー。それと味噌汁。


 ユキがおにぎりを持ちながら言う。


「おっちゃん、ほこら、きった?」


「材料を少しな」


「おうち、できた?」


「まだ木の棒だ」


「む」


「家も祠も最初は材料なんだよ」


「でも、ずめんは、おうち」


「図面の中ではな」


 こびゃっこが稲荷寿司を食べながら頷く。


「図面はあるべき未来の姿じゃ。人も斯くあるべきじゃのう」


「珍しく模範的なことを言ってる」


「びゃっこは常に模範となる様――」


「稲荷寿司あと何個食べる?」


「三個じゃ」


「食い過ぎだ。前言撤回」


「食欲と模範とは別じゃ!」


     ◇


 昼食後。俺は職人たちを集めた。


「午後の分担を変える」


 グレゴールとエリオットがこちらへ来る。


「予定通りだな」


「ああ」


「厩舎側は?」


「ドランは責任者。ミネットは屋根。ボルガ、カイル、レイル、バドルは必要なところへ」


 ドランが腕を組む。


「任された」


「波板まで入るなら、最初の一枚を合わせたところで一度呼んでくれ」


「分かった」


「勝手に全部貼るなよ」


「信用が薄いのう」


「ミネットが張り切りすぎる可能性もある」


「否定できん」


「聞こえてるにゃ!」


「ユキは?」


 本人が聞く。


「厩舎監督続行」


「うん」


「こびゃっこは?」


「午後は祠側の撮影じゃ!」


「台帳書いといてな」


「切り替え記入済みじゃ!」


「ならいい」


「これで主任――」


「それを言わなきゃ、考える」


「むぐ」


 口を前足で押さえた。


     ◇


 倉庫の作業場へ、俺、グレゴール、エリオットが入る。作業台には午前中に切った部材、図面と工具。グレゴールが材料を一本ずつ見る。


「なるほど」


「どう?」


「悪くない。ただ、この柱はこっちへ回そう」


「理由は?」


「木目」


 指差されて見る。


「見た目?」


「それもある。祠の正面に来るなら、こちらの方が素直だ」


「分かった」


 エリオットも内部材を見る。


「内側は、この木目を揃えたい」


「そこまで見る?」


「小さい建物ほど目につく」


「内装職人だな」


「そのために呼んだんだろ?」


「まあ、その通り」


 俺は笑った。グレゴールが腰道具から支給されたインパクトドライバーを取り出す。


「で」


「何だ」


「いよいよ仕事で使えるな」


「昨日から楽しみにしすぎだろ」


「大工だぞ。新しい道具を使いたいに決まってる」


「手回しドライバーもあるぞ」


「今さら戻す気か?」


「ない」


「ならいい」


「ただし仮組みだから締めすぎるなよ」


「分かってる」


「トルク強いから」


「分かってる」


「材料割るなよ」


「ヒカル」


「何だ」


「少し黙って、任せろ」


「はい」


 完全に親方へ怒られた。こびゃっこが三脚横で小声で言う。


「ヒカル、子離れならぬ職人離れの時じゃ」


「誰が子供だ」


「過保護親方」


「黙れ、撮影見習い」


「ぐぬぬ」


 グレゴールがインパクトを当てる。ギュイン。短く止める。


「……やっぱりいいな、これ」


「ほらな」


「速い」


「だろ」


「でも止める感覚は必要だな」


「そう。押しっぱなしだとネジ頭飛ばすし、木も痛める」


「道具が速い分、手が雑だと速く失敗する」


「それ」


 エリオットが笑う。


「ヒカルがいつも言ってるやつだな」


「機械は人を不要にしない」


「速く失敗できるだけだ」


「そこまで言ってないぞ」


「だいたい同じだ」


 三人で最初の枠材を組む。仮締めに対角測定。直角確認と修正。そして再固定。


「よし」


 グレゴールが枠を叩く。


「始まったな」


「ああ」


 まだ祠には見えない。ただの四角い木枠。それでも、昨日まで図面の中にしかなかった《始マリノ祠》が、初めて現実の形になった瞬間だった。


 こびゃっこのカメラが静かに回っている。


「ちゃんと撮れてる?」


「任せるのじゃ」


「信用回復中だからな」


「今日は大事な記録じゃ。ふざけぬ」


 こびゃっこの声は、珍しく落ち着いていた。四百年以上前、しらゆきと宗一郎と、あの湖畔の人々が祈った祠。その形を、今の湖畔で作り直す。


 まだ森へ置いてはいないし、まだ大木の前にも立っていない。でも、最初の一本は組まれた。


 その頃。湖畔の誰も知らないレイシス皇国を出た一人の銀狐族が、馬を東へ走らせている。


 シオンの居場所。神務院の動き。湖畔がすでに敵の密偵へ見つかっているという情報。そしてセイラム王から俺たちへ宛てた書簡を持って。


 彼が湖畔へ着くまで、あと三日ほど。群れの外から、新たな足音が近づいていた。


続く


⸻


【収支報告】


異世界生活82日目

日付:六の月11日

オリエント王国歴952年


開始残高:3,127,873pt


今回の購入


・なし 0pt


※《始マリノ祠》制作に使用した白木材、柱材、梁材、屋根下地材、床板、内部化粧材、固定金具、木工ネジ等は事前購入済みの在庫品を使用。

※卓上丸ノコ、集塵機、インパクトドライバー、差し金、スケール等も既購入工具のため、今回の支出には計上しない。


今回支出合計:0pt


現在残高


3,127,873pt − 0pt = 3,127,873pt


円換算目安


3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。