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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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103/141

第103話 白狐神と始まりの祠の段取り


 目を開けた瞬間、最初に見えたのは見慣れたユニットハウスの天井だった。


「……戻ったか」


 しばらく動かず、天井を見上げる。白木の小さな祠。朱色の鳥居。石碑に刻まれていた文字。【始マリノ祠】そして、しらゆきと宗一郎。夢にしては、あまりにも鮮明だった。


「……おっちゃん」


 右腕から声がした。見ると、いつもの場所にユキがいる。俺の右腕へ抱きつき、大きな白い尻尾を俺の腹から左脚へ斜めに載せていた。


「起きたか?」


「うん」


 ユキはまだ眠そうに目を擦った。


「しらゆき、いた」


 俺の眠気が一気に飛んだ。


「やっぱり覚えてる?」


「うん」


「宗一郎さんも?」


「いた」


「向こうの里は?」


「おうち、いっぱい」


「……同じだな」


 俺は身体を起こし、隣を見る。こびゃっこの籐カゴの夜城から、白い毛玉がモゾモゾしている。


「……父さん……湖畔は今日も――」


「起きろ」


「むにゃ?」


「今『父さん』って言ったぞ」


「い、言うておらぬ!」


「違う夢を見始めたな」


 こびゃっこが前足で顔を擦る。


「朝から何の騒ぎじゃ」


「夢だよ」


 その一言で、動きが止まった。


「……しらゆき」


「ああ」


「宗一郎もいた」


 こびゃっこは完全に目を覚ました。


「向こうの里は?」


「三万人」


「大学」


「魔道電化列車」


「水力発電」


「始マリノ祠の改修」


 俺とこびゃっこが交互に言う。ユキも手を上げた。


「しらゆき、しっぽ、ふわふわ」


「そこも一致だ」


 こびゃっこは籐カゴからふわりと浮かび、俺の布団へ降りた。


「三人とも同じ夢を見た」


「そういうことだな」


「ヒカル」


「何だ?」


「びゃっこは――」


 そこで言葉が止まった。いつもの軽口ではない。


「しらゆきに、本当に会えたのじゃな」


「ああ」


 俺はそう答えた。実際には夢だ。だが三人が、同じ場所で、同じ言葉を聞き、同じ出来事を覚えている。ただの夢とは考えにくい。ユキがこびゃっこの頭を撫でる。


「こびゃっこ、また、あえる」


「……うむ」


「こんど、ユキのおうち、みせる」


「そうじゃの」


「おうちカレーも」


「一番大事じゃ!」


「そこは即答なんだな」


     ◇


 今日は異世界生活80日目。

 六の月9日。


 長い夢から現実へ戻るには、とりあえず朝飯が一番だった。新厨房から味噌汁の匂いが流れてくる。食堂には、いつもの湖畔組に加え、職人たち、《蒼岩の盾》、マルタまで揃っていた。


「おっちゃん」


「何だ?」


「いっぱい、はなす?」


「ああ」


「ごはん、さき」


「それは俺も賛成」


 夢の報告で味噌汁を冷ます必要はない。朝食を済ませる。今日は湖畔で釣れた焼き魚、目玉焼き、味噌汁、白飯、漬物。


 こびゃっこが白飯を見て、珍しく一瞬黙った。


「どうした?」


「向こうでも、米を作っておると言うておったのう」


「ああ」


「420年経っても」


「残ったんだな」


「……うむ」


 こびゃっこは白飯を一口食べる。


「うんみゃいのじゃ」


「うんみゃあ」


 ユキが生まれる前に、こびゃっこが夢で教えた言葉が食堂に響く。朝飯が終わると、そのまま食堂を報告会場にした。


     ◇


「昨夜――正確には、今朝までになるのか分からないが、俺とユキとこびゃっこが同じ夢を見た」


 俺が切り出すと、皆の視線が集まった。ガランの表情がすぐに変わる。


「以前見たと言った、日本の夢と同じものか?」


「もっと明確だった」


「内容は?」


「しらゆきと宗一郎さんに会った」


 食堂が静かになった。ガランだけでなく、ドランも、リーファも、マリベルも言葉を失う。


「……先代白狐神に?」


 アルノが小さく確認する。


「ああ」


「宗一郎殿も?」


「いた」


 こびゃっこが胸を張る。


「間違いない。びゃっこが保証する」


「こびゃっこ殿が?」


 グレゴールが聞く。


「しらゆきは、びゃっこの先代の主じゃ。宗一郎も長年一緒に暮らした。間違えるはずがない」


「それで……」


 ガランが前へ身を乗り出す。


「お二人は?」


「生きてる」


 それだけで、ガランが息を止めた。


「……生きている?」


「ああ」


「420年以上経った今も?」


「しらゆきは白狐神だからな。宗一郎さんも、しらゆきの加護と守護者としての繋がりの影響らしい。見た目は30代くらいだった」


 ドランが髭を撫でる。


「本当に……生きておったのか」


「それだけじゃない」


 俺は夢の中で聞いたことを順番に話した。


 こびゃっこが420年前に開いたポータルは、別の大陸や別の惑星ではなく、別次元へ繋がるものだったこと。俺の世界で言えば、パラレルワールドに近いこと。そして、その転移先には――。


「こことほぼ同じ湖があった」


「同じ?」


 カイルが反応した。


「地形もほぼ同じ。湖、小川、森。細部は違うらしいが、大きな地形は一致している」


「つまり」


 レイルが考え込む。


「場所は同じで、世界だけ違う?」


「そういうことらしい」


 こびゃっこが補足する。


「びゃっこが意図して、可能な限り似た座標を探したのじゃ。同じ地形なら、里を移した後も再建しやすいと思うた」


「だが安全かどうかは分からなかった?」


 ガランの問いに、こびゃっこは頷いた。


「分からなんだ」


 食堂の空気が少し重くなる。


「残れば、皆死ぬ可能性が高かった。ならば賭けるしかなかった」


 ガランは何も言わず、こびゃっこへ深く頭を下げた。


「何じゃ」


「王国の人間として、改めて礼を言わせてほしい」


「やめい」


「しかし――」


「びゃっこが守りたかったから守っただけじゃ」


 ガランは少し黙り、それから頭を上げた。


「分かった」


     ◇


「向こうの里はどうなっているの?」


 リーファが聞いた。


「発展してる」


「どの程度?」


「人口、およそ三万人だそうだ」


「さんまん!」


 ミーシャが目を丸くする。トトは指で何か数えようとして途中で諦めた。


「いっぱい!」


 ユキが代わりにまとめる。


「ああ。ものすごくいっぱいだ」


 俺は続けた。


「《白狐の里自治区》として存在してる。湖を挟んだ東西二国とも関係は良好。どちらも多種族国家で、奴隷制度はないそうだ」


 アルノの顔がわずかに緩んだ。


「それは……よかった」


「医学、農業、工業、土木なんかの交流も続けてる」


「420年前と同じことを?」


「基本はな。ただし技術水準がとんでもなく上がってる」


 俺は宗一郎の《開拓者の知識》について説明した。医学、農林水産、土木建築、工業、産業振興と軍事防衛。


 長い年月をかけて成長し、今では宗一郎の生きていた明治時代だけでなく、俺の時代に近い技術知識まで参照できる。


「ヒカルと似た能力か」


 ガランが言う。


「似てるけど、違う」


 俺は自分の収納を指す。


「俺はショップから完成品や材料を買える。でも宗一郎さんは知識があっても、実際に作る設備や材料を自分たちで準備しなきゃならない」


 グレゴールが頷く。


「知っているのと、作れるのは違う」


「そういうことだ」


「それで420年?」


「人を育てて、道具を作って、道具を作るための機械を作って……って積み上げたらしい」


 ボルガの目が光る。


「機械?」


「待て」


 ドランが言った。


「ワシも聞く」


「お前ら二人が前へ出るな」


「保証は切らん!」


「まだ何も買ってない!」


     ◇


 魔石と魔法陣を組み合わせた動力。小型水力発電。電気と魔道技術を組み合わせた生活用品。電話と電信。太陽光発電と魔力を併用する車。バス。トラック。そして魔道電化列車。


 俺がそこまで話すと、職人たちは完全に黙っていた。最初に口を開いたのはグレゴールだった。


「……何というか、想像もつかん」


 ミネットが尻尾を揺らす。


「魔力で走る車……見たいにゃ」


「私もだ」


 レイルが言う。


「水力発電というのも気になる」


 カイルも頷く。


「水路の落差を動力へ使うなら、今の湖畔でも検討はできそうだ」


「ちょっと待て」


 俺は手を上げた。


「今すぐ新しい工事は増やさない」


 全員が俺を見る。ユキがじっと俺を見る。


「何だ、その確認する目は」


「おっちゃん、また、いっぱい?」


「増やさない」


「ほんと?」


「まず今の厩舎。それと《始マリノ祠》」


「ふたつ?」


「そう。二つ」


 ユキは少し考えた。


「みんなでする?」


「ああ」


「なら、よし」


     ◇


「ガラン」


「何だ?」


「これは王国へ報告してほしい」


「もちろんだ」


「先代しらゆきと宗一郎さんが生存していること。転移した白狐の里が別次元で存続して、今では三万人規模まで発展していること」


「セイラム陛下へ、私から直接報告する」


 ガランの声は大使のものになっていた。


「ただし」


「今すぐじゃない?」


「ああ」


 ガランは職人宿のさらに向こう、近衛宿の方角を見る。


「近衛20人が到着するまでは、私は湖畔を離れない方がいい」


「俺もそう思う」


「到着後、レオンたちと湖畔の警備体制を調整する。《蒼岩の盾》との役割も整理する。そのあと王都へ向かう」


「頼む」


「今回の内容は、王国にとって非常に大きい」


 ガランは静かに言った。


「セイラム王は420年間、先代白狐神の里を救えなかったと思い続けてきた」


「ああ」


「前に王へ報告した時も、こびゃっこ殿が別世界へ逃がしたと分かっただけだった」


「行き先も、生きているかも分からなかった」


「それが今は分かる」


 ガランは少し笑った。


「陛下は、喜ぶだろう」


 ドランも頷く。


「泣くかもしれんのう」


「それと」


 俺は言った。


「しらゆき本人から昔の王の手紙の話も聞いた」


「何の?」


「『神使殿は時折、悪戯の程度が理解できない』」


 ガランが黙った。ドランも黙った。全員がこびゃっこを見る。


「何じゃ!」


「史料と本人証言が一致したな」


「420年前の苦情を今さら裏取りするでない!」


     ◇


「もう一つ」


 俺は職人たちを見る。


「工事の相談だ」


 グレゴールが腕を組む。


「来たな」


「今の厩舎工事と並行して、森の中に小さな祠を建てたい」


「昨日までの予定にはなかったな」


「ああ。だが元々、俺とユキがこの湖畔を拠点にすると決めた時から考えていた事なんだ」


 俺は夢で見た《始マリノ祠》について説明した。先代しらゆきが生まれた場所。そしてユキが生まれた場所。


「今ある湖畔の祠はどうするの?」


 ミーシャが聞いた。


「もちろん、そのまま残す」


「なくさない?」


「ああ」


 俺は湖畔祠の方角を見る。


「あれは、今の俺たちの群れの祠だ。ありがとうをする場所で、こびゃっこが目を覚ました場所でもある」


 ユキが頷く。


「こびゃっこの、べっどもある」


「重要なのそこか」


「重要じゃ!」


 本人が反応した。


「《始マリノ祠》は森の中。ユキが昔寝床にしていた大木のそばに、別に建てる」


 グレゴールが聞く。


「規模は?」


「夢で見た感じでは小さい。今の湖畔祠と同程度か、少し大きいくらい」


「構造は?」


「これから図面にする」


「分担は?」


 そこを聞かれるのが、今はありがたい。


「木工はグレゴール。屋根はミネット。石碑と石周りはバドル。金具はドランとボルガ。位置と基礎はカイル、レイルにも見てほしい」


「お前は?」


「基本設計と配置。それと全体調整」


「よし」


 グレゴールが即答した。


「受ける」


「厩舎もあるぞ」


「だから並行だろ?」


「ああ」


「人数はいる。工程を分ければいい」


 ミネットも頷く。


「祠の屋根、やってみたいにゃ」


 バドルは少しだけ考えてから言った。


「石碑の字はどうする?」


「こびゃっこが宗一郎さんの筆跡をなるべく再現する」


「なら、その字を石へ刻む」


「頼む」


「石は、人より長く覚える」


 いつものバドルらしい返事だった。ユキが俺を見る。


「おっちゃん」


「何だ?」


「みんなで、やる」


「ああ」


 ユキは満足した。


「なら、よし」


     ◇


 朝の報告を終え、俺たちは厩舎予定地へ移動した。ここ数日で工事は進んでいる。地盤と排水、大型鉄板床の施工に単管パイプによる骨組み。


 今日の中心は、昨日までに立てた柱と横架材の続きを組み、壁側の骨組みを仕上げていくことだ。


「今日も3番で運用する」


 俺は工事無線を確認する。


「高所側はグレゴール、ミネット、ボルガ中心。ニナは地上だけ。上へは登らない」


「分かった」


 ニナが黄色いヘルメットを押さえる。


「下、やる」


「頼む」


「記録も」


「ああ」


 ラチェットを腰へ差し、赤い三つ編みを揺らして作業場所へ向かう。ユキも青ライン入りヘルメットを被っている。


「かんとくさま、いく」


「規制線の外な」


「わかってる」


 こびゃっこは通常の工事記録用カメラを確認する。


「本日の撮影許可を申請するのじゃ」


「許可する。撮影を頼む」


「空撮は?」


「昼前に一回。全員作業停止してから」


「了解じゃ」


「勝手に飛ぶなよ」


「見習いは信用を積み重ねるものじゃ」


「よく分かってるじゃないか」


「主任復帰の日は近い」


「そこはまだ審査中」


「む」


     ◇


 単管骨組みは、既に大枠が見えていた。長い壁面に沿って柱が並び、横方向へパイプが渡されている。


 グレゴールが昨日の図面を開く。


「今日はここからここまで」


「馬房側も?」


「下地まで進める」


 カイルが排水側を確認する。


「壁を閉じる前に水の流れだけ、もう一度見る」


「頼む」


 厩舎は屋根だけ付ければいいわけではない。なんせ馬は20頭以上いる。雨や糞尿、洗浄と換気に馬の動線と人の動線。目立たないところほど、後で効く。


 ニナは地上部分の横架材をボルガと合わせていた。


「ここ?」


「そこだ。端を合わせろ」


「うん」


 クランプを当てラチェットを掛ける。カチ、カチ、カチ。


「締めすぎるな」


 ボルガが言う。


「分かってる」


 ニナは一度止め、クランプを手で確認した。


「動かない」


「よし」


 横ではグレゴールとミネットが上側を進めている。


「ミネット、固定先確認」


「できてるにゃ」


「安全帯」


「二重確認したにゃ」


「よし」


 俺は少し離れて全体を見る。誰も俺を待っていない、それでいい、むしろ、それがいい。


「おっちゃん」


 ユキが無線ではなく、近くから呼ぶ。


「何だ?」


「みんな、してる」


「ああ」


「おっちゃん、みてる」


「俺も仕事してるぞ」


「でも、ひとりじゃない」


「そうだな」


 俺は少し笑った。


     ◇


 午前10時前。骨組みが順調に進んでいるのを確認して、俺はグレゴールへ声を掛けた。


「一時間くらい事務所へ行く」


「祠の図面か?」


「ああ」


「こっちは進めておく」


「変更が必要なら止めて無線で報告してくれ」


「分かってる。勝手に図面を変えたりはしない」


「頼む」


 以前の俺なら、たぶん現場を離れなかった。全部見て、全部指示して、そのあと夜に図面を書いた。そして寝不足になる。


 今は違う。作業図面があって、グレゴールがいる。カイルもレイルもいる。ドランもボルガもいる。俺がいなくても、既に決まっている工程は進む。


「おっちゃん」


「何だ?」


「どこ?」


「事務所で図面」


「ひとり?」


「図面は一人で書く」


 ユキが少し考える。


「あとで、みんなにみせる?」


「ああ」


「なら、よし」


「判定細かいな」


     ◇


 工事事務所で俺はノートPCを開き、CADを起動した。


 まず、夢の中で見た《始マリノ祠》を思い出す。今の湖畔祠は、一メートル四方の小さな祠だ。今回も巨大な社殿は必要ない。あの場所は、人を集めるための神殿じゃない。始まりを残す場所だ。


「大木の根を傷めない」


 これが第一条件。基礎を深く掘らず、根の分布を確認する。必要なら独立基礎の位置をずらす。雨水を木の根元へ集中させずに、既存地盤の排水も変えすぎない。


 祠と鳥居。石碑。小さな参道。照明は最低限。夜も強く照らさない。


 俺は画面へ線を引いていく。夢の中で見た形そのままではない。でも、雰囲気は残したい。


 しらゆきが生まれた場所。ユキが生まれた場所。そして、別次元の同じ場所。


「……本当に繋がるのかね」


 独り言が出る。科学的には、まったく分からない。


 だが、湖畔の祠が完成し、ユキが参拝した時にこびゃっこが覚醒した。俺の鑑定では、ユキの能力にも、祠や鳥居などの拠り所がある場合、神気が安定すると表示されていた。


 偶然で片付けるには、材料が揃いすぎている。


「やる価値はある」


 ただし、期待はしすぎない。ポータルが開き、こちらにしらゆきたちが来て、向こうへ行ける保証は何もない。


 まずは祠を作る。それだけだ。


     ◇


 一時間ほどして現場へ戻ると、思わず足が止まった。


「……進んでるな」


 壁側の骨組みが、ほぼ出来上がっていた。規則正しく並ぶ単管。柱。横架材。補強。厩舎の外形が、はっきり分かる。


「おっちゃん!」


 ユキが双眼鏡を覗きながら手を振る。


「おかえり」


「ただいま」


「みんな、できた」


「そうみたいだな」


 こびゃっこが三脚の横で胸を張る。


「撮影も完璧じゃ」


「そうか。お疲れさん」


 ニナが赤ワゴンのそばでノートを書いていた。


「ニナ、どこまでやった?」


「下、12本」


「12?」


「クランプ、24」


「記録した?」


 ノートを見せてくる。時間と場所。使用部材とクランプ数。気付いた点等、短い字で、きちんと残っている。


「一回、ずれた」


「どうした?」


「外して、やりなおした」


「それでいい」


「ボルガ、みつけた」


「私は、大まかに見て不自然だと思っただけだよ」


 ボルガが横から言った。


「ニナが自分で水平器を当てて、場所を特定したんだ」


 ニナの三つ編みが、ほんの少し揺れた。


「……うん」


「よく見てたな」


「記録するから」


 写真では、締め直したことは残らない。でもニナの記録なら残る。


「そこも書いとけ」


「書いた」


「早いな」


     ◇


 昼前には、壁側の主要骨組みがほぼ完成した。ここで全員の作業を止める。


「空撮に入る。工具を置いて、安全位置へ移動してくれ」


 全員が離れたのを確認し、こびゃっこが専用小型4Kカメラを首から安全分離ストラップで下げた。


「こびゃっこ、これより空撮を開始するのじゃ!」


「高度10メートル以内で頼む」


「了解!」


「人の真上へ行くな」


「了解!」


「構造材へ近づきすぎるな」


「了解!」


「よし、行け」


「びゃっこ、行きます!」


 ふわり。白い毛玉が上昇する。


「連邦の白い毛玉ドローン、今日も発進したな」


「ヒカル。聞こえておるぞ!」


「あーすまん。耳がいいな!」


 職人たちが笑っている。ユキは双眼鏡を胸の前へ下げたまま、空のこびゃっこを見上げる。


「こびゃっこ、ちゃんと、してる」


「ああ」


「しゅにんは?」


「まだだな」


「まだ?」


「まだ」


「おっちゃん、きびしい」


「無断寝起き撮影の罪は重い」


     ◇


 夕方。予定していた作業を終え、工具を回収する。骨組みの壁部分は、ほぼ完成。明日は補強確認と、屋根側の準備へ進める。


 俺は今日作った《始マリノ祠》の基本図面をグレゴールたちへ見せた。


「ここが大木」


「根の調査が先だな」


 グレゴールが言う。


「ああ」


「この柱位置なら、多少ずらせる」


「現地を見て決めよう」


 バドルが石碑位置を見る。


「石材は現地で採るか?」


「まず確認。夢で見たものに近い石がなければ、ショップ材も候補」


「できれば、この土地の石を使いたい」


「俺もそう思う」


 こびゃっこが図面を覗き込む。


「形は近い」


「本当に?」


「うむ。少し軒が違う」


「どこ?」


「ここの出が、もう少し長かった」


「明日直す」


「歴史監修主任の出番じゃ」


「監修までは認める」


「主任は?」


「いらない」


「む」


     ◇


 夕食になると、新厨房からいつもと少し違う匂いが漂ってきた。


「今日はマルタが中心で作りました」


 リリアが言った。


「私がレシピをお伝えしました」


「何?」


「水鳥のクリームシチューです」


「クリームシチューか!」


 俺もちょっと嬉しくなった。湖周辺で獲った水鳥の肉を、一口大に切る。玉ねぎ。ニンジン。ジャガイモ。それをバターで炒め、小麦粉、牛乳、生クリームで白い煮込みにする。


 ただし。


「いつものレシピと少し違うのか?」


「分かったかい」


 マルタが大きな鍋をかき混ぜながら笑う。


「肉を先に煮込んだのか?」


「そうさ」


 水鳥の肉をそのまま入れるのではなく、マルタが得意な肉の煮込みのやり方を応用していた。


 臭みを抜き。香味野菜と一緒に先に火を通し。柔らかくしてからクリーム側へ合わせている。


「少し時間は掛かるけどね。この鳥は普通に煮るだけだと、胸の肉がちょっと締まるだろ?」


「そうなんだよ」


「なら、先に肉の方を作っちまえばいい」


「なるほど」


 一口食べる。


「……うまい」


「そうかい?」


「俺が作ったのより、肉が柔らかい」


 リリアも頷く。


「マルタさんの方法を入れた方が、このお肉には合いますね」


「レシピ、更新だな」


「ええ」


 マルタが笑う。


「こっちが教わるだけじゃ面白くないからね」


「それでいい」


 これが技術交流だ。俺の知っている料理をそのまま正解にする必要はない。宗一郎が言っていたことと同じだ。土地と、人に合わせる。


     ◇


「白い……」


 グレゴールがクリームシチューを見ている。


「白いのに肉の煮込みなのか」


「食べてみろ」


 一口。グレゴールの眉が上がった。


「……これは酒場で出ない味だな」


 マルタが胸を張る。


「王都へ持ち帰る候補がまた増えたよ」


「三か月で何品覚えるつもりなんだ?」


「覚えられるだけ」


「帰る頃、荷物がレシピ帳だけで一箱になりそうだな」


「望むところさ」


 ユキもスプーンを口へ運ぶ。


「うんみゃあ」


「どうだ?」


「いつもと、ちがう」


「そうだな」


「にく、やわらかい」


「マルタの工夫だ」


 ユキがマルタを見る。


「マルタ、えらい」


「白狐神様に褒められちまったよ」


「ユキはユキ」


「ああ、そうだったね」


「でも、マルタ、えらい」


「ありがとよ、ユキ」


     ◇


 副菜は、畑のトマトを使ったサラダ。赤く熟したトマトに葉野菜、チーズ。そしてナスのグラタン。


 先日の歓迎会でも出したが、今日はマルタが味付けを調整している。


「このトマト。そのままでも、サラダでも美味いにゃ」


 ミネットがトマトを食べる。


「来たばかりなのに、もう何回食べたか分からないにゃ」


「トマトとナスは今が続けて採れる時期だからな」


「次は何だ?」


 セルドが聞く。


「キャベツはもう収穫できるそうだ。もう少ししたらトウモロコシ」


「キャベツは丸い葉物だな。トウモロコシは背の高い奴だったか」


 ユキの耳が動く。


「とうもろこし!」


「前に試食で食べたよな。あの焼きもろこし」


「しょうゆあじ?」


「そうだ」


「おっちゃん!はやく、しゅうかく」


「明日、朝食後に畑を見るつもりだ。収穫はそれからだな」


「よやく」


「何を予約するんだ」


「やきとうもろこし」


「はいはい」


「む。はいは?」


「一回」


「よし」


     ◇


 そして問題は酒だった。今日も仕事を終えた成人組には、適量だけ出している。ビール、缶チューハイ。そして最近、妙に人気が出てきたハイボール。


「これがいい」


 俺と同じく、グレゴールがハイボールを持つ。


「食事に合う」


「俺はビールだな」


 レイルが言う。


「作業の後はこっち」


 ミネットは缶チューハイ。


「甘いのも悪くないにゃ」


 こびゃっこは当然のように日本酒を持っている。最近は冷酒を好んでいるようだ。


「お前だけ別枠だな」


「守護神使特権じゃ」


「そんな特権は決めてない」


「千年生きておる」


「年齢確認だけなら完全に通るな」


 ドランはビールを飲みながら、ナスのグラタンを見ていた。


「ヒカル」


「何だ?」


「この赤い小瓶は何じゃ?」


 俺は嫌な予感がした。そういえば、今日初めて出したかもしれない。


「タバスコだ」


「辛いのか?」


「辛い。液体の唐辛子だ」


「どの程度?」


「数滴から試せ」


「分かった」


 ドランが瓶を傾ける。どぼどぼ。


「ちょっ、待てー!」


「ぬ?」


「それは数滴じゃない!」


「穴が思ったより大きい!」


「戻せないぞ!」


 ナスのグラタンの一角が、真っ赤になった。全員が静かに見る。


「……食う」


「意地になるな」


「食べ物を粗末にはできん」


 ドランが一口。


「……」


「どうだ?」


「うむ」


「うむ?」


「…………うむ」


 額から汗が出始める。耳まで赤い。


「水いるか?」


「ビールで流す!」


「炭酸で余計刺激するぞ!」


「ならハイボール!」


「同じだ!酒で解決するな!」


 マリベルが無言で水を置いた。


「ドラン」


「……ぐっ!」


「水」


「……はい」


 慌てて水を飲むドラン。ユキがドランを見る。


「からい?」


「……平気じゃ」


「うそ」


「なぜ分かる!」


「ドランのにおい、からい」


「感情じゃなくて物理的に辛い匂いを読んでないか?」


 こびゃっこが腹を抱える。


「ドラン、顔が朱色の鳥居じゃ!」


「誰が鳥居じゃ!」


     ◇


 食事が終わる頃には、昼間の夢の話も、少し現実へ馴染んでいた。


 しらゆきや宗一郎。別次元の白狐の里。どれも今日の朝までは知らなかった。でも俺たちは、明日も厩舎を作る。


 他の皆んなも畑を見たり、湖畔の警備をし、皆んなの料理を作る。そして森の中へ、《始マリノ祠》を建てる準備を始める。


 向こうでは420年掛けて、一つの社会になった。こっちはまだ80日だが、比べる必要はない。


「おっちゃん」


「何だ?」


「きょう、ひとり、しなかった」


「そうだな」


「ずめんは?」


「あれは一人で書いた」


「でも、みんなに、わたした」


「ああ」


「なら、できた」


「監督判定、合格?」


「ごうかく」


「そりゃどうも」


 こびゃっこが杯を持ち上げる。


「ならば、明日からびゃっこも《始マリノ祠》・歴史監修主――」


「だから主任はいらない」


「まだ最後まで言うておらぬ!」


「分かるから」


「びゃっこの役職を先読みするでない!」


 食堂に笑い声が広がる。その向こうでは、職人宿の灯りが点いている。近衛騎士団の宿も、もう受け入れを待つだけになっている。厩舎の骨組みも、夕闇の中に形を見せていた。


 そして森のさらに奥。ユキが最初に眠っていた大木のそばには、まだ何もない。でも、そこへもう一つの「始まり」を作る。


 420年前の祠を、そのまま戻すためじゃない。今の俺たちが、次へ繋ぐために。まずは明日、現地確認からだ。


⸻


【収支報告】


異世界生活80日目

日付:六の月9日

オリエント王国歴952年


開始残高:


3,127,873pt


今回の購入:


・本日は既存在庫の単管パイプ、クランプ、工具、工事記録用品を使用

・夕食食材の主要分は既存在庫および湖畔で得た水鳥肉、畑のトマト・ナスを使用

・新規ポイント購入なし


今回支出合計:0pt


現在残高:


3,127,873pt-0pt=3,127,873 pt


円換算目安:


3,127,873pt × 100円 = 約312,787,300円相当


続く

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