第102話 白狐神しらゆきのもうひとつの里
「向こうの里はね…」
しらゆきは《始マリノ祠》を振り返った。白木の祠。鮮やかな朱色の鳥居。そして、宗一郎の文字を石工が彫った石碑。
【始マリノ祠】
420年以上前、この場所から里と一緒に姿を消したもの。それが今も、別の世界で大切に守られている。
「今も、湖畔にあるの」
「湖畔?」
俺は聞き返した。
「向こうにも湖があるのか?」
「ええ」
「似た湖?」
「違うわ」
しらゆきが首を振る。
「同じ湖よ」
「……同じ?」
意味が分からなかった。
「同じくらい大きい、じゃなくて?」
「同じ地形。同じ位置。同じ森。同じ小川」
「ちょっと待ってくれ」
俺は周囲を見る。夢の中とはいえ、ここは俺たちが今暮らしている湖畔と同じ場所だ。
「つまり、ここと同じ場所が、向こうの世界にもある?」
「そうよ」
しらゆきが答えた。
「私たちが転移した直後、それが一番驚いたことだった」
俺はこびゃっこを見る。
「どういうことだ?」
「そういうことじゃ」
「説明になってない」
「せっかちじゃのう」
こびゃっこは前足で耳の後ろを掻いた。
「以前、びゃっこがポータルを開き、しらゆきらを別世界へ送ったと話したであろう」
「ああ」
「ただし、あれは別の大陸へ繋ぐ転移でも、宇宙の遠い星へ送るようなものでもない」
「じゃあ?」
「別次元じゃ」
「……別次元」
「ヒカルの世界の言葉を借りるなら――」
こびゃっこが少し考える。
「パラレルワールド、と申すのが近いかの」
「パラレルワールド?」
横でユキが首を傾げる。
「ぱられる?」
「もう一つの世界、みたいなものだ」
「もうひとつ?」
「俺たちがいるこの世界と似てるけど、違う世界」
ユキはさらに首を傾げた。
「おうち、ふたつ?」
「いや、家じゃなくて世界が二つ」
「おおきい、おうち?」
「……それでいいか」
「説明を諦めるでない」
こびゃっこに突っ込まれた。
「じゃあ、お前が最初からそこを狙ったのか?」
「ある程度はの」
「ある程度?」
「状況が状況じゃった」
こびゃっこの声が低くなる。
「神務魔導府の攻撃で結界は破られかけておった。しらゆきも負傷し、里には子供も老人もおる。じっくり転移先を探している余裕などなかった」
「そうだったな」
「びゃっこの神力で届く次元の中から、この場所に最も近い座標を探した」
「場所として?」
「そうじゃ」
こびゃっこが前足で地面を示す。
「別次元であっても、地形が近ければ、水源や土地の使い方を一から調べ直す必要が少ない。建物も畑も水路も、そのまま移せる可能性が高い」
「再建しやすい場所を選んだのか」
「うむ」
「襲われながら、そこまで考えた?」
「当然じゃ」
こびゃっこが胸を張る。
「段取りじゃ」
「そこ、お前が言うのか」
「宗一郎の影響じゃ!」
宗一郎が苦笑する。
「私はそこまで壮大な避難計画を教えた覚えはありませんよ」
「じゃが、水と土地が大事じゃと何度も申しておった」
「それは言いましたが」
俺は少し考える。
「地形が同じなら、湖も小川も山の位置も?」
「細部は違います」
宗一郎が答えた。
「川筋が少し違う場所や、樹木の種類が異なる場所もありました。ただ、ここの地形はほとんど同じでした」
「この湖も?」
「同じ位置にあります」
「森も?」
「あります」
「じゃあ、俺たちが今住んでる場所と、向こうの里は――」
「ほぼ同じ座標に存在しておる」
こびゃっこが言った。
「次元だけが違うのじゃ」
俺は思わず足元を見た。
「何か変な感じだな」
◇
「でも」
俺はこびゃっこへ視線を戻した。
「転移する時、その世界が安全だって分かってたのか?」
こびゃっこの耳が少し下がる。
「……それがの」
「まさか」
「確信はなかった」
「なかったのか!」
「仕方なかろう!」
こびゃっこが声を上げた。
「事前調査などできぬのじゃぞ!」
「まあ、それはそうだけど!」
「次元の向こうに魔物の巣があるかもしれぬ。大国の王都の真ん中かもしれぬ。湖そのものが存在せぬ可能性すらあった」
「かなりの賭けじゃないか」
「そうじゃ」
こびゃっこは、あっさり認めた。
「じゃが、あの場に残れば、ほぼ確実に里は滅びた」
「……」
「ならば、わずかでも皆が生きられる可能性がある方へ賭けるしかなかった」
しらゆきがしゃがみ、こびゃっこの背中を撫でる。
「びゃくやは、最後までそれを気にしてたのね」
「当たり前じゃ」
「大丈夫だったわよ」
「結果論じゃ」
「でも、その結果で私たちは生きてる」
「……うむ」
「びゃくやのおかげで」
こびゃっこが顔を背けた。
「また泣く?」
「泣かぬ!」
420年経っても、このやり取りらしい。
「それで、転移した先はどうだったんだ?」
俺が聞く。しらゆきの表情が明るくなる。
「驚くくらい、運がよかったの」
◇
しらゆきたちが別次元へ移った直後。湖も、森も、小川も、大まかな地形は、それまで暮らしていた世界とほとんど同じだった。
里の建物、田畑、水路、診療所、共同炊事場、祠。こびゃっこのポータルは、それらを広い範囲ごと転移させていた。
「最初は、誰も外へ出ようとしなかったわ」
「まあ、そうだよな」
「世界そのものが変わったのだもの」
しらゆきが言う。
「びゃくやはいない。周囲に何がいるかも分からない」
こびゃっこの耳が下がった。
「……しらゆき」
「責めてないわよ」
「……うむ」
「だから最初の数日は、結界の中だけで生活したの」
宗一郎が続ける。
「仲間たちと、水質、植物、空気、魔素、周辺の魔物を調査しました」
「宗一郎さん、転移直後からそれ?」
「何もしない方が怖かったので」
「やっぱり似ておるじゃろ」
こびゃっこが俺を見る。
「……否定しづらくなってきた」
「森の植物も、大半はこちらと同じでした」
「食べ物も?」
「同じものが多かったですね。ただ、一部はこちらにはない植物もあります」
「魔物は?」
「いました」
「いるのか」
「ですが、周辺は比較的穏やかでした」
しらゆきが言う。
「それから少しずつ偵察範囲を広げたの」
「国もあった?」
「ええ」
しらゆきが湖の向こうを見る。
「こちらと同じように、湖を挟んで東西に国があったわ」
「そこまで似てるのか」
「国の名前も歴史も違う。でも、文明の程度は当時のこちらとほぼ同じだった」
「そして――」
宗一郎が少し笑う。
「最大の違いは、両国とも多種族社会だったことです」
「両方とも?」
「ええ」
「人族至上の国は?」
「ありませんでした」
「奴隷制度は?」
「少なくとも、私たちが接触した二国にはありませんでした」
俺は息を吐いた。
「それは……本当に運がよかったな」
「そうね」
しらゆきの声が柔らかくなる。
「最初に西側の国の人たちと会った時、狐族も、人族も、ドワーフも、普通に同じ隊列で歩いていたの」
「最初は警戒されたでしょう?」
「もちろん」
宗一郎が答える。
「突然、湖畔に集落が出現したのですから」
「そりゃそうだ」
「向こうから見れば、一晩で村が生えてきたようなものです」
「怖いな」
「こちらからすれば、知らない世界の武装兵です」
「もっと怖い」
「ですから、まず話し合いました」
しらゆきが笑った。
「その辺りは、今までの私たちと変わらないわよ」
「交易?」
「最初は薬と農作物。それから当時の西側の国では水害に悩まされていたの、そこで宗一郎の知識から治水の技術や方法を教えたの」
「また水か」
「水は大事です」
宗一郎が即答した。
「宗一郎は治水の話でも一刻喋れるぞ」
「お前も聞かされてたんだな」
「何百回とな!」
◇
別世界へ移った白狐の里は、思った以上に早く安定したらしい。元の里そのものを転移させたため、住居も田畑も水路もある。
何より、人材がいる。大工や石工。
鍛冶師。薬師。農民。猟師。漁師。子供たち。そして、しらゆきと宗一郎。
「こびゃっこ、お前すごいことしたんだな」
「今さらか!」
「分かってたけど、改めて」
「人だけ逃がしたのではない。生活ごとじゃ!」
「そこは本当にすごい」
「……もっと褒めてもよいぞ」
「調子に乗るな」
「む」
しらゆきがくすくす笑っている。
「向こうでも、最初は元の生活をそのまま続けたわ」
「その後?」
「交流が始まった」
西側の国へ、宗一郎たちが医学や農業技術を伝えると、逆に向こうから、その世界独自の魔法技術が里へ入ってきた。
東側の国とも交易が始まり、水路の作り方や病気の予防。農作物の品種改良。農具、金属加工技術。道路、建築の土木や施工技術の交流。そして魔法。
「こちらの世界と違って、向こうでは魔法の研究がかなり盛んだったの」
しらゆきが説明する。
「どのくらい?」
「魔法を戦いだけに使っていなかった」
「生活にも?」
「ええ」
宗一郎が拾った小石を使い、地面へ簡単な図を描いた。
「魔法陣へ魔石から魔力を供給し、その魔力を一定の働きへ変換する技術が発達していました」
「魔道具か」
「そうです」
「こっちにもあるけど」
「向こうは規模が違いました」
「どんな?」
「照明。加熱。冷却。送水。乾燥。製粉。織物」
「かなり生活に入ってるな」
「ええ」
「工場も?」
「当時から小規模なものはありました」
「なるほど」
俺は腕を組む。
「もしかして、それと宗一郎さんの知識が組み合わさった?」
宗一郎は少し困ったように笑った。
「結果としては、そうなりました」
◇
「ヒカルさんには、私の能力をきちんと話しておいた方がいいでしょう」
「能力?」
「私も、日本からこの世界へ来た時に固有能力を得ています」
「やっぱり」
宗一郎が手を軽く上げる。
「名称は――【開拓者の知識】」
「宗一郎さんって確か、北海道の開拓の仕事を……」
「はい。政府の開拓使…ヒカルさんの時代で言う北海道の中央官庁に、医師として派遣されていました」
「それを考えると、そのままの名称だな」
「私も最初に見た時、そう思いました」
こびゃっこが鼻を鳴らす。
「地味な名に反して、たいがい反則じゃぞ」
「お前が言うくらい?」
「ヒカルの四十の手習いと同類じゃ」
「嫌な予感がする」
宗一郎が笑った。
「私が活用できるのは、大きく分ければ医学、農林水産業、土木建築、工業、産業振興、軍事防衛です」
「十分広い!」
「当初は、私が日本で知っていた時代の知識が中心でした」
「明治の頃?」
「はい」
「でも今は違う?」
「長く使い続けて能力自体が成長しました」
宗一郎の声が少し真面目になる。
「現在では、私が生きていた時代より先の技術知識も参照できるようになっています」
「……どこまで?」
「おそらく、ヒカルさんがいた時代に近いところまで」
「えっ」
俺は思わず顔を見る。
「現代日本レベル?」
「すべてを網羅しているわけではありません。ですが、基本原理や構造、設計思想についてはかなり」
「それ、本当に反則だろ」
「ヒカルに言われとうないと思うぞ」
宗一郎が続ける。
「ただし、知識があれば物が作れるわけではありません」
「材料と設備がない」
「その通りです」
「俺のショップとは違う?」
「大きく違います」
「頭の中に設計図があっても、工作機械も精度のいい鋼材もない」
「はい」
「半導体の構造を知ってても、材料も工場もない」
「その通りです」
「なるほど」
これなら分かる。俺のスキルは、ショップから現代の完成品や資材を購入できる。
宗一郎は知識を得られる。だが、知識を現実へ落とし込むためには、その世界の産業基盤そのものを育てる必要がある。
「最初の頃は苦労しました」
「だろうな」
「旋盤一つ作るためにも、その旋盤を作る道具が要る」
「卵と鶏だ」
「まさに」
宗一郎が笑う。
「ところが、向こうには魔法技術があった」
「魔道具か」
「はい」
俺はそこでようやく見えてきた。
「現代技術を、そのまま再現するんじゃない」
「そうです」
「魔法で代用できる部分は魔法にする?」
「ええ」
「電動モーターの代わりに魔力動力。制御回路の一部を魔法陣。蓄電池の代わりに魔石」
「そういう発想です」
「面白いな」
思わず声が出た。宗一郎の目も輝く。
「分かりますか?」
「分かるというより、俺もやってみたい」
「ヒカル」
こびゃっこが嫌そうな顔をした。
「何だ?」
「おぬしらを会わせた御前様、少し人選を間違えたのではないか?」
「何でだよ」
「仕事を増やす人間を二人繋いでしもうた」
しらゆきが深く頷いた。
「私も今そう思ってた」
ユキまで頷く。
「おっちゃん、め、ひかってる」
「光ってない!」
「ニナと、おなじ」
「宗一郎もよ」
「私は医者です」
「今、完全に技術者の顔だったわ」
◇
「具体的には何を作ったんです?」
俺が聞く。
「最初に大きく変わったのは、動力でしょうか」
「動力?」
「水です」
「やっぱり水か」
「里には水路がありますから」
宗一郎は少し誇らしそうだった。
「水車の技術を発展させ、小型の水力発電装置を作りました」
「発電まで行ったのか!」
「最初はごく小さなものです」
宗一郎が概要を説明する。主水路から一部の水を分け、小さな落差を利用して水車、後には小型タービンを回す。その回転を発電機へ伝え、電気を作り、魔道技術と組み合わせて安定させるそうだ。
「今では各住戸にも?」
「水路の条件が合う場所では、小型発電設備が付いています」
「一軒ごと?」
「数軒で共用する区画もあります」
「施設は?」
「診療所、大学等の教育機関、工房、倉庫、共同浴場などには専用の電気系統があります」
「大学もあるのか?それにしてもすごいな」
「でんき?よる、あかるい?」
ユキが聞く。
「明るいわよ」
しらゆきが答える。
「ユキたちのところみたいに?」
「人が多く住んでいるから、たぶん、今は私たちの方が明るいかも」
ユキが俺を見る。
「おっちゃん……」
「張り合わないぞ」
「まけた?」
「勝負じゃないから!」
こびゃっこが笑う。
「白狐神照明対決じゃの」
「開催するな」
「今の里には電気照明と魔石灯の両方があります」
宗一郎が続ける。
「冷蔵設備、給湯、洗濯機、調理器具も」
「生活家電まで?」
「魔道生活機器、と呼ばれています」
「せんたっき!」
ユキが反応した。
「ぐるぐる?」
「回るものもあるわ」
「リリア、おしごと、へる」
「うちにはもう洗濯機があるだろう」
「あ。そうだった」
「それにしても、凄いな」
◇
「今は、それだけではありません」
宗一郎が言う。
「まだあるのか」
「通信があります」
「通信?」
「電話と電信」
「電話まで!」
「有線が中心ですが」
「十分だよ」
「都市間は電信網。里の中や周辺都市では電話網が整っています」
「道路もかなり整いました」
宗一郎が続ける。
「舗装道路?」
「はい」
「アスファルト?」
「一部は。ただし、こちらとは材料が少し違います」
「魔法技術?」
「耐久性を上げる魔石粉末を混ぜた舗装材などがあります」
「そこも違うのか」
「都市部では石舗装もまだ多いですよ」
「車は?」
宗一郎としらゆきが顔を見合わせた。
「あるわ」
「あるの!?」
「ただし、ヒカルさんの知っている自動車とはおそらく違います」
宗一郎が説明する。化石燃料を燃やす内燃機関は、ほとんど発展しなかった。代わりに、電気と魔力による動力技術が先に伸びた。
屋根や車体上部に太陽光発電板に補助用の魔石蓄力器。電動駆動で走るそうだ。
街道には充電と魔力補給を兼ねた、ガソリンスタンドの様な設備もあるそうだ。
「……電気自動車?」
「近いです」
「しかも魔法ハイブリッド」
「そう呼んでもよいでしょう」
「バスも?」
「あります」
「トラックも?」
「あります」
「こびゃっこ」
「何じゃ」
「向こうでミミバスの夢が現実化されていたぞ」
◇
「列車もあります」
宗一郎がさらっと言った。
「……はい?」
「鉄道です」
「鉄道!?」
「今の白狐の里と東西両国を繋ぐ路線を建設中です」
「もうそこまで行ってるのか」
「区間ごとには開業しています」
「蒸気機関車?」
「いいえ」
宗一郎が首を振る。
「魔道電化列車です」
「電車?」
「基本は」
「架線?」
「区間によります。架線方式と、魔力供給設備を併用しています」
「……」
「ヒカル?」
こびゃっこが俺を見る。
「何じゃ、その顔は」
「行きたい」
「早い!」
「いや、だって見たいだろ!」
「おぬし完全に観光客になっておるぞ!」
「魔法と現代技術が融合した鉄道だぞ!」
「おっちゃん」
ユキが裾を引く。
「でんしゃ、すき?」
「嫌いじゃない」
「のる?」
「乗れるなら乗りたい」
「ユキも」
「びゃっこもじゃ!」
「お前もじゃないか」
「鉄道旅行は浪漫じゃ!」
「昭和の旅行番組になる未来しか見えない」
◇
「でも」
俺は少し冷静になる。
「それだけ産業が発展したら、環境問題とかは?」
宗一郎の表情が真面目になった。
「あります」
「やっぱり」
「技術が増えれば問題も増えます」
大量生産。廃棄物。都市人口の増加。水質汚染。森林伐採。鉱山。魔石採掘。
「だから、昔より楽になっただけではありません」
「管理するものも増えた」
「ええ」
「今の俺と同じだな」
ポールライト一つでも、増えれば点検対象になる。給排水タンクも。道路も。橋も。ソーラーパネルも。
「技術は、作って終わりではありません」
宗一郎が言う。
「保守し、記録し、後継者を育てなければ続かない」
「それで大学?」
「はい」
「大学があるって言ってたな」
宗一郎の顔に、少し照れたような笑みが浮かんだ。
「最初は寺小屋の様な場所だったんです」
◇
子供へ文字を教え、計算を教える。衛生を教え、農業を教える。やがて、専門的なことを学びたい者が増えた。
薬師。治療師。建築。土木。農業。鍛冶。魔道具。
「私一人では教えきれなくなりました」
「そりゃそうだ」
「でも教え子たちが育ち、各分野の専門を後進たちに教える様になりました」
「学校が大きくなった?」
「ええ」
「最終的に大学?」
「そうです」
宗一郎が少し恥ずかしそうに眼鏡を直す。
「今は医学、工学、農業を中心にした高等教育機関になっています」
「名前が宗一郎大学とか?」
「違います」
即答だった。
「名前を付けようとした者はいて、断ったのですが……」
「何て名前?」
「結局、私の苗字を付けられました。橘大学です」
「分かりやすい」
「下の名前は、全力で断りました」
しらゆきが笑う。
「今は《白湖学府》って呼ばれてるわ」
「白い湖の学府?」
「ええ」
「学生は里の人だけ?」
「いいえ」
宗一郎が答える。
「東西両国からも来ます」
「外国人留学生みたいなものか」
「そうですね」
「卒業後は?」
「故郷へ戻る人もいれば、里に残る人もいます。別の町で診療所を開く者も」
「じゃあ、宗一郎さんが全部やらなくても?」
「もう回ります」
宗一郎は、はっきり言った。
「私が明日何もしなくても、医療は止まりません。工房も止まらない。農地も、水路も、学校も動きます」
俺は少し黙った。それは、すごいことだ。
「後継者が育ってる」
「はい」
「宗一郎さんがいなくても?」
「そこが一番大事です」
こびゃっこが俺を見る。
「聞いたか、ヒカル」
「聞いたよ」
「おぬしも自分がおらねば回らぬ設備を増やしすぎるでないぞ」
「はいはい」
ユキが俺を見上げる。
「はいは?」
「一回」
「よし」
「何で毎回そこへ戻るんだ」
◇
「今、里には何人くらいいるんです?」
俺が聞いた。
「三万人くらいかしら」
しらゆきがあっさり答えた。
「……三万!?」
声が裏返った。
「さんまん」
ユキが指を折ろうとして、当然足りない。
「いっぱい」
「いっぱいどころじゃないぞ」
「昔は何人くらいだった?」
「転移した直後は数百人ほどよ」
「それが三万人……」
「420年ですもの」
「そう言われればそうだけど」
「子供が生まれ、外から移住してくる人も増えたわ」
「他国の人も?」
「ええ」
「元の規模は村の里程度だったんだよな?」
「今は《白狐の里自治区》と呼ばれてるわ」
「どこの国に属してる?」
「どちらにも属していないわ」
「独立しているのか?」
「完全な国家というほどではありません」
宗一郎が説明する。
「東西両国との協定によって自治を認められています」
「なるほど」
「税や交易、道路、治安については協定がありますが、内部行政は自治区側が行っています」
「国境の真ん中にある?」
「湖を挟んだ東西両国の間ですね」
俺は苦笑した。
「こっちの世界の湖畔より、ずいぶん先へ行ってるな」
「こちらは420年分先輩ですから」
「その言い方なら納得できる」
しらゆきは少し首を振った。
「でも、最初から上手くいったわけじゃないのよ」
「争いも?」
「大きな戦争はなかった。でも、意見の違いは何度もあった」
利水の配分や道路の位置。技術をどこまで公開するか。魔道具の軍事転用。森林利用。移住者や信仰。
「白狐神として決めろって言われなかった?」
「言われたわ。そうすれば周りは納得すると」
しらゆきは苦笑する。
「最初は何度かそうしたの。でも……」
「どうした?」
「宗一郎に怒られたの」
「何て?」
「『全部あなたが決めれば、人は考えなくなります』って」
宗一郎が少し目を逸らす。
「かなり強い言い方をしました」
「正しいと思う」
「ヒカルさんも同じことを?」
「いや、俺は逆に自分で全部やろうとして怒られる方」
「それはそれで問題ですね」
「分かっているけど……」
ユキが俺を指差す。
「おっちゃん、れんしゅうちゅう」
「その情報、公開しなくていいから」
◇
「じゃあ、しらゆきは今、自治区の王様みたいなもの?」
「違うわ」
即答だった。
「白狐神ではあるけど、政治はしてない」
「じゃあ何してる?」
「畑を見たり、学校へ行ったり、祠の手入れをしたり」
「普通だな」
「普通がいいのよ」
しらゆきは笑った。
「自治区には議会も行政機関もあるし、行政長官や議長、専門家もいる。私が決める必要はないわ」
「でも、敬われてる?」
「……まあ」
少し困った顔をする。宗一郎が代わりに答えた。
「しらゆきは、この世界で言う宗教的な神ではなく、自治区の歴史そのものを象徴する存在として見られています」
「宗一郎さんも?」
「私は普通の医者です」
「嘘です」
しらゆきが即座に切った。
「あなたの銅像、大学の前にあるでしょう」
「銅像!?」
「撤去してほしいんですが」
「無理ね」
しらゆきが笑う。
「学生が待ち合わせに使ってるもの」
「もう完全に大学名物じゃないか」
「『宗一郎先生の前で』と言えば通じるわ」
「本人はまだ健在しているんですが」
「かなり精巧よ」
◇
「でも、ちょっと待って」
俺は宗一郎を見る。
「鑑定系の能力もあるんですよね?」
「あります」
「やっぱり」
「一般的な鑑定に加えて、医療鑑定があります」
「俺と同じ?」
「おそらく系統は近いでしょう」
「どこまで見えるんです?」
「今なら、かなり」
宗一郎が自分の胸へ手を当てる。
「体温、血圧、脈拍、呼吸状態、血中酸素に相当する状態」
「血圧まで数値で?」
「はい」
「俺はカフで測った方が正確なのに」
「私の場合は、今では直接数値が出ます」
「ずるい!」
「ヒカルが言うな!」
こびゃっこの突っ込みが速い。
「心電図は?」
「表示できます」
「波形で?」
「ええ」
「十二誘導?」
「必要なら、それに近い表示も」
「レベル差が酷い」
「私は400年以上使っていますから」
「それなら仕方ないか……」
「血液検査に近い情報も、ある程度」
「どこまで?」
「貧血、血糖、肝機能、腎機能、炎症傾向など」
「俺よりずっと上だ」
「ただし、何でも分かるわけではありません」
宗一郎の声が真面目になる。
「未知の感染症の原因を瞬時に特定できるわけではない。病変を見つけても、その正体まで自動で分かるとは限りません」
「そこは同じか」
「診断するのは医師です。能力は道具にすぎません」
「なるほど」
「だから記録も検査も必要です」
「マリベルにも聞かせたいな」
「ぜひお会いしたいですね」
「絶対話が長くなる」
「ヒカルも参加するじゃろ」
「する」
「即答か!」
◇
俺はしばらく考え込んだ。向こうの世界の魔道具。魔石からの動力。小型水力発電。太陽光発電。魔法陣による制御。電気と魔力を組み合わせた家電。電話。電信。電動車両。鉄道。こちらの世界では、まだほとんど存在していない。
でも――。
「これ、使えるんじゃないか?」
「何がじゃ?」
こびゃっこが聞く。
「向こうの技術」
「こちらへ?」
「ああ」
宗一郎もこちらを見る。
「その発想は、私もありました」
「ですよね」
「ただ、夢の中で設計図を一冊丸ごと渡せるかは分かりません」
「でも概念は聞ける」
「ええ」
「魔石はこっちにもある」
「ありますね」
「魔法使いもいる。ドランやボルガみたいな鍛冶職人もいる」
「うむ」
「工務店スキルもある」
「嫌な流れじゃ」
こびゃっこが言う。
「何でだよ」
「ヒカルの仕事が増える音がした」
「まだ何も作ってない!」
「『使えるんじゃないか』と言った時点で始まっておる!」
ユキも俺を見上げる。
「おっちゃん」
「何だ」
「おやすみ、なくなる?」
「なくさない」
「ほんと?」
「そこは守る」
「なら、よし」
しらゆきが笑う。
「ユキ、しっかりしてるわね」
「おっちゃん、みてる」
「監督されてるんだよ」
「昔の宗一郎も同じだったわ」
「しらゆき」
「何?」
「余計なことは」
「診療所へ三日泊まったこととか?」
「やめてください」
「それは俺より酷い」
「患者が重症だったんです!」
「似た者同士じゃな」
こびゃっこが笑う。
◇
「ただし」
宗一郎が言う。
「向こうの技術を、そのまま持ってくればいいとは思いません」
「環境が違う?」
「それもあります」
「社会の仕組みも違う」
「ええ」
「職人の技術レベルも、材料も」
「そうです」
俺は頷く。
「だったら、使える部分だけだな」
「それが一番です」
「例えば水力発電」
「今の湖畔なら相性は良いでしょう」
「小川の流量と落差を測る必要がある」
「季節変動も」
「洪水時のバイパスも」
「土砂対策も」
「取水口のスクリーン」
こびゃっこが俺たちを交互に見る。
「始まったぞ」
しらゆきも頷く。
「始まったわね」
「何が?」
「仕事の相談」
「まだ検討だ!」
「おっちゃん」
「はいはい」
「はいは?」
「……一回」
なぜか俺だけ負けた気分になった。
◇
その時だった。カラン――。
《始マリノ祠》から、鈴の音が響いた。誰も鈴緒に触れていない。
「まただ」
俺が祠を見る。しらゆきも振り返った。
「この音……」
「何か心当たりが?」
「ある」
しらゆきがゆっくり鳥居へ近づく。
「私たちが、あなたたちの夢を見るようになったきっかけ」
「これと関係ある?」
「たぶん」
宗一郎も頷いた。
「少し前に、この祠を大きく改修したんです」
「向こうの《始マリノ祠》を?」
「はい」
420年以上。別次元へ渡った《始マリノ祠》は、向こうでも何度も補修されてきた。
屋根を替え。傷んだ柱を補強し。鳥居を直し。石碑を清掃し。それでも可能な限り、元の姿を残した。
「でも最近、さすがに大きな改修が必要になったの」
しらゆきが言う。
「柱の一部も、屋根の下地もかなり傷んでいたから」
「建て替え?」
「違うわ」
「元の材を使えるだけ残した?」
「ええ」
「それ、分かる」
「ヒカルならそう言うと思った」
宗一郎が苦笑する。
「新しくすることより、何を残すかを優先しました」
「石碑も?」
「もちろん」
「鳥居は?」
「同じ形で修理しました」
しらゆきが続ける。
「全部終わった日に、私が鳥居へ結界の神気を通したの」
しらゆきの表情が真面目になる。
「神気を通した瞬間、いつもとは違う何かを感じたの」
「何を?」
「懐かしい神気」
こびゃっこの耳が立った。
「御前様か?」
「それも混じってたと思う」
「それも?」
「もっと近い何か」
しらゆきがユキを見る。
「白狐神の神気」
ユキが自分を指差す。
「ユキ?」
「たぶん」
俺は息を呑む。
「次元を越えて?」
「その時は分からなかった」
しらゆきが言う。
「ただ、その日の夜、寝る前にも同じ気配を感じたの」
「そして夢を?」
「ええ」
「俺たちの?」
「最初は断片だけ」
湖畔。白い髪の幼女。茶色いハーフコートの男。小さなぬいぐるみの白狐。大きな重機。テントの食卓に鳥居。
「日が経つにつれて、少しずつはっきり見えるようになった」
宗一郎が《始マリノ祠》を見る。
「私たちは、一つ仮説を立てています」
「何です?」
「この祠そのものが、何らかの形で二つの次元を結び始めているのではないかと」
「祠が?」
「正確には、同じ位置。同じ由来。同じ白狐神の神気。そして稲荷神との縁」
「それが重なって?」
「ええ」
しらゆきが頷く。
「向こうの世界にも、この祠がある」
「こっちには――」
俺は周囲を見る。現実の今の森には、まだ《始マリノ祠》はない。さっき俺たちが見たのは夢の中の過去の姿だ。
「まだない」
「そうね」
「でも、建てるつもりだった」
「ユキが寝てた場所に?」
「ああ」
前からずっと考えていた。ユキが最初に暮らしていた森。名前もなく、一人で魚を捕り、鳥を捕り、鳥居紋を描いて、こびゃっこの夢に支えられながら生きていた場所。そこを、形として残そうと思っていた。
だが仕事が増えた。橋や道路。職人宿、事務所、鍛冶場、厨房、洗面所、馬小屋。そして水路計画。
後回しになっていた。
「……優先順位を変えるか」
「ヒカル?」
こびゃっこが俺を見る。
「戻ったら、《始マリノ祠》を今の工事と並行して建てよう」
「本気かえ?」
「ああ」
「ガレージより?」
「先」
「水路より?」
「調査は続ける。でも施工は祠を優先する」
ユキが俺を見る。
「ユキのさいしょの、ねるところ?」
「そうだ」
「なくなる?」
「もちろん、寝床だった木は残す」
「ほんと?」
「当然。木も根元もできるだけ触らない」
「なら、よし」
「建てるのは、この夢で見た祠と同じ形にする?」
しらゆきが聞いた。
「完全コピーはしない」
「違うの?」
「今の土地の状態を調べて、根を傷めない基礎にする。雨や湿気も考える。ただ、形はなるべく残す」
「石碑は?」
「【始マリノ祠】」
「同じに?」
「こびゃっこ」
「なんじゃ」
「字の書体を頼めるか?」
「もちろん、任せるのじゃ。限りなく宗一郎の書体に近づける」
宗一郎の目が柔らかくなる。
「嬉しいですね」
「石碑はバドルに相談する」
「誰ですか?」
「今の湖畔に来たドワーフの石工」
「なるほど」
「祠はグレゴール。屋根はミネット。必要ならドランにも相談する」
こびゃっこが目を細める。
「……ヒカル」
「何だ?」
「ちゃんと分けておるな」
「最近、練習したからな」
ユキが胸を張る。
「おっちゃん、できた」
「まだ作ってないぞ」
「だんどり、できた」
「そこは認める」
◇
俺はもう一度、《始マリノ祠》を見る。もし、向こうの世界にある祠とこちらに再建する祠が、同じ土地と同じ白狐神、同じ稲荷神との縁を通じてそれが繋がれば。
「もっと夢が安定するかもしれない?」
「可能性はあるわ」
しらゆきが答える。
「夢だけじゃなく?」
こびゃっこがこちらを見る。
「ヒカル」
「分かってる。いきなりポータルが開くとは思ってない」
「ならよい」
「でも」
俺は宗一郎を見る。
「情報のやり取りくらいは、できるようになるかもしれない」
「私も期待しています」
「ヒカル」
こびゃっこが即座に止める。
「まだ何も言ってない」
「目が言うておる!」
「だって、向こうには420年分の技術蓄積があるんだぞ」
「おぬしの世界にはさらに先の技術があるじゃろ!」
「でも魔法との融合技術はない」
「……それはそうじゃが」
「魔石発電。魔道制御。水力発電。道路材料。給排水。浄化補助。電車」
「最後が本音じゃろ」
「鉄道は重要なインフラだ」
「乗りたいだけではないのか?」
「半分は」
「認めた!」
宗一郎が笑う。
「でも、私も同じですよ」
「宗一郎さん?」
「あなたがいた時代の技術を見たい」
「そこなんだ」
「知識では分かっても、実物を見たことがありませんから」
「ビデオやテレビモニターとか?」
「非常に」
「パソコンは?」
「ぜひ」
「設計に使うCADは?」
「ぜひ!」
しらゆきが額を押さえた。
「もう駄目ね」
ユキも頷く。
「おしごと、いっぱい」
「待て、これは交流だ」
「おしごと」
「趣味でもある」
「お主、無趣味じゃったろ」
こびゃっこに突っ込まれる。
「う……確かにそうだったけど、今の仕事も楽しんでやっている。趣味みたいなものだろ」
「おっちゃん。でもおしごと」
「……はい」
「むり、しない」
「もちろん、皆んなと一緒に分担して進める」
「なら、よし」
どうやら異次元を越えても、ユキの監督業務は有効らしい。
◇
その時、森の光が少し薄くなった。
「あ……」
しらゆきが空を見る。
「たぶん、時間みたい」
「もう?」
こびゃっこが言った。その声だけで分かる。まだ離れたくないのだ。
「びゃくや」
「何じゃ」
「今度は420年も空かないと思う」
「根拠は?」
「ないわ」
「おぬし!」
「でも」
しらゆきが微笑む。
「向こうの《始マリノ祠》が繋がった。ユキが生まれて、あなたも戻った」
「……うむ」
「今度はそちらにも祠が建つ」
「そうじゃな」
「なら、きっとまた会えるわ」
こびゃっこはしばらく黙っていた。
「御前様次第じゃの」
「そうね」
「気まぐれじゃからのう」
カラン。鈴が鳴った。
「聞いておられるぞ」
俺が言う。
「分かっておる。御前様が鳴らしておるのじゃろう」
ユキが鳥居の向こうを見る。
「いなりしんさま?」
「おそらくの」
「ありがとう」
ユキが小さく頭を下げると、一瞬、風が吹いた。白い光の粒がユキの周囲を一周して、空へ消える。
「……返事?」
「かもしれぬ」
こびゃっこの声が少しだけ優しくなった。
◇
宗一郎が俺の前へ来た。
「ヒカルさん」
「はい」
「お願いがあります」
「何です?」
「今の湖畔を、あなたたちのやり方で作ってください」
「そちらの真似じゃなく?」
「ええ」
「でも、技術は参考にしたいですよ」
「もちろん」
宗一郎が笑う。
「私たちも、日本をそのまま作ったわけではありません」
日本の知識と、この世界の魔法。ドワーフの金属加工にエルフの薬草。獣人たちの知識と現地の農業。全部を混ぜてきた。
「技術は、その土地に合わせるものです」
「……分かりました」
「私も、ヒカルさんの湖畔を見て学びたい」
「俺たちから?」
「ええ」
「向こうの方が400年以上進んでるのに?」
「だからといって、学ぶものがないとは限りません」
宗一郎はユキを見る。
「特に、あの子とどう暮らしているか」
「普通ですよ」
「それが一番難しいんです」
しらゆきが横から言う。
「宗一郎は昔、私に過保護だったもの」
「しらゆき」
「森へ行くだけで付いてきた」
「あなたが一人で魔物を追いかけるからでしょう!」
「かほご、おっちゃんも」
ユキが俺を指差した。
「ユキ、ひとり、だめっていう」
「お前5歳だろ!」
「私も当時は幼かったわ」
「ほら、しらゆきも、いっしょ!」
「ヒカルさん」
宗一郎が真顔で言う。
「そこはあなたが正しい」
「ですよね!」
「二人とも過保護」
「おっちゃん、かほご」
白狐神二人が同時に言った。
「何でだ!」
こびゃっこが腹を抱えて笑っている。
「歴史は繰り返すのう!」
◇
光が少しずつ強くなり、里の景色が霞み始めた。
「しらゆき」
こびゃっこが呼ぶ。
「何?」
「次に会うまで、元気でおれ」
「びゃくやも」
「びゃっこは元気じゃ」
「御神酒、飲みすぎないで」
「……」
「何で黙るの?」
「四百年ぶりの再会で健康指導するでない!」
「今言わないと、次いつ会えるか分からないもの」
「びゃっこは神使じゃぞ!」
「肝臓は?」
「今の身体はぬいぐるみじゃ!」
「じゃあ平気?」
「……たぶん」
「ドランの様にマリベルに監視してもらうか」
俺が言う。
「ヒカルまで!」
しらゆきが笑う。
「びゃくや」
「何じゃ」
「本当に、ありがとう」
「またそれか」
「何度でも言うわ」
「……」
「私たちが今も向こうで暮らせてるのは、あなたがあの日送ってくれたから」
「びゃっこは賭けをした様なものじゃぞ」
「その賭けで、皆が生きた」
「……うむ」
「だから」
しらゆきが少し涙ぐみ、白狐の頭へ両手を添える。
「次は、ちゃんと会いに来て」
「方法が分かればの」
「一緒に探す」
「……そうじゃな」
こびゃっこが鼻をすすった。
「泣いてる?」
「お主もじゃろ!」
「目が光ってる」
「神気じゃ!」
「便利な言い訳ね」
「しらゆき!」
◇
しらゆきがユキの前へしゃがむ。
「ユキ」
「なに?」
「今度会う時、あなたの里を見せて」
「うん」
「何がある?」
「おうち」
「うん」
「はたけ」
「うん」
「はし」
「すごい」
「みち」
「うん」
「しんりょうじょと」
「うん」
「しょくにんのおうち」
「うん」
「うまの、おうち、つくってる」
「馬もいるのね」
「あと、からあげ、かみのにく」
「最後そこ?」
「だいじ」
「そうね」
「あと、おうちカレーも」
「約束したものね」
「しらゆき、たべる?」
「食べる」
「ソーイチローも」
「ぜひ」
「こびゃっこも」
「当然じゃ!」
「おっちゃん、つくる」
「また俺の仕事が確定したな」
「むれの、おしごと」
「なら手伝ってくれ」
「ユキ、あじみ」
「それは仕事か?」
「だいじ」
「監督様だからな……」
しらゆきがユキを抱きしめた。
「またね」
「また」
「約束」
「うん」
ユキもぎゅっと抱き返す。
「こんど、ユキの、おうち」
「楽しみにしてる」
◇
最後に宗一郎が俺へ手を差し出し、握手を交わす。
「本当に会えるといいですね」
「ああ」
「夢じゃなく」
「もし会えたら……」
「はい」
「そっちの水力発電、見せてください」
「もちろん」
「魔道電化列車も」
「ぜひ」
「大学も」
「案内します」
「電話交換設備も」
「ヒカル」
こびゃっこが低い声を出す。
「何だ」
「観光計画を立てるでない」
「技術視察だ」
「同じじゃ!」
宗一郎が笑った。
「では、私はヒカルさんの重機を」
「グイグイ?」
ユキが聞く。
「ブルドーザーだ」
「ごろごろも」
「ロードローラーな」
「ツチノコ」
「ミニバックホー」
「じめんぶるぶる」
「……それは、なんです?」
「プレート転圧機」
宗一郎の目が明らかに輝いた。
「ぜひとも見たい」
「でしょう?」
「おぬしら、やはり会わせてはいかん二人じゃ!」
こびゃっこが叫んだ。
◇
光が強くなり、しらゆきと宗一郎の輪郭が薄くなる。
「しらゆき!」
こびゃっこが叫ぶ。
「びゃくや!」
「また会うぞ!」
「うん!」
「絶対じゃ!」
「約束!」
俺も声を上げた。
「宗一郎さん!」
「はい!」
「祠は必ず建てる!」
「待っています!」
「同じ場所に!」
「きっと繋がります!」
「技術の話も!」
「いくらでも!」
「二人とも最後までそれか!」
こびゃっこの叫びが響く。ユキが俺の手を握った。
「おっちゃん」
「何だ?」
「ふたり、また、あえる?」
俺は、消えかけている二人を見る。確かなことは何もない。
これは夢だ、次元も違う。ポータルを再現する方法もない。《始マリノ祠》が本当に二つの世界を繋いでいるのかも、まだ仮説だ。
それでも……。
「ああ」
俺は答えた。
「会えるようにしよう」
「うん」
「まずは祠だ」
「だんどり?」
「そう。段取り」
こびゃっこが俺たちの横へ来る。
「びゃっこも手伝うぞ」
「お前は記憶に基づいた監修を頼む」
「現場監修じゃ!」
「それならいいか」
「よいのか!」
ユキが胸を張る。
「ユキ、かんとくさま」
「はいはい」
「はいは?」
「一回」
「よし」
◇
白い光が、全てを包む。
「びゃくや!」
遠くから、しらゆきの声が聞こえた。
「またの!」
「またね!」
「宗一郎さん!」
「またお会いしましょう!」
「ユキ!」
「なに?」
「またね!」
「うん!」
ユキが両手を大きく振った。
「しらゆき、また!」
俺も手を上げる。こびゃっこも前足を振る。光の向こう。二人の姿が、少しずつ消えていく。最後の最後。しらゆきの声が聞こえた。
「今度は――同じ祠の前で会いましょう」
俺は答えた。
「ああ!」
そして。カラン――。一度だけ、鈴が鳴り、世界が白く染まる。もう一つの湖畔。420年続いた白狐の里と始まりの祠。それらの景色を胸に残したまま。俺たちの長い夢は、ゆっくりと終わった。
続く




