7.首輪と奴隷印
城の一室。清潔なベッドに横たわる獣人の青年を、僕は椅子に座って眺めていた。
魔法で外傷はすべて治したけれど、彼の首には依然として、呪いのような首輪が嵌まったままだ。
「……ん、……っ」
やがて、青年がうめき声を上げて目覚めた。
彼は飛び起きようとしたが、首に触れる冷たい感触と、見たこともない豪華な部屋に動きを止める。
目の前に座る僕を、彼は射抜くような鋭い視線で睨みつけた。
「……ここは」
掠れた低い声。彼はそれ以上何も語らず、ただ警戒を剥き出しにして僕を注視している。
「僕の家だよ。森で死にかけてた君を拾ってきたんだ。傷は治しておいた」
僕は淡々と答える。彼は自分の体に触れ、傷が跡形もなく消えていることに驚愕したようだった。だが、自分の手が首元に触れると、その表情に険しい色が混じる。
「……首輪は、そのままか」
「勝手に外そうとすれば君の命に関わる仕掛けがあったからね。……それと、君の背中の奴隷印だ。普通に治しても跡は消えないから、魔法でその部分だけ時間を戻そうと思う」
青年は黙ったまま、僕を凝視した。
「ただし、時間を戻せば、焼かれた時の苦痛をもう一度、あるいはそれ以上の衝撃として味わうことになる。……どうする? 消したいならやるけど」
青年は迷うことなく、短く答えた。
「……頼む」
「いいよ。我慢してね」
僕は彼に近づき、その逞しい背中に手をかざした。「魔法」。
瞬間、焼けるような熱と痛みが彼を襲う。古く醜い奴隷印が、時間を逆行して消えていく。
「…………っ、……!!」
彼は声を上げなかった。
ただ、ベッドのシーツを握りしめた腕に岩のような筋肉が浮き上がり、奥歯が砕けんばかりの音を立てて、低く唸りながらその激痛に耐えていた。
その凄まじい精神力に、僕は少しだけ感心する。
(……強いんだね、君は)
僕は彼を支えるように、その広い肩に腕を回し、正面からぐいと抱きしめた。
逃げ場のない熱を、僕の体で受け止めるように。
「……大丈夫。大丈夫だよ」
もう片方の手で、彼の少し硬い髪をポンポンと優しく撫でる。
彼は僕の肩に顔を埋めたまま、荒い吐息を漏らし、耐え難い痛みと戦い続けている。
「頑張ったね。……よしよし。君を縛るものは、もうすぐ全部なくなるから」
あの日、カームが僕にくれた平穏を、今度は僕が彼に手渡す。
彼が最後の一息まで耐え抜くのを、僕はそのまま抱きしめ、頭を撫でて見届けた。
やがて、部屋を埋め尽くしていた魔力の光が収まる。
そこには、醜い奴隷の印などどこにもない、美しい褐色の肌が戻っていた。
「……ふぅ。これで、君を縛る印はなくなったよ。……痛かっただろ」
ゆっくりと腕を解き、僕は彼から少し身を引いた。
青年は肩で息をしながら、呆然とした様子で自分の体を確認している。
その背中には、もう何もない。
彼は自分の首に触れ、最後に残った「不自由」の鎖――首輪を静かに見つめた。
「……感謝します。ですが、これほどのことをして、貴方は私に何をさせるつもりですか」
背中の奴隷印が消えたあと、青年――レイガルはベッドの上で姿勢を正したが、その瞳には強い警戒の色が宿っていた。掠れた低い声。彼は僕を「恩人」として扱いながらも、同時に「得体の知れない上位者」として疑っている。
「別に、何も。僕がそうしたかっただけだよ。それより、最後はこれだね」
僕は彼の首に嵌まった、鈍い光を放つ鉄の首輪を指差した。レイガルは一瞬だけ喉を鳴らし、苦々しく口を開く。
「……それは無理に外せば命を奪う呪具です。外せるのは、特定の鍵を持つ『主』のみ。下手に触れれば、貴方まで無事では済みませんよ」
「そんなことないよ。鍵がないなら、作り替えればいいだけだし」
僕は少しだけ口角を上げた。レイガルの首元に、そっと指を添える。
彼は拒絶するように体を強張らせたが、逃げようとはしなかった。ただ、僕が何を仕掛けてくるのかを値踏みするように睨みつけている。
「.............」
その瞬間、鉄の首輪が生き物のようにボコボコと形を変え始めた。
レイガルが「なっ……!?」と短い驚愕の声を漏らす。
爆発も、毒針の作動もない。強固な呪具だったはずの鉄は、僕の魔法によってその本質を失い、ドロドロに溶けたかと思うと、一瞬で全く別の形へと再構成されていった。
数秒後。
レイガルの首から「カラン」と小気味いい音を立てて床に落ちたのは、首輪ではなかった。
「……これ、は……?」
レイガルが呆然と床を見つめる。
そこにあったのは、精巧に作られた「鉄製の小さな犬の置物」だった。
しかも、どことなくレイガルの精悍な顔つきに似ている。
「重苦しい首輪より、こっちの方が可愛いだろ? 呪具としての機能は全部消して、ただの置物に変えておいたから。これでもう、君を縛るものはないよ」
レイガルは言葉を失い、床に転がる「自分に似た鉄の置物」と、僕の顔を交互に見た。
国を揺るがすような呪いの道具を、おもちゃに変えてしまう。その常識外れな魔法に、彼は感謝よりも先に「恐怖」に近い困惑を抱いたようだった。
「…………貴方は、一体何者なのですか。私を助け、これほどの力を見せる……その目的が分からない」
「ただのルミナスだよ。目的? 強いて言えば、退屈してたからかな。さて、お腹空いてない? 自由になった初日の食事にしようか」
僕は椅子から立ち上がり、まだ僕を疑いの目で見ているレイガルに、さらりと微笑んだ。




