19.ひよこ
捕虜となったアルフレッドに与えられた仕事は、城の広大な回廊の掃除だった。
聖騎士としてのプライドをかなぐり捨て、彼は黙々と雑巾を動かす。すべてはカイン王子の無実を証明し、この狂った城の正体を見極めるためだ。
「ふう……。しかし、この城はどうなっているんだ。どこを掃除しても、塵一つ落ちていない……」
それもそのはず、レイガルが毎朝、主のために完璧に磨き上げているからだ。アルフレッドの仕事は、実質的には「ただの嫌がらせ」に近い。
そこへ、背後からふわりと甘い香りが漂ってきた。
「お疲れ様、アルフレッド。一生懸命だね」
「……っ、ルミナス殿!」
アルフレッドが振り返ると、そこにはルミナスが立っていた。
手には、城の庭で採れた果実をたっぷり使った、宝石のように美しいタルトが乗った小皿がある。
「はい、これ。頑張っている君に、僕からの差し入れだよ」
「な……! 私は捕虜だ! このようなものを受け取るわけには……」
「いいから、食べて。君、さっきからお腹の音が鳴っているよ?」
ルミナスがクスクスと笑いながら、フォークに乗せたタルトをアルフレッドの唇に押し当てる。
あまりの至近距離、そしてルミナスの指先から漂う魔力の香りに、アルフレッドの脳が一時停止した。拒絶する間もなく、甘い果実が口の中に広がる。
「……っ、う、美味い……あ、いや! 何をする!」
「あはは、正直だね。可愛いなあ、君は」
ルミナスが満足そうに、アルフレッドの少し汚れた頬を親指でそっと拭った。
その瞬間だった。
背後の曲がり角から、凄まじい威圧感とともに二つの人影が現れた。
「…………主様」
地獄の底から響くような声。
レイガルだ。彼はルミナスがアルフレッドの頬を拭った手を、まるで自分の魂が削られるかのような形相で見つめている。
持っていた銀のトレイが、指圧だけでグニャリと歪んでいた。
「……ほう。主様自ら、その雑兵に餌を与えられるとは。あまりにも過ぎた光栄に、その男の命が耐えきれるか心配ですな」
ゼノスが、額の角をピリピリと帯電させながら現れる。その紅い瞳は、アルフレッドを「今すぐこの世から抹消すべき不浄物」としてロックオンしていた。
「あ、レイガル。ゼノス。見てよ、アルフレッドが美味しそうに食べてくれたんだ」
「左様でございますか。……主様、私は今日、主様のために最高級のジビエを用意しておりましたが……その、食べ残しよりも、私の料理の方がお口に合うかと……」
レイガルの言葉は丁寧だが、アルフレッドに向けられた視線は「殺す」以外の感情が一切消えている。
「いや、僕の食べ残しじゃないよ。アルフレッドのために、わざわざ僕が切り分けたんだ」
「「…………!!」」
ルミナスの無邪気な追撃に、レイガルとゼノスの理性が限界を迎えた。
「アルフレッド殿。……少々、剣の稽古の時間には早いが、今すぐ中庭へ来い。主様からいただいた栄養を、すべて吐き出させてやる」
「……いや、レイガル。こいつの教育は私が引き受けよう。魔族の法に基づき、肉体の一片まで丁寧に『再教育』してやる」
アルフレッドは、手に持たされた小皿の重みが、まるで死刑宣告のように感じられた。
「待て、私は何も頼んでいない! 貴様ら、主人の前で何を勝手に……!」
「いいなあ、みんな元気で。じゃあ、仲良く掃除を続けてね」
ルミナスはひらひらと手を振って、嵐の現場を去っていった。
残されたのは、殺気立つ二人と、震える手でタルトを持つ、世界一不幸な聖騎士一人。
「……おい、王子。助けてくれ。このままだと、私はこの城の肥料にされる……!」
遠くで掃除道具を運んでいたカインと目が合うが、カインは「あわわ……」と顔を青くして、そのまま物陰に隠れてしまった。
アルフレッドの常識人としての受難は、まだ始まったばかりだった。




