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辺境薬師の回復スープ、王都の聖女より効くとバレても店は一日三十食まで  作者: 花守りつ


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3/4

聖女の代わりにはなりません

正式な招聘状は、朝の仕込み中に届いた。


 リナが鍋の灰汁をすくい、三十枚の木札を戸口の箱に入れ終えたところで、王都聖女院の使者が白い封筒を差し出した。封蝋は立派で、紙は厚く、文面はやたらと丁寧だった。


「王都聖女院補佐薬師として、速やかに出頭されたし。なお、現店舗は一時休業とし、設備および薬草は王都が適切に管理する……」


 リナは読み終えて、鍋を見た。


 白豆と根菜がゆっくり煮えている。眠り草はまだ入れない。火を止める三呼吸前に入れるのが、胃を荒らさないこつだ。


「お断りします」

「まだ全文をお読みでは」

「鍋が読めと言っています」


 使者は困った顔をした。


「王都には、呪いに苦しむ方が大勢おります。大鍋を三つ、上質な薬草を十箱、助手の神官を五名派遣できます。あなた一人の小店より、はるかに多くを救えるでしょう」


 多く。


 その言葉で、店先の列が揺れた。


 粉屋のおばさんが腹を押さえ、井戸番の老人が腰に手を当て、旅人の子どもが母親の後ろに隠れる。誰もリナを責めてはいない。けれど、目が聞いていた。


 明日から、この店は閉まるのか。


 リナはおたまを置いた。


「王都が鍋を増やしてくれても、火加減を見る目はひとつです。味見をする舌もひとつ。昼寝する体もひとつです」

「昼寝はこの際、不要では」

「不要な昼寝を削った薬師が、分量を間違えます」


 列のどこかで小さな笑いが起きた。


 使者は笑わなかった。荷馬車の布を外し、磨かれた大鍋と高級薬草の箱を見せる。


「こちらを使えば、三十食などという制限はなくなります。価格も王都基準に改め、聖女院出張所として――」

「高すぎます」


 リナは即答した。


「その薬草は効きます。でも、町の人の胃には強いです。王都価格にしたら粉屋さんは週に一度しか食べられません。神官さんの手順では急患用の薬になります。これは毎日飲む養生食です」


 使者は言葉を失った。


「私は聖女様の代わりにはなりません。薬師です。目の前の体調と暮らしを見ます」


 その時、列の三十一番目で、旅人の少年が膝をついた。


 母親が悲鳴を上げる。


「すみません、昨日から何も食べていなくて……整理券は、ありません」


 使者の目が光った。


「ほら、ご覧なさい。三十食では足りない。規則など捨てて――」

「捨てません」


 リナは棚から応急茶の包みを取り出した。


「三十食は増やしません。でも、人命は見捨てません」


 三番の羊飼いが手を上げた。


「俺の分、半分でいいよ。昨日より胃がましだからな」

「では、半量スープを二つ。羊飼いさんには応急茶を足します。少年には薄めて、ゆっくり」


 リナは鍋を増やさず、配合を変えた。強い薬草は使わない。胃に膜を作る根菜を多めに、眠り草は一呼吸だけ早く入れる。


 少年は湯気を吸い込み、少しずつスープを飲んだ。青かった頬に、淡い赤みが戻る。


「……あったかい」


 その一言で、列のざわめきがほどけた。


「三十食ルールは、冷たい制限ではありません」


 リナは使者へ向き直った。


「明日も鍋を続けるための秩序です。秩序があるから、席を譲る人も、応急茶を待つ人も、ちゃんと助けられます」


 列の最後尾から、低い声がした。


「その通りだ」


 騎士団長アルベルトが、今日も最後尾に立っていた。昨日よりさらに顔色は良く、けれど手にはきちんと三十番の木札を持っている。


「私は昨日、命を救われた。だが今日は、最後に来た客として三十番を受け取った。この店の価値は、権力者を優先する奇跡ではない。身分を問わず、毎日三十人を確実に回復させる仕組みだ」


 使者が唇を引き結ぶ。


「閣下まで、そのような辺境の規則を」

「辺境の規則が、私の部下を救った。王都の命令で壊すなら、騎士団は証言する。この店は移すより、守るべきだ」


 粉屋のおばさんが水差しを持ち上げた。


「じゃあ、列の整理はあたしがやるよ」


 井戸番の老人が椅子を運ぶ。


「腰痛持ち用の椅子はここだな」


 旅人の母親が空いた器を洗い、羊飼いが掲示板の傾いた釘を打ち直した。騎士の一人は、荷馬車を通りの端へ下げて人の流れを作る。


 リナ一人の店だったものが、少しだけ町の店になった。


 リナは鍋の火を落とし、正式な招聘状をきれいに折りたたんだ。


「聖女様の仕事は聖女様の仕事です。私は王都の大義を否定しません。でも、この店が閉まれば、明日から確実に困る人がいます」


 おたまを置き、木札の箱に手を添える。


「私は、聖女の代わりにはなりません。この町の薬師です」


 使者はしばらく黙っていたが、やがて紙束を取り出した。


「……ならば、聖女院へ提出する正式な店規則を作ってください。誰を優先するのか。急患はどう扱うのか。騎士団、町人、旅人が同時に来たらどうするのか。文書がなければ、次はもっと強い命令が来ます」


「文書」


 リナは少し嫌そうな顔をした。


 鍋より紙のほうが苦手だ。


 けれど、粉屋のおばさんが笑って紙を押さえ、井戸番がインクを持ってきて、アルベルトが「私も証人になる」と言った。


 リナはため息をつき、掲示板に仮の一文を書いた。


『聖女の代わりにはなりません。ただし、明日の三十食は作ります』


 外で読んだ誰かが笑った。


 リナはもう一行だけ、真剣に書き足す。


『店主が倒れそうな日は休みます』


 町人たちは一瞬黙り、それから今度は大きく笑った。


 大きな王都の問題は、まだ残っている。

 けれどこの町には、明日も湯気の立つ鍋がある。

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