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辺境薬師の回復スープ、王都の聖女より効くとバレても店は一日三十食まで  作者: 花守りつ


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2/4

騎士団長、列の最後尾に並ぶ

翌朝、リナの店の前には、開店前から人の列ができていた。


 パン屋の角を曲がり、井戸の横を通り、薬草干しの棚の前まで続いている。見慣れた村人もいる。見慣れない旅装の人もいる。昨日、呪いで倒れていた騎士団長アルベルトの部下らしき騎士まで、鎧の音を控えめに鳴らして並んでいた。


 リナは戸口に立ち、しばらく列を眺めた。


「……鍋はひとつなんだけど」


 店の中では、朝から煮込んだ薬草スープが湯気を上げている。


 白豆、根菜、眠り草をほんの少し。胃を温め、魔力の流れを整え、昨夜の疲れをゆっくりほどく配合だ。よく効く。よく効くからこそ、作りすぎてはいけない。


 効くものは、雑に増やすと荒れる。


 リナは棚から木札を取り出した。一から三十まで、小さな数字が焼き印で入っている。


「本日、三十食です。整理券をお配りします。三十一番目以降の方は、明日また早起きしてください」


 列の前の方で、村の粉屋のおばさんが笑った。


「リナちゃん、昨日あんなことがあったんだから、今日は五十食くらい作ればいいのに」

「五十食作ったら、昼寝ができません」

「昼寝かい」

「昼寝しない薬師は、分量を間違えます」


 おばさんは「あんたらしいねえ」と肩を揺らした。


 その笑いで、列の空気が少し緩む。


 リナは整理券を一枚ずつ配った。常連にも、旅人にも、騎士にも同じ木札だ。


「一番、粉屋さん。二番、井戸番さん。三番、昨日から胃が痛いって言っていた羊飼いさん。四番――」


「待ちなさい」


 聞き慣れない硬い声がした。


 列の横から、紺色の外套を着た男が二人、店の前へ進み出る。胸元には王都神殿の銀糸紋。後ろには荷馬車まで止まっている。


「王都聖女院からの使いです。こちらに、騎士団長閣下の呪いを解いた薬師がいると聞きました。至急、同行願いたい」


 列がざわめいた。


 リナは木札の束を胸に抱えたまま、男を見上げる。


「整理券はお持ちですか」

「は?」

「スープを召し上がるなら、整理券が必要です」

「そうではない。我々は王都から正式に――」

「王都から来ても、鍋はひとつです」


 男の眉が吊り上がる。


「無礼な。あなたの力は、聖女様の代替として国のために用いられるべきものです。辺境の小店で三十食などと――」

「代替ではありません」


 リナは静かに言った。


「私は薬師です。聖女様ではありません。鍋係です」

「鍋係などと卑下している場合では――」

「卑下ではありません。大事な係です」


 その時、列の最後尾から低い声が届いた。


「その通りだ」


 人々が振り返る。


 騎士団長アルベルトが、外套のフードを下ろして立っていた。


 昨日より顔色は良い。まだ片腕に包帯を巻いているが、背筋はまっすぐ伸びている。


 王都の使者たちは慌てて頭を下げた。


「アルベルト閣下! なぜ列のそのような場所に」

「最後に来たからだ」

「しかし閣下は急患で――」

「昨日、急患として助けられた。今日は朝食を食べに来た客だ」


 アルベルトは列の最後尾から動かなかった。


「この店では、店主の決めた札が順番だ。騎士団長の肩書きで鍋の順番は早くならない」


 村人たちが目を丸くする。


 リナも少しだけ驚いた。


 偉い人は、たいてい自分が偉いことを忘れない。けれどこの騎士団長は、どうやら最後尾の意味を知っているらしい。


「閣下、本日の整理券はもう二十九番まで配っています」


 リナが言うと、アルベルトは真面目な顔でうなずいた。


「では三十番をいただけるだろうか」

「はい。最後の一枚です」


 リナは三十番の木札を渡した。


 アルベルトはそれを両手で受け取る。


 王都の使者の顔が、さらに険しくなった。


「閣下まで、そのような……。我々は聖女院の命で来ています。呪いに苦しむ者は王都にも多い。薬師殿を連れ帰れば、より多くを救えるのです」


 より多く。


 その言葉に、列の何人かが気まずそうにリナを見た。


 リナは少し考えて、店の奥から小さな布包みを持ってきた。乾燥させた眠り草と、胃を守る根を混ぜた応急薬だ。


「急患なら、これを煎じてください。馬車で運ぶ間の痛みは抑えられます。代金は銅貨二枚。食事ではないので、整理券はいりません」


「ならばスープも持ち帰りで――」

「できません」


 即答だった。


「このスープは、ここで座って、湯気を吸って、ゆっくり飲むものです。急いで飲ませたら、効き目が荒れます。冷めたら味も落ちます。何より、私が倒れたら明日の三十食もなくなります」


 リナは使者の目をまっすぐ見た。


「多くを救うために、私を壊す話なら、お断りします」


 風が止まったような沈黙が落ちた。


 最初に手を叩いたのは、粉屋のおばさんだった。


「そうだそうだ。リナちゃんが倒れたら、うちの亭主の胃もまた荒れるよ」

「井戸番の腰痛も困る」

「騎士様も並んでるんだから、王都の人も並べばいい」


 列のあちこちから声が上がる。


 アルベルトは王都の使者へ歩み寄った。ただし、列からは出ない。最後尾の位置を守ったままだ。


「聖女院へ伝えろ。薬師リナは王都へ連行する対象ではない。協力を求めるなら、まずこの店の規則を尊重しろ」

「閣下、それでは聖女様のお立場が」

「聖女様の立場を守るために、辺境の薬師を壊すな」


 その一言で、使者たちは黙った。


 リナは少しだけアルベルトを見直した。


 ただ守るのではなく、店の規則を守らせる人なのだと思った。


 やがて店が開き、一番の粉屋のおばさんから順に、温かなスープが出ていく。


 途中、旅人の子どもが青い顔で座り込んだ。神殿の強い薬で胃を荒らしていたらしい。


 リナは食数を増やさなかった。


 代わりに、三番の羊飼いが「今日は胃が半分痛いだけだから」と笑って席を譲り、リナは子ども用に薄めた半量のスープを作った。羊飼いには応急茶を渡す。


「人命は見捨てません。でも、鍋の数は増えません」


 リナが言うと、羊飼いは腹を抱えて笑った。


「そこがリナちゃんのいいところだよ」


 子どもは半分のスープを飲み終える頃には、頬に少し赤みを戻していた。


「おいしい」


 その小さな声だけで、店の中は十分に満たされた。


 昼過ぎ、三十番のアルベルトが最後の一杯を食べ終えた。


「昨日より、穏やかな味がする」

「昨日は呪い用です。今日は胃用です」

「毎日違うのか」

「人が毎日違いますから」


 アルベルトはしばらく黙って、それから深く頭を下げた。


「王都が正式な招聘状を出すかもしれない」

「行きません」

「だろうな」


 なぜか少し嬉しそうに言う。


「その時は、私も証言しよう。この店は、動かすより守る価値があると」


 リナは鍋を洗いながら、戸口の札を裏返した。


 本日完売。


 その下に、昨日より一行だけ書き足す。


『王都命令でも、三十一食目はありません』


 さらに少し考えて、もう一行。


『聖女の代役はしません。薬師なので、昼寝します』


 外で札を読んだ誰かが吹き出した。


 リナは満足して、店の奥の小さな寝椅子へ向かった。


 多くを救うのは、きっと大切だ。


 けれど明日も鍋を火にかけるためには、今日ちゃんと眠ることも、同じくらい大切だった。

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