この店は、一日三十食まで
「王都治療院の正式な厨房として、あなたの店を接収します」
白い馬車から降りてきた役人は、店先の木札を見もせずにそう言った。
木札には、今朝も同じ文字が書いてある。
――本日の回復スープ、三十食まで。
――並んだ順。
――店主の昼寝中は、鍋も休みます。
私は鍋の火を弱め、刻んだ薬草を布袋へ戻した。
「接収はできません」
「王都命令ですよ。聖女様の奇跡が不安定な今、あなたのスープは公共財です」
「では、公共財を明日も残すために、今日は三十食までです」
列の最後尾にいた騎士団長が、咳払いをした。
昨日、彼は鎧を鳴らしながら最後尾に並び、部下たちに順番を守らせた。そのおかげで、店の前の畑道は踏み荒らされずに済んだ。
「役人殿。昨夜の兵たちは、三十食で全員歩けるようになった。店主が倒れれば、明日の三十食はない」
「騎士団長まで田舎店の味方を?」
「味方ではない。補給計算だ」
私は小さく笑って、鍋の横に新しい紙を貼った。
一、通常分は一日三十食。
二、急患は一食を三人で分ける薄め汁にする。
三、店主の睡眠を削る命令は無効。
四、鍋を増やす時は、火番、水番、薬草番を村から二名ずつ育ててから。
「治療院へ全部持って行けば、王都の百人は助かるのです」
役人の声が少しだけ揺れた。
悪い人ではないのだろう。遠くの百人しか見えなくなるほど、王都の廊下を走らされているだけだ。
「でも、その後にこの村の明日が止まります」
私は、列の中にいる粉屋の娘を見た。彼女の母親は昨日のスープで熱が下がり、今朝は粉袋を持てるようになった。
「この店のスープは、奇跡ではありません。畑の薬草、水、薪、粉屋さんのパン、並ぶ人の順番、私の昼寝でできています。どれかを壊すと、効きません」
役人は紙を見上げたまま、黙った。
その時、列の外から小さな声がした。
「うちの子が、息を……」
若い母親が、ぐったりした子どもを抱えて立っていた。
列がざわめく。
私は鍋の蓋を開け、三十食目に入れるはずだった濃いスープを椀へ半分だけ移した。
「急患例外です。薄め汁にします。騎士団長、水を」
「承知した」
「粉屋さん、パンを小さく切って。薬だけでは胃が驚きます」
「はい!」
「役人さん、記録をお願いします。急患一名、三十食目を三分割。明日の通常食を減らさないため、王都分の持ち出しはなし」
役人は反射的に筆を取った。
子どもが薄いスープを二口飲み、苦しそうな息が少しだけ整った。
列から、ほっとした声が漏れる。
「……王都へ連れて行くより早い」
役人が呟いた。
「早い時だけ、ここで助けます。遠くへ運ぶべき時は、運びます。でも、全部を王都へ持っていかない。ここに鍋があるから、助かる人がいます」
私は木札の最後に一行を書き足した。
――急患は、列を飛ばしてよい。ただし、明日の鍋を壊してはいけない。
騎士団長が、深く頷いた。
「この規則を騎士団で保証する。列を乱す者は、私が最後尾に戻す」
「王都治療院にも写しを送ります」
役人は、接収命令書を半分に折った。
「接収ではなく、協力店登録に変更します。三十食の範囲で、急患記録と薬草育成法を教えてください」
「育成法は教えます。けれど、鍋の火加減は昼寝の後です」
店先で、誰かが笑った。
子どもの呼吸は、もう乱れていない。粉屋の娘が差し出した小さなパンを、母親が泣きながら受け取っている。
王都の百人を一度に救うことはできない。
でも、この店は明日も開く。
明日も三十食を作れる。
私は鍋の火を落とし、木札を裏返した。
――本日分、終了。
――店主、昼寝中。
「昼寝も公共財です」
そう言って戸を閉めると、外で騎士団長が真面目な声で告げた。
「全員、解散。店主の昼寝を妨害した者は、明日の最後尾だ」
笑い声が畑道へ広がった。
この店は、一日三十食まで。
だからこそ、明日も誰かの椀に温かいスープを注げる。




