義姉、シエラ
年配の御者が静かに馬車のドアが開けた。
「到着しました」
一言告げてから、御者はまた滑らかな動作でドアの横へと着く。
「行こうか」
「はい」
ロミオは御者に別段の礼を言うこともなく、外へ出て行った。それを見計らって、シエラも腰を上げる。段を降りた後、彼女は「ありがとう」と小さく言ったが、対する御者には妙な顔をされた。
街路を歩く人のほとんどが、豪奢な衣装に身を包んでいる。夜の街灯に照らされて、服の所々が煌びやかに光を反射していた。その全てが一様に、奥にそびえる巨大な建造物へと向かっていた。
「待ってくれ、シエラ」
「どうされました?」
「立ち方」
ぶっきらぼうにそう言われて、シエラは慌てて背筋をピンと伸ばした。
「す、すみません……」
「準備期間はたっぷりあったんだ。基本的な作法くらいは押さえていてくれないと。今夜のパーティーで恥をかくのはごめんだからね」
「はい……」
シエラは頷くというより、項垂れるようにして返事をする。そこへ、またロミオの咎めるような視線が向いたので、すぐにそれも正した。
ため息の後、ようやく彼は歩き始めた。気取った歩き方だ。シエラは周囲の視線が向いてないことを確認してから、思い切り舌を出してやった。
結婚式から二日が経った。昨日、一昨日は四六時中、他の家へ結婚報告かたがた挨拶周りに奔走し、今夜は騎士団の入団式。朝に国王を交えた正式な叙任式があったので、これから始まるのは単なる交流会に過ぎない。そして、それ以外の時間は、ひたすらマナー講習であった。
元来、彼女は社交的で身体を動かす方が好きな性分だが、この数日で精神的にかなり疲れていた。
オルディナリオ家が、貴族の中でも下から二番目の爵位であること。自分が平民出身であること。この二つが両方から彼女を圧迫し、息苦しく、心の安らぐ時は無いに等しかった。
(こんな調子でやっていけるのかな……)
不安を胸に、シエラはロミオの後に続いた。
「以上で堅苦しい話は終わりです。皆さま、此度は爵位や派閥といった壁は一切取り払って、騎士同士の懇親を深め合うこととしましょう。特に、新たにサンクトゥス騎士団の一員となった者は積極的に交流をするように」
壇上で若い男がそう締めくくる。それを皮切りに、会場にいる全員が酒の入ったグラスを持ち上げた。
「聞きましたか? 爵位や派閥の壁を取り払うですって」
「まったく面白い冗談だ。一番そういった類のものに執着しているのはどこの誰だと思っているんだ」
近くのテーブルから、せせら笑いと共にそんな陰口が聞こえて来る。
「未来の王国を担う、若き騎士たちに」
壇上の男が、グラスを掲げた。「騎士たちに」と皆もそれに続く。
「シエラはここで待っていてくれ」
「ロミオさんはどちらに?」
「少し挨拶にね」
「でしたら、私も一緒に」
「だめだよ。僕が戻るまで、君はここで待ってるんだ。他の方に無礼のないようにね」
最後に「貴族としての立ち振る舞いを忘れないように」と念押しして、ロミオは人混みの中を真っ直ぐ進んでいった。
しばらく眺めていると、やはり彼は自分の属している派閥の輪に加わった。二十人以上はいるだろうか。皆、挨拶周りで見た顔だ。
彼が深く礼をすると、同じような返しをしたのはほんの一割くらいだ。残りは皆、各々砕けた挨拶で済ましてしまう。階級による壁はしっかりと残ったままだ。
(なによ。私だって、ロミオの家族の一人なのに。なんか腹立つ)
結局、ロミオが一番大事にしているのは、妻ではなく体裁なのだ。彼はシエラのことを、少し特別な付き人程度にしか思っていないのだろう。いや、ペットか何かだろうか。
視線を他へ移してみた。いつの間にか、数個のグループができあがっていて、既に談笑を始めている。ざっと見た限り、一人でいるのは彼女くらいだ。
天井のシャンデリアの光がギラギラして、目に刺さるようだ。今頃、自分の着ている白いドレスのキツいことが気に障った。
(ここで弱気になっちゃだめ。私は絶対ここで一番ならなくちゃいけないんだ)
胸に手を置き一呼吸すると、シエラはテーブルのグラスを再度手に取った。とにかく、この機会に少しでも顔を覚えてもらわないといけない。
そう意気込んで歩き出した。彼女が目をつけたのは、近くのテーブルを囲んでいたグループだ。
「ごきげんよう。私オルディナリオ家のシエラと申します」
なぜだか、こちらを見る視線が鋭い。
(あれ、私何か失敗したかな…… ?)
「ああ。オルディナリオ子爵のご次男と結婚なさった…… 先日はご結婚おめでとうございます」
代表して話しかけてきたのは、初老の男だ。
「お、恐れ入ります」
「それで、私たちに何のようですかな?」
「少し挨拶をと思いまして」
「挨拶ですか」
男は素っ気なく言う。
「失礼ですが、ご自分がどのような考えを持った家に所属しているか理解していますか?」
「え?」
「はあ、そのくらいの教育を受けてから公の場に出てきて欲しいものですな。悪いですが、他を当たってください。国王様に理解なき者と話すことはありません」
「さっさと消えろよ。平民の臭いがこっちにも移るだろ」
キツい言葉を浴びせてきたのは、自分と同い年くらいの少年だった。それを非難するような人間は誰一人いない。そして、シエラも何も言い返す事ができなかった。
男たちは、何事もなかったかのように会話を再開する。
(今のって、王族派の人たちだったんだ……)
王族派とは、国王一人を真の指導者と見なし、貴族はそれに付き従う者と考える派閥だ。古くから国王と結びつきの強い人が多く、他の派閥を異端視している。
対するオルディナリオ家は、王の権力を弱め、貴族の力を増大させようとする、いわば反王族派の一つだ。両者はまさに水と油の関係である。
貴族の派閥は、この二つに加え、どちらにも属さない中立派に大別される。一つの派閥でも、その性格によってさらに細分化されるらしいが、シエラはそこまで熟知していない。
彼女はよりにもよって最悪のグループを引き当ててしまったわけだ。
(こんなところでしょげてられない。次に行こう)
そう思って勢いよく振り向くと、手に持ったグラスが何かにぶつかった。
「あっ」
慌ててグラスを引っ込めようとするが、その反動で中身の液体が前に飛び出してしまう。
「あ、あの、すみません! ちゃんと前見てなくて!」
反射的に頭を下げて、それから、恐る恐る相手の顔を覗いてみた。
タイトな黒いドレスが身体の美しい曲線を強調していた。赤い髪を後ろで結い、そこが花のように綺麗な膨らみを保っている。そして、紫色の玉がはめ込まれたような瞳から滲む陰鬱な感じは、むしろ全体と調和していて、普通の女とは違う妖しい色気があった。
シエラは少しの間、思わず見惚れていた。だが、濡れた生地が目に入ると、すぐに我に帰った。
「あ、染みが……」
「いいの」
「でも、それじゃあーー」
「いいの」
女は自分のドレスの中央にできた大きな染みを、意味ありげにじっと見つめていた。怒っているようには見えない。というより、何の感情も浮かんでいないようだ。すると、彼女はそこへ真っ白な細い指先を近づけ、ゆっくりとなぞった。
その所作に、シエラは一種の艶美と寂寥の情を認めた。これだけで、一つの画になる。
「あの……」
「気にしないで」
「でも、私の不注意でドレスを汚しちゃって…… 私、どう責任を取れば……」
シエラはどうして良いかわからず、その場であたふたする。
どの爵位の人間だろう。もし、相手が位の高い貴族なら、何か酷い仕返しを被るかもしれない。現に、伯爵に覚えず無礼を働いてしまった子爵が、その後から様々な嫌がらせを受けたという例を、ロミオに聞かされたことがある。自分もその二の舞を演じることになるかもしれない。
そんな彼女の手に、透き通った手が重なった。
「え…… ?」
「なら、着替えるから、一緒に来て」
「わ、私もですか…… ?」
感情の読み取りづらい顔で女が頷く。さすがに辞退するわけにもいかない。
二人は手を握ったまま、部屋の外へ出た。酷く冷んやりとした手だ。道中、周りの白んだ目が終始注がれていた。それも、自分ではなく、隣の女へ。




